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006 ツヴァイヘンダー

 

 ……雨が降っていた。

 森の中、木々の枝葉が空を覆い、まるで夜のように辺りを暗く閉ざしている。

 そんな闇の中に、しとしとと降る冷たい雫は、弱った身体から残酷な速やかさで体温を奪っていく。


 ――しくじったな。


 男は声も無く呟いた。


『腕が立ちそうだな、アンタ。難しいヤマがあるんだけど、良かったら組まないか?』


 そんな言葉が全ての始まり。

 歯応えのある冒険を求めて、河岸を変えるように違う街へと赴いた彼に、同ランクのパーティリーダーが声を掛けて来た。話の内容は奮っていた。高位冒険者でアライアンス――パーティ同士やソロとの連合――を組んでの、難関ダンジョン攻略。待っているのは莫大な報酬、貴重な素材、財宝の噂、そして腕が鳴るような強敵。

 無頼を気取り孤高を旨にしてきた自分が、そんな情報に釣られて他所のパーティに助太刀したのが運の尽き。ダンジョンに潜り、首尾良く宝の番人である大物を撃破したまでは良かった。だがその後に待っていたのは話を持ちかけて来た当人による、卑劣な騙し討ちである。

 思い返せば、集められた面子は中核となるパーティ以外、ソロばかり。元々依頼の目玉の討伐がなれば、そこで切り捨てる算段だったのだろう。同格の冒険者ならば一匹狼の方が強いのが定説だが、それも万全の態勢で一対一である場合に限る。道中から巧みに厄介事を押し付けられ、疲弊し切ったところに、背後から巧みな連携で奇襲されては堪らない。その上、温存し隠し持っていた礼装まで惜しげも無く使われたのだ。アライアンスに加わったソロ組では、男が唯一の生き残りだった。


 ――馬鹿だな、俺も。


 男はベテランの部類に入る冒険者だった。まだまだ若い身空だったが、この道に入ってからは長い。平民として生まれ、街の自警団で腕を磨き、単調で先の見えない暮らしに見切りを付け、故郷を飛び出したのが七年前。一年持てば見込みありとされるこの世界では、十分に腕利きの筈だった。それがこの様である。

 冒険者同士の殺し合いは死に損、信の置けぬ連中に背中を向けるな――。腕に驕り、要らぬ欲を掻いてその鉄則を破った、手痛い罰。

 裏切り者たちを乱戦の中で壊滅させている。それは良いが、自身も浅からぬ傷を負っていた。治癒のポーションの類は事に至る前に使い切り、この手に残るのは頼みにして来た一本の剣のみ。剣に生き、剣で殺した人生は、たった一本の剣だけを掴んだまま、虚しく終わりを迎えようとしていた。


 ――こんなところで、終わるのか。


 傷の痛みと共に、激しい後悔が胸を衝く。

 嫌だ。こんな終わり方は嫌だ。誰もいない森の中で、野晒となって死ぬ。それはまだいい。だが、こんな半端なままで死ぬのは嫌だ。

 もっと剣を振るいたい! もっと剣を極めたい! もっと剣で戦いたい!

 小さな街で虚しく時を消化するだけだった己を、一廉の高みへと押し上げた剣の道。それこそが男の全てだった。金よりも女よりも酒よりも飯よりも――剣腕一つで勝ち得て来たそれらより大事な物だ。暇さえあれば剣を振り、敵さえいれば剣で殺し、ひたすら技量を高めてきた日々。それが今日この日、無に帰そうとしている。

 あんまりだ、と思った。

 河原の石を拾い、それを積み上げ続けるようにして今日まで築いてきた、剣の牙城。それがただ一度の過ちで跡形も無く崩れ去る。そのことが悔しかった。それを齎すのが、己より優れた剣腕の主であれば、まだしも受け容れられよう。だが、この身を死に至らしめようとしているのは、薄汚い裏切りの刃である。

 無念だった。ただひたすら無念だった。


 ――死にたくない。


 無念の余り、遂にはそれだけが男の思考を占める。

 死にたくない。ああ、死にたくない、死にたくない。

 剣を恃み、剣に驕らず、剣を振るう。己に課したその矜持。それを枉げても覆しても、ただひたすらに生きたかった。その信念の下に斬り殺してきた、全ての骸に砂を掛けてなお、生きたかった。

 浅ましいと笑わば笑え。誇りは無いのかと蔑まば蔑め。元よりこの腕、この剣のみが我が誇り。それが剣を解さぬ愚物畜生に、あたら無為に散らされることこそ耐えられぬ。


 ――俺に命をくれ。

 ――この死の腕を払い除ける力をくれ。

 ――最早、その為なら何も厭わぬ。

 ――誇りは捨てよう、魂も売ろう。

 ――だから俺に、今一度剣に生きる道を!


