表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/91

043 デイ・バイ・デイ

 

 その日も、僕らは実験に精を出していた。


「頭を開けば脳味噌が一つっ♪ 手術で弄ってもあくまで一つっ♪」


 無邪気かつ陽気に歌いながら、実験台の奴隷を弄っているのは、この度、最終調整を終えて運用を始めたばかりのセイスである。近視矯正用の眼鏡を掛けて、白衣に袖を通した姿は、敏腕な女性外科医に見えなくもない。しかし、童謡の替え歌を口ずさむ表情は、ままごとに興じる幼児のそれだ

 彼女は今、僕の下で働く研究者の研修として、簡単な人体改造手術を経験させられているところである。

 運動神経が目も当てられないほど酷かったり、極端な近眼であったりと、色々不安要素を抱えている子だが、幸いなことに手先の方は中々に器用だった。促成培養とはいえ流石はエルフ。弓の扱いに優れていたり、ドワーフほどではないが工芸に達者な種族だけはある。もっともセイスに弓矢なんて、危なっかしくて持たせられたものではないけれど。


「回復魔法で傷口をピタリっ♪ 分かれてた頭がこ~れで一つっ♪ ……はい、終ーわーりっ」


 そうこうしている内に、彼女は手際良く素体の改造を終えていた。

 僕は思わず軽く口笛を鳴らす。思っていたより早い。


「ユニ。時間は?」


「二十二分四十六秒〇七です、ご主人様。課題として申し渡しました三十分より、大幅に短い時間となっております」


 タイムを計っていたユニがそう報告する。

 素晴らしい数字だ。EEシリーズが四人掛かりで行った時より、倍近く早い。やはり量産型のように感情を制限せず、思考能力に枷を嵌めない方がより良く能力を発揮するのだろう。

 あくまでも実習とはいえ、こうも優秀な成績である。順調に経験を積んでいけば、遠からず独立した一つの研究部門を任せることも出来るかもしれない。


「ふっふぅ~ん♪ どぉですかお父様っ?」


 セイスは鼻息荒く大きな胸をどんと突き出して、自慢げに言う。凄いでしょう、褒めて褒めてと全身で主張しているようだ。

 ただ、今の手術には改善点が無い訳でもない。


「セイス。術式の精度と迅速さは満点だ。けれどね、脳改造は仕上げではなく、一番最初にやるべきだと思う。この素体は単なる人間の奴隷だけれど、これから研究を進めれば優秀な種族や危険な魔物を扱うことだってあるんだ。その時、改造の途中で目を覚まされたり、暴走されたりしたら大変だろう?」


「あう。そおでしたぁ……」


 僕が指摘すると、彼女はガクリと肩を落とし、耳をへにょりと萎れさせる。可哀そうではあるが、これも教育だ。駄目なことは駄目とハッキリ教えておいた方が良い。

 多分、セイスは自身が強化措置の後で脳改造されたから、それが所定の手順だと思い込んでいたのだろう。まあ、彼女の場合は特殊な事例だ。何せ、処置を終えるまで培養器から出すことが出来なかったのだから。


「研究で肝心なのは安全管理だよ。僕らの最終目標は不老不死の実現だ。その前につまらないミスで死んじゃったりしたら、元も子も無い。よく肝に銘じておくこと。良いね?」


「はぁい……」


「……とはいえ、それ以外の手際は完璧と言って良い。流石だよセイス、僕の自慢の『作品』なだけはある。そう落ち込まなくても、次に同じミスを繰り返さなければ、それで大丈夫さ」


 無論のこと、お説教を垂れるだけでなくフォローもちゃんとしておく。駄目なことは駄目と教えるのも大事だが、それ以上に良いところは凄く良いと褒めてやる方が重要だ。子どもを躾ける時には、悪いことをした時に叱るよりも、良いことをした時に評価してあげた方が上手くいく。それが僕の持論だ。何せほら、子育てはユニで一回経験済みな訳で。その経験からすると、これが僕にとっての最適解なのである。


「ほんとぉですか? 私、良い子ですか?」


「うんうん。セイスは良い子良い子」


「えへへ……お父様ぁ~……」


 屈み込んで来た頭を撫でてあげると、耳をぴょこぴょこ跳ねさせて喜んでいる。僕と同じか、やや高いくらいの背丈を持つ彼女。それがこうしていたいけに振舞っている姿は、どうにも付き合っていて気恥ずかしいというか、照れ臭く感じてしまう。けれどそれを表に出したりはしない。子どもは親に恥ずかしい子だとか思われるのが、一番傷つくのだから。


「さ、一仕事終えたことだし、おやつの時間にしようじゃないか。ユニ、今日のメニューは?」


「はい。本日はドーナッツを準備しております」


「ほんとっ!? わぁい、私ドーナッツ大好きぃ! ユニさんのことも、お父様の次に好きぃ!」


「……はあ、ありがとうございます」


 感極まったセイスにぬいぐるみみたいに抱き締められ、どことなく困ったように声を出すユニ。まあ、ユニも嫌がっている訳ではないだろう。この子も余所行きの時には卒が無いが、身内と判断した相手には案外遠慮しない。どこの誰とは言わないが、ふざけ過ぎて蹴られている吸血鬼とかもいたりする。本気で嫌ならすぐにも引っぺがしているだろうから、されるがままにしているということは、そんなに悪い気はしてないのだ。


