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051 スカーレットズ・リサーチ<5>

 

「≪術式展開――虚数空間格納庫、接続。武装召喚、候補選択、主力兵装――≫」


 全身から迸る莫大量の魔力。口ずさまれる理解不能の言語。

 以上の要素から、冒険者パーティ『緋色の大盾』のメンバーは、フェムと名乗った敵の初手を魔法によるものだと推測した。

 よって、こちらの対応はまずは防御。パーティの壁たるセドリックが受け止め、後の先を取ってジラールが攻め、ゴーチェが追撃を掛ける。ニノンは魔法を攻防回復、どれでも即時に行使できるよう準備。場合によっては、ジラールとゴーチェの行動順は逆になるだろう。そう事が進むだろうと、四人全員が一瞬に判断した。

 それは決して完全な間違いではない。確かに彼女の行使する手段は、魔法的な論理を以って起動し、魔力を糧に稼動し、魔術的な効果を発動する。

 だが、その結果現れた物は、彼らの抱いている常識を数百年単位で飛び越える代物だった。




「≪――ガトリング・キャノン≫っ!」




 何も無いはずの虚空に、鉄塊が浮かび上がるように出現する。否、その物体を構成する材質は鉄などという生易しいものではない。しかしそれは、ジラールたちの目には鉄塊としか映りようが無い、正に無骨な金属の塊だった。


「何だそれはァ!?」


 この中で真っ先にその効果を受けるだろうセドリックが、仰天して叫ぶ。

 蓮根を彷彿とさせる等間隔に穴の開いた先端。そこへ繋がる、無骨な太い筒。筒の根元でそれを支持する基部へ、フェムは肘まで右腕を挿入することで保持する。その基部の途上にあるスリットには、蛇腹めいた起伏を備えるベルトが合流し、接続されていた。

 理解不能、意味不明。そんな言葉を形にしたような武装だった。重量はあろう。何しろ長大な金属塊だ。振り回してぶん殴れば、大概の相手は一撃で潰されるのが目に見えている。だがその形状は鈍器として見るにはあまりにも歪つだった。

 勿論、彼女はそれを鈍器として使うつもりは無い。

 当然、彼女はそれを銃器として使うつもりだった――そんな武器の概念は、今この瞬間までこの大陸、この世界の人間の頭には存在しなかったのだが。


「それではお召し上がりくださいませ、と、馳走致しマス。……ファイアっ!」


 掛け声とともに、ハンドル部に仕込まれたトリガーが手甲に覆われた指で引かれる。

 直後、未知にして未踏の科学技術に基づくはずの兵装が、魔導を代替の原理として作動した。

 ヴリル・ジェネレーターより供給される魔力が機構の回転を生じ、弾帯を内部に巻き込む。弾薬はシリンダー内に供給されると共に、内部魔力に反応して爆発的に燃焼。ガス圧を急上昇させて弾頭を押し出し――いいや、無駄でくだくだしい描写は省こう。

 起こった事象を簡潔に記述すれば、下記の通りになる。

 鋼鉄の魔獣が唸り、熱鉄のブレスを吐き出した。


「うおおをををおおおぉぉぉっっっ!?」


 構えた竜鱗盾越しに伝わる連続した衝撃に、セドリックは吼えた。吼えて踏ん張り、気合を込めて生命力を供給せねばならない。でなくば、竜の鱗の強度を再現した大盾とて、一瞬の内に用を為さなくなる。そんな予感に従って、懸命に耐えた。

 その予感は正しかった。セドリックの身体はこうして防御に徹していてさえ、豪雨のように盾を叩き続ける攻撃に、じりじりと後ろへ押し戻されているのだから。

 だが、いつまでも耐え凌ぎ続ける訳にはいかない。この盾の超防御力は所持者の生命を啜り取ることで成り立っている。この状況が三分も続けば、セドリックは敵の攻撃ではなく自身の盾に殺されることになるだろう。

 彼の仲間は、それを座視などし得なかった。


「させるかっ!」


「面妖な武器だが、これ以上は使わせないぜ!」


「≪主よ、御身に伏して希い奉る――≫!」


 ジラールとゴーチェが盾役の背から左右に飛び出して反撃に向かい、ニノンが回復の聖句を唱える。セドリックが防御を引き受けるのならば、残る男二人が攻撃を担う。その間にニノンが神聖魔法を使うだけの体勢を整え、状況に応じて仲間を癒す。

 かつて西方で数多の魔物を落とし、ドラゴンさえも遂には膝を折った必勝戦法。

 それを前にしたフェムは、


「≪武装召喚、候補選択、副次兵装――≫」


 自身も、冷静に新たな戦術を選択した。


「≪――ハンド・キャノン≫。……ファイア!」


 先程と同じように何も無い空間から武器を手にし、だが先程とは違って抜き打ちのように即座に使用する。

 ガトリング・キャノンの唸りを押して、新たな轟音が響き渡る。

 ゴーチェの目には、まるでフェムの左手が爆発したように見えた。

 同時に衝撃。


「ぐはっ……!?」


 何かに胸を強く叩かれた彼は、空中で不自然に後ろへと吹き飛ぶ。その軌跡に何か煌めく物がパラパラと舞った。それはゴーチェが装備していた胸甲、その成れの果てだ。フェムが召喚した新たな武装によって、一撃の下に破壊されたのである。

