044 魔の森へ飛べ<前篇>
春。雪解けを迎え、人の往来が再開したマルランにて、一つの事件が起きた。
先年に操業した銅鉱山の活況に触発され、新鉱脈発見の野心を抱いた山師たちが、探索に向かった山中にて相次いで行方を絶ったのである。
彼の地の領主、トゥリウス・シュルーナン・オーブニルは事態を重く受け止め、商都カナレスの冒険者ギルド本部に、同地の探索クエストを発注。すぐさま五組のC、Dランクパーティがマルランの奥地へと踏み込むことになった。
依頼を受けた冒険者たちは当初、楽観的であった。何しろ、マルランは魔物たちの空白地帯とも言うべき土地で、ここ数十年Dランクを超える討伐対象が確認されていないのだ。大方、今回のクエストも領主が大袈裟に騒いだだけに違いない。現場も春先の山である。行方不明の山師どもも、雪崩などの事故か何かにでも遭ったのだろう……。そんな言葉を交わしながらも、彼らは山へと踏み入っていく。
彼らは、慢心のツケを強かに支払わされた。
死者九名、行方不明者二十六名、負傷者三名――未帰還者の中には非戦闘員の荷物持ちも多く含まれていたとはいえ、それで五組のパーティが被った被害が減じられる訳ではない。
壊滅。その二文字が、派遣された冒険者たちのチームに冠された。二桁に及ぶ中堅冒険者が、一度に失われたのである。
ギルドの上層部は戦慄した。Cランクを含む連合が潰されたのだ。これは最早、当初に希望的観測で語られたような、遭難事故などではない。生存者たちへの聞き取り調査も当然行われたが、結果は芳しくなかった。中堅の上位ともあろう冒険者たちが、揃って錯乱し、化け物だの俺が悪かっただのと、うわ言めいた言葉しか返さなかったのである。余りにも恐ろしいモンスターに遭遇して、正気を失ったとしか思えなかった。
モンスターの空白地帯として、長年に渡り冒険者ギルドから黙殺されていた土地、マルラン。だがそこには、いずこからか流れ着いたか強力な魔物が根を張り、強固な根拠地を築いていた……それがギルドの結論だった。
なにしろ山脈に遮られているとはいえ、あのザンクトガレンと接しているという地勢である。彼の国から山を越えて強力な魔物が流入していたとしても、然程不思議ではない。
こうしてマルラン東部の山林は、冒険者ギルドによってダンジョン相当の危険地帯として認定された。またの名を『暗闇の大樹海』。王国南東部最辺境に位置する、光り無き暗黒の森である。
「親父。今日の成果だ。検めてくれや」
その冒険者はギルド支部の事務所へと訪れるやいなや、カウンターにいかにも重たげな革袋を乗せた。中身は討伐したモンスターから切り取った部位である。自分は確かにこの種類のモンスターを倒しました、という証拠品であり、物によっては素材として高く取引される商品でもある。言わば、彼ら冒険者の飯の種だ。
「ああ、レイモンさん! これはどうも、毎度ご苦労様です」
そう言って、過剰にぺこぺこと頭を下げる初老の男は、このギルド支部を束ねる支部長である。今まで低級のモンスターしか湧かず、碌な討伐依頼も出されていなかったこの田舎町のギルドにとって、ダンジョン『暗闇の大樹海』の発見は天変地異のようなものであった。うら寂れた辺境では扱ったことも無い高額高難易度のクエストが飛び交い、それを目当てに高ランクの冒険者が訪れる。今までは書簡の配達のような簡素な依頼しか扱えず、【郵便局長】などと綽名されていた支部長。彼はそんな事態に今もって馴染めていないようだった。
目の前のありふれたCランク冒険者――レイモンも、彼にとっては目が飛び出るほどの高ランク。人の形をした化け物にしか見えないのである。傍から見て可哀そうな程の低頭ぶりは、中堅以上の冒険者に対する遠慮と恐怖の表れだろう。
「ええっと、この片耳は……おえっ……オーガ鬼が一体、二体……討伐等級はDだから――」
