003 蛇を巡る冒険<国内編>
1.王都ブローセンヌの酒場にて――オーブニル伯爵家、元家臣の証言
高等法院ってのも、暇なところなンですなァ。あたしゃ見ての通り、ただの飲んだくれでさァ。叩いて出るホコリなんざ、酒場のツケくらいのもんでしょうに。がはははっ。
ええ、仰る通りで。あたしゃこれでも昔ァね、一代騎士の名乗りを許されていたんですがねェ。どうもコレが止められなくって。おかげで酒場でちょいと揉めちまいましてな……そういうわけで、平民のごんたくれに逆戻りしたんですわ。
それで、ええっと、何をお尋ねになられるんで? 今晩は景気良く奢ってくれるんでござんしょ? お礼に何でも答えたりますわ。
……オーブニル? オーブニル家の相続問題について?
……。
は、はははっ!
冗談を言って貰っちゃ困りますぜ。あすこの家は万事滞りなく、何の問題も無くご長男が家督を継がれるわけでしょう。そこをつついたって、あんた、それこそ時間の無駄ですわ、うん。
それともアレですか? 雲の上の方々の政治的駆け引きっつーアレですか? 宮中の派閥争いの? だとしたら若様も大変なこってすね。痛くない腹を探られて、跡目を継ぐ前に足止めとは。
ああ、そうです。確かにあたしゃあすこのお家に仕えてました。長年の傍仕えに報いて頂いて、騎士叙勲なんて栄誉に与れたのも旦那様――この間身罷られた、先代の当主様のお陰でやんした。まあ、最後の最後で身を持ち崩しちまって、御恩に後ろ足で砂を掛けるような真似をしちまったのは、他ならぬ手前でやんすがね。
っつー訳ですわ。こちとらあのお家には、恩も負い目もたっぷりある訳ですよ。だからですね、お家の迷惑になるようなあることないことなんざァ、口が裂けても言えませんね。
え? 違う? 貴族同士の足の引っ張り合いではない? 個人的に気になる事がある?
……旦那、悪いことは言わねェよ。火の無いところに煙を立てたって、一銅貨の得にもならねェんだ。世の中ね、みんながみんな納得して右から左に流してるもんを、無理にまた右に戻そうったってね、何にもならない。どころか周りから煙たがられる。それがオチってもんですよ。
で、一体何が気になるってンです? 飲みかかった酒、もとい乗りかかった船だ。肴の代わりに聞いたりますわ。
長男の家督相続が上手く行き過ぎている、ですって? 跡目争いのもう片方、次男はどうしてあっさり引き下がったか?
……ああ、なァんだ。そんなことですか。
その前におたく、その次男坊とやらについて、どれだけご存じか伺っても?
ふんふん? 若年かつ独学にして錬金術を修めた麒麟児、独自にポーションを調合し売り捌く辣腕家、隣国の魔導アカデミーからも招聘された神童、っと。確かに、そこんところだけ聞きゃ、目立たぬ長男よりもよっぽど跡目に相応しく聞こえますわな。はははっ!
けど、まあ、ね。裏を返せばですよ? そいつァ、伯爵家の当主として如何ほど役に立つって言うんです?
旧主の息子を悪く言いたか無いんですがね、錬金術師ってのは所詮卑しい山師ですわ。毒だか薬だか判らんけったいな調剤に、鉛を金に変えるなんて駄法螺、ひいては不老不死と来たもんだ! 吹くにも程があるってもんでしょうに。そんなもんに被れた子どもに、跡目を願う親なんていやしませんよ。聞いた話じゃあの旦那様、死の床にあっても彼が用意した薬だけは、絶対に飲まなかったそうで。まあ、その程度のもんだったんですよ。
ポーションを街で売り歩いてたってのも、頂けませんや。そうでしょ? お偉いさんってのは、自分で商売するのが仕事じゃあない。下々のもんに商売させるのが仕事でしょうや。そこを履き違えてちゃいけねえですぜ。
大体、折角留学したアカデミーからも僅か一年で放校処分ですぜ? 一体、何をやらかしたのやら……。
ええ、あたしゃ向こうで何が起きたのかは存じません。ちょいと調べりゃ分かるこってすが、トゥリウス坊っちゃん――件の次男坊がアカデミーに渡る前、騎士を首になってますんで。
これだけ話せば分かるでしょ? どだい、伯爵家を継げる器じゃなかったんですわ。だから家中にも担ごうって輩がいなかった。誰にも担がれずに、正嫡を追い落とせるはずがない。だから、すんなりご長男が跡目になられたということです。
もういいでしょ? もう納得なさったでしょ? あの坊ちゃんが当主になれなかったのも、全ては自業自得ってもんです。安い歌劇で謳ってるような陰謀なんざ、これっぽちもありゃしませんって。
……そうさ。あんな薄気味悪い餓鬼が、オーブニルの家を継いじまったら、家が傾くどころじゃない。
……なんもかんも終わりになるところだったのさ。
……これで、これで良いんだ。
ん? 何ですって?
