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005 オーブニルの兄弟

 

 半年前、父が亡くなった。

 去年の春頃に容態が急変したということで、僕も留学していたアカデミーの春休みを延長して、実家で看病に当たっていたのだが、結果は思わしくなかった。

 というのも、その頃には父の錬金術嫌いは僕への嫌悪感に転化しており、僕の見立てた治療をことごとく拒んでしまっていたのだ。

 今や僕も十八歳。十年前の昔は聞き齧りのにわか錬金術師に過ぎなかったが、今では高名な教授から、是非後継者にとまで評価される身だ。あれくらいの病気なら、アカデミーの実習で何人も治してきたのだけれど、父は頑として治療を受け付けなかった。折しも僕はアカデミーを退学になり、直前に発っていた実家にとんぼ返りする羽目になったのだが、隣国に送り返したと思っていた僕がまたぞろ現れたことで、病状は急激に悪化したらしい。

 まあ、一頃は過激な人体実験で奴隷を消費するペースが早過ぎて、それを危ぶんだ父に教会まで連れて行かれたこともあるくらいだ。彼からの信用は既に底値である。僕が用立てた薬も、悪魔と取引をして得た毒薬にでも見えていたのだろう。

 正直な話、あまり悲しくはない。僕にとって両親と言えば、前世の両親のことであるし、ここまで育ててもらった恩義は感じているが、そのせめてもの恩返しを、無碍にされた挙句に亡くなられたのである。逆にこちらが鼻白んでしまうというものだ。

 我ながら情の薄いことであると思う。が、正直、それが偽らざる気持ちだった。

 ただ、問題だったのは、父の死後すんなりと兄が継ぐはずだった家督相続に、この国の法曹を司る法院から、何故だか待ったが掛かったことだった。ユニに調べさせたところ、原因は僕らしい。何でも巷の噂に聞くトゥリウス・シュルーナン・オーブニルとやらは、兄を追い落として伯爵の地位を継いでもおかしくない人物であるらしいとか。……随分と誤解されたものである。

 ポーションの売買で儲けたり、自前で製作した礼装をアカデミーで売り捌いていたりしていたのが、世の人の目には強欲であるように映ったのだろうか? 僕は研究の場所と資金と素材と協力者とが欲しいだけだったのだが。恩師である教授も常々言っていたが、人の理解を得るとは難しいものなんだなあ……。

 まあ、それもこの度めでたく解決した。ことを調べていた調査官は、彼の方でもその誤解に半ば気付いていたようであるし、もう半分を解消するついでに色々とお願いをして、高等法院には当たり障りないことを報告してもらった。ちなみに拝見した調書には、我が家の元家臣の近況も載っていたので、酒好きの彼にも今までのお礼を兼ねて、自家製の特上の美酒を振舞っておいた。今頃、天にも昇る心地を味わっているだろう。なに、あの元一代騎士には僕も少々世話になっている。口止め兼お礼というわけだ。

 これで兄上は、何故かお預けになっていた当主就任が叶い、僕は分与された遺産で思う存分研究に打ち込めるというものだ。Win-Winである。何しろアカデミーの錬金学科は、予算が少ない。その上、一応は隣国ザンクトガレンの国営機関であるのだから、監視の目もそれなりにはあった。実験について苦情が舞い込んで来たのも、一度や二度ではない。僕の専門外の分野に詳しい魔導師の協力が得られるのは魅力的だったが、それはお金を都合すれば在野でも何とかなる話。まとまった資金が手に入った今となっては、あの学園の外でも今まで以上の高度な研究が出来る目途は立っている。あそこの目ぼしい資料は写本してあるし、独学では欠けていたノウハウも随分と吸収出来た。最早、未練は無い。そして今後への憂いも無い。

 無い、筈だったんだけれど……。


「兄上、今何と?」


 僕は屋敷の執務室の新しい主に向かって、そう聞いた。兄は書類仕事をこなす傍ら、僕をここへ呼びつけたのである。

 倒れる前まで父が座っていた椅子をすっかり我が物としながら、兄は書類を決裁する手を止め顔を上げた。


「聞こえなかったのか? ならもう一度言う。我が伯爵家の家領の内、代官に委任していた荘園をいくつか解体し再編。併せて子爵位をお前に任せる。それをくれてやる故、お前はそこへ赴け」


