049 スカーレットズ・リサーチ<3>
木立を抜けた途端に、急に視界が開けた。
絶え間無く続いていた樹海は、切れ目を越えたように絶え、前には壮麗な山の風景が広がっている。幾つかの尾根がなだらかな起伏を描いて連なり、一際高い峰へと細い山道を描いていた。そして、その最高峰には、
「……光?」
山頂部、標高はおよそ二千に届くか届かないかという程度の山の上に、何やら光り輝く物が見えた。じっと目を細めて観察すると、そこには建物のような物が聳えている。
光はその建造物から漏れているかのようだった。
「アレは、神殿……ですか?」
「遠目には分からんな。近づいてみるか?」
ここまで調査隊のアライアンスを率いて来たジラールは、後続の者らにそう問うた。彼としては、遠慮されることを期待しての問いである。ここに来るまでに何度かモンスターとの戦闘を経て、一行の体力は消費されている。パーティの一つ『四頭竜』などは、死者すら出して半壊の態なのだ。ここは一度、野営の拠点まで引き返して休息を取ってから、明日にでも向かうべきである。
そう促したつもりだったのだが、
「はいはーい! 行きます! 勿論、行きますとも!」
「お宝の匂いがするじゃねえか……独り占めってのは無しだぜ、『緋色の大盾』よォ?」
「お疲れなのでしたら、先にお帰り頂いても構いませんよ?」
他の参加者たちは、この様子だった。
新発見の予感に顔を輝かせる『アルス・ロンガ』。欲心を隠そうともしない『四頭竜』。そして、先のサイクロプス戦を屈辱と感じてか、露骨な当て擦りをする『黎明の使徒』。
三パーティともに、ジラールたち『緋色の大盾』が躊躇うなら、置いて行ってでも向かうと態度で示している。ジラールは嘆息すると仲間たちの方を見た。信頼の置ける、本当の仲間たちの方を。
「お前たちは、どうだ。無理なら帰るが」
「ふっ、何を言うか。俺は今日、まだ一度も傷すら負っておらんぞ!」
「いや、セドリック。そういうことじゃなくてだな……ああ、俺なら問題無いぜ、リーダー」
「……はァ。大丈夫です。気疲れはしてますけど、身体の方は何とも」
力瘤を盛り上げるポーズを作って――鎧に阻まれて見えないが――体力の充実をアピールするセドリック。何事か思惑を秘めた目で肯きを返すゴーチェ。溜め息を吐きつつ是と答えるニノン。勿論、ジラール自身にも余力は十分にある。思わぬ強敵と出くわしても、仲間たちと逃げ帰ることくらいは出来るだろう。こちらも探索続行、ということになった。
「では、行こうか。日が傾いて来た。足元には気を配っておけ」
「ケッ、餓鬼の使いかっての」
「やれやれ……田舎者は偉ぶるのがお好きなようだ」
「いやあ、楽しみですねえ! こんな山の中の、今まで未発見だった建造物! きっと古代遺跡ですよ! それもまったくの未知のね! ああ、手付かずの遺跡をこの手で探索出来るなんて、緊張と興奮でどうにかなっちゃいそうですよ!」
『緋色の大盾』を先頭に立てながらも、一行はバラバラの歩調で山の頂を目指す。
その先に、何が待ち受けているかも知らず。
山頂に存在したのは、『アルス・ロンガ』の主張した通りの大きな遺跡であった。古色蒼然と風化した石材が連なり、寂れた雰囲気の建物を構築している。一見して小国の王城ほどの広さはあろうか。そんな巨大な建造物が、人知れぬ山奥にひっそりと存在していたなど、驚くより他無い。
実際、『アルス・ロンガ』のメンバーは、目を輝かせて調査に取り掛かっている。
「凄いですねえ! 何でこんなところにこんなものがあるんでしょう? 建てた目的は何かな。やっぱり神殿みたいな宗教的な意味があって? それとも、古代の権力者の墓所かな? こんなところにそんな文明があったなんて、聞いたことも無いけれど――」