支部長の討伐査定は、如何にも不慣れで遅々として進まない。たかがモンスターの部位を見ただけでおぼこい小娘のように顔を青くしながら、いちいち口に出して勘定する。カナレス辺りの職員であれば、十代の新人ですら半分の時間で終わらせているだろう。
(ったく。これさえ無けりゃあなあ……)
討伐後の疲労感に早く一杯やりたいと焦れながら、レイモンは内心でぼやく。
冒険者レイモンにとって、マルランは美味しい土地だった。
行方不明となった山師たちを探しに向かった捜索隊が壊滅したとの報を聞き、彼はすぐさま荷物を纏めるや、古い顔馴染みたちに声を掛けて、この片田舎へと飛んでいた。その話に、金の臭いを嗅いだからだ。新しい手付かずの狩り場が出来たことを察したのである。
予感は的中した。ギルド本部は、モンスターの跋扈するマルラン東部の山林を、ダンジョン相当危険地帯として認定。閑古鳥が鳴いていた同地の冒険者ギルドを拡充し、ダンジョンに潜りに来る冒険者たちの受け入れ態勢を整えた。
レイモンは、同地を根拠に活動する冒険者の最初の一人になった訳である。
今年、新たに発見されたばかりであるダンジョンには、当然ながらそこを縄張りとする古株の同業者などいない。一番乗りともなれば、逆に自分がそこを縄張りに出来る。ランクは中堅に達したものの、上位に昇り詰められる訳でもない半端者。そんな自分の同類どもを掻き集めて、大樹海の入り口付近を寡占する……その目論見が上手くいき、彼はこうして羽振り良く冒険者生活を楽しんでいた。
「――では、こちらが報酬になります。お納め下さい」
物思いに耽っている間に、報酬の査定は終わっていたらしい。支部長が銀貨の詰まった袋を恐々と差し出していた。レイモンはそれを黙って受け取る。中を検めはしない。重さと貨幣の擦れる音で、金額の程は見当が付く。それに銭金に汚いところを見せない方が、ギルドの心証も良くなるだろう。
「確かに。……ところで親父よ、何でまだアンタが受付に立ってるんだ? 本部からの増員はあったんだろう?」
レイモンが聞くと、しょぼくれた親父は情けなさそうに顔を歪める。
「いや、それが……あの子たちは書類の整理で忙しいらしくて。何でも、本部に提出する大事なものだからとか」
「……そうかい。大変だな、アンタも」
その答えと支部長の表情から、事情は察せられた。
書類がどうしただのは口実である。要するに派遣されてきた職員は、この郵便局長殿を侮り、態良く仕事を押し付けてサボっている訳だ。
本来ギルドの受け付けは、若い男が多い冒険者たちへ発奮を促す為に、見目の良い女性を使うのがセオリーである。送られて来た連中も、全員が女だった筈だ。が、新しいダンジョンが見つかったからといって、あたら若い女がこんな田舎に送られたら、どう思うか。左遷されたと受け取って、拗ねるだろう。そして自分たちがここへ送られた原因を、この置物同然の爺さんだとでも考えて、不服従という形で八つ当たりしているのだった。
「ま、その内そういった仕事はアンタに回ってくるさ」
レイモンがそう言うのも、故に無い慰めではない。一頻りこの支部長を困らせて腹が癒えたら、今度はどうやってこの場所で利を得るか、その方向へ考えが傾く。ギルドの女性職員にとっての利とは、稼ぎのある冒険者との結婚だ。若く有望な冒険者が集まってくれば、彼らと顔を繋ごうと受付に出てくる筈である。
困ったようにあいまいな笑みを浮かべる支部長の肩を叩き、ギルドの建物を出る。途端、埃っぽい風が顔を襲い、レイモンは軽く咽た。
ブローセンヌのような都会と違って、マルランの町には石畳の道など無い。晴れの日が続くと剥き出しの地面が乾き、風が吹く度に砂埃が舞う。
砂煙が晴れると、目の前には俄かに活気づいた田舎街の光景が広がっていた。
新しい建物を建てようとする大工たち。彼らに指示を出す内政官らしい男。働き手に食い物や飲み物を売りに来た行商人。盛んな人の出入りを物珍しげに見物する町人たち……。
