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042 シックス・エレメント<後篇>

 

 橙に色付いた半透明の液体に全身を浸す少女――いや、幼児と言って良い程に小さな子どもだ。それがシリンダーの中に、華奢な体躯を浮かべて眠っていた。

 その身は一糸纏わぬ裸体、ではない。頭には、如何なる意図か銀製と思しき頭環が嵌められている。何しろトゥリウスの手配りだ。単なる装飾などではないだろう。


「ホムンクルスの強化個体を生み出す術式を応用して、魔力や各種属性への適応力を向上させた個体を作る実験をしてたのさ。ほら、良く見てご覧? 他の培養器とは、ちょっと仕様が違うだろう?」


「確かに……」


 軽く観察してみただけでも、他の機材とは随分と差異がある。シリンダーの基部には何やら大粒の宝石を埋め込んだ魔法陣が描かれていた。また、その横や背後にも物々しい金属の匣が据え付けられ、紐束のような物で培養器と繋がれている。


「これは、と、質問しマス。もしや、ヴリル・ジェネレーターと、オレイカルコス・ブレインなのでスカ?」


 フェムが言ったのは、彼女の中核とも言える二つの部品の名だ。

 ヴリル・ジェネレーター――錬金術で作られた特殊燃料が燃え続ける限り、魔力を無尽蔵に発生させるという魔法の炉。

 オレイカルコス・ブレイン――人間の脳を模して造られた、金属仕掛けの思考回路。

 そんな代物まで投入するとは、生半可な力の入れ様ではない。


「おや、フェムも中々目敏いじゃあないか。まあ、君の一部みたいな物だから当然か。その通りさ。培養中の素体に良質の魔力を供給し、同時に高次の魔導知識を睡眠学習で習得させる……その為の物だよ。勿論、君に組み込んだものよりも、幾分か簡略化しているけれど」


「ふぅむ。では、この宝石と魔法陣は属性魔法への適性強化の為ですかな? ルビー、エメラルド、トパーズ、サファイア……この辺りは四大元素。これに空を象徴する水晶を組み込んだ五芒星。成功すればこの個体、単純な魔導師としての力量は私をも凌ぎかねませんな」


「いや、ドライ先輩以上の魔導師って……何それ、神代の大賢者か何か?」


「……ところで、こいつの頭に付けているサークレットみてェなのは、何だ? 何かのまじないか?」


「うん、大事なおまじないだよ。奴隷の首輪に込められた服従魔法を応用したものでね、脳に直接、契約者への忠誠心を擦り込む為の礼装さ。何せほら、こんな強力な実験体が脳味噌を弄る前に暴れ出したら困るだろう?」


「……そうかよ」


 予想を上回る碌でもない答えに、ドゥーエは鼻白んだ。

 産まれる前から、魔力を流し込まれ、知識を焼き付けられ、更には服従を強いられる。

 この培養器の中の娘が、哀れだった。

 結局のところ、EEシリーズだのエルフだのと言っても、この娘たちの本質はホムンクルスと何ら変わりない。錬金術師の勝手な都合で産み落とされる、祝福されざる私生児。そして即席の兵隊である。

 その余りにも救われない在り方に、擦り切れつつある良心が疼いた。

 しかし当然ながら、一介の手駒に過ぎないドゥーエの心情など、酌まれはせずに事態は進む。


「前説は大体済んだね? さあ! それじゃあ、早速彼女を起こしてみようじゃないか!」


「畏まりました。第三次培養エルフ強化試験、開始いたします」


 トゥリウスの陽気な下知を受けて、ユニが機材を操作しだす。

 ただ、今のやりとりに不穏な要素があったことが気になった。


「……第三次?」


 これが三回目だと言うのなら、その前の二回はどうなったのだ?