「いいですか、セイス。おやつの前にはうがいと手洗いをしっかりと。紅茶にはあまりジャムを入れ過ぎないように。それと、甘い物を召し上がった後には、歯磨きも忘れてはいけませんよ」


「はぁい、わかってまぁ~す!」


 ほら、こんな風にしっかりと面倒を見ている。

 微笑ましい光景に心を和ませながら、僕は手術室に備え付けの通信礼装を操作する。待機中の量産型を誰か一人、ここに呼ぶ為にだ。


「僕だ。第四手術室の素体への処置が終わった。所定の場所に移送してくれ」


『了解しました、ご主人様。B-08、直ちに向かわせていただきます』


 さて、これで用件は済んだ。後はのんびりお茶にでもしようか。

 見れば、セイスもすっかりと待ち草臥れた様子だ。


「お父様ぁ! ユニさぁん! 早く行こっ、ドーナッツは揚げ立てが美味しいんだよっ」


「セイス、急に部屋を飛び出さないで下さい。あと、廊下を走っては――あ」


「きゃあああっ!?」


 ユニの注意も一足遅く、部屋を飛び出したセイスは、また何も無いところで豪快にすっ転んでいた。

 余程勢いが付いていたのか、掛けていた眼鏡もどこかへ飛んでいく。


「ふえぇ……い、痛い~っ! あっ、眼鏡! 私の眼鏡どこぉ~!?」


「……手の掛かる子ですね、本当に」


 そう言いつつも、彼女は誰に言われるでもなく、廊下でぐずっている大きな子どもを助け起こしに向かっていた。




  ※ ※ ※




 その日も、ドライは忙しく働いていた。

 トゥリウス配下の『作品』の中でも、彼女ほど多忙な者は珍しい。洗脳の魔眼を持ち、多岐に渡る魔法を習得しているドライは、主にとって最も使い勝手の良い手駒の一つだ。

 捕獲して山や森に放ったモンスターの管理、不足して来た素材の調達、拠点の魔術的防備の点検……日常の業務だけでこれである。加えて各種の工作活動や、秋の王都での一件のような緊急事態にも動員されるのだ。以って瞑すべきとも言える働きぶりだった。彼女よりも働いているものと言えば、主の傍仕えに助手に戦闘員にと大車輪のユニくらいだろう。

 そんなドライの、今日の仕事がこれだ。


「……つまり、越冬の為の燃料など、必需物資が不足し始めている訳か。フンっ、間抜けが。どうして今まで気が付かなかったE-01」


 丸太造りの小屋、設えられた卓の暖炉の火に当たれる席に着きながら、彼女は苛立たしげに言った。


「はぁ、それがどうにも今までと勝手が違いまして……」


 そう言って頭を掻くのは、対面の席に座っている、いつだか拾って来たウィッテ族のエルフの一人だ。あの夜の間引きを生き延びた中でも、弓を手に先頭に立ち、里の者のリーダー格らしく振舞っていたので、マルランに作った新しい里にも長として配したのである。

 この連中と折衝に当たるのも、ドライの役目の一つだった。連れて来た当人でもあるし、種族は違えど同じ長命種である。彼らの必要とするところも、人間や元人間よりも理解しやすいだろう、というのが主の弁だ。それに対して否やは無い。合理的な判断であると思う。が、それとこの仕事を好いているかどうかは別だった。


「今年まではこんなことは無かったのですがね。どうしてこんなことになるんだか」


 里長は不思議そうに首を捻っている。彼らは脳改造で認識を弄られ、このマルランの山がかねてからの住処であると思い込まされていた。物資の不足もそれが原因だろう。うっかり以前の森と同じ感覚で越冬の見積もりを出し、それが現状と食い違っていたのだ。

 何しろ、この里は夏ごろに出来たばかりである。ウィッテ族の縄張りが張り巡らされてから間もない。精霊たちの加護が定着し、このエルフたちが暮らしやすい環境に変わるまでの時間が足りなかった。かつての白樺の森とは違うのである。

 エルフの領域とは、異界に等しい。精霊の護りによってこの世と位相がずれた結界の中は、温暖で快適な気候が保たれる。人間たちがエルフについて想像した伝承にある、常春の国だの妖精郷だのといった概念は、それから連想されたものだ。流石に一年中が春になる、というのは大袈裟だが、かつての里は同じ内陸にあっても、ここに比べれば暖かな冬を過ごせていたことだろう。

 だとしても、ドライがエルフたちに同情する理由にはならない。


「それで、秋口の気候などから察することも出来なかったと? 度し難いな。貴様らの頭は何の為に付いている。里の中に、誰か気付いた者はいなかったのか? 例えば、E-31などは」


「チャーガですかい? いや、アイツも別段、何も――」


「チッ、あの餓鬼も使えんな……」


 チャーガことE-31は、Eシリーズへと改造されたエルフの中でも、特別に優遇措置を受けている個体だ。彼は例外的に記憶の操作を行われず、かつての里の時代と連続した記憶を有している。それはエルフ大量捕獲の功労者に報いてやる為でもあるが、このようなエルフたちが直面する過去と現在の齟齬に内側から対応させるという狙いもあった。だが、今回は見事なまでに機能していない。