 彼女の左手には、分厚い鉄板を無理矢理に短筒の形へ成型したような物体が握られ、先端の丸い穴から煙を吹いていた。それがゴーチェを撃った凶器に相違無い。


「はぁああああアアアアアっっっ!!」


 背後に吹き飛んだ仲間を文字通り後目に、ジラールが咆哮と共にフェムに肉薄する。今この瞬間だけは、吹っ飛ばされたゴーチェの安否は忘れている。心配などしている暇は無い。まずはこの敵の打倒が最優先。仮に仲間が助かっていたとしても、敵手に追撃の自由を与えては、その僥倖も無に帰するのだから。


「≪――いと畏きは主の御稜威。其を以って邪なる者を戒めん。スティグマータ≫っ!」


 更には詠唱を終えたニノンの神聖魔法による拘束も飛んでくる。一瞬でもいい。動きさえ止められれば、ジラールがそこを討つ。一流の戦士との戦いにおいては、余りにも致命的な間隙。それを生み出そうと、磔刑の聖痕がフェムの四肢に穿たれ、


「甘いデス」


 何の効果も表わさず、光の粒子と化して四散した。


「うっ、嘘っ!?」


 魔性を帯びた存在に対して高い拘束力を発揮するはずの魔法が、まるで紙の手錠のように功を奏さず。そんな事態に、ニノンが驚愕の声を上げる。確かにこのフェムと名乗った守護者の種族は不明だが、その口ぶりから人間では無かろう。魔物、魔族の類ならば神聖魔法は通るはずである。よしんば、人間種や亜人種だとしても、一瞬の遅滞も無しにレジストするなど有り得ない。

 その正体不明の存在は、セドリックに向けていた鉄の怪物を、接近する相手へと向け直す。引き鉄は押し込んだままで、つまり銃撃を絶やさないままでだ。弾幕が連なってうねり、蛇がのたうつような軌道を描いてジラールへと殺到する。

 超一級の礼装でもある竜鱗盾で身を守るセドリックに対し、ジラールの防具は鎧のみ。これとて望み得る最高品質の装備であるが、死したドラゴンより作り上げた珠玉の逸品には見劣りした。ましてや鉄風雷火の四字を具現化した暴威に抗するには、あまりにも不足。

 だが、である。

 もしもジラールが、頼れる重戦士と同じく、竜より手に入れた防具で身を守ることが出来たとしたら?


「甘いのは――」


「!?」


「――貴様だっ!」


 両腕の痺れに抗うように、ジラールは叫んだ。

 そう、腕の痺れだ。防御に使っている為に、痺れている。彼にもフェムの繰り出す摩訶不思議な攻撃を防ぐ手段はあるのだ。最初からその手に持っていた――竜の牙より鍛えた利刀が。

 本来は武器である竜牙剣。その刃を寝かせて刀身の腹を向けることで、即席の盾として運用する。当たり前だが、生命力を喰わせて硬度を強化した上でだ。牙も鱗も、同じ竜という規格外の生命の一部。ならばそれより鍛えたこの剣が、強度に置いて鱗の盾に劣る筈は無い。

 それでも所詮、武器は武器。防具の代わりにはならない。結局は一時凌ぎだが……その一時があれば十分足りる。最初からドンと構えて攻撃を受け止める姿勢だったセドリックと違い、ジラールは地を駆け疾走している。その勢いのままにフェムに吶喊し、一太刀浴びせればそれで良い。それまで保てば、問題無いのである。


「非常識な、手ヲっ!」


 自分を棚に上げた発言を漏らしつつ、フェムは金色の瞳に微かな揺らぎを見せる。

 実際、ジラールの取った手は非常識も非常識だ。どこの誰が、唸りを上げる機関砲を相手に、剣の腹を盾にして肉弾突撃を敢行出来るものか。射線が刀身からほんの数センチずれるだけで防御は失敗し、雨に打たれる薄紙のように身体を引き裂かれてしまう。いや、そもそもの話、どれだけ剣が堅かろうが、着弾の衝撃に持ち手が耐えられる訳が無い。一撃でも受ければ剣を取り落とすのが道理というものだろう。

 その道理を覆し、不条理を為すからこそAランク冒険者、そして竜殺しの殊勲者か。果たして、どれほど卓越した戦闘への才覚が為せる業だろう、ジラールは全くの初見である銃器という武装の特徴を直感的に把握していた。


(理解した。奴の武器はあの火を吹く口のような穴――その真っ直ぐ延長線上にしか攻撃を飛ばせない!)


 弾丸は銃口から直線的な弾道を描いて飛び出す。その事実への洞察が、この奇跡の防御法を成立させていた。こちらに向けられた銃口の射線上に障害物を配置すれば、その後背は安全となる。何も不条理ではない、それが道理だと。非常識な宣言を言葉ではなく行動を以って放言していた。

 だが、


(ですが、我が方の銃口は一つではありまセン……!)


 フェムもまた無言で彼の回答に否と唱える。ゴーチェを撃ち落としたハンド・キャノン――大口径拳銃をジラールの方へ向けようとする。ガトリングを最初に向けたのは、左右から接近された為に近い方を動かしたまでのこと。それを凌ぐというのなら、もう一丁の方もくれてやるまでだ。


(――くっ!?)


