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046 魔の森へ飛べ<後篇>

 

 地を覆った炎が消え失せると、やはりそこには焦げ跡一つ無い森の風景が広がっていた。ブスブスと燻り煙を上げているのは、倒れ伏した四人の人間――いや、三人の人間と一人のハーフエルフのみ。これぞ暗黒の魔法の力。生者のみを苛み、苦痛を絞る為に編み出された、魔の秘術の効果である。

 そんな惨状の中で、唯一動ける者など、それを齎した加害者に他ならない。

 マンティコアだ。

 怪物はぶるりと身震いを一つすると、それだけで身体のあちこちに刺さっていた矢を撥ね飛ばした。突き立っていた鏃はいずれも分厚い表皮の半ばまでに留まり、骨どころか筋肉にすら達していなかった。シランが必死に射続け、ジョエルが己ごと撃たせてまで浴びせた攻撃の成果が、これだった。


「くくくっ……贄ェ……」


 マンティコアは、獲物の状態を見るや舌舐めずりする。四体とも程良く生焼けだ。生半な相手では全てを焦がし尽くしてしまい、新鮮な肉の味を賞味することが出来ない。久方ぶりに、トロルやオーガなどではない、本物の人間の味を愉しめる。それが嬉しくて堪らないのだろう。


「脳から喰おうかァ? 腸から喰おうかァ? 肉を齧りたい、骨をしゃぶりたい、目玉を舌で転がしたいィ……。贄ェ……お前ら、良き贄であるぞォ?」


 だらだらと涎を垂らしながら、自分を焦らすようにゆっくりと御馳走たちへ歩み寄っていった。

 さて、どれから頂いたものか。良く鍛えられた剣士か、徳を積んでいそうな神官か、肉の柔らかい女魔導師か、変わり種のハーフエルフか。どれも魅力的で目移りしそうだ、などと邪悪な頭脳で思考を弄ぶ。

 と、


「ぅ……」


 人間の女――ロザリーが、微かな呻き声を上げた。

 生きている。

 辛うじてではあるが、彼女にはまだ息があるのだ。

 おそらく、マリアーノの神聖魔法がマンティコアの魔法の威力を減じ、ギリギリのところで命を繋ぐことが出来たのだろう。

 それは紛れもなく奇跡だった。だが、この上無く無意味な奇跡である。

 ロザリーに、最早抵抗する力は無い。傷ついた身で、仲間も無く、魔法の詠唱に時間の掛かる魔導師だ。魔法抜きでも屈強な肉体と致死の毒針を備えるマンティコアに、どうして対抗出来ようか。

 そもそも生きているとはいえ、意識は無いか、あっても苦痛で朦朧としているだろう。とても戦える状態にはない。

 だからこの生存は、捕食者に獲物を甚振るという極上の調味料を与えるだけのことなのだ。


「贄ェ……女ァ……悲鳴ェ……聞きたいィ」


 鮫のような歯をカチカチと鳴らし、唾液を飛沫と飛ばしながら、マンティコアはロザリーに近づいて行く。

 彼女は動けない。敵が己に迫っていることすら認識していない。苦痛の中で、意識せぬままにうわ言を口走るだけだった。


「ごめん、ジョエル……私、役に……立て、なかった……」


 普段であれば、死んでも言わない類の弱音が、少女の唇から洩れ出している。

 マンティコアはその声にうっとりと耳を傾けていた。人間たちの苦悶、怨嗟、そして嘆き。それらの負の感情は、彼ら魔物にとっては血肉と同等に食欲をそそられる好物なのだから。

 自分の吐く言葉が怪物を喜ばせているとも知らず、ロザリーの懺悔は続く。


「ごめん、なさい……私、馬鹿で……足手、纏いで……」


 信と想いとを寄せた相手を、自分の無力が裏切った。

 その悔悟の言葉を聞き届けるのは、あろうことか人喰いの化け物のみ――




 ――否。




「そんなこと、ないさ」


 怪物の視界の死角で、何かが立ち上がった。

 鎧の部品が擦れ合う音。具足の踵が地を踏む音。そして、刀剣の鍔が鳴らす音。

 パーティ『守護の天秤』リーダー、若き剣士ジョエル。彼は満身創痍の身体を押して、剣を片手に立ち上がっていた。


「ロザリーのお陰で……俺はまだ、戦える」


 何を馬鹿な。我が魔法を受け、死に損ないに堕ちた身で、どう戦うとほざくのか。

 鬱陶しげに声の方を振り返ったマンティコアは、その人面で人がましく驚きに目を瞠った。

 ――炎だ。

 ジョエルの剣に、火が灯っている。闇の魔法の禍々しいぎらつきではなく、人の祈りが形を為したかのような輝きで、炎の剣が燃え猛っていた。


「お前が作ってくれたコイツで、ギリギリ相手の魔法を斬ることが出来たんだから……!」


 ≪イグニス・ファタス≫に呑まれる直前、ロザリーが詠唱を終えた魔法。

 それこそ魔法剣≪フレイム・タン≫。武器の刀身に炎の魔力を付与し、火竜の燃え盛る舌の如き魔剣と化す。その切れ味は鋼すらも溶断し、魔を込めた一刀は術式すら斬り払うといわれる秘法だった。

