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065 ヴォルダン、燃ゆ<前編>

 

 男はデスクに向かって黙考していた。

 見たところ三十代の半ばといったところ。落ち着いた、或いは地味なダークブラウンの髪に、堅い意思を窺わせる灰色の瞳。痩身ではあるが引き締まった体躯からは、彼が自身に課した鍛錬の程が垣間見えた。そんな偉丈夫である。机に就いて考え込む姿だけでも、見る者に背筋を伸ばさせるような威儀を湛えていた。

 他国の者が彼を、見たままを評価すれば、一様にこう答えるに違いない。

 騎士、と。

 肉体は鍛え込まれているが、居住まいに規律に則った調和が存在する。故に冒険者や傭兵、ましてや単なる肉体労働者という線は無い。爵位持ちの貴族と看做すには、天上人の優雅さよりも地に足の着いた実直さの方が強く匂う。故に軍役において平民の兵を直接指揮する最下位の貴族、騎士であろう……そう推量するのが妥当である。

 だが、違った。

 この男の職業は、軍人である。一朝事あらば万余の軍勢を顎で使う身であるが、青い血など一滴たりとて流れていない。紛うこと無き平民として生まれ、そして今日まで生きてきた。そんな男である。

 誤解されるのにも無理は無い。そもそも軍人という職業、または身分は、誕生してよりまだ日が浅い。その歴史は、多めに見積もってもおおよそ一世紀といったところだ。

 イトゥセラ大陸において、平時から軍備に携わる職業的軍人というものは、大方は貴族が兼ねている。武力を持つということは、それを脅しの種として政治的発言力をも持つということ。平民に軍事を委ねていては、貴族による支配の屋台骨が揺らぐ。その為に、軍務に携わる人材を平民から募る場合は、騎士の称号を与える。下位とはいえ貴族の仲間内に加えるということだ。が、裏を返せば武勇に優れた者や指揮官としての才幹を持つ者への囲い込み、そして平民の社会や共同体からの切り離しである。

 ここでもし、貴族と平民との間で揉め事が起こればどうなるか?

 貴族からすれば、騎士は自分たちのグループに入れてやった仲間だ。当然、騎士たちには日頃の付き合いや恩を持ち出し、平民側に走らせまいと手を講じるだろう。

 逆に平民から見ればどうであろうか。普段貴族と仲良くし、自分たちの輪の外におり、自分たちの税から生活を賄っている騎士は、どう見えるのであろうか。……騎士は貴族の側に立つ者であると見てしまうのが自然だ。階層的に平民に近く、頼りになる武力を持った存在に、隔意を抱いてしまうのである。これでは貴族と揉めた際に騎士を味方に着けるのを躊躇うのも道理だろう。

 要するにこの大陸における騎士制度とは、平民階層に軍権を持たせず骨抜きにする為の処置なのだ。これでは平民の身分にして大兵力を指揮する職業軍人など、登場する筈も無い。少なくともアルクェール王国ではそうだった。

 だが、ザンクトガレン連邦王国では事情が少し違う。大陸東方を開拓する過程で成立したこの国は、貴族と平民が揉める前に、まず人類と魔物の対立がある。この地の魔物の強さは、他国とは段違いであった。無論、魔物退治を生業とする冒険者はいるが、彼らはギルドの管轄だ。国や領主の指示一つで自由に動かすという訳にはいかない。加えて、圧倒的な個人戦闘能力を持つ冒険者たちは、貴族にとって統制するのは骨な相手だ。安定して当てに出来る武力とは言い難かった。

 そこで軍である。質を数で補い、規律で従わせ、より国益に適う形で運用出来る武力。ザンクトガレンは冒険者への依存を良しとせず、軍事力の拡大で以って魔物への対策としたのである。

 まず用意されたのは、門戸を問わず魔法を学ぶことが出来、平民であろうと魔導師――つまりは強力な戦力――として育成する魔導アカデミーの設立。魔導師以外の戦士についても、武術大会の定期開催など尚武の気風が強い諸政策を導入することで、その質の向上を図った。

 こうして強力な魔導師と兵隊が育成され、ザンクトガレンをして精兵の国と大陸全土に名を轟かせるまでになった。だが、ここである問題が浮上する。

 ――誰がこの戦力を指揮するのだろう?

