068 繰り返される恐怖
太陽は西に沈み、地平線の向こうから空に雲にと不吉な残照を投げ掛けている。
季節は秋であり、場所は山がちな高原が占めるヴォルダン州である。夜の訪れは思った以上に早かった。
火を掛けることで廃村ごとレブナントの大群を葬ったザンクトガレン兵たちは、ヴォルダンの原野で野営の準備に入っている。軍隊が夜間に行軍することの難易度はつとに知られているが、人間に仇為すモンスターが跋扈するイトゥセラ大陸においては更に困難を極める。疲労で朦朧し、暗闇で視界を奪われている中で、闇の住人たちに襲撃を受ければ、その被害の大きさは敵軍との戦闘の比ではない。夜行性のモンスターは、梟じみた暗視の能力を持つか蝙蝠めいた高い聴覚を持つのが普通だ。加えて身体能力は人間を遥かに超えている。そんな怪物を相手に夜間の戦いなど、常人にとっては自殺行為同然である。
故に彼らは、早く帰陣をと逸る心を殺して、秋風吹く野原で野営を取るのだ。煌々と火を焚き込み、火の気配で魔物や野生動物を遠ざける。就寝と夜警の順番をしっかりと決め、それから乏しい食糧の中から晩飯の炊事。これらを完全に夜が更け切らない内に済ませておかねばならない。
「それにしても、困ったことになりましたな」
「ああ。折角の食糧が実は毒で食えず、挙句の果てには死体どもを火葬する燃料になっちまったんだ。本陣の連中もさぞ落ち込むだろうよ」
そう言い、隊長は口から紫煙を吐いた。彼が喫しているのは、特殊な葉を燃やした煙を吸うことで軽い酩酊を味わう、煙草と呼ばれる嗜好品である。何でもドワーフやダークエルフといった異種族には、これを好んで吸う風習があるという。短命の人類にとっては寿命を削る毒にもなるらしいが、酒にしたって同じことだと隊長は思っている。
彼が咥えているのは、紙巻き煙草だ。専用のパイプを用いずとも、火を点けるだけで手軽に吸える。何でも魔導アカデミーが魔導師向けの嗜好品として開発したという。こんな物を咥えていては呪文の詠唱に支障があると思うのだが、魔力の消耗で精神を疲弊しやすい彼らには好評だと聞く。煙草を分けて貰った相手である魔導師の弁だ。確かにささくれ立った気分を少々鎮める役には立つと、隊長も認めていた。
「一番気落ちするのは、やはりバウアー将軍でしょうな。ここへ来て練り直した戦略すらおじゃんですから」
「結局は消耗した兵士で力攻めすることになるからな。本隊も俺らの徴発に合わせてこっちに向かっているから、明日には顔合わせか? これで食い物が無いとなったら、下手をすれば反乱だな。ふん、つまらん成り行きだ」
「つまらんでは済まないでしょう。嫌ですよ、アルクェールの山奥くんだりで野垂れ死になんて」
配下の百人隊長が、しみじみとそう言う。この徴発隊千人を預かる隊長にしても、同感ではある。味方の崩壊に巻き込まれて無駄死になど、御免であった。
が、口に出してはこう言った。
「何だ、貴様。山は嫌いか? クニはどこだ?」
「カノーファー公国ですよ。生まれも育ちも港町です」
部下が口にしたのは、アルクェール領アルマンドとの国境にある海に面した領邦の名である。
「何だ、船乗りの産地で有名な北国じゃないか。それがどうしてまた、こんな南で徒歩の山越えになんぞ加わっとるんだ?」
「船に弱い性質でしてね……それで軍に志願する時も陸を選んだんですが、そうしたら今回の出兵は領邦合同で陸軍を出す運びとなりまして、自分は山越えに回されました」
「そいつはツイてないな」
「いや、まったくです。何が最悪かって、自分がここで酷い目に遭っているのに、クニではガレリンから来た連中が国境の守りだとか抜かして、ヌクヌクと居座っているんですからね」
「そりゃあ最悪だな」
別の百人隊長が口を挟む。
「ガレリンの――グランドンブルクの連中は、ホントに糞だ。俺らのクニに担がれた看板の癖に、大王家とか吹いて調子に乗ってよォ……」
「同感。こんな時に戦争になったのも、アイツらがアルクェールの連中に舐められてるからに違いない」
「マジで最悪だよな。俺ァ、ディンヒルの生まれなんだがよォ、同じ東のクニだっつーのに、アイツら俺たちだけ田舎者扱いしやがる」
「そういえば、隊長殿はどちらで?」
「何だ、訛りで分からんか? バーミンだよ」
隊長は部下の問いに、数十年前に連邦に加わったばかりの新参領邦の名を挙げた。
途端に周囲の顔つきが神妙になる。
「そりゃ、何と言いますか……」
「ご愁傷様、と言うべきですかね……」
「ふん、好きにしろ」
露骨な同情の声に、不機嫌に鼻を鳴らすことで返事とする。
バーミン王国は本来ザンクトガレンとは縁の薄い地域だ。かつての公用語もザンクトガレン語とはかなり趣を異にしている。それが連邦に組み入れられたのは、戦争に負けた為。王権こそ保証されたものの、事実上の併合のようなものである。お陰で国内の権益はガレリンや他領邦に掻っ攫われ、貧窮していた。
「俺はほとんどクニを捨てたようなもんさ。この遠征軍が編成される前は傭兵でな。昔はザンクトガレン中の鉄火場に顔を出していた」
隊長は吐き捨てるようにそう言う。
今回の開戦前、五十年の平和が続いていたと言うが、単に四大国同士の戦争が無かっただけである。バーミン王国がザンクトガレン連邦に編入された戦いしかり、領邦同士の紛争しかり、傭兵の稼ぎ口はそこら中に転がっていた。