 ……その時である。

 泥を撥ねる馬蹄の音が聞こえた。荒れた地面を走る車輪の音も。


 ――馬車?


 気が付けば、今居る場所は街道の真ん中だ。無意識に生き汚く這い進むうちに、どうやら森の中を通る道に出たらしい。そこへ馬車が通り掛ったのだ。

 けたたましい馬の嘶きと共に、男を轢く寸でのところでその馬車は停まった。

 誰かが馬車を降りてくる。雨にぬかるむ地面に、なのにそれは音も無く舞い降りた。

 男は思わず目を疑い、声を漏らす。


「は……?」


 現れたのは若い女だった。

 薄闇の中、霞んだ目にも見て取れる程、肌理の細やかな白い肌。こちらを見下ろす緑の瞳は、まるで大粒のエメラルドだ。魅入られるものを感じる輝きだが、冷たく硬い。優美な曲線を描くおとがいに、抜けるような目鼻立ち。瞠目を禁じえない美しさであるが、男が驚いたのは容姿だけではない。

 袖口に精緻な刺繍を施された臙脂色のワンピースドレスに、森の闇へと光を放つような白い前掛け。艶やかな黒髪の上に、戴くのは白い布飾り。左腕には『La premier servante』と読める冗談めいた腕章を通していた。

 メイド、である。貴族の、あるいは富裕な商人の屋敷で働き、主人に奉仕する女従者だ。それがどういう訳か、雨の降りしきる森の中の道で、死にかけの剣士の前に立っている。

 奇怪な光景であった。確かに馬車に乗るような身分の者は、そこにメイドを伴っていてもおかしくはない。だが、手傷を負った生き倒れとの遭遇に際し、真っ先に馬車を降りてくるような手合いでもないだろう。すわ今わの際に見る幻かとも思ったが、それにしても余りにも突拍子が無さ過ぎた。

 男は一瞬呆けるが、すぐに気付く。


 ――剣を持っている。


 その女が左腰に吊っているのは、鞘に収まった剣だった。拵えからして両刃。刃渡りは六十センチメートル程といったところか。細腕で扱うには相応の得物であるが、従卒を旨とする女が持つにはそれでも異様であった。


 ――左胸、エプロンに名札のように張られているのは、冒険者ギルドのプレートタグ。

 ――それに首に光る銀色は、奴隷の首輪か?


 剣を佩き、冒険者ギルドの身分証と奴隷の証を身に着けたメイド。

 そんな特徴に符合する女を、男は一人だけ知っていた。


「【銀狼】……?」


 かつて隣国、アルクェール王国の都ブローセンヌで聞いた噂だ。

 この街を根拠とする冒険者の中に、貴族に飼われる奴隷のメイドがいる、と。

 その名こそ【銀狼のユニ】。

 首輪に繋がれた雌犬と侮るなかれ。その本性は銀色に呪われた狼。一度敵と見定めた者は、喉元を食い千切っておかずにいられぬ、地獄の獣の名だ、と。


「……随分と、懐かしい名で呼ばれたものです」


 男の漏らした独り言に、女は答えた。

 口調は無機質なほど乾いているが、声そのものの印象は幼いといえるほど若い。美し過ぎる見た目が年齢を特定させないが、聞いて察するに十代の半ばといったところか。その年齢もまた【銀狼】の特徴に符合するものだった。


「私をその名で呼ぶ貴方は、何者でしょうか?」


 女は油断の無い猟犬の目で男を観察している。

 ……強い。男は直感した。背丈は自分より頭二つは低く、重さに至っては半分あるかどうかというほど軽いはず。だというのに、殺気どころか闘志すら漏らさずにいて、なお傷に響くこの威圧感。恐らくは、己が万全であっても遠く及ぶまい。