「様式としてはオムニア方面で見られる、聖王教以前の古代宗教の祭祀場に似ていますね! やはり神殿では?」
「ンなこたァ、どうでもいいだろ。それより金目のものはありそうなのか?」
横柄な態度でそう聞くのは、やはり『四頭竜』のリーダーだった。
「そうですね……墓所だとすれば副葬品などもあるでしょうし、神殿にも高価な祭器が置かれている可能性はありますね」
「ヒュウっ! マジかよ! これは俺たちにもツキが回ってきたぜ!」
口笛を吹きつつ指を鳴らすが、そこにジラールから注意が飛ぶ。
「おい、ここが『暗闇の大樹海』を抜けた先だということを忘れるな。何が潜んでいるか分からんのだぞ」
「へいへい、分かってるよ。危ないモンスターが出たら任せりゃいいんだろ? 西方の英雄さんよ」
鼻を鳴らしつつの皮肉げな返事を聞き流し、ジラールは遺跡の入り口を見る。
大きさは高さ二.五メートル、幅四メートル程か。装飾的なレリーフに縁取られた四角い入り口は、確かに神殿のそれであるように見えなくもない。中は薄暗く、外から見通すには限度があった。夕暮れ時というのもあるが、光の当たっているのは入口から十数歩の辺りまで。それより先は、闇に呑まれて見晴らすことは出来ない。
と、そこでジラールは気付いた。
「そういえば、先程見えた光は何だったのだ?」
「光、ですか?」
「位置的に考えて、この遺跡の上層の辺りから出ていた気がするがね」
「石材か何かが夕陽を反射した光ではないか?」
仲間たちに聞くも、どうにも釈然としない答えしか返って来ない。
第一、あの光は石材のものではない。もっと明るく確かな、眩しいとさえ言える光量だった。この古ぼけた石に反射したものとは思えなかった。
「考えても仕方無かろう。中に入って調べるしかないのではないか?」
「もしかしたら、ここが樹海の魔物たちのボスが、塒にしている場所かもしれないしな」
「古代の遺跡を根城にする魔物、か」
想像するだに厄介そうな存在である。
こうした古い遺跡などは、魔力の流れが不自然に滞り、異界じみた魔力の吹き溜まりが形成され易い。そこで力を蓄える魔物は、往々にして強力な個体となりやすいのだ。それが新しい魔物ならまだしも救いがある。最悪なのは、それが古代から残る古き者であった場合だ。古の時代、聖王や勇者による討伐から免れた怪物の生き残りだとすると、どれほど強力なモンスターか想像も付かない。
「『アルス・ロンガ』、この遺跡がどの時代のものかは分からんか」
「うーん、この石材の年代は……大体、千五百年くらいは前ですね。≪ディテクト≫の魔法にはそう出ています」
ジラールは苦虫を噛み潰した。古過ぎる。それでは聖王降誕より遥か以前の時代ではないか。万が一、そんな時代の怪物が残っていたとしたら、危険度は確実にAクラスの上位だ。もっとも、下の樹海まで支配するモンスターなら、確実にそうではあるだろう。
『四頭竜』のリーダーは、そうした思案も知らぬげに嘯く。
「ンな時代の石が、何でこんな綺麗に残っているんだ? ボロボロになるだろ、普通よォ?」
「いえいえ、保存の魔法を厳重に掛けていれば、自然現象での風化は大分食い止められます。見て下さいよ、この石材全部に保存魔法が掛かっているんですよ? 凄いですねえ、この遺跡を造った古代人は! 魔導師を三十人以上は動員しなければ無理ですよ」
「……凄いのか、それは?」
ジラールには今一つピンとこなかった。魔導アカデミーを抱えるザンクトガレンは元より、アルクェールもマールベアも、宮廷魔導師を動かせばそれだけの人数は捻出できる筈である。
が、『アルス・ロンガ』のメンバーは指を振って否定した。
「チッチッチッ、甘いですよ。ここを何処だと思っているんです? マルランの山奥ですよ、山奥! 私たちのような冒険者だってんなら兎も角、ひ弱い宮廷魔導師たちがこんな樹海に囲まれた山肌を登って来れる訳無いでしょう」