 ドライが定期的に里の視察に訪れていなければ、冬の寒さで三十一体のEシリーズが枕を並べて凍死、という笑えない事態にもなりかねなかった。主の温情を受け、能力を持ち、里長の娘婿という地位もありながら、この危機的状況に何も手を打たないとは。彼女にしてみれば、度し難い怠慢と楽観である。

 その憤懣を舌打ち一つに留められたのは、ドライなりにエルフたちのことを、同じ主を仰ぐ仲間だと思っているからだ。そうでなければ、すぐにでもE-31を引っ立てて魔眼で自害を命じていたはずである。EEシリーズの実用化で損耗の補填が可能になった今では、尚更のことだ。


「兎も角、話は分かった。ラボの火精石に余剰の備蓄があったはずだ。ご主人様に相談申し上げて、融通して下さるよう取り計らおう」


「本当ですか、そりゃありがたい!」


 E-01のお目出度い笑顔に、またぞろを舌を鳴らしそうになる。

 これだからこの仕事は好きになれない。ドライにとって交渉だの折衝だの連絡役だのは、性格的に合わないのだ。相手の話にぐだぐだと付き合い、不快にさせないように気を遣って、要求を聞き出したり通したりといったものを、面倒に思ってしまう。身も蓋も無く言えば、馬鹿と話していると疲れるということだ。

 いや、ただの馬鹿なら我慢出来る。彼女は使えない馬鹿という者が嫌いなのだ。例えば、あの苛立たしいシャールといえど研究や任務には貢献しているし、文字通りに生まれたばかりの餓鬼であるセイスも才幹だけは十分評価出来た。それに馬鹿なところが却って可愛い男も……とまで考えたところで、ドライは小さく頭を振る。今は仕事中であり、目の前にはその相手が座っている。所詮は量産型、多少ぞんざいに扱っても問題無いが、仕事に身を入れられないというのは、自身の矜持と美学に反することだろう。

 改めて、仕事向けにと意識を切り替える。


「……まあ、結局のところはご主人様の意向次第だがな。一先ず、燃料の問題はそれで解決するだろうよ。で、だ。話は変わるが、貴様らの繁殖状況はどうなっている?」


 エルフたちを番わせて、数を補充しようという計画。ドライの中では、EEシリーズの成功により無用の長物になったとも思える話だが、トゥリウスにはまた別の考えがあるらしい。促成培養のEEシリーズに不具合があった場合への保険。子どもという守るべき者を持たせて発奮を促すという目的。そして、万が一洗脳が緩んだ場合に備えての人質要員の確保。

 聞かされた時には、何とも深甚な計画だと感心させられたものだ。他にも遺伝的多様性の問題だのと、続行する理由があるらしいが、その辺りの詳細な知識はドライの専門外の話である。

 ともあれ、話を向けられた里長は、気恥かしそうに顔を赤らめた。


「いや、はい。村の女衆は全員が全員当たったそうで。腹が目立つのはまだ二、三人ってところですが、春頃にはみんな大きい腹を抱えているんじゃないでしょうかな。はははっ」


 その言葉に、ドライはここに来て初めて屈託無い微笑を浮かべる。


「そうかい。それは何よりだ」


 事が順調に推移しているのを確認し、彼女は深い満足を覚えた。受胎が遅れていた者も、EEシリーズ製作に使う卵子を提供させた際に、ついでだからと人工授精とやらを試してみたのだという。ほんの余技とはいえ、主人の新たな試みが成功したのは朗報だった。

 そして、それきり全ての関心が失せてしまう。


「では話は終わりだ。私は帰らせて貰うぞ」


「え? もうですか? 一応ですが、饗応の準備が――」


「要らん。貴様らの飯は貴様らで喰え」


 斬りつけるように言い渡して、席を立つ。

 彼らも精一杯の馳走をするつもりなのだろうが、今は狩りをするにも厳しい真冬なのだ。出される肉も干し肉や燻製などの、保存用のそれだろう。そんな物を口にしなくても、ラボに帰れば解凍されたばかりの新鮮な肉料理にありつける。飲み物の類も、エルフどもの好む薬湯より、ユニが入れる茶の方が洗練されいてて美味い。

 言い募るE-01を無視し、壁に掛けてあったロングコートを取って着込む。以前はこの手の装束など好まなかったが、最近は中々興味を惹かれていた。かつては人間の文化など猿の虚栄と見下していたが、偉大なる主人の御業を知り、頼り甲斐のある仲間たちを見ていると、同じ風俗にかぶれてみるのも、存外悪くないように思える。それに人間の男を籠絡するなら、同じ人間の手管を学ぶのが上策だろう。そういう訳で、ドライは近頃、こうしたファッションに凝っているのだった。


「ふう……」


 会見用の丸太小屋を出ると、外は地吹雪の吹き荒む荒れ模様だった。とてもではないが、結界に守護されたエルフの里の中とは思えない。礼装を帯びて防寒しているドライだが、目に飛び込んでくる光景だけで寒々しさを感じてしまう。

 早くラボに戻ろう。戻ってまたアイツの部屋に押し掛けてやろう。どうせあの男は冬の間中、暇を持て余しているのだ。身体が空いている内に、精々自分の鬱憤晴らしに付き合って貰おうじゃあないか。

 そう考え、寒さ以外の何かに小さく震えながら、ドライは転移の呪文を詠唱した。




  ※ ※ ※




 その日も、シャール・フランツ・シュミットは趣味に興じていた。

 彼の主であるトゥリウスは、命令さえ守っていれば然程部下に対して干渉する性質ではない。なので研究が一段落している間は、こうして気兼ね無く個人的な楽しみに没頭出来るのである。