事情を知らない者が見れば、祭りの準備かと思うような活況である。
「焦がし麦ー、焦がし麦はいかがー? 井戸水で淹れたての冷たーい焦がし麦だよー!」
「おっさん! こっちに一杯おくれ!」
「困りますよ、木造は。あの大火以来、新築は出来る限り石造りか煉瓦にする決まりで――」
「そうは言いますがね、ルベールさん。こっちも身銭を切ってる身で――」
「父ちゃん父ちゃん! あれ、何だー!?」
「んん? あれは……うーん、何だろうな……」
耳を澄ませば、そんな騒々しい声が聞こえてくる。
この町は、久方ぶりの拡張期を迎えようとしていた。大樹海へ挑む冒険者たちを相手にする為の各種施設――宿屋、武器屋、道具屋、酒場、娼館……そうした物を急ピッチで建設している。またダンジョン発見の遠因ともなった鉱山や、新たな特産であるポーションの利益。それを求めて各地の商人がマルランに注目していた。どうにも領主が悪名高いらしく二の足を踏む者も多いようだが、それでも日毎月毎に、この町への投資や参入は増えているらしい。
ここはもっと大きくなる。そして大きな町になれば、今より更に稼げる機会が増えるだろう。レイモンは他者よりいち早くこの町に目を着けた、己の先見の明を誰にともなく誇った。
そこへ、
「げっ、【渡り鴉】……」
心底嫌そうな呟きが、耳に入る。
声の方を振り向けば、未だ二十歳にも届かぬだろう若者が立っていた。青みがかった黒髪にブラウンの瞳。食糧の買い出しにでも来たのだろう、脇にはパンや干し肉や果物を詰めた袋が抱え込まれている。幼ささえ滲む顔立ちは甘く優しげであるが、今は自分の足元に汚物でも見つけたかのように嫌悪で歪んでいた。
「チッ……『守護の天秤』のジョエルか」
レイモンの方も、侮蔑も露わに目を眇める。
若者は最近売り出し中のパーティ『守護の天秤』のリーダーだ。ランクはC。つまり若い身空でありながら、格だけならば既にしてレイモンと同列に並んでいる。青春のほとんどを捧げてこの位階までのし上がってきた彼にとって、気に喰わないことこの上無い若造だ。
「けっ……」
とはいえ、気に喰わないというだけで喧嘩を売る程、レイモンも稚気染みてはいない。鼻を一つ鳴らすと、そのまま横を通り過ぎる。
ジョエルがレイモンを指して呼んだ言葉、渡り鴉。その呼び名は高位冒険者や特別な功労者に与えられる、いわゆる二つ名……ではない。Cランクで二つ名持ちなど早々いる訳も無かった。寧ろその逆で、所業の卑しさと汚さを謗る蔑称だ。
渡りとは冒険者のスタイルの一つである。いや、スタイルの一つのなり損ないだろうか。特定のパーティを組まず、かといってソロと違い単独で動くことは少ない。主として何らかの理由で欠員が出たり、大仕事で増員を要するチームに加わって仕事を行う。そうして仕事が終わればまた離れ、別のパーティを探してふらついて行くのだ。要するに、ソロと言い張るには独力で生きる才覚が足りず、一つのパーティに留まるには根気か協調が足りない、そんな連中のことである。
仲間と培った団結を誇るでもなく、孤高の中に己のみを頼むでもない半端者。故に同業者の中でも嫌われやすい立ち位置であると言えた。そんな渡りの中でも、戦利品の分配で我を張ったり、冒険中に危険を他者に押し付けるような振る舞いをしたりと、小狡く汚い立ち回りが特に目立つ者。それをまるで意地汚く残飯を漁るようだと皮肉り、【渡り鴉】と呼ぶのだ。
(全くの故無しとは言わないけどよ)
何も天下の往来でそう呼ぶことはないだろう、とレイモンは思う。
実際、彼のしていることは若い冒険者の正義感を刺激するに足るほど汚い。かつて組んだことのある幾つかのパーティや渡りに声を掛けて徒党を組み、このマルランにおける楽で美味しい狩り場を独占している。自分のランクより一つ二つ下の獲物を狩って、小銭を稼ぐなどはざらだ。一日だけその場所を使わせて欲しいと頼んできた若手に、武器を向けて脅し付け、追い返したこともある。難事に挑み、強敵と戦い、未知を踏破することを尊しとする冒険者にあっては、邪道も良いところだ。
