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053 夏のはじまり

 

 ドルドラン辺境伯は、困惑に満ちた視線を目の前の客人に注いでいた。

 場所は彼の居館の執務室。来客はマルランから派遣されてきた魔物討伐への助太刀である。

 先日、冒険者ギルドによるマルランのダンジョン調査のクエストの為、西方きっての冒険者パーティである『緋色の大盾』がこの地を離れ、そして二度と帰ることの出来ない身となった。いや、用さえ済めば神官は返してくれるかもしれないが、既に使い物にならなくなっている公算が大だろう。つまりドルドラン辺境伯は、魔物対策の最大戦力を失っている形だ。

 その補填の為にトゥリウスが派遣した戦力が、眼前の人物である。いや、彼女が率いる部隊と言った方が正確だろうか。


「オーパス05、フェム、と、申しマス。主、トゥリウス・オーブニルの差配による、西方への増援戦力の監察を任されておりマス。辺境伯閣下、以後お見知り置きヲ」


 言って恭しく頭を下げるのは、白金の髪を靡かせ、腹を大きく露出した奇妙な戦装束を纏った女。いや、聞いた話によると女の姿をした人外。

 彼の錬金術に長けた狂児が作り上げた、ゴーレム。繊細で柔らかそうな女体を模しているが、その実、矢玉刀槍を受け付けることない鋼の戦闘機械だという。

 事前の連絡はあったが、まさかそんなお伽話の所産めいた存在が派遣されてくるとは。全く以ってドルドランの思考の埒外であった。

 とはいえ、彼も豪胆を以って鳴る男。内心の戸惑いを押し殺して、鷹揚に肯く。


「……うむ。遠路の旅、まずはご苦労。して、貴女はあくまでも軍監――戦目付けとのことだが?」


 ドルドランはそう言いながら、目の前に立つ相手の表情を読もうとして……やめた。

 何しろ、相手はゴーレムだ。人がましい感情など備えているかも分からない。そんな相手に腹の読み合いなど馬鹿馬鹿しいというほかないだろう。

 果たしてフェムは、鉄仮面じみた表情のまま肯く。


「はい、と、お答えしマス。支援の主力は表で待機させている者たちであり――」


 と、その時だ。

 扉の向こうからけたたましい足音が響く。誰かがこの部屋に近づいてきているのだろう。卑しくも辺境伯家の家中とは思えず騒々しさである。


「――失礼」


 部外者の闖入を嫌うように、フェムはひょいと軽い身のこなしで天井に跳んだ。そして、そのまま梁に突っ張らせた手足を当てて、下を見下ろす大の字の姿勢で張り付く。改めてこの女が人外の存在であることを印象付ける光景だった。

 隠し身のつもり、なのだろう。フェムの来訪は全くの秘密裏で非公式なものだ。それを家中の人間に察せられるのを厭っているのである。

 直後、乱暴に執務室の扉を叩き開けて、家臣の一人が入室してきた。


「し、失礼します閣下!」


「何だ、騒々しい。我が家臣ともあろうものが――」


 頼むから上を見るな。

 そんなことを願って手早くこの家臣を下がらせようとするが、彼は泡を食ってドルドランの執務机に取り縋る。


「それどころではありません! お、表に! 表にっ!」


 よほど動転しているのか、家臣の男は頻りに表にと繰り返す。ドルドランは片手で眉間を揉み解しながら、固い声で言った。


「だから、何だと聞いておる。表がどうした。館の表にドラゴンでも攻めて来たか?」


「あ、い、いえっ。そうではございませんが、大変な事態でして、その……」


「ええい、はっきりと申せ!」


 要領の得なさに業を煮やして一喝すると、ようやく背をしゃっきりと伸ばして落ち着きを取り戻したようだった。


「はっ! 申し訳ありません、私としたことが動転していたようで……その、表に得体の知れない集団が詰めかけておりまして、よもや非常の事かと思いお知らせに参った次第」


「得体の知れない集団だと?」


 思わず視線が天井の方を向く。虫のように天井に取り付いているゴーレムは、こくりと肯いた。

 ドルドランはそのまま天を仰ぎたくなった。つまりは表に現れた集団とやらが、トゥリウスの手配りらしい。


「その数は二十人。いずれも武装しております。冒険者か傭兵かと思われますが、何とも異様な雰囲気でして」


「……分かった。その様子では、今すぐに当館へ攻め寄せるような気配ではないのだろう。一先ずは人を置いて監視せよ。追って沙汰を下す故、家中の者には軽挙妄動を控える旨、あい伝えよ」


「ははっ」


 家臣は一礼して素早く部屋を退出した。ドルドランからの指示を現場に持ち帰る為だろう。幸いにも天井の異物には気付かれずに済んだようである。

 足音が十分遠ざかったと見るや、フェムは音も無く床の上に降りて来た。その悪びれない無表情に、苦みの溢れる口を押して言う。


「貴女の主も、随分と大掛かりな代物を送ってくれたようだな」


「それほどでもございません、と、謙遜しマス」


 褒めてはいない。

 寧ろ逆に、もう少し受け入れ先であるこちらとの調整を、念入りにしてからにしてくれと言いたかった。

 だが、ドルドラン辺境伯も既にトゥリウスの手駒だ。あの男からすれば、逆らう心配の無い相手には遠慮も不要ということだろう。幾分かの自由意思が残されている身としては、業腹であり頭の痛いことでもあるが。


「では新型『製品』Sシリーズ、その初期ロット二十体、確かに譲渡いたしました、と、確認しマス。以後、彼らの指揮権は閣下のモノ。存分にお使い潰しくだサイ。ワタシはその実戦データを取りますノデ」


「とはいえなあ……家の者に何と説明すればよいのだ。いきなり二十人もの人間を新規に召抱えるような余地は無いぞ」


「ご安心下さい、と、補足しマス。Sシリーズは全て奴隷デス。給金の類は不要ですので、食費だけご負担いただければ宜しいカト。その他のメンテナンスに関しては、当方が全面的にそれを請け負いマス」