「さァて、今日もお楽しみの時間だよォ?」


「や、やめてっ! 放してっ!」


 首輪に繋がれた奴隷を鎖で引きながら、シャールは今日の遊び場へと向かっていた。彼の両脇には、ケラケラと嗜虐的な笑みを浮かべる女たちが侍っている。


「やめてっ、放してっ……だってー!」


「きゃはははっ! 馬鹿みたーい!」


 女たちの顔色は興奮を湛えた表情に反して、病人めいて青白い。そして、首筋には首輪の替わりだと言わんばかりに二つの噛み痕を晒していた。

 シャールに噛まれて血を吸われた奴隷の、成れの果てだ。


「やだっ、もうやだっ! 狂っているわ、貴方たち!」


 牛馬のように牽かれながらも、女奴隷は吸血鬼たちを罵る。この狂気の地下迷宮に閉じ込められて半年以上、既に連れて来られた奴隷の中で、生者は彼女一人となっていた。その内二人はご覧の通り、吸血鬼の仲間入りだ。他にも一人いたが、この化け物どもが遊びの弾みで殺してしまっている。

 今日も哀れな奴隷は、弾みで死ねる狂った遊びの玩具として供されることになるのだ。


「到着あああくっ!」


 シャールは目的地の扉を、下品にも足で蹴り開ける。同時に女奴隷は反射的に目を瞑っていた。扉の向こうの酸鼻な光景を目に入れない為……ではない。単に、眩しかったのである。


「きゃっ!?」


「ひいっ! こ、ここは……」


 女吸血鬼二人が、一転して怯えた声を上げる。その部屋には、彼女らの天敵が存在した為だ。


「な、何……? ここは一体、何なの……?」


 奴隷が恐々と目を開けると、そこには信じ難い光景が広がっていた。

 天井から漏れる、暖かな光。地下を照らす冷たい魔法の光などでは、断じてない。それは忘れて久しい太陽の光だった。


「あっはっはァ! 凄いでしょ驚いたでしょ? この地下空間にはね、地上の施設から直接太陽の光を取り入れることが出来るのさァ。なんでも、人間は日の光を浴びないと徐々に弱っていくらしいからね。僕ら吸血鬼は、逆に浴びたら弱るんだけどさ!」


 自慢げに言いながら、シャールは部屋を見回す。そこは、部屋というより大きな広間だった。貴族たちがダンスパーティーに興じても、不足は無いのではと思えるほどに広い。その広間の中心に、天井から日光が注ぎ、円形の日溜まりを形作っていた。そこには椅子や卓が設えられており、メイド服や執事服に袖を通した奴隷が数名、日光浴に興じていた。


「シャ、シャール様……? どうして忌まわしい太陽などの傍へ――」


「シャール様は大丈夫でも、私たちは灰になっちゃいます!」


 恐々とそう言う配下たちに、吸血鬼の王は鬱陶しそうな一瞥を投げ掛ける。


「大袈裟だなァ……別に直接浴びなきゃ何でもないだろう? 君たちが一緒にこの子で遊びたいって言うから連れて来てあげたんじゃないか。嫌なら帰れば? 君たちとは後で遊んであげるから」


「「ひっ!?」」


 女吸血鬼たちは、弱点である日光を目にした時以上の怯えで短い悲鳴を上げた。

 後で遊ぶ……シャールのその言葉には、恐ろしい裏の意味がある。この女奴隷を玩具にして甚振った後、先に帰った部下たちも玩具にして遊んでやる、ということなのだ。

 その言葉を聞いてもなお、太陽が怖いから帰りますなどと言う度胸は、この二人には無かった。


「い、いえいえ! 滅相も無いですわ!」


「シャ、シャール様のお招きですもの! 私たち、喜んでやりますとも!」


「ああ、そう? ……じゃあ、一緒に目一杯楽しもうか! うははははっ!」


 一転して媚を売り出した配下に、彼も機嫌を取り戻した。

 その構図は残酷な貴族と、それに傅く奴隷、そのままである。首輪こそ外されているものの、彼女たちの立場は何一つ変わっていない。支配者の機嫌一つで首が飛ぶ、脆弱な被支配者なのだ。


「これはオーパス04、如何なされましたか?」


「やあ、量産型の諸君っ! 休憩中のところをお邪魔するよ! ちょっとここで遊ばせて欲しいんだけど、良いかな?」


「はい。問題ありません」


 執事服を着た奴隷がそう応対すると、他の奴隷たちも速やかに立ちシャールの為に場を空けた。


「……な、何をする気なの?」


 鎖で繋がれた女奴隷は、震えた声で訊ねた。

 これから起こることは、おおよそ碌なことではあるまい。知れば知ったで青褪めてしまうような事に決まっていた。だが、知らないということは無限に恐怖を膨らませる。まったくの未知であるが故に、想像力が果てしなく惨劇の未来予想図を肥大化させていくのだ。