他ならぬ自分のことである。嫌というほど分かってはいるのだが、人に言われるのは腹立たしい。別して、年若い上に恵まれている者からだと、特にだ。
「ねえ、ジョエル。どうしたの?」
「別に……嫌な奴を見ただけさ」
背後では、若い男女がそう声を交わすのが聞こえる。ジョエルのパーティにいるという、女魔導師が合流したのだろう。美人と評判であり、リーダーである彼と出来ているとも噂になっていた。
何ともまあ、能天気なものだった。異性を含んだパーティは纏め辛く、恋愛関係が表沙汰になっている場合は更に難しくなり、リーダーがそれに関わっているとなると、これはもう統率するのは至難の業だ。つまりジョエルたちは今現在、空中分解の危機にある筈なのである。
が、どういう訳かレイモンの耳に、彼らの関係が危うくなったという情報は入って来ない。亀裂はまだ水面下に隠れているのか、それとも尋常ではないリーダーシップを発揮して不可能を可能にしたか、そのどちらかだろう。是非とも前者であってほしいものだが、この業界には不愉快なジンクスがあった。
男女混成でも結束出来るパーティは、出世が早い。
ふざけた話だが、実例がある。西方辺境で活躍するAランクのパーティも男三人女一人という構成だと聞くし、他国にもちらほら似たような話はあった。また歴史上の英雄に纏わるエピソードにも、戦場でのロマンスだのなんだのが付き物だ。
(つまり、下手をするとあの若造にも、英雄の才能があるかもしれない訳か)
想像するだに胸がむかつく話だった。
実際、ジョエルの台頭は日の出の勢いだ。この年でCランクというのがまずあり得ないが、そろそろBランク昇進の内示も、という噂まである。レイモンが樹海で主な狩り場として使っている辺りでは顔を合わせたことがないから、より深い領域――Bランクが行くようなところで冒険しているのは事実だろう。自分たち凡人にとってキャリアの頂点である筈のCランクなど、あれにとっては単なる通過点という訳だ。
昔は、自分もああなれるかもと思っていた。名うての剣士として将来を嘱望され、パーティの顔として知られていた。Cランクに到達した時、このままBランク、やがてはAにと駆け上がっていけるのだと信じていた。だが、その時点で満足し安定を求め始めたメンバーと意見が対立、パーティを抜けた。それがケチの付き始めである。ソロでの活動に馴染めず調子を崩し、剣技の冴えも鈍った。それでも食っていかねばならぬと目標を下げ、そして各所のパーティへ欠員や増員の求めに応じてその都度参加して……気が付けば、いつの間にか巷間に渡りであると囁かれていた。
身の丈に合わぬ夢を見て破れ、現実を知って妥協し、そうしたところで既に手遅れなまでに落魄れていたのが、今のレイモンなのである。
ジョエルは、かつて彼が踏み外した道を逸れることなく、しかもより速く走り抜けようとしている。だからレイモンはあの少年が嫌いなのだ。
「精々良い夢見ていやがれ。お前らだって、いつかは躓くんだ……」
やっかみが多分に混ざった独り言を漏らし、レイモンは歩く。
速く走る程に転んだ時の傷は大きく深くなり、転び慣れていないとなればその度合いは更に悪化する。若く順風満帆の冒険者生活を送っているジョエルが、どれだけ派手にやらかすか、中年の渡り鴉は暗く想像した。
※ ※ ※
「そろそろ、もっと奥へ潜ってみても良い頃合いだと思うんだ」
リーダーであるジョエルの発言に、パーティ『守護の天秤』の面々は一様に目を瞠った。
時は夜更け、場所は彼らの滞在する宿の一室。これからの方針を協議する話し合いにおいてのことである。
「ええっと、ジョエルくん――」
