047 スカーレットズ・リサーチ<1>
マルラン領主トゥリウス・シュルーナン・オーブニルの居館は、主の印象に反して武張った感のある内装が施されている。廊下の辻々には展示用の甲冑が鎮座し、各室内には鹿や熊といった野趣深い動物たちの剥製が飾られていた。
この小城めいた館を初めて訪れた客たちは、一様にその風景を意外そうな目で見るのが常である。
今回の来訪者も、当然の如くその範に倣うのだった。
「驚かれましたでしょうか?」
客人の案内役を務めていた青年が、悪戯っぽく笑いながら言う。華やかな容姿と典雅な振る舞いを併せ持った佇まいは、彼こそがこの館の主では、と錯覚させかねない程だ。しかし彼、ヴィクトル・ドラクロワ・ロルジェは、家中の双璧とはいえあくまで臣下の身である。
評判の芳しくない貴族に仕えるには勿体無い、と思えるほどの伊達男が浮かべる秀麗な笑み。それを向けられた相手は、女性であれば赤らみ、男であっても気後れを感じさせてもおかしくない。
だが、今回彼の案内を受ける客たちは、笑顔一つで心を乱すような感性を持ち合わせてはいなかった。
「ああ、確かに驚かされた」
恬淡とそう言ったのは、案内を受ける四人の先頭を歩く長身の男。燃えるような赤髪を放胆に伸ばし、それを後ろに撫で付けて、まるで獅子の鬣のように靡かせている。彫りが深く端正な目鼻立ちは、厳めしくもどこか人を安堵させる深みを持っていた。身を包むのはかしこに紋章や金の縁取りを施した黒鉄の全身鎧。それを派手やかな深紅のマントで覆っている。腰に佩く得物は、巨大な生物の牙を連想させる曲刀だ。刀身は分厚く広く、実戦の鉄火場で鍛えられた業物らしい凄味を放つ。見るからに只ならぬ魔剣である。
ヴィクトルの印象を高雅な貴公子だとすると、男はさながら高名な将軍といったところか。だが、ヴィクトルが一家臣に過ぎないように、彼もまた将たる身ではない。どころか、貴族や騎士ですら無いのである。
その身分は、冒険者だ。それも超一流の。
彼は悪気無く続ける。
「世評では、斯様な趣味を持つ方ではないと聞いているが」
「ジ、ジラールさんっ」
男の背後から、咎めるようにその名を呼ぶ声がした。
声の主は女である。おおよそ二十代の半ばくらいといったところか。長い前髪で目線を隠しているが、それでもすっきりとした鼻梁とぽってりとした形の良い口唇から、すこぶる付きの美女であると伺い知れる。いかにも肉感的で扇情的な肢体の持ち主であるが、その身を包むのは禁欲を旨とする尼僧服であり、布地を盛り上げる胸元には剣十字のホーリーシンボルが提げられていた。何ともアンバランスな取り合わせであるが、その背反が世の男たちに背徳的な劣情を抱かせるのは想像に難くない。だが、それ以上に特徴的な点がある。
……真赤なのだ。僧衣も僧帽も、兎に角、赤い。厳密に言えば緋色か。その色彩感覚は、ともすれば彼女の肉体的な素養以上に聖職者らしからぬものだった。
それも仕方の無いことかもしれない。彼女は生粋の神職ではなく、神官の技能を持って戦う冒険者。ジラールと呼ばれた男に率いられた、パーティの一員なのだから。
「? 何だ、ニノン」
ジラールは、肩越しに赤い僧服の女を振り向いた。悪びれない顔から、何故自分が咎められたか理解していないと知れる。ニノンと呼ばれた女は、その視線におどおどと尻込みした。
「あのっ、その……そういう言い方は、ちょっと……」
「構いませんよ」
彼女が言い淀んだところに、ヴィクトルが助け船を出すように苦笑をひらめかせた。
「確かに錬金術を嗜む者の館とは思えぬでしょうから。……でしょう?」
ジラールの先程の発言が、領主の悪名高い行状の方を当て擦った訳ではないのだと、フォローしているのだ。ニノンはすかさずこくこくと肯く。
「はい、はい! そ、そうなんです! あの、その、すみません! 本当にすみません!」
そして首肯はすぐさま低頭へと変化した。ひたすら謝り倒す彼女の姿は、挑発的な色の服装や容色とは裏腹に、奇妙に似合っている。
一方のジラールは、む、などと唸りつつ顎に手を当てた。
「どうした、何かあったのか」
「何かあったのか、じゃないですよ! ああ、本っ当に申し訳ありません! この人にも悪気は無かったんです、ただちょっと礼儀知らずなだけでして、私たちずっと辺境で過ごしてきたものですから、ええ礼法とかには疎いところがあるんです、ごめんなさい、田舎者でごめんなさいっ!」
土下座しかねない勢いのニノンに、応対するヴィクトルも口元をひくつかせる。腹に据えかねているのか、それとも笑いを堪えているのか、どちらなのかは本人のみぞ知るというものだ。
「ああ、いえ。ここも辺境ですので、お気に為さらず」
「はうあっ!? わ、私まで無礼なことをっ! ご、ごめんなさい! 生まれてきてごめんなさいィ!」
「まったく、困った奴だ」
「貴方が一番困った人ですよジラールさんんんっ!?」
などという騒動を、数歩離れた位置から見守る視線があった。
「おうおう、また始まったぜ二人の漫才がよ」
「下らんなっ! お前が止めてはどうだ、ゴーチェ」
「冗談。見ていて面白いとは思わんかね、セドリックさんよ?」
一人は中肉中背の、頭に赤いバンダナを巻いた男。どことなく猿のような愛嬌のある顔立ちと、親近感を与える気安い笑みが印象に残る。しかし、身のこなしに緩みは無く、手足は身長に比して長くかつ引き締まっている。装いも、胸当や肘膝の守りといった程度ではあるが身を固めており、襷掛けにされた毛皮のベルトには剣呑なダートが並べられている。腰に吊るのは湾曲した形状の短剣二振りだ。だが、この男の持つ最大の異常。それはこうも印象的な要素を備えているにもかかわらず、ともすれば目の前に居ても見失ってしまいそうな気配の薄さだった。心得の無い者なら、心臓を抉られてもなお彼に気付かないのでは、とさえ思わされる。
隠行に長けた油断ならない野伏。見る者が見れば、そんな評価を下されるだろう。