 そして、このにべもない一言である。

 爵位と領土をくれてやる。一見、甘い言葉に聞こえるだろう。一端の貴族として身を立てる道を得られるのだ。普通なら泣いて喜んでしかるべきことである。だが、領主となるということは、その上位の貴族の名代として現地へ赴き、そこで政務を取らねばならない。この中世ファンタジー世界では比較的インフラが整い、近衛の騎士団にも守られている王都での快適な暮らしを捨てて、不便な上に治安の良くない田舎に行くことを意味する。

 ようするに兄が言っているのは、穀潰しの次男坊は甘んじて都落ちせよということなのだ。

 冗談ではない。僕の研究に必要な実験台を仕入れるには、この王都ブローセンヌのような大規模な街での奴隷市場が最適なのだ。それに街道を通じて王国全土から運ばれて来た品物が流通してもいる。そこを離れる羽目になっては、研究の規模は縮小を余儀なくされてしまう。

 奴隷は現地の領民から補充するという手もあるが、これは悪手である。そんなことを頻繁にしていては農民や職人の人手が不足するし、働く者の意欲も低くなって領地経営に悪影響が出る。おまけにあまりにも平民を奴隷に落とし過ぎると、乱行のかどで咎められ、折角引っ込ませた高等法院がまた出張ってくる恐れすらありうる。そうなると研究の継続どころか、身の破滅だ。

 そして僕の資金源であったポーションを売り捌く販路をも、この王都の商会が持っているのだ。そこから引き離されたら、経済的にも大打撃である。

 ……駄目だ駄目だ! どう考えても呑める話じゃない!


「待って下さいよ! そこは、ほら……兄上も当主就任間もないわけでしょう? だというのに領土を割かれては、政務に混乱が見られるのでは? ね? 止めましょうよ?」


 僕は必死になって言い繕うが、兄は愉快げに鼻を鳴らすだけだった。ちくしょう、念願の当主の座を手に入れたぞ、ってんで調子に乗ってやがる。こんなことになるなら、殺してでも奪い取る選択を選ぶべきだった。それはそれでリスクが大きいのだが。


「何を言うか。既に宮廷は動いている。でなくば、爵位など与えられんよ。これを拒絶すれば、それこそ混乱の元だ。それが理解出来んお前ではあるまい?」


 ……その宮廷を動かしたのはアンタだろうに。

 何も難しいことではない。この国では――多分他の国でも――子爵とは別名を副伯といい、主な役割は伯爵の部下だ。昨今は中堅の廷臣にも与えられる爵位だが、基本的には伯爵が部下や一門の者を任命したい旨を届け、それでもって任命させる。つまり叙任権は国が持つが、兄の立場なら、それが行使されるよう働きかけるのは簡単という訳だ。


「た、確かにそうですが……」


「それに、だ。栄えあるオーブニル家の男子が、いつまでも実家でフラフラとしている訳にもゆかぬであろう? 不幸中の幸いというべきか、ちょうど先頃、学問の道も断たれたことだ。これを機に、貴族として相応しい職務に励むことだな」


 何という正論。そしてしてやったりというドヤ顔。見事に逃げ道が塞がれている。これを断ったら、王国貴族の責務を放り出した男として、僕の社会的信用は――只でさえ高くはないが――ゼロになる。そうなると身分と威光が物を言うこの封建社会で、自活的に生きて行く術は断たれると言って良い。前世で言えば、融資を打ち切られた会社のようなものだ。そんな相手とは誰も取引などしないだろう。商人との商談にも支障を来たし、実験台の購入どころか研究資金さえ得られなくなる。

 しかし、これが素直に跡目へ遠慮を見せた弟にすることだろうか? 感涙にむせび泣け、なんて不届きなことは言わないが、多少なりとも可愛い次男坊の夢を応援するくらいの寛容さは、期待しても良いはずだ。

 僕はこう言わずにはいられなかった。


「兄上……そんなに僕を、家から追い出したいのですか?」


 答えを期待しての問いではない。精々が負け惜しみの軽口のつもりだった。

 だが、兄はキッと眦を決して僕を睨む。


「――当然だ」


 断言されてしまった。


「貴様の血腥い実験が、どれほど当家の風評を穢したと思っている? 確かに殺したのは全て、たかが奴隷だ。法に背いている訳ではない。だが、物事には限度というものがあろう!?」