あの坊ちゃんに、何か含むところでもあるのかって?
へ、へへへ……。
嫌なことをお聞きになりますな、旦那。
ああ、そうですなァ……。今宵の酒代って言うには胸糞の悪い話になりやすが、これも懺悔ってヤツですかねェ。胸ン中だけに留めておくには、どうも、こう……収まりが良くない。何もかんも、吐き出しちまえば少しは楽になれるんですかねェ……。
怖かった、んですよ。いや、違う。今でも、怖いんです。
そんなに粗暴な子どもだったのか、ですって? 違うんですよ、違います。それだけなら、それだけならどんなに良かったのか……。
逆、なんですよ。アレは本当に気性の穏やかな子どもでした。家臣に手を上げたところなんて、見たことも無い。我儘も、あんまり言った記憶がありませんね。そりゃあ錬金術なんて金の掛かる趣味をしてたんです。何度か小遣いの前借りくらいはしてたと思いますが、それも先代様が強く言えば、素直に引き下がってました。ええ、ポーションを売り始めたのも、小遣い以外の伝手で資金を得るためだったんでしょうよ。
でもね、よく考えたら気持ち悪いでしょう? 貴族の子どもなんだ、どんなにしっかり躾けたとしても、勘気や我儘は抑え込めねェ。逆に一つや二つ、そういった覚えがある方が覇気のしるしになるってもんだろうに。それがアレは、まるで大人が子どもの姿をしているように、聞き分け良くしてるんです。最後まで通した我儘は、ただ錬金術の研究を続けること。それだけは絶対に譲らなかった。よりにもよって、それだけは……。
何ですか? それだけなら、ただの大人しい子どもじゃないかって?
ええ、そうですね……。それだけに留まっていたら、それで済んだんですがね。
あのことを知った後になると、ね? 思い返すと、普段の態度が偉く不気味に思えてしまって。
最初におかしい、と感じたのですね……あの坊ちゃんが最初の奴隷を買った時ですわ。ええ、ええ、知っての通り、よちよち歩きの時分から頭は良かったんですが、どうもね、人の上に立つ者としての姿勢がなってないと。はい、ご当主様がそう仰られたのがきっかけでござんした。ありゃあ確か、アイツが――失礼、坊っちゃんが八つだった頃だと思います。まだほんの子どもでやしたんでね、みっちり教えを授ければ、錬金術なんぞから足を洗うだろうと、そう思し召したのかもしれませんな。その時、護衛を兼ねて付き添ったのがあっしでさァ。
貴族が奴隷を買うと言っても、まだお子様の話でやす。そんなに高値は出せねえ。だもんで、安い順番に物色しておりましたわ。
……坊ちゃんが選んだ奴隷は、それはそれは酷い有様でやんした。後から分かったんですが、小さな女の子でして。売り手がよっぽど下劣な輩だったんでしょうな。顔は殴られて腫れ上がっとるは、意識は朦朧として死に掛かっとるは、散々でした。後で分かった、ってェのは、怪我が治らん内は男か女かも分からねえもんだったんで。おそらく、親が何らかの恨みを買って、そのとばっちりで甚振られ、それでも辛うじて生きてたもんだから、殺して捨てるよりはと奴隷市場に売り払ったんでしょうな。ええ、とても売れるような奴隷じゃあねえ。なにせ子どもで女でさァ。そういう目的で売りに出してるのに、肝心の面がボロボロでしょう? 治ったとしても傷が目立つだろうし、そもそも痛めつけられ過ぎて治るまで生きていられるかどうか、といった具合で。
ええ、買ったんですよ、その奴隷を。ちょっとは考え込んでやしたが、えらくきっぱりと決めよりましたわ。何でも、魔力持ちらしいんですと。しかもこんな安奴隷の売り場に並んでいるのが、勿体ないくらい上等なんですと。確かに売り物とは思えねえ有様の割りには、そこそこの値が付いてやした。貴族の子どもが買える程度ではありやすがね。慌てたのはあたしの方ですよ。こんなひどい有様の奴隷を買うに任せたら、付き添いを命じられたあたしゃ、ご当主様に何を言われるかと。
帰ったら案の定、かんかんでした。何だそれは、縁起が悪い、今すぐ捨てろ、いや殺せ、とね。可哀そうな話ですが、死にかけの奴隷でしょ? あっしにゃ庇いようが無かったんですが、坊ちゃんときたらのらりくらりと躱す。しまいにゃ死ぬまでは面倒をみるからと、さっさと地下室に連れていったんでごぜぇます。そして一緒になってそこに籠られやした。お父上もしょうがねえんで、好きにせいと匙を投げられました。
それから一週間ぐらい経った頃です。坊ちゃんが久しぶりに地下から顔を出したんでさァ。ああ、さてはようやく、あの奴隷もくたばったかと、そう思っていたんですがね。