もう一人は身の丈二メートル近い巨漢だ。角張り、分厚く、ごつい。少なくとも顔立ちはそんな印象だ。では身体の方はと言うと、首から下は全身鎧で覆われていて判然としない。ジラールの鎧と比べても、明らかに装甲が厚かった。一応は魔術的な処置で軽量化もされていようが、それでも立っている足元が沈下しそうな重量感を醸しだしている。こんな物を着て涼しげな顔をしているのだから、余程に屈強な肉体の持ち主なのだろう。背中には鋭いピックを備えた戦槌、片刃の斧、投擲に向いた短槍と、多種の武装を背負っている。手に携えているのは、赤い鱗張りの大盾だ。これもまた床へめり込んでいきそうなほど大きく厚い。
難攻不落という言葉を体現したような、重戦士。彼を評するには、そんな言葉が相応しかった。
神官、野伏、重戦士、そしてリーダーの剣士。
計四名の冒険者パーティ。それが今日、マルラン領主の館を来訪した客人だった。
そんな彼らに、廊下を行く官吏らしき男が、きな臭げな眼を向けつつ足早にすれ違って行く。貴族の屋敷を武装した余所者が闊歩するなど、歓迎出来ぬ事態に相違無い。だが、彼らの方にも言い分はある。
冒険者にとって装備はまさに命綱。そして絶えず身に着けておかなければ、いつ盗まれるかも分からない貴重品でもある。別して、高位の冒険者ほどそうなる傾向が強い。腕の立つ者ほど報酬を稼ぐし希少な素材を得られる機会も多い。自然、装備も強力で高価なものとなるからだ。それを目にして欲に駆られる輩は、星の数ほどいるだろう。冒険者同士の殺し合いは死に損、などという物騒な決まりもある。盗まれない為にも、殺されて奪われない為にも、常在戦場のつもりで装備を身に帯びていなければならないのだ。たとえ、これから貴族と対面するにしても、である。
「ゴホンっ。……まあ、ジラール殿の仰るように主人は、物を飾らない趣味でした。が、お付き合いになられる方々も、口々に多少は館を彩るべきと御注進下さいまして。それでこうした、実用性を鑑みた物を並べているのでございます。剥製の類は……武具と並べても違和感が無かろう、と」
気まずさを誤魔化すように、そう解説するヴィクトル。その言葉に、具合の悪い話題が逸れたとニノンがホッと息を吐く。
が、
「成程、合点が入った。こうした備えがされた館なら、仮に反乱が起ころうと――」
「あーっ! と、ところでこの鎧には一体どのような謂われがっ!? わ、私、気になりますっ!」
「え、ええ。こちらはアルレズ男爵から贈られた甲冑になります」
「贈答品か。他の貴族との関係も、噂と違――」
「黙ってっ! お願いだから、もう黙ってーっ!」
こうしてジラールが口を開く度に、悲鳴を上げることになるのだった。
「くくくっ、ニノンも苦労が絶えないな。ところで、セドリック。アンタはこの鎧、どう思う?」
「興味が無いっ! 俺の鎧の方が良い物だからなっ」
「そこぉ! セドリックさんも、余計な事言ったりしないっ!」
「……で、では、主が伺うまで粗茶を振舞いたく思いますので、こちらでお寛ぎ下さいませ」
ヴィクトルは強張りを覚えた顔をハンカチで拭いつつ、騒々しい珍客たちを促す。
冒険者には変わり者が多い。彼らのペースには無理に付き合わず、こちらにとって必要なことだけをすればいい。そうした世渡りの妙を、この若い家令は肝に銘じておくことにするのであった。
「美味い! この焼き菓子は実に美味いなっ! 茶の方は良く分からんがっ!」
「やかましいぞ、セドリック。少しは俺のように上品にしろ」
「あの、品格を言えば二人とも大差無いんじゃ……いえ、もういいです……」
「まっ、ニノンも固くなるなよ。寛げって言われてるんだ、遠慮無く寛がせて貰おうや?」
応接室に通された四名の冒険者は、廊下での時以上に騒々しかった。ゆったりとしたソファーに座り、暖かい茶を喫してリラックスした為だろうか。つまり先程の一幕の時でも、彼らなりに気を使っていたということになる。
貴族の邸宅で繰り広げられるには相応しくない風景に、苦い顔をしたり引き攣った表情を見せる者はいない。ヴィクトルは主人を呼びに下がってしまった。替わって彼らの饗応を仰せつかっているのは、メイドの格好をした奴隷たちだ。
普通ならば、奴隷の姿などは客人の前に見せるものではない。が、生憎と実用性を重んじるマルラン領主の家中には、饗応役の使用人といった、実利が数字に表れないような人材は籍を置いていないのである。なので、そうした役は奴隷たちで賄うのがこの館での通例になっていた。ヴィクトルやルベールも、さぞかし頭が痛いことだろう。実際、先年に開かれた居館完成の宴席において、その点でも顰蹙を買っているのだが、一向に改善の兆しは無かった。
とはいえ、外部の者の目に触れるのだ。そこは奴隷といえど見目良い部類が揃えられている。主であるトゥリウスはこの方面に無頓着ではあるが、彼の配下たちはそうはいかない。出来るだけ主の周囲が見苦しくならないよう、予算が許す限りにおいて外見は重視している。奴隷の買い付けを担当しているルベールは勿論、従者としての教育を受けていたかつての担当者ユニもだ。もっとも、表に出す必要の無い奴隷に関しては、その限りではないのだが。
当たり前だが、もてなされる側にそんな事情を知る由も無い。大抵は単純に綺麗どころの奴隷が並んでいると思うだけだ。
「おかわり。むぐっ……美味い菓子だが、ぱさつく所為か少し喉が渇くな」
カップを持ち上げて催促するジラール。端正な口元がクッキーの食べ滓で汚れており、折角の男振りを見苦しく損なっている。咀嚼しながら口を開いたので、また欠片がポロポロと零れた。口を動かさなければ風格のある二枚目だが、これでは三枚目を通り越して大きな子供である。
隣に座るニノンが、羞恥に頬を赤くしながら鎧に落ちたクッキーの滓を何度も拭う。見れば分かるとおり高い鎧だ、それを菓子で汚すなど、いい笑い物である。彼女は手を動かしながら口元をもごもごさせているが、また小言だろう。声を高くしないのは、半ば言っても無駄だと感じている為か。
饗応役の奴隷メイドの一人が、眼前の珍事を目に入れていないかのように、恭しくポットを手に取る。
「はい。只今お持ちいたします」