 如何に兵士が強壮であれど、魔導師が卓越していれど、的確な指揮無くしては実戦を戦い抜くことは出来ない。狼に率いられた羊と羊に率いられた狼の喩えを引けば、そもそも集団を率いる者が圧倒的に欠けている。兵の頭数は揃っても、頭脳の数は揃っていなかったのだ。ザンクトガレン人たちは、遅まきながら指揮官、それも前線で兵と並んで采を振るう下級将校の必要に気付いた。

 当初は、ごく単純に考えられていた。なに、それなら騎士の枠を増やしてしまえば良いじゃないか。必要となるのはどれくらいだ、見せてみろ……叙任を司る典礼の役人は、鼻歌交じりにそう言いながら、軍部が恭しく差し出した書類を受け取る。そして、記載された数字を見て仰天した。余りにも多過ぎたのである。

 騎士は最底辺、多くは世襲さえ出来ない一代のみの名乗りとはいえ、仮にも貴族なのだ。その扱いに際しては礼を以って遇さねばならない。平民には無い特権や恩典を与えてやらねばなるまいし、小なりとはいえ土地をやるか、やる土地が無いなら税から扶持を割いて養う必要もあった。そもそも叙任してやるだけでも式典を行うのが通例なのだ。

 だが、軍が要求する数の騎士を、今まで通りの格式で新たに召抱えるとなると、それだけで国が傾きかねない支出なのである。いや、仮に財源が何とかなったとしても別の問題がある。平民と貴族の人口バランスが均衡を失い、社会全体が大きな混乱に見舞われる恐れすら出て来たのだ。

 かといって、格式を落とすなどという無碍も出来ない。何度も言うが、騎士も貴族だ。これを粗略に扱えば、次は男爵子爵といった本物の貴族たちが、自分たちを蔑ろにするかと不安や反感を持ち始めるに違いない。そもそも現職の騎士たちが自分たちの権益を制限されると見て反発するだろう。

 ザンクトガレン王都ガレリンの宮廷で、貴族たちは頭を抱えた。どうしろというのだ。軍の要求は分かる。折角国を挙げて育てた兵だ、これを有効に指揮出来る将校は幾らでも欲しいだろう。しかし、それを呑んで悪戯に騎士を増やすと国が破綻する……騎士を増やすと破綻する?

 彼らは気付き、そして開き直った。騎士に平民を指揮させようとするから困るんだ。そうだ、平民に平民を指揮させよう。反抗をさせない為に騎士叙任の代わりとして、給料は多少弾むが、仕方ない。下手に騎士階級の人口を増やすよりかは出費も少ない筈だ……。

 こうしてザンクトガレン連邦王国は、大陸の国家の中で初めて平民が平民を指揮する――平民の士官が存在する――軍を成立させたのである。騎士への任命は、士官の中でも武功大なると認められた者への褒賞として、細々と存続していくこととなった。

 無論、国軍の枢要は貴族が担うという常識までは未だ塗り替えられていない。それでも士官の中から功成り名を挙げた平民の将軍が、一方面軍を率いる程度のことは、ままあるようになった。仮に叛乱されても、大義名分を担保する血筋と身分が無い以上、土地を奪い統治権を確立することは出来ないからである。平民の将の誕生は、諸手を挙げて歓迎こそされないものの、様々な必要性からこの国の上層部に黙認されていった。

 話が長くなった。

 つまりはこの男――ユルゲン・バウアーは、ザンクトガレンならではの軍制度の中で誕生した、職業的軍人という比較的新しい人種に属し、その中でも希少な平民階級出身の将軍だったのである。


「失礼します」


 バウアーの長い思索を断ち切るようなノックの音。入れ、と入室の許可を出すと、彼が幕僚として抱える部下たちが軽い足取りで部屋に踏み込んで来た。

 この建物はザンクトガレン軍に占領された町の、領主の居館であったものだ。それを接収し、仮の拠点として使っている。ヴォルダン州の中でも鄙びた東部の田舎町であるので、何かと手狭で使い難い施設だ。急に狭くなった室内に閉口しつつ、部下の言葉を聞く。


「バウアー将軍閣下に、戦況をご報告させて頂きます」


「うむ」


 小さな応えを聞かせてやると、部下は喜色満面の表情で話し出した。


「我が方はヴォルダン州を分散進撃し、各地でアルクェール側の軍勢と衝突。このほとんどを撃破しております!」


 果たして、報告は予想通りであった。この宣戦布告と同時の奇襲攻撃を立案したのは、バウアー本人である。上手くいかせる為に散々頭を絞ったのだから、結果が付いて来たところで浮つく必要は無い。