 間違いない。この女が【銀狼】だ。

 確信するとともに、彼女を彩る伝説の数々が脳裏に浮かぶ。

 十歳にして冒険者となり、一年の内にD級に昇格。

 その間に、主人を侮辱したD級冒険者三人を、反撃も許さず無礼討ちに討ち取る。

 C級になった後、その位階に留まり続けるも、あまりにも桁外れな依頼達成率から特例として二つ名が贈られる……。

 極めつけはこれだ。割の良い狩り場の独占を企んだ悪質なパーティが、余所の街のB級冒険者数人を引きこんでダンジョンを占拠。だが、そこに現れた何者かが、彼らを瞬く間に皆殺しにして去っていったという。ギルドは、すわ高位魔獣の出現かと慄いたが、受付嬢の一人が冗談交じりにこう呟いたという。


『……皆さんが仰るその魔獣とは、もしかして銀色の狼だったのではありませんか?』


 と。

 事件の直前、そのダンジョンに向かう【銀狼】の姿が目撃されていたともいう。

 ……眉唾物の与太話だったはずのそれが、生々しい現実感を持って男に圧し掛かってくる。

 雨水が混じり冷え切った唾液が喉を鳴らす。固唾を呑むとはこのことか。

 硬直し、震える男に、女はなお問いを重ねる。


「……死にたいのですか?」


「ぁ……?」


「貴方がご主人様に仇為す者でなければ、お慈悲を賜り命は救われるやもしれません」


 その一語が、忽ち男の心を捉えた。


「…………!」


 命は救われる?

 死なないで済む?

 そう言ったのか、この女は?

 差し伸べられた藁のような希望に、男は縋った。


「もう一度お聞きします。貴方は――」


 何者ですか、と問う声を打ち消すように。

 男はただ己の本心を発する。


「……な、ぃ……」


「?」


「……しにたく、ない……」


「私は、まず貴方が何者であるか知りたいのですが……」


「……死に、たく、ないっ! 俺、は……っ! 死゛にだぐ、なんかないィっ!」


 焦慮の余りに濁った声が、暗い森に響いた。

 神も救い主も目を背けんばかりの、形振り構わぬ醜い嘆願。

 それを聞き届けたように、




「――へえ? それは本当に?」




 悪魔が、目の前に現れる。


「ご主人様……?」


 降り立った人物を、【銀狼】が気遣わしげに振り仰ぐ。

 ご主人様、と言ったのか? 彼がこの【銀狼】の主?

 それは若い男だった。二十歳にもなっていないと思しき、少年の趣きを多分に残した青年だった。赤銅の髪に、青い瞳。顔立ちはそれなりに整っている。だが、個性の無い整い方だった。まるで安い人形のように、何ら感銘を誘わない均衡が、目鼻立ちを揃えているのに過ぎなかった。男からはどう見ても、目の前に立っているのは凡庸な貴族の御曹司にしか見えない。

 こんなどこにでもいそうな若造が、あの【銀狼】を御する主人だと?

 面食らう男に、青年はゆっくりと一歩近づく。


「お退がり下さい。この者、まだ何者か分かりません」


「ただの怪我人だろう? 見たところ冒険者みたいだけど」


「それを装った、暗殺者の可能性もあります」


 呑気にしげしげと男を見るお坊ちゃんに、女は諫言を繰り返した。

 だが、彼女の主は聞いた風も無く更に踏み込んで来た。


「だとしても、この状態の彼に何が出来るんだい?」


 静かな自信に充ち溢れた言葉だった。

 普段の男であれば、激昂して深手も【銀狼】の存在も埒外に斬りかかりかねない侮辱である。

 だが、男は気付いていた。目の前の人物が醸す雰囲気は、半死人を侮っての油断ではない。男が万全の状態であれ――少なくとも、決して己に斬られるままにはならない、何かを持っていると。