流れるような所作で、カップに紅玉色の液体を注ぐ。二杯目であるのに、湯の温度といい蒸らし加減といい、測ったように的確だ。これが奴隷のお手前とは思えないほどである。無論、名のある数寄者からすれば二、三は文句が飛んで来ようが、子爵家の給仕としては上出来の部類だ。
「む? すまないが、無理に最後まで濾し出さなくとも構わん。ぱさぱさの口を濯げれば――」
「ジラールさん、これラストドロップって言うんですけど……ああ、知らないですよね、そうですよね……恥ずかしい」
惜しむらくは、それを受けるのがとんだ野暮天だったというところか。
「いやあ、いいねェお姉ちゃん。別嬪さんだしお茶も美味いっ! なっ、どうよ? 俺に付いて来ないか? 俺が君のご主人様に、話を付けてみるからさっ」
そう言い、猿めいた顔をやに下がらせるゴーチェ。つまりは身請け話だ。奴隷は金で身柄をやり取り出来る。だから、主が申し出を容れ、彼が提示された代価を払えば、この女奴隷は今日にでも彼の所有物になるのだ。ゴーチェはずうずうしくもメイドの手を取り、熱心に口説き始める。
が、今度はニノンらも何も言わない。ただ、また始まったか、という目線を向けるだけだ。
「……お戯れを」
「いやあ、本気だよ俺は。何なら、首輪は外すって約束してもいい」
「御厚意忝く存じますが、ご主人様には大変良くして頂いております。お暇を乞いたいなどとは、思っておりませんので……」
と、丁重にお断りされる。それがゴーチェの常であると、仲間たちは認識しているのだ。彼は露骨に肩を落としてしょぼくれてみせる。
「ありゃあ、残念……じゃ、じゃあ、一晩だけども――」
「……たわけっ! 婦女子の色香に惑うとは言語道断っ! 心身の鍛え方が足らぬわっ!」
諦めの悪い野伏に、重戦士の喝破が飛んだ。声を上げた拍子に菓子の食べ滓まで飛ばなければ、今少し説得力があったのだろうが。
「……すみません、ウチの者がご迷惑をお掛けして。あの、信じて頂けないかもしれませんが、みんな腕だけは確か――いえ、腕しかないんです。でも仕事はちゃんとしますから、その、なんというか、ご勘弁を」
「いえ、私どもは気にしておりません、お客様。どうかお顔を上げられますよう」
「お気持ちは感じ入りました。卑しい身の上には過ぎたお言葉を賜り、恐縮の至りです」
身内の無礼を詫びる尼僧に、メイドたちは慰めの言葉を掛ける。ただ、表情といい声の調子といい、まるで歯車仕掛けの機械のように平坦で、心底が見えない。どころか、心そのものの存在すら怪しいとさえ思わせられる。
ジラールが、そんなやりとりを茶を啜りつつ横目に見ていると、
「やあ、お待たせしました」
柔和だがどこか軽い声を上げて、供の者たちに傅かれた貴族が入室してきた。
赤銅色の髪を頂き、整ってはいるが心に訴えるものに欠ける顔立ちの青年。袖口のゆったりとした高級そうなベストに身を包み、糊の利いたシャツを襟元から覗かせている。ズボンも動きやすさを優先した作りではあるものの、柔らかそうな生地からかなりの値打物と知れた。
いかにも無害で温順そうなお坊ちゃんといった青年。だが、この部屋にいる全ての人間は、彼がそんな生易しい人間ではないと知っている。
王都ブローセンヌにて【奴隷殺し】、【人喰い蛇】と忌み嫌われ、先年もある伯爵が失脚する事件の渦中にいた怪人物。果ては王国きっての実力者であるラヴァレ侯爵に、その命を狙われながら生き延びたとも言われる曲者。
そんな男は、あくまでも優しげに自らの名を名乗った。
「はじめまして、王国子爵トゥリウス・シュルーナン・オーブニルです。僕の居館へようこそ。どうです、お寛ぎ頂けていますでしょうか?」
そして、自分からぺこりとお辞儀をしてまで見せる。
意外なことであった。アルクェール王国の貴族は気位が高い。いや、どの国でもそうだろうが、この国はそれに輪を掛けている。何しろ、歴史で言えばオムニア皇国に次ぎ、国土の豊かさで言えば大陸随一という国の貴族だ。鼻も高くなろうというものである。だが、奴隷虐殺という貴族の悪趣味、その極みを為したと噂される男が、それに当て嵌まっていない。何とも妙な話だった。
「……ああ、楽しませて貰っている」
ジラールの伝法な返事は平民が貴族に対する態度とは思えないが、それが許されるのが彼だった。また言われたトゥリウスも、気にした様子も無く受け容れる。
「それは何よりです――Aランク冒険者パーティ『緋色の大盾』の皆さん」
Aランク。
それは冒険者の位階において、実力的な意味においての頂点だ。ドラゴンや上位のヴァンパイア、ケルベロスなどといった、怪物の代名詞のような存在。それらの討伐の任を受ける者と言えば、価値が分かりやすいかもしれない。人類が地に伏してやり過ごさなければならない、災害じみた存在に立ち向かう、生きた伝説だ。
一応は、その上にSランクという位階が設けられているが、こちらは名誉称号のような物と捉えられている。何しろ昇格の条件が「Aランク冒険者の中でも特にギルドへの貢献度が高い者」だ。一度の冒険で数年は喰うのに事欠かないだけ稼げるのがAランクである。怠惰な者は依頼を受ける頻度を落としたり、勤勉な者でも自分の琴線に触れる仕事しか受けなくなる。たとえば強敵との戦いや、未知の場所での探検などが望めるクエストだ。そんな仕事がゴロゴロとある訳は無い。なので高位冒険者向けの依頼は中々消化されずに溜まり易いのだ。それを少しでも解消しようと、名誉や称号を有り難がる連中を焚きつける為に制定された勲章のようなもの。それがSランクという階級である。
Aランクが実力の頂点とはそういう意味だ。純然たる能力差など、両階級の間には無いのだから。
つまり、トゥリウスの前に座するパーティは、冒険者たちの中でもトップクラスの実力者たちということになる。
「自己紹介がまだだったな」
赤髪の剣士がそう口火を切り、冒険者たちは自らの名を誇らしげに明かした。
「俺はジラール。【赤獅子】のジラール・レスアンだ。このパーティのリーダーを務めている」
「【紅蓮の壁】セドリックと申す! よろしくお願い致す!」
「【舞い猩々】のゴーチェ。ひひっ、以後お見知り置きを」
