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048 スカーレットズ・リサーチ<2>

 

 三日後、マルランのダンジョン『暗闇の大樹海』。

 昼なお暗い魔の森は、『緋色の大盾』を中核とした冒険者たちにより、常ならぬ喧騒に揺れていた。


「に、贄ェ……! 贄ェ……!!」


「糞がっ! マンティコアだ! マルコが喰われやがった!」


「ちっ! 舐めるんじゃねえっ!」


 樹海奥地に侵入した冒険者の連合――アライアンスを組んだ一派であるパーティ『四頭竜』は、思わぬ難敵に遭遇していた。

 人面有翼の人喰い魔獣、マンティコア。高い身体能力と知能、そして魔力までも併せ持った、討伐等級Bの中でもトップクラスの怪物。対する『四頭竜』もBランクパーティ。額面上は釣り合いが取れているように見えるが、同じ等級でも力の差というものは存在する。

 『四頭竜』はあくまでB級相応の実力であるが、マンティコアはB+とも呼ばれる別格。時にAランク冒険者を以ってしても手を焼くとさえ言われていた。

 加えて不意の遭遇で既にメンバーの一人が死亡。更に言えば彼らのパーティ構成は極端にいびつだった。なんと、全員が剣士なのである。


「糞、糞、糞っ! 構えろ糞ども! 犬死にだけはするな、最低でも手傷は負わせろ!」


「へ、へいっ!」


「ちくしょう……やればいいんだろ、やればァ!」


 リーダーの破れかぶれな指示に従い、構えられるのは剣、剣、剣。

 これは何も特別なこだわりの所産、という訳ではない。単に剣士以外が集まらなかっただけだ。寧ろ、バランス良くメンバーが加入するパーティこそ幸運なのである。

 仲間を守る壁、重戦士? 何だそれは、誰が他人の為になど命を張るか。

 癒しと奇跡を齎す神官? 神への祈りに、応えなどあったためしは無い。

 火力と智謀に長けた魔導師? そんな上等な教育を受けた者が何処にいる。

 手先の器用さを誇る野伏? まだるっこしい、敵を斬り殺せば金は手に入る。

 食い詰めた逃散農民や、スラムの浮浪児上がりの冒険者に、専門的な知識や技能など身に付いている筈が無い。手に入り易い装備である剣を一本、腰から下げるのが精々だ。そんな社会の最下層出身の冒険者たちが寄り集まったパーティが『四頭竜』だった。

 そんなパーティなど、すぐにでも潰れるのが関の山だが、彼らは違った。類稀な悪運と、修羅場での経験を積んで開花した才覚とを武器に、高位冒険者であるBランクまでのし上がっている。例外中の例外と言えよう。

 だが、そんな彼らの悪運も尽きようとしていたかに見えた。


(馬鹿な、そんな訳がねえ)


 『四頭竜』のリーダーは、自分に言い聞かせるように口の中だけで呟く。


(俺が死ぬもんか。絶対に死ぬもんか! 今まで死ななかったんだ。今日だって死なねえ!)


 理屈にもなっていないことを念じながら、マンティコアを迎え撃ちに掛かる。

 彼らの剣は実戦の血の味しか知らぬ、戦場往来の粗削りな剣だ。洗練とは程遠い獣の剣である。だが、そんな業前であっても斬れれば殺せる。モンスターとて生き物だ。急所を刃で抉れば死ぬ。ゾンビだろうと動けなくなるまで刻めば死体に戻る。あのがめつい教会に金を積んで、武器に祝福を掛けさせれば、実体無きゴーストだろうと斬れるのだ。

 それを思えば、マンティコアとて獣に過ぎぬ。多少強くて知恵が働くだけだ。一人死んで残る三人、総出で斬りまくれば殺せるに違いない。


「贄ェ……! 贄ェェェ……!!」


「ひ、ひいっ!?」


「ぐちゃぐちゃうるせえんだよ、獣野郎がっ……!」


 涎を垂らしながら踊り掛かってくるマンティコア。

 それを斬り飛ばそうと構える冒険者たち。

 その間に、


「……お前ら、先を行き過ぎだ」


 新たに、赤い獣が降り立った。

 いや、獣ではない。現れたのは、歴とした人間である。だが、鬣を思わせる赤い髪と地を払う威風は、百獣の王のそれだ。眼光といい屈強さといい靱かさといい、獅子が人間に擬態して、爪牙の替わりに武器を手にした姿を思わせる。