 それを理解してか、【銀狼】は大人しく引き下がった。


「――差し出がましいことを申しました」


「いいよ。気にしてないから」


 従者へ鷹揚に手を振って、青年は倒れた男の傍に屈み込んだ。

 そして、親切ごかした声でこう囁く。


「死にたくない。君は確かにそう言ったね?」


「ぁ、ああ……」


 男は問いに是と答えた。


「たとえ何を対価にしても、死にたくないんだね?」


「ああ……」


 男は問いに是と答えた。


「たとえ何に剣を向けることになっても、死にたくないんだね?」


「ああ……!」


 男は問いに是と答えた。


「たとえ何になったとしても――死にたくないんだね?」


「ああっ!」


 男は問いに……是と答えた。


「死に、たくないっ! 俺は……死にたくないっ!」


 顔に着いた泥を洗い流すように、涙が流れる。

 啜った洟に、汚泥が入り混じる。

 何たる無様さであろう。これが一廉の剣士として知られた冒険者の姿か。

 だが、それがどれほど醜悪であろうと、


「た、たとえ……誇りを捨てたとしても! 魂を売ったとしてもっ! 死ねないっ! ……俺は死にたくないィ!」


「――よろしい」


 悪魔はその答えを是と認めた。


「その答えは、君が何者であるかよりも遥かに重要で、そして何より、僕の共感を誘うものだったよ」


「助けて、くれ……るのか?」


「ああ、勿論だとも。……ユニ、彼を馬車に運ぶのを手伝ってくれ。つまらない後始末の旅だったけど、帰りがけに思わぬ拾い物が出来たみたいだ」


「……ご主人様の御心のままに」


「さて、とりあえず応急の処置しなくちゃね。B-01。暇しているんだったら、積んである道具を取ってきてくれ。よく効く麻酔に消毒薬、包帯、添え木、それと増血剤だ」


「御意」


 メイドと、それと恐ろしく存在感を欠いていた御者に命令を降す若い主。

 その横顔に、男は思わず問いを放っていた。


「なあ、アンタ……俺がもし……『そんなこと言ってない』なんて返事してたら、どうするつもりだったんだ?」


 死に際に放った、生への執着を認めて、初めて救いの手を差し伸べて来た相手。

 もしそれを拒絶したら、その先には何があったのか?

 どうしても気にせずにはいられない疑問であった。


「ん? そうだね、もしそんな答えが返ってきたら――」


 そして青年は、あっけらかんと恐ろしい答えを口にする。


「――お望み通りに死んで貰ってから、死体で実験してたね」


「そう、か……」


 男はその意味を深く考えないまま、瞼を閉じた。


「……要らん意地ィ張らないで……正解、だったぜ……」


 そして意識が闇に沈んでいく。

 次に目覚めるときも、変わらず生きていられるよう祈りながら、男は眠りに落ちた。







 男の祈りは、半分だけ叶えられた。

 すなわち生きて目覚めることは出来たが、変わらず目覚めることは出来なかったのである。




    ※   ※   ※




「ああ……良い天気だなァ……」


 眩い太陽に手を翳しながら、僕は思いっきり伸びをする。

 夜通しの作業を経て凝った関節と筋肉とが、朝の光の中に疲労を溶かし消していくような錯覚も感じた。

 まあ、錯覚は錯覚に過ぎないんだが、それでもこの陽気が心地良いのは確かだ。


「旅立ちの朝には、打ってつけですよ。そう思いませんか、兄上?」


 言いながら、徹夜で荷づくりをさせた張本人を振りかえる。

 その言葉に、兄ことライナス・ストレイン・オーブニルはにこやかな笑みを返してくれた。


「ああ、そうだなトゥリウス。我が弟がこの屋敷から巣立って行く日に相応しい、美しい太陽だとも」


「まったくですね! あっはっはっ……」


「はっはっはっ……」


 別れの日にもめげず、元気に高笑いを交し合う、この世で二人っきりの兄弟。

 心の温まる、実に素敵な光景だ。

 だというのに、玄関まで見送りに出た家臣団の皆さんは、どうしてまた青い顔か引き攣った顔ばかりなのだろう?