困ったような表情で、細目の男性が口を開く。宿に居るということもあり装備を解いた平服姿だが、首からは聖王教のシンボルである剣十字を提げていた。そのことから彼の職能が神官――神の力を借りて治癒や護りの奇跡を起こす聖職者であることが知れる。名前はマリアーノ。オムニア皇国出身で、パーティでは最年長のサブリーダーでもあった。
「――奥へ潜るって、あの大樹海の奥にですか?」
「他に潜るべき場所なんて無いでしょう、マリアーノさん」
ジョエルの返事は冗談めかせてはいるが、目に浮かぶ光は真剣そのものである。決意の程はかなり固いと見えた。彼の横に陣取る少女が、それを見て溜め息を吐きつつ発言する。
「そうは言うけどね、ジョエル。『暗闇の大樹海』は相当に骨が折れるダンジョンなのよ? 発見の切っ掛けになった例の事件――私たちと同じCランクパーティを含むアライアンスが全滅したのを、忘れてないでしょうね?」
揶揄が半分、本気で案じているのが半分といった語調の少女。彼女、ロザリーはパーティの火力の要である魔導師だ。そして巷で噂されているジョエルの恋人でもある。もっとも、当人にそれを指摘すれば、眦を決して否定されるであろうが。
「忘れた訳じゃないさ。その報告が上がった時、前の町のギルドも蜂の巣を突いたような大騒ぎだったんだからね」
ジョエルは苦笑しつつ、そう言う。
Cランク冒険者とは、本来であれば町のギルドの顔、討伐クエストにおけるエースとして活躍することを期待されるものである。何しろ、何年も経験を積んだ果てに成れる、一般的な冒険者の到達点とも言える位階なのだから、それが当然なのだ。そんな虎の子であるCランカーが複数、パーティごと壊滅するなど、災害的な異常事態と言う他ない。あの大樹海は、他でも無いその現場なのだ。
「だったら――」
「でも」
言い募ろうとするロザリーを遮り、ジョエルは続ける。
「俺たちが樹海で倒してきたモンスターは、どれもCランクの討伐対象から外れちゃいない。同じ位階の冒険者なら、倒せる筈なんだ。つまり例のアライアンス壊滅の原因は、今も謎のままってことになる」
「まさか、それを自分たちで解明しようってんじゃないでしょうね?」
「ロザリーくん」
挑発的な物言いをする少女を、マリアーノが窘める。彼女にはいちいち人を試すような言葉を選ぶ悪い癖があった。なまじ本人の容貌が、そんな言動の似合う鋭利な美しさを持っているのが始末に負えない。
が、ジョエルは「良いんだ」と首を横に振る。
「そりゃあ、俺だって冒険者だ。そういう気持ちも無くは無いさ。……けど、本当のところは他の動機の方が大きい」
「と、言いますと?」
「……皆はこの町の冒険者たちの状況、どう思う?」
唐突に別の話題を振られたが、マリアーノもロザリーも余計な反駁はしない。我らの中核と仰ぐリーダーからの問いに、じっと考え込んだ。
マルランの冒険者たちの現状。レイモンの差配する札付きどもにより、樹海の入り口付近は占有されている。Dランク以下の冒険者たちは締め出され、碌に経験を積むことも出来ない。そしてあの渡り鴉どもに同調しない自分たちだけが、多少奥まった辺りでCランク相応の討伐をこなしている。
「……良くはありませんね。あの渡り鴉の所為で」
「私らは関係無いけれど、他の冒険者たちは堪ったものじゃないわ。こうも締め出され続けると、腕が鈍る心配すら湧いてくるってもんよ」
「そう。中堅連中は目先の小遣い稼ぎに気を取られていて、下級の冒険者は経験を積む機会を摘まれ続けている。そんな中で、もし例のアライアンス壊滅の原因が動き出したらどうなる? 渡り鴉どもが薙ぎ払われるだけならまだマシさ。下手をすると魔物が森から溢れ出て町を襲うってのに、それに対処できるのが俺たちだけってこともあり得る」
つまりは機会独占の弊害だ。本来ならもっと深い地帯に潜るべき連中が浅い箇所を占めている所為で、ランクの低い冒険者が強くなることが出来ない。そんな状態が長く続けば、この町を根拠とする者の平均的な実力は下がり続け、一朝事あった時に対応出来なくなる。