 本来、ロザリーは単なる田舎貴族の娘だった。魔導師としては魔力に恵まれず、魔法の知識量もかつての家の蔵書で見知った程度。そんな凡人である彼女が、天賦の才を持つ剣士ジョエルと共にある為、心血を注いで会得したのが、剣に魔法を付与する術である。物になったのは僅かに炎の一属性のみ。されどその分、術式の強度と精度は折り紙付きだ。

 その炎は鮮血の驟雨に濡れても消えること無く、その刃は悪しき敵のみを焼き斬り斃す。これこそ、『守護の天秤』最初の二人が至った、剣と魔の境地である。


「贄ェ……! 贄ごときがァ……!!」


 怪物は屈辱に声を上げる。

 そんなものが。たかが魔導師の手品と剣士の手妻が、自分の魔法に抗ってみせたというのか。

 言葉にせずとも侮蔑の念は伝わったか、しかしジョエルは首を横に振った。


「ロザリーだけじゃない。マリアーノさんが護りをくれなかったら、耐えられなかった」


 そして、言いながら一歩を踏み込む。


「シランが庇って、さらにポーションまで飲ませてくれなかったら、立ち上がれなかった」


 更に踏み込みつつ、口元を拭う。擦った手の甲には赤紫色の濡れ光る汚れが付着していた。飲まされたというポーションの残滓のようだ。ハーフエルフの少女は、あの一瞬でそんなことまでしていたというのか。


「……誰か一人でも欠けていたなら、俺は今ので戦えなくなっていたんだ」


 ジョエルはついに一足一刀の間合いに達し、燃え盛る剣を構えた。

 マンティコアも、憎悪の眼差しを注ぎつつ、それに向き直る。


「俺と俺の仲間を舐めるなよ、怪物。俺たち全員の力で、お前を、倒す……!」


「ほざくなァ……っ!!」


 先に動いたのは、マンティコア。少年の語る人間に都合の良い陳腐な絵空事、それを聞き続けることに我慢がならないと、前足の爪を伸ばして飛び掛かった。

 目方にしてトンは超えるだろう巨体が、颶風の勢いで躍る。ジョエルは姿勢を低くしてそれを待ち構え、


「……はああああっ!」


 切り上げで迎え撃つ。

 火山の噴火の如く、下から上へ走った剣は、怪物の右足へ斜めに深手を負わせた。


「ぐゥ……っ!?」


 斬撃と火傷の痛みに、マンティコアが呻きを漏らす。魔法剣と相対するのは初めてであった。異なる苦痛を同時に与えられる感覚もさることながら、先程までは苦も無く捌けていた剣撃が爪を溶かし割り、前足を傷つける。この威力の向上には脅威を覚えざるを得ない。

 そうこうする内に、返す刀で逆袈裟が降ってくる。


「贄がァ……!」


 辛うじて尾を盾に防いだ。だが、尾を武装する棘の幾つかが焼け融けて流れ落ちる。

 そのまま鍔迫り合いとなった。ここで右前足の傷が響いてくる。剣を押し込まれないよう尻尾に力を入れる為に、足で踏ん張る必要があるのだが、前足の痛みで十分に利かない。万全の状態であれば苦もなく弾き飛ばせた、人間如きの剣。それが怪物たるマンティコアと、完全に拮抗していた。

 炎の剣は鍔迫り合いに喰い止められつつも、じりじりと尻尾の甲殻を焼き切り溶断せんと、その刃を進めてくる。


「……このまま押し切るっ!」


「させぬゥ!」


 マンティコアが吼え、尾の先端から毒液を噴霧した。毒針の角度を調節することで、尻尾を固定されていても自由な射角を保てるのだ。

 飛散する致死の汚濁に、堪らず飛び退くジョエル。

 距離を取った彼に対し、魔物は再び嘲弄の笑みを浮かべる。


「惜しいィ……! 惜しかったなァ……? 好機ィ、今だけが好機だったのにィ……!」


「何だと……?」


 怪訝な顔をする剣士に、怪物はゆっくりと尻尾を動かす。

 毒針の先端を、倒れているロザリーに向けて。


「なっ!?」


「人質ィ……! 人質だァ……!」


 マンティコアは嬉しそうに尾の先端を微かに揺らした。零れた毒液が、ロザリーの顔のほんの十センチ横の地面を焦がす。

 ジョエルが勝つには、先程の内に押し込まなければならなかった。何故なら、周囲には彼の仲間が倒れ伏している。一気呵成に攻め立て無ければ、このようにして人質に取られてしまうのだから。

 この怪物は、獲物の性質を知悉していた。人間には二つの種類がある。一つは仲間に構わず逃げ出したり、見捨てて諸共に攻撃したりする者。もう一方は、愚かしいことに仲間を助ける為に自分の命すら省みない者だ。ジョエルはどう見ても後者である。命の瀬戸際で絆だの結束がどうのと抜かす阿呆に、人質は覿面に効くだろう。