「ああ、前に強化を行った二体は見事に失敗してね。第一次試験は装置がオーバーロードして爆発、第二次では素体の方が魔力のオーバーフローに耐え切れず自壊だったかな? 大丈夫、欠陥は全て改善した筈だから、今度は上手く行くさ! 三度目の正直って言うしね」


「んなっ!?」


 さらっと言われた事実に、今日何度目かの絶句を覚える。

 つまりは、既に二度、培養したエルフを実験で殺しているということか。産まれて間もない、いや、産まれてすらいないとも言える命を、二度も。


「止め――」


「装置に触らないで下さい。素人が弄ると、何が起きるか分かりませんから」


 反射的に伸ばした腕を、横からユニが掴んで止めた。

 同時に、脳から走った命令により、全身が石になったように硬直する。改造された脳味噌が、今の行動を主の不利益となると判断したのだろうか。

 ドゥーエに出来るのは最早、黙って見守ることだけである。

 この狂気の実験が成功することを、神ならぬ悪魔に祈りながら。


『…………』


 実験に供された子どもは、静かに目を閉じてシリンダー内に浮かんでいる。

 その足元で、魔力を供給された魔法陣が不吉に輝いていた。


「ジェネレーター出力、五八パーセントから六一パーセントで安定。稼動域、極めて正常です」


「よしよし。それじゃあ、出力を上げて行こう」


「了解しました。七〇パーセントまで上昇させます」


 ユニが装置のつまみを操作する。

 途端、繋がれた紐束から紫電が鋭く迸った。


「ちょっとちょっとちょっと! 大丈夫なの、これェ!?」


「うるさいです04、と、注意をしマス。この程度なら、直ちに影響は無いでショウ」


 フェムが言うと、その言葉通りすぐに放電は止んだ。

 しかし、今度は別の異常が発生する。


『………。……』


 ピクリと装置の中の少女が身じろぎした。

 胎児のように丸められていた手足が少しずつ、まっすぐと伸ばされていく。身体もゆっくりと起こされて行き、やがて背筋が仰け反んばかりに反り返る。


「ジェネレーター出力、六七パーセントから七三パーセントで推移しております。若干ですが、不安定さを感じます」


「まずは安定化を優先してくれ。しばらくはこのままの出力で供給を続ける」


「畏まりました」


「……気の所為か? こいつ、何か背が伸びているみてェな気がするんだが」


 ドゥーエはポツリと呟く。

 最初は体勢が変わった所為で生じた、錯覚かと思った。だが、違う。

 シリンダーの中の少女の身長は、確かに変化している。いや、背丈だけではない。顔立ちすら成長していた。

 最初は六歳程度の小児に見えたが、今は十歳くらいの見た目に変わっている。

 あまりにも急激な変化に、思わず自分の目を疑ってしまう。


「供給される魔力を受け取って、身体の成長の為に使用しているからね。そりゃあ背も伸びるさ。元々促成培養用のシステムでもあるしね。……で、ユニ。出力の帯域は?」


「ご安心を。安定化には成功しました。六九から七一パーセントの間です。……出力を上げますか?」


「勿論! 今度は八〇パーセントだ!」


「了解。八〇パーセントを目指します」


 操作された機械が、また出力を上げた。

 再び一瞬の紫電が走り、魔法陣の輝きが更に増す。

 実験体の少女は、


『……っ! ……っ!!』


 ごぼごぼと気泡を吐き出しながら、苦しんでいた。

 喉を押さえたり、頭を掴んだりしながら、溶液の中で溺れるように藻掻いている。


「大丈夫なのですか、これは?」


「大丈夫も何も無いだろ、ドライ!? どう見ても拙い、死んじまうぞ!」


「まだだよ」


 ドゥーエが焦りの余り上げた声も黙殺し、トゥリウスは平静な観察者の目で実験体を見ていた。

 少女の成長は、人間で言うところの十二、三歳の辺りに差し掛かっている。だが、花も恥じらう乙女とも言える容姿は、明らかな苦しみに歪んでいた。