 それよりも、報告に見過ごせない言辞があった。


「ほとんど、か?」


「あ、はい。州都であるヴォルダン市への進撃を計った一隊が、その手前の砦で撃退されております」


「……何をやっているのだ」


 バウアーは思わず皺を深くした眉間に手をやった。


「緒戦での戦果拡大、大いに結構。だが、それも軍令に則った上での話だ。私はまず、収穫前の農村部を狙い、兵糧の確保を優先せよと命じた筈だが?」


 この戦いの眼目は、何を置いても兵糧である。敵国の無防備な横腹を抉る奇襲は、山越えの強行軍からの速攻と、本国からの補給線を放棄するという、危うい形で成り立っていた。満足な補給が受けられないのだから、放って置けばそれだけで飢えて瓦解する。それがザンクトガレン軍の現状であった。

 故に開戦の時期を今に選んだ。収穫期の直前に攻め込んで、手付かずの田畑から麦を奪い食料を得る。ヴォルダン州の重要拠点を制圧するのはそれからだ。州の全土を占領出来ずとも、最悪冬に籠れる場所を確保できていれば問題無い。バウアーも自身はそのように厳命したと記憶している。


「その隊の指揮官は厳罰に処さねばならんな」


「し、しかし、それが――」


「撃退された際に、戦死したか?」


「――はっ、その通りであります」


 最悪である。生きて帰って来たなら、その指揮官の首を刎ねるなどして見せしめとし、統制を引き締め直すことも出来た。だが、死なれてはそうもいかない。次席の将校も死んだ阿呆に従っただけなのだから、責める筋合いは無いだろう。

 バウアーは仕方なしに、伝令で全軍に訓戒を送ることにする。勝ち戦で調子に乗っている最中だ。素直に聞くとは思えないが、言わないよりはマシである。


「別動隊の指揮官どもに、改めて徹底させろ。飯や金を奪う、女子供を甚振り犯し、或いは戯れに殺す。その全てに対し許可を出そう。だが、城市への攻撃は此方に指示されるまで待て……とな」


「は、はっ!」


「ですが、将軍――」


 そこで部下の一人が口を挟む。


「――そこまで神経質になられることはないかと。我が軍の進路に立った敵兵は至極脆弱。一州の占領程度、平押しでもどうにかなりましょう。偶さか一度の失敗で、目くじらを立てずともよろしいのでは?」


 深刻さの足りない口調と表情だった。親や教師に叱られた子どもが、そこまでムキにならなくても良いじゃないかと誤魔化し笑うような顔である。つまりは何も分かっていない餓鬼ということだ。バウアーの眉が小さく跳ねた。


「馬鹿者」


「は……?」


「我々の状態を思い出せ。山を越えて進軍し、休みも経ずに戦っているのだ。いずれ体力の限界に達し、攻勢は止まる。そうなる前に兵たちを休養させねばならん」


 兵隊は機械ではない。動けば疲れるし、腹も減る。だから攻勢には限界というものがあるのだ。一度休み、体勢を整えなければ、これ以上攻められなくなるという一線。それを越えた途端、軍隊は見る間に弱体化していく。今は弱兵を蹴散らして爽快な気分でいるが、肉体の方は過酷な行軍と戦闘でボロボロだ。そうなればこのヴォルダンを守っている、兵とはいえない雑魚どもであっても、致命的な強敵へと変貌する。

 ザンクトガレン軍が疲弊の極みに達し、攻勢が頓挫する日は近い。バウアーはそれを予見していた。


「だから、まずは兵糧なのだ。疲れ切って動けなくなっては、休んでいる間に喰う分を略奪しに出掛けることも出来んのだからな。理解出来たか?」


「……はっ。分かりました」


 異議を唱えていた配下は、不服がありありと滲む表情でそう返事をした。口ではそう言うが、決して分かっていないだろう。或いは、分かっていても従いたくはないかである。

 バウアーは嘆息を漏らす。まったく扱いに困る部下だった。だが、これでも改善した方ではある。この奇襲作戦に用いる軍団が編成された当時は、もっと酷かった。不服従や命令違反は序の口。貴族出身の部下から生まれを揶揄されたことも、一度や二度ではない。


(もっとも、身分だけが理由でもないか……)