 が、


「≪ファイアボール≫っ!」


「ぎゃああああっ!?」


 何ということだろう。他ならぬその人質が、マンティコアに魔法を叩き込んで来たとは。

 炎の魔法を放ったロザリーは、杖に依り掛かるようにして立ち上がる。


「……だ、誰が、人質よっ! この私が、そんな足手纏いなんかになって堪るもんですかっ……!」


「ロザリー!? 気が付いたのか!」


「当たり前じゃない、私は魔導師よ。魔力がある分、剣士なんかより魔法には強いんだからっ」


 言って、強がりの混じった笑みを浮かべる。今にも倒れそうで、実際先程まで意識が混濁していたのであるが、幸いにもジョエルが立ち直るまでの時間を稼いでくれた。押し切れずとも、倒せずとも、彼の奮闘には意味があったのだ。

 魔法の火の玉を喰らって吹き飛んだマンティコアが、悔しげにわめく。


「がぁああああああっ! 足掻くな贄ェ……! 大人しく喰われろォ……!」


「お生憎様――」


 聞くに堪えないその声を遮って、


「――我が神は、生ある限り足掻けと仰っております。……≪ワイドヒール≫っ!」


 神聖なる癒しの光が、その場に居る全ての人間を包んだ。

 気が付けば、マリアーノが起き上がって回復魔法を発動している。


「マリアーノさん!」


「ちょっと! 起きてたんなら、早く回復して下さいよ!」


「ははは……それがですね、私が息を吹き返したのはジョエルくんが啖呵を切ってる真っ最中でして。それなら敵に気付かれない内に、回復魔法を詠唱しておこうかと。いやあ、ロザリーさんが人質にされそうになった時は焦りましたよ」


 抜け目なく立ち振舞った神官は、頭を掻きながらそう言った。

 考えてみれば、魔法の使い手が高い抵抗力を持つなら、彼はロザリーに次いでそれが強い筈。ダメージを軽減した神聖魔法を使ったのも彼である。加えて、多少損傷したとはいえ強力な防具を身に纏っていたのだ。恐らくはメンバーの中でも、最も体力に余裕を残しているに違いない。


「おのれェ……! おのれェ……! ならばもう一度――」


 ギザギザの歯を軋らせながら、マンティコアは次の手を取る。

 呪文の詠唱。一撃でパーティを半壊に追い込んだ魔法を、もう一度叩き込んでくれよう。初撃を持ち堪え回復を行ったとはいえ、そのダメージは完全に帳消しとはいくまい。そこへ二度目となれば、今度こそ戦闘不能になる者もいよう。怪物はそう計算していた。

 だが、


「――がっ……!? な、に……っ!?」


 不意に生じた全身の痺れが、特に舌に感じた引き攣りが、詠唱を中途で断ち切った。どんな魔法も、詠唱を中断させられては発動出来ない。使えるとすれば最初から無詠唱のものくらいである。当然、マンティコアの魔法もキャンセルされ、発動に要した魔力も霧消していく。


「……やっと効いてきたのね。……元々遅行性だったけど」


 そう言うのは、これまたいつの間にか復帰していたシランだ。ハーフエルフの少女は、当惑する魔物へ冷たい視線を注いでいる。


「……わたしの矢には、麻痺毒が塗られている。……かすり傷程度でも、血管に入れば全身に回るような物が」


「なっ……!?」


 その言葉に、マンティコアは更に混乱した。

 致死性のものではないとはいえ、毒矢だ。そんな代物を、味方を巻き込んで撃っていたというのか。


「……ジョエルの作戦には、いつもながら呆れさせられる。……貴方が先に麻痺してたら、どうするつもりだったの?」


「そうなる前に、隙を見て解毒剤を飲むつもりだったさ。もっとも、先にシランから飲まされたみたいだけど」


 ジョエルが言うのは、押し倒すように庇ってポーションを口に流しこんだ際のことだ。あの時、ついでに麻痺毒を治す薬も投与されていたのだという。何という早業だろうか。かつてはスリで鳴らしていた、シランの技巧が為せる業である。


「……それにしても、毒を持つマンティコアに麻痺毒が効くなんて」


「有毒生物も、自分が持たない別種の毒には弱いんですよ。また毒袋が破けると、自身の毒で死ぬ生き物もいるっていいますしね」


 マリアーノが呑気に解説する声に、マンティコアの人面が恥辱の色に染まった。


「ぬぐっ、ぐぅうううううううっ……!!」


 強張り、痙攣する肉体を、己の意思で以って強引に稼動させる。

 贄であると、餌であると認識していた人間風情に、ここまで虚仮にされるとは。

 屈辱だった。生ある者を狩りたてる魔獣として、あるまじき失態である。

 故にマンティコアは、ここに至って遊びも慢心もかなぐり捨てた。

 殺す。もう殺すしかない。喰える部位を残すだとか、甚振りながら楽しんで仕留めるだとか、そんなことはもうどうでもいい。この獲物にあるまじき連中を、一秒たりとも生かしておけない。こいつらを絶殺せねば、己の魔物たる誇りを取り戻せないのだ。