 生死の掛かった一瞬、ジラールは停滞した世界を見た。アドレナリンの作用で脳が活性化し、長く引き伸ばされた時間の中、フェムの左手がガトリングを携えた右腕の上を跨ぐように交差しようとする。あれが完全にこちらを照準した時が、自分の最期だと直感した。

 ガトリング・キャノンは依然として剣を盾にする彼を打ち据えようと連射を続けている。ハンド・キャノンは確実に彼を捉えようとしている。彼の身体は、相も変わらず彼女に向けて走り寄ろうとしている。

 粘り気のある泥が流れるような、長い長い一瞬。

 それを打ち破ったのは、彼でも彼女でもなかった。


「……どっっっせぇええええええええいっっっ!!」


 怒号と共に、旋回する手斧がフェムへと飛来する。

 最初にガトリングでの滅多打ちに遭っていたセドリックだ。攻撃の対象が他の二人に移った後、この男も遊んでいた訳ではない。味方を助ける為、敵に確実な痛打を与えられる瞬間を見計らっていたまでのこと。そして、それはフェムが両腕の火器を同時にジラールへと向けようとしていた今を置いて他に無かった。

 迫る凶器を前に、武装した怪物は攻撃を中止する。


「回避――いえ、迎撃しマス!」


 一瞬にも満たない間だが、フェムは僅かに逡巡した末に対空迎撃を選択。左手の火器が再照準され、人差し指がトリガーを引いた。

 轟音と共に、飛来した手斧がハンド・キャノンの弾頭に叩き落とされる。

 同時、相手の硬直を逃さずにジラールはガトリングの射線から逃れつつも、捻り込むようにして接近。フェムを間合いに捉えた。


「っ!」


 敵を指呼の距離に収め、得物を返して逆手に持つ。

 ジラールが取ったのは、踏み込みの勢いのまま体を沈めて姿勢を低くし、顎を地に着けるほどに四肢を畳んで、全身のバネを溜める異形の構え。

 伏虎。剣術家たちの間でそう呼び習わされる、全身をバネの如く撓めて逆手斬り上げに全力を注ぐ為の予備動作だ。

 だが西方の地において、その構えはまた別の名を持っていた。

 人呼んで、獅子断鱗。

 かつて【赤獅子】が悪竜にトドメを見舞った、必殺の剣の予兆であると。


「もら……ったああああっ!!」


 転瞬、放たれたのは落ちた雷が天に返る光景を想起させる、逆撃の一太刀。

 命を吸い取る竜の牙に、魂すら与えるつもりで力を注ぎ込んでの一撃だ。刀身が放つ光は燐光を超えて極光に至り、剣閃の軌跡ははさながら火竜の吐息である。

 柄越しに伝わる手応えは……ミスリル・ゴーレムを斬った時と同じ、金属を断ち割った感触だけだった。

 手にした武器に力を吸われた脱力感。それと技を放った慣性とに地面へ倒れ伏しながら、ジラールは奥歯が砕けるほどに歯噛みする。


(……抜かった。浅いっ!)


 斬ったのは、あくまでも武器だけだ。

 それを証明するように、フェムは健在。右手を離して、半ばから真っ二つにされたガトリングを放棄。それが床に落ちて音を立てるより早く、次の攻撃に移ろうとしていた。左の拳銃を冷徹に今度こそはとサイティングしようとする。


「……ひょおぉおおおおぉっ!!」


 しかし、今度も阻まれた。

 横合いから猿か怪鳥かという奇怪な叫びを上げつつ、両手に短刀を構えたゴーチェがフェムへと襲い掛かる。

 彼の二つ名は【舞い猩々】。すなわち踊る大猿。雄叫びを思わせる爆発呼吸と共に、舞い踊るような体捌きで二刀を操ることに由来する。野伏という探索役の常識を覆す、超攻撃的なスタイルの冒険者なのだ。

 一方、それは両刃の刃でもある。肺の中の酸素を燃やし尽くす呼吸法に加えて、武器である双竜爪への生命力供給まで担わなければならない。決まればそれこそ一息の内に敵を鱠に出来るが、その分、身体に掛かる負担は尋常ではなかった。

 しかも今のゴーチェは先の一撃を受けて手負いなのである。当然ながら万全の時に比べ、その動きは鈍り精彩を欠く。遠からず力尽き、反撃に出たフェムに仕留められると見えた。


「≪――ワイドヒール≫っ!」


 それを覆したのは、後方のニノンが放った回復魔法だ。失った生命力を賦活し、傷を癒し、【舞い猩々】は異名の所以たる機敏さを取り戻す。

 のみならず、広域に放射された癒しの波動は、ジラールとセドリックにも効果を及ぼした。全力の一撃を見舞って地に伏していた【赤獅子】が、連撃を耐え抜いて息を荒げていた【紅蓮の壁】が、共に気力を取り戻して戦列へと舞い戻る。


「……ふふっ」


 嵐のように襲い掛かるゴーチェの二刀流から身を躱し、踊るような回避に興じながら、フェムは笑う。竜の爪そのものの二刀に身を晒しながら、迫り来る剣士と重戦士の気配を感じながら、それらを纏めて支える神官の姿を目に入れながら、尚も笑っている。