 【赤獅子】ことジラール・レスアンである。


「に、えェ……?」


 ポロリと、マンティコアの頭が地に落ちた。一体如何なる早業か、ジラールの太刀は瞬きの間も経ずして魔獣の首を切断していたのだ。

 薄暗い森の僅かな光に、彼の手にした奇妙な曲刀が濡れたように輝く。いや、それは本当に光の反射だったのだろうか。じっと見れば、刀身自体が不可思議な燐光を放っているようにさえ思える。

 その妖しい光に、『四頭竜』のリーダーは一瞬の自失から回復した。


「て、てめえ! 何を横から手出ししていやがる!?」


 そして、顔を赤紫に染めて罵声を飛ばす。


「む?」


「り、リーダー! 拙いですよっ!?」


 ジラールの訝しげな声も仲間の制止も、彼を止める何の役にも立ちはしなかった。救い主に大股で近づいて行くと、乱暴にその襟を引っ掴む。とてもではないが、寸でのところで命を助けられた者の態度とは思えなかった。


「この糞魔獣はな! 俺たちの手柄! 俺たちの獲物なんだよっ! それを何だ、てめえ!? この俺の目の前で、上前を跳ねようってか、ああんっ!?」


「お前たちの獲物?」


 襟首を掴まれ、唾が掛かる距離で怒鳴りつけられながらも、その返事は冷静だった。いや、僅かに困惑の色が滲んでいる。

 何故、目の前の男はこんなに怒っているか。それが心底分からない。

 言外にそう漏らしているような声である。


「お前たちが獲物、の間違いではないのか? そうなる直前だったようだが」


「……ざけんなコラぁ!?」


「リーダーっ!」


 手にした剣を振り降ろしかけたリーダーを、メンバーが羽交い絞めにして止める。ダンジョンのただなかで冒険者同士がぶつかり合うなど、尋常ではない。幾ら殺し合いは死に損という決まりがあるとはいえ、今後の昇格査定にも大きく響くだろう。事実、その為にCランク止まりになった者もいるという。

 だが、リーダーは収まりが付かずに押さえる手を振り解こうとする。


「放しやがれ! マンティコアだ、マンティコアの首だぞっ!? この樹海のボスに違いないんだ! コイツは、それを――」


「これが、この樹海のボスだと?」


 ジラールは、今度こそ呆れ返ったように息を抜く。


「本当にそう思っているのか?」


「ああん? どういう意味――」


 唸るように発された疑問の声を、


 ――ズズン。


 という地響きが遮った。

 木立が揺れ、枝葉が鳴り、木の葉が舞い散る。明らかな異常に、生き残った『四頭竜』のメンバーに動揺が走った。明らかに、良からぬ何事かが起ころうとしている。


「な、何だ……?」


「地震……いや、違う」


「ま、まさか――」


 ――ズズン。

 ――バキバキバキ……。


 子どもが玩具のシャベルで蟻の巣を引っ繰り返すように、頭上を覆っていた枝の天井が引き剥がされて行く。だが、その先に太陽は無い。代わって存在するのは、飢えと嗜虐心に淀む血走った眼光である。歪んだ満月を思わせる巨大な一つ目が、眼下の人間たちを見下ろしていた。

 サイクロプス。巨人種モンスターでも最強に近いとされる、暴力の化身である。


「――こ、コイツの足音かァ!?」


 『四頭竜』のリーダーは裏返った声を上げた。まるで、とは言う必要も無く、それは紛れも無い悲鳴である。

 この巨人の討伐等級はA。Bランクの『四頭竜』ではお話にならない。先のマンティコアすら凌駕する、文字通りの巨大な死の化身だ。


「グ、グ、グ……」


 牙の並んだ口を歪めて、巨人は笑う。それは哀れな人間に向けた嘲笑か、己の腹を満たせることへの喜悦なのか。いずれともつかないが、その先にある行動は一つだ。

 冒険者たちへの、攻撃である。


「グオオオォォォ……っ!!」


 長く尾を引く雄叫びを上げて、巨大な拳が振り下ろされた。この一撃に秘められた威力に対しては、破城槌という例えさえ生温い。天が落ちて来た、と形容しても大袈裟ではなかった。


「掴まれっ!」


 ジラールは手近にいた『四頭竜』のリーダーとメンバーを抱えて跳んだ。間一髪、巨人が地面を打ち砕く寸前に、その暴威を回避することに成功する。


「……!」


 取り残された一人が、悲鳴を上げる暇さえ無く叩き潰された。残念なことに、卓越した冒険者であるジラールとて、人の子である。腕は二本しか生えていない。咄嗟に抱きかかえて庇えるのは、どう頑張っても二人までが限界だ。