 右前足に傷を負った? それがなんだ、足はまだ三本ある。

 魔法が封じられた? だからどうした、爪も牙も尾も毒針も残っているのだ。

 麻痺毒で痺れている? 関係無い、多少の痺れを差し引いても身体能力差はこちらが断然に有利。


「ご、ろ、ずゥウウウウウ……っ!!」


 麻痺で自由を奪われた口から、ひび割れた叫びが漏れ出した。

 空気がバチバチと弾け、殺気が旋風となって渦巻く。


「……気を抜くな、皆っ! まだどうなるか分からないぞ!」


 ジョエルの喝が、逆転の気配に緩んだパーティを引き締め直した。

 そう、マンティコアの討伐等級はB+。本来であればCランクパーティ一つではどう転んでも倒せる筈も無い実力差がある。

 余裕と慢心につけこんで傷を負わせた。奇策を用いて麻痺毒を喰らわせている。頭数では四対一。こちらにはC級の領域を超えつつあるジョエルという戦力に加え、魔法剣という切り札がある……そうした要素が出揃って、初めて互角。いや、それでも四対六か三対七で不利なのだ。


「言われなくてもっ!」


「ええ、勿論ですっ!」


「……油断は、しないっ!」


 ロザリーが杖を構え、マリアーノがメイスを握り、シランが矢を番える。

 そして、ジョエルが未だに炎を吹き上げ続ける剣を、軍配のように振るった。


「行くぞっ! この化け物を倒して、必ず町に帰るんだっ!」


 冒険者パーティ『守護の天秤』と、闇の怪物マンティコア。

 その最後の総力戦が始まろうとしている。

 先にも述べたとおり、冒険者らのアドバンテージの全てが機能しても、なおも怪物が有利。それでもジョエルらが勝つ目も十分にあるという状態である。

 そんな戦局に、更なる一手が投じられた。


「――≪ウインドバースト≫」


 突如として生じた、魔法の突風。それがマンティコアを直撃する。


「に、贄ェえええええ……っ!?」


 驚愕と口惜しさに絶叫を上げながら、怪物は森の奥へと吹き飛んでいく。


「えっ?」


 いきなりの展開に間の抜けた声を上げたのは、一体誰だったろうか。ひょっとしたら四人全員だったのかもしれない。何しろ、本来なら自分たちではかなわないだろう強敵を追い詰め、すわ決戦だと意気込んだところで梯子を外されたのだ。一瞬、思考が空白になるのも仕方のないことではある。

 呆気にとられるジョエルらの方に、がさがさと草を掻き分けて何かが向かって来た。


「……こんなところで何をしているんですか! 危ないですよ!?」


 現れたのは、毛皮のチョッキを着込んだ森の狩人といった態の少年である。だが、こんな危険な樹海の中に単なる狩人がいる訳が無いし、マンティコアを吹き飛ばせる魔法を使えるような狩人もいない。実際、彼は常人ではなかった。

 シランが、少年の耳を凝然と見つめつつ呟く。


「……エルフ?」


 人のそれより鋭く尖り、長い耳。紛れも無くエルフである証拠であった。

 確かにこの大樹海は前人未踏の深い森だ。人間から隠れ住むエルフが暮らしていたとして不思議ではないかもしれない。が、大方の場合は人間嫌いである彼の種族が、どうしてこの土壇場で人間を助けるのか。


「兎に角、逃げますよ。このままだと、またあの魔物が追って来ますから!」


「あ、ああ……」


「こっちです、来て下さいっ!」


 行って、エルフの少年は風上に駆け出す。ジョエルたちは、なし崩し的に彼の背を追って走った。


「ちょっと、良いのジョエル?」


「あのまま続けても、被害を押さえつつマンティコアを倒せたかは微妙だ。ここは彼について行って離脱するべきだと思う」


「同感です。敵が遊び半分だから対抗出来ていた面もありますし、元より我々の目的は樹海奥地に何が居るかの調査ですからね。そういう意味では目標は達成していますから」


「……それはそうだと思う。……けど、あのエルフについて行っても大丈夫?」


「そこは、うーん……エルフだって私たちと魔物は敵でしょう? だったら信じても良い、かも」


 何にせよ、あのエルフが自分たちを助けてくれるというなら渡りに船だ。確かに人間とエルフは、彼らを奴隷にしているなどの理由から友好的な関係とは言えない。だが、森を出て人里で冒険者になるエルフがいたりと、完全に険悪でもないのだ。ましてや今は魔物を敵とする鉄火場である。善良で秩序を奉じるとされるエルフにとって、こちらを騙し打ちする意義は薄いだろう。

 それが常識的な考えだった。







 ……一時間ほど風上へ走り続けた彼らは、森の中のエアポケットのような、小さな空き地で立ち止まった。背後から追ってくる気配は無い。マンティコアは撒けたのだろうか。

 ジョエルらをここまで先導したエルフは、顔の汗を拭う仕草をするとこちらを振り向く。


「やあ、危ない所でしたね外の方々。どうしてまた、こんな暗い森の奥へお越しに?」


 危地を乗り越えた安堵からか、笑みを浮かべつつそう言った。

 この大樹海は未開の森だ。おそらくこのエルフは、人間という種族の存在は兎も角、冒険者という職業のことは知らないのだろう。


「えっと、俺たちは魔物退治を仕事にしている者だ。この樹海にも、その為に来た」


 リーダーとして口火を切ったジョエルは、幾分かぼかして説明をした。森林に踏み入ってそこに暮らすエルフと揉める冒険者も多い。魔物討伐ではなく、森で採れる希少な植物やキノコを目当てとする場合もあるからだ。そして、そうした品々は当然、森の先住者であるエルフにとっても価値が高い物なのである。この場でそんな事情まで説明して、話を拗れさせるつもりは無かった。