 その表情は若い女の顔に相応しく、それでいて血戦の様相を呈する現状には、致命的なまでにそぐわない、嬉しそうに綻んだ口元。その口で彼女は次の武装を喚んだ。


「≪武装召喚、候補選択、擲弾兵装――≫」


「! また何か来ますっ!」


 後方より戦闘の推移を見守っていたニノンが、警戒の念を呼び掛ける。

 だが遅い。最早、無傷では済まされない。

 ゴーチェは相手に発砲すら許さない至近で攻撃を加えているし、他の二人も急に止まるには勢いが付き過ぎていた。


「≪――パイナップル・グレネード≫!」


 現れた武器は、一見すると果実の類に似ていた。しかし、ずっしりとした質感は紛れもなく金属のそれであり、見る者に与える印象は、鉄の獣めいたガトリングや火を噴く口じみた拳銃と同列のものだ。

 それが三個。前例に倣い、何も無い虚空から唐突に生じる。

 フェムはそれらを手に取ることさえしない。呼び出して何もせずに転がすだけだ。ただ果物のヘタにあたる部分がひとりでに動き、そこからピンのようなものが吐き出される。そのまま、異形の果実は床へと落ちて、


「伏せろォ!」


 爆発。

 剣呑な破片をばら撒きながら、赤黒い爆炎が周囲を舐め尽す。渦巻く破壊が、ジラールを、セドリックを、ゴーチェを、そしてフェム自身をも巻き込んで飲み込んだ。


「じ、自爆……!?」


 非常識極まりない戦法に、ニノンが一瞬仲間への心配も忘れるほどの衝撃を受ける。何しろ、守るべき神殿どころか自分自身さえ省みない暴挙なのだ。あまりにも無茶苦茶である。

 だが、彼女には驚愕に震え続けることも、我に返って仲間を省みることも許されなかった。

 ――銃声。


「きゃあっ!?」


 腹の上で象が足踏みをしたような衝撃。爆煙に風穴を開けて飛来した拳銃弾が、神官の腹を撃ったのだ。そうして、カツカツと足音を立てながら、煙を風切ってフェムが現れる。左手には硝煙をたなびかせる大型拳銃。爆炎で視界が遮られた中、正確にニノンを照準して射撃したのだ。何ということだろう、その姿には微かな煤け以外に何の変化も無い。全くの無傷だった。


「う、ぐ……」


 嘔吐感に青褪め、口の端から黒い血を零しながらも、ニノンは立ち上がる。彼女の装備もまた竜の死骸から生み出された礼装・竜髭衣。拳銃弾の直撃程度では貫通どころか、解れさえ生じない。とはいえ、それはあくまで装備の無事に限ってのこと。しなやかな素材が大方の衝撃を分散吸収するといえど、その下の人体を完全には守り切れない。殺し切れなかった運動エネルギーが彼女の体内を掻き乱し、幾つかの臓器に損傷を与えていた。黒ずんだ吐血は、その所産である。

 常人ならば、確実に行動不能。だが、ニノンもまたAランク冒険者であり、『緋色の大盾』の一角だ。今更内臓が傷ついた程度で、戦闘を止めたりはしない。撃たれた腹に掌を当て、癒しの波動を流し込む。


「ひ、≪ヒール≫……」


 緑色の燐光が収まる頃には、体内から突き上げるような疝痛も吐き気も、嘘のように消えていた。だが、ニノンの顔に浮かぶ脂汗は一向に引かない。それはとりもなおさず、目の前に立つ美しい女の姿をした怪物の、威圧感ゆえだ。

 総身から垂れ流される莫大な魔力。繰り出される不可思議な攻撃の火力。自爆同然の戦法を経ても傷一つ付かない堅牢さ。どれをとっても、Aランク冒険者たちを圧倒している。ともすれば、かつて戦ったドラゴンすら凌駕しかねない、暴威の化身だ。

 人知れぬ山奥の遺跡に、まさかこんな化け物が眠っていたとは。既に事態は、Aランクパーティで対処できる規模を超えている。各国の最高位冒険者が手を組まねば、対抗すら覚束ないのではないか。そんな危惧さえ頭を過る。


「素晴らしい、と、賞賛を口にしマス。……これだけの攻撃を加えてもなお、全員生存しているトハ」


 言って、フェムは煙の晴れた周囲を見渡す。

 囚われになり拷問を受け、今は放置されていた『黎明の使徒』の生き残りは、いつの間にか流れ弾を喰らい息を引き取っていた。切り取り線を無視して千切られた紙のように、穴だらけの身体が四散している。ガトリング・キャノンの掃射を受ければ普通はこうなるのだ。耐えて反撃してきた『緋色の大盾』こそ異常である。

 異常。そう『緋色の大盾』は、やはり尋常ならざる冒険者たちだった。フェムの召喚した手榴弾の爆発。それに巻き込まれても、前衛の三人は生きていた。あちこちを黒焦げにし、体中に火傷と裂傷を刻まれながらも、呼吸と鼓動とを保っていた。