 『四頭竜』は、早くもその人数を半分に減らしていた。


「あ、ああ、あああああっ……!」


「く、糞……あんな化け物、どうやって立ち向かえば良いんだよ……」


 高速で森の風景が流れ去っていく中、彼らは絶望感に喘ぐ。

 平然としているのは、成人男性二人という大荷物を抱えながら走っているジラールだけだ。驚いたことに、巨体故の圧倒的なストライドを誇るサイクロプスの追走を、次第に引き離し始めてすらいた。


「喋るな、舌を噛むぞ。それと、出来れば小便を垂れるのはご遠慮願う。鎧とマントを汚したくないからな」


「だ、誰が垂れるかっ!」


 思い出したかのような憎まれ口がリーダーの唇から漏れた。

 その時である。


「≪――ファイアボール≫」


「≪――アイシクルランス≫」


「≪――ゲイルエッジ≫」


「≪――ストーンバレット≫」


 魔弾四連。それぞれ属性の異なる攻撃魔法が、光の尾を引いて殺到した。

 ジラールに、ではない。背後から追い掛けて来るサイクロプスにだ。

 着弾。

 火の燃え上がる音、氷の突き刺さる音、風の斬り裂く音、石のめり込む音を立てて、単眼の巨人の胸板に魔力の火花が炸裂する。魔導の何たるかを知らぬ者でも、目を奪われ心ときめかせるような幻想の光景。

 それを演出した四人の魔導師の一人が、ニヤリと笑みを見せる。


「どうです、我ら『黎明の使徒』による魔導の冴えは? たかが低級魔法とはいえ、Bランクに位置する達者が揮えば、これだけの威力となるのですよ」


「グ、ガ、ガ……」


 蹈鞴を踏み、よろめくサイクロプスに対し、自慢げな口上が投げ掛けられる。

 アライアンスの一角、Bランク冒険者パーティ『黎明の使徒』――『四頭竜』とは対称的に、魔導師のみで構成された一団だ。先天的な魔力の資質と魔法の知識を授かる教育、それらを要する魔導師が、巧まずして四人も集まる筈は無い。これまた『四頭竜』と逆に、彼らは自分たちの理想とする集団として、魔導師だけのパーティを組んだのである。

 剣? 槍? 弓矢? そんな野蛮な代物より、魔法の火力が優越している。

 身を守る盾? 鎧兜? 関係無い、距離を置いての魔法攻撃で殲滅すれば守りなど不要。

 信仰による治癒と加護? 神への祈りなど時代遅れだ、知識と魔力が全てを解決するのだから。

 探索に長けた野伏の技巧? 無用の長物である、探知も解錠も魔法で行うことが出来る。

 そんな極まった魔術優越主義の果てに生まれたのが、このパーティだ。持論の正しさを証明するように、結成から五年と経ずにランクはBまで上り詰めている。守勢には脆いが、魔導師四人同時詠唱により、瞬間的に発揮される火力に関しては、Aランクに匹敵するとされていた。

 『黎明の使徒』を率いる男は、ジラールに向けて嘲笑的に鼻を鳴らす。


「それにしても無様ですねえ、【赤獅子】さん? 愚鈍な巨人風情に後ろを見せるとは、ご大層な二つ名が泣くというもの」


「仕方ありませんな、師父」


「勇名を馳せたとはいえ、所詮は辺境での武功」


「洗練された教育によって培われた、我ら『黎明の使徒』の魔導には、及びも付きますまい」


 周囲のメンバーたちも、自身のリーダーに対し口々に追従を投げ掛けた。

 ジラールは連れて来た『四頭竜』の残党を地面に下ろすと、手に剣を構え直す。『黎明の使徒』のリーダーは、怪訝そうに眉を顰める。


「……何です、その剣は? まさか貴方、暴力に訴える気じゃ――」


「何を呑気に言っている」


 ジラールはそのまま背後に振り向いた。

 四発の魔法を浴びた、サイクロプスの方へ。


「グゥウウウウウウ……!」


 魔力傷の煙を上げる着弾痕。その生々しい傷口を擦りながら、怒りに一層血走った眼光が投げ掛けられる。怪物は、小揺るぎこそしたものの未だ健在だった。


「ば、馬鹿なっ!? 巨人種は魔法に弱い筈……特に属性の加護無きサイクロプスなど!」


「四発も叩き込んだのだぞ、瀕死の筈なのに!」


「し、師父! どうなさいますか!?」


 一転して、『黎明の使徒』たちは浮足立つ。

 確かにサイクロプスは魔法を苦手とする。優秀な魔導師を数人揃え、距離を置いて戦うならば、Bランクのパーティでも勝ち目はあるだろう。

 だが、それは決して楽に勝てる相手であることを意味する訳ではない。巨体から繰り出される膂力は人間を一撃で消し飛ばすし、耐久力ときたら無尽蔵とすら錯覚しかねない程だ。