……見知らぬ娘っ子が、その傍におったんですわ。年の頃は六つくらい、色白で目が大きくて、長じれば大層美人になるだろうなという顔でした。ただ頭には包帯を巻いとりましてね、人形みたいに整い過ぎた顔もあって、何とも不気味でしたぜ。
ええ。それがこの間の奴隷、らしいんですわ。あの半死半生で今にもくたばりそうだった、顔面も目茶目茶にされていたはずの奴隷です。信じられないでしょうが、治してしまったらしいんですわ。まだ八歳の小童が、錬金術を使ってです。
あっしも思わず目を疑いましたぜ。回復の魔法ってのは、ほら、存外融通が利かないものでしょう? 知り合いにも、骨折を治したら変な繋がり方をして、それが元で騎士を辞めた男もおりました。あっしの見立てじゃあの娘っ子、顔の怪我をわざとそんな風な形にされていたように思えました。それを傷一つ無く、歪みも無く、治しちまった。感心するより先に、寒気がする話でしょう? いくらおつむの出来が良くったって、子どもに出来ることじゃあねェ。末恐ろしいったらありゃしないですぜ。
その後、その子を大事に育てたってんなら、まだ見直せるんですがね。随分と扱き使っておりましたぜ。
なに、それがどうした? 奴隷遣いが荒いくらい、問題無かろう? まあ、普通ならそうなんでしょうが、ありゃちょっと毛色が違いました。まあ、聞いて下せえ。
まず朝はお屋敷のメイドを借りてきて、その指導の下でみっちり作法だの何だのを叩き込む。まあ、そこは分かる。元々家臣教育の練習台に奴隷を買った訳でやんすからね。それくらいは仕方ない。
だが、昼。こっからが分からねえ。屋敷の外に連れ出して、郊外の野原に行って……そこでひたすら走らせるんですわ。駆けっこ? いいえ、違いまさァ。あの坊ちゃんは娘っ子が走るのを黙ーって見て、それをずっと続けてるんですわ。最初の内は四半刻、慣れてくると少しずつ伸ばしていって、しまいには日が暮れるまで。何が何だか分かりませんでしたぜ。
夜には錬金術の実験の手伝いです。あの坊ちゃん、街の商人にポーションを卸してたでしょう? その手伝いでしょうな。それ以外にも色々とやらせてたらしいんですがね。
娘の方もよく従ってられたもんでさァ。まあ、農民の餓鬼なんかは同じくらい働かされてるんでしょうがね。
で、そんな生活にも慣れてきただろうって頃です。今度は武器の扱い方を教えろと来ました。坊ちゃんにじゃないですぜ、あの娘にです。その時、あたしゃ合点がいきましたわ。あの野っぱらを駆け回らせてたのは、こいつをやるためだと。ありゃあ、この下地を作る為の仕込みだとね。買って連れて来た時ゃ、随分弱ってやしたから、まずを体力を付けさせてた。それが済んだってんで……よりにもよって自分より年下の女の子に、剣を持たせようと言うんですわ。呆れて物も言えませんでしたぜ。
ええ、引き受けました。主筋の御曹子の頼みですからね。あんまり身は入りませんでしたがね、教えを乞う奴隷の方はやけに真剣でした。いっぺん、聞いたことがあります。何でそんなに熱心なんだ? って。あの娘は、きっぱりと言いました。ご主人様をお守りするためです、って迷い無くね。いくら服従の魔法があるとはいえ、奴隷根性もあすこまで行くと立派でしたわ。
それがある程度物になってくると、今度は魔法だ。こっちはなんと冒険者に金を払って、教師として雇ったらしいんで。あのポーションの売り上げを使ってです。元々魔力があるってんで坊ちゃんの目に留まった娘ですからな。剣を教えるのに比べたら、分からなくもない。けど奴隷にそこまでしますかねえ? 大体、先生を雇えるくらいなら、ご自分で魔法を学べばいいじゃありませんか。錬金術師なんてやくざな商売より、魔導師の方がよっぽど名誉な職ですぜ。世の中にゃ、宮廷魔導師として働いて、爵位まで授かった方もおりますしね。
で、どうなったかですって? まあ、一端の冒険者は務まるくらいには仕上がったそうで。何やら坊ちゃんの所望する品を探しに出かけたり、小遣い稼ぎに依頼をこなしたりさせていたとか。みみっちい話でございましょう? 仮にも伯爵家の令息が、奴隷を育ててやらせることじゃありませんぜ。奴隷を子飼いの冒険者にするよりも、直接冒険者ギルドに依頼すりゃ済む話じゃありやせんか。大体、そういう七面倒なことをやらせるためにギルドがあるんでございましょう。本末転倒ですぜ。
なに? それくらいなら、どうということはない? 奴隷遣いが奇妙なくらいで、特に問題は見えない?