「こんなところに三十人以上の魔導師を、建築作業の為に拘束できる国なんて、今のイトゥセラ大陸にあります? 少なくとも、アルクェール王国には無理です」
「……そうなのか。それは凄いんだな」
「ええ、凄いんですよ!」
良く分からないが、適当に肯いておくと喜ばれた。釈然とはしないが、怒られるよりはいいだろうと自分を納得させるジラール。
ふと見れば、ゴーチェが物珍しそうに入り口の屋根部分のレリーフを眺めていた。
「お? これって何となく文字っぽくないか? なあ、これ読めるヤツっているかい?」
「うーん、何となく古エルフ文字に似ていますが、先オムニア風でもありますね。だとすると……ええっと、ちょっと待って下さい――」
聞かれた『アルス・ロンガ』のメンバーは、何かを思い出すように視線を上に向けた。
「――『原始、女性は太陽であった』って書いてあります、多分ですけれど」
「何だそりゃ?」
「さあ……巫女の資格か何かについて言及しているんじゃないんですか? ここが太陽神崇拝の神殿だったとしたら、如何にもありそうな文言ですね」
「『暗闇の大樹海』を抜けた先には、『太陽の神殿』か。何とも妙な取り合わせだな」
「それにしても太陽と女性とはね。普通、太陽と同一視される神格は男神なんですが、ここは違うみたいですね」
「え? そうなんですか?」
「ええ。酷烈な日差しを地上に齎す太陽は、どうにも野蛮というか、男っぽいでしょう? 父権的な印象、とも言えます。女性に準えるなら大地や水、それと月などの――」
「おい、俺たちはここにお勉強会を開きに来たのか? 違うだろうが」
『四頭竜』のリーダーは、苛立たしげに言って『アルス・ロンガ』の講釈を断ち切った。
確かに一理はある。既に太陽は没しかけている。ここで長話などしていたら、本当に日が暮れてしまうだろう。おそらく、今日はこの遺跡で夜を明かすことになる。その前に、最低限の安全を確保しておく必要があった。
「……うむ。講義は後でも聞ける。今はこの遺跡を調べることが先決だ」
「少なくとも、魔物がいるかどうかの確認と、いた場合の排除は行っておかねばな!」
「――そうですか。なら、仕方ありませんね……」
ガックリと肩を落としつつ了承する『アルス・ロンガ』の冒険者。
納得を得たことに安堵を覚えつつ、ジラールは周囲に集ったアライアンスの参加者たちを見渡す。
まずは自分を入れた『緋色の大盾』計四名。『四頭竜』の生き残りが二名。『アルス・ロンガ』のメンバーが四名。『黎明の使徒』が――
「おい」
固い声が、夕暮れの山頂にこだまする。
「……『黎明の使徒』の連中は、どこへ行った?」
※ ※ ※
アライアンスの一同から離れ、遺跡の角向こうの死角に身を潜めた『黎明の使徒』たちは、上手く相手を出しぬけたことにほくそ笑んでいた。
「ふんっ、辺境の蛮人に野盗紛いの卑賤者、それに学者くずれの偏執狂……あんな連中と組もうと思ったのは、我ながら愚かな選択でしたね」
「全くですな、師父」
「やはり魔導の極みには孤高こそが似合うかと」
メンバーの露骨な追従に、リーダーは気を良くして何度も肯いた。
(奴らときたら、こんなカビ臭い遺跡を前に何をチンタラしているのやら)
貴族くずれの魔導師集団である『黎明の使徒』。彼らにとって冒険とは、クエストとは、野で魔物を討つ狩猟じみた遊びであった。薄汚い洞窟潜りや墓荒らしなど以ての外。たとえ平民に金で雇われる身に落ちようと、貴族に生まれついた誇りを失くしはしない。そんな考えの下、野外でモンスター退治を重ねてBランクまで成り上がったのだ。