 しれっとした顔でそう言ってのけるフェム。そうは言うものの、奴隷とはいえ二十人もの大所帯だ。いきなり大量購入したことに対して言い訳の種を探すには、かなり苦労する。


「剣闘奴隷、ということにでもしておくか……少々苦しい言い分だが」


 闘技場などで見世物としての戦闘を披露する為の奴隷のことだ。彼らは通常の剣闘より死傷率の高い、危険な興行をさせられることが多い。プロの剣闘士と違い手当てが掛からず、死んでもそこそこ替えが利くのが理由だ。

 貴族が買うことは珍しいが、無いことではない。武張った趣味の者ならば、気に入った剣闘奴隷を手元に置くことも稀にあるのだ。そしてドルドラン辺境伯は武人としても周知されている。剣闘奴隷を買うのも、満更有り得ない話でも無いだろう。


「それにしても、一度に二十人とは前代未聞だがな。世人には気が狂ったかとでも思われるやもしれん」


「ご安心を、と、お窘めいたしマス。いずれ彼らの上げる戦果が知れれば、閣下の慧眼を称える声も上がることでショウ」


「随分と自信があるようではないか。……まあ、良い。使えというのなら使わせて貰おう。逆らうことが出来る訳でもないしな」


 言って、トゥリウスからの人騒がせな贈り物を検める為にドルドランは部屋を出る。

 溜息を吐きつつ歩く背中には、気苦労の色が滲み出ていた。







 フェムの自信は、決して大言壮語ではなかった。

 ドルドラン辺境伯の目の前には、驚くべき光景が広がっている。魔物の勢力が強い難治の土地を治める為、この家の保有する騎士団はアルクェール王国中でも屈指の実力を誇っていた。流石に最精鋭の近衛には一枚劣るだろうが、生半な相手に後れを取る筈は無い。

 その精強さで鳴らした騎士の一人が、痛む身体を手で押さえて地に蹲っていた。そして、それを見下ろすのはSシリーズと称された奴隷どもの一体だ。


「模擬戦、終了……」


「ぐっ、ば、馬鹿な……!? こ、この私がっ! ど、奴隷ごときに……!」


 砂を噛みつつ屈辱の喘ぎを漏らす騎士は、家臣の中でも腕利きの一人と目されていた男だ。それが奴隷相手に手も足も出ず、こうして地を舐める羽目となっている。

 如何に屈強な剣闘用とはいえ、所詮は奴隷。栄えある騎士に太刀打ちは出来まいと、息巻いた結果がこれだった。

 事の発端は、唐突に二十体もの剣闘奴隷を抱え込んだ辺境伯に対し、家臣が諫言したことである。ドルドランが危惧したとおり、家中の者からは彼の乱心を疑う声が続々と上がったのだ。曰く、『緋色の大盾』を失った現状で何故奴隷などに手を出されるか、尚武の家と言えど剣闘奴隷などという趣向は血腥さ過ぎる、今からでもお考えをお改めくだされ、など。

 そうした声を沈める為、辺境伯は仕方無くこう言ったのだ。


「そう申すならば、どうだ。ひとつ、これらと立ち会ってみて腕尽くで追い出してみよ」


 と。

 Sシリーズが勝てば、家臣たちも表立って文句は言えまい。何しろ、彼らが言う通りこの辺境伯家は尚武が家風だ。強者ならば奴隷として囲うこともむべなるかな、と押し切れる。逆に家臣が勝てば、この困った贈答品をトゥリウスに突っ返す口実が出来るだろう。

 そんな計算の下、Sシリーズの中から無作為に選んだ一体と、家中から我こそは名乗りを上げた者を立ち会わせたのだ。

 ……そして、Sシリーズが圧勝した。鎧を着込んで剣を佩き、首輪が隠れているのもあって、傍目には冒険者か傭兵のようにも見える奴隷は、辺境伯家でも屈指の猛者を赤子のようにあしらってみせたのである。


「ご満足いただけたでしょうか、辺境伯閣下」


 抑揚に乏しい声で言うのは、トゥリウスからドルドランに預けられた最初の奴隷――M-22ことリュシーだった。彼女は辺境伯とあの【人喰い蛇】を繋ぐ連絡役であり、辺境伯への監視役でもある。このSシリーズ受領の場にも、辺境伯の反応を見る為か同席していた。

 辺境伯は居心地悪そうに傍らに立つ少女を見る。満足したかどうかを問われれば、性能面では文句無い。ただ引き渡し方には大いに不満が残るのだが。しかし、この結果を前にすれば是と肯くより外に無いだろう。


「うむ――」


「お待ちください!」


 了承の意を示そうとした伯爵を遮って、一人の若者が声を上げた。他の家臣団よりも一際着飾った身なりの彼は、辺境伯の一人息子である。その表情には腹に据えかねるといった色が、ありありと浮かんでいた。


「何を考えていられるのです、父上!? このような奴隷どもを招き入れ、挙句の果てに当家へ忠を尽くす騎士に屈辱をお与えになるなど!」


「む……」


「この者らを今からでもお召し放ち下さい。奴隷ならば自由の身が恋しいでしょうし、王国貴族たる当家には、身分卑しき輩に与える席などありません。それが双方の為でしょう!?」


 息子はそう言うが、彼には知られていない事実もある。この奴隷たちを指揮する権利はドルドランに与えられているものの、解放する自由は無いのだ。Sシリーズ、ひいてはM-22の首輪に繋がっている鎖は、あのマルランの狂った子爵の手から伸びているのだから。

 とはいえ、それを漏らすことなど出来ない。漏らしたが最後、M-22からの報せを受けたトゥリウスが、この息子を洗脳する為に動き出すだろうから。

 だから、ここは何としても突っ撥ねるしかなかった。


「……嫡子とはいえ、口出しは無用ぞ。これは当主たる私の為したことであり、決定事項だ」


「父上っ!」


「聞き分けよ。畏くも王国辺境伯の言である」


 権高に子の反発を抑え込むしか無い己に、ドルドランは歯噛みした。何たる無能、これが西方鎮定の任を受けた辺境伯の様なのか、と。

 無力感に苛まされる父の心を知ってか知らずか、嫡男は眦を吊り上げて矛先をずらす。その先にいたのは、M-22だ。


「貴様かっ、この毒婦が! また貴様が父上を誑かしたのだろう!?」


 怒鳴りながら襟首を掴み上げる。貴公子が婦女子に対する態度とは思えないが、周囲は誰もこれを咎めない。何故なら、どれほど無碍に扱われようと、リュシーことM-22は奴隷だ。銀の首輪を嵌められた者は、人間として扱われないのがこの世界の常識である。