 そんな相手を魔法に弱いなどと侮っていたとは! 最初からより上位の魔法を使えば、足が止まるほどのダメージは与えられただろうに! ジラールは舌打ちを堪えるのに神経を使う羽目になった。


「……詠唱を再開しろ! 兎に角、魔法を叩き込め!」


「くっ! Aランクとはいえ、部外者に指図される謂われは――」


 愚図る魔導師の言い分などに耳を貸さず、ジラールはサイクロプスに向かって吶喊する。手にした曲刀が、昂る戦意に呼応するように輝きを増していた。燐光の軌跡が森の暗がりに尾を引く。まるで闇を斬り裂いているかのようだった。


「……おぉおおおおおおおおっ!!」


 【赤獅子】の口から、大気を揺さぶる雄叫びが迸る。サイクロプスはその声に気を取られ、意識を足元に向けた。

 一八〇センチを越えるジラールの長身も、天を衝く巨人に比べれば赤子同然、いや、それ以下。踝まで届くかどうかというところだろう。しかし、それならそれでやりようは幾らでもある。

 巨体の持ち主は、概ね足回りが弱い。身体が大きければ大きいほど、足元は目から遠く、死角となって見えづらくなる。加えてその重量を支える為に、脚部へ大きな負荷も掛かるのだ。ジラールの狙いもそれである。


「ずぇりゃあああああっ!!」


 気合と共に、剣撃を放つ。

 狙いは踵の上、人体で言うところのアキレス腱。巨人といえど、サイズに違いはあるが人型である。弱点や身体構造は人間に準じていた。腱を断たれればそこから先を動かすことは出来ないのだ。

 巨木の幹を思わせる右脚、その踵に、曲刀の刀身がザクリと半ばまで埋まる。


「グァアアアアア……っ!?」


 急所を斬り抉られる痛みに、巨人は聞くに堪えぬ悲鳴を上げた。

 しかし、敵の足元を走り抜け、得物を振り切って構え直しながら、ジラールは眉を顰めている。

 ――浅い。

 踵に刃を入れられながら、巨人は未だ立っている。サイクロプスも伊達にAランクの討伐対象なのではない。分厚い表皮に阻まれて、一太刀で腱を断ち切るまではいかなかったのである。


「グ、ウ、ウゥゥゥ……!!」


 サイクロプスは地面に屈み込むと、泣きじゃくる駄々っ子が床を殴るように、両拳を地面へと叩きつけ始めた。足元をちょこまかと動き回り、小癪にも自分に傷を与えた小虫――ジラールを潰し殺さんとして。

 人間数人を一度に消し飛ばすような暴力が、太鼓を鳴らすようなリズムで連打、連打、連打。森の地面は捲れ上がり、地震そのものである大揺れが連続し、辺りの地形は一秒ごとに書き換えられていく。


「ひ、ひいいいいっ!?」


「コラァっ!? 逃げ腰になっているんじゃねえ、糞魔導師がァ! さっさと魔法を使えっ!」


 『黎明の使徒』は逃げ惑い『四頭竜』はその背に罵声を浴びせる。この様を見て、誰が彼らを歴戦の冒険者として見ることが出来ようか。自信、経験、才覚、その全てが意味を為さない、あまりにも強大な死の恐怖。それがワンランク上の討伐等級に挑むということなのだ。

 恐慌と混乱の中、サイクロプスの標的たるジラールは、何と健在で駆け回っていた。


「くっ……!!」


 とはいえ、彼も無傷ではない。

 振り下ろされる巨大な拳の巻き起こす拳圧、地面からの突き上げる衝撃、飛来する土砂や飛礫や木片。直撃は避けても、そうした諸々の影響までは無効にし切れず、徐々にダメージが募っていた。このままでは遠からず動きが鈍り、そこを狙い打たれるだろう。一撃でも直撃を貰えば、即死だ。