 エルフの少年は微笑を続けている。


「そうなのですか! 凄いなあ、あんな怖い魔物を退治しに来ただなんて! ここで暮らす僕たちも、大助かりですよ!」


「あはは、それほどでもありませんよ」


 マリアーノも釣られたように笑った。


「ホントに、褒められるようなことでもないわ。大体、マンティコアは仕留め損なった訳だし。……あっ、別に貴方を責めているんじゃないからね? あのまま続けていたら、こっちも拙かったから」


「そう言って頂けると助かります。気が楽になりますよ!」


 少年はロザリーの言葉にも朗らかに答える。

 そんな彼に、シランは、


「……ところで、貴方」


「はい? 何ですか?」


「……臭い演技は、そこまでにしたら?」


 冷たく、そう宣告した。

 ――ピタリ。

 そんな擬音が聞こえてきそうなほど唐突に、エルフの少年は一切の身動きを止める。表情が仮面の笑顔のまま固まった。

 だが、それも一瞬のこと。彼は再び滑らかな笑みで喋り出す。


「ちょ、や、やだなー! もう、何ですか演技ってー?」


「シラン? どういうことなんだ?」


「そ、そうよ! 何がどうなってるのよ!?」


 ジョエルは真剣な表情で彼女に問い、ロザリーは忙しなく仲間と見知らぬエルフを見比べている。マリアーノは、ふむ、と顎に手を当てつつ少年に細い目で視線を向けていた。

 シランは続ける。


「……感情の起伏が一定過ぎる。……声の調子が大袈裟。……まるで、スラムの女衒」


「ひっどい言い草だなー! 僕が女性に酷いことをする奴みたいだなんて! いい加減にしないと怒りますよ?」


 エルフは顔の横に拳を上げて、おどけたポーズで怒りを表現した。

 だが、そんな素振りに感銘を受けるシランではない。


「……怒るというなら、遅いと思う。……わたしのようなハーフエルフに、随分と寛容なのね?」


「っ!?」


「……エルフは、人の血の混じった子を嫌う。……眼に入れるのも拒むほどに」


 そう。普通のエルフはハーフエルフとこんなに長話はしない。あらぬ疑いを掛けられているとあらば、尚更にだ。自分たちを尊い種族だと自負するエルフには、時に毛無しの猿とまで痛罵する人間との合いの子など、許容出来ないのである。

 冒険者などという概念すら知らないほど、閉鎖的な里に暮らしているような場合は、更にその傾向が強くなる筈だった。


「いや、その……く、暗くて見落としていたし! それにその、なんだ……そ、そう! 僕はそういうのを気にしないんだ! 差別とか因習とか偏見とか、そんなのに囚われるなんて、馬鹿馬鹿しいと思わない? 僕はそう思っているんだ! それだけだって!」


「へえ、それは立派な心がけですね?」


「そうそう、話が分かるじゃない神官さんっ!」


 助け船を出したように見えるマリアーノに、少年はにへらっとした笑みを向ける。

 だが、


「それに随分と物知りなようだ。……女衒、だなんて外の世界の下品な言葉、どこで覚えたんです?」


「へ?」


「『女性に酷いことをする奴』ですか。良く意味をご存知ですね? どうしてそんな単語を知っているんです? ちなみに、正確には『素人の女性を娼館に連れて行く仲介業者』という意味です。……貴方の里にも娼婦や女衒が居るんですかね。私たちの格好を見て、何をしに森へ来たかも分からなかったエルフくん?」


 マリアーノは厳しい表情でメイスを構えた。眼前のエルフの少年を、完全に敵だと見なしている。

 ジョエルも剣を向けた。既に魔法剣の効果は時間切れで消えている。が、使い込まれた鋼の鈍い光は、十分に命を脅かす威力を湛えていた。


「それと、マリアーノさんが神官だなんてどうして分かるんだ? 全身鎧に身を包んで武器を持った男なんだ。人間の社会に――冒険者に詳しくないんなら、戦士って思うのが普通じゃないのか?」


「あっ、そういえば……って、ことは貴方っ! 私たちを騙そうとしていたのね!?」


 最後に、ようやく話を飲み込めたロザリーが、力を込めて杖を握り直す。

 このエルフの少年には、不自然な点が多過ぎた。まるで知っている筈のことを、わざと惚けているかのように。パーティに加わる前はスラムで育ったシランや、ソロ時代に散々辛酸を舐めたマリアーノにしてみれば、彼がこちらを騙そうとしているようにしか見えなかった。