 またある日唐突に現れ、昼夜の別無く辺境伯の傍に侍り出した、親子ほど年の離れた若い女など、後ろ暗い憶測の元でしかない。


(情けないことに、事実無根とも言えん……)


 ドルドランは思わず下を向く。貴族の中では廉直な部類とはいえ、彼は男盛りの年齢であり、妻に先立たれてから長い。トゥリウスの洗脳の副産物として、激務で損なわれていた健康を取り戻してもいる。そこに、真の主は別にいるとはいえ、何でも言うことを聞き甲斐甲斐しく尽くす女が現れたらどうなるか。

 彼は二ヶ月ほどでM-22に手を付けていた。抵抗は無かった。その後も猛りを鎮められない夜は、度々同じことを繰り返している。

 その事実を思うと、気が沈んで口も重たくなってしまう。


「お止め下さい、若!」


 家臣の一人が上げた声で、ドルドランは我に返る。見かねて嫡子を止めたのは、彼がマルランに赴いた時に同行していた者の一人だ。つまりは主と同じく洗脳を受けた身である。


「ええい、放せっ! こやつは奴隷の分際で当家を蝕む姦婦ぞ!? 誅するのに何を憚ることがあるっ!」


「若の仰ることはもっとも。しかし、その者は貴方の物ではありませんっ!」


 家臣の言う通り、他者の奴隷を殺すことはその財産を損なったことと同義だ。M-22は現在、ドルドラン辺境伯に傅く身であり、真の所有者はトゥリウスでもある。幾ら身分社会の最底辺であり、例え死のうが誰憚らぬ身であろうと、恣意のままに殺せるのはその主人のみである。

 嫡男は憎々しげに自分を止める者を一瞥すると、乱暴に女奴隷を突き飛ばした。そして、父親に対して決然と向き直る。


「……父上、斯様な仕儀を何度も繰り返されるては困ります。王国貴族ドルドラン辺境伯家の当主たる者、放埓な振る舞いはお慎み下さい。彼のカルタン伯爵家の騒動は、お耳に入れておりましょう?」


 昨年に奴隷絡みの騒ぎを起こし、その末の裁判で当主が引退させられた貴族家の話だった。


「ああ……勿論だ」


 ドルドランは憂鬱な表情で肯く。何しろラヴァレ侯爵が珍しく失態を犯した事例であり、そしてあの男とその奴隷が、大いに関わっていた事件だ。当然、彼としても無関心でいられなかったので、多少なりとも調べは付けている。話の流れと我が身に起きた事実を鑑み、大方あの男が洗脳を駆使して裁判を(ほしいまま)に操った結果だろうと推量していた。

 流石にそんな裏までは知らない嫡男は、純粋に父へ釘を刺す為にその話を引く。


「彼の家の二の轍は、踏みたくないものですな」


 深い危惧の念をにじませた言葉は、その実父親への警告の意味を孕んでいる。

 乱行が目に余るようなら、押し込んで当主交代の挙に出るのも辞さず。そういうことだ。


「……心しておこう」


 或いはそうなった方がこの家の者、そしてこの地の民の為ではなかろうか。そう思いつつも、それに同意する自由さえ無いドルドランは、重々しく返事をした。


「今日のところは下がれ。リュシーの事、そしてこの剣闘奴隷どもの事は、譲れん」


「……失礼致しました」


 不服げな様子を隠そうともしない息子は、家臣団の多くを引き連れて屋敷に戻っていく。家中の多くは子の方に同心しているらしかった。真っ当な貴族家なら、それが道理だろう。

 自身が孤立しつつある光景を目にして溜息を一つすると、地面に倒されたままのM-22を助け起こす。


「すまぬな。アレも当家を思ってのことである。許せ」


「いいえ、閣下。私が騒動の原因であることは理解しております。こちらこそ申し訳ありません」


 M-22はそう言うと、自ら地面に額づいた。ドルドランは眉根を寄せる。度々肌を重ねる相手に地面を舐めさせておくような趣味は、彼には無い。


「良い。立て」


「忝く存じます」


 言って、彼女は顔を上げた。顔と言わず髪と言わず土埃で汚れているが、気に病んだ風も無い。トゥリウスからは感情が無い訳ではないと説明を受けていたが、こうも平然とされるとそれも怪しく思う。

 ハンカチで軽く汚れを落としてやりながら、一つ気になっていることを問う。


「お前は、アレの振る舞いもマルランに伝えておるのか?」


「はい。御家中の動向も報告対象となっております」


 答えは最悪に近いものだった。ドルドラン辺境伯家は侯爵家にも伍する大貴族であり実力者だ。トゥリウスの派閥の中では最大の勢力である。そんな枢要の家中だ。派閥の頭としては、静謐に保っておきたいところだろう。折角洗脳した現当主が息子に取って代わられる可能性があるなど、断じて許さない筈だ。

 つまり、近いうちに息子にも洗脳の魔手が伸びるか、さもなくば粛清されるだろう。


「――ご安心を、と、言わせて貰いマス」


 唐突に、背後から声。M-22に輪を掛けて抑揚に乏しい声の主を、ドルドランは知っていた。

 オーパス05、フェム。執務室に待たせていたはずの、あの悪魔からの使い。いつの間にやら屋敷を抜け出して、彼の背後に現れていたのだ


「現状、ご主人様にご子息を処理するつもりはありまセン。研究と中央集権派対策に、お忙しいものですカラ。それよりも、閣下の力量を頼みお任せする方が効率的デス」


「その為の道具は用立ててあるから、か?」


 言いながら、黙って整列したままのSシリーズを見る。一見すると見事な武装を身に纏った戦士に見える一団は、虚ろな瞳を暫定的な指揮者に向けていた。


「此奴らを用いて武功を挙げ、以って家中を抑えろということか」


「左様にございます、と、肯定しマス。そうすれば悪評も、彼らの導入は英断であったという好評に転じまショウ」


「成程な」


 一線級の騎士を一蹴するだけの戦士だ。実力の程はBランク冒険者の前衛に匹敵しよう。それが二十体という大盤振る舞いである。『緋色の大盾』を喪失した補填には十分であり、しかも何かと制御しづらい冒険者ではなく直轄の戦力だ。