 ……だが、それは彼一人であった場合の話だ。


「……どっせぇええええええいっっっ!!」


 怒号と共に、暴力的な風切り音。

 ずっしりとした重量感を持つ何かが、空を裂いて飛んだ。

 そしてそれは、ジラールに攻撃を加えようと屈み込んでいた、サイクロプスの顔面に、それもたった一つしかない眼球へと突き刺さる。


「ブッギャアアアアアアア……っ!?」


 巨人は両手で目を覆う。その隙間から押し出された房水が涙のように溢れ、次いで血で汚れた硝子体がドロリと流れ出た。


「間一髪であったな、ジラール!」


「……死ぬかと思ったぞ、セドリック」


 ゴキゴキと肩を鳴らしながら現れたセドリックに、ジラールは苦笑を返す。『緋色の大盾』の重戦士である彼が自らの武器を投じて、巨人の単眼を叩き潰したのだ。ジラールが囮となって足元を駆け回り、敵が姿勢を低くするよう差し向けたのが効いていた。サイクロプスが直立したままであっては、標的の位置が高過ぎて、投擲の威力も然程は発揮されなかったであろう。

 そして、男臭い笑みを交わす二人の間を縫って、新たな人影が駆ける。『緋色の大盾』の野伏、ゴーチェだ。


「痛がってるところを悪いがね、追い打ちだぜっ!」


 人の悪い笑みと共に投じられたのは、破れやすそうな麻袋だった。それは狙い過たずにサイクロプスの顔面に当たると、粉っぽい煙を濛々と噴き上げた。


「ブッゲェエエエエっ!? ギャ、ギャアムっ!?」


 曰く言い難い悲鳴を上げて、巨人は悶え苦しむ。ゴーチェが使ったのは、毒というほど大仰なものではない。迂闊に吸い込んだり目に入れれば粘膜を傷めるような、強力な香辛料を配合した煙幕だ。普段は眼潰しに用いる道具だが、生憎と今回は最初から目は潰れている。なので目的は本来なら副次的な効果の方である。


「ははっ、どうよ? 西方伝来のスパイシーな香りは。中々に乙なもんだろう?」


 視覚を奪ったのなら、次は嗅覚を奪う。それが目当てだ。

 悪戯に成功した子どものように笑うゴーチェの背後、二メートルほど離れた茂みから、今度は清浄な涼気を孕んだ風が吹き上がる。


「≪――いと畏きは主の御稜威。其を以って邪なる者を戒めん。スティグマータ≫っ!」


 聖句を唱え終えて神聖魔法を放つのは、真っ赤な尼僧服に身を包む異装の神官ニノン。風変わりな格好とはいえ、彼女も『緋色の大盾』の一角を占める熟達の冒険者である。放たれた術式は巨人の足の甲を穿ち、固く地面に縫い止めた。


「ギィイイイイイイ……っ!?」


 傷口から流し込まれる聖なる波動に身を灼かれ、邪悪な巨人が軋るような苦悶の声を上げる。

 神聖魔法スティグマータ。磔刑の聖痕を対象に穿ち、光の杭で動きを封じるという効果を持つ。その拘束は概念の領域にて相手を戒める為、如何に巨人といえど力尽くに引き千切るのは至難の業だ。本来であれば数人の神官による聖句詠唱を必要とする大術式であるが、彼女は一人でそれをこなしていた。以って瞑すべきと言えよう。

 ニノンは両手で聖印を組み続け、額から汗を流しながら声を上げた。


「い、今ですっ! は、早く魔法でトドメをっ!」


 スティグマータは強力な拘束効果を持つ大魔法であるが、反面、痛々しい絵面の割には殺傷力に欠ける。極端に邪悪に依っている悪魔やアンデッドの類ならば、聖なる力によって灼き殺すことも出来るだろうが、サイクロプスのような生物的側面の強い魔物を殺すのは難しかった。

 神官の魔法と魔導師の魔法とでは、得意とする相手が違うのである。


「い、言われずともっ! いきますよ、皆さんっ!」


「はい、師父!」


 リーダーの下知に合わせて、『黎明の使徒』たちは詠唱に入る。それは先程のように異なる魔法を別々に使うのではなかった。四人が同時に同じ呪文を唱え、一つのより上位の魔法を紡ぎ出す、言うなれば合体魔法。単独では届き得ぬ魔導の深奥に手を伸ばす、掟破りの裏技だ。

 そしてそれこそが、彼らをして瞬間火力のみならばAランク並と言わしめる術技である。


「「≪――サンダースピア≫っっっ!!」」


 魔導の中伝の中でも奥伝にほど近い大魔法。四人掛かりで魔力を供給し、詠唱を圧縮することで、それを極めて短時間で発動することを可能とする。

 顕現したのは、太く長大な紫電の槍だ。迸る魔力の威圧は、正に雷神の穂先。一体の魔物に向けるには過剰火力とも言うべき代物だった。

 だが、それでもなお油断ならざる相手が討伐等級Aの怪物。一撃で仕留めるには、急所を狙う必要がある。


「眼だっ!」


 セドリックが吼えた。


「俺の投げ付けたハンマーが刺さっている! それを目当てに放てっ!」


 要は避雷針の要領だ。雷撃は高い地点にある金属に吸い寄せられる。ある程度は物理法則を無視するのが魔法であるが、術式に改竄を加えることで、術者にとって有利な働きのみを任意に残すことも出来る。