故に、彼らには遺跡調査の知識など欠片も無い。どころか、古代の文明など端から軽蔑してさえいる。所詮は自分たちの生まれる前に、何らかの理由で滅びた文字通りの遺物ではないか。そんなものは原始人らしい欠陥だらけの玩具に過ぎない。過去より先を行く現代を生きる者の方が――つまりは自分たちの方が――歴史を重ねている分、上回っているに決まっているではないか。
ザンクトガレンのガレリン魔導アカデミーやマールベアのヘプターク国立大学では、噴飯物と言える考え方である。史跡調査の積み重ねによると、古代文明は現代以上に先進的な魔導技術が普及していたとされている。今では幻の合金とされるオリハルコンを始め、様々なオーパーツ的な魔導の所産が、各地の遺跡から出土しているのだから。
だが、彼らはそんな事など知りもしない。元よりこのアルクェール王国の貴族出身である。ザンクトガレンなど、五十年前に卑怯な騙し討ちで領土を奪った蛮人と端から決めつけていた。マールベアなど、海の向こうの海賊程度の認識である。また、そんな視野の狭さと認識の甘さだからこそ、家門を継げずに野に下ったとも言えた。本人たちは決して認めようとはしないだろうが。
要するに、彼らの遺跡に対する知識は穴だらけなのだ。盗掘者に対するトラップや、古代の魔術による呪い、ガーディアンとして配置された強力なモンスターなど、この手の遺跡ダンジョンの脅威を露ほども知らない。
だからこうして、アライアンスを組む他の冒険者を出し抜こうなどという暴挙に出られるのだ。
「それにこのクエストで、我々の魔導は討伐等級Aの魔物にも通じると証明されました。最早、西方の田舎者に従う理由はありませんね」
「ええ。あの礼儀知らず赤髪めは、本当に腹に据えかねますからな」
「いっそ後ろから撃ってやろうかと思ったほどですとも」
「……それは止めておきましょう。我らの誇りに傷が付きますから」
言いながら、内心でそれも良いかもしれない、などという考えが浮かぶ。
あのサイクロプス戦を見よ。連中ときたらAランクだ何だと偉そうに振舞っておきながら、結局は最後のトドメは自分たちがいなければ覚束なかったではないか。後ろから魔法を撃ち込んでやったら、あの無駄に偉ぶった顔がどのように歪むだろうか。興味が無い、と言えば嘘になる。
だが、彼にはそれより面白そうな思案があった。
「そんなことより……連中を出し抜いてこの遺跡を調べ尽くしてやった方が、痛快です」
冒険者の事実上の頂点だのとふんぞり返っている能無しどもに、自分たちの手際の程を見せ付けてやる。想像するだに愉快であった。
愉悦の予感に顔を歪めながら、『黎明の使徒』のリーダーは頭上を見やる。聳え立つ遺跡の屋根を。
「さて、高さから計算すると、先程の光はこの上辺りから出ていましたね」
「行きますか、師父?」
「ええ、勿論」
遺跡の屋根までの高さ、おおよそ二十メートル。サイクロプスの身長さえ越える高さだ。が、ある程度の位階に達した魔導師にとっては、そんな高度は無いも同然である。
何しろ、彼らには飛行の魔法がある。いや、ただ高い所に昇るだけなら、飛行より速さと空中行動の自由度は劣るが、より魔力を節約して使用できる浮遊の方が効率的か。古来より、魔力を用いて空を飛ぶ魔導師は、大衆から畏怖と憧憬を受けて来た存在なのである。野蛮な武器を片手に地を這いずり回る戦士ごときとは違うのだ。
「さて……≪レビテーション≫」
一言の下に魔法を発動させると、魔力から変換された揚力が、身体をふわりと浮かす。弟子に等しい配下たちも、同様にすんなりと浮遊魔法を発動させ、空中に躍り出していた。
そのまま何の障害も無しに二十メートルの高さを浮き上がり、遺跡の屋根へと足を下ろす。
「ふんっ、他愛も無い」
「魔導を知らぬとは哀れなことですな。この程度のことすら出来ぬのですから」