 吸血鬼は、それには答えず彼女を日溜まりの方に押し出すと、小さく呪文を唱える。


「≪スチール・バウンド≫」


 ガシャン。

 そんな音を立てて、突如として出現した鉄の足枷が足首を拘束した。

 冷たい金属の感触と、それ以上に恐ろしくおぞましい予感に、背筋が凍る。


「……何をする気かって? 吸血鬼が穢れ無い乙女にすることだなんて、ひとつっきりに決まってるだろォ?」


 そう宣言すると同時に、シャールの牙が首筋に突き立てられた。


「あっ……」


 血と命とが、ずるずると吸い上げられていく。

 傷口が痺れるだけで痛みは無く、寧ろ酩酊と陶酔が心を甘く麻痺させた。だが、その快感が逆に恐ろしい。冷たい牙に穿たれて、血潮を啜られる行為に恍惚を覚えさせられるのだ。そして、それに抗えなくなった時、人間としての自分は死ぬ。女奴隷はそう直感していた。

 何度となく経験させられたことではある。シャールは一度に吸い尽して吸血鬼化させることを好まない。少しずつ何度も繰り返し血を吸い、その合間に加虐し、相手の心が折れて膝を屈した瞬間、初めて眷族に迎え入れるのだ。最初の奴隷を吸血鬼にした時に物足りなさを感じて以来、そうすることが彼の嗜好となっている。

 だから、彼女は耐えた。諦めの誘惑に抗い、朦朧の霧を振り払って、懸命に吸血に耐えている。吸血鬼になんて成りたくない。人間を止め、神に背を向けて、それを恥もせず他者を蹂躙する化け物など、この世にあってはならない。奴隷の身に堕ち、売り飛ばされ、この世の果てとも思える地下迷宮まで流された彼女の、それが最後の意地だった。


「や、だ……吸血鬼に、なんて……絶、対――」


「ふぅん……?」


 女奴隷の呟きに、シャールは首から口を離すと愉快そうに目を細めた。


「そっかァ、吸血鬼に成るのは嫌かァ……良かったじゃん。ここにいる限り、吸血鬼にだけは成らないで済むぜ?」


「えっ……?」


 失血と牙から流し込まれた毒に朦朧とする彼女は、どういう意味かと呆然と呟く。

 次の瞬間、


「あ――っ! がああああ――っ!?」


 女のものとは思えない、苦痛に歪んだ悲鳴が迸った。


「ああああ――っ!? あついっ! あついいいい――っ!」


 足が。足が焼けるよう様に熱い。

 まるで真っ赤に熱した鉄の靴を履かされたようだった。足首から先が灼熱に包まれ、じゅーじゅーと白い煙を上げている。激しい痛みが両足を突き刺し、気が狂いそうな思いを味わされた。

 熱い。痛い。苦しい。いっそのこと、このまま後ろに倒れ込んで、床に脳天をぶつけて死んでしまいたい。だが、それは出来ない。女奴隷は、その身体をシャールによってしっかりと抱き止められている。舌を噛むことも無理だ。吸血鬼は彼女の顎を押さえて、無理矢理に口を開かせている。もっと悲鳴を聞かせろとでも要求するように。


「あァーははははァ! どうだい? 日光浴の味はさァ? 呪いと穢れを祓い給う、神聖なる光の味はァ!?」


「あが、あがぁ……?」


 ボロボロと涙を零しながら、どういう意味だと目で問い掛ける。苦痛に悶えることなくそうすることが出来たのは、足の痛みが幾分か和らいだからだ。だが、あくまでも幾分かである。足の皮膚に引き攣ったような感覚があり、今もひりひりとした痛みを訴えてきている。火傷を負った時を思い出させる疼痛だ。


「くくくく……君さァ、今ちょっと吸血鬼に成りかけていたんだぜ? 今ひなたに出ている可愛いあんよが、その証拠さ。陽の光を浴びて、少し焼けただろォ?」


 言いながら、彼女の視線を足元へ向けさせる。

 シャールが得々として語った通り、足枷で固定されて少しだけ日溜まりを踏んでいる部分が、火傷を起こしたように火脹れとなっていた。


「日光の当たった部分から、吸血鬼化の呪詛が太陽に浄化されたんだ。でも、一時的とはいえ吸血鬼化しているんだからちょっぴり身体が日に焼かれちゃう。そしてその部分を治そうとして、君の身体に送った呪詛は、再び足の部分を吸血鬼化させる。で、また浄化。更にまた治そうとして吸血鬼化……これを僕が噛み付いて送った毒が無くなるまで、短い間に繰り返した。それがさっきの痛みの正体なのさァ」


 噛んで含めるような解説を聞いて、女奴隷は心底震え上がる。

 この吸血鬼が思いついた今日の遊びとは何か。彼女はその趣旨を理解した。理解してしまった。

 シャールは笑う。正解に辿り着いた彼女を寿ぐように。おぞましい答えを知ってしまった彼女を嘲笑うように。


「つまり君は、火傷の痛みと引き換えに人間であり続けることが出来るってことだねっ! おめでとう! こうしてここに突っ立っていれば、空に太陽がある限り、君は吸血鬼にならないっ! 嗚呼、人間って素晴らしいねェ! その魂の尊厳を、神の愛である聖なる光が守ってくれるんだからさァ! きゃー、羨ましィーっ! ひゃはははははははっ!」