「ははァ、部隊長殿は傭兵上がりでしたか。道理で略奪慣れしていらっしゃる訳で」
「そこは嘘でも戦が上手いと言え……もっとも、合戦の上手な傭兵など滅多におらんが」
何しろ血縁も地縁も無く、雇い主とは金だけで繋がる仲だ。それで命懸けで戦えるような酔狂な傭兵などいない。雇う側としても大方が戦争相手を威圧する為の数合わせのつもりである。彼が思い返しても、まともな戦闘に参加するより略奪に勤しむことの方が多かった。
と、そこまで思ったところで我に返る。
「ふん……つまらんことを喋り過ぎたな」
言ってまた煙草を口に咥え――吸い直そうにもほとんどが灰になっていることに気づく。
「いや、つまらなくはないですよ隊長。もっと聞かせて下さい」
「そうそう。歴戦の元傭兵殿の思い出話、傾聴に値するかと思われますが」
「心にも無いことを言うな。どうせ貴様ら、後で自分の百人隊で言い触らすのだろう?」
「そりゃあ、まあ……」
「はい、隊長殿ォ! 貴重な経験談は部隊全体で共有することで、練度向上に寄与するかとっ!」
「調子に乗るな、戯けが」
言って、二本目の煙草に火を点ける。
散々に終わった作戦の後、部下のガス抜きにとおしゃべりに付き合ったつもりが、余計なことを漏らし過ぎた。気を抜けば昔語りが多くなるのは、歳を食った所為かと自省する。どうやら知らぬ間に増えていたのは、腹や顎下の脂肪だけでは無いらしい。
一服つけて顔を上げると、部下たちは、まだまだ興味津々といった風情でこちらを見ていた。
「何だ、貴様ら。これ以上は言わんぞ」
「そんなァ、ケチはやめて下さいよ」
「減るもんじゃあないでしょう。略奪の分け前じゃあるまいし」
お前らは何時の間に、こうも気安くなったのだ。彼はそう思って顔を顰める。朝までは露骨にこちらを舐めるか忌避するかしていた連中が、夕方を境にして急に馴れ馴れしくなり始めた。まったくどうしたものか。部下たちの豹変を訝しみながら、彼は煙草の煙を口に含み、味だけ味わってフーッと吐いた。
「減るんだよ。具体的には俺の寿命とかがな。有名なジンクスだ、知らんのか?」
戦争中に昔語りをした兵は死ぬ。良く聞く噂話である。
勿論、隊長はそんなものを信じてなどいない。面倒な長話を打ち切る為の口実だった。
「大体、無駄口を叩く暇があったら自分の隊の面倒を見ろというのだ」
「いやいや。兵士たちも私ら上役がいちゃ気が詰まるでしょうに」
「そうですそうです。これも我らなりの気遣いでして」
「馬鹿者。徴発にしくじった直後だぞ? 今が一番目を離せん時期だ。不安と不満を溜め込んだ兵どもが何をするか――」
――分からん、と続けようとしたその時だった。
「……ホノオ、アカリ、キレイ」
夜の原野、男どもの詰める軍営には似つかわしくない、幼い少女の声。
風に乗って聞こえたそれに、隊長らは怪訝に思い振り向く。
「なっ……」
驚きの余りに、手元から煙草が落ちる。
紫と黒とがグラデーションが描く宵の口の空、月下の草原。そこにいたのは、異様な状況に相応しい異様な風体の少女だった。
くすんだ金髪を耳が隠れるほど伸ばし、飾り気のないワンピースに身を包んだ線の細い肢体。白皙の容姿自体は整っているが、顔に手足に全身にと、得体の知れない刺青が隈なく彫り込まれているのが痛々しい。浮かべている表情は、野営地中に掲げられた篝火に見入っているように陶然としており、瞳の焦点が合っていなかった。
第一印象が「異様」であれば、続けて抱く感想は「狂人」である。
だが、その少女はただの狂人では済まない特徴を一つ持っていた。
「……お嬢ちゃん、その手に持っているのは、何だ?」
部下たちが呆気に取られている中、隊長が口火を切るようにして問う。
彼女の細腕には、大の大人でも引くことの難しいだろう長大な強弓を携えられていた。襷掛けのベルトで背中に負われているのは、ひょっとすると矢筒か。少女がもしもこの弓を十全に使うことが出来たとしたら、一体どれほどの威力を発揮するだろう。そして、何の為にそんな物を持ってここに現れたのだろう。そのことを考えるだにぞっとさせられた。
「ぼ、冒険者か何か、ですかね? ははは……」
部下の一人が引き攣った笑いを漏らす。
武器を手に取り、一人夜の草原に現れる少女。成程、冒険者というのは彼女の身分の候補として、最も穏当なものであろう。
果たして少女は、
「ボウ、ケンシャ……?」
耳聡く拾ったその単語に、小首を傾げて見せる。可愛らしい仕草ではあったが、同時に何か決定的な断絶を感じさせる違和感があった。
少女の瞳が揺れる。それはまるで、失くしてしまった故郷へ思いを馳せるような、酷く遠い目にも見えた。
そして、顔を伏せて頭痛を堪えるように唸る。
「うう……チ、チガウ」
「……違う?」
冒険者では、ない。では何者なのだ。何故、軍営の前に武装した姿で現れるのだ。
……いや、待て。
隊長は自分が決定的に見落としていた、あることに気が付いた。
(そもそもこいつ、どうやって俺たちに近付いて来たんだ……!?)
そして、背筋が冷たくなる思いを味わう。
何度も言うが、野営は見晴らしの良い草原や丘陵で行うのが基本。魔物や獣、敵軍の夜襲を避ける為に、不意を打たれないよう見張りが容易な場所で設営を行うのだ。
では、その見張りは何をしている?