 思いつつ、チラリと壁に掛けられた旗に視線を送る。

 そこにあったのは、ザンクトガレン連邦王国の軍旗――ではない。バウアーの故郷、バハリア王国の軍旗であった。

 そも、ザンクトガレンとは連邦王国と冠されている通り、単一の王朝によって占められている国家ではない。数百年前まで未開の地であった東部を拓き、そこに国を起こした王たちが、アルクェールやマールベアといった西方の大国、そして強力な魔物から身を守る為に結成した軍事同盟、それが発展した連邦国家だ。一応は王都ガレリンに坐するグランドンブルク王国ハイデルレヒト王朝が、大王家を名乗り頭一つ抜けた地位にいるものの、連邦を構成している国々からすれば、精々が利益代表者か議長役といった認識である。西からの圧力に抗したり魔物を駆除するのに力は借りるが、こちらからは最低限の義理以上には加担したくない。上下関係はあるものの、忠誠の類はほとんど無いのである。

 バハリア王国も、そんな連邦盟主を煙たがる加盟国の一つだ。ザンクトガレンの南部に位置し、連邦内でも頭一つ抜けた経済水準を誇っている。だが、それでも先年来の魔物の大発生とこれに伴う食糧・経済危機を、単独で乗り切れるほどの国力は無い。寧ろ、こんな時だけ友邦面をする他のザンクトガレン領邦に、経済支援だの何だのと毟られ、力を落としつつあった。

 このままザンクトガレンの危機が続けば、それに足を取られてバハリアは沈む。祖国の将来を憂慮したバウアーは、アルクェール王国との開戦の是非を協議していた連邦軍上層部に、先制奇襲攻撃案を提出する。それが今回の作戦であった。

 ザンクトガレン各国から二線級の兵力を集めて山を越えてヴォルダンに進軍。グランドンブルク直轄を含む最精鋭はアルマンド方面への牽制に回して温存、隙あらば同地からアルクェールへと侵攻する。ザンクトガレン中にたかられているバハリアは、対外戦争で他領邦の人口が一時的に国外に移動したことで食い扶持が減り一息吐ける。現地調達が基本の作戦なので本国への負担は最低限だ。ガレリンのハイデルレヒト王朝は、成功すれば労少なくしてアルクェール王国から大幅な譲歩を勝ち取れる。失敗しても、ヴォルダン侵攻の為に何かと反抗的な領邦群の軍事力を削れるという寸法だ。平民出の一将軍の提案が全面的に採用された最大の理由は、これら盟主グランドンブルクとバハリアの利害の一致に由来する。

 しかし、その為にヴォルダン侵攻軍はザンクトガレン領邦総出での編成となってしまった。一言で言えば寄せ集めである。どいつもこいつも自国自領の利益を優先し、他の出自の者との衝突が絶えない。一応は方面軍司令官であるバウアー将軍がこれを抑えているものの、作戦全体の発案者とはいえ平民という身分から他領邦出身者に侮られることも多かった。統制を取るのにも一苦労である。

 自軍の危うい内実に気を揉みつつも、バウアーは幕僚たちに向き直った。


「それで肝心の食糧はどうなのだ」


「はい。現在、我が軍が制圧している地域は、山脈に近い山がちな州東部がほとんどです。その為、食糧徴発の進行状況は想定を下回っております」


「平野部の多い西側を抑えん限り、万全とは言えないと?」


「いえ。我が軍が一月程自足する分には十分かと思われます。休養を挟み、再度の攻勢で主要拠点が多く分布するヴォルダン西部を落とすには、これで事足りるかと」


「攻勢再開の目途は?」


「おおよそ、一週間後です。閣下の仰る通り、兵の疲労を勘案すればこのようになるかと」


「一週間、か。増援を編成中であろうアルクェール王都ブローセンヌからの距離を考えれば、余裕は十分だな」


 ブローセンヌからヴォルダン州までは馬車の旅で一、二週間といったところ。だが、軍勢は馬車ほど素早くは動けない。物資を満載して足を遅くした輜重部隊と、歩幅を合わせて行動する必要があるからだ。


「……閣下は、増援が冬を前に到来することが有り得るとお考えで?」


「十中八九あるだろうな」


 意外そうに眼を瞬く幕僚に、間髪入れずそう言う。


「先年以来、アルクェール側の貿易での渋り方は異常だ。幾ら王都大火という災害があったとはいえ、あそこまで輸出を引き締める必要は無い。こちらを激発させ、侵略を受けたという大義名分で以って戦争に持ち込む……ありそうな話だとは思わないか?」