……確かにそうですな。けれどね、こりゃほんの序の口でしてね。本命はこれからなんです。
急かさねェで下せえ、旦那。どうにも口幅ったい話題でして。なるべくなら後に回したかったんでさァ。
アイツ――次男の坊ちゃんはね、あの最初の奴隷を買ってから間もなく、また奴隷を買っているんですよ。手製のポーションが何とか売れるようになって来た頃らしいです。ご当主様の援助ではなく、今度は自分で金を貯めて買ったという訳ですな。
でも、その奴隷は死にました。最初に買ったのは、いかにもくたばりそうだった癖に生き延びたのにね。半年も持たなかったと思います。二人目の奴隷が死ぬ前にも、三人目を買っていたらしいです。あたしゃお目にかかったことァありませんがね。四人目は……四人目なのかな? 分からねえや……。ある日、あの最初に買った奴隷の娘が、見慣れねえ奴隷の死体を荷車に載せて、外に捨てに行っていました。あの娘がアイツの――坊ちゃんの言いつけで使いに出るようになってからは、知らない奴隷が、知らない奴隷の死体を捨てに行くようになってました。
……。
ええ、奴隷を、ね。殺していたんですよ、アイツは。
ははは……随分と不思議そうな顔をなさいやすな? 家臣やメイドに手を上げたり、家族に駄々を捏ねたりするのに比べたら、奴隷を殺すくらいなんでもないって顔ですなァ。
ああ、いや。責めてる訳じゃあないんですぜ。確かにその通りで。奴隷の連中に市民権はありゃしません。ヤツらァ、モノですからね。この国の法にも、そう書かれている。ザンクトガレンやマールベアでも同じでしょうよ。モノならいくら壊しても――殺しても、しょっ引く程のものじゃあない。持ち主の自由、ですから。気分は良かァないですがね。
あたしの言い方が悪かったんですな、これは。殺すっていうよりは、苦しめる。泣いても、叫んでも、お構い無しで、挙句の果てには死なせちまう。
いや、違いますよ。アンタが言うその、加虐趣味? ってのとは、また別物だと思いますぜ。あたしも長年、あの家に勤めてましたから、他のお家の風聞についても、聞き知っとります。どこそこの家の主人はコトに及ぶ時に女の首を絞める奇癖があるだの、逆に卑賤な出の愛人に鞭で打たれて喜ぶだの、そういう話を聞いたのも二度三度じゃききません。
ええ、ええ。世の中には変わったご趣味の方が大勢いらっしゃる。中には人を殺して悦んだり、死体を辱しめて達したり、そういう輩もいるっていうんでしょ? それを向けられるのが、市民権のある平民や、ましてや同じ貴族が対象じゃない、たかが奴隷どまりならそれほど問題じゃないって言うんでしょ?
アレは……あの化け物は、そんな生易しいもんじゃない。
平然と、そう平然としているんです! 相手が泣いても、喚いても、苦しんでも、死んでも! 奴ァ泣きも、怒りも、笑いも、喜びもしない! 蛇みてえな冷たい目で、奴隷がもがきながら死んでいくのを見てるんだ!
ああ、いや、違う。違った。違うんだ。アレは奴隷の反応には無関心だった。けど……そうだ、アレは実験だって言ってたんです。ええ、そうです。錬金術の実験だ、って。奴隷に薬を飲ませたり、注射したり、生きたまま腹や頭をかっ捌いたり、それで死んだら腑分けしてみたり……信じられない。あんな餓鬼の頃から、平然と!