「すっごーい!」


「流石はシャール様。こんな遊び方を思い付かれるなんて……」


 女吸血鬼たちも、邪悪に目を輝かせながら近づいてくる。

 私たちも混ぜて、この玩具で遊ばせて、と表情で語りながら。

 無論、その主も彼女たちの意思を歓迎していた。


「さァ、今日も皆で遊ぼうじゃないか! 子どものように、日が暮れるまでねェ!」


「あ、あ、あ……」


 女奴隷は、その声を聞きながら泣いていた。痛いからではない。彼女はようやく絶望したのである。

 半年だ。奴隷にされて、貴族に買われ、この地下に閉じ込められてもう半年なのだ。

 逃げることは出来ない。出口がどこかも分からないから。

 抵抗することも出来ない。ただの女奴隷が、日の光すら恐れない吸血鬼に勝てる訳が無いから。

 助けを呼ぶことも出来ない。半年間、毎日待っていても、そんなものは訪れなかったのだから。

 全ての希望は折れ砕け、邪悪を禊ぎ祓う筈の太陽すら、今やこの身を苛む拷問器具へと成り下がったのだ。そんな現実を前にして、どこの誰が正気のままでいられよう。


「いやあああああっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! おねがいだからたすけてぇ!」


「きゃははははっ! 何言ってるのォ?」


「貴女、ちゃんと助けられてるじゃない。吸血鬼に成りそうになっても、太陽の光にさァ?」


 女吸血鬼どものせせら笑う声。以前は負けてなるものかと奮起したそれにも、もう抗うことは出来ない。どんなに惨めでも良い。足を舐めろと言われれば舐める。命令されればどんな汚物にだって口を付けられる。畜生に初めてを捧げることでも、喜んでする。だから、どうか、お願いだから、太陽に焼かされるのだけはやめて――。

 そんな哀願に対し、シャールが返したのはただの一言だった。


「……≪リリース≫」


 解放の呪文に合わせて、奴隷の首輪がパキリと割れ外れる。数多の奴隷たちにとって福音に等しい筈のそれは、しかしマルランの地底においてはまるで逆の意味を持つ。

 吸血鬼たちは、首から血を吸うのに邪魔だから、奴隷の首輪を外すのだ。


「や、やめ……」


「それじゃあ――」


「――いただきまァす」


 二匹の女吸血鬼が主に代わって彼女を取り押さえ、邪魔物の消えた素肌に左右から唇を落とす。

 途端、


「あっがあああああああああっ!?」


 痛みが、先程の地獄を再生するように再び襲ってきた。


「ちゅーっ……あははははっ、面白ォい!」


「ぷはっ……本当。顔をぐしゃぐしゃにして、エビみたいに跳ね回って、馬っ鹿みたい」


「うわぁああああああっ!? いだっ! あづいいいいいいっ!!」


「ひゃはははははっ! 最高だァ! こんな傑作な遊びは今までに無かったよォ! これを思い付いた自分を、自分で褒めてやりたいくらいだ! 僕って、本当に最っ高っ!」


「やめでっ! やだっ! もおやだぁああああっ! あやまりまずっ! ごべんなざいっ! ゆるじでっ! わだしがまちがってたがらぁああああっ!!」


 恥もプライドも投げ捨てて、自分の苦痛を笑って指差す者どもに、泣き叫びながら許しを乞う。

 そんな彼女に、シャールは優しげにさえ見える微笑みを向けた。


「許してほしい?」


「ゆるじでぐだざいっ!」


「何でもするかい?」


「なんでもじまずっ!」


「じゃあ、呪いの言葉を吐きなよ」


「……え?」


「教会を罵れ。聖王に唾を掛けろ。神を否定して、太陽に背を向け、人間を裏切るんだ。……そしたら、僕ら吸血鬼が君を助けてあげるよォ?」


 彼女はすぐさま肯いた。

 それでこの苦痛から助かるのなら、迷わずそうする。神は彼女を助けず、人は奴隷に落として売り買いし、太陽に至ってはその光で身を焼き苛んだのだ。最早、どれも恃むに値しない。それらに代わってくれるのなら、悪魔の誘惑にも吸血鬼の毒牙にも身を投げ出して縋りたいと、心の底から認めている。

 そして吸血鬼化の毒が薄れ、足を焼かれる痛みが和らぐや、大声で叫んだ。


「教会はっ! 金を取るだけのロクデナシですっ! 聖王なんて、子ども騙しの嘘っぱちっ! 神様はいない! いたとしても、悪魔の半分も役に立たないっ! 太陽はっ! 月に呑まれて二度と昇るなァ! 人間、人間は……人間、なんてぇ……ち、血を吸い尽されて、滅びてしまええええっ!」


「あはっ、あはははっ……あァーはははははっ!」


 女奴隷の宣誓に、シャールは腹を抱えて爆笑する。

 配下の女吸血鬼も、にやにやと下卑た笑みを浮かべて追従していた。


「良いね、良いね、良いねェ! その叫び! この世の全てに対する恨み骨髄の呪い、実に良いィ! 期待以上の反応だよ! ああ、君の為にこの遊びを考えて良かった! 半年間、君の血を吸い尽さないでいて、本っ当に良かったっ! さァ、それじゃあ僕も約束を守ろう! 君をその痛みから助けてあげるよ! ……吸血鬼にしてねェ!!」