 それに全く頓着せず、ユニは平坦な声で報告を上げる。


「出力、八〇パーセント……想定より安定しています。現在、七八から八二で推移」


「ふうん。七〇パーセントの時点で安定を重視したことが効いてるのかな」


「おい、ご主人! これ以上無理は止せ!」


「うるさいよ、ドゥーエ。……ユニ、九〇パーセントまで上げて」


「了解いたしました」


 破滅的な実験装置は、更に過熱していく。

 計器の針が八五の目盛を過ぎた辺りから、放電が止まらなくなった。

 魔法陣の光は強く明滅し、時たま目を焼かんばかりの輝度にまで至る。

 そればかりではない。基部に設えられた宝石が融解を始め、どころか一部は気化しだしていた。鉱物が焼け溶ける異様な臭気が、室内に立ち込めだす。


「マスター! マスター! オーブニルくんっ! これ絶対ヤバイ! 爆発するっ!」


「仕様だから大丈夫だよ! 最初っからオーバーロードするギリギリまで回す設計なんだ。これくらいなら問題無い」


「ま、万が一爆発したらっ!?」


「僕は防御術式を入れた礼装を持っているから平気」


「僕らはどうなるのさァ!?」


「ヴァンパイアはそれくらいじゃ死なないだろ? 他の『作品』も、これくらいでどうにかなるほど柔じゃないって」


 確かにトゥリウスの言う通りかもしれない。一度目の実験では爆発事故を起こしたというのに、彼もユニも五体満足のままだ。ならばシャールとフェムは言わずもがな、ドゥーエやドライでも凌げる程度の威力なのだろう。

 死ぬのは……実験体のエルフの少女だけだ。


『……~~っっ!?』


 少女の成長は続いている。人間の十五歳辺りに差し掛かったかと思うと、あっという間に十八歳程度にまでなっていた。四肢がすらりと伸び、肉付きも華奢なのが常のエルフとは思えない程にたっぷりとしてきている。

 だが、それに感銘を受けているような場合ではない。

 今や、少女は瞼を上げて目を開き、外に出してと言わんばかりに、シリンダーを手で叩いている。

 内部の溶液は、それ自体が沸騰しているかの如く泡立っていた。


「もう良いだろ、ご主人!? 目ェ開けて起きてるんだぜ! 身体だって、もう育ち切っているっ!」


「黙っていて下さい、ドゥーエ。……出力、再度不安定に陥りました。八六パーセントから九三パーセントの間で、激しく推移しております」


「全開にするんだ」


 トゥリウスは、冷酷にそう命じた。


「ぜん、かい?」


 思わず、鸚鵡返しに訊ね返していた。専門的な知識が無いドゥーエには、この状況は良く分からない。だが、今までのユニの口振りから、不安定な状況では出力を上げず安定化させることを命じて来た筈である。

 それが何故、ここに来て出力を全開にするのか。全くもって、悪い予感しかしない。


「稼動時間の限界が近いんだ。供給魔力量の規定値を超えるには、もう全開で回すしかない」


「はい。直ちに全開に致します」


 主が呵責無く命じ、従者も躊躇無く従った。

 出力、全開。

 機械からの放電は、今や周囲を無差別に打ち据える雷霆の鞭と化している。シャールがそれにクロークの裾を焦がされて、情けない悲鳴を上げた。

 装置基底部の魔法陣も、輝度を最大限度に到達させた状態を維持しつつも、不吉な黒煙をぶすぶすと室内に撒き散らしている。

 実験体の少女は、


『――――――』


 ……見えない。

 装置内部の溶液が奔騰し、吹き上げる白い泡がその姿を覆い隠していた。

 これではまるで、単なる釜茹拷問処刑器具だ。内側を窺うことは出来ないが、この中に入れられた人間が生きているなど、信じられたものではない。

 駄目だ、とドゥーエは肩を落とす。

 どう考えても、これは失敗だった。人間だろうがエルフだろうが、ホムンクルスだろうが、沸騰する液体に漬け込まれて、無事で済む筈は無いのである。全身に隈なく火傷を負って死ぬだけだ。


 ――ジリリリリリリリっ!