それで期待した通りに苦しんだり、死んだりしたら、笑うんです! ああ、上手くいった、って! 実験は成功だって! 思った通りにいかなくて死んだら、失敗だって舌打ちして! くそっ、何を言ってるんだアイツ!? 奴隷とはいえ、命を何だと思ってるんだ? それを……まるで悪魔だ!
ああ、そうだ。しまいにはご当主様も参っちまって、教会に駆け込んだんだ。息子に悪魔が憑いてしまったって……なのに、司祭の見立てはシロ! 有り得るかよこんな馬鹿な話っ!? アレが悪魔の仕業じゃなきゃ、一体何だって言うんだっ!?
そうだよ、ご当主様が参っちまったのも、アイツの所為だ。最初は、気味悪がりながらも無視してた。貴族だもんな。奴隷くらい殺すさ。で、でもな!? 毎日毎日、何人も何人も! アイツ、屋敷の中で一体どれだけ殺したっていうんだ!?
夜中は、毎晩中庭で焚き火だ! 俺は知ってるぞ、あれは火葬の火なんだ! 青ざめた顔した奴隷が、くたばった奴隷を荷車に載せて運んで、火の中に投げ入れているんだよ! 次は自分の番なんじゃないかって、怯えながらだ! ああ、くそっ! 思い出しちまう! 薬っぽさの混じった肉の焼ける臭いが、今も! 今も!!
うっ!?
うぷ……オゲ……。
ウゲェエエエエ……っ!!
…………。
すいません、取り乱しちまいやして。へへ、へへへ……。
でもね、あっしは嘘なんか吐いてませんよ?
本当に、本当にあの化け物は異常なんです。
八つになった頃から、ですよ? 真っ当な餓鬼なら、まだ洟垂らしているような年で、あんな……あんなお天道様に悖る真似を続けていたんです。嘘じゃありません。
そうなんです。あたしが酒に逃げるようになったのも、それからです。アイツはなるべく奴隷を静かにさせるよう工夫してやしたし、人目も憚っていやしたが、あたしゃ何の因果かお屋敷の警邏を仰せつかってましたから。何度も見ちまったんです。あんな地獄を、何度も……。
旦那、信じてない? あたしのこと、全然信じてないでしょう?
ひひひ……そうだよなァ、酔っ払いの戯言だもんなァ……そうでなきゃ、イカレ野郎がありもしないことほざいてるだけだもんなァ……うふふ。
でもしょうがねェだろ……狂うしかないって……あんなものを見ちゃ……。
じゃあ、アイツも狂ってたのかな……そうだよな、狂ってるよな……あの悪魔も……ずっとその隣にいた娘も……。
2.王都ブローセンヌ冒険者ギルドにて――受付嬢の証言
いらっしゃいませ、冒険者ギルドへようこそ! 本日はクエストのご依頼でございますか?
え? 違う? 話を聞きに来た? 高等法院の聴取?
い、いやですねえ。ここは健全も健全、決してお上に睨まれるような後ろ暗いことはしておりませんっ。
……ああ、登録していた冒険者についてですか。なーんだ、びっくりした。
いえ、何でも無いです、はい。それで、どなたについてお尋ねに?
オーブニル家のお抱え? 素材収集クエストを主にこなしていたらしい? えっ。あの子、何かしでかしたんですか?
はあはあ、相続問題に不審な点は無かったか調べていて、あの家のご次男の関係者についてお知りになられたい、と。
分かりました。そういうことでしたら、喜んで協力いたします。ただまァ、相続問題に関してお役に立つとは思えませんけれど。
ええ、良く憶えています。変わり者で、目立っていましたから。
あれはいつのことでしたか、何年も前の事ですから……って、何ですか、その視線は?
はあ、貴女は幾つかって? わ、私の年は関係無いでしょうっ!? いいじゃないですか、何歳まで働いていたって! 私の勝手でしょう!?