 ……まあ、空々しい皮肉の応酬なんだから、仕方が無いんだけれど。


「気は済んだか? なら、さっさと行くがいい」


 と、真顔に戻って言う兄上。案外ノリが良いな、と評価を改めた途端にこれである。

 だらだらと続けるよりかはマシだが、もうちょっと気の利いた返しを期待したかったところだ。


「ええ。それじゃあ、行ってきます」


「おやおや、トゥリウス。こんな時に挨拶の言葉を間違えるとは恥ずかしいヤツだな。お前がここで言うべきだったのは『さようなら』だ」


「あははっ! 兄上もお手厳しい。でも、そちらも挨拶、間違えてません?」


「ふむ? 私としてはこれ以上、お前に送ってやりたい言葉は無いな」


「またまたァ。本当はこう仰りたかったんでしょう?こう――」


 僕は声を出さずに、唇だけを動かして見せた。

 く・た・ば・れ――


「――ってね?」


「……。こやつめ、ハハハっ!」


「ハハハっ!」


 徹夜明けのテンションで常に無くふざける僕と、額に太い血管を浮き出させながら痙攣的に笑う兄。

 ああ、いけない。僕としたことがその場のノリに身を任せ過ぎだ。

 やはり寝不足は駄目だな、と思いながら会話の切りどころを探していたが、


「よォ。漫才はもう十分か、ご兄弟?」


 低く太い声が割って入る。

 気付けば屋敷の正面玄関、その扉に背で凭れるようにして立つ男がいた。

 あちこちに穴の空いた黒外套に、これまた罅割れだらけの黒い胸甲。黒づくめでぼろぼろの、野盗と見紛うばかりの格好だった。ただ、背中に負った十字架めいたツーハンデッドソード、それが醸す使いこまれた雰囲気が、只者ではない印象を与えてくる。


「……誰だ?」


 固い声で誰何する兄。当然だろう。昨日までは屋敷で見なかった人物だ。というより、貴族の邸宅に上がり込んで良いような人間には見えない。

 兄の目つきは、僕と互いに煽り合ったこともあって、剣呑だ。このままでは守衛を呼び出して、彼を叩き出しかねない。

 なので、その前に取りなしてやることにした。


「僕が護衛の為に雇った冒険者ですよ。いや、これから僕専属になって貰うから、元冒険者かな?」


 特に嘘を吐く必要は無いので、本当の事を言った。彼はぶっきらぼうに、


「……別に、アンタとは別口の依頼も、受けて構わない話だったろ」


 と口を挟む。

 兄は眉を顰めた。


「出立を申し渡したのは昨日だろう?」


「ええ、非常識なことですけどね。けど丁度いい具合に、ユニと知り合っていた彼が近場にいたものですから。急なことで彼には申し訳ないけれど、折角だから同行して貰うことにしました」


 僕の説明に兄はあくまで訝しげだったが、話の内容に虚偽は無いと判断したか、フンっと鼻を鳴らすと、


「これは失礼をしたな、弟のお客人。出来れば、名を承りたいのだが?」


 口では失礼したと言いながら、全く悪びれていない。彼は仮にも伯爵という高位の貴族。この冒険者を、それも見るからに薄汚い格好の男など、同じ人間とすら見ていないのかもしれない。

 男はそれを察してか、軽く肩を竦めてから名を名乗る。


「ドゥーエ。ドゥーエ・シュバルツァーだ。ランクはB級。この業界に詳しいもんにゃ、【両手剣の(ドゥーエ・ダス・)ドゥーエ(ツヴァイヘンダー )】と名乗った方が通りは良いんだが――」


「申し訳ないが、耳に憶えが無いな」


 だろうな、と大袈裟に溜め息を吐いて見せるドゥーエ。兄上も冒険者に依頼をしたことくらいはあるだろうが、恐らくはギルドの受付に条件を提示し、報酬の金を払うだけで済ませるのが大概だったんだと思う。普通の貴族はそうするか、或いは最初から自前の専属冒険者を抱えているので、余所の冒険者までは気が回らないものなのだ。

 そもそも貴族という生き物は平民を、僧籍にある者か一部の商人以外、家畜も同然だと見下しているのが常だ。無論、奴隷はそれ以下。家畜なら、あたら無駄に殺していては咎め立てされるが、奴隷なら狩りの獲物同然に扱っても文句は少ない。もっとも僕の悪評を見れば分かるように、完全に無視できるものでもないらしいのだが。

 なので兄上の素っ気ない態度も、この世界では常識の範疇に入るものなのだ。ドゥーエもそれでいちいち腹を立てたりはしない。良くも思わないだろうけど。


「面通しは終わりですか兄上? じゃあドゥーエ、君も馬車に乗り込んでいてくれ。そこの僕と一緒のヤツだ。僕の護衛でもあるし、従者用馬車の低い屋根じゃ、ご自慢の剣が引っ掛かってしょうがないだろう?」


「へいへい。新子爵様とご同席できるとは、誠に光栄なこって」


 言いながら、手をひらひらと振りつつ馬車に向かうドゥーエ。

 兄上はその後ろ姿をしげしげと眺めつつ、


「あの娘以外で貴様が冒険者を雇うとはな。ご自慢の飼い犬も、存外不足なのか?」


 と、まだまだ嫌味を言い足りないご様子。

 言わせっ放しも癪なので、僕も応じることにする。


「僕も御大層な位を頂戴したことですし、ユニ一人じゃ手が足りないこともあり得ると考えまして。まあ、手を増やしてやっても良いんですが、それだと彼女の見た目を損なうでしょう?」