 これだけの兵を率いて功ならずとなれば、それこそドルドラン辺境伯の名が泣こう。


「ただし、と、注意事項がありマス。彼らは全て戦士であり、魔導戦は不得手デス。ある程度であれば礼装である剣が補ってくれるでしょうが、気休めに近いと聞いておりマス。魔法が必要な場合は別途、魔導師を帯同させる必要があると覚えていて下サイ」


「畏れながら、それならば私がお役に立てましょう。些少ながら魔法の心得を持っております故」


「言われずともそのつもりだ。私が直卒して出向くのだからな。お前も付いてくるのだろう?」


 頭を垂れて売り込んできたM-22に言うと、すぐさま肯定の返事が返ってきた。


「はい。閣下がご主人様と軌を一にしていられる限り、私は全てを貴方様に捧げます」


「……リュシー、そこは嘘でも前半分を省いてくれ。男という生き物は、そうした方が喜ぶものだ」


「申し訳ありませんが、出来かねます。お味方の中にあっては、嘘を吐かないことが肝要であると存じますので」


「そうか。……お前は本当に躾の行き届いた子だよ」


 ドルドランは瞑目すると、また深々と溜め息を吐く。

 このところ、嘆息と昵懇の仲にならざるを得ない日々が続いている。これがいつまで続くのやらと思い、当分終わることは無いだろうとすぐに悟って、またぞろ憂鬱になった。




  ※ ※ ※




『――Sシリーズのデータ収集は、支障無く続いています、と、報告しマス。Mシリーズ、Bシリーズ直系の自立性の低い『製品』である為、多少運用の柔軟性に問題が見られますが、指揮官の力量で十分に補えるでショウ』


「ふむふむ。まあ、想定通りだね。十分に期待値に沿った成果が出ている。悪くはないんじゃない?」


 マルラン地下のラボ、いつもの個人用アトリエで、僕はフェムから通信を通じての報告を受けていた。彼女に搭載した機能の一つ、虚数空間格納庫。常に彼女と座標を重ねている亜空間に多数の武装を内蔵するという便利な能力だが、今回はそこに例の大型通信礼装を入れておいたのだ。お陰で国土の南東であるマルランと西方のドルドランとの間で会話が可能になっている。まあ、M-22にも持たせているんだが、それとは別口だ。基本的にはフェムは単独で陰から任務をこなさせている。表立って辺境伯に引っ付いてるM-22と通信手段を共有するのは上手くない。


『現状、テスト個体の損耗はありません、と、報告を続けマス。深手を負うことはありますが、処置さえ間に合えば致命的ではありまセン。もっとも、現状では彼らの手に余るAランク相当の討伐対象には出くわせていませンガ』


「まあ、そうなると辺境伯閣下の身が心配だからね……もしそうなった時は、分かっているね?」


『勿論ですご主人様、と、お答えしマス。ワタシが支援戦力として参加し、辺境伯を守りつつ敵を撃滅するのでスネ? ……そして同行者の内、ご主人様の洗脳を受けていない者には――』


「――魔物の餌食になって貰う。うん、分かっているなら良いよ」


 フェムが参戦する場合、目撃者の口は徹底的に封じる。それは当初からの確定事項だ。今はまだ、彼女を表に出せる段階ではない。西方という辺境部、ドルドラン辺境伯という手駒の領地だからこそ出撃させたのだ。

 何せ討伐等級Aランクという、並の人間には逆立ちしても敵いっこない怪物との交戦中だ。不幸な事故は無い方が不自然というものだろう。


『また実戦運用試験での戦果により、辺境伯の権威も強まっています、と、お知らせしマス。家中の者も、改めて辺境伯に靡いている模様デス。もっとも、M-22の報告と重複しているやもしれませンガ』


「ああ、あの子からも聞いているよ」


 何でも急に奴隷を侍らせ出したことに反感を抱いて、当主交代すら画策されていたのだとか。面倒なことだ。が、流石にあの辺境伯も只者じゃなかったようである。Sシリーズの戦果を盾に家臣団を再掌握し、自ら出撃する雄姿を見せることで領民からの支持も取り付けているらしい。まあ、元はと言えば僕が奴隷を送りつけたことに端を発した問題なんだが。


「しかし、あの辺境伯も甘いよね。自分を追い落とそうとした息子を廃嫡するでなく、そのまま許しちゃうんだからさ。幾ら替えの利かない一粒種とはいえ、ねえ?」


『のみならず、洗脳することにも乗り気ではないようです、と、補足しマス』


「僕が命令すれば逆らえないとは思うんだけど、厄介だね。優秀ではあるんだけど、その分我が強くて手を焼かせてくれる」


 僕は腕組みしつつそう言った。

 ドルドラン辺境伯を始め、派閥に無理やり組み入れた貴族たちには、あからさまな人格変容が起こらないよう、ユニやドゥーエに用いた方式で洗脳を行っている。セイスも最終調整はこの方式だ。精神面への影響を最小限に抑え込みつつ服従させられるというのがその利点なのだが、当然、欠点も存在する。命令に従う際の熱意というか、モチベーションが、完全に改造前の人格に依存してしまうところだ。

 ユニやセイスの場合は良い。前者は僕に好意を抱くよう教育・誘導し、後者は培養段階から脳へ直接人格を擦り込んでいる。ドゥーエはちょっと問題ありだ。異議を唱えることは度々だし、好みでない指令には明らかに気乗りしない様子で臨んでいる。まあ、組織的思考のバランスを考慮して敢えて放置しているのではあるが。