「こんなことが続いているのも、連中がここを新しい稼ぎ場程度にしか考えていないからだ。じゃあ、そう思う原因は? 危機感の無さだよ。樹海の奥にどんな恐ろしい敵がいるかも分かっていないから、その手前の場所を安全地帯と思い込んではしゃいでいられる」
「……つまり」
熱弁を揮うジョエルへと、部屋の隅から平坦な声音が投げ掛けられた。今まで会話に参加せずにいた四人目が、ようやく重い腰を上げたのだ。
「……貴方は樹海の奥の情報を使って、この状況を動かしたいのね?」
「シラン……」
「はんっ。やっと口利いたわね。どっか行ってたのかと思ったじゃない」
「……わたしはずっとここにいた」
「知ってるわよ! 物の例えよ!」
ロザリーの癇癪を柳に風と受け流し、うっそりと顔を上げたのは、くすんだ金髪を肩口で切りそろえた細面の少女だった。その耳はツンと木の葉状に尖っていたが、世に言うエルフの長耳と比べれば随分と短い。長さで言えば人の耳とさほど変わらなかった。
それもそのはず、シランと呼ばれた少女は人間とエルフの混血――所謂、ハーフエルフなのである。
シランは手入れを終えた弓をしまうと、物憂げな視線を三人に向けた。
「……ジョエルの主張も分からなくもない。ここの冒険者たちの現状は、些か不健全。でも、どうしてそこでわたしたちが動くの?」
「いずれ高位の冒険者が、樹海の深層を探索しに現れる。それを待った方が得策である、と。そう貴女は言うのですね?」
マリアーノが補足を兼ねて確認すると、彼女はこくりと肯く。
シランの提言は、成程、理に適った物だった。樹海の奥の何かは、少なくともCランクのパーティの連合体をも歯牙に掛けないほど強大な存在だ。態々『守護の天秤』のメンバーがそれに近づくリスクを侵す必要は無い。Bランク以上の高位冒険者がこの町に現れ、本格的な深層への挑戦を始めるのを待っても良い筈だった。
が、ジョエルは首を横に振る。
「どうも、そうはいかないみたいなんだ」
「はっ? 何でよ。奥にはCランク複数が全滅する何かがあって、浅いところでもC~D相当の魔物がうようよいるのよ。それでなんで上の連中を待っちゃいけないっての?」
「……不可解な答え。説明を願いたい」
疑義を呈する少女二人に、リーダーは憂鬱そうに口を開く。
「隣の国――ザンクトガレンで、大規模な魔物の異常発生が起こったらしいんだ。高位冒険者の幾らかは、そっちの方に回っているって話」
「はあ?」
ロザリーが、あんぐりと口を丸くした。顔全体で、何だそれはと言っているような表情である。
シランも同様の思いなのだろう。怪訝そうに目を細めることで、問いを投げる代わりとした。
「向こうの方が、討伐報酬の払いが良いんだよ。あの国は年中魔物と戦っているようなところだから、冒険者の扱いに慣れている。クエストも盛んに出しているからさ」
「……どうして? 自分の国に出来たダンジョンを放っておいてまでなんて――」
「それがですね、シランさん」
マリアーノが代わって答える。
「町から町へ流れる冒険者にとって、国境なんて無いも同然なんですよ。現に私だって、このアルクェール王国ではなく、オムニアの生まれですからね。更に言えば、食い詰めて冒険者になったような手合いに、愛国心なんて期待する方が無駄です。国が悪いから、自分たちを養えないから、こんなやくざな稼業に身を落とした……などと考える者も多いのですから」
そして我から望んで冒険者になった者の中でも、故郷を魔物から守るためなどという動機を持つ者も動かないだろう。同じ国とはいえ、行ったことも無い土地の為に身体を張る理由は無い。この場合は愛国心より愛郷心が勝っている訳だ。
例えばこのアルクェール王国を代表するAランク冒険者のパーティは、西方辺境領の出身であり、常に彼の地で活動していることで知られている。彼らがわざわざマルランまで足を運ぶ可能性は、ほとんど無い。