「……【朱の尼僧】、ニノンと申します」
当然、その全てが二つ名持ち。武勇と才覚とで勇名を馳せた証を、声で、表情で誇示する。
トゥリウスはそれに感銘を受けたように一瞬瞑目し、すぐに瞼を開くと肯いた。
「ご令名、伺わせて頂きました。では、早速――」
「ああ、心得ている。……ニノン」
「はい」
促されるのに応じて、ニノンが二通の書状を恭しく差し出す。
一つは冒険者ギルドからの通達書。もう片方はさる貴族からの書簡だ。
近侍する文官――ヴィクトルだ――が、それを軽く検めてから主へと手渡す。
「……閣下」
「うん。確かに、ギルドよりの通達とドルドラン辺境伯からの書状だね。大樹海の探索に当たり、貴家の領地に以下の者ら逗留の許可を願い奉り――はあ、事前に話は着けてあるってのに、一々面倒臭いなあ」
「閣下、お客人の前です」
「いや、構わん。くだくだしい形式が面倒なのは、こちらもだ」
うんざりとした顔で書状を弄ぶトゥリウスに、ジラールは何の気無しに肯く。
冒険者が領地を訪れ滞在し、領主はそれを認める。この会見は、その事実を互いに確認する為だけに開かれたものだ。
たかがそれだけのことに仰々しいことであるが、その冒険者がAランクともなると話は違う。何しろ、そこいらの領主の手勢など相手にもならない戦力の持ち主なのだ。自家の軍を凌駕しかねない存在が領内をうろつくなど、貴族にとっては頭痛の種でしかない。なので、Aランク冒険者が他領に移動する際には、事前に書面をやり取りして承諾を得、その後もこうして会見の場を持つことが通例である。
あくまでも暗黙の了解であり破っても特に罰則は無いが、守れるならば守った方が良い。『緋色の大盾』が先日までいた土地の領主、ドルドラン辺境伯はそうした筋を通す人物だった。
「それにしても意外ですね。ドルドラン閣下が貴方たちを手放すとは」
「何、このところ西方も落ち着いたものでな。しばらく我らが抜けたところで問題あるまい」
「あそこの大物は、大方平らげてしまったのでな!」
「ほう、それは凄い!」
その言葉に目を瞠るトゥリウス。
王国西方は、ザンクトガレンと違う意味で危険な地域だ。魔物が大量にいる訳ではないが、時たま強力な個体が出現し猛威を奮うことがある。ダークエルフの住む大砂漠と、それを越えた先にある魔の半島――人類の勢力圏外から、強い魔物が流入する為だった。
時にはドラゴンすら飛んでくる西方辺境の地で、めぼしい獲物を余さず平らげたと豪語する。Aランクの中でも頗る付きの実力者の言でなければ、阿呆の戯言で片付けられる放言だった。
「それに冒険者も、戦わないと鈍るもんですからな。歯応えのある難所が新しく出来たってのは、渡りに船でして」
「ゴーチェさんっ」
軽口を叩く野伏を、女神官が咎め立てる。ダンジョンが出来て良かったなどと、当の領主の前で言って良いものではない。
幸い、目の前の青年貴族にさして気にした様子は無かった。
「いやいや、そう気を遣われずとも結構です。ということは、こちらには『暗闇の大樹海』の探索に?」
「他にAランクが出張るような用件はあるまい」
「それもそうですね」
このマルランに発生したダンジョン、『暗闇の大樹海』の調査。他所からの仲介ではなく、冒険者ギルドからの直々の依頼。それが今回、ジラールたちの受けたクエストだった。
「ギルドもようやく本腰を入れる気になったようでな。俺たちの他にもBランクパーティを三つ動かすという」
「Aランクが中核になり、Bランクが脇を固めるアライアンスですか。壮観ですねえ」
「実際にはC以下のサポートも加わるから、動く冒険者はもっと多くなる」
「実際、今少し早く動けたはずであるのだがな。本部の連中も、お気に入りが潰れて尻に火が着いてからやっと動き出すとは!」
セドリックが言うのは、Cランクパーティ『守護の天秤』が樹海にて壊滅したという一件だ。樹海をダンジョンと認定しておきながら、遅々として対応を進めぬギルドに業を煮やし、独力で威力偵察を試みた末のことだという。更にその背景には、中堅冒険者による狩り場の独占、それによるマルランの冒険者の練度の伸び悩みも影響していたらしい。
これもギルドの怠慢である。狩り場を巡る争いで冒険者が殺し合うことも珍しくはないのだ。自主性尊重の美名の下、介入を躊躇ってかえって事態の悪化を招く。この界隈ではよくあることである。今回は問題に対し手を拱いている内に、Bランク昇格間近とされていた期待の星が沈んだ。これでようやくギルドも焦り出したという。
ゴーチェが皮肉げな表情で溜め息を吐く。
「カナレスのギルド本部では、相当揉めたらしいですぜ? あのパーティを推していた役員は責任問題だと叫ぶ。言われた側は逆に、依怙贔屓が若手を増長させたと問題を摩り替える。喧々諤々の会議が続いて、ようやっと調査隊派遣に本腰を入れるって結論が出るまで、三日は掛かったとか」
「いやあ、手早く済んだ方じゃないんですか? ブローセンヌだったらその五倍は必要でしょう」
そんな冗談を言うトゥリウスの表情は、にこやかな笑顔のままだ。談笑に興じている、と言えば聞こえは良いだろう。だが、そこには真剣さや切迫感というものがまるで感じられない。当事者意識が見られないのだ。
『暗闇の大樹海』が存在するのはこのマルラン、この男が領主として統治する土地だというのに。
「対処と言えば、そちらの方で動こうとは思わないのか?」
ジラールの声が、微かに硬さを帯びる。太平楽な青年貴族は、軽く目を瞬いた。
「町を拡充し冒険者の方々の受け入れ態勢を整えておりますが、何か不足でも?」
「高ランク冒険者に依頼を出そうとは?」
「……ジラールさんっ」
言い募ったところを、ニノンが横から掣肘する。ジラールの発言は、明らかに踏み込み過ぎだった。相手方の思慮、思惑を探ろうなど、単なる会見の範疇を超えている。ましてや貴族に領内の安全保障について云々するなど、昨日今日訪れたばかりの部外者のすることではない。
だが口を衝いて出た言葉は取り返しがつかなかった。トゥリウスはジラールの問いを玩味するように、視線を宙に彷徨わせる。