 で、辺境伯は後者の範に沿っている。余り好ましい事態ではない。命令権は効いているのでいざとなれば無理押しできるが、肉親への干渉は大きなストレスになるだろう。M-03という前例もある。あの時は彼女の生き別れの兄が盗賊に身を落とし、僕の命を狙った為に手に掛けたのだったか。量産型奴隷とは手術方式に違いがあるし、洗脳と殺害では雲泥の差だろうから同様になるかは分からないが、その分からないという点が困る。何が起きるか事前に分かっていれば対策は立てられるが、この場合は何一つ把握できていないのだ。

 だから、一旦は棚上げにすることにした。


「まあ、良いさ。派閥やその構成員なんて、僕が政治的に安全になるまで持てばいいんだ。中央集権派の問題が片付くまで辺境伯が影響力を保持できていれば問題無い。後は野となれ山となれ、さ。あの人が現役のままでいようが引退しようが、嫡男が後を継ごうがいずれM-22とこさえる子に譲ろうが、それより後になるならどうでもいいことだよ」


 もっとも、最後の部分は完全な冗談だ。幾らなんでも奴隷の子が貴族家を継げる訳は無いし。

 ……そういえばだが、あの人がM-22に手を出すとは意外だったな。冬に彼女から「辺境伯のお手付きになりました」なんて報告を聞いた時は、随分と驚かされたものだ。見た感じ質実剛健な堅物、って印象だったんだが。やる時はやると言うか、やれる時にはやると言うべきか……。

 それにしても、この世界の貴族連中も随分と身分の低い女性に入れ上げるものだ。このドルドラン辺境伯しかり、平民の妾に入れ込んだカルタン伯しかりである。昔からよく、成り上がり者は上淫を好み、上流階級は下淫を好むというけれども。ああ、そう言えばカルタン伯は実質的には成り上がりに近いから、その例とは違うかもしれない。

 脇道に逸れた思考を、フェムの声が引き戻す。


『ワタシはご主人様の御意に従います、と、宣誓しマス。実際に問題が起こるまで不干渉、という方針で構わないのでスネ?』


「ああ、それで良いよ。……慣れない仕事、ご苦労様」


『いいえ、ご主人様の御為に働けて幸せです、と、実感していマス。それでは報告を終了しマス。オーバー』


「うん、じゃあね。オーバー」


 互いに挨拶代わりの符牒を交わして、通信を打ち切る。

 僕は肩を軽くコキコキ鳴らしてから、椅子の背凭れに深く身を預けた。


「Sシリーズ、ひとまず成功ってところかな。この分なら、予定の工程には間に合いそうだ」


 新型の『製品』――即ち量産型改造奴隷である、Sシリーズ。

 その詳細は簡単に言えば、身体能力のみに重点を絞って強化改造した奴隷だ。ユニの量産型であるMシリーズとBシリーズに対して、こちらはドゥーエの量産型とも言える。魔導方面の強化を切り捨てている分、施術が容易であり、魔力資質などの奴隷側の素養も問わないので調達コストが抜群に良い。加えて特化型の強みと言うべきか、得意分野における性能は汎用型を大きく凌いでいる。Mシリーズ、Bシリーズが冒険者に換算するとC~B程度だったのが、こちらは前衛しかできないがB以上で安定しているのだ。

 そんな物をどうして今まで作らなかったのかと、疑問に思われるかもしれない。けど、仕方の無いことなのだ。何せ、これまでは作っても使い道が無かったのだから。

 魔導関係への処置をオミットしているので、錬金術の研究員や助手など務まらず戦闘にしか使えない。それでいて平均的な戦闘能力は同じ量産型の手駒であるミスリル・ゴーレムより下。これではどうしようもない。

 が、今となっては状況が異なる。ヴィクトルとルベールの口車に乗せられた僕は、周辺貴族を取りこんで派閥の長となってしまった。彼らの面倒を見るには、これまでのようにオーパスシリーズを陰から遣わすだけではすぐに支障を来たすだろう。何て言ったって、カバーする範囲が広すぎるのだから。

 故に、表立って動かすことの出来、纏まった数を揃えられる戦力が必要になった訳だ。それを担当するのがSシリーズなのである。

 そして報告の限りでは、その性能は十分に発揮されている。


「悪くない。悪くないんだけど、セイスは気に入らなさそうだな。無難に纏まり過ぎていて、弄るところが少ないから面白くない、とか」


 有り得る話だった。何しろセイスは研究意欲旺盛だ。僕らの中では涸れた技術を中心に作られたSシリーズは、あまり彼女の興味を引く対象ではないだろう。今のところは自信作だと胸を張っているが、あんまりにもSシリーズの生産ばかりだとその内飽きられるかもしれない。

 では、そろそろあの子にも次の実習をさせる頃合いかな、そういや使い道が無くって持て余してた素体が一つあったっけ、などと考えていると、


「……失礼します、ご主人様」


 ドアをノックする音と共に、ユニの声が聞こえて来た。


「どうぞ、開いてるよ」


「お忙しいところ、申し訳ありません。ルベール卿がお出でになられましたので、こちらまでお通ししました。お時間はよろしいでしょうか?」


 おや、珍しい。彼やヴィクトルは基本的に表向きの仕事である内政の担当だ。錬金術の研究をやっている地下に、用事は無い筈なんだけれど。


「ああ、構わないよ。丁度、時間も空いたところだしね」


「畏まりました。では」


 了承の返事を出すと、ユニに連れられてルベールが入室してきた。何やら書類の束を小脇に抱えているというおまけ付きだ。おいおい、まさか領主の仕事をここまで持ち込んだんじゃないだろうな?