 その言葉を聞いた兄の顔は、なかなか見物だった。







「にしても、妙な気分だぜ」


 王都から出て、街道をしばらく走ったあたりで、ドゥーエが口を開いた。

 額の、眉より指先一つ上の部分を撫でながら、窓外の景色に目をやっている。


「頭ん中を好き勝手弄ったって話だが、いやにスッキリとしてやがる。もっとこう……目眩だとか、吐き気だとか、そんなもんがあると思っていたんだがな」


「そんな後遺症が出ないように手を尽くしたからね」


 頬杖をついて馬車の振動に身を任せながら、僕は彼との会話に興じる。

 正直、眠くて眠くて堪らないので、今日の宿までは一眠りしたいのだが、調整を終えた新たな作品のデータも惜しい。よって会話への反応から色々引き出すことにしているのだ。

 そう。

 この黒い剣士、冒険者ドゥーエ・シュバルツァー。彼こそ僕が久しぶりに本腰を入れた『作品』、オーパス01たるユニに続く二番目の大作、オーパス02なのだ。

 ドゥーエに施した改造は、幼少時から投薬による強化と効率的な訓練を行い成長させたユニとは、逆のアプローチで能力の向上を図っている。

 Mシリーズなどの量産型促成改造奴隷の各種データを参考に、成人後の素体を徹底的に改造。筋組織の配置最適化に骨格の強度補強、神経系統の伝達速度向上などを施した。結果、短期間で飛躍的に身体能力が跳ね上がった――はずだ。まだ実動テストをしていないから分からないが。

 いわば内科的アプローチを行って時間を掛けて調教したのがユニ、対するドゥーエは外科的に短期間で改造したものと言える。

 どちらが優れているかは、まあ一般論で言えば一長一短だろう。ユニの場合は脳が発達段階にある幼児期から、多方面に渡る教育を行った結果、一個体単位としては桁外れの汎用性を持つに至っている。育成に時間は掛かるが、天才的なゼネラリストだ。だがドゥーエの場合は、一人の人間が長年に渡って経験を蓄積してきた一分野を、十全に活かし切れるよう特化した調整が為されたスペシャリスト。こちらは融通が利きにくい分、得意分野では前者を上回ることが期待できるだろう。その上、条件を満たす素体さえあれば、すぐにでも作れる速攻性がウリだ。もっとも、ユニにはまだまだ隠し玉が――

 などと考えていると、


「しっかし、我らがご主人様も人が悪いねェ」


 ニヤニヤと笑いながら言うドゥーエ。


「何のことだい?」


「あんたの兄貴へ、俺を紹介した時のことさ。よくもまあ、あそこまで大嘘を言えたものだぜ」


「ご主人様は、何一つ偽りを述べられてはおられません」


 隅の方で黙って会話を記録していたユニが、顔を上げて反論する。


「……貴方と出会ったのは私が先ですし、その身体は屋敷の地下という、どこよりも近い場に安置しておりました。そして、急な出立の為に最終調整を慌ただしく行いました。ご主人様の御心を推量することは無礼ですが、そのことについては、貴方に対して申し訳ないこととお思いでいらっしゃるでしょう」


 そして、「僭越ながら、不必要なことであると判断しますが」と結ぶ。

 流石は幼馴染(と言っていいのか?)、僕の意図をよく理解している。確かにドゥーエは、ザンクトガレンであの調査官とお話しした帰り、馬車の行く手に転がっていたのをユニが見つけたものだ。そして何を対価にしても死にたくないと願ったので、僕の護衛として改造して命を繋いだのである。勿論、その場所は今日の夜明け前に完全撤収したあのラボだ。彼女の言う通り、兄への説明に嘘は無い。大なり小なり、欠けている事実があるだけで。