 足枷が外され、太陽の光の外へと引き摺り出される。

 首筋に冷たい牙が突き刺され、血液が吸い出されて行く。

 死と堕落の甘い誘惑を、彼女は始めて拒むことなく受け入れた。


「ぁ……ぁ……」


「うーむ……甘美な絶望と芳醇な呪詛の味……培養物じゃあこうはいかない。やっぱり、血は天然の処女に限るゥ……」


 吸血鬼に成り始めた娘を抱きかかえ、舌に残る美味に陶然と酔い痴れながら、シャールは呟く。

 久方ぶりに満足のいく形で食事が出来て、彼はご満悦だった。


「凄い……シャール様は遊び一つとっても他の吸血鬼を隔絶されている」


「うふふっ。流石、いずれは世界を支配なされるお方だわァ……」


 配下の女たちも、情欲に濁った目で賛辞を送る。

 それに対して、シャールは、


「――黙れ」


 女吸血鬼の一人を、無造作に片手で掴んで太陽の下へと放り投げた。


「……ぎゃあああああっ!? シャ、シャール様っ! ど、どうしてええええええっ!?」


「ひいっ! な、何故!?」


 灼熱に包まれ悲鳴を上げる配下と、突然の凶行に凍りつくその片割れ。

 彼女らの主は、憤怒の陽炎で空間さえ歪ませながら、侮蔑も露わに吐き捨てる。


「なに、君? 今何て言った? 『いずれは世界を支配』、だって? ふざけるなよ、お前……」


「な、なにがあっ!? なにが、いけなかったんで――」


「全部だよ、この糞滓がっ! 世界の支配だァ!? まるで彼への、マスターに対する反逆を唆しているみたいじゃないかァ! 身の程を弁えろ、売女ァ! 僕らは誰に生かされていると思っているんだっ! 偉大なるマスター、オーブニルくんに、だろォ!? それを理解したら、ま、ま、間違ってもそんなことを口にするなァ!」


 シャールの怒声は、まるで悲鳴のようだった。

 いや、それは真実、恐怖の叫びである。シャール・フランツ・シュミットにとって、トゥリウス・シュルーナン・オーブニルこそ最も恐るべき存在なのだから。

 学院時代に無理矢理加担させられた非人道的な実験。

 全身をアンデッドの部品に挿げ替えられ吸血鬼に変化させられた改造。

 彼に対して抱いていたはずの憎悪や怨恨すら捻じ曲げた洗脳。

 ……そして、この世の全てを引き換えにしても歩みを止めないであろう狂った精神。

 あの錬金術師を構成する肉の一片、髪の一本、血の一滴に至るまでが、シャールの精神を戦慄で責め苛んでいる。

 何より堪らないのが、トゥリウスが常に自分の反逆を警戒しているのという現状だ。万が一彼がシャールに叛意を感じれば、その能力を惜しみながらも躊躇せずに始末するだろう。そしてその後、適当な死霊術師を攫ってきたり、EEシリーズをセイスのように改造したりして、代替品と取り換えるのだ。

 それが恐ろしいから、シャールは常に道化を演じて来た。私は貴方に気を許してます、だからこんなに気安く振舞っているんですよ、そして私は馬鹿ですから、貴方に逆らうことなんて考えることすら出来ません……。そんなことを訴える為に、毎日毎日命乞いをする心地で必死にふざけていたのだ。

 なのに、コイツは何て言った? いずれは世界を支配する? そんな危険な発言を? MシリーズやBシリーズが……トゥリウスの配下たちが見聞きしている前で?

 何という愚か者、全てが台無しになるところだったではないか!

 第一、吸血鬼化した奴隷が首輪を外しても目溢しを受けているのは、何故だと思っているのか。別にシャールが、それを認めさせられるほど偉い訳ではない。いつでも始末できるからに決まっている。戦闘経験も無く、素養も乏しく、碌な装備も持たず、おまけに頭も悪い愛玩用の吸血鬼など、オーパスシリーズを出すまでもない。礼装で身を固めた量産奴隷で事足りるのだ。それすら理解出来ずに増長して、何を口走るかこの阿呆が!

 それが、一瞬の内にシャールを支配した憤激と恐怖の正体だった。


「あああああっ……!? ゆる、ゆるじで――」


「ねェ、分かったァ!? 自分がどれだけ馬っ鹿みたいな発言をしたかをさァ!」


「わ、わか、わがりまじだァ! だから、だずげ――」


 陽光の下に投げ込まれた女吸血鬼は、今や全身が黒く焦げ、崩れ落ちる寸前だった。

 シャールはその女に向かって、ツカツカと歩み寄る。太陽の光も、ロード級のヴァンパイアにとっては単体で致命に至るものではない。ましてや彼は他のモンスターとのハイブリッドだ。吸血鬼特有の弱点に対しては、他の者よりも耐性が高いのである。