あ。
……コホン。失礼いたしました。
あの子の話でしたね? ええ、本当に印象深い子でした。何から何まで、変わっていましたからね。
このギルドに登録しに来た時から、ずば抜けて変でしたよ。なんせ、あんな小さな子どもだったんですからね。
そうです。十歳になったかどうかも分からない、しかも女の子だったんです。
あれにはビックリしたなあ……。ギルドの前に蛇の御紋の付いた馬車が停まったかと思うと、そこから貴族のお坊ちゃんと、お付きの小さなメイドさんが降りてきましてね? それで最初は、クエストの依頼人かと思ったんですよ。子どもの依頼人は珍しいですが、見るからに貴族ですからね。若くして当主に就いたりすれば、まあギルドに依頼する用事の一つもあるかな、と。けど、違ったんですね。
この子を冒険者として登録したい、とね? ええ、そのお坊ちゃん――オーブニル家の次男は言ったんです。
私はもう仰天しましたよ。何言ってるの、この子? 正気なの? って。自分を登録してくれ、っていうのは、まあ百歩譲れば理解できます。男の子が冒険に憧れるのは世の常ですし、貴族でも家督を継げない方が冒険者になることもありますからね。が、登録する対象はお付きのメイドさんの方でした。何度か聞き直しましたが、その度にこの子です、と返されましたよ。
で、よく見るとですね、その小さなメイドさん、首輪を付けていたんです。銀色の、ごっつい見た目の。ええ、奴隷の首輪です。
まあ、奴隷を冒険者として登録するってのは、まあ、無くは無い話です。荷物運びに、いざというときの盾、そんなことに奴隷を使うパーティだっています。酷いになると、金持ちが奴隷だけのパーティを組ませて、ズタボロになるまでこき使う、なんてのも。
けど、ねえ? 女の子ですよ? それもお人形さんみたいに可愛らしい、色白でほっそりした女の子です。どう考えても、冒険者なんて危ない稼業より、そのままメイドさんでもさせておくべきだと思いましたよ。
そりゃ制度上は問題ありませんし、奴隷をどんなふうに使おうがその主人の勝手です。けど面子とか、人として通すべき筋とか、そういうのを全部横に投げ捨ててるような話じゃありませんか。
それでね、念のため聞いたんです。あなたは本当に冒険者になりたいの? って、その奴隷の子に。建前としては『冒険者の資格は冒険をする意思にあり』って会則にも書かれていますので。これでこの子が嫌がるようだったら、この場は断る事にしようって考えたのですよ。
まあ、ここに来る前に、あらかじめ服従の魔法で「そう聞かれても『はい』と答えるように」とか命令されていたら、どうしようもないんですけどね。けど連れて来たのも子どもですから。こういう手管には引っ掛かるだろうと思ったんです。
そうしたらですよ? 何とその子は、躊躇いも無くこっくりと肯いたんです。本心からやる気だったんです。
どうして分かるかって? 服従の魔法って言っても、意思までは変えられませんからね。無理な命令は、奴隷の側での抵抗で、実行に遅れが出たりするものなのですよ。けど、その子にはそれが無い。本当に本人の意思でした。
しょうがないから、受け付けましたよ。受付嬢ですもん、アタシ。
酷な話ですが、この業界は自由意志と自己責任が原則ですから。無理を通して冒険者になるのも自由、身の丈に合わない依頼を受けるのも自由、それが原因で死ぬのも自由です。なりたいという方を止め立てする事は出来ません。勿論、こちらとしては、なるべく実力に応じたクエストを受けて頂くよう、鋭意努力して周旋しておりますが。依頼される方からの信用にも関わりますからね。
ああ、すいません。話が逸れましたね。
その子なんですけど……名前はユニ。家名は無し。登録時の年齢は十歳。登録したクラス――得意技や職能を象徴する称号みたいなものです――は魔法剣士でした。
これも凄いでしょ? 魔法剣士なんて、冒険者の中では花形中の花形ですよ。魔法も剣術も両方こなし、あらゆる状況に難無く対応する。口で言うのは簡単ですが、本人の資質だけでなく、相当に高度な教育を受けていなければ務まりません。ハッキリ言って、奴隷がなれるものじゃないですね。それも、十歳の女の子が、なんて。
ああ、そうそう。小耳にはさんだ話では、その何年か前にもオーブニル家から奇妙な依頼があったそうで。何でも奴隷に冒険者の技術を教えて欲しいとか何とか。私の先輩が対応した依頼なんですけどね。聞いた時は、おかしなことをする貴族もいたもんだ、って思ったものですけど、今にして思えば、あれは彼女を鍛える為のものだったのかな?
当然、あの子は瞬く間に有名になりました。奴隷で、女の子で、魔法剣士。しかもメイド。話題性の塊ですよ。
メイドは関係あるのかって? あるんですよ、それが。あの子、どういう訳かいつもメイド服なんですよね。依頼を受けに来る時も、報酬を取りに来る時も、街で買い物をする時も、いつもです。多分、冒険にもあの格好で出ているはずですよ。街の門番さんが噂していましたから。剣を持った首輪付きのメイドが通って行ったって。おかしいでしょ?