「勿論、ギルドの上層部も先のアライアンス壊滅の原因を、探りたいと思ってはいるでしょう。しかしザンクトガレンの件の影響か、どうも調査を命じる冒険者の選考に手間取っているようです。加えて現状、樹海の魔物の間引きは上手い具合に運んでいると判断しているらしくて」
マリアーノが言う通りだった。大きな被害は山師の行方不明と捜索に向かった冒険者たちの壊滅くらいで、町や民が襲われた報告は無い。つまりは、直ちに危険は無いと判断して、すっかり楽観してしまったということなのだろう。
「……喉元過ぎれば熱さ忘れる」
「まったくね! 一番最初に大騒ぎしてたのは、どこのどいつだったんだかっ」
軽く息を吐いて呆れを表現するシランに、抱いた憤慨を隠しもしないロザリー。
そんな彼女らに向けて、ジョエルは苦い顔で肯いた。
「今、マリアーノさんが言った通りだ。誰も彼もこの件を軽く見ている、いや見ようとしている。その方が楽で、都合が良くて、最悪の事が起こっても自分が傷つく訳じゃないからだ。そんな現状を変えるには、具体的な情報がいる。樹海の奥に何があるか正確に認識しない限り、ギルドは本腰を入れないだろうし、渡りは好き勝手に狩り場を占拠したままだ。これをどうにか出来るのは、今――俺たちしかいない」
少年の目には、固い決意の光がある。成し遂げるべきことと信じる何かを見つけた人間のみが持つ、誇り高く崇高な輝きが。
「俺が奥へ行くべきと思った理由は、それだ。幸いなことに、今のところ俺たちの狩りは大した事故も無く回っている。もう少し先へと、進むべき段階にも来ていると思う。だから今日、皆に相談することにした」
「まあ、安定していると言えばそうよね……」
「ふむ。理はジョエルくんにあると思いますが……後は我々の自信と決断次第ですか」
「…………」
「勿論、皆にも不安があったり別の意見もあるだろう。だから、一人でも反対だって言うなら無理押しはしない。今の話にしたって俺の考え過ぎ、ってことだってあるしな」
言って、ジョエルは全員を見渡す。
危険度の高い冒険に出るかは、全会一致の場合のみ可とする――それが『守護の天秤』のやり方だった。自分たちの秤は、全員分の重みがあって初めて動くと、背負う名にそう意味を込めている。結成当初からの理念なのだ。
「ロザリー、どう思う?」
「嫌だ……なんて言ったらさ、あんた当分の間辛気臭い顔晒すんでしょ? そういうのは御免なのよね――」
唇を尖らせながらそっぽを向きつつ言うロザリー。
彼女は元々さる地方領主の令嬢だ。魔法という教養を要する技能を身に付けているのも、その身分があってのことである。そんなお嬢様がこんなところで冒険者をやっている理由は、ただ一つ。目の前の無鉄砲な坊やの所為だ。
怖い物知らずでおせっかい、かつ好奇心旺盛、平民の子の癖に貴族の敷地にまで探検ごっこで上がり込んで来た、向う見ずな洟垂れのちんちくりん。そんな幼い日の彼が語った冒険譚は、毎日の習い事に退屈し切っていた女の子にとって、格好の暇潰しだった。
そうして二人が年頃になった頃、彼女には親から政略の臭いしかしない縁談が回されて来て……それを嫌って、冒険者になる為に故郷を出る彼に着いて家出したのである。退屈するのが目に見えた生活よりも、有意義に暇がつぶせる筈だ、などと、聞かれてもいないのに弁解しながら。
「――だから今回も、そう今回もっ! 私が我慢して付き合ってあげる。それがいつものこと、なんだからねっ」
怒ったような声を出しつつも、ロザリーの頭に断るという選択肢は無い。彼女が魅力を感じる対象は、いつも彼の見据える先、彼の語る言葉なのだから。
「マリアーノさんは?」
「神と聖王の思し召しのままに」
瞑目し、胸元の剣十字に祈りを捧げつつ言うマリアーノ。