 不意に、何らかの装置に接続されていたベルが、けたたましく鳴った。

 耳障りな音が響く中、ユニがゆっくりとジェネレーターのつまみを絞り、出力を落としていく。


「実験、終了です」


 メイドがそう言うと同時に、トゥリウスがやかましいベルを軽く叩いて止めた。

 ……何が、実験だ。

 ドゥーエは内心で暗く毒づく。

 今すぐに、トゥリウスとユニをぶった斬ってやりたかった。シャールもフェムもバラバラにしてやってから、ドライと一緒に死んでしまいたかった。脳改造で反逆と自害を禁じられていなければ、既にその為に動いていただろう。

 彼の胸中は、どす黒い気持ちで一杯だった。ドライにエルフの里を襲わせたと聞いた時、ユニに彼女の両親を裏切らせたことを知った時、ブローセンヌの街を暴徒に焼かせると教えられた時、そして今回のこの仕打ちである。作られた命とはいえ、幼子が目の前で死んだのだ。もう我慢の限界だった。これ以上、この狂人どもに付き合っていたら、剣士としての誇りも満足も何もかも、全て汚物に塗れて地に落ちてしまう。そうなる前に、この悪魔どもをぶち殺してやりたい。だが、それは決して出来ないのだ。そうする為の自由は、他ならぬ自分が、命の対価にと差し出したのだから。

 益体も無い思考をぐるぐると巡らす彼を余所に、トゥリウスは限界まで酷使され壊れた機械に近づいていく。

 ドゥーエは無意識に、濁った瞳でそれを追っていた。


「……≪オープン・セサミ≫」


 錬金術師がそう呟くと、切れ目一つ無かったはずのガラスの円筒が、戸を開けたようにパカリと開く。自然、中の溶液が湯気を放ちながら溢れて来た。

 薬品臭の入り混じった甘ったるい臭いが、白い蒸気と共に部屋を満たす。

 失敗に終わった実験とはいえ、死体の確認をせずにはいられないのだろうか。流石は【奴隷殺し】だ、ご苦労なことである……そんな皮肉が脳裏に浮かんだ。

 だが次の瞬間には、そんな思考は消し飛んでいた。


「……なっ!?」


 ゾクリと、背骨が丸ごと氷柱に変わったような悪寒。そして肌に刺さる強烈な気配。それに押されて、自然と手が得物へと伸びる。

 その正体は、今までに感じたことの無い、強大な魔力だ。

 ドゥーエには魔法の才能が無い。が、身体改造の結果、他者の魔力を察知する程度の感知機能は付与されている。その感覚が、かつてない勢いで警鐘を鳴らしていた。

 見れば、ドライも反射的に魔法の準備に入り、フェムも両の拳を握りしめ迎撃の態勢を取っている。ユニの立ち位置も、何時の間にやら一息でトゥリウスを庇える地点へと移っていた。無防備でいるのは、キョロキョロと辺りを見回しているシャールだけである。

 そして、その全員の警戒は、未だに濛々と白い霧を吹き上げる、シリンダーの中へと向けられていた。魔力は、そこから吹き付けて来ているのだ。


 ――ひた、ひた……。


 足音が聞こえる。裸足で床を歩く音だ。

 それに合わせて、ぽたぽたと水滴が滴る音もした。

 湯気の向こうに影が浮かび、中から外へ、ゆっくりと歩み出て来る。


「…………」


 影の主は、裸身を晒している女だった。

 濡れそぼった金色の髪は、生まれてより一度も鋏を入れたことすら無いかの如く、乱雑に長く伸びている。

 その髪を押しのける様にして、尖った長耳が顔の横に突き出ていた。

 だが、それすら霞む程に特徴的なのが、その肢体である。長耳の――エルフの女は、華奢で細身であることが有名だが、彼女から受ける印象は、良い意味でまるで逆だ。腰回りの細さは通説そのままに、胸元には太古の地母神めいた豊かさを湛え、尻の辺りも瑞々しく張り詰めているのが前からも見て取れる。

 激しく己を主張する肉体美は、抜けるように白い濡れた肌、そして立ち込める濃密な神秘の気配とあいまって、目の前に女神が降臨したのかとすら錯覚させられた。

 その足元に、カランと乾いた音を立てて、銀色のサークレットが外れて落ちる。役割を終えて外れたのか、彼女の意思で外したのか。それは定かではない。だが、力無く転がる銀の環こそが、この女があの実験体と同一の存在であることを周知させていた。