話を聞きつけたパーティが、彼女を売ってくれるよう主人に頼んだって話も、一度や二度じゃありませんでした。何しろ奴隷ですから、主人にその気があるのなら、身柄を売り買いされる身分です。優秀な新人が手に入るとなれば、買える者なら買いたいのが人情というものでしょう。オマケに綺麗な見た目という付加価値もありますから、色んな意味で将来性抜群の好物件だと思いません? まあ、結局手放しませんでしたけどね、あの坊ちゃんも。
冒険者としてはどうだったか、ですか? 文句無しに優秀でした。パーティを組まないソロ――いわゆる一匹狼でしたから、人数が要る大掛かりなクエストは受けませんでしたけど、依頼の達成率は九割超えてましたね。しくじった依頼も、ブッキングした他の冒険者に先を越されたってくらいですし。ソロでこれだけやれる、それも探索クエストがメインってことは、レンジャー技能にも秀でたんでしょう。
ランクはCどまりでしたけど、そこそこのパーティにでも入って大口の依頼を受けていけば、今頃はA級だったんじゃないかと思います。本来、冒険者が二つ名を名乗れるのはB級からなんですが、彼女、特例としてC級でも許されてましたから。今や【銀狼のユニ】といえば、ブローセンヌ界隈の冒険者なら、知らなきゃモグリってレベルの有名人です。
えっ、それがどれくらいすごいのか分からない? ランクAの冒険者なら、ドラゴンの討伐依頼が回されるってくらいです。そう言うと分かりやすいでしょ? ちょっとした軍隊が出る程の事態に、数人で――或いはたった一人で対処する能力があるってことなんですから。ええ、考査の参考になる派手な実績はありませんでしたけど、私の見立てでは間違いなくA級相当です。
ただ、まあ……トラブルメーカーではありましたね。大人しい子でしたから、自分から騒動を起こすタイプじゃなかったんですけど。なにせ、目立つでしょ? 冒険者ってのは、伊達と酔狂と見栄とで生きてるような人種ですから。そんな連中の中じゃ、ちょっと悪目立ちすると、すぐに揉め事に巻き込まれちゃうものでして。
例えば、ええっと……。
あれはあの子がまだ駆け出しだった頃かな。余所からこの王都に流れて来た三人組のパーティがいたんです。で、クエストを受けに来た彼女と、希望する依頼がブッキング。そうなるともうね、向こうは人数も多いし年も上だし、おまけに男じゃないですか。嵩にかかって依頼を譲れって言い出して。でも、彼女の方も引き下がりません。あの子、ご主人様の所望の品と研究の資金――何でも錬金術師だって話ですけど――のために冒険者をやってるらしいんで。どうしてもその依頼で、許可が無ければ立ち入られない狩り場に入りたいと。
そしたらですね、そのパーティの一人がカーッとなっちゃいまして。首輪付きですから、一目で奴隷と分かりますからね。奴隷に舐められちゃ商売上がったりだとでも思ったんじゃないですか? さっきも言いましたけど、普通は奴隷の冒険者だなんて荷物持ちか捨て駒っていうのが相場ですから。それで少し痛い目を見せて引っ込ませようと思ったのでしょう。彼女を手でこう、ドンって突き飛ばそうとしたんです。
ええ、『突き飛ばそうとした』んですよ。けど、あの子ってばヒラリと避けちゃって、手を出した方が無様にずっこける始末。あれは笑えましたね。いや、その後の事を思えば笑い話じゃ済まないんですけど。
で、後はもう分かるでしょ? 公衆の面前、それも流れ着いたばかりの、これから名を売ろうっていう街のギルドで、ちっちゃな女の子に軽くあしらわれたもんですから。良い赤っ恥です。そうなるともう、何をしようと恥の上塗りでしか無いんですけれどね、収まりがつかないもんだから。こう、殺気立っちゃって、奴隷の癖になにしやがるぅ! と。
それでユニちゃん怒っちゃったのって? けど、彼女は変わってますから。奴隷呼ばわりされてもツーンとお澄まし顔のまんまです。奴隷ですが何か? って感じ。ありゃ心底ご主人様に従いきってるな、って思いましたよ。けど、その態度がますます油を注いじゃったみたいでして。最初に手を出したヤツ以外も、止せばいいのに言っちゃったんですよ。彼女のご主人さまへの侮辱を。
……具体的な内容は聞かないでくださいよ? もし、万が一、あの子の耳に入ったら、私の身が危険ですから。