くすんだ金髪。白いワンピース。いずれも月明かりがあり、まだ宵の口の明るい時間帯。そんな夜闇に浮かび上がって目立つような風体で、見張りの兵に見咎められずに、指揮官のすぐ前まで来られるものだろうか。
何にせよ、まともな手合いではない。隊長はそう判断を下し、腰に吊った剣に手を伸ばす。
同時、少女が弾かれたように顔を上げた。
「オモいダしたっ! ワタシ、ヴイっ!」
「ヴイ? それが、嬢ちゃんの名前か?」
「俺たちが聞きたいのはそう言うことじゃなくて――」
部下の百人隊長たちは、未だに警戒よりも戸惑いの色が強い。それに対して注意を呼び掛けようと隊長が口を開く直前、
「ヴァンパイアの、ヴイっ!」
少女は満面の笑みを浮かべながら、世にもおぞましい名乗りを高らかに上げた。
「ヴァン、パイア?」
「じょ、冗談キツ――」
「……敵襲ーっ!!」
呆気に取られている周囲を無視して、隊長は大声を張り上げる。
「魔物だ! 総員、撤退戦に移行! 敵推定戦力、討伐等級BからAっ! 繰り返す、BからAっ! 総員、撤退戦に移行だっ!!」
怒鳴りながら、彼は懸命に祈った。
どうか冗談であると言ってくれ、と。もしこれがただの冗談であれば、自分は小娘に担がれた間抜けな親爺というだけで済む。だがもし本当であったなら、大勢の部下が死に、自分も死ぬだろう。
ヴァンパイア。吸血鬼。腕力、魔力共に秀でているにのみならず、数多の特殊能力を行使し死者たちの上に君臨する魔の貴族。血を吸うことで力を増し、血を吸った相手を眷族に変えて増え、人間から領土を奪う闇の侵略者。かつては一国すら傾け、ついには滅ぼしたという高位のアンデッドだ。
冒険者ギルドが制定する討伐等級は最低でもBランク以上。百人の兵に値するとも、一騎当千とも言われる域の実力者たちが、束で掛かってようやくという怪物である。如何に精兵を以って知られるザンクトガレン軍といえども、徴発の為に編成されたこの部隊では荷が勝ち過ぎる相手だろう。
何とかして隙を見て逃げ――
――ドスっ。
「……あっ?」
唐突に思考を断ち切った衝撃に、隊長は自分の胸を見下ろす。
矢が、胸から生えていた。
弓で、撃たれていた。
「いつ、の間に……」
「アたった、アたったっ♪」
崩れ落ちる隊長の姿に、ヴイと名乗った少女が無邪気に笑う。
その手に携えた、身の丈ほどにもある強弓。それを使って隊長を撃ったのだ。
……この場の誰にも、矢を番え、弦を引き、そして放った瞬間を見せないままに。正に人外の早業である。
少女は、今度は殊更見せつけるようにゆっくりと、矢筒から取り出した矢を番えた。一度に四本も。そして、笑みに歪んだ口から覗かせる鋭利に尖った犬歯。
「ナカマ、コロした、テキ……ヴイも、コロすっ!」
「仲間……だと? あの村のレブナントのことかっ! アレはお前が――」
「そんなことを言っている場合か! 隊長を連れて下がるぞっ!」
「ば、馬鹿……もの……」
隊長は自分の肩に手を掛け運ぼうとする部下を、震える片手を上げて制する。
「致命傷だ……おれは、いい。おまえら、にげ――」
――ドスっ。
――ドスっ。
――ドスっ。
――ドスっ。
遺言となるに違いない言葉を言い終えるのも待たず、四本の矢が部下の百人隊長たちを射抜く。悲鳴すら上がらなかった。即死だろう。隊長の霞む視界の中で、命を失った仲間の肉体が次々と倒れ伏す。そんな中、ヴァンパイアの娘が狂笑を深める様だけが、やけに鮮明に見えた。
人間の都合など今わの際だろうと斟酌しない、理不尽の化身。
「あはははははははっ! アたったっ! アたったっ! ナカマ、カタキ、シんだっ! まだ、コロすっ! もっと、コロすっ! あは、あはははははははっ!」
「うわぁあああぁっ!?」
「くっ! すみません、隊長殿……退却っ! 退却ーっ! 魔物出現! 倒すことは考えるなっ、退却だァっ!」
生き残った部下が、化け物の笑い声に押されるようにして、ようやく駆け出す。
ひゅーひゅーと細い息を吐きながら、隊長はそれを見送った。
(ああ、糞……っ)
毒吐きたくとも、口すら満足に回らない。だから、心中で毒吐く。
(なんでジンクスってのは、悪いもんしか当たらないだろうな……)
戦争中に昔語りをした兵は死ぬ。良く聞く噂話であった。
そして、二度と聞くことは無いだろう。
傭兵上がりの隊長はその目からゆっくりと光を失っていき、ついには思考も断ち切られた。
「敵襲だーっ! いや、化け物っ! 化け物が出たぞーっ!」
「ヴァンパイアだっ、立ち向かおうなんて考えるなァ!」
篝火に照らし出された野営地。悲鳴を上げて逃げ惑う兵たちの姿を人外の眼に収めながら、少女は笑う。
「テキ、エモノ、タクサンっ! コロす、タクサン、ホめられるっ!」
言いながら、舌なめずりを一つ。
獲物は大量にいる。これを殺せば仲間たちも自分を褒めてくれるだろう。
君を仲間に入れて良かったと、君に弓を与えて良かったと、喜んでくれる筈だ。
ただ、一人で殺し切るには数が多過ぎる。こちらにもある程度の頭数がいるだろう、と狩猟者としての本能が囁いた。そしてその為の手段は、彼女には十分に備わっている。
意志に呼応して、全身に刻印された刺青が暗紫色に輝いた。
「ナカマっ、ナカマっ! コいっ! ――≪サモン・ファミリア・ディプレイヴド≫!」
精神の破綻により劣化した知性。それを補うべく刻まれた魔法の呪印が、複雑な詠唱を代行。驚くべき速度で、穢れた神に貶められた術式を発動する。
月明かりが浮かび上がらせた少女の影から溢れ出すように、不浄の軍勢が召喚された。
「オォオオオオオォォォンンンっっっ!!」
「キィ、ギィ、ギギキキィ……っ!!」
「キチキチキチキチ……っ!!」
牙を剥き出し夜空に吠える黒狼。退化した筈の目を大きく見開き赤く輝かせる蝙蝠。無数の足を忙しなく動かしながらカチカチと顎肢を打ち鳴らす大蚣。
恐怖と嫌悪を誘う怪物たちが、ザンクトガレン軍へと殺到する。
「ヴァ、ヴァンパイアの使い魔どもだっ! 振り払えっ!」
「くっ、神官は!? 神官はいないのか!?」
「知るか、本陣でお祈りでもしてるんだろ糞がっ!」
「……ここはお任せをっ! ≪炎よ――≫」
流石に精兵を謳われるザンクトガレン軍である。混乱にこそ見舞われているものの、勇を振るって使い魔の群れに対抗し、着実にこれを撃退していった。