「ですが、元々は五十年来の友好が――」


「ザンクトガレンに屈したが故に結ばれた友好だな。気位の高い西方人の国だ。内心ではさぞかし屈辱であると思っていたことだろう」


 実際に口火を切ったのはこちらだが、最初に手袋を投げて来たのはアルクェール側。バウアーはそう認識していた。露骨な挑発をしてきた以上、殴られたら殴り返す用意くらいは出来ていると見るのが自然である。


「そう思っておられるなら、どうしてこのような策を――」


「私の頭では、これしか思いつかなくてな」


 尋常に攻め込むのであれば、アルマンド方面から正攻法で兵を進めるのが定石だった。だが、それを行うにはザンクトガレン側に余力が無い。あの国境の地が要衝であるのは、アルクェール王国も承知の上。並々ならぬ防備が備えられていることだろう。長期戦の備えが薄いザンクトガレンでは、アルマンド方面で消耗戦を繰り広げる余裕は無かった。ザンクトガレン側も国境を固めつつ、幾許かの敵戦力を北に回させてヴォルダン侵攻を援護するのが手一杯だ。


「そして、他の代案が無かった為に、採用された。ならば、この策を成功させるよりあるまい」


 敵増援が現れる前にヴォルダンを落として防備を固め、冬まで持ち堪える。そうすれば高原にあるこの地は春まで不落と化す。ザンクトガレンの侵攻軍が身体を休めながら冬を越す間、アルクェール王国軍は越冬の為に相応の物資と体力を消耗する。そして、雪解けとともに今度は増援軍を撃破し、アルマンド方面を本国軍と連携して脅かす。

 投機性の高い策である。だが、成功率は十分とバウアーは読んでいた。ヴォルダンを守備するアルクェール兵は脆弱。州全土を攻略するのに半月と要すまい。別動隊の一つを破った砦の兵力も、戦局そのものを打開するには過少。他の都市や拠点を落とした後でゆっくり締め上げれば良い。最悪、そちらにはある程度の抑えだけを置いて、アルクェール軍本隊と戦うということも選択肢に入る。何にせよ、早期に西の穀倉地帯と城市を落とし、補給を賄い防衛拠点を手に入れることだ……。


「ともあれ、だ。各隊に、十分な食料を確保したならば順次合流せよ、と触れを出せ。その後休養を取らせた後に、本格的なヴォルダン制圧へと掛かる」


「はっ! 了解しました!」


 指図を受けた幕僚たちが、踵を返して退室する。

 バウアーは再び、デスクに就いて思索に入った。

 最悪でも、五分五分だ、と計算を弾く。奇襲による敵の動揺が最低限で、開戦とほぼ同時に遅疑無く増援に動き出していたとしても、五割の勝率は残る。ヴォルダンの実りは山がちな割には豊かであり、制圧直後に連戦となっても食い繋ぐには十分だろう。都市を抑えて防備に徹すれば冬まで持ち込める可能性は高い。それが出来なくとも、アルクェール側に利用されないよう拠点を破壊した上で、東部に後退しつつ戦うというオプションもあった。


(勝てる、いや、勝たせる……!)


 自軍の兵力は四万。対する敵増援はおそらく十万を超えるだろう。だが、ザンクトガレン軍は最精鋭をアルマンド方面に回したとはいえ、その練度は平均的なアルクェール兵を凌駕する。州内の重要拠点を先に抑えていれば、冬まで粘る程度はしてみせよう。

 アルクェール側で今回の絵図面を引いた者は、ヴォルダンを取られても奪い返す腹積もりでいただろう。だが、借りた者をタダで返す程、ザンクトガレン連邦王国は生易しい相手ではない。五十年の時が過ぎる間にそれを忘れていたと言うのなら、改めて思い出させてやろう。自分たちがかつて誰に負けたのか、今誰と戦っているのかを。