 そんな女の登場に、痛い程の沈黙が場を包む。

 しかし、それも一瞬のこと。すぐにおどけたような拍手の音が、静寂を掻き消した。


「やあ、おはよう! 培養エルフ強化実験体三号ちゃん。危ういところだったけれど、どうやら実験は成功みたいだね?」


 手を叩きながら気楽にそう言うのは、トゥリウスだ。

 嬉しそうに笑いながら、実験は成功だと、この女こそ先程の実験体の娘であると、言葉を失っている部下たちにそう教えている。

 そして、続けてこう言った。


「この魔力、その身に帯びた精霊の気配、どれをとっても僕の『作品』として申し分無い。……今日から君が、オーパス06だ」


 オーパス06――この狂った錬金術師が粋を極めて作り上げた、呪われし六番目の傑作。そんな意味を持つ名を、産まれたばかりの女に送ったのだ。

 次いで、最も古い『作品』が、最新作に向けて口を開く。


「では、オーパス06。私たちのご主人様に、貴女の忠誠を示しなさい」


 そう命じられたオーパス06は、茫漠とした瞳で辺りを見回すと、ひたひたと目当ての人物に向かって歩き出した。そして、その直前でピタリと止まると、深々と頭を下げる。


「……おはようございます。偉大な造物主たる、お父様」


 耳から魂を奪われるような玲瓏な声。

 慇懃にして淀みない、爽やかな口調。

 低頭の仕草も、しっかりと所作に適っている。

 産まれたばかりとは思えない、完璧な挨拶だった。……ただ一点を除いては。


「……おい。私に挨拶してどうするんだ、06」


「はへ?」


 そう。

 彼女が頭を下げた相手は、どこをどう見間違ったのか、ドライだったのである。


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


 先程とはまるで趣を変えた、気まずい沈黙が部屋を支配した。




  ※ ※ ※




 ええっと、何なんだろう。どうなっているんだろう、これ?

 僕ことトゥリウス・シュルーナン・オーブニルは、若干の困惑を覚えつつも、向き合って立つ白黒二人のエルフを見比べた。

 培養過程での魔力注入、属性適応率向上の実験をついさっき終えたばかりのオーパス06。彼女はユニから、僕への挨拶を促されたのだが、どういう訳かそれを向けた相手はドライなのである。

 何でだ? 何でそんなことが起こるんだ?

 そう思っていると、オーパス06は垂れ目気味の眼をじーっと眇めて、ドライの方を見ている。

 そして、ポンっと手を打った。


「ああっ、本当でしたあっ! ええっと、貴女は確か、オーパス03のドライさんですねぇ? 睡眠学習はちゃんと機能してますうっ! 次からは絶っ対、間違えませんっ!」


「いや、見りゃ分かるだろ……最初から間違えるなよ」


 さっきのキリッとした挨拶とは打って変わって、やけに甘ったるく間延びした声を出す06に、ドゥーエが突っ込みを入れる。

 そして彼女は、律儀にもまた頭を下げる。


「はいっ! 今後は気を付けますっ! ご指導、ありがとうございましたぁ! オーパス02、ドゥーエさんっ!」


「へっ? ぼ、僕?」


 ……だけど残念、そっちはシャールだ。性別と国籍は同じだけど、声も見た目も種族も違う。どこをどうやれば取り違えられるんだ?