「どうですかな、師父? 入り口付近でまごついている連中を、ここから見下ろしてやるというのも乙なものでは?」
「いえ、やめておきましょう。種明かしとは最後の最後まで勿体付けてこそのもの。調べられるだけ調べ上げてから、徒労に喘いでいる連中に、我々の成果を突きつけて上げた方が一層面白い。そう思いませんか、皆さん?」
「成程。流石は師父、我らなど及びも付かないほどに高雅な趣味をお持ちですな!」
人の悪い笑みを交わしながら、『黎明の使徒』は周囲を見渡した。
遺跡の屋根、いや屋上は、奇妙なことに建物の中央に向かって傾斜している。そして傾斜の中央部にはポッカリと巨大な穴が開けられているのだ。まるで蟻地獄の巣である。
そして、先程に遠景で遺跡を確認した際に見えた光は、その穴を通じて屋内から漏れているようだった。
「なんともまあ、間の抜けた遺跡ですね……これでは上から入り放題ではないですか」
「まったくです。所詮は原始人の浅知恵ですね。建てた者の程度が知れようというもの」
嘲笑を浮かべつつ、その穴に向けて近づいて行く。
彼らが連想するのは、内部の金銀財宝が夕陽を照り返している光景だ。幾ら考古学に無知な者でも、墳墓や宮殿跡には、時として莫大な財貨が眠っている場合があることくらいは知っている。『黎明の使徒』の魔導師たちがそんな安直な想像を思い浮かべたのも、仕方の無いことかもしれない。
リーダーの、いやメンバー全員の目に、ぎらついた欲望が滲む。魔導の輩を気取り、貴族社会からのドロップアウト組である彼らとて、金銭の類に無関心という訳ではない。寧ろ、幼時から高価な品々に囲まれて育った分、成り上がり者の『四頭竜』とはまた別の意味で、宝を求める思いは強かった。
かつての贅沢な暮しに返り咲きたい。艶やかな絹の衣服を身に纏い、宝石を飾れるような身分に戻りたい。青き血の流れる己に相応しい、珍味佳肴を存分に喰らい味わいたい。王や大貴族も羨むような美姫を褥に侍らせたい。自分を家督の椅子から蹴り落とした連中を見返したい……。財宝を得てやりたいことは幾らでもある。悟りを得た聖人でもない限り、欲望の種とは海の砂よりも尽きまじきものなのだ。
そんな欲に駆られながら、『黎明の使徒』たちは遺跡の内部を覗き込み、
「――覗き見はご遠慮ください、と、勧告しマス」
下から這い上がって来た怪物と、至近で対面した。
「……へ?」
間の抜けた声を上げたのは、果たして四人の内の誰だったろうか。
目の前に、奇妙な女がいる。こんな山奥の遺跡に女がいるだけでも十分に奇妙だが、その居場所が問題だった。遺跡の天井に開いた屋根へと通じる大穴。その縁の壁に手足を掛けて、今まさに攀じ登っている最中という姿勢なのである。
いや、正確には違った。こいつのしている行為は、登攀などという人がましいものではない。
女の手足を掛けている部分から、パラパラと石の欠片が下に落ちていく。彼女の手指や爪先は、穴の縁にめり込んでいた。そこから蜘蛛の巣状に亀裂が走っている。頑丈な石造りの壁に、手足を力尽くに抉り込ませて、無理やり手掛かり足掛かりとして登って来ているのだ。
こんな真似を仕出かす女が、真っ当な人間の筈が無い。
「ひっ!? 化け――」
「御静粛に、と、お願いしマス!」
パーティの一人が恐怖に声を上げかけた途端、女の姿は消えた。
同時に、口を開いたその一人も顔が見えなくなる。
彼の顔面に代わってその場所を占めたのは、真っ赤な噴水だった。女はいつの間にか、『黎明の使徒』たちの背後に佇んでいる。
「え?」
再び上がった呆然とした声と共に、悲鳴を上げかけた男の身体が傾いで、遺跡の中へと落下していく。彼の頭部は、跡形も無く消えていた。
「……ご案内するのはお一人でいいですね、と、確認しマス。それ以上は、不要デス」