 彼の身体が作った影に、女吸血鬼が無様に這いつくばって潜り込む。シャールはそれを見下ろしつつ言った。


「許してほしいかァい?」


「ゆるじでぐだざいっ!」


 女吸血鬼は、先程嘲笑を以って迎えた言葉を、今度は自ら大声で唱える。

 それに対して、シャールは慈悲深く微笑み、


「ああ、許して上げるとも――」


 優雅に踵を宙に浮かべて、


「――これ以上、焼かれて苦しむのは、ね」


 無慈悲に、足で頭を踏み潰した。

 火掻き棒で炭を砕いたような破砕音。それと共に、太陽に焼かれた吸血鬼は白い灰に変じて、床に塵芥の小山を築く。

 シャールは灰の塊に唾を吐くと、向きを変える。黙って成り行きを見守っていた、量産型奴隷の方へと。


「……いやァ、ごめんねェ? とんだ騒ぎになっちゃってさァ」


「いいえ、問題ありません。たった今、我々は所定の休憩時間を終えたところですので」


「有意義な時間であったと愚考します。オーパス04のご主人様への忠義、改めて感じ入りました」


「そ、そうかい? あははは、そんなに褒められると照れちゃうなァ。僕は不良品を処分しただけだってのに」


「ご遠慮無くお寛ぎ下さい、オーパス04。そちらの廃棄物も、我々が片付けますので」


「そこまで頼むのは悪い気もするけれど……ああ、うん、お願いするよ。じゃあ僕は部屋に戻るから――」


 そうして彼は、血を吸ったばかりの娘を抱え上げて退出する。

 折角の遊びに、とんだケチが付いてしまった。咄嗟に愚かな発言をした配下を始末したが、それでどれだけ疑念を拭えたものか……。


「シャ、シャール様……こ、この度は、あの子がとんだ失言を――」


 追いすがる残った片割れを睨んで黙らせながら、シャールは自分の部屋へと急ぐ。

 近い内に、トゥリウス本人にも詫びておかなければならない。ただ、あの恐ろしく疑り深い男には、露骨な振る舞いが逆効果になる恐れがある。その辺りの匙加減も勘案しなくては。

 兎に角、今は口直しでもして気を取り直そう。パニックになりかけの頭では、良い思案など浮かぶ筈も無い。この娘……吸血鬼と化し、最早純潔を保つ必要も無くなったペットで憂さを晴らしてから、改めて考えよう。


「ったく、やれやれだよ……くれぐれも君は、あんな馬鹿な真似はしないようにね?」


 彼は深々と溜め息を吐くと、腕の中で死んだように眠る新しい愛玩動物に、そう言い聞かせてやるのだった。




  ※ ※ ※




「ご主人様。04の慰み者は予定された通りに反逆を唆し、処分されたようです」


「ふーん……? じゃあ、彼はまだその気じゃないってことかな」


「私には、そこまでは……」


「ねぇねぇ。お父様もユニさんも、何の話をしてるんですかぁ?」


「実験の安全確保について、かな? まあ、君が気にするほどのことでもないよ」




  ※ ※ ※




 その日も、フェムは退屈していた。

 いや、果たして機械仕掛けのゴーレムである彼女に、退屈という感情はあるのだろうか。それは本人にも分からないことだった。頭部に収まっているオレイカルコス・ブレインには、確かに人間的な感情をエミュレートし再現する機能が搭載されている。

 しかし、それは本当に感情と呼べる代物なのだろうか。人間も脳内を走る電気信号によって、怒ったり、悲しんだりといった情動を示すという。唯物論的な観点に限れば、人間とフェムに差異は無いように思える。だが彼らにはフェムと違って、確固とした魂があるのだ。魔術的に観測できる魂には、生物の記憶と意識とが凝集されている。それは無機物であり無生物でもあるゴーレムには、持ち得ない物だ。

 だから彼女は思うのだ。魂を持たない自分は、本当に感情を持っているのか。思考を行っているのか。この身体に、果たして心は宿っているのか、と。

 そんなことを考えるのも、全ては退屈なのが原因だ。任務中であるならば、フェムの電脳は一切の遊びや逡巡も無く働き、目的の達成に邁進する。だが、今の彼女の任務は、ひたすらに待機することだ。マルランの山奥、地下のラボに日の光を届ける採光施設、通称『太陽の神殿』。このエリアに侵入する者を撃退するのがフェムの役目である。

 が、今のところそれを果たせる気配は無い。侵入者自体がいないのだから、それも当然だろう。第一、このダンジョンはまだ発見されてすらいないのだ。だから大抵の場合、彼女はここで退屈を持て余し、無為にその演算力を空費している。

 これまでフェムが経験した任務も、本来のそれではなく非常時に回されてきたものばかりだった。そしてマルランが冬に閉ざされている今、緊急性の高い事態が起こる確率も低い。

 当分の間、彼女は外敵ではなく退屈と戦い続ける羽目になりそうだった。

 春が来れば、とフェムは思う。

 春が来れば、人が活発に動き出し、やがて山師か何かがこのダンジョンを発見するだろう。ラボを守る巨大な外郭たる、樹海と神殿を。

 そうすれば、彼女もこの腕を揮えるというものだ。何しろ、フェムは任務での戦績が芳しくない。エルフの里を襲った時は、強力な魔法を喰らって半壊させられたし、王都に赴いた際は見張りが主で戦ってさえいないのだ。

 由々しき事態である。オーパスシリーズの中でも、殊更に純然たる戦闘兵器として作られていながら、この体たらくは何なのだ。挽回を。これからの働きで挽回をと、電脳の深奥が疼きを発していた。

 実戦データの取得、新素材の捕獲、任務の達成、勝利、勝利、勝利――。

 主が己に求める全てを、獲得せよ。

 人知れず回転率を上げるジェネレーターが、そう吠えている。


「……待ち遠しい、と、思いマス」


 言って、自分の両拳を叩き合わせた。分厚い鉄板同士がぶつかり合うような音が、神殿エリア最深部に響き渡る。

 製造目的と存在理由の充足を求めて、オーパス05フェムは静かに春を待っていた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