 『黎明の使徒』は舌打ちしつつもその指示に従った。

 紫電の大槍が、放たれる。


「……グッッッギャアアアアアアアアァァァァァァっっっ!!?」


 絶叫。

 眼球に突き立った戦鎚に雷撃がぶち当たり、そこから魔法の電流が流れ込んだのだ。眼窩のすぐ奥には脳がある。落雷を数発束ねたような電撃を受ければ、電気抵抗による発熱で、脳味噌が煮え滾ったとしてもおかしくはない。やがてサイクロプスは全身を黒焦げと化し、耳から鼻からと茹った血液を間欠泉のように噴きながら、ゆっくりと仰向けに倒れた。

 現れた時と同じく、


 ――ズズン。


 と腹に応える地響きを残して。

 ややおいて、Bランク冒険者たちが恐る恐ると構えを解く。


「やった、のか……?」


「ふ、ふははは……と、当然です。これぞ我ら『黎明の使徒』の魔導の冴えっ!」


「流石です、師父っ!」


 爆発的に喜びの声を上げる一同。

 その様子を、ジラールたちは醒めた眼で眺めていた。


「だから今の魔法を最初の一撃に使っておけば――」


「しっ! 水を差しちゃ駄目ですっ。ようやくこのアライアンスが纏まる切っ掛けになるかもしれないんですから」


 そう言って愚痴りかけたところを制止するのはニノンである。

 彼女の言う通り、この冒険者たちの同盟は、初めから協調を欠いていた。そもそも、マンティコアやサイクロプスと遭遇する羽目になった原因も、他のパーティを出し抜こうとした『四頭竜』の独断専行にある。抜け駆けで大物のモンスターを仕留めに行って、逆に返り討ちにあった訳だ。

 そんな纏まりに欠けるアライアンスなのである。調整に難儀していた彼女からすれば、強敵を討ち果した今、雨降って地固まるといきたいところなのだろう。


「まったく、信じられん。コイツら、本当にBランクか? 戦闘力は兎も角、心構えや立ち居振る舞いはよちよち歩きと変わらんぞ?」


「セドリックさんも! シーっ! 余計なことは言わないっ!」


「ところでよう、もう一個のパーティはどこに行ったんだ?」


 思い出したようにそう言うのはゴーチェだ。

 現地で雇ったC~Dの中堅に野営の警護を任せ、樹海の奥地に踏み入ったのは、Aランクである『緋色の大盾』とBランクパーティ三つ。その内二つ、『四頭竜』と『黎明の使徒』はここにいる。では、残る一つは?


「ああ、すみません。遅れちゃいましたか?」


 何とも緊張感に欠ける声と共に、後方から新たな一団が合流して来た。彼らがこの樹海に挑戦するBランクパーティ、最後の一組である。

 『四頭竜』のリーダーは、声の主に向けて苛立ちに満ちた視線を送った。


「てめえら……どこで油ァ売ってやがった!? その間に俺らは二人もやられてたんだぞ!」


 抜け駆けした自分たちを棚に上げて、遅れて来たパーティを怒鳴りつける。呆れた所業であるが、それを向けられた当人たちはどこ吹く風だった。


「そうなのですか? 大変ですねえ。……でも、それどころじゃないんですよ! 見て下さい、これっ!」


 そう言って、そのパーティのリーダー格らしい男は、手にしたガラスの小瓶を掲げる。口にコルクで封をされたそれは、中を透明な液体で満たされており、そこに緑色の苔のような物を浮かべていた。


「さっき通り過ぎた地点にある木の根から採取したんですけどね、これってマリョクヒカリゴケの一種なんです。その名の通り魔力を使って闇の中で光る苔なんですが、この土地は魔力がある上に昼でも十分暗いってのに、これが光らない。でも状態を見てみても問題は無いんです。多分、発光するのに何か条件が必要なんじゃないかなあ。だとしたら、この地方のみに生息する新種かもしれない! 大発見ですよ!」