「やあどうも、我らが領主閣下。本日もご機嫌麗しゅう」


「ルベールも元気そうで何よりだね。で、今日は何の用だい? ここには鉱脈の見学以来、足を踏み入れていないってのにさ」


「そう邪険にしないで下さいよ。別に公務をここまで持ち込みに来た訳じゃありません。今日は裏向きのお仕事について、少々報告がありまして」


 彼はそう言って携えて来た書類の束を軽く手で叩く。今にも小躍りしそうな機嫌の良さだ。

 僕はルベールの来訪の目的を察する。ああ、成程。アレ絡みならならここまで出張っても不思議じゃないか。


「……ああ、派閥に組み込んだ連中にやらせている、王都での内偵かい。その報告書が上がってきたのかな?」


 派閥を組織するという面倒な仕事。そのそもそもの発端は、王都向けの諜報・工作を行える手段は無いかとヴィクトルとルベールに相談したことだった。最近ようやく出来上がった諜報機関の取り仕切りも、確かこの男に任せていたはずである。


「ご明察です。いやあ、中々に苦労していますよ。幾つもの貴族家が独自に集めて来た情報を纏めるんですからね。中には重複しているものもあるし、どうにも役に立ちそうにないこともあります。そこから有為な情報を見つけ出すのも骨でして」


 そうは言うが、彼の表情は新しい玩具を買って貰った子どものように爛々と輝いていた。相変わらず、世間の噂に聞き耳を立てるのが好きなのだろう。趣味に走って、本業である内政を疎かにしなければいいんだけど。まあ、銭勘定もそれと同じくらい好きなのだから、その心配も無用かもしれないが。


「それで? 僕が館に戻るのを待たずにわざわざここまで来たってことは、余程重要な報告でもあるのかい?」


 呆れつつも促すと、ルベールはニンマリと笑みを深めた。


「はい。悪い話が一つとちょっと良い話が一つ。とても良い話が一つございます。どちらから聞かれますか?」


「順番なんてどうでもいいと思うんだけどね。それで話の内容が変わる訳じゃないし。……ユニはどれから聞きたい?」


 ほんの気紛れで、ルベールを通したっきり静かに佇んでいる彼女に話を振ってみる。

 ユニは目を伏せたまま、間髪入れずに答えた。


「悪い話からお聞きになられてはどうでしょう」


「ふむふむ、その心は?」


「良い話を後に回した方が、後味が宜しいかと愚考致します」


 それもそうだ。良い話を先に聞いて悪い話を後に回したら、持ち上げられてから落とされる形になる。情報そのものは変わらないのに、精神状態は悪化するという形だ。そんな思いをするのも馬鹿馬鹿しいだろう。


「じゃあ、悪い話から順番に聞く」


「畏まりました。では、報告いたします。……閣下のお兄君、ライナス伯爵なんですがね、この度本領に戻られるそうですよ」


 ルベールの報告は、僕に渋面を作らせるに足るものだった。覚悟していたよりは悪い話じゃないが、これからの行動に地味に響いてきそうな手立てだった。


「それが悪い話なのでしょうか?」


 ユニが不思議そうに質問してくる。まあ、政治面は彼女の専門外だから、ピンと来ないのも仕方無いだろう。僕は嫌な気分を紛らわせようと口を開く。


「ああ、悪いね。何せ兄上は形式上、僕を子爵に任命した上役さ。それが本領であるヴォルダン州に来るって言うんだ。このマルランも含まれている、ヴォルダンにね」


「つまり王都にいた頃のように王国貴族としてではなく、自分の領地を経営する領主として仕事を為さりにいらっしゃるのですよ」


 ルベールが説明を継いだ。


「そうなると、今までのように事後に報告書を上げるだけで自由にマルランを裁量する、という訳には参りません。馬を飛ばせば数日で会える距離に、伯爵がおわすのですからね。きっと、強権を振るってやることなすことに干渉してきますよ。新しい政策を布くなら自分を通せ、今までの経営も詳細に監査させよ、許可無く他家の者と顔を合わせるな、云々。致命的な事態ではありませんが、今後色々とやり難くなるでしょう。……憂鬱なことですね」


 彼も深々と溜息を漏らして話を結ぶ。内政分野、特に産業関連だの何だのはルベールの担当でもある。この男にとっても他人事ではない話だった。

 要するに、僕をあれこれいびる為に、花の王都からわざわざお越しになるということだ。まったく、嫌になる。


「成程。合点がいきました」


「理解が早くて大変結構。まったく、何だって今更。これまで散々王都に籠ってばかりで、領地は代官任せだったくせにさ」


 それでいて曲がりなりにも領主として上手くやってる僕に難癖をつけるって言うんだから、片腹痛い。そんな思いもあって、思わず毒っ気のある言葉が口を衝いて出る。


「大方、中央集権派内部での顔繋ぎが終わったからでしょうね。新参かつ元の立ち位置は地方貴族ですから、連中の中でも信用が低かったと思いますよ。それがようやくある程度の信を得られ、王都を離れて領地に赴けるだけの状況になった故かと」


「ライナス・オーブニル伯爵も、今や立派な中央集権派と見られるようになったってことか。兄上も可哀そうに。これじゃあ、ラヴァレの爺さんが逝ったとしても、早々に足抜けは出来ないだろうね」


 僕はしみじみと呟く。

 信用される、ということは責任を負わされるということだ。それを投げ出したらかつて信じていた者には恨まれ、そうでない者にも不信感を与える。また、あの人の性格的に考えて、背負いこんだ責務を放棄できるタイプでもないだろう。


「一応聞くけどさ。それが悪い話ってことは、向こうも無防備に僕へ近寄って来たって訳じゃないんだね?」


 ヴォルダンに入るということは、マルランに近づくということでもある。今まで何人もの貴族を洗脳してきた現場でもあるここに、だ。のこのこと領地の屋敷に入ったところを、僕の手の者に掛かって頭を弄られる。そんな展開にならないよう備えはしているだろう。兄上は兎も角として、背後にいる陰謀爺さんは僕の手口が洗脳だと気付いている節があるし。

 ルベールも残念そうに肯いた。


「ええ。国境巡検の名目で近衛騎士団が帯同するそうで。それも最精鋭の誉れ高い第二が、です」


「……随分とまあ、奮った話だね」


 思わず肩を竦めてしまう。王国最強の近衛、それも勇名轟く第二騎士団が、たかだか一伯爵の為に動くなどありえない。大方、宮廷にも顔が利く何処かの誰かさんの仕業だろう。


「何でも、ザンクトガレンに不穏な動きありとのことですが、怪しいものです。あの国は今、魔物の侵攻に手を焼いている筈ですから。我が国へとちょっかいを出している暇は無いでしょう」