彼はオムニアでの修道院生活に疑問を感じ、出奔した身だった。来る日来る日も形骸化した儀礼を消化する日常。神の愛を説きながら俗世の人々を見下し、禁欲を謳いながらワインの味に文句を付けるような神官たち。それらに反発し、自らの足で伝道の旅に出、自らの手で人々に奉仕しようと志した。その為に冒険者になったのである。
そして数年後、回国修行を兼ねた冒険の最中で立ち寄った小さな町のギルド。そこでジョエルとロザリーに出会った。その頃、冒険者たちの荒んだ雰囲気に当てられ、当初の理想に迷いを抱いていた彼は、偶さか同じクエストに就いた、真っ直ぐな気質の少年少女との触れ合いに救われた。初心に戻ったと言っても良い。兎も角、すっかり二人を気に入ったマリアーノは、彼らのパーティに加わり、若者たちに足りない経験と世間知を補うという役目に腐心している。
「つまりは、善かれと思うことをするだけです。私は賛成ですよ」
そんな彼に、正しいと信じる道を進む若人を止める気など無い。リスクはあるが、そこは大人である自分が上手く押さえれば良いと、そう自負していた。
「最後になったけど、シラン」
「……条件が一つある」
シランの真っ直ぐな視線がジョエルを射抜く。
この大陸において、彼女のようなハーフエルフは数が少なく、立場が弱い存在だった。大概は人間に買われた奴隷エルフの子であるのだから、それも当然の成り行きである。シランもその例外ではなかった。母は下衆な商人との間に設けさせられた彼女を嫌い、父は母に似た娘をどれだけ高く売りつけようかと算段しているような屑。十歳になった時、彼女はいつ変態どもの玩具として売られるか分からない境遇から逃げ出した。そうしてカナレスのスラム街で数年間、耳と顔とを隠しながら、スリとして暮らす。
そんなある日に出会ったのが、ジョエルたち『守護の天秤』の面々であった。駆け出しの頃の彼らをお上りのカモと侮って近づいたが最後、スリのあしらいに慣れていたマリアーノに取り押さえられてしまう。番所に突き出されて身の終わりかと覚悟する彼女だったが、逆に憐みを受け幾許かの小銭を握らされた。とてもむかっ腹が立ったのを覚えている。彼らと来たら、世間の怖さを知らない坊やと見るからに良いところの家出娘、若くて甘ちゃんの神官と、どこをどうみても恵まれた育ちの連中だったのだから。施しを突っ返したシランに、ロザリーなどは鼻白んだものだった。だが、ジョエルは彼女の手を取り、こう言ったのである。ただ金を渡されるのが嫌なら、自分で稼いでみないか。俺たちと来ないか、と。
シランはその話に乗った。最初は道中で荷物をかっ剥いでやろうと思ったが、機会が来ない内に忘れていた。エルフの血を引いているから、という単純な理由で与えられた弓がある程度様になってくる頃、彼女も気付く。
「……誰か一人でも無理だと思ったら、そこで引き返す。……要はいつも通り。簡単でしょう?」
ああ、そうか。彼の手を振り解かなかった本当の理由は、単純にそれがしたくなかったからなんだ、と。この人たちに付いて行きたい。汚れた世界しか知らない自分だけれど、綺麗な目をした彼らと共に美しい世界を見てみたい。ジョエルたちと、冒険したい。それがシランの素直な気持ちだった。
だから彼が行くというなら自分も行く。ただし、危なくなったら命が最優先だ。自分たちの命が。全員の命がだ。
「ああ、分かっている。無理して死に花を咲かせるつもりは無いよ。冒険譚の最後は必ず、主人公の帰還でハッピーエンドってのが相場だからな」
「子ども向けの冒険譚では、ね」
「う、うるさいなっ。ロザリーだって昔は好きだっただろ、そういうのが」
話が出揃うや、たちまち犬も食わないような言い合いを始める二人。それをマリアーノは苦笑しつつ、シランは眩しそうに目を細めながら、穏やかに見守る。
これが彼らのいつも通りの光景だった。
樹海の更なる奥地での冒険を繰り広げた後も、またこうして騒ぎ合える筈だ。きっと、必ず。
パーティ『守護の天秤』の面々は、無邪気にそう信じていた。