 僕が頭痛を堪えていると、ユニが口を開く。


「ご主人様。もしかすると彼女は、視力に問題があるのかもしれません」


「視力……?」


 言われてみれば、そうかもしれない。ドライに人違いを指摘された時に眇目になっていたし、視力が悪いか極度の近視である可能性は大いにあり得る。


「そうなのかい、06? 君、視力はどうなっているんだ?」


「はぅあ!? お、お父様っ!?」


 僕が声を掛けると、06は驚いたように小さく跳ねて背筋を伸ばした。

 その拍子にシャールが、


「ドゥーエ先輩、見た? 今、胸がタプンって。裸の胸がタプンって!」


 などとはしゃいでいる。いや、これは放って置こう。頭が病気なようであるが、僕に治せる症例ではない。それより06の異常を確認せねば。

 彼女は両手の人差し指を胸の前で突っつき合わせ、いかにもモジモジとしながら質問に答えた。


「ええっとぉ……ちゃ、ちゃんと見えてますよぉ? ……前に伸ばした手の指先くらいまでは」


 いや、それは全然見えてないだろう。酷い近眼にも程がある。


「近視ですね」


「近眼だな」


「極度の近視である、と、診断しマス。専用の眼鏡の着用を、お勧めしマス」


 ユニたちも同意見らしい。というか、それ以外には思えない。


「おそらく、無理な急成長と強化処置の反動だろうね。急成長の影響による眼球の歪みが近視の原因かな……他に何か、身体に異常は無いだろうね? ちょっとおいで。軽く診察するから」


「あ、はぁい! わっかりましたっ」


 そう言って、彼女はトテトテなんて擬音が聞こえてきそうな小走りで近づいて来て、


「へぶぅ!?」


 ……途中で盛大にずっこけて、顔から床に突っ込んだ。

 今日何度目なのかも知れない、気まずい沈黙が周囲を包む。

 そして、


「ひ、ひっぐ……ふえええぇんっ!」


 泣き出した。ぎゃんぎゃんと子どものように泣いている。いや、生まれたばかりなんだから、子どもなのには違いないけれど。

 にしても、見た目だけなら立派な成人女性なのだから、この幼過ぎる振る舞いには、目眩がする程ギャップを感じてしまう。


「おい……幾ら近眼とはいえ、どうして何も無いところでコケるんだよ?」


「あははははァ! き、きっと胸が重たいからバランスが取れないんだねっ! ぷっ、くくくっ……ひーっ! やめてっ、お腹苦しいっ!」


「運動神経にも問題あり、と、判断しマス」


「何なのだ、コイツは……魔力だけなら大したものだと言うのに」


 『作品』たちも戸惑ったり笑ったり呆れたりと、めいめい好き勝手な反応を返す。

 やれやれ、折角の新しい後輩なんだ。もっと歓迎してあげなよ。

 そうこうしていると、見かねたユニが06を助け起こしていた。


「大丈夫ですか、オーパス06」


「ひっく……ぐすっ……あ、ありがとうございます、フェムさん」


「私はユニです」


「はうっ!? ご、ごめんなさぁい~っ!」


 また近眼で人を呼び間違えている。一体、何度これを繰り返すというのか。天丼もそろそろいい加減にして欲しい。話が進まないったら、ありゃしないよ。

 僕がそう思っていると、ユニはオーパス06の腕を掴んで、こちらに引っ立ててくる。


「良いですか。目の前に居られる御方が、私たちのご主人様にして貴女の造物主です。今度は間違えずに挨拶をするよう、お願いします」


「は、はひっ。……お、おはようごじゃ……おはようございます、お父様! オーパス06、只今目覚めましたぁ!」


 怖い先輩に腕肉を抓られ、若干噛みつつも、彼女は何とか僕への挨拶を済ませた。


「ああ、うん。何はともあれ、歓迎するよオーパス06――っと、いつまでも番号呼びってのもアレだね。君の名前は、ええっと……セイスだ。今後はそう呼ぶから、憶えておく様に」


「ありがとぉございます、お父様! 今日から私は、セイスですねっ! ちゃあんと憶えましたぁ!」


 言って06――セイスは、胸に手を当てて祈るように自分の名を唱えている。

 一先ず、僕の与えた名前は気に入ってくれたらしい。

 それはなによりではあるんだけれど、一つ気になることがあった。


「ところでセイス。君、どうして僕を『お父様』って呼ぶんだい?」


「ふぇ?」


 彼女は僕の問いに虚を突かれた様に目を瞬いた。


「えっとぉ、お父様は私を作ったお方であり、そして男の人なんですよね? だからお父様をお呼びするのに使う単語はお父様なんですぅ。睡眠学習の成果としゅーへんの状況を突き合わせて、考えた結果なのですよー」