特に効果的なのが炎の魔法だ。ヴァンパイアの使い魔は主と同じく不死者の性質を帯びている。その為、原型となった動物らよりも炎属性の魔法に弱くなってしまうのだ。
「――ギキチチチチチ……っ!?」
素早く地を駆けることの出来る狼や空中を飛翔する吸血蝙蝠は兎も角、地面を這うことで移動する大蚣には、これが覿面に効いた。草原を焼き払うように放射状に放たれた炎。その高熱に取り巻かれて、長い体を無様にのたうち回らせている。
また他の使い魔も無事では済まない。狼は火を避ける為に飛び退いたところを攻撃され、蝙蝠は松明を翳され怯んだところを投石や弓矢、槍などで叩き落とされていた。魔物といえど、やはり下級も下級である。モンスターとの戦いに慣れた兵を相手にしては、分が悪いと言えた。
「う~っ……ワタシの、ナカマっ!」
呼び出した手駒が思ったより効果を上げられないまま討ち取られていく様に、吸血鬼の少女が歯噛みする。
≪サモン・ファミリア・ディプレイヴド≫は、個体との使い魔契約を要する通常の≪サモン・ファミリア≫とは違い、あくまでも術者の魔性を投影した即席使い捨ての駒を生成しているに過ぎない。低級眷族の召喚など、発動に必要な魔力さえあれば幾らでも再使用出来る。それでも自分の呼び出した存在が蹴散らされていく光景は、神経を逆撫でするものであった。
吸血鬼の鋭敏な知覚は、明瞭に戦況を把握している。この戦闘を繰り広げているのが兵たちの最後尾であり、他の兵らは既に逃げ出し始めていることを。このままでは多くの兵を取り逃がしてしまう。彼女が命じられたのは敵の殲滅であるのに。
焦りに囚われ始めた少女は、ふと、自分の足元に転がっているものに気付く。
そうだ、手が足りないのであれば、仲間を増やせばいい。
「おマエら、ナカマ、ナるっ! ――≪グレーター・クリエイト・スケルトン:スパルトイ≫っ!」
ヴイと名乗った少女の魔導刻印が再び励起。不吉な光と共に邪悪な魔法が起動し、草原に倒れ伏した死体を瘴気の霧で包む。
ゴキゴキと骨を――全身を鳴らしながら、白骨化した屍たちが起き上がった。
「おぉおぉおおおぉぉ……!」
「渇く……足りない……苦しい……!」
「寄越せ……寄越せっ! 生命を、寄越せっ!」
全ての肉を削がれた骨の身体に生者への怨嗟を漲らせながら、髑髏の戦士たちは武器を手に取る。
その冒涜的な復活劇に、目撃した兵たちが顔を引き攣らせた。
「ひっ!? た、隊長たちが、スケルトンにっ!?」
「だ、だが、所詮はスケルトンだ! 生前を知る身としては心苦しいが、これなら――」
「いえ、拙いですよ!」
下級のアンデッドに過ぎないとせめてもの強がりを漏らす兵に、魔導師が青い顔で告げる。
「アレは角持ちのスケルトンです! ……上位種のスパルトイ、生前の戦闘力を更に強化されています。油断はしないで下さい、熟練の冒険者でも手古摺る相手ですよ!」
頭部に角を戴く白骨の闘鬼・スパルトイ。竜の牙より造られた戦士たちが、生まれ持っての闘争心から同族同士で殺し合った末の骸より生まれたと伝えられる、伝説の悪鬼だ。その神話が事実かどうかは不分明ではあるが、強力な戦士が死後に変じた存在であることは確かである。そして戦闘における脅威度においては、当然ながら通常のスケルトンとは比較にならない。
「イけっ、イけっ! コロせっ!」
「おぉおぉ……主ィ……!」
「仰せの……ままにィ……!」
造物主たる吸血鬼の命を受け、五体のスパルトイが行動を開始する。
虐殺が始まった。
「うわ、うわぁああああぁっ!?」
「≪炎――≫ひっ! 間に合わな、ぎゃああああっ!」
「やめてくれ! 隊長、俺だっ! やめてくだ……」
死体、それもザンクトガレンの強兵、その隊長格を素体として生み出されたアンデッドである。魔力だけで生み出された低級使い魔などとは次元が違った。魔導師が詠唱を終える暇すら無く詰め寄られ、兵士が槍や剣で防ぐことすら出来ずに斬り伏せられる。ザンクトガレン軍の最後尾は、忽ちの内に崩壊した。
だが、五体のアンデッドと生き残った使い魔が蹂躙したのは、あくまでも撤退する兵たちの最後尾。その先にはまだまだ十分な戦力が残っている。
「≪ファイアボール≫っ!」
「がぁああああぁ……っ!?」
味方を巻き込むことすら厭わず放たれた炎魔法が、不死者の軍勢を火に包む。突破されることを予期していた指揮官が、魔導師にやらせたことであった。
「あ、熱いっ! お、俺は味方――」
「くっ……」
「躊躇うな、魔導師! 続けて撃て! ……これは味方殺しではない。後ろを行く者たちを救う為だ!」
炎に巻かれる自軍兵士の断末魔。それに懊悩する魔導師を指揮官が叱咤する。一瞬で足止めの兵を粉砕される程に、敵の突破力は常軌を逸している。ならば味方ごとでもアンデッドを焼く。非情な決断ではあるが、より多くの友軍を生かすには為さねばならぬ選択だった。
「続けて撃ちますっ! ≪炎よ、我が手に宿りて――≫」
「……覚悟を決めろォ! アンデッドどもを、これ以上行かせるなァ!」
「じょ、冗談じゃない! 死ぬのは嫌だっ! 嫌だあっ!!」
「畜生っ! 畜生ぉおおおぉっ!! 分かったよ、やれよ俺ごとォ!!」
名も無き兵たちは、ある者は武器を置いて逃げ出し、ある者は自分がスパルトイに敵わないと見るや涙ながらにこれへと組み付く。生半な死体を残して死ねば、この白骨の鬼のように魔物に魂を弄ばれ、死後の救いすら得られない。故に死を悟った者たちは、敵を道連れに炎に焼かれようと、狂奔する。
「≪ファイアボール≫っ!」
「≪ファイアボール≫っ!」
「ああ、くそっ……≪ファイアボール≫っ!」
夜の草原に次々と炎の花が咲いて散り、兵たちの命も儚く燃え尽きていく。不浄の軍勢を僅かな時間押し留めるという、ささやかで虚しい対価を得んが為に。
人間たちが味方の命を溝に投げ捨て、或いは己の命を泣く泣く捧げていく狂気の光景。ある意味ではこの上無く戦場らしい景観に、ヴイと名乗った吸血鬼は手を叩いて笑う。
「あはははははははっ! ホノオっ! ホノオっ! キレイっ!」
本来、火を恐れ浄火に折伏されるべき怪物が、人間をくべて燃える業火に魅入られていた。
彼女は喜悦の中、胡乱な頭で思い返す。
ああ、そういえば。昔もこんな光景を見た覚えがある。いつだったか、これよりもっと美しい炎を見たことがある。それはすごく楽しくって嬉しかった気がするけれど、あれはいつのことだったか?