 そしてジョエルとロザリーも、冷静な仲間二人のことを心から信頼している。

 『守護の天秤』の秤は、目の前の存在を敵と認識する方向に傾いていた。

 果たして、エルフの少年は諦めたように両手を上向けつつ肩を竦める。


「はぁ……お手上げだよ。意外に鋭いじゃん、毛無し猿と混じりっ子の癖に。この前の連中は、簡単に引っ掛かったのになぁ」


 そして、くつくつと笑った。侮蔑も露わに顔を歪めた嘲りの笑みを。

 ここに居るのは、断じて無害な森のエルフなどではない。もっとおぞましい何かだ。


「……この前の連中だと!?」


「ん? そこが気になるのかい? 一、二カ月前だったかな? アライアンス、とか言うんだったっけ? 幾つかのパーティを一緒くたにして、随分と大所帯で来た冒険者たち。その連中が魔物の襲撃で散り散りになってさあ……チャンスだったから、パーティ一つをこうやって誘導して、一網打尽にしてやったのさ。僕らに会わなかった連中には生き残りも出たんだろ? 惜しかったなあ。上手くいけば、そいつらも纏めて頂けたんだけど」


 つまりは、大樹海がダンジョンと認定されるきっかけとなった事件にも、このエルフが一枚噛んでいたということか。


「何でそんなことをするのよ!?」


「森を守るために決まっているだろう? 山師は鉱脈を見つけて山を拓きにここへ来た。冒険者たちはそれを捜索して助けに来た。けど彼らを無事に帰らせて、それで鉱山の採掘場なんて作られたら、この森が大変なことになるじゃあないか」


 臨戦態勢の冒険者たちに包囲されながらも、そのエルフは得々として自説を開陳する。

 彼の口調は、奇妙なほどに熱を欠いていた。例えば森を守るために人間へ仇為すと語った部分。森の守護者を自任しているならば、そこには義務感や使命感、或いは人間への憎しみや怒りなど、そういった情熱的な感情が混じるはずなのだ。だが、それがまるで無い。あるのは、ひたすらに冷たい蔑みと嘲弄の意思だけだ。

 エルフは両頬を醜悪に吊り上げながら、なおも続ける。


「大体さ、君たち冒険者だって貴族や商人に金を積まれたら、僕らエルフを襲うじゃないか。女子供を拐かして売り払う為にさ。酷いよなぁ、本当に。それこそまるで女衒だよ。あはははっ」


「もう良い……喋るなよ、お前」


 ジョエルの冷たい声音が、エルフのふざけた口上を断ち切る。

 これ以上、この減らず口に付き合っていたら、目の前の相手を叩き斬ってしまいそうだった。一思いにそうした方が世の為人の為だろうが、それは上手くない。コイツにはまだやって貰うことがあるのだ。


「黙って首を振るだけで良いから答えろ。俺たちを森の外へ案内するつもりはあるか?」


 この森からの脱出。マンティコアから逃走したことで、来た道へ戻ることは出来なくなってしまった。第一、この場所には目の前に立つ狂ったエルフに案内されて来たのだ。脱出経路を知る為には、どんなに腹が立つ相手だろうとコイツから聞き出す他ない。

 だが、エルフは再び見下したように笑う。


「……あははははっ! どっちも嫌だよォ~んっ! 黙るのも、案内するのもね!」


 その答えと同時に、ジョエルは動き出していた。


「そうかよっ!」


 言いながら、剣を振るう。丸腰の相手を傷つけるの主義に反するが、相手は悪意を持った狂人だ。言って聞かせて分からないのなら、多少痛い目に遭わせでも外への道を吐いて貰う。幸い、こちらには神官のマリアーノもいる。死にさえしなければ手足の一本が飛んでも回復魔法で治せるのだから、余計な手加減の必要も無かった。

 だが、


「――僕を守れ」


 ジョエルの剣閃は、不意を討って飛んで来た横殴りの打撃に阻まれた。


「がはっ!?」


「ジョエルっ!? ……ひっ!?」


 一溜まりも無く吹き飛んだジョエルに駆け寄ろうとしたロザリー。しかし、彼女は彼を吹き飛ばした者の前に立ち竦む。


「……OOOOHHHHH……っ!」


「……UOOOHHHHH……っ!」


「……GUOOHHHHH……っ!」


 がさがさと枝葉を鳴らしながら、太い根を触手のように蠢かせて進む、意思持つ動く古木たち。その幹に穿たれた洞が、或いは弛んだ樹皮が、巨大な人面を象っていた。憎悪に歪み、口から怨嗟の呻きを漏らす、人の顔を。


「トレント……! それも五体もですか!」


「当たり。……さっきも言っただろう? この前の連中もこうやって誘導して一網打尽にした、ってさ。僕が立ち止まったこの場所が、単なる休憩場所だとでも思ってたのかい?」