「ああ、うん……そうなんだ」


 確かに彼女に施した睡眠学習には、最低限の一般常識や簡単な世間知も含まれているし、量産型であるEEシリーズと違って、柔軟な思考回路も残してある。それらを総合して、彼女の中で僕をどう認識するか考えた結果がこれらしい。


「まあ、良いか。ちゃんと僕に従ってくれるなら、呼び名が少し変わっているくらい、別に問題無いし」


「はいっ! セイスちゃんは良い子なので、お父様の言い付けには絶っ対服従でーすっ!」


 びしっ、と挙手しつつ宣誓するセイス。精神、肉体共に色々と不具合はあるが、懸念された忠誠心の有無に関しては問題無いらしい。

 勿論、後でユニやドゥーエのように脳改造はさせて貰うが。


「ご主人様、本当に大丈夫なんですか? コレは」


 苦い顔で口を挟んで来たのはドライだ。


「このオーパス06、確かに魔力面では比類ない『作品』ではありますが、他の方面では些か不備が目立ちます。素体であるエルフが量産できるのであれば、コレを廃棄してより完璧な者を06に据えるべきでは?」


「ふぇ!?」


 いきなり剣呑な意見を出されて、セイスはまたぞろ泣き出しそうになる。

 ドライの気持ちも分かる。精神面で不安定な手駒は他にもシャールがいるが、セイスは身体面でも欠陥があるのだ。出来ればより完璧を期したいのが人情というものだろう。

 だが、駄目だ。


「勿体無いことを言わないでよ、ドライ。確かに色々と不具合が目立つ子だけど、セイスは元々魔力の強化に特化した個体として作ったんだ。その点が成功を収めている以上、廃棄する理由にはならないね」


 僕は肩を竦めつつそう解説する。


「第一、近眼気味で運動神経が壊滅的ってくらいなら、特に問題は無いだろう? この子の用途は、豊富な魔力を活かした魔導研究の補助だ。戦闘に出す予定は今のところ無い。眼鏡でも掛けさせてラボで働かせていれば済む話だよ。まあ、今後別の問題が出てくるって言うなら、その限りではないけれど」


「お、お父様……ありがとうございます! セイス、頑張りますっ!」


 キラキラとした目を向けて僕に跪くセイスだが……僕は今、別の問題が出ればドライの意見を容れることもあるって言ったばかりだ。大丈夫なのかな、この子。やっぱりちょっと不安になって来た。

 頭を振って雑念を払い、話を続ける。


「それに……だ。見なよ、この過負荷でお釈迦になった機材の数々を。一体製作するだけで、これだけの物資を使い潰すんだ。製作コストが馬鹿高いんだよね。基本的に、オーパスシリーズは量産性を度外視しているしさ」


 僕が視線を向けた先には、今だ煙を噴き上げているジェネレーターやシリンダー本体が転がっている。あと、盛大に床を濡らしている培養液もだ。どれもこれも、今回だけで使い捨てである。無事で済んでいるのは、オレイカルコス・ブレインを応用した睡眠学習機くらいだ。

 特に損失が痛いのは、属性適応力強化に用いた宝石類である。ルビーだのサファイアだのは、この地下鉱床では取れない。全部、秋の内にルベールに買って来て貰った物だ。それがドロドロに融けて二度と使い物にならなくなっている。これを知られたら、あの吝嗇家(りんしょくか)のことだ。きっと血相を変えて怒るだろうな。


「これだけの代価を支払った三度目の実験で、ようやく上手く行ったんだ。成功するか分からない次に期待するより、このままこの子を使っていく方が効率的だよ。欠陥が多いなら多いで、データを取ることも出来るしね」