そして、ついでのように思い出す。
「……ワタシ、ワタシも、デキるっ! ホノオっ、ダすっ、デキるっ!」
青褪めた肌に刻まれた呪印が、三度闇色に輝き、
「デるっ、デるっ! ダすっ! ――≪イグニス・ファタス≫ゥウゥウゥっっ!!」
悪魔の炎が、原野を舐め尽した。
「「ぎぃやああああぁぁぁぁ……っ!!?」」
一度に数十人の兵を呑みこむ魔炎。余りにも不自然に明るく、余りにも不自然に熱さを欠いた冷たい炎。それは言うなれば、生ある者の魂を燃やし、絶命に至る苦痛を照らし出す獄吏のカンテラだ。物体を焼き尽くすことなく、供物の精神のみを灼き切る魔神の業である。
命を賭した足止めを挑んだ兵も、涙ながらに味方ごと敵を焼いていた魔導師も、不浄の聖火の薪と潰えた。
だがその恐ろしさは、威力だけではない。
「おぉおぉおぉおぉぉぉ……!」
「怨嗟、苦痛、絶望……!」
「満ちる満ちる満ちる満ちる満ちる……!」
ザンクトガレン魔導師の炎魔法、その炎熱で損傷を受けていた筈のスパルトイの群れ。火葬される寸前だった筈の骨たちが、聞くだにおぞましい歓呼の声を上げて再び立ち上がる。熱や打撃で罅割れていた骨の身体が、釉薬を塗られた陶器のように再生していく。
生者の苦悶と絶命への嘆きに満ちた瘴気が、アンデッドの死した肉体に邪悪な活力を注ぎ込んだのだ。
無数の兵の命を賭して与えたダメージは、この瞬間に無に帰したのである。
「ば、馬鹿な……」
この攻撃を生き残っていた指揮官が、草の上に力無く尻を着く。辛うじて効果範囲の外側に位置していた為か、≪イグニス・ファタス≫の魔炎に焼かれずに済んだのだ。
しかし、それが何の救いになるのだろう。魂を焼く魔法で殺されるにしろ、穢らわしいアンデッドの手に直接掛かるのも、絶望の中で苦悶を味わい死んでいくのは同じではないか。
いや、一つだけ手はある。死後の救いすら無い結末から逃れる為の手が。
指揮官は腰から武器を抜いた。本来は予備の武器である筈の短剣を。
「か、神よ! 御身が与え給うた生を全う出来ぬこと、お許し下さい……!」
自害である。聖王教では自殺は重い戒律違反だが、一つだけ許される場合があった。アンデッドの手に掛かる直前、その魂を玩弄され汚染される前に魂を御許へと還す。そうすれば死後の救済は与えられるという。
彼はうろ覚えの教義を頭の中で何度も繰り返しながら、短剣の切っ先を喉元へ当て――
「マホウ、タクサン、ツカった。ワタシ、おナカ、スいたっ♪」
――あろうことか涜神の化け物の手で、自殺という破戒を止められてしまった。
人外の脚力で一瞬にして眼前に迫ったヴァンパイアは、その細腕で彼の腕を掴み上げている。押しても引いても微動だにしない。怪物の赤い眼光は、哀れな獲物の儚い抵抗を嘲笑うように輝いていた。
目が合った瞬間、彼の心は折れた。
「うわぁあぁあぁあぁっ!? やめろっ! やめろォ! 死なせてくれぇえぇえぇっ!!」
「シぬ? ……チ、スえば、シぬっ! シんでっ、ナカマっ、ナるっ!」
「いぃやぁだぁあぁあぁあぁっっっ! お、おお、おねがいだからやめ――」
哀願も虚しく、その奥に致命の犬歯を隠した唇は近づいてくる。
「あァ~~~んん……っ」
褥で恋人の肌を啄ばむような、可愛らしくも淫靡で情熱的な口付け。首筋に降りたその感触は、体温の冷たさ故か見掛けを裏切って怖気を震わせた。
「ぎぃやぁあぁあぁあぁ――っ!!?」
夜に谺する断末魔。それに背を押されるようにして、兵たちは走る。
どうか無事に、この地獄から逃げられますように、と。
直後に彼らは、それが余りにも無謀な願いだったと知ることになる。
※ ※ ※
「う~っ……ホノオ、これ、チガう……」
壊滅した野営地の中、ヴイと名乗った少女は不満げに唸っていた。
あの後、追い縋った敵兵がまた味方ごと炎を放つ姿を見たり、或いは自分の魔法で魂を燃やしてみたり、はたまた適当に捕らえた相手に油を掛けて火を点けて見たのだが、どうにも違和感が拭えない。彼女の知る炎とは、炎で敵を倒す方法とは、何かが違う気がする。
「や、やめてェ! ……もう、やめて下さひィ……っ!」
おぼろげに霞む記憶に頭を捻るヴァンパイア。その姿に、手足を折られて這い蹲る敗残兵が苦しみの声を上げた。力任せに破壊された四肢は、千切れていないのが奇跡といった体だ。生半な治療魔法では骨が元の形に戻らず、治したとしても動かせるようにはならないだろう。仮に完全に治すとしたら、人体への知識に精通した術師を頼るか、教会へ金を積んで神官の秘蹟に縋るしかない。が、今現在、より切実に必要とされる神官の御業は、目の前の吸血鬼への調伏であった。
少女は獲物の苦しみに頓着しない。人間が家畜を絞める時には、手を掛けて育てた生き物に対する良心の疼きや、己の糧となる存在への感謝の念などが生じるだろう。しかし、文字通りの人外に人がましい心理など期待するのはナンセンスだ。彼らは獲物の苦痛を喜びこそすれ、気に咎めなどしない。皿の上の肉へスパイスを掛けるように、人間への加虐を振り撒く。だからこその人類への敵対種なのだ。
少女はしばらく次の殺し方を吟味して、やがて辺りを照らす篝火に目を留める。
そして、一本の燃えさしを手に取った。
「……ホノオの、ケンっ!」
満面の笑みを浮かべて、燃え続ける太い枝切れを頭上に掲げる。まるで幼児が勇者や冒険者に扮したごっこ遊びに興じるような、微笑ましい仕草。だが、手にした燃え木とこの娘が今まで働いて来た酸鼻な行状を思えば、また別の感想が湧いてくるだろう。
それで何をする気なのだ。いや、それを誰に使う気なのだ、と。
少女は燃え盛る棒切れを手に兵士へ近づき、
「や、め――」
「えいっ!」
躊躇いも無く、全身の力を込めて振り下ろした。
無論、それらが吸血鬼の膂力に耐えられる筈が無い。兵士は水風船のように頭蓋を砕かれ、彼女の凶器は半ばから呆気無く折れ飛ぶ。
「うーっ……?」
彼女は一撃で用を為さなくなった木の棒を、不思議そうに見やった。
おかしい。炎の剣とは、こんなにも脆いものだったろうか? それに切れ味もまるで無い。これではただの火が付いた鈍器だ。これでは自分が知っている、大好きなアレとは全然――