言い終えると同時に、女の姿がゆらりと霞む。西の地平に沈む夕日の赤い残光。その中に溶け消えるようだった。
だが、それは錯覚だ。女は消え失せるどころか、確固たる質量を伴って着実に行動する。
ボンっ、という何かが弾けるような音が立て続けに二回。それだけで、残ったメンバーの二人が、首から上を消し飛ばされていた。
そして、伸ばされた腕が、ただ一人生き残ったリーダーの男の襟首を掴んで持ち上げる。
「がっ、ぐ、ぐぇ……!?」
魔法の力ではなく野蛮な腕力によって空中に拘束されながら、彼はようやく女の全貌を目にした。
夕焼けを眩く照り返す白金の髪。彫像めいた、美しいが冷徹な美貌。放胆に素肌の腹を曝け出しながら、所々を装甲した奇妙な戦装束。髪を掻き分けて伸びるのは、悪魔の角を思わせる金属の耳覆い。抵抗の余地を与えずに首を締め上げる手は、無骨な手甲に覆われているが、その先に延びているのは紛れも無く女性らしい細腕だ。そして眼には超自然的な金色が灯り、逆光の影を払うようにそれ自体が照り輝いている。
その身を構成する何もかもが非現実的な、悪趣味にも絶世の美女を模した規格外のモンスター。
そんなものと対面しているのだと、彼は否応無く理解させられた。
(まさか、まさかコイツは……!?)
『黎明の使徒』のリーダーは、その時、今更ながら最初に死んだメンバーの死因を洞察していた。
この女――の姿をした怪物は、穴の縁にしがみついた体勢から一瞬で飛び上がり、悲鳴を上げかけた男を殺していたのでは、と。
現実逃避の末に出した答えは正鵠を射ていたが、正解の景品は与えられなかった。
「こちらへどうぞ、と、お連れしマス」
声と同時に、視界が目まぐるしく切り替わる。秒という単位を用いるのが不適切なほどの短時間で、彼の身体は下へと運ばれた。目に映る光景が真っ赤に染まる。あまりにも急激な移動の為に、荷重によって血液が頭に上り、網膜を赤く塗り替えたのだ。この世界では未だ名付けられざる現象であったが、ここではないどこかではレッドアウトと呼び習わされているものである。
「ぐげっ!?」
急加速と急減速で首を痛めながら、魔導師は石床の上に叩き付けられた。移動速度から考えれば優しく勢いを殺して寝かせたと言える結果であるが、それは所詮相対的な計算の上のことに過ぎない。常人であれば死んでもおかしくない、いや即死しなければおかしいほどの負荷が生じていた。
それに耐えることが出来たのは、この男が曲がりなりにもBランク冒険者に相応しい実力を備えたという証明だろう。
男は息を喘がせながら何度も瞬いて瞼を上げ下ろしし、視界を回復させる。
ぼやけた目に映るのは、石の壁、石の床、茜色の空を望む穴を開けた石の天井。そして広い空間の中央を占める、光り輝く巨大な何かを背にし、こちらを見下ろす怪物の女。
「ここ、は……遺跡、の中……?」
「ご名答です、と、返答しマス。ようこそ、『太陽の神殿』へ。貴方様がこの地における、お客様第一号デス……と、言いたいところでスガ――」
化け物は冷たい視線を男へと注ぐ。元々温かみに欠ける無表情ではあるが、より一層の残酷さとおぞましさがそこに宿ったのだ。
「――残念ながら貴方は失格です、と、判定しマス。正規のルートをご利用になられなかった為、本当のお客様がお越しになられるまでの間、罰ゲームを受けて頂きまショウ」
罰。
その言葉の不吉な響きが生存本能を刺激し、男の肉体は仮初の復調を遂げた。
「だ、……れが! そんなものを受けるかっ! ≪ファイアボール≫!」
本職の前衛も斯くやという勢いで跳ね起きると、無詠唱で魔法を行使。掌から火球を放ち、眼前の怪物を焼き殺さんとする。
「……ターゲットの抵抗を確認。無力化シークエンスを起動しマス」
直撃するも、相手に痛痒を得た様子は無し。