「うーん、そう言われましてもね……まだ樹海の奥、山の中に何がいるかは、分かっていないじゃないですか。そんな状況でBランク以上に依頼を、と言われましても」
「その割に、山師の遭難には手早く依頼を出したようだが」
ジラールが言うのは『暗闇の大樹海』発見の発端となった依頼だ。トゥリウスがC、Dランクの冒険者を動かして、行方不明となった山師を捜索させた。その際に多数の冒険者が壊滅的被害を受けたのである。
その問いに対して最初に返って来たのは、溜め息だった。まるで聞き分けの無い子どもか物分かりの悪い生徒に対してするような、「仕方無いな」とでも言いたげな仕草。
「山師の救助は、我が領にとって重大な関心事でしたから。何せ、ここは新たに鉱山業を興しているでしょう? 新たな鉱脈を見つけてくれるかもしれない山師は、万難を排して救助したいのが人情じゃないですか。中堅のCまでなら、懐具合への影響も小さいですし」
「懐具合ねえ……」
ゴーチェが皮肉っぽく呟く。そしてジラールの方をちらりと見た。彼もそれに対して小さく肯く。
「町へ投資する金はあるのに、か?」
この領主はダンジョンへの対策として、冒険者の流入、滞在に備え、町を拡張整備しているという。しかし、それはおかしくはないだろうか。そんな大掛かりな真似をせずとも、高位の冒険者に依頼してダンジョンの調査とモンスターの討伐を行った方が楽だ。こちらの方が短時日で解決が図れるし、費用も浮く。
ジラールが言っているのはそういうことだ。
トゥリウスは平然としている。相変わらず小さな苦笑を浮かべて、愚者を憐れむ賢者の視線を向けていた。
一方、家臣の方はそうもいかないようである。
「それは見解の相違というものでしょう」
秀麗な顔に苛立ちの陰りを滲ませつつ、ヴィクトルが口を挟んだ。
「貴族にとって領地を富ましめるのも責務でありますれば、冒険者を呼び込みつつ町を拡充するのも採るべき施策の一つと言えましょう。現に、これによって手に職を得た領民もいれば、新たな商いを求めて訪れる商人もおります」
それのどこが悪いのか。得々と垂れ流されるご高説からは、そんな意思が見え隠れする。
トゥリウスもヴィクトルの弁を遮ろうとはしない。配下の言を自身の代弁と認めているからだろう。つまりこれは領主自身の思惑ということだ。
「一つ、忘れていやしませんかね――」
挙手しつつ、ゴーチェが口を開く。飄々とした雰囲気ではあるが、眼に浮かべた光は真剣そのものだ。この男は感情的になりかけた己を、敢えて冗談や軽口を零すことでなだめている節がある。付き合いの長い仲間たちは、十分にそれを知っていた。
「――その、町を大きくするとですね? 人も増える訳じゃあないですか。すぐ傍に危険なダンジョンがあるってのにですよ? もし、大樹海からあぶれて来た魔物に町が襲われたら、一大事じゃありませんかい?」
つまり、それだけ彼は危惧しているのだ。『暗闇の大樹海』のモンスターが、罪も無い民を襲って被害を出すという事態を。
だが、貴族たちの反応は冷淡だった。
「ですから、その為に冒険者を呼び集めているのでしょう? 彼らは既に樹海内で魔物の掃討に従事しております」
「うん。それで今のところは大きな問題は起こっていないね」
ヴィクトルが呆れも露わに言い、トゥリウスもそれを追認する。
樹海の入り口付近で行われている魔物の間引きは、上手くいっているだろうと。ならば問題は無かろうと、本気で言っているのだ。
「だが、実態はどうであるか? 一部の冒険者が恣意的に狩り場を占有し、他の者の収入や練度に悪影響を及ぼしているとも聞くが、如何に!?」
セドリックが痺れを切らしたように口を開き、制止し損ねたニノンが天を仰ぐ。
そう、実際には問題が起こっているのだ。マルランを拠点とする冒険者全体に、影響のある問題が。その為に『守護の天秤』は事態を動かそうと逸り、そして壊滅してしまった。
だというのに、
「それは……ギルドや当事者同士で解決するべきでは?」
「ええ。何しろ冒険者は、関係の無い者からの掣肘を嫌われるのでしょう? そうまでして独立不羈を保たれるのでしたら、身内の問題には御自ら対処して頂かなければ。その為のギルドでしょうに」
返答は関係無いの一点張りであった。
この貴族どもは事の本質を分かっていない。樹海の奥に潜む魔物を刺激せず、浅い層の魔物を間引きしていれば大丈夫だと高を括っているようだが、それは間違いだ。西方で名を上げた『緋色の大盾』にしてみれば、あまりにも甘い認識である。
魔物の本質とは、あらゆる生命に対する敵対者だ。光ある世界に住まう全ての者に、敵意を抱く存在なのだ。故に度々、塒となっているダンジョンを出て人里を襲い、恐怖と混乱を振り撒いていく。そんな化け物が、そう長い間樹海の奥で大人しくしている訳が無い。いつか必ず、森を出て人間を襲い始めるに決まっていた。
砂漠を越えて西方を襲ったモンスターは、全てそうであった。幾ら棲み処に豊富な餌があろうと、それを打ち捨ててでも人間を攻撃しに現れる。奴らは生態系だの食物連鎖だのなどという小理屈に縛られた動物ではない。あくまでも魔物、この世の条理を外れた怪物たちなのだ。
トゥリウスたち、そして狩り場の占有など目論んでいる阿呆どもには、その点への理解が欠けている。いつ強力な魔物による本格的な人里襲撃が起こるかも分からない。だというのに、周辺の冒険者全体の質低下に繋がりかねぬ悪行が蔓延っているなど、考えられたものではない。そんなことを平気で出来るとは、件の中堅冒険者とやらは魔物を狩りの獲物程度に考えることの出来る、そんな甘い地方でのし上がったのに違いなかった。常に魔物どもの脅威に脅かされている西方で、そんなことをする輩がいたら、ジラールたちがすぐさまぶった斬っている。
「……そんなに怖い顔をしなさんな」
我知らず殺気を漏らすジラールらに、そんな声が掛けられる。