 彼はバンっと机を叩いて立ち上がると、おもむろに窓際に歩み寄り、勢い良くそれを開け放った。


「見ろ、この窓からも見える、中庭の火葬の跡を! 年がら年中あのようなことをされていた所為で、お前が留学するまでの間、一度も当家では夜会が開けなったのだぞ!? そればかりか、出掛けた先で遠目にあの火が灯る度、他家の者から薄気味悪がられたことなど、一度や二度ではない! あの時の惨めさが分かるか!?」


 わなわなと手指が震える両手を示したり、その手で頭を掻き毟ったり、落ち着きない様子で捲し立てる兄。しかも矢継ぎ早だ。僕が口を挟む暇さえ無い。

 どうしよう。何か良くないスイッチを押してしまったようだ。


「それに私の年は分かるか? 二十五だ。子どもがいてもおかしくは無い年だろう? なのに未だに独身だ。それも貴様の所為だっ! どこの家も貴様に怯えて、娘を出すことが無かったのだよ! どころか最初の許嫁など、両親に泣いて頼んで婚約を解消したのだ! 『オーブニルの人喰い屋敷になど、嫁げる訳が無い』となっ! それだけではない。家の者も、お前が実験を始めてから瞬く間に減って、今では往時の半分にも満たぬ! これが卑しくも伯爵家の家中か? ええっ!?」


「は、はあ……」


「父上にも、どれ程多大な心労を掛けたと思う? あぁん!? 貴様の悪趣味のお陰で病を発し、貴様の顔を見た所為で危篤になって、そのままお亡くなりになったのだぞっ!? いやいや、もしかしたら貴様が得体の知れぬ毒を盛ったのかもしれぬ! 言えよ、正直に言え。本当は貴様が殺したんだろうっ!?」


「流石にそりゃ、濡れ衣ってもんですよ兄上」


 多少は心労も影響しただろうが、僕の診たところ父の病は堕落し切った暮らしぶりに依るところが大である。何せ糖尿病と痛風、高血圧などなど、多数の生活習慣病が併発していたのだ。さっさと財産を分与して欲しかったのは確かだが、手を下さなくとも近々死ぬ人間を、わざわざ殺す理由は無いのだ。


「……なんだとォ!?」


 僕が発した反駁に、兄は目を吊り上げながら机を乗り越え、飛び掛かって来た。言っている内に、完全に激昂してしまったのだろう。

 握り拳が飛んでくる。同時に僕の礼装が自動的に起動し、魔法で編まれた透明な障壁を展開。兄の拳を受け止めた。

 だが、兄はそれに気付いた様子も無く、何度も何度も拳を叩きつけて来る。


「白を切るなっ! お前がっ! お前が殺したんだっ! 母上もお前を産んだ所為で死んだっ! この悪魔っ! 親殺しの悪魔がぁ!! どれだけっ、どれだけの物を私から奪っていけば気が済むんだっ!? 答えろトゥリウスっ!!」


「落ち着いて下さいよ、兄上。拳が壊れますよ?」


 肩を竦めてそう促すと、ようやく兄は僕から離れた。拳から滴る血が床を汚す。警告は手遅れだったようだ。


「やれやれ、仕方ない……」


 しょうがないので、治療することにした。長年の人体実験で、文字通り骨を折ってまで会得した回復魔法だ。錬金術以外の魔法は平凡な出来の僕であるが、これに掛けては自信がある。