 エルフは自慢げに言いつつ、ちらりとトレントの一体に眼を向ける。


「おやおや、酷いことをするじゃないか君たち。森の精の身体に傷を付けるだなんて」


「……えっ?」


 言われてみれば、トレントの一体の幹には刃物で彫ったような傷がある。

 シランが道標の目印として刻んだ、あの傷だ。


「……あの時の。……本当に、トレントだったなんて」


「気付けよ、馬ァ鹿っ! 霊験あらたかな森の守護者の身体なんだぞ? 察しろよな……もっとも、卑しい混ざりっ子には無理な相談だったかもね」


 今やハーフエルフへの差別意識を、隠しもせずに垂れ流すエルフ。

 それに対し、シランはキッと睨み返そうとするが、


「……くっ!?」


 視界がぼやけて、頭がふらついた。

 手足の末端がビリビリと痺れ、身体から力が抜けていく。

 急激な身体の異常に見舞われたのは、シランだけではない。マリアーノも呼吸を荒げながら片膝を大地に突き、ロザリーも苦しげに喘ぎながら杖に身を預けている。


「こ、れは……痺れ、薬か……っ!」


 ジョエルもぎこちなく立ち上がりながらそう言った。如何に巨体の怪物から不意打ちを受けたとはいえ、彼はCランクの範疇から頭一つ飛び出し掛けている前衛。こうも復帰に時間が掛かったのは不自然である。それも痺れ薬の効用と考えれば得心が入った。

 だが、そんな物をいつ盛られた?


「ようやく効いてきたか。まったく、知恵の巡りが悪いやつは血の巡りも悪いのかな? ……本当に遅いんだよ、僕がお前たちをこの広場に誘導し終わって、そこで不自然さに気付いてもさ」


「ま、まさか……走っている、途中、に……?」


 驚愕と共に呟くジョエル。

 そういえば、このエルフは常に風上を走ってパーティを誘導していた。不自然と言えば、まずそこに気付くべきだったのである。魔獣の類は鼻が利く。マンティコアから逃走を図るなら、匂いが風に乗って追手側に流れてしまう風上は忌むべきだ。その愚を敢えて犯したとすれば、目的は風に乗せて粉薬か何かを撒く為か。


「御名答。ちなみに、おそらくだけど君らの持っている解毒剤は効かないよ? この麻痺毒は信じられないくらいの凄腕が調合した、特別製だからね。くくくっ、『毒を持つ者も、自分の使う物と種類が違う毒には弱い』……だっけ? 全くその通りだよね、笑っちゃうよ!」


「そ、そのセリフは――」


 細部は違うが、マンティコアに麻痺を与えた時のマリアーノの言葉だ。あの時から既に、このエルフは自分たちを狙っていたのか。


「とはいえ、神官の魔法で麻痺を回復されると厄介だね。……そいつらを締め上げろ、トレントども。意識を奪うだけで良い」


「……OOOOHHHH……っ!」


 顎で使うようなぞんざいな指示に従って、トレントたちがジョエルたちを拘束し、締め上げて行く。蛇のように伸びた枝木に四肢を絡められ、首を扼されて、次第に意識が遠のくのを感じた。


「……かはっ」


「う、そ……こん、な……」


「かみ、よ……」


 シランが、ロザリーが、マリアーノが、次々と締め落とされ気を失っていく。

 最後に残ったジョエルも、この事態を巻き起こした張本人を睨んでこう言うのが精一杯だった。


「なにもの、なんだ……おまえは……」


 冒険者を騙し、毒を盛り、森の古老たるトレントを我が物顔で使役する。

 こんな邪悪な存在が、エルフである筈は無い。

 糾弾の意を含んだ問いに、嘲笑を浮かべ続けるそれは歌うように答えた。


「さっきも言ったじゃないか。僕はこの森を守る為に、外敵と戦うエルフだよ、ってさ」


 耳朶を犯す邪悪の声に苛まされながら、若き剣士の意識は闇の中へと堕ちていった。




  ※ ※ ※




 冒険者たちが全員気絶したのを確認したエルフは、念の為に新たに取り出した眠り薬まで彼らに嗅がせ、それでようやく一段落と息を吐いた。

 そして、何やら護符のような形状の礼装を手に取ると、それを口元へ当てる。通信魔法を込めた礼装なのだ。


「E-08よりE-01へ。繰り返します、E-08よりE-01へ。応答を請います」


『E-01より、E-08へ。感度良好、通信に支障無し。……しかし、どうにも慣れないな、この口調は』


 礼装に返ってきた応答は、身内への気安さに溢れるものだった。通信の相手は、E-08と呼ばれたこのエルフが所属する里の長である。先代が身罷った後を襲った新しい長で、以前は狩人のグループを束ねていたエルフだった。未だその時の感覚が抜けないのだろうと、E-08は思う。

 そういえば、はて? 先代が亡くなったのは、何が原因だったろうか。


『で? 任せた仕事は終わったのか?』


 長の声に、E-08は正気付く。

 まあ、死んだ者のことはどうでもいいだろう。問題にすべきは今生きている我々だ、と思い直した。


「ええ、勿論。……お待たせしちゃいましたか?」


『少しな。ちょっぴりだが不安だったぞ? もう少し報告が遅かったら、チャーガ――E-31に見に行かせようと思っていたんだが』


「……それはご勘弁願いたいですね」


 思わず声が固くなる。E-08は長が名を口にした男に、良い印象は持ってない。長の娘婿だかなんだか知らないが、何でも偉大なる主に特別に目を掛けられ強い力を与えられたという。それだけならまだ我慢出来るが、E-31の仕事に対する態度と来たら、全く以って熱意が無いのだ。主が支配するこの神聖な森での狩りは、彼らウィッテ族――今の名をEシリーズにとって、崇高な義務だというのに。