「≪武装召喚、候補選択、副次兵装――ハンド・キャノン≫。……ファイア」
轟音。衝撃。熱さ。痛み。
突如として身体を襲ったそれらに、ヴイと名乗った少女は堪らずに吹き飛ばされる。
「が、あっ!?」
態勢を立て直しながらも激痛を訴える胸元に手をやると、そこにはぬるりとした血液と小さな穴。自分の身体が何かに撃ち抜かれた激痛と恐怖に、彼女は辺りを見回した。
「ダレだっ! ダレっ!?」
牙を剥き出し威嚇の唸りを漏らす彼女へと、誰かが草を踏みしめつつ近づいてくる。
「攻撃性能良好なれど、知性・判断力に問題あり、と、評価しマス」
「まァ、そんなところだよねェ? 結局のところ、雑魚散らしの猟犬程度が精々って感じィ?」
感情の窺えない平坦な女の声と、薄っぺらな嘲りを含んだ男の声。
オーパス05フェム。そしてオーパス04シャールである。
短筒から煙を棚引かせているフェムと、それに並び気障な身振りで肩を竦めるシャールの姿に、ヴァンパイアの少女は目を見開く。
「あ、あ、あぁあぁあぁ……っ!?」
血の気の無い顔を更に青褪めさせ、カチカチと歯を鳴らし、尻餅を搗いてそのまま後退る。これまで何人もの人間たちにやらせてきた行いを、自らなぞっていた。
つまりは人間と吸血鬼の間にある戦力差、それがそっくりヴイと名乗る少女と現れた二人との差に当て嵌まることとなる。
「互いの戦力差は把握出来ていますか、と、確認しマス。敵味方識別の方はどうでショウ?」
「フェムちゃん、フェムちゃん。君さァ、いきなりぶっ放しといて、そりゃないんじゃないのォ? 後ろからその、ケンジュウ、だっけ? それで撃たれちゃったら、僕だって撃った奴が味方だとは思わないって」
「そうですね、と、自省しマス。殲滅のペースが落ちた原因を確認しに来たら、こんなところで遊んでいられたノデ。思わず手が出てしまいまシタ」
「あははははァ! 思わず手が、と来たかァ! よかったね、君ィ。この子が本物の手を出していたら、今頃木端微塵だぜェ?」
やがて二体の怪物は、震える小娘の前で立ち止まった。
そして、フェムの手甲に包まれた腕が伸ばされ、乱暴に首根っこを押さえて宙に吊る。
「ひぃ!?」
「さて、それでは敵味方識別機能、を、チェックしマス。ワタシが誰だか、分かりまスカ?」
「は、はいっ! はいィ! お、おーぱす05! ワタシの、シケンのっ、か、カントクっ! ……メイレイ、ダす、ヒトっ!」
「正解です、と、採点しマス。では、次の設問デス。この男性は誰か分かりまスカ?」
「おーぱす04っ、ふ、フクシケンカン……ですっ! 05の、ツギにっ……メイレイ、ダすっ!」
「あははっ、それも正解ィ♪ と、採点しまァ~すっ!」
「茶々を入れないで下さい04、と、注意をしマス。……良いでしょう、敵味方の区別を付けることは可能なようでスネ」
フェムは満足げに肯くと、喉輪で吊り上げられていた少女を放してやる。当然、空中で支えを失った少女は、無様に地べたへと墜落した。
「――あぐっ!?」
「あーあァ……乱暴だねェ。試験中の玩具が壊れちゃったら大変だよォ? マスターに怒られるかも」
「問題無いでしょう、と、返答しマス。吸血鬼は頑丈ですし、自己再生もするのでショウ? この程度で壊れるほど柔な造りではないと思いまスガ」
「それもそうだけどさァ。君らって僕たち吸血鬼に対する扱いがぞんざい過ぎなァい? 数ある魔物の中でも、特に高貴な存在なんだぜェ? そう、こ・う・き・なっ! そう言う訳で、もうちょっとリスペクトある対応を望みたいなァ……まっ! ここに転がっている出来損ないは、どうでもいいけどねェ! ところで……」
シャールは笑いながら、ペタリと座り込んでいる同族の少女の髪を掴む。
「いぎっ! い、イタい――」
「君さァ、怒っているのはフェムちゃんだけじゃないって、分かってる? さっきのふざけた試験内容には、僕だって頭に来ているんだぜ? マスターの作戦にも絡んだ重要な試験だったんだ。それをヘラヘラ笑いながら遊びやがって……」
「い、イタいっ! イタい、ですっ! やめ、やめてっ!」
「お前がふざけてる間に取り溢した雑魚っ! みィんな僕らが始末する羽目になったんだ! 糞低能のお守りだけでも忙しいって言うのに、余計な仕事を増やすなよなァ!?」
指に力が入り、ブチブチと髪の千切れる音が連続した。
今や、この男の顔に笑みは無い。亀裂の走ったように歪む顔が表すのは、怒りと嫌悪。身勝手な大人が子どもの不如意に激昂するような、神経質で発作的な激情である。
「痛いだァ? ……痛くしてるから当たり前だろうがっ! こうしなきゃ、腐った血でふやけたお前の脳味噌は、物事を理解出来ないんだろっ!? お前、とんっでもない馬鹿だからなァ!」
「うわぁあぁあぁっ!? ご、ごめんなさいっ! ユルしてっ! ユルしてくださいっ!」
「04、壊しては拙いんでしょう? と、疑義を呈しマス。ワタシに注意を喚起した貴方が、コレを壊してどうするのデス」
「良いんだよ、これは躾だから。仮にも僕ら吸血鬼の仲間だってのに、オツムの出来は餓鬼か畜生程度。なら、ちょっとくらい痛くしなけりゃ躾にならないだろォ?」
「そうですか、と、納得しマス。では、この教育法の効果を検証する為、別途記録を付けておきマス」
「ユルしてくださいっ! ユルしてくださいっ! ヴイ、ツギはっ、ちゃんと――」
「……ヴイ? と、聞き咎めマス」
少女の漏らした名前に、フェムが疑問を発した。恐らく彼女が自身を呼ぶ一人称なのだろうが、どうにも耳慣れないものであった。フェムの知るこの個体は、そんな名前ではなかったと記録にある。
疑問に答えたのは、苛立たしげに舌を鳴らすシャールだった。
「ったく、どこまで頭悪いのかなァ! ……いや、フェムちゃんが知らないのは無理も無いよォ。だってコイツ、自分のコードネームすら満足に憶えられないんだから。……おいっ! 丁寧に訊いてやるから、ちゃんと思い出せ! き・み・のっ! なァまァえェはァ!?」
くすんだ金髪を掻き上げて掘り出すように耳朶を晒し、口を当てるような勢いで耳元に怒声を叩きこむ。
果たして、少女は泣きながら問いに答えた。
「オモいダし、ましたァ! ヴ、ヴイ・ゼロワン・ワイっ! V-01Y、ですっ! ヴイは、ヴァンパイアのヴイっ! わ、ワイは、ワイは――」