 兄は僕が手を取ると身じろぎしたので、


「動かないでください。手元が狂うと、骨が歪みますよ?」


「黙――」


「まあ、そうなっても僕が手術すれば治りますがね」


 と忠告しておく。それでようやく聞き分けてくれたようで、ピタリと動きを止めてくれた。

 速やかに治療を終えると、兄は僕が触れた手を庇うように身を翻した。黴菌にでも触ったような反応だ。まったく、失礼な人である。


「……兄上がここまで僕を嫌っているとは、思ってもみませんでしたよ。その上でこうもご厚情を示されたのです。この話、謹んで受けましょう」


「……ふ、ふんっ! 最初からそうしておれば良かったのだ」


 言いながら、再び椅子に座り直す兄。流石は伯爵家当主、既に激昂状態から立ち直り、ある程度の落ち着きを取り戻している。僕への悪感情は変わらないだろうが。


「最初から、というなら、こちらこそ前もって相談くらいはして欲しかったですけどね。じゃあ、具体的な話に移りましょう。それで、僕はどこへ行けばいいんです?」


「ここだ」


 兄は仏頂面のまま地図を広げると、その一点を指し示す。地名はええっと、マルラン? 聞いたことも無い。属している地域はオーブニル家代々の領地であるヴォルダン州の一角……というか、本当に角だ。地図の隅っこじゃないか。

 場所はこの王都から南東に三五〇kmほど。元日本人の僕の感覚としては、東京から出発して北は東北、西は琵琶湖の辺りに行くくらいだろうか。


「随分と遠くですね」


「とはいえ、隣国との境でもある。当主就任間もない身としては、信の置ける者に任せたい土地であろう?」


 何て空々しいことを言ってくれるんだ、この人は。確かにこのマルラン――どころかオーブニル家累代の領地であるヴォルダン州は、東の隣国であるザンクトガレン連邦王国と国境を接している。が、実際には両国間には分断の大山脈が横たわっており、陸続きで通行できるのは更に北。しかもそんな立地が示す通り、領地の境界線が示す範囲は思ったより広いが、ほとんどが山か森だ。

 ……ようするにド田舎である。


「ああ、そういえば……かつては銅の産地としても有名であったな」


 兄は慰めるようにそう言うが、心が籠っていないのは見え見えだった。

 かつてはって、いつの時代だよ? どうせこの人が押し付ける土地のことだ、鉱脈が涸れ切った不採算な銅鉱しか無いに違いない。

 覚悟はしていたことだが、憂鬱だ。そんなところに押し込められて、一体何が出来――ん? 待てよ? 土地? それに子爵位?

 心中、密かに期する物があった。だが、それを兄に悟らせる訳にはいかない。意図的に暗い表情を作りつつ、見透かされないように顔を伏せ、質疑を続ける。


「……前任の代官たちは?」


「そのまま貴様の指揮下に入る。上手く使いこなせ」


 既得権益の縄張りに若造一人突っ込んで何をしろと。


「政務を行う館は?」


「新たに建てることを許す。貴様も当主の連枝だ、折角の領地屋敷が代官のお下がりでは格好が付くまい」


 許すだけですか。資金は融通してくれないんですか、そうですか。


「出立はいつになります?」


「明日だ」


 おい、ちょっと待て。

 予想だにしなかった言葉に頬が引き攣りかけるが、何とか堪える。


「……急ですね」


「例の高等法院の調査の所為で、相続に予想外にも多大な時間が掛かった。よって私の当主就任までに多くの領地政策が凍結し、そのままの状態だ。再開の為にも、急を要するのだよ」


 深刻な問題を語る割には、随分と楽しそうな顔だ。いけしゃあしゃあと、よくも言ったものである。父が倒れてからこれまで、ある程度は政務を代行していただろうに。

 言いたいことは幾らでもあるが、ここは黙って呑み込んでおく。この人は無理難題を押し付けて僕を困らせたいのだ。それに従って素直に右往左往する必要も無いだろう。


「ええ、分かりました。では、時間も無いようなので、準備に取り掛かります」


「待て」


 踵を返しかけた僕を、固い声が引き止める。


「何です?」


「貴様も爵位を賜り、場末の辺土とはいえ領地を経営する身となったのだ。これまでのように放埓な振る舞いは、以後は許さぬ」


「分かってますよ。錬金術の研究はするな、それと地下のラボは閉鎖しろって言うんですね?」


 言われなくてもそのつもりだ。僕は自分の秘密が詰まった金庫をそのままにしておける程、豪胆な人間ではない。


「ならば良い。……それと、だ。ここまでのお膳立てをしてやったのだ。職務の方もしくじりは許さん。もし目に余るようなことがあれば、この兄としても少々心苦しい決断をせねばならんと覚悟している」