「ぐ、ぬ……」


「あ、危なかった……」


「あ、ああ。ジラールが咄嗟に指示してくれなきゃ、今のでお陀仏だったぜ……」


 のみならず、悪態を吐きながらも四肢に力を込めて立ち上がってくる。フェムが化け物なら彼らもまた同様。冒険者とは、言うなれば怪物を殺す怪物だ。そしてAランクとはその極北に位置している。常人なら十回は死んでいる攻撃を受けながら立ち上がろうと、それは何ら驚くに値しない。

 寧ろ、驚嘆すべきは最適な防御行動を見抜き、咄嗟に実行に移せた戦闘のセンスだ。ゴーチェが漏らした通り、彼らはジラールが叫んだ「伏せろ」という指図に従っていた。剣と魔法の支配するイトゥセラ大陸にあって、手榴弾などという未知なる科学技術の所産に対し、その場における最適解の対処法を引き当てる。これこそ異常というべきものだろう。

 勿論、何ら根拠も無い神託めいた直感では断じてない。フェムの今までの攻撃は、高速かつ直線的に点を穿つ物が全てであった。だが、三人に詰め寄られて放った攻撃は、今までになく悠長である。ならばそれは、爆発などを齎す面での攻撃ではないか。であるなら姿勢を低くし地に伏せて、爆風などを受ける面積を最小限にすべき――そんな理屈を、無意識の裡に弾き出していたのだ。

 苦しい答えを正解だと感じ取る嗅覚と、迷わずその答えに身を委ねられる胆力、そしてリーダーが下したその選択を信じられる信頼。それらがあって、初めて男たちは生存を可能にした。これこそ正に、賞賛されてしかるべき戦士たちの姿だろう。

 ボロボロの身体を引き摺って立ち上がる男たちと、彼らを癒す為に再び詠唱に入った女を目にし、フェムは更に笑う。


「嬉しいデス。楽しいデス。これがタタカイ、これがトウソウ。これが、これが……任務を果たせるというヨロコビ! 嗚呼、ミンナはこんな気持ちを、いつも感じていたのでスカ!」


 うっとりと眼を細め、恋人を迎えるように両手を広げながら、彼女は全身で歓喜を表していた。

 それを後目に、『緋色の大盾』は着々と戦闘再開の準備を整えていく。


「どうすればいい? アイツ、とんでもない化け物だぞ」


「回復し次第、もう一度全力で叩き斬るしかあるまいが……」


「どうやって攻撃を当てるか、ですね……」


「なあ、一つ考えがあるんだが――」


 ゴーチェはそう言って、抜け目無い眼光をフェムの背後に向ける。

 夜の遺跡に煌々と明かりを放つ、広間の中央のクリスタルを。


「――さっきセドリックが斧を投げた時、アイツ、一瞬動きを止めてから撃ち落としたよな? まるで避けられるはずなのに、避けるのを躊躇したみたいに」


「避けるのを、躊躇した?」


 言われて想起するのは先程の攻防の一幕だ。セドリックが不意を突いて斧を投じた際、フェムは確かに判断を逡巡した。避けられなかった訳は無い。彼女の素早さは、ゴーチェの連続斬りを躱し続けられるほどである。幾ら勢いがあったとはいえ、投擲武器を避けるくらいは出来た筈だ。

 それをしなかったということは、選択出来なかっただけの理由がある。例えば……避けたら、背後にある傷つけてはいけない物に、攻撃が当たってしまう、とか。


「あの、巨大なクリスタルか」


「ここのガーディアン、ってのが奴さんの肩書だろう? だとしたら、アレを守ろうとしているってのは、妥当な考えだと思うんだが」


「その割には、飛び道具を乱射したり爆発を起こしたり、好き勝手やってる気もするんですけど……」


「ぬう……だが、この戦闘の最中、あの水晶には一度たりとも傷を付けていない。攻撃の正確さに自信があれば、派手な手を使うというのも肯けはしないか?」


 セドリックが、床に描かれた放射状の黒い煤を顎で示す。例の手榴弾の爆発の跡だ。下手をすれば背後のクリスタルを巻き込みかねない攻撃だったが、爆発跡からクリスタルまでには十分な距離がある。どころか、痕跡に残る歪みから、フェムは自分の身体で余波が及ぶのを防いだ節も見受けられた。

 ゴーチェの推論の確度は高い、ように思う。

 ジラールも肯いた。


「物は試しだ。やってみよう」


「い、いいんですか、それで?」


「どの道、手詰まりな感がある。可能性があるならば、全て試すべきだ」


 言い捨てて、構えを取る。

 まずは相手の攻撃を凌ぎつつ、広間の中央に座するクリスタルを目指す。アレが怪物の守るべき対象であれば、流れ弾を意識して動きも鈍ろう。そこにつけ込んで斬り伏せる。

 卑怯にも思える策だが、生死の掛かった戦いだ。そこに綺麗汚い好き嫌いを持ち込むほど、彼らは甘くない。どんな手だろうと、勝って生き残る為に用いねば――

 と、思い定めたところで、


「……ふむ、そう来ますか、と、述懐を漏らしマス」


 フェムは小さく肯き、


「確かに、護衛対象を傷つけられるのは困りまスネ」


 左手に残った武器から手を離すと、


「故に、ルーチンを変更いたしまショウ」


 手品のように、それを何処かへと消し去った。


「何?」


 その行動の不可解さに、『緋色の大盾』の一同は眉を顰めた。ゴーチェの胸甲を破壊し、ニノンの腹に痛打を見舞った武器を、どうして敢えて手放すのか。しかも、追加で新たな武装を呼ぼうともしない。これまで飛び道具で戦っていたのだ。まさか徒手空拳で戦うつもりではあるまい――