「お、おう……」


 矢継ぎ早に飛んでくる説明に、食って掛かったはずの剣士は逆に呑まれていた。

 彼に代わるように、ジラールがその男に質問する。


「で? その苔を調べていて遅れたのか、『アルス・ロンガ』」


「はいっ!」


 にっこりと微笑み、満天下に恥じ入るもの無しというかのような明るい返事を返す男。

 彼の率いるパーティこそBランク冒険者パーティ『アルス・ロンガ』である。といっても、その戦闘力自体は精々がCの上位が精々といったところだ。彼らの真価は戦闘には無く、学術的な調査や精緻な分析にある。未知の秘境の生態系調査や、古代遺跡の発掘などで数々の功があり、それをもってしてBランクと評価されているのであった。

 好奇心と探求心の赴くがままに世界を巡り、新たな知識の発見を人々に齎す。ある意味では非常に冒険者らしい冒険者たちなのだ。

 だが、ここは危険なモンスターが跋扈するダンジョンの只中なのである。興味を惹かれる事物があったからと言って、花を見つけた蝶々のようにフラフラされては、同行者たちは堪ったものではない。


「いやあ、リーダー! この森は興味深いですな!」


「まったくまったく! これほどまでに多種多様なモンスターが共存している環境は、見たことが無い!」


「ひょっとすると未知の新種が、十や二十は見つかるやもしれませんなあ! はははっ!」


 他のパーティの危惧も知らず、『アルス・ロンガ』の面々は大いに盛り上がっている。

 ジラールは強張ったこめかみを揉み解してから、改めて彼らに声を掛けた。


「……調査は、するなとは言わん。が、せめて俺たちに声を掛けてからにしてくれ」


 『アルス・ロンガ』のリーダーは、その言葉に対していかにも不思議そうに眼を瞬く。


「はい? 何でです?」


「何で、って――」


「あ、あの、一応今回のアライアンスの纏め役は、私たち『緋色の大盾』な訳でして……」


「ああ、そういえばそうでしたね。以後、気を付けます」


 気を付ける、とは言うがその口調はいかにも軽い。親の手伝いを命じられた子どもが「後でする」と言い訳しているような雰囲気であった。一つのミスが生死を左右する鉄火場での言とは思えない。


「チッ、それよりこの後はどうするんだ? このデカブツ、Aランクの大物なんだろ。コイツを仕留めましたってギルドに報告すんのか?」


 不機嫌そうに言うのは『四頭竜』のリーダーである。苛立ってはいるものの、そこに仲間を二人殺された者の深刻さは無かった。それもそのはず、彼にとってはパーティメンバーなど剣と同じで道具も同然。死んだのなら、使えなくなったのなら、新しいものと取り換えれば良い。『四頭竜』とは言うものの、本当に替えの利かない頭は自分のそれ一つのみだ。無論、今後の冒険は難度と報酬の低いものに切り替えざるを得ないが、それはそれ。今までにも何度かあったことだと気にしてもいなかった。

 彼に対し『アルス・ロンガ』のリーダーは異議を唱える。


「駄目駄目! 樹海の脅威の正体を調査するっていうクエストは、まだまだ全然終わっていませんから。何せ、ほら。サイクロプスは知能が低いでしょう? 幾ら力が強くっても、ダンジョンを統率するボスには不向きです。この『暗闇の大樹海』で多様な異種のモンスターが併存している原因。それを突き止めない限りクエストは終わらないんですよ」


「そもそもこの依頼は討伐ではなく調査なんですからねえ。それすら分かっていないとは、これだから野蛮人は困る」


 言葉尻に乗って茶々を入れるのは、『黎明の使徒』のリーダーだ。この男は魔導師以外の職を見下すこと甚だしい。恐らく、貴族出身なのだろう。家の跡目を継げなかった貴族が冒険者になることはままあることだ。魔法の資質を備え、あらかじめ教育を受けていれば、冒険者としてそこそこ良いところまで出世できる。もっとも本当に見込みのある者ならば、宮廷魔導師かガレリン魔導アカデミーの教員にでもなっていただろう。才覚はこの通り十分なのだから、それが出来なかったのは政治的な問題か、それとも性格的な問題か。


「ンだと、こら。殺されてえのか、糞ウラナリのまじない師がよォ!」


「くくっ……そちらこそ、残った頭も残さず落とされたいんですか? 『四頭竜』改め『二頭竜』さん」


 こうした粘ちっこい絡み方も、そうした劣等感の裏返しだろうか。

 とはいえ、こんな幼稚な揉め事をいつまでも座視している訳にも行かない。


「……いい加減にしろ」


 ジラールが殺気を込めて低い声で恫喝すると、二人はビクリと硬直した。


「これから樹海の更に奥へと進む。再び強力な魔物と相まみえるやもしれん。その時、仲間割れが原因で間抜けな死に様を晒したいのか?」


「ぐっ……!」


「俺が言いたいのはそれだけだ。それすら理解出来んのなら、魔物どもを待つまでもない。この俺が自ら斬る。ここから先に進むというのなら、それだけは肝に銘じておけ」


 乱暴に言い置くと、ジラールは黙って先へ進む。いつも通り、仲間たちとその背に従いながらも、ニノンはそっと溜息を漏らした。


(もしかしたら、と思ったけど、やっぱり駄目かしら……)