 じろりと、兄の目に殺気が籠る。

 先程の稚拙な憤怒とはまた違った、冷徹で洗練された意思。

 相手の弱みを探って握り、一朝事あらば非を鳴らし、剣ではなく権を持って屠る、貴族の殺意だ。


「……武者震いがする思いですよ。精々、微力を尽くしましょう」


 言って、完全に背を向ける。

 僕に与えられたのは、檻だ。猛獣を閉じ込める檻だ。

 飢えから暴れぬよう粗末な餌を食ませ、徐々に弱らせて、そして隙を晒したら殺す。その為に用意されたものなのだろう。

 ……だが、甘い。

 そんなことをわざわざこちらに悟らせるようでは、まだこちらを殺す覚悟も準備も出来ていないと告げるようなものだ。

 時間は錬金術師の味方だ。兄が手札を揃え、踏ん切りを付ける頃には、僕もまた新しい奥の手を用意できる。

 奴隷の補給が困難な土地。経済基盤と切り離された場所。山野と森林しかない辺境。

 そこで僕に何が出来るか。精々王都から見物していて貰おうじゃないか。

 ほくそ笑む表情を隠し、肩を落とす様を見せながら退出する。僕はそう装いながら、兄から与えられた新しい玩具をどうするか、内心で算段を巡らせていた。

 そういえば、いつだったか父とも似たようなやりとりをしたな、とも思い出して。







 執務室から出ると、扉の脇にはユニが控えていた。兄は僕が手掛けた奴隷が嫌いなので、室内に入れる訳にはいかない。しょうがなくここに居させたのだ。


「お疲れ様です、ご主人様」


「疲れる程のことはしていないよ。そっちこそ、よく耐えたね?」


 言って、彼女の口元を拭う。僕の指には血が付着していた。多分、ユニは兄が僕に殴り掛かっていた時、乱入したい気持ちを懸命に堪えていたのだろう。それで歯を食い縛るうちに唇でも噛み切ったのか。傷は既に痕すら残っていないが、それくらいものを治せるだけの技量は彼女にもある。


「勿体ないお言葉です」


 彼女は深々と頭を下げた。

 僕が隣国の魔導アカデミーに留学していた時、ユニは庇う必要が無いのに咄嗟に僕を庇ってしまい、それが元で却って大騒ぎになったことがあった。この子には時々、そんな融通の利かないところがある。まあ今回堪えてくれたように、同じミスは繰り返さない聡明さもあるので、特に問題にする気は無いけれど。


「それより話は聞いていたね?」


 耳元で囁きながら、汚れた指先をユニの唇に捻じ込む。それが前歯に当たる感触を得る前に、柔らかい口唇に包まれ、熱く濡れた舌に心地良く清められていった。


「ん……ぷはっ。……ふぁい、ご出立の準備を整えつつ、地下のラボを閉鎖するのですね?」


 抜き取った指をハンカチで丁寧に拭きつつ答えるユニ。名残惜しげに舌を突き出していた所為か、『はい』の部分が舌っ足らずな発音になっている。別に昼間っから廊下でこんなことをしなくても、自分のハンカチを使えば済む話だが、まあ、これも部下とのスキンシップの内だ。だいぶセクハラっぽいが、相手が嫌がって無ければそれには抵触しないと思う、うん。


「その通りだ。さっそく取り掛かってくれ」


「了解しました。……M-01、02、03」


 彼女が呼ぶのと同時に、音も無く三人の女性が僕らの前に現れ、跪く。

 僕もただユニで遊んで悦に入っている訳にはいかないので、内緒話の為に彼女らを巻きこんだ減衰結界を張った。完全に内部の音を遮蔽する無音結界よりも、効果が小さい低級の魔法だが、その分、結界の存在自体への欺瞞を施しやすい利点がある。錬金術以外の魔法だと、こういう地味な小技が回復と並ぶ僕の得意分野だ。派手な攻撃魔法も使えると言えば使えるが。


「M-01、ここに」


「同じくM-02、ここに」


「同じくM-03、ここに」


 名乗りを上げる彼女たちは一様に判で押したような無表情だ。首元には、銀色の首輪の輝き。そしてその身を包むのは、揃って同じデザインのメイド服である。顔立ちも体格も異なるのに、この画一性。人によっては酷い違和感を覚えるかもしれない。