声の主はトゥリウスに近侍する武官風の男だった。黒髪を適当に刈り上げた素っ気無いなりの男だが、長身であり引き締まった体躯の持ち主である。服装は質の良い物で揃えられているが、醸し出される粗野な雰囲気とは不釣り合いに映る。恐らく、取り立てられた元平民の一代騎士か何かだろう。出自より実力を重視される武官にはよくあることだった。
「お互い、挨拶の為に取り持った場だ。そう固くなることも無ェだろ、お客さん」
「……失礼した」
ジラールは目礼で謝意を表する。
が、内心ではこの男の実力を推し量っていた。Aランク冒険者は大抵の場合気配の抑制にも長けている。強力な魔物を相手取る際、奇襲を気取られないようにする為だ。ましてや『緋色の大盾』は王国屈指の魔境である西方辺境の出身である。それが漏らした僅かな殺気を感じ取るなど、並大抵の力量ではない。
「そちらは?」
「おや、これは当家の家臣が失敬。彼はドゥーエ。僕の筆頭武官です。ほら、ちゃんと挨拶しなよ」
「……ドゥーエ・シュバルツァーだ。挨拶が遅れてすまん。名高いAランク冒険者と会えて光栄だ」
主に促されたドゥーエは、億劫そうに頭を下げる。姓の響きからして出身はザンクトガレンだろうか。だとしたら、わざわざ隣国からこんな田舎貴族――それも相当に悪名高い男――に仕えに来るとは、物好きもいたものである。
「え、ええっと……ドゥーエさんも、その、名高い戦士の方と見受けましたが」
気を取り直すようにそう言うのはニノンだ。気まずい雰囲気が続いたところに降って湧いた話題転換の機会である。話を逸らして場を整えようという腹積もりなのだろう。
果たして彼は、自嘲気味に鼻を鳴らした。
「そんなに大したものじゃねェさ。アンタらに比べりゃカスみたいなもんだろうよ」
「あんまり謙遜するなよドゥーエ。そんな言い方をされると、君を雇った僕が馬鹿みたいじゃないか」
「……彼は元冒険者なのです。当時の等級は確かB、でしたか」
代わって答えたのはヴィクトルだ。
Bランクといえば歴とした高位冒険者だ。討伐依頼の多いザンクトガレンなら、幾らでも稼ぐ当てもあろう。それに見たところまだ二十代の若さである。その若さでBまで昇り詰めているのだ。経験と実績を積めば、三十歳を越えるかその手前かで、Aランクに昇格する目もあるだろう。冒険に見切りを付けて貴族の家臣に鞍替えするには、まだまだ早過ぎると言える。
「いえいえ、立派なものだと思いますよ?」
「ああ、そうだな――」
ジラールはニノンの言葉に肯いて、
「――これだけの実力者と、噂に聞く【銀狼】。組ませて樹海を調査すれば、俺たちの出る幕など無いほどにな」
更なる爆弾を投下した。
ニノンの表情が気弱な愛想笑いのまま凍りつく。
「そう言えば、噂に聞く彼女の姿が見えませんな。如何されたんで?」
訝しげにそう聞くのはゴーチェだ。
幾ら『緋色の大盾』が辺境の出だからと言って、有名な冒険者の噂に無知ではいられない。自分たちの活動する地域に移ってくれば、手ごわい競争相手になるかもしれないし、頼れる味方となるかもしれないのだ。……そして悪い方に転べば、こちらの寝首を掻きに来る恐れもある。
そういう意味では、トゥリウスの囲っている【銀狼】のユニという女冒険者は、良くも悪くも有名だった。十代前半という若輩、かつ奴隷の身でありつつ、Cランクながら特例で二つ名を与えられるほどの凄腕。その一方で、実力を評価されながらCより先に進めないのも肯けるほど、問題行動も多々起こしている。例の死に損の決まりをいいことに、同業者を兎に角殺す。狩り場の優先権で揉めた者、何かしら無礼を働いた者、理由さえあればひたすら血祭りに上げていた。まるで血に飢えた狼だ。そして誰ともなしに囁かれた綽名が、銀色に呪われた獣、である。
昨年など、彼女がさる伯爵家の隠し子であるという噂も流れたが、どう考えてもガセである。こんな伯爵令嬢などいる訳が無い。仮にいるとするなら、それこそオーブニル伯爵家に、だろう。
そんな怪物じみた娘に首輪を掛けて飼っていたのが、目の前の貴族トゥリウス・シュルーナン・オーブニルであった。
「ユニのことですか? さて、彼女も忙しい身の上ですからね……」
狼の飼い主は、惚けたように天井に視線をやる。
何とも思わせぶりな仕草だった。
「もしかして、殺――」
「ゴホンっ! ケホンっ! エッホンっ! あー、すみませんっ! 急に咳がっ!」
天を仰ぐ身振りと、目の前の青年の二つ名から連想した結論を口にしかけたジラールだが、ニノンのわざとらしい咳払いに遮られる。
トゥリウスはそんな彼らの様子を不思議そうに見やった。
「おや、どうしました?」
「いえ、何でも無いんです、せ、咳が出ただけですので、コホンコホン……」
「具合が悪いのでしたら、薬を持って来させましょうか。あの子に会いたいって言うなら、ついでに呼んでも良いのですが」
「お、お構い無く……」
普通に別の場所にいるだけなら、意味深に上を見るなど止めてほしい。そんな内心をおくびにも出さず、ニノンは行為を謝絶する。
「話を戻しましょうか。ええっと、どうしてドゥーエとユニで樹海の奥地を探らないのか、でしたっけ?」
「ああ。元Bランクの彼に、CランクといえどAランク相当とも評価される【銀狼】がいるのだ。調査に向かわせるのに不足は無いと思うが」
「そうは仰いますがね」
トゥリウスは苦笑をひらめかせた。
「僕たちはあのダンジョンに対して、長期的に腰を据えて対策をしていくという姿勢でいるのです。冒険者ギルドと共同歩調で、ね。短兵急に解決しようとこのマルランが保有する戦力のみで強行しても、ほら、失敗した時のリスクなどもあるじゃあないですか。万が一ユニやドゥーエが失われたら、早々に替えなど効かない訳ですし」
「成程、な」
要するに、火中の栗を拾いたくないということなのだろう。自分の手駒を損なう恐れのある選択を取りたくない。かと言ってダンジョンを放置するつもりは無い。更に言えば、この事態をどうにかして利益に結び付けたい。
虫が良過ぎる話だった。腹の立つことに、事態はおおむねこの男の都合が良い通りに進んでいる。トゥリウスは身銭一つ切ること無く、この地にAランク冒険者を来させることに成功しているのだから。
「さて、話が長くなりましたね。どうです? お茶のお代わりでも」