それは構わない。詠唱省略で威力を減じた下級魔法など、元より牽制の為のものだ。本命はこれから。詠唱を踏まえて存分に効果を発揮する、より上位の魔法を決めれば良い。
「≪雷精よ! 我が手に宿りて穂先を為し、敵を滅する威光を齎せ!≫」
唱えるのは雷撃系統の中位魔法。地水火風の四大属性の範疇外である術式は、制御が一手間ではあるがその分威力は折り紙付きだ。何しろ、あのサイクロプスでさえ仕留めたほどなのだから。
「っ! その呪文は――」
怪物の漏らした微かな動揺の気配に、彼は勝利を確信した笑みを刻む。
中級でも上位の高等魔法に恐れを為したか、それとも雷撃が弱点か。いずれにせよ、この魔法を決めれば勝てる。先程は弟子たちと四人掛かりで発動した魔法だが、彼一人でも使えなくはない。無論、魔力は前回以上に喰われるだろうが、この化け物に勝てればそれも帳消しになる。
「≪紫光の槍より逃れるは、何人たりとて能わず! ……サンダースピア≫ァァァっ!」
放たれた紫電の槍が、標的に直撃する。
一瞬、眩い閃光に遺跡の内側が照らし出され、
「…………え?」
何の効果も生み出さずに雲散霧消した。
女は不思議そうに直撃を受けた腹を見下ろしながら、ポツリと呟く。
「ダメージ・ゼロ、を、報告しマス。……同じ魔法でも、使い手が変われば威力も変化しまスカ」
「ば、馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿なっ! ランクAの魔物すら屠った一撃だぞ!? それが、それが効いていない筈が無いっ!」
見れば女の腹には焦げ跡一つ無い。どころか、髪の一本すら焼かれていなかった。全くの無傷である。
驚愕に目を見開き、ペタリと尻餅を搗いて、そのまま後ずさる彼に、女はゆっくりと近づいてくる。
「無力化シークエンスの中止、を、宣言しマス。貴方は最初から無力でシタ。……では、罰ゲームの時間デス」
言いながら、腕が伸ばされる。彼の仲間三人を殺した凶器に相違無い、暴力と破壊力とを秘めた腕が。それに対して抵抗は出来なかった。
腕力? 魔導師にそんなものを期待する方が間違っている。
魔法? 無理だ。舌さえ凍り付いて、呪文も唱えられない。
では、無詠唱で? 不可能だ。頭脳すら混乱の極致にある。
よしんば仮に抵抗を試みたとして……それが実を結ぶ可能性はどれだけあるというのか。
ズボンの前を暖かく濡らしながら震える男に対し、女は冷たく宣告する。
「さあ、大きな声を上げて下さい、と、お願いしマス。……外にいるお連れにも、ちゃんと聞こえるヨウニ」
※ ※ ※
「……ぁああああああああぁぁぁぁぁ……っ!!!?」
遺跡の内奥から、長く尾を引く絶叫が響いた。
『黎明の使徒』の消失に気を取られていた一向も、その声に弾かれたように遺跡の入り口を見る。
「い、今の声は……」
「『黎明の使徒』のリーダー、だな」
震えた声で確認するニノンに、ジラールが肯いた。距離が隔たっている上に随分と変わり果ててしまった声だが、微かに聞き覚えがある。あの鼻持ちならない魔導師に違いなかった。
「野郎、魔法でも使って抜け駆けしやがったのか? だが……はっ! 良い気味だぜ!」
「言ってる場合かね、『四頭竜』。この遺跡にも厄種ありって決まったようなものなんだぜ?」
呆れ返って言うのはゴーチェだ。向背常ならぬとはいえ、仮にも同じクエストを受けた冒険者である。その危地に喜悦を見せるなど、およそ普通なら考えられないことだった。
その横で、『アルス・ロンガ』の面々は顔を寄せて話し合う。
「恐らく、魔法で上を飛んで天窓かどこかから内部に入ったのでしょうね」
「それで悲鳴を上げるような状況に陥るということは、遺跡のトラップにでもかかったんでしょうか?」