 彼女たちこそ、ユニから得られた実験データを元に製作した『製品』。これはと見込んだ奴隷たちを改造した成れの果て。人呼んで(僕しか呼ばないが)Mシリーズである。ちなみにMはメイドのMである。……安直とか言わないで欲しい、僕が傷つくから。

 簡単に言えば、量産型ユニだ。勿論、一人一人にユニと同じような多岐にして長期に渡る訓練を施すのは、現実的ではない。よって精神操作の応用で基礎的な技能を直接脳に叩き込み、後は薬物投与で能力を底上げしている。勿論、反乱防止を目的とした脳改造は基本だ。

 戦闘面での実力はあくまでそこそこに過ぎないが、普段のメイド業務や研究での人手には十分である。僕らがザンクトガレンに留学していた頃は、彼女らにポーションの売買を任せていた程だ。

 ちなみに彼女たちに名前は無い。ワンオフモデルの『作品』であるユニと違って、Mシリーズは量産が前提の『製品』であるからだ。いちいち全員に名付けていられるほど、僕のネーミングセンスは秀でていない。一応、名前が無いと不都合な場合は、改造前の本名を名乗ることを許可している。


「明日、ご主人様がお出かけになられます。早急に準備を整えなさい。搬出の優先順位は把握していますね?」


「はい、チーフメイド。第三種緊急時用マニュアルに基づき、所定の手筈に則って、希少度Cランク以上の器材、素材を迅速に搬出。残りは手順に従って破棄します」


「チーフメイドへ質疑要請。現在調整中の素体に関する扱いについて、詳細な命令設定をお願いします」


「質疑に応答します。最終調整段階のオーパス02へのコマンド設定を行った後に起動。他の素体は優先度を問わずに廃棄処分とする。分かりましたか?」


「はい、チーフメイド。応答に従います」


「よろしい。では、同様の命令をB-01、B-02へ伝達後、速やかに作業へ移ること。オーバー」


「「「はい、チーフメイド。オーバー」」」


 声を揃えた返事と共に、Mシリーズの三人は下がっていった。

 うーむ、このやりとり。これでは異世界中世ファンタジーというより、現代ミリタリーか近未来ディストピアSFだ。世界観に似合わない。面白がって設定したのは僕だけれど。

 ちなみにB-01とB-02とは、この場にいない別の量産型改造奴隷、執事型のBシリーズの事だ。勿論、BはButlerのBである。頑強な男性を素体としているので、格闘戦能力がMシリーズより高めなのが特徴。つまりBはBattlerのBでもあるということだ。安直なのに変わりは無いが。

 それにしても、と僕はユニを見た。指揮下のMシリーズに指示を飛ばす彼女の姿は、改造を手がけた僕から見ても、非常に様になっていた。颯爽として、かつ凛々しい。こんな美人に育つとは、初めて奴隷市場で見た有様からは、想像も出来なかった。骨相の復元手術中に、元の骨の形は随分整っていたんだなーとは思ったが、長じればこれ程とは予想外だ。

 四年前、彼女が完成した時も似たような感慨を体感したが、良いものは何度味わってもやはり良い。

 そんな事を考えていたら、ユニがどこか気遣わしげにこちらを見てくる。


「如何なされました、ご主人様?」


「いや、何でも。ただユニは綺麗だなあ、って」


 僕は忌憚無く言ってのける。彼女は僕に絶対服従だ。故に嘘は必要無い。素直に思ったままを言えば良い。ああ、嘘の無い関係とは、何て素晴らしいのだろう。

 ユニは一瞬目を瞬いたが、すぐさま優雅に一礼する。


「身に余るお言葉、ありがたく存じます。ご主人様」


 その返事に何とはなしに満足感を刺激された僕は、一つ肯いて見せる。

 出来たメイドだ。本当に出来た奴隷だ。

 彼女と出会って十年。よくぞここまで仕上がってくれたものだ。

 この最高の切り札がある限り、嫌悪感から殺意を抱いた伯爵など、恐るるに足らない。

 自慢の『作品』に傅かれる全能感に浸りつつも、いけないいけない、油断大敵と自分を戒める僕だった。


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