 このアライアンスは、どうしようも無くバラバラだ。

 マッチングを担当した冒険者ギルドは、さぞ自信を持っていたことだろう。前衛で構成されたパーティに魔導師を組み合わせ、彼らが露払いをして探索に長けた者が調査をする。バランスの取れたBランクパーティの集まりだ。それらを指揮しリーダーシップを取るのは、音に聞こえたAランクパーティ……。

 書類から読み取れる数字だけ見れば、完璧な布陣であったろう。

 だが、実際はこうだ。

 成り上がり者らしく手柄に逸る、攻勢一辺倒の前衛『四頭竜』。魔導を弄び優越感に浸るだけの魔導師たち『黎明の使徒』。学術的な興味が先行して視野の狭い探索者『アルス・ロンガ』。そして、自分たちのみで完結して、他のパーティと協調出来ない『緋色の大盾』。

 ジラールはたった今、『四頭竜』と『黎明の使徒』のいざこざを鎮めたように見えるが、事実としては違う。その武威で脅しつけ、一時的に黙らせただけだ。二つのパーティの間では、未だに火種が燻っているし、力で以って押さえ付けてきたジラールへの反感もまた生じているだろう。

 アライアンスが一つになるどころではない。分裂を一時的に抑えつけるも、代償としてより大きな亀裂をこさえただけだ。

 そもそもの話、ジラール・レスアンに大集団を率いる才能など無い。立派な風格や沈着な態度から誤解を受けることも多いが、彼は本来、西方辺境の田舎で育った一青年に過ぎないのだ。それが故郷を魔物から守る為に剣を手に立ち、強敵を相手に戦い続ける内に、いつしかAランク冒険者とまで呼ばれるようになっただけのこと。彼はあくまで剣士であり戦闘者であるのであって、主義主張の異なる大勢の人間を纏め上げる指導者ではないのだ。

 同郷の出身であり、同じ釜の飯を食い、同じ敵に剣を向けて過ごしてきた『緋色の大盾』のメンバーにとっては、誰にも代えがたい頼れるリーダーである。しかしそれは、他のパーティからすれば赤の他人でしかない。

 もしもここが西方辺境であれば、話は別だ。他所のパーティもジラールたちがどれだけ頼れるかは知っていたし、戦う動機も同じであるから、彼が音頭をとっても問題無い。事実、魔物の大規模侵攻に際して、『緋色の大盾』が中核となったアライアンスで武功を上げたこともある。

 その実績がギルド本部の連中に誤解を与えたのだ。彼らであれば、不慣れな土地、見知らぬパーティであっても問題無く組めるだろうと。西方での経験もあるから、大集団を率いる適性はあるのだろうなどと、途方も無い勘違いをさせてしまった。


「ケッ……」


「フン……」


 その結果がこの様だ。奥地突入からずっと抜け駆けや不服従に頭を悩まされ続け、つい先程に命を救ってやったばかりだというのに、味方が背後から飛ばして来るのは殺意すら籠った怨恨の視線である。

 これが西方を知らない連中か、などという侮蔑の念すら湧いてくる。気弱なニノンですらそうなのである。しかめっ面で前を行くセドリックなど、その苛立ちの深さたるや測り知れまい。

 西では誰もが魔物との戦いに必死だった。人間同士で力を合わせ、強大な敵へと立ち向かわなければ、誰も生き残れはしなかった。それが少し東に行けば、これである。アルクェール王国のほとんどの地域は、それほど魔物が強くない。順当にクエストをこなしていけば、多くの者がCランクまで達する。自分たちの地元やザンクトガレンなどであれば淘汰されていくような弱者たちが、あたら生き残ってしまうからだ。だから、その中からまかり間違って、こんな連中がBに上がってしまう。そんな軽侮の念を禁じえなかった。


(受けない方が良かったかもしれませんね、この仕事……)


 そうは思うものの、今更辞めますなどと言える筈も無い。何とかこのアライアンスの空中分解を抑止しつつ、大過無くクエストを終えるしか無かった。

 奥地へと伸びる獣道は暗く、腐葉土が足を取ってずぶずぶと沈む。それはまるで、彼らの未来を暗示しているようであった。

 

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