「火器運用試験フェイズを終了。続けて、白兵戦技試験フェイズに移行することを宣言しマス」


 ――あるまい、と思っていた。

 予断を嘲笑うかのように、フェムは手甲に包まれた拳を握り込み、微かに膝を曲げて腰を落として、新たに構えを取る。

 格闘の、構えを。

 確かに素手での殴り合いならば、奥のクリスタルを傷つけるような恐れは無いだろう。だが、これまで射撃戦でこちらを圧倒していたにもかかわらず、躊躇い無くその有利を捨てられるものだろうか。だとすれば、自ずとその理由も窺い知れる。

 近接戦闘に置いても、この四人を倒せるのだという自信があるのだ。


「≪――ワイドヒール≫っ!」


 そうこうする間に、ニノンが詠唱を終えて再び広域治癒を放っていた。ジラールたちが負った傷や体力の消耗が、急激に回復されていく。

 フェムはそれを黙って見届けている。


「……やるしかねえ! 行くぜっ!」


 ゴーチェが腹を決めて、果敢に飛び出した。たとえ相手が白兵に自信があろうと、それならそれで立ち回りようは幾らでもある。まずはあのクリスタルに接近せねば、と走り出した。

 フェムはそれを黙って待ち構えている。


「こいつは手放せんか……南無三っ!」


 最後に残った得物、分厚い山刀を握り締めてセドリックも続く。もう一度武器を投擲して避けられるかどうか試してみたくもあるが、流石に全ての武器を放るわけにはいかなかった。

 フェムはそれを黙って見送っている。


「……今度こそ、斬る」


 最後にジラールが、竜牙剣にありったけの力を込め、吶喊した。選択した攻撃方法は刺突。突撃の勢いのままに突き殺す。回避すればそのまま背後のクリスタルにぶち当たるつもりで、走った。

 フェムはそれを黙って――迎え撃つ。







 さて唐突だが、ここで一つおさらいをしよう。

 優れた冒険者の条件とは何だったか。果たして、それに対してジラール・レスアンという男はどれ程合致しているか。それを検証しようと思う。

 まず、実力を備えていること。これについては文句はあるまい。かつてはドラゴンを殺し、この冒険ではマンティコアやミスリル・ゴーレムすら一太刀に仕留める剣士が、実力を備えていない訳は無いのだから。

 次に、狂気。この点でも問題無い。機関砲を相手に剣一本で肉薄し、斬り伏せようとする戦法。一瞬の気付きに己と味方の命を預けることのできる感性。いずれにしろそれは、真っ当な神経からは生まれない。彼も立派に狂っている。

 最後に、運。これに関しては流石に異論が出てくるだろうが、それでも敢えて言い切ろう。

 ジラール・レスアンは幸運だった。紛れも無く、運の良い男であった。

 それを証明する光景が、これだ。


「………………………えっ?」


 『緋色の大盾』の誰かが、そんな間の抜けた声を漏らした。

 声の主はセドリックかもしれないしゴーチェかもしれない。ニノンということもあり得る。誰のものにせよ、戦闘中の冒険者が上げるとは思えない無様な声だった。

 そんなものを上げずに済んだジラールは、本当に運が良い。

 続けて、水の溜まった革袋をぶつけたような音を立てて、何かが石壁に激突する。

 そして、ザリザリと床を擦過するフェムの足。

 最後に、カランと軽い音を立てて、折れた牙のようなものが床に落ちた。


「じらー、る……さん?」


 ニノンが、自分たちのリーダーの姿を求めて、きょろきょろと視線を彷徨わせる。かつてない強敵との戦いの最中、相手から視線を外すなど論外の極みだ。だとしても、彼女はそうせざるを得なかった。パーティのリーダーが、戦闘中にどこかに行って行方知れずなど、到底捨て置ける問題ではないのだから。

 果たして、彼女は頼れるリーダーの姿を苦心の末に見つけた。

 下半身だけを残して、広間の壁に張り付いた格好を。馬車に轢かれた蛙のような、変わり果てた姿を。


「え? ……え?」


 一瞬、神殿最奥の広間を沈黙が支配する。相手に飛び掛かっていたセドリックとゴーチェは、空中で動きを止めてそのまま着地する。フェムは身体の各所から蒸気を吹き上げながら、硬直した冒険者たちを見渡していた。