 そして万が一の場合は――、


「聞こえているか? 私だ」


 懐から通信魔法の込められている礼装を取り出し、遠方と連絡を取る。返信はすぐさま来た。


『これは将軍閣下。いかがな御用向きで?』


 ボソボソとした陰気な覇気に欠ける声。バウアーにとってはどうにも好きになれない相手である。だが、これからの戦いに対する手配りを思うと、そうそう無碍には出来ない。


「例の物の調整はどうなっている」


『……些か難航しておりますな。何分、これは繊細なのです。まさか山を越えて運びこむことになるとは、思ってもみなかったものでして』


「いつ頃に仕上がる予定だ?」


『そうですなあ。十日ほどはみてもらいませんと――』


「一週間だ。何とか攻略再開に間に合わせてくれ」


 舌打ちを堪えつつそう伝える。通話の相手は要求を無茶だと感じたか息を呑む気配を伝えてきたが、


『――畏まりました。出来得る限り、急いで仕上げましょう。では、私も取り掛かりますので、これで』


 不服げながら了承すると、止める間もなくプツリと念話を断ち切った。

 バウアーは頭痛を堪えるように眉間を揉む。こちらの許しなく話を切り上げるとは、仮にも上官、それも将軍を相手としているとは思えない態度だった。だが、そんな輩も宥め賺し時には叱責して働かせなければならない。


「……あんな連中の玩具がどこまで役立つかは分からんが、使えるというなら使わなければな」


 出立間際の急場にガレリンの連中から押し付けられた、切り札とされているもの。既に開戦した今ですら動かすことも儘ならぬというそれ。有用性は正直疑問だが、送り主が吹聴している能力が話し半分でも真実ならば、万が一の為の奥の手足り得るだろう

 ユルゲン・バウアーは来る王国軍本隊との戦いに向け、今から十全に備えようとしていた。

 だが彼は一つ失念している。今現在戦っている相手、ヴォルダン州を領する新伯爵、トゥリウス・シュルーナン・オーブニル。自分が生き抜く為ならば、肉親を除こうと国を焼こうと、何だろうとしてのける、悪魔のような存在を。




  ※ ※ ※




 冷たい風が、夜の高原に吹いていた。

 秋を迎えた山野の気温は低く、それが夜ともなれば吐く息が白む程。霜が降り、或いは雪が降るのはまだ先とはいえ、薄手の軽装で過ごしていては夜明け前に凍死してもおかしくはない。野に立つ者には過酷な夜である。

 夜闇の中に、幾つもの灯火に照らし出されるようにして天幕が立ち並んでいた。ザンクトガレン連邦王国ヴォルダン侵攻軍の野営地である。現状彼らの制圧下にある都市は、州内でも辺境ということもあり手狭だ。その為、徴発して来た食糧などを備蓄するのに、収容能力が追い付かない。なので、こうして野外に陣を張り、そこで物資を管理することとなっているのだ。


「……寒ィなァ」


 陣を警備する兵士の一人が、誰ともなく呟く。距離を開けて立つ僚友が、それに対して眉を顰めた。彼はそれに気付いた様子も無く、更に続ける。


「何だって糞寒い山越えの後にまで、こうして凍えてなきゃならねェんだよ」


「しっ! 無駄口を叩くな」


 仲間から叱咤の声が飛ぶが、それでも愚痴は止まらない。


「そうは言うけどよォ、喋ってもいねえと気が紛れねェんだ。この寒い中、黙って震えてるってのも耐えられねェだろ?」


「寒い寒い言うなよ。俺まで震えて来る」


「だって、寒ィんだもんよ、仕方ないだろ」


 言って、槍を脇に抱えたまま腕を抱くようにしてぶるりと震える。せめてもの温かみを得ようと言う仕草だったが、体温のほのかな熱も風に散らされすぐさま消えた。


「他の部隊の連中は良いよなァ。俺らがこうして番しているっていうのに、アイツ等は役得ありなんだろう?」


「役得ありとはいえ、戦わなきゃならんけどな」


「その相手にしたって、ほとんど雑魚って話じゃねェか。クニでオークの群れを駆除する時の方がよっぽど苦労したってよ。さっき自慢げに言ってたのを聞いたぜ」


「豊かで、魔物も弱い国の兵士だからな」


「そんな連中を好き勝手ぶっ殺した挙句、酒や食い物かっぱらったり、女とヤったりしてるんだろ? 本っ当に不公平だぜ。あー、アルクェールの女ってどんな具合なのかなァ!」