ジラールたちはその申し出を固辞する。もう先程までのように、この屋敷で無邪気に茶を楽しめる気分ではなくなっていた。
※ ※ ※
「あー、やれやれ……案外、面倒な客だったね冒険者ってのも」
客が帰った後の応接室。行儀良くしている必要は無くなった。僕は肩を回して凝りを解すと、ソファーに深く掛け直す。
「お疲れ様です、閣下」
「うん。それにしても珍しいね、ヴィクトル。君が素直に僕を労ってくれるとは」
本当に珍しいことだ。この骨の髄まで貴族精神の染みついた歩く典礼教本みたいな男が、開口一番に発した言葉が労いの意とは。これは明日辺りに雪が降るに違いない。
「まあ、注進申し上げたき儀は幾つかございますがね。それ以上にお客人が面倒な方々だったという点に共感しておりまして」
「ふぅん……? そんなに問題だったかよ、あの連中」
などと不思議そうに言うのはドゥーエだ。あの連中も彼にとっては元同業。幾分か肩入れしたくなる所があるのは仕方ないが、いつまでもそれでは困る。彼ももう一代騎士の叙任を受けた僕の家臣、立派な貴族側の人間なのだから。
「大問題ですね。礼儀作法については、育ちも有りますし大目に見ましょう。ですが、たった今対面したばかりの領主に対し、政道の非を鳴らすとはどういうことなんです? おまけに高ランク冒険者に依頼を出せ、とは……」
「ちょっと金銭感覚がおかしいよね。仮にAランク冒険者を動かすとなると、ギルドに相当支払わなきゃいけなくなる。一昨年まで辺境の一弱小領だったマルランに、そんな蓄えがある訳無いだろう?」
そうなのである。意外に思われるかもしれないが、僕たちの領地経営は意外とカツカツで回っているのだ。何しろ、マルランがまともに税が取れるようになったのは僕が領主になってからだ。それまで公庫は空っぽ同然である。あの元代官たちが汚職で蓄財した金も、個人の贅沢な暮しを支える程度ならなんとかなるが、領地を手当てする予算にするには桁が足りないだろう。僕個人の財産? あの兄上に王都から身一つ同然で追い出されたのだ、大金を持っていたなんて間違いでも思ってほしくない。
最近はようやく税収が安定し、鉱山運営やポーション売却も軌道に乗って、一息吐いたというところ。マイナスがプラスに転じて然程間もないのだ。
そんな中からAランク冒険者パーティ一つ、或いはBランクパーティを四つほど雇える金を出せ? 本当にどうかしている。
「無理にそんな支出をしたら、他の政策に回す予算が足りなくなるよ。仮に今やっている町の拡張工事を最初から行っていなかったとしてもね」
「それ以前に、またぞろ中央から難癖が飛んできますよ。ドラゴンを屠れるだけの戦力を自ら領地に招き入れるなど、不穏な企みの証拠――などとね。昨年閣下らを取り逃がした兄君やあの老い耄れなどが、やりそうなことでしょう?」
「そう言われりゃ、そうだな」
ドゥーエはむう、などと唸りつつ渋々と肯く。
『緋色の大盾』の連中は、自分たち冒険者がどう見られているかについて、鈍感に過ぎる。怪物を狩って生きているということは、即ち彼ら自身が怪物以上の怪物であるという意味なのだ。それを個人の意思で動かそうとすれば、どうしたって政治的なしがらみに囚われてしまう。権力の最大の意義とは、暴力のコントロールにある。Aランク冒険者などという人類最大の暴力を個人が恣意的に動かすなど、権力者たちにとって愉快なことではない。別してそれが中央の政界と対立している個人によるものなら、尚更だ。
ヴィクトルの講釈は続いている
「ですから、冒険者ギルドと共同歩調を取り、彼らの側からAランク冒険者を動かしたいと言い出すまで待っていたのですよ。それをあの連中ときたら――」
「ははは、随分と嫌われたようだなオイ?」
「嫌ったのではありません。本音を申せば、元々冒険者という人種は好きではないのです。貴殿やチーフメイド殿には申し訳無いですがね」
「ほお?」
これは意外な事を聞いた。ヴィクトルが嫌っている相手なんて、あのラヴァレ侯爵か、勝手に彼の脳味噌を弄った僕くらいのものだと思っていたのだが。
「何しろ、冒険者は基本的に漂泊の輩である訳でしょう? だから税を取ることが出来ない。土地に縛られず、自由だの独立独歩だのと叫んでいるものですから、法度に服す心も無い。実力主義と死に損の掟を良いことに、町中で人死にが出るほどの喧嘩騒ぎを起こす……それでいて武力だけは並の兵隊など及びも付かない領域にあるというのですからね。統治する側にとってこれ程始末に負えない存在など、それこそモンスターぐらいですよ」
余談だが、彼の言う通り冒険者から税は取れない。一応は市町村に置かれているギルド支部が間接的に納税する形を取っているが、どれだけ素直に払っているかは怪しいところだ。帳簿を監査させろと要求しても、大抵は機密保護を盾に断られる。依頼人の情報が筒抜けになってしまっては、貴族や豪商などの動向もすっぱ抜かれるから仕方の無い面もあるだろう。だが、金の流れが不透明な納税者なんて、領主や国にとって歓迎出来る存在ではない。
「手厳しいねェ……冒険者は人と同じ姿をした魔物、っていうのはよく聞く例えだが」
「ええ、良く言ったものです。国や領主に従わない武装勢力など、魔物という人類共通の天敵あって、初めて存在することを許されているのですから。仮にモンスターが絶滅でもすれば、次に根絶される対象は冒険者でしょうね」
話を聞いたドゥーエは、腕組みをして考え込みだす。ヴィクトルの語った持論と、自身の経験とを照らし合わせているのだろう。彼も僕の下で武官をやり始めてからもう少しで二年目になる。そして今年は領地に冒険者がやってきた最初の年だ。今や治安維持の為に兵を率いる立場にある彼も、冒険者がらみの揉め事に骨を折ったことは一度や二度ではないだろう。
「冒険者の害、か。キッツイな……ただ剣だけを振っていた頃にゃ、考えたことも無かったぜ」
「そう言う素直なところは貴殿の美点ですな。ただ、誤解なさらないように。私は不穏分子である冒険者が嫌いなのであって、別にドゥーエ殿に含むところはございませんよ」