「確か下級のモンスターが大量に森から溢れ出て来たんだっけ? 何でまたそんなことになったんだか」


「……恐らくですが、彼の国の森より強力なモンスターを、余りにも多く樹海に連れて来た影響ではないでしょうか」


 と、ユニの指摘。

 ああ、そうか。魔物同士も殺し合う黒の森から強力な個体をバンバン連れて来たんだった。そりゃ生態系が狂って下位モンスターが大発生もするだろう。


「まあ、それは僕らには関係無いよ。原因がそうだったとしても、影響さえ無ければ大丈夫」


「死傷者が万単位で出ているそうですが……いや、それを言えば先年に王都を焼き払った時もそうでしたね。話を戻しますが、そういう訳で州都ヴォルダンには近衛第二騎士団も駐屯することになります。実質的には兄君への警護でしょうね」


 厄介なことになったものだ。直接的にやり合うならば僕の『作品』たちが遅れを取るとは思わないが、何しろ相手は近衛、警護のプロである。それが周りを固めているとなると、人知れず兄上のところへ忍び込んで洗脳するのは難しいかもしれない。


「悪い話だってのは、十分理解出来たよ。それで? ちょっと良い話、ってのはどんなものなんだい」


「こちらは本当にちょっとですよ。現状、ラヴァレ侯爵は王都復興への関与で忙殺されております。物流に携わる商人たちと目まぐるしく何度も会見を持っているとかで、とてもではないですが閣下に手を出す余裕は無いでしょう」


 ルベールも大して重要視していないのか、さらっとそれだけ言って続けようとしない。

 だが、どうにも気に掛かる。あの策謀家がこの時期に大人しくしていられるのだろうか。王都を焼いたのは、僕の仕掛けた時間稼ぎだということくらいお見通しの筈だ。ましてや、兄上に近衛を付けるだなんて手の込んだことをしてもいるのである。


「……本当にかい? それも爺さん一流の目眩ましじゃないのかな」


「そうです。あの御老体らしくありません。また良からぬ企てを考えているに決まっています」


 僕に同意して言い募るのはユニだ。彼女もあのくたばり損ないには随分と煮え湯を飲まされている。表情は変わらないが、内心では恨み骨髄だろう。

 二人掛かりの反論に対し、彼は肩を竦めた。


「流石にそれはお気を揉まれ過ぎでは? 閣下は近衛まで動かされたことを気にしておいででしょうが、逆に考えればそうしてまで伯爵にこちらの妨害をさせたいとも言えます。王都復興が一段落するまで、我が派の動きを封じたく思っているのでしょう」


「僕らの動きを封じたい、ってのは当たり前だろう。相手に主導権を与えないのは定石中の定石だよ。問題はこちらを足止めして何がしたいか、だ。それが王都の復興だの何だのってのは、どうにも不自然じゃないか」


「……態勢の仕切り直し、というのはどうでしょう? 例の大火で侯爵陣営も風評などに瑕疵を負っておりますれば――」


「ルベール卿、それは少し苦しいかと」


「そうそう。アレは僕らを本格的に敵視しているんだ。ダメージを負ったのなら、その時こそ逆に攻める。その為に取る手立てが、たかが兄上にチンケな嫌がらせをさせるだけな筈が無い。もっととんでもないことを仕掛けてくるに決まっている」


 まったく、何を気を抜いているのやら。あの陰険爺は目出度い結婚式一つとっても陰謀の舞台に変える性悪だ。それが親切にも僕らの手拍子に合わせて汗を流して踊ってくれているなんて、それこそ想像出来ない。

 僕は改めてルベールに厳命する。


「その件の調査は、やり直し。侯爵の身辺だけじゃなく、その会見を持った商人ってのもしっかり調べ直すんだ。いいね?」


「は、はい。肝に銘じます」


 彼はびしりと背筋を伸ばして承った。

 やれやれ、しっかりしてくれよ。ルベールも最近、町の振興なんかが上手く回っているので調子に乗っているのだろう。自分の構想が実現していくのを見ていたのだ。才覚への自負と自信に磨きを掛けるのも理解出来る。だが、それが過信に転じて敵を甘く見るってのは頂けない。相手がラヴァレ侯だっていうんなら尚更だ。僕とルベールの年齢を足した以上の時間を謀略家として生きて来たような妖怪爺である。それを見縊っていたら命が幾つあっても足りやしないのだ。


「やれやれ。これじゃあ、もっと良い話ってのにも期待は出来ないね」


「ひ、酷いことを言いますねえ……でも、今度は大丈夫です。きっと閣下も驚かれるような、凄い情報ですよ?」


 一転して自信ありげに胸を張る。が、どうにも信用出来ない。発足したばかりの諜報網が、そうそう簡単にとんでもない情報を拾えるとは思えないのだ。さっき聞いた兄上の帰領だって侯爵の動向だって、隠すようなことではないから知れたに過ぎない。まあ、田舎に籠って何も知らないでいるよりはマシなのだが。


「何だい、後継者不在の王様に隠し子でも見つかったとか? それとも七年前の王太子暗殺事件の犯人でも自ら名乗り出て来たのかな? いやひょっとすると、不老不死の秘密が書かれた古文書でも見つけたのかい?」


「全然信じてませんね、閣下。まあ、良いでしょう。度肝を抜かれて後悔するのは貴方なんですからね」


 嬉しそうにニヤ付いた顔をするルベール。それを見て、ユニが少しきな臭そうに言う。


「卿がそこまでお喜びと言うことは、いずこかの貴族の弱みでも握られたので?」


「正解です、チーフメイド。よく分かりましたね?」


 良く分かったも何も、彼が喜びそうなことは金儲けが絡むか誰かの悪い噂を聞いたときくらいのものだ。本当に趣味の悪い男である。その悪趣味腹黒内政官は、誇らしげに自慢の情報を開陳し始めた。