「さあな。この辺りの田舎じゃ、俺らのクニと変わらないんじゃないか?」


「夢が無いねェ、お前も。同じ田舎もんでも、良い物食ってるこっちの方が肉付きとか良いんじゃねェの?」


「農民の娘なんて、どこも同じだろ。どれだけ稼ごうと貴族様に絞られて、碌な物も食えないと思うぞ?」


「かーっ、やっぱりィ? じゃあ、良い女を狙うってなると、街を落とす時かな。デカい街を攻略する時ゃ、俺も志願するかねェ?」


「その辺の牧場で飼ってるヤギでも奪って、使った方が手っ取り早いぞ」


「やめろよ、貴重な肉だぜ? 変なもん混じってたら食う気が無くなるじゃないか」


「それもそうだ」


「女は贅沢としてもよ、せめて酒くらいは欲しいもんだなァ」


「配られた酒は? 身体を暖める為だって、火酒を貰っただろ」


「糞寒ィ山ァ歩く時に、全部飲んじまったに決まってるだろ」


「そうか。俺もだ」


「オマケに強行軍だからって酒保にも碌なもんが無ェ。……酒の種なら、ここに唸るほどあるんだがなァ」


 言って、背後を振り仰ぐ。そこにあるのは物資の集積地だ。本国から山を越えて遥々運んで来た兵器の類。このヴォルダン州で組織的に略奪し、掻き集めてきた品々。当然、そこには麦などの穀物もある。

 古来、遠征中の兵士に一日分以上の穀物を与えることは厳禁とされていた。それを使って酒を造り始め、余計に食料を消費する為だ。そうして出来上がるのは、当然ながら素人が穀物を適当に醸しただけの、粗悪な酒である。しかし、娯楽に乏しい陣中にあっては、そんな代物だろうと兵たちに有り難がられるのだ。

 ゴクリ、と警備の兵の喉が鳴る。同僚が咎めるように視線を険しくした。


「止めておけよ。食糧に手を付けるのは厳禁ってお達しがあっただろ? 実際、横流しをやろうとした連中がもう五、六人は斬られているって話だ」


「ちっ! ケチ臭ェよなあ、バハリア人の将軍殿は!」


「おい、声が大きい!」


「お、おっと……」


 慌てて自分の口元を押さえる。食糧の調達と適正な管理に腐心するバウアー将軍の意思の下、集積地の警備にも相当の手が入れられていた。ここに立つ警備兵も無数にある班の一つに過ぎない。

 バウアーの狡猾なところは、兵の狼藉を防止する為に、領邦ごとに班を作らせたことだ。出身地の異なる班同士が、抜け駆けで物資に手を着けさせて堪るかと、相互に監視し合っている。もし、この会話を他班の者に聞かれれば、格好の密告対象だ。


「……近くに誰かいたか?」


「いないようだな」


「フゥーっ……運が良かったぜ」


「だから無駄口を叩くな、って言ったんだ。お前は口が軽くて、すぐに余計な事を言い出す」


「悪かったよ……でも、お前だって結局乗って来たじゃねェか」


「そりゃあ、俺だって――」


 ふと、会話の途中で同僚の言葉が途切れる。パクリと口を開けたまま凝固したその姿に、兵士は目を瞬いた。


「お、おい。突然どうし――」


 そう声を掛ける間も無かった。

 同僚の背後から、何かが凄まじい勢いで駆けた。それは、確と目で捉えることも敵わぬ速度で兵士の後ろに回る。

 そして、


 ――ゾブリっ。


 固くて冷たい何かが、肩口から心臓へと突き立った。


(あっ……?)


 何が、と思うことすら出来ないまま、兵士はゆっくりと地面に倒れていく。そして完全に地に伏す直前、先に仕留められていた同僚が倒れた音を、ようやく聞いた。







 軽く血振りをすると、刀身を汚していた血糊が秋枯れの草の上に散った。

 眼前には倒れ伏した兵士が二人。いずれも死んでいる。

 その光景を前にして、彼女は思う。


(少し、鈍っていますか)


 一人目を仕留めてから二人目に掛かる際の速度、その時に微かとはいえ目で追われた隠行の程度、そして得物に血を残すという攻撃の精度。

 いずれも及第点かそれ以下。彼女自身が満足するにも、彼女の主を安堵させるにも、到底足りないものだ。

 このところ、本格的な鉄火場から遠ざかっていたのが原因だろう。侵入者の撃退や破壊工作は、他の仲間たちに任せるようになって久しい。以前ほど彼女が働く必要が無くなったのは、主の布いた体制が万全に近づいていることの証左ではある。それを喜ぶ気持ちはあるのだが、かといって自分の練度が低下しているというのは、当然ながら頂けない。