 響くのはニノンが上げる戸惑ったような声だけだった。

 フェムが振り切っていた右拳を軽く掲げる。


「深さ二ミリ程度の亀裂を確認、と、記録しマス。流石に無傷でとはいきませんでしタカ」


 手甲に刻まれた、余りにも小さな傷。

 それだけがジラールの残したものだと、怪物は言う。


「馬、鹿な……!」


 今の攻防で何が起きたかを理解し、セドリックが慄きの声を漏らす。

 『緋色の大盾』で攻撃を担当する三人が斬り掛かった。フェムはその中から、ジラールを反撃の対象に選んだ。そして、フェムは彼に向けて拳を振るった。

 ただそれだけのことで、ジラールは死んだ。

 拳とぶつかり合った竜牙剣は折られ、身体は半分が消し飛び、残った半分は壁に叩き付けられた。即死である。これで生きていられるようなら、それこそ人間ではない。

 重戦士は絶望に呻く。野伏はその瞳に憎悪を浮かべる。女神官は現実を受け入れかねて視線を彷徨わせている。

 もう一度言おう、ジラール・レスアンは幸福な男だった。

 彼は仲間を失う悲しみを知らずに済んだ。――自分が最初に死んだのだから。

 彼は人生の絶頂に至り、そこから没落しなかった。――強敵との戦いの最中という、戦士としての本懐の裡に没したのだから。

 彼は苦しみも後悔も感じていなかった。――感じる暇など、与えられなかったのだから。

 この山を樹海で飲み込み、神殿で蓋をした悪魔。それに関わった者の末路の中では、彼の死に様は幸せな部類に入るのだ。


「……オート・リペア、正常稼働。リカバリ、完了」


 そして彼の残した傷も、数秒後には跡形も無く消える。それが【赤獅子】の二つ名で呼ばれ、竜殺しの勲で知られた男の、魂を賭して放った、人生最期の一撃――その結果だった。

 こんな光景を見ずに済んだことも、彼の幸運の一つであろう。


「うわぁああああああああああぁぁぁぁぁぁっっっ!!」


 絶叫。同時に飛び掛かる影。

 燐光を帯びた双刀を握る野伏だ。ゴーチェは今、激昂していた。普段の冷静さをかなぐり捨て、我武者羅に二刀を振るって敵へと叩きつける。叫びも、例の爆発呼吸が為せる業ではない。単なる長く尾を引く怒声だ。パーティの斥候役として沈着たるべき野伏が、それを捨てて殺意と憎悪に身を任せている。

 フェムは黙って彼の方を向くと、何を思ってか両手を大きく広げた。


「てめぇえええええええっ!! よくもジラールををををぉおおおおおおおおっっっ!!!」


 奇妙な対応を訝る思考さえ、既にゴーチェには無い。無防備な様を曝け出すというなら、そこを鱠切りにしてやるだけだ。

 死ね。死ね。死ね。死ね。死ね!

 ただそれだけを思って、彼は手にした双竜爪を叩き付け続ける。


「俺たちの、俺たちのリーダーを! 希望を! てめえなんかにぃいいいいいいいっっっ!!」


 一撃入れるごとに恨み言を重ねながら、ゴーチェは滂沱の涙を流していた。普段は斜に構えている彼だが、実際は誰よりもリーダーのことを慕っていた。駆け出しの頃、戦闘では役に立たない己を悔やむ彼に、稽古の相手を買って出てくれたのもジラールだった。盗賊くずれの彼に信を寄せ、パーティの一員として認めてくれた嬉しさは忘れられない。方針を巡って意見を違えた時も、互いに納得がいくまで語り合ったものだ。そうして時にはぶつかり合いながら、それでも信頼し合いながら、英雄と呼ばれる位階まで到達したのである。そんな、掛け替えの無い男を、こいつは――


「……攻撃精度の低下を確認、と、忠告しマス」


 ――ガチンと、唐突に二振りの短刀が受け止められた。フェムの両手は、包み込むようにゴーチェの獲物を掴み取り、攻撃を止めている。


「如何されたのですか? と、お尋ねしマス。これでは先程の方が、余程有意義な戦闘データを採取出来まシタ。やり直しを、要求しマス」


 そう言う怪物の顔にも身体にも、僅かたりとも傷は見受けられない。如何にゴーチェの攻撃が普段の精緻さを失っているとしても、得物は生命力で賦活された竜の爪だ。なのに切り傷一つ負わないとは、どれほどの頑丈さなのか。


「……うああああああっ! あああああああっ! あああああああああああっ!!」


 武器を押さえ込まれたゴーチェは、何とそのまま頭突きを見舞い始める。切っても刺しても傷が付かなかったというのに、頭突きごときでダメージを与えられる筈が無い。最早見境を失って、相手を攻撃することにしか意識が向いていないのだ。

 そんな狂態に、フェムは溜息を洩らす。彼女の顔も体勢も、何度となく頭突きを喰らいながら小揺るぎすらしない。


「これでは駄目ですね、と、諦観しマス」


「いかん! ゴーチェ、離れろォ!」


 セドリックの忠告も一手遅い。いや、早く言ったところで聞き入れられたかどうか。

 額から血を流しながらもヘッドバッドを繰り出し続けるゴーチェは、


「……フンっ!」


 フェムがお返しとばかりに繰り出した頭突きで、首から上を消し飛ばされた。

 ゴーチェの首無し死体は、衝撃のままに仰向けで倒れる。流れ出る血は、脳漿や肉片と共に全て床にぶち撒けられた。彼はリーダーの仇を取るどころか、相手に返り血すら浴びせることも出来ず死んだのである。