 ……一瞬会話が途切れ、嫌な雰囲気になった。彼は気拙さを誤魔化しがてら、話題を仕事についてのものに戻す。


「今日の獲物を報告します。剣士、魔導師、神官、そして混じりの射手。計四体です」


『ほう、神官がいるのか? 混じりというのも珍しいな。良い成果じゃないか』


「神官は兎も角、混じりっ子もですか?」


 侮蔑の念が、思わず口を衝いて出た。最近の我らが主は神官にご執心らしい。それは良いのだが、下等な混血種が良い獲物、というのは納得がいかないのだ。神聖な狩りへの思いに、臭い泥を塗られた気分になる。

 そんな彼に、長は照れたような笑いを返した。


『ああ、混じりの方は単に丁度良かったってだけなんだ。何でも、主様の配下にエルフの処女を欲しがっている方がおられるそうでな。だがまあ、我らエルフは希少な存在だ、玩具として下げ渡す訳にもいかん。故に、混じりでも代わりに献上すれば、八方丸く収まろうと思ったまでのことさ』


「なんだ、そうですか。……でも、毛無しどもに股を開いた売女の子ですよ? きっと、親に似て淫蕩な餓鬼です。処女かどうかは、ちょっと――」


『ま、どちらにしろ手に入れにくい獲物なのは確かだ。その貴賎は兎も角、もう少し喜んでも良かろうよ』


 確かに、長の言う通りだ。流石は元凄腕の狩人、いや現在も若いエルフに狩りを指導しているだけはある。E-08は己の不見識を恥じた。


「そうですね、では獲物を里に運んで――」


 と、その時だ。


「贄ェ……」


 木立の間から、先程のマンティコアがぬうっと顔を出す。逃げた冒険者らを、ここまで追って来たのだろう。風上に走った所為で、匂いを辿られたのだ。


『おい、どうしたE-08?』


「――いえ、冒険者どもとやり合っていたマンティコアが来ただけです。ただ、傷を負った上に腹を空かせてますからね。餌は必要でしょう」


 E-08の声は、食事中に飼い犬が乱入した時を思わせる呑気なものだった。本来、マンティコアほどの魔獣と出くわして、そんな余裕を見せられるエルフなどいないだろう。

 だが、このマルランの森にあっては少々事情が異なる。この樹海の魔物はほとんど、ウィッテ族を統治する主、その部下である恐るべきダークエルフに支配された使い魔だ。魔力供給が絞られている所為で、野生の時と同じ間隔での食事を必要とするが、同じく森のガーディアンであるエルフを襲わない程度の分別はある。

 事実、マンティコアは先程魔法を喰らわせ吹き飛ばした下手人であるE-08を無視し、冒険者どもへと食欲に満ちた視線を向けている。


『ふむ。では、剣士と魔導師をくれてやれ。連れてくるのは神官と混じりだけで構わん』


「良いんですか? 魔導師の方は改造して首輪を掛ければ、そこそこの奴隷にはなると思うんですけど」


『表の身分がある者を改造するのは、差し障りがあるとのことだ。無論、相応の希少価値があるなら、その限りではないんだろうが……その魔導師は、そんなに惜しむべき素体なのか?』


 言われて、少し考える。おおよそCランクに位置する魔導師。その若さ。魔法剣の形成を行える技量。それらを総合した結論は、


「いえ、まったく。……では、E-01の指示に従い、獲物を伴って帰還します。オーバー」


『おう、了解。オーバー』


 通信を終えると、手早く礼装を仕舞いこむ。そして、トレントに向かって指示を出した。


「その神官と混じりを里まで輸送する。眠りから覚めたら教えろ。剣士と魔導師は要らない。置いていけ」


「「……OOOOHHHH……っ!」」


 ズシン、ズシンと地響きを立てて動き出すトレント。それを伴って歩き出したE-08は、擦れ違い様にマンティコアの頭を軽く叩く。


「まったく、たかがCランクの冒険者に手古摺り過ぎだぞ? お陰で僕が要らない芝居を打つ羽目になったじゃないか」


「ううゥ……」


 犬を躾けるように扱われながらも、怪物は不服げな声を漏らすだけだ。その生態を熟知する者が見れば、驚愕のあまり卒倒しかねない光景である。

 だが、これが『暗闇の大樹海』では平素の事なのだった。人喰いの怪物も、エルフの狩人に猟犬代わりに使われる手駒に過ぎない。しかしそれは貴重な手駒だ。失くしたら、またあのダークエルフが代わりを探しに出掛けなければならないくらいには。

 だから、万が一にも冒険者などに倒されないよう、気を遣わなければいけないのだ。


「まっ、餌は置いておくから、反省しつつ食べな。次があっても、また僕が助けに行けるとは思わないようにね?」


「おおォ……! 贄ェ……! 贄ェェェ……!!」


 喜悦に満ちたマンティコアの食事音をBGMに、E-08は里への帰路を急ぐ。生け捕りにした冒険者と引き換えに、主がどれだけの報酬を下さるか、などと考えながら。







 こうして冒険者ギルドに将来を嘱望されていたパーティ『守護の天秤』は、大樹海から帰還すること無く、この地の闇へと消えていったのだった。

 

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