ヴィクトルは慰めるようにそう言う。
素直、というより常識的な感性の賜物だろう。筋道の通った意見は慎重に玩味し、自分の中で消化しようと努める。当たり前のことだが、当たり前のことだからこそ難しい。特に僕の勢力には色々と偏った価値観の持ち主が多いので、ドゥーエのようなバランス感覚は貴重な資質だ。
僕は自分の『作品』を好ましく思いながら、カップに残った紅茶を啜る。……すっかり冷めていた。まあ、残すと勿体無いから飲むけど、淹れたてのおかわりで口直ししたくはある。
「ユニ、おかわりをお願い」
「はい、只今」
声を掛けると、彼女は即座に僕の傍に現れた。
ドゥーエもヴィクトルも今更驚きはしない。ユニの神出鬼没っぷりには、彼らも既に慣れたものだ。加えて今回は、初めからどこにいたのか知っていたということもある。
「ご主人様、出来れば私が潜んでいた場所を眼で追うのは御遠慮下さい」
僕のカップにお茶を注ぎつつ、彼女はそう言う。
「ん? 僕、そんなことをしてたかな?」
「ああ、してたな。会見中、何度か天井の方に視線が向いていたぜ」
具体的に指摘するのはドゥーエだ。
何てこった。僕は思わず目を手で覆う。
「あちゃあ、完全に無意識だった……拙いなあ、彼らにも気付かれたかも」
「それは無いかと。私の存在を察していたにしては、無警戒に過ぎましたから」
ユニが言うなら、多分そうなんだろう。
僕としたことがつまらないミスをしたものだ。少し緊張感が欠けていたか。このところ陰謀対策より研究の方に熱を入れていたこともある。とんだ気の緩みもあったものだ。今回は相手に気付かれなかったから良かったものの、これが兄上やラヴァレ侯爵との暗闘中だったら、取り返しのつかない失点になっていたかもしれない。
「しっかし、案外気付かれないものなんだな。向こうもAランクで、加えて野伏までいたってのに」
「恐らく、殺気が漏れなかったからでしょう。途中、何度か危ういところはありましたが」
「閣下が抗議を受けたくらいで、殺気立たないで下さいよ。その度に人が死んでいたら、またぞろ悪名が広まりますよ?」
そう、ユニは『緋色の大盾』の四人に隠れて、ずっとこの会見を監視していた。いや会見が始まる前、彼らがこの部屋で寛いでいた時から、いやいやヴィクトルに連れられてここに来る道中から、じっと様子を窺っていたのだ。
先程ドゥーエの言った通り、天井裏に潜んで。
何しろあの連中は武装している上に、仮にもAランクの冒険者だ。もし万が一誰かと通じて刺客の役を請け負っていたら、僕の身が危ない。各種防御礼装で身を固めていても、である。なので、彼らが怪しい素振りを見せたら、即座にユニが天井から奇襲を掛けるという段取りになっていた。
それに加えて、
「お客様が――特にあの野伏の方が、何かをこの屋敷に仕掛けた様子はございません」
「へえ? それは良かった、一安心だね」
彼らが盗聴用の礼装などを仕込んでいくことも、防止させていたのである。
「ちょっと神経質過ぎねェか? 高位の冒険者ってのは気位が高い。雇われて刺客や間者になるとは思えねェんだが」
「何言ってるんだい、ドゥーエ。去年にも間者になった冒険者が来たじゃあないか」
僕が言うのは、あの『緑の団』だとかいうCランクのパーティのことだ。王都の兄上に雇われていた彼らは、見事にこちらの工作に掛かって煙に巻かれてくれた。が、Cで駄目なら今度はA、という風に兄上たちが単純に考える可能性も無くは無い。
こちらがAランクの矜持とやらを信用して無防備に胸襟を開けば、今度こそ企みは成功する……なんていう考えも有り得るのだ。
「第一、腕っ節と見栄だけで世の中を渡っていけるんだったら、何で社会は王侯貴族を中心に回っているのかな? あのパーティの神官のお姉さんも、僕らと揉めないように、汗だくになって頑張っていたじゃないか。下手に貴族を敵に回さないように、さ」
「つまり、Aランクとはいえ貴族に飼われることもあるってことか?」
「ああ、そうさ。権力、金銭、礼儀、義理人情に正義感……冒険者としての実力だけじゃ無視出来ない要素が、世の中には一杯ある。そうした諸々を掌で転がすのが貴族だの商人だのって商売さ。たとえAランクパーティとはいえ、首輪を着ける方法は幾らでもある。そもそも冒険者ギルド自体、カナレス商人どもの紐付きじゃないか。そう考えれば、誰の色にも染まっていない冒険者なんて、この世に一人もいないよ。……まあ、今回は杞憂だったようだけどね」
とはいえ、今後も冒険者連中に気を許すつもりなど無い。ヴィクトルの言う通り、初めから僕らの制御を受け付ける気の無い、潜在的な不穏分子たちなのだから。
いや、そもそも僕は洗脳して完全な服従を誓わせた者しか信用できないのだが。
「と言うより、閣下ほど冒険者と相容れない貴族もいないでしょうね。何しろ、あのダンジョンを造ったのは貴方なのですから。事が露見したら、大陸中の冒険者が貴方の首を求めて飛んで来ますよ」
ヴィクトルも酷いことを言う。まあ、事実だから仕方ない。ラボの防壁兼素材用のモンスターの牧場として大樹海をダンジョンに改造したのは、他ならぬ僕なのだから。幾ら冒険者たちの商売の種とはいえ、モンスターは人類共通の敵。その塒であるダンジョンを経営する者を許せる道理は無い。
僕は家臣の辛辣な意見に含み笑いだけで答え、紅茶に口を付ける。折角ユニが淹れてくれたのだからまた冷ましてしまっては申し訳無い。程良い温みを湛えた液体を、じっくりと味わいながら喉の奥に嚥下した。
……ああ、美味しい。
「ご馳走様、ユニ。……さて、行こうか」
「はい、ご主人様」
カップをソーサーに置くと、僕は彼女と連れ立って歩き出す。
「閣下、どちらへ行かれるのです?」
「何言ってるんだい、ヴィクトル。お客様はキチンと歓待するのが主人の礼儀だろう?」
人からよく礼儀知らずだと言われる僕にだって、その程度の常識はある。だから、それにはちゃんと従うまでだ。
「こっちだけじゃなく、向こうにも行きたいって言うんだ。ちゃんと歓迎の準備をしておかないとね」