「プロトタイプのYだっ! 試作型量産吸血鬼一号っ! 溝の中の鼠の糞みたいな素体の名前に替わって、マスターが与えてくれたコードネームだろォ? ちゃんと憶えておけっ!」
「は、はいィ! はいぃいぃいぃっ!」
泣きじゃくりながら何度も首を縦に振るV-01Y。それを鬱陶しげに突き飛ばしてシャールはフェムに向けて溜息を吐く。
「とまァ、こんな具合さァ。このやりとりもかれこれ何度目だっけ……いい加減、嫌になるのも分かるだろォ?」
「そうですね、と、肯定しマス。ここまでの知性の劣化、原因は何でしょウカ?」
「さァて、どうなんだろうねェ? 我らがマスターも、粗方の実験が済んで使いでの無い素体を、勿体無いからって改造しただけだし。ひょっとすると既に発狂しているのを吸血鬼化したからこうなったのか。或いは――」
「或いは? と、先を促しマス」
「――非処女非童貞だろうとレッサー化させず、安定してヴァンパイアに変化させるという技術。それがまだ不完全だからって可能性もあるねェ……」
やっぱり非処女は駄目だな、などと思いながら、シャールは啜り泣きを漏らし続ける失敗作を見下ろす。彼の視線の先には、髪の房を押し退けて姿を現している、尖った、しかし短い耳があった。
シャールが吸血鬼を試験的に量産する計画について知らされたのは、三ヶ月ほど前。おおよそ初夏といった時期であった。
その日、担当する実験の無かった彼は、与えられた玩具で遊ぶのにも飽きを覚え、気紛れに主へとおねだりを試みようとその部屋を訪れた。
「ねェねェ、オーブニルくんっ! この間手に入れたって言うハーフエルフの娘、まだ取ってあるかな?」
「何だい、シャール。この間は好みじゃないから要らないって断っただろう? 混じり物は安っぽいから、ってさ」
確かに、シャールが要求するものは、主から一度欲しいかと尋ねられて、その場で要らないと答えた筈であった。
マルランのダンジョン『暗闇の大樹海』で捕縛に成功した、ハーフエルフの冒険者。拘束され引き出されたそれと対面した彼は、即座にこう評価を下している。
――足りない、と。
容姿はそう悪くない。いや、上物だ。だが肉付きが薄く背丈が低い。痩せているだけなら良いが、小柄に過ぎるのは頂けなかった。シャールの好みは大人びたところのある女性である。
それにこの娘からは、既に心が折れている匂いがした。絶望に浸り切って、魂が黒ずんでいる。シャールは自分で壊したり穢したりするのが好きなのであって、最初から他人の手垢が付いているものに興味は無い。一端の自負や気構えを身に付けた娘を、責め苛んで心を折り、その末に自ら哀願させてから血を啜り取る。そうした遊戯が一番楽しいのだ。
だからその場では「別に要らない」と返事をしたのだが、
「いやさァ、最近は奴隷を買う数が少ないじゃない? 正確には、僕に回って来る奴隷の数が」
「Sシリーズ量産の為に、体格の良い男奴隷ばっかり買ってるからね……いや、それより君、女奴隷を使い潰すペースが速過ぎ。一年で十人近くは、流石にねえ」
「大陸一奴隷使いの荒いオーブニルくんに言われると、へこむねェ。まァ、そう言う訳でさ、余ってる取り置きでも使わせてくれないか、とお願いしに来たんだけど?」
シャールがそう言うと、主はポリポリと頬を軽く掻いてから口を開く。
「タイミングが悪かったね。ちょっとした実験に使っちゃったよ」
「えェ? で、でもまだ生きているんなら――」
「まあ、生きてはいるさ。けど、ちょっと君を喜ばすには不足のある状態になったかな」
「別に良いよォ? 処女さえ残っていれば、血を吸うだけで我慢しても――」
「ごめん、もう処女じゃなくした」
「――は?」
一瞬、何を言われたか分からなかった。
実験体の処女を散らした? このトゥリウス・オーブニルが? 中身は兎も角見た目は極上な女奴隷を常に侍らせておいて、一度も手を付けていないような男が?
勿論、単純に彼が抱いた筈などある訳が無い。いやに淡白なところがある主人は、事情を説明した。
「この前に話したことがあっただろう? 神官を洗脳して神聖魔法の作動原理を探る、例の実験」
「ああ、アレね。脳を弄って信じる神を変えたり、操って戒律を破らせ――って、まさか」
「そう、そのまさかさ。丁度、パーティを組んでたらしい神官とセットで捕獲したからね。ついでだから、その神官を対象に行う実験に使用したんだよ。聖王教への信仰はそのままに、戒律を破らせてみたらどうなるのかなって」
その過程で純潔を失わせてしまったという。何と勿体無い。そんなことに使うのならば、そこいらにいる量産型の『製品』でも問題無いだろうに。
が、トゥリウスが言うにはそれは良くないらしい。量産型も無表情とはいえ精神はあり、過度なストレスは負担となる。量産型とはいえ、手を掛けて改造を施しているのだ。それをあたら壊すのは勿体無い、と。
だから適当な捕虜を実験に供する方が安上がりだという。
「で、その実験なんだけど、意外と面白い結果が出たよ? 戒律によって破った場合に起こるデメリットに、かなりの違いが出たんだ。ある場合には何の影響も無く、またある場合には大きく法力を損なった。神聖魔法の一種を使えなくなる、って限定的な結果が出たこともある。まだまだ類例が少ないから断言は出来ないんだけど、教会が説く戒律と、神様が実際に禁じていることや穢れとしていることには、実は違う部分があるんじゃないかな。だから破る戒律によって起こることに差異が生じる」
「は、はァ……」
「傑作なのはねえ、神官の連中が事あるごとに顔を赤くして禁止ししている姦淫の罪。これがなんと、影響ゼロ! そんな結果が出た時には、思わず笑っちゃいそうになったよ。どうやら神様は、産めよ増やせよ地に満ちよと仰せらしい。だってのに教会の連中は、何を考えてこんな禁戒を考えたんだろうね?」
トゥリウスは、冒涜的な実験結果を得々と語って聞かせる。朗々と垂れ流されるのは、ヴァンパイアでさえ耳を覆いたくなる背教行為の告白であり、涜神の文言であった。いや、この悪魔に比べれば神の威光を恐れ祈りの言葉に身を焼くアンデッドの方が、余程敬虔に神を畏怖していることだろう。彼らは教会を憎悪しているが、それと同じかより強く、恐怖も覚えているのだから。