 ドゥーエは大きく口を開いて笑った。


「はははっ! 物は言いようだな、ええ? 【銀狼】さんよ? それとも先輩って言った方が良いのかい?」


「ご随意に」


「しかし、アンタ。会った時から思ってたが、無愛想だねェ先輩。これもあれか? 頭を弄る手術の世代格差ってヤツかい?」


「いや、やったことは同じだよ」


 何やら誤解しているようなので、口を挟んでおく。


「……へっ?」


「だから、ユニと君とに施した脳改造手術は、まったく同じ内容なんだよ。僕への服従を書き込んで、僕への敵対心を削除して、まあ他にも細則に違いはあるし男脳と女脳の区別もあるけど……それ以外は同様と言っていいんだよ」


 僕の説明に鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするドゥーエ。と言っても、この世界にはまだ、豆と呼べるほどの鉄砲も無いが。


「だって、あんまり弄ってもデメリットの方が大きいだろう? 特にユニの場合は、折角子どもの頃から教育して脳味噌の基本性能まで上げているんだ。そこを下手に弄って台無しにするなんて、馬鹿みたいじゃないか。まあ、均質な性能で揃える必要がある量産型は、情動にかなりの制限がされているけれどね」


「え? じゃ、じゃあ、素であの量産型みたいな性格だったのか? コイツ」


 そういうことになる。僕がみっちりと教育して束縛して仕込んだ性格を、素であると言えるのならばだが。


「うはァ……マジかよ、信じられねェぜ」


「私としては、貴方の無礼な態度の方が信じられません。ご主人様、後ほど言語野を中心とした再調整の実行を提案します」


「おいおい。勘弁してくれってば、先輩」


「そうだぞ、ユニ。考えてもみろ。この控えめに言ってもちょっとむさくるしい見た目のドゥーエが、やけに折り目正しく品行方正に振舞う様を」


「……成程。確かに怖気を震うものがある光景です。ご主人様の深謀に、改めて恐れ入りました」


「そんなことで感情あんのアピールすんなよ!?」


 豪快にツッコミを入れるドゥーエと、常より少し多弁なユニの姿に、僕は頬が緩むのを感じた。

 これだけ豊かに感情を表現できる辺り、術後の後遺症はまず無いと言って良いだろう。

 ……そんな感慨に耽っていた時である。


「――うわっ!?」


「ご主人様!?」


「おおっと!」


 突然、馬の嘶きとともに大きく車体が揺れたかと思うと、僕の身体は座席から放り出されていた。幸いユニが素早く受け止めてくれたお陰で事なきを得る……いや、放って置いても礼装のお陰で怪我一つないはずではあるが。

 一方、ドゥーエは背負った得物に手をやり、今にも抜き放たんばかりの風情で窓外を睨んでいる。

 僕はお礼代わりにユニの頭を撫でてあげてから身を離し、御者席に向かって問う。


「B-01、何が起こった?」


「襲撃であります、ご主人様。恐らくは盗賊団の類かと」


 盗賊の襲撃。有り得ない事態ではない。こんなことが起きるのだから、この世界では個人でも雇うことが出来る、冒険者という商売が成り立っている。

 一瞬、兄上の差し金かと考えないでもなかったが、昨日の今日でこの拙速というのは、彼の趣向からも方針からも外れていた。偶然だと考えるのが妥当だろう。


「まだ王都の近くだとというのに、勇気のあることだ。警邏の騎士団が怖くないのかな?」


 王様のお膝元、そのすぐ近くだ。近くに詰めているのは王国最精鋭の近衛騎士団。盗賊など鎧袖一触に薙ぎ払えるだけの戦力なのだが。


「恐らくは定期的に根拠地を移動するタイプの野盗でしょう」


 僕の独り言に、ユニが律義にも補足する。流石は二つ名持ちの冒険者。何年か前までは、こういった手合いは彼女のお得意様だったに違いない。


「成程。速やかに金目の物を奪って、官憲に捕捉される前に離脱する。これを各地で繰り返すって訳だね?」


「はい。その身軽さを維持する為にも、標的との交渉や拉致を行わず、皆殺しにして物品だけを持ち去るケースがほとんどです」


 時代劇でいう畜生働き、前世でいうところの強盗殺人か。確かに時間的制約を重視すれば、殺して奪うのが手っ取り早い。

 流石にそんな連中に絡まれて穏やかな気持ちではいられなかった。苛立ち紛れに、少し乱暴に頭を掻く。


「旅立ちの日に、いきなりこれか。まったく――」


 ――ついているのか、いないのか。

 僕は言外にその意図を込めて、今か今かと指示を待つテスト前の『作品』を見やった。


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