 一段落ついたら、本腰を入れて再訓練を行うことも視野に入れよう。

 そんなことを考えつつ、彼女は目的の場所へ向かって音も無く歩を進める。

 雲間から漏れる月明かりに、そのシルエットが照らし出された。

 頭頂に頂くのは純白のヘッドドレス。手首まですっぽりと覆う臙脂のワンピースに清潔さが匂う白いエプロン。左腕に通した腕章。そして首元に光るのは、華奢な肢体や可憐とさえ言える顔立ちには似合わない、無骨な意匠の銀色の首輪だった。

 彼女の名はユニ。外法に耽溺する錬金術師が、肉塊同然の残骸から蘇生し、育成し、改造した、最初の『作品』である。

 メイドの衣装に身を包み、奴隷の首輪を光らせる姿は、軍営にあっては異様であった。だが、それを見咎め目を瞠る者はいない。誰にも気づかれずに侵入し、避けて通れぬ者は殺して来たのだから。熟達した野伏の技法を修めた彼女ならば、たとえ万余の軍勢が屯していようと、野営地に侵入するくらいは児戯に等しい。探索に長けた冒険者の索敵すら容易に掻い潜れるのだ。雑兵ばらがただ群れているだけの警備など、在っても無くても大して変わりはなかった。その差異は転がる死体の数が、ゼロであるかそうでないかくらいのものだ。

 やがて集積地の只中に侵入すると、ユニは懐から何やら取り出す。それは栓をされた数本の試験管だった。中には得体の知れない溶液がたっぷりと湛えられている。

 彼女はそれを等間隔に投げ放った。パリン、パリンと破砕音が響くが、聞き咎める者はいない。

 地面に、麦束にと振り掛かった液体は、数秒ほどで気化し、或いは染み込んでいく。

 そして、ユニは小さく呟く。


「……≪イグナイト≫」


 掲げられた人差し指にちっぽけな炎が宿る。火属性魔法の初歩中の初歩だ。彼女は本来、火属性の術式は不得意である。身に宿す魔力量は人外の域であるが、それでも属性ごとの得手不得手というものは克服出来なかった。炎を操るというのなら、戦闘力では大きく劣るだろう彼女の主の方がよほど巧みである。ドライであれば地水火風の四大属性を万遍無く操り、魔導特化型であるセイスに至っては、七つ存在するとされる属性全てを使いこなせるだろう。それは得意属性が二つしかないユニには出来ない芸当である。

 だから、こんな小道具を頼ることにしたのだ。

 空気中に気化し、または物資に浸透した溶液。それに魔法の種火が引火して、


 ――ゴォォォォオっ!


 瞬く間に大炎上と燃え上がった。


「『焼夷兵装・グリークファイア』……成程、中々の性能です」


 熱風に前髪を乱しながら、ユニはそう評価を下す。

 先程撒いて今着火した溶液は、本来はオーパス05フェムに与える予定の魔導兵器、その試作品が一つ。気化した燃料を広域に散布し点火、一挙に戦域全体を焼き払うという、錬金術が生み出した魔法の油である。加えて余りの高温で燃焼する為、迂闊に水を掛けるとそれが水素と酸素に分離し、更に激しく燃え上がるというオマケ付きだ。水では消えない炎など、消火する側からすれば悪夢に等しい。

 炎は轟然と天を衝き、火柱と化して聳え立っていた。

 これならば、この集積地に集められた物資は程無くして全焼するだろう。補給を略奪に頼るザンクトガレン軍にとっては、兵士を一万人殺される以上の痛打となる筈だった。

 満足を覚えた彼女は、直ぐさまに踵を返す。


「か、火事だァーっ!?」


「ぶ、物資が……食糧が燃えているっ!?」


「消火を急げェ! 一刻も早く鎮火するんだァっ!」


 騒々しく駆け付けた兵たちと擦れ違いながら、彼女は野営地の外へと歩く。誰もその姿を見咎めることは無かった。天高く燃え上がる業火という否が応にも目を引く存在に気を取られ、誰もが意識をそこへと集中させてしまう。余人が自分以外の者に目を奪われている只中を空気のように闊歩するなど、良く躾けられ主を引き立てることを知る従者ならば、出来て当然。ユニはそう考えており、実際に実行してもいた。

 後にザンクトガレン軍ではこの火付けの犯人の目撃情報が山と集まるが、その中に首輪を着けたメイドを見たという突飛で珍奇な話は一つも上がらなかったという。

 野営地を離れ、十分に距離を取ったと判断すると、ユニは後ろを振り返る。今なお燃え続ける炎を目にしながら、彼女は唇を震わせた。


「これが反撃の狼煙で御座いますね、ご主人様――」

 

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