で、気が付いたら辺りは血まみれ。やっちゃったんですよ、あの子。目にも留まらぬ早業でした。その時、こう、ブワーって風が吹いたのを憶えています。室内なのに。多分、疾風系の魔法だと思います。一人を片手剣の抜き打ちで仕留めて、残りの二人は残った手から魔法を撃っていっぺんに、って具合だったんじゃないかなァ……見えなかったんで、推測ですけど。信じられますか? 十歳の女の子が、年齢も体格も、多分冒険者としての年季も上の男三人を、一瞬で躊躇いも無く殺したんですよ? アタシも彼女の仕事振りを知っていなきゃ、多分悪い夢だと思いこんじゃいますよ。
彼女はお咎め無しでした。冒険者同士の刃傷沙汰は死に損っていう決まりですからね。年がら年中モンスターと殺し合っている連中ですから、喧嘩っ早い人が多いんですよ。それにほとんどの人間が相応の戦闘力を持ってますので、仲裁するのも一苦労です。だからまあ、そういった場合は死んだ方が悪い、と。冒険者たる者は常住座臥全てが冒険、己の身は己で守れ、ってね。勿論、一般市民に被害が及ぶようなら、ギルドから除名の上で討伐対象に指定されますが。
それはさておき、ホントに怖かったのはこれからです。いや、目の前で殺し合いというか、一方的な人殺しを見たのも十分怖かったんですけどね。
彼女、震えてたんです。いっつも無口で、ニコリともしないし、かといってムスッともしない無表情の女の子が、初めて表情を崩したのを見ました。ポロポロ涙を流して、顔をクシャクシャにして泣いてたんです。最初はね、アタシも誤解しましたよ。ああ、やっぱりユニちゃんも女の子だったんだな、って。人殺しを後悔して泣けるくらいには、女の子らしかったんだなって。
でも、ですよ。彼女、その頃は駆け出しとはいえ冒険者だったんです。幾つか依頼もこなしていて、その中には盗賊退治もあったんです。確か、あのご主人様のお坊ちゃんが、報酬にはお金の代わりに、盗まれた品の一部が欲しいって、直接依頼主と交渉してたのを思い出しました。……彼女、もう人殺しだったんですよ。これが依頼達成の証拠です、って革袋に詰まった生首をこのカウンターに乗っけてったっけなー、って思い出しちゃったんですよ。あれはドン引きでしたね。
じゃあ、捕まって罰せられるとでも思ってるのかな、と考えましたけど、それも違うんです。彼女、文字が読めるし、根が真面目ですから、ギルドの決まりごとは憶えてるはずなんです。登録の際に会則なんかは渡してありますし。このケースだとお咎めなしだってことくらい、知ってるはずなんですよね。
で、アタシ、止めときゃいいのに聞いちゃったんです。ユニちゃん、どうしたの? って。場違いな質問でしょう? 多分、目の前で血飛沫が上がって、物凄く血腥くって、気が動転してたんですね。普通だったら、近づきませんもん。たった今人殺しをしたばかりの子なんかに。その子が無法者を殺すくらい平気な人間だって、知ってるのに。
彼女、言いました。ご主人様の言いつけを破ってしまいました、と。揉め事を起こさないようにと仰ってましたのに、と。
……自分の血の気が引いていく音が聞こえましたね。冷や汗がだくだくと流れるのを感じました。モンスターの中には、人間に近い見た目のものもいます。それでいて習性や思考回路は、まるで理解の及ばない怪物なんです。それが街中で、突然目の前に現れたような気分でした。だって、たった今人を殺して、最初の感想がこれですよ? 罪悪感とか、処罰される恐怖より先に、まずご主人様、ですよ? 訳が分かりません。そんなに怖いお仕置きをされるのかと思いましたが、違うみたいです。彼女が言うには、ご主人様は優しいんですって。ちょっとしたミスなら、笑って許してくれるんですって。でも、自分がそれに甘えて言いつけを破ってしまった。そんな出来の悪い奴隷になってしまうのが怖い、と。
彼女も動転してたんでしょう。あんなにもハッキリと本心を語ってくれた場面は、後にも先にもこれっきりです。聞かされた方は堪ったもんじゃありませんけれどね。あんな特級にイカレた思考回路を赤裸々に話されたんですもん。理解が追いつきませんでした。酷い吐き気がしましたが、あれは現場の惨状の所為だけじゃないですね。……怖かったんですよ。目の前で途方に暮れて泣いている、十歳の子どもが。その泣いてる理由の、意味不明さが。
それで、ですか? 仕方ないので、彼女のご主人様を呼びに行きました。あの子、立ったままずっと泣き続けていたので、引き取りに来て欲しかったんです。あのよく分からない生き物を、きちんと制御できる飼い主に早く連れ帰って貰いたかったんです。だってそうでしょ? 人を躊躇い無く殺せる上に、何を考えているのかさっぱり分からないんですから。そんな存在が理性の