神官を操り生娘を辱めさせ、それを以って戒律の嘘を暴く? これ程までに教会を貶めるような真似を仕出かした男は、かつてなかっただろう。叶うならこれからも現れないでほしかった。かつて死霊術師であり、今はヴァンパイアロードでもあるシャールだが、それにしてもこの錬金術師の頭の中身ほど自分が罪深いとは思えない。
「まあ、そんな実験の相手役として使っちゃったからね。清い身体って訳にはいかない。ごめんね、シャール。新しい玩具はお預けだ。ちょっと我慢してくれると嬉しいかな」
「う、うん……分かった。わ、分かっているよ、凄い実験だもんね。なら、し、仕方ないね……」
答える声は震えており、顔には冷たい汗が浮かぶ。ヴァンパイア化で克服した吃り癖が、再発しかけていた。目の前の男は、そんな彼の変調に気付いた様子も無く、
「ああ、そうだ。君の顔を見ていたら、面白いことを思いついたよ」
「えっ……?」
「いや、そのハーフエルフの捕虜の使い道。神官への実験に使った後、どうも壊れちゃったみたいでね。洗脳されているとはいえ、豹変したかつての仲間に乱暴されたのが堪えたのかな? それでまあ、色々と使い物にならなくなった訳だけど――」
――丁度良い再利用方法を思い付いたよ、と笑う。
「再、利用?」
「うん。君らヴァンパイアは、性的な経験を持っている人間を、完全な同族にすることが出来ない。そうだよね?」
「は、はい、そうです……」
「よくよく考えて見れば、不思議な現象だよね。たかだか一度経験したかどうかってだけで、完全なヴァンパイアになれるか、下等なレッサーヴァンパイアにしかなれないかが決まるってんだから。どうして非処女非童貞はヴァンパイアになれないのか? ……中々に研究し甲斐のあるテーマだとは思わないかい? それに、全ての欠陥を克服した吸血鬼ってのも、不老不死の完成系の一つとしては悪くないだろう。この実験はそれを探る為の手掛かりになるかもしれないね」
その一言で、哀れなハーフエルフの運命は決まった。
かつてシャールを吸血鬼化させた際の施術を応用、ヴァンパイアの血液をベースとして素体のキメラ化を試みることで、レッサー化を防ぐ。その試みの結果生まれたV-01Yは、半分成功半分失敗といったところだ。
確かに吸血鬼の特性を付与することは出来ている。身体能力は大幅に向上し、日光の無い場所で不死性を発揮し、吸血により力を増した。干からびたミイラのようなレッサーヴァンパイアと違い、生前の容色も保たれている。
が、それと引き換えに精神面は大幅に退行。会話もたどたどしく、魔法の行使に際しては呪文の詠唱すら覚束ない。詠唱の代行を担う魔導刻印を全身に施すことである程度改善出来るが、それも戦闘面に限ってのこと。完全な戦闘用の手駒であり、トゥリウスの目指す不老不死への手掛かりには成り得なかった。
なお、彼女のお相手でかつての仲間であったという神官もV-02Yとしてこの実験に供されたが、穢れたとはいえ聖性を帯びていた為か、吸血鬼化すること叶わず灰と化している。勿論、シャールにとっては憶えている必要も無い失敗例の一つでしかないが。
シャールは回想を止めると、未だに愚図愚図と泣いているV-01Yを睨む。
「……何しているんだっ! 殲滅の後にも作業があるだろォ? 思い出せない? 憶えてない? それとも、やりたくないからサボってるのォ!?」
「お、オボ、オボえてますっ! テキの、シタイっ! シタイ、ナカマ、するっ!」
「そうそう、それだ。よく憶えていたね? 偉い偉い……憶えてたんなら、さっさとやれっ! 撃たれた傷はもう治っているんだろ、仮にも吸血鬼だしなっ! ほら、早くっ! とろとろしてると、朝になっちまうじゃないか。それとも、日が昇ってからゆっくり日光浴でもしたいのかなァ!?」
「ひィ!? ……や、やるっ! やりますっ! やりますからぁ!」
少女は弾かれたように身を起こすと、言われた通りの作業に取り掛かる。以前、稼働し始めたばかりの彼女に、粗相をしたシャールの下僕が日の光で焼かれ苦しむ様を見せたことがあった。物覚えが悪い小娘だが、その光景はハッキリと記憶しているらしい。
「お疲れ様です04、と、労いマス。調教には随分と骨を折っているよウデ」
「まったくだねェ。マスターも酷いことを命令するよ。同じ吸血鬼なんだから面倒を見ろ、だなんてさァ」
「それも後暫くの辛抱でしょう、と、推測しマス。予定では間も無く――」
「――ああ、分かっているともさァ。この戦争も、そろそろ大詰めだねェ」
フェムの言を引き継ぎながら、吸血鬼の男は打って変わって機嫌を取り戻す。
ユニの手による軍需物資の焼失、焦土作戦による徴発の困難化、そして今回の徴発失敗。ザンクトガレン軍はもう限界だ。早晩、進むか引くかを決定しなければ、この異国の地で立ち往生してしまうだろう。
どちらを選ぶにせよ、それでヴォルダンを舞台にした戦争は終わりだ。必要な物資に事欠いたまま、既に真冬と変わらぬだろう山から自国へ逃げ帰るか。それとも飢えや兵の脱走で軍が自壊する前に、乾坤一擲の決戦を挑むかだ。想定では、高い確率で後者が選ばれる筈であるが……。
是非ともそうなってほしい、とシャールは思う。互いに憎しみを抱いた人間たちが、極限の状況に心身を磨り減らしながら殺し合う。そんな酸鼻な光景は、想像するだに胸が躍った。戦場での流血など、処女の生き血とは比べるだに値しないだろうが、観賞用であるなら十分愉しめる。
あの頭の悪い失敗作も、主の脚本によれば重要な小道具の一つ。スペクタクル溢れる惨劇に花を添えるまで、壊れないよう大事に遊んでやろう。そう思うことでようやく、見るだに腹立たしい出来損ないを許容することが出来た。それに、この出来の悪さからすれば、当分は代替品などに自分の立場を脅かされることはないだろう。
人の手による吸血鬼の王が、邪悪にほくそ笑む。それを見ていたのは、夜空の月と地上のゴーレムの眼。二種類の、冷たい金の光だけであった。
※次回からは週1ペースに戻ります。
それでは、また来週の月曜24時(火曜0時)にお会いしましょう。
 