「話というのは、他でもありません。近々領にお戻りになる兄君の事です」


「兄上の?」


 僕はますます疑わしく感じる。あの人は真っ当な貴族であることに人一倍こだわっている。そんな肩肘張った優等生が、ルベールの喜びそうな弱みを人に見せるだろうか。


「いやあ、僕も驚かされましたよ。彼の伯爵の弱みなんて、それこそ弟君である閣下くらいのものかと思っていたんですがね」


「一言多いよ。で、その兄上の弱みってのは何なのさ。義姉上に隠れて愛人でも囲ってたのかい?」


 冗談半分にそう言うと、ルベールはにっこりと笑った。


「大当たりです! 良く分かりましたね?」


「まあ、王都じゃ義姉上に散々あの人の愚痴を聞かされたからね。それほどまでに夫婦仲が上手くいっていないんだ。愛人の一人や二人が出来たって不思議じゃないだろう」


 新婚一週間も経たずにご覧の有様である。またシモーヌさんからは時々手紙も届くのだが、それにもやはり夫への不満が並んでいるのが常だ。どれだけ相性が悪いんだろう、あの二人。


「ともあれ結婚一年も経たずに愛人騒ぎとなれば、色々と愉快なことにはなりそうだ。仲人をしたラヴァレ侯爵も、さぞ頭を痛めていることだろう」


 人の弱みを探ることにかけてはルベール以上の謀略家だ。当然、このことも抑えているだろう。

 そう思ったのだが、


「いえ、この件に関しては確実にラヴァレ侯爵もご存じないことです」


 などと言い出すルベール。おいおい、さっき言ったばかりなのにまた過信か?

 しかし、今度ばかりはそうじゃないのだと余裕たっぷりに首を振る。


「こればっかりは、知っていたら早急に対処しなければならないことです。手を拱いていれば侯爵とて大火傷をする。兄君はそれほどの事をしでかしたのですよ」


「申し訳ありませんが、話が見えません。結論をお聞かせ願えますか、ルベール卿」


「焦るなよ、ユニ。つまりルベールは、兄上がとんでもない騒動の種になる女性に手出しをしたって言いたいんだ。ただの不倫じゃ済まないような、さ」


 たかが愛人の一人や二人出た程度で、ルベールはとても良い話だなどと切り出したりはしないだろう。確かに兄上の風評は大いに傷つき、ラヴァレ侯爵も痛手を負うが、それだけだ。僕にリターンが無くは無いが、それ以上に手出しする際のリスクとコストが大きい。

 にもかかわらずご大層に勿体ぶって切り出したということは、この話を大きくする火種を握ったということ。それもラヴァレ侯爵より先に、知っていたら間違い無く対処される程の厄ネタを、だ。


「余程の良家の令嬢に手を付けた? それとも人の女を寝取ったかな? ……いや、違うな。それじゃあ絶対に侯爵が勘付く。かと言って、身分の低い相手じゃ大したスキャンダルにはならないし。うーん……」


 僕が軽く考え込む様を、ルベールはさも楽しそうに眺めている。根性悪いなあ、コイツ。

 と、そこでユニが小さく挙手した。


「では、相手の身分が低いことが逆に醜聞の元になるケースでしょうか。例えば……奴隷に手を付けたとか」


「いやいや、まさか」


 僕は思わず苦笑した。流石にそれは無い。今度ばかりはユニの考え過ぎだろう。確かに新妻を差し置いて奴隷に入れ上げているなんてなったら、大スキャンダルだ。それも侯爵の媒酌を得ておいてとなると、とんどもない失態である。

 貴族が性的な目的で女奴隷を囲うのはよくあることだが、それが見過ごされるには家系図に奴隷の子が入る余地が無い場合に限る。他に跡目がいない状況で、まかり間違って奴隷に子どもなんて産ませてしまったら大変だ。血統を重んじる貴族の家に、人間扱いすらされていない卑賤の血が紛れ込んでしまう。そうなると家門の箔や名声といったブランド価値は大暴落だ。

 だから奴隷を妾に囲うというのは、万が一子どもが出来ても認知を、少なくとも相続されることを避けられる状況が要る。ドルドラン辺境伯のように、既に正嫡の子がいる状況で初めて出来ることなのだ。

 昨年にシモーヌさんと初めて会った時、ユニの扱いについてお説教を受けたのも、このことに起因する。嫁ぐ先の義弟がそんなスキャンダルの種になりかねない行為をしていたとなると、そりゃ花嫁の方は平静でいられまい。まあ、それは誤解だったのだけれども。

 だから妻が懐妊してさえいない現状で奴隷を愛人にするだなんてありえない。貴族であること、それも名誉ある堂々たる貴族を目標にする兄にとって、絶対にしてはいけないことなのだから。

 しかし、


「まさしく、その通りですよチーフメイド。いやあ、やはり貴女は賢い方だ」


「……えっ?」


 ルベールは、信じられないことを口にした。

 合ってる? ユニの答えが? 兄上が、奴隷に手を付けたって?

 そんな馬鹿な。僕が人体実験で奴隷を殺し過ぎることに苦言を呈して、奴隷の扱いに慎重になっている、あの兄だ。最近では不始末を仕出かした奴隷を無礼討ちすることすら自粛しているって聞いているのに。

 ……嘘だろ?


「王都の酒場で、我らの手の者が本家の家僕と接触しましてね。その筋から得た情報です」


「成程。家の中で囲われていれば、確かに御老体の目も届きにくいでしょう。よく聞き出せましたね?」


「何でも隙を見て酒杯にちょっと、ね。洗脳の魔香は解除されるとコトですから、自白剤を用いました」


 困惑する僕を余所に、ユニとルベールは情報の裏取りについて話し合う。

 マジで? あの奴隷嫌いの兄が、よりによって奴隷の女と?

 ……どうなっているんだ、一体。

 

活動報告にも書きましたが、週1~2回更新で一章→執筆期間→再開→週1~2回で(ry)、というサイクルになります。

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