「何だい、オーブニルくん。随分とこの子の肩を持つじゃん。アレなの? やっぱり胸? 胸が気に入ったの?」


「余計な口を挟まないでよシャール。その口一杯に大蒜(にんにく)詰め込んで縫合するよ?」


「ひっ!? や、やめてくれよっ」


 軽く脅しを掛けてやると、シャールは大袈裟に飛び退き、クロークの裾で口元を庇う。

 と、そこでセイスが声を上げた。


「はいはーいっ! お父様ぁ! 私、それやってみたいです!」


「へ?」


「は?」


「何だって?」


 他の『作品』たちがあんぐり口を開ける中、当のセイスは愉しげに続けている。

 両頬に手を当て、胸を左右に震わせながら、夢見る乙女が耽美な空想に耽るような表情で、


「吸血鬼さんのお口を縫い付けたら、一体どうなるんでしょお? 身体の不具合として、何らかの形で治るのかなぁ? それとも、そのまんまかもしれないですよねぇ? ああ、他にも熱した鉄の杭を打ち込むってのも良いかもっ! 傷口を焼き潰し体内に異物が入れられた状態って、どんな風に治癒されるのかなあ? あはっ♪ 結果を考察するだけで、ご飯三杯は行けちゃう! ……あ、そういえば私、ご飯も食べたこと無いですよねぇ、生まれたばかりだから。美味しいって、どんな気持ちなんだろ? 不味いって、どういう味のことなのかなぁ。うふふふ、世界には気になることがたくさんありますぅ……この世に生まれて良かったぁ。本当に、お父様には感謝感謝なのです……ああっ、素敵で偉大なお父様ぁ」


 そんな独り言を、延々と続けていた。


「ま、マスタァーっ! こ、こ、こ、この子! すっごく怖いィ!」


「あ、ああ。大丈夫なのかご主人? 下手すりゃ、本当にシャールで妙な実験を始めそうだぞ……」


 怯えた吸血鬼に抱きつかれて気色悪そうにしながらも、ドゥーエが言う。

 やれやれ、ウチの男衆も度胸が無い。


「別に大したことは無いだろ? 培養中の睡眠学習でも、好奇心や研究心を強く抱くよう調整してたんだし。寧ろ、良く成果が表れていると思うよ?」


「同感です。それに高い忠誠心も見受けられますので、ご主人様が強く言い聞かせれば問題は無いかと」


 僕とユニが説明して上げるが、彼らの表情を見るに効果は薄そうだ。

 どころか、より一層きな臭い顔をする。


「くそったれ、生まれたてだからって甘く見ていたぜ。よく考えりゃ、コイツが可愛げのある手駒なんて作る筈が無ェ……」


「どうしてこうなった……こんなのエルフじゃない……僕の知ってる可愛いエルフじゃない……」


「だらしないなあ、二人とも。……で、どうかなドライ。君の抱いていたセイスへの疑念は解消できたかな?」


 僕はそう水を向けた。

 元はと言えばドライが口にした疑問を解消してやろうとしていたのに、シャールが茶々を入れるから盛大に脱線してしまったじゃないか。まったく、彼がしゃしゃり出てくるといつもこうだから困る。まあ、この間はEEシリーズの研究を進捗させた切っ掛けにもなったので、悪いことばかりでもないんだが。


「そうですな……癖がある人材ですが、今すぐ廃棄するには惜しいことは分かりました」


「うん、今はその認識で構わないよ。じゃあセイス、これから最終調整として脳改造をするから、手術室まで付いて来て。着替えはその後で構わないよね?」


「はぁい、お父様っ♪」


 セイスは小気味良く返事をすると、僕の上着の裾を掴んだ。近眼ではぐれない為の工夫らしい。転んで僕の方に倒れ込んで来たりしないだろうな? 頼むよ、ホントに。

 僕はオペの助手を務めるユニと、生まれたばかりのクランケを連れて研究区画を出る。あと、傍で研修させる予定のEEシリーズ九体もだ。

 さあ、早いところこの子を完成させて、次の研究に取り掛からなくては。

 春が来たら、また領主としての仕事が増えるんだし、冬の内にやれるだけのことをやって置こう。

 

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