「いやあ、きっと古代のガーディアンか何かですよ! 怖いなあ、未知の遺跡に潜む謎のガーディアン!」
「恐ろしいなあ、武者震いが止まりませんね!」
そう言いつつも、彼らの表情には好奇心とそれを満たせる予感への喜びがあった。無邪気で悪びれない態度は、ある意味『四頭竜』の悪意に満ちた笑い以上に薄ら寒いものがある。一流の冒険者は人間としてどこか壊れている、というのは有名な通説だ。この『アルス・ロンガ』の面々も、立派に人格が破綻している。問題は壊れ過ぎていて指揮を執り難いこと甚だしいところなのだが。
セドリックが『アルス・ロンガ』から視線を引き剥がすようにして顔を背ける。
「……どうする、ジラール? あからさまな誘いだぞ」
そう言っている間にも、再び遺跡の奥から絶叫が上がる。奥で魔導師を襲っているのが、魔物かそれ以外の何かなのかは分からない。ただ、一つだけ分かることがあった。
敵は捕えた相手を生かさず殺さず嬲り、それに釣られて救援に来る者を待ち構えている、と。
勿論、その程度のことはジラールにも読めている。知能のある魔物の良くやる手だった。
「分かっている。……が、遺跡に人を襲う何かがいるのなら、それを調査し、可能ならば討伐するのも依頼の内だ」
「あの魔導師たちへの救援は?」
「……度外視だ。奇襲やトラップを警戒しつつ、着実に探索し、下手人を確認する」
重ねられた問いへの返答は、実に冷酷なものであった。だが、それも仕方が無い。何しろ、抜け駆けは確実だろうと思われる状況で囚われたのである。未知の敵――事もあろうに樹海のボスかもしれない難敵を前に、足手纏いを助けに行く余裕など無かった。こちらが浮足立って救援に来ると踏んでいる相手、その裏を掻いて、密かに正体を確かめる。それが精一杯だろう。
それでもリーダー自ら危機に陥った味方を見捨てるような発言は、残った者の士気を下げる恐れがある。自分も見捨てられるのでは、などとちらりとでも考えたら、誰もその集団の為に命を張ろうなどとは考えなくなるのだ。不幸中の幸いと言うべきか、このアライアンスにそんな心配は無用だった。度胸があるとか信頼し合っているとかいう意味ではなく、協調性が最初から無い、という理由でなのだが。
「頼れるのは自分たちだけ、か。半ばはそうだと分かっていたが……」
「言うなセドリック。勝手の分からぬ遺跡だが行けるか、ゴーチェ?」
「あいあい。何とかしてみまさァ」
リーダーからの確認に、熟達の野伏が片手を上げる。
悪魔などの知能の高いモンスターは、城跡などの人工的建造物を根城にする場合も多い。そうした場所に潜む標的を討伐する為にも、探索役の冒険者には屋内でのトラップなどに精通する必要があった。西方でもよくあったことだ。
「ほ、本当に行くんですかい?」
「ったりめえだろ、糞が。ここまで来て、手ぶらで帰れるか!」
「いよいよ遺跡の中ですか! わくわくしますねえ!」
「遺跡探索とモンスター。どちらの調査を優先しましょうか? 目移りしちゃいそうですよ!」
生き残りのメンバーを無理矢理引っ張るようにして連れて行こうとする『四頭竜』。危機感の薄い笑みを浮かべつつ、入り口の奥の闇に思いを馳せる『アルス・ロンガ』。『黎明の使徒』は恐らく既に中だ。そして、そこに人類を脅かす魔物がいるならば、出向いて倒すのが『緋色の大盾』である。
冒険者たちの同盟は、その全てがこの神殿の内部へと足を踏み入れることとなった。
ユニ「ご主人様。この『原始、女性は太陽であった』という一文は何なのでしょうか?」
トゥ「何となく古代の神殿っぽく思わせられる文句……かな。
別 に 意 味 な ん て な い よ 。
何となく、僕の知識からそれらしい言葉を出しただけさ」
ユニ「左様ですか」
何ていう会話があったりなかったり。