「ご、ゴーチェさん……嘘、じゃあ、ジラールさんも……?」


 改めて仲間の最期を見せつけられたニノンが、ようやく自失から覚めた。だが、それは事態の好転を意味する訳ではない。既にパーティは半減し、火力を担っていた二人が脱落している。盾であるセドリックと回復役のニノン。この二人では、竜の爪牙を以ってしても傷つかず、神聖魔法すら通らない怪物へと、有効打を与える手段は無い。

 事実上、詰みとしか言いようが無い状況で、重戦士は決断を下す。


「逃げろ、ニノン。ここは俺が食い止める」


「せ、セドリック、さん?」


 盾を構え、ただ一人残った仲間を背中に庇い、敵の前に立ち塞がる。益荒男たる者斯くあるべし。そう言いたくなる、見事な姿だった。

 だが無邪気に称賛を送るには、余りにも状況が悪過ぎる。たとえニノンを逃したとしても、遺跡の内部には警備のゴーレムが無数に徘徊しているのだ。あれは融通が利かないが、その分、樹海のモンスターよりも機械的な感知能力に優れている。冒険者たちが敵をくらます為の道具は、往々にして生物的な魔物に対するためのもの。出会う機会に乏しい分、ゴーレムに搭載された索敵機能に対する備えは薄い。Aランクとはいえ神官一人で切り抜けるには、分が悪い敵と言えよう。

 それでも、ここで立ち止まっていては確実に全滅する。ならば少しでも可能性のある方へ賭けよう。たとえその為に自分の命を捨てたとしても――それがセドリックの思案だった。


「素晴らしい献身性です、と、賛辞を送らせていただきマス」


「皮肉か、化け物め」


「いいえ、本当に素晴らしい、と、愚考しマス。最善を尽くし、その為には自らを犠牲にすることも躊躇わナイ。ワタシとしても斯くありたいと思っている、美しい姿勢デス」


 そう言う怪物の表情は、ゾッとするほど優しげだった。まるで転んで怪我をした子供がべそを掻きながらも立ち上がる姿を見守る母親のような顔。つまりは下位者の健気さを愛おしむ、圧倒的上位者の視線である。


「とはいえ一人といえど逃がすつもりはありません、と、宣告しマス。量産型のゴーレムに手出しはさせまセン。……ワタシの任務は、ワタシ自身の手で完遂スル」


 そして、フェムの姿が朧に揺らいで消えた。音さえ置き去りにする踏み込みが、Aランク冒険者の動体視力さえ超えたのだ。セドリックは、我武者羅に盾を突き出す。どうか盾に当たってくれ、そして一発でもいいから耐えてくれと願いながら。

 願った通り、竜鱗盾に鉄拳がめり込む。

 願いは叶わず、一撃すら持たなかった。

 力任せに叩いた銅鑼が壊れたような音。同時、セドリックの身体は内側から弾け飛ぶ。余りにも強烈な衝撃に、堅牢な盾や鎧よりも先に、柔らかい人体の方が限界を迎えたためだ。盾は表に張られた竜の鱗ごと砕け散り、所有者から吸い取った命の光を空中に煌めかせる。それは人間がグロテスクに破壊された光景を覆う、慈悲深いヴェールだったのかもしれない。だが神の気紛れな慈悲に対し、使徒はその恩恵を被る時間すら与えられなかった。


「か、はっ……!?」


 ニノンの首を、冷たい手甲に覆われた手指が掴み上げる。セドリックの死を悼む間も、全てを捨てて逃げ出す暇も無かった。フェムは『緋色の大盾』最後の生き残りを、その手で捕縛したのである。


「後は貴女の無力化を以ってミッション終了です、と、自己確認しマス」


「あ、が……!」


 無慈悲に喉首を絞め上げられながら、ニノンは喘ぐ。脳裏を様々な思念が過っては消えた。長年冒険を共にした仲間を一度に失った悲しみ。誰一人として助けることが出来なかったという悔恨。目の前の敵への怒りや憎しみ。迫り来る死への恐怖。

 そして、最後に残った思いは、


「何者、なのですか、貴女は……?」


 ごく単純な疑問だった。

 未知なる武装を使いこなし、魔にとっての大敵である神聖魔法も通じず、竜の屍より鍛えた武具すら歯が立たなかった。そんな怪物、聞いたことすら無い。あるとしたら、それこそ伝説に謳われる魔王かその眷族くらい――


「ま、さか……高位の魔族……」


「やめて下さい、と、要請しマス」


 その一言に、フェムは表情を歪めて手に込める力を強めた。


「がっ……!?」


「見当違いも甚だしい、と、憤慨しマス。まさか貴女たちは、ワタシの正体すら掴めなかったというのでスカ? これまで戦っていたノニ?」


「……! ……!」


「もういいです、と、言わせていただきマス。折角の良き標的、それを制圧しての任務達成だったというのに、水を差すような真似はご遠慮くだサイ」


「…………!」


「このまま眠りなさい、と、宣告しマス。……貴女には、ワタシの正体を知る権利すらありまセン」


 動脈を圧迫され、脳への血流を遮断されて、ニノンの意識は深い闇へと沈んでいく。その様子を、金色の瞳が冷たく観察している。

 こうして、Aランク冒険者パーティ『緋色の大盾』は、その全員が地上から姿を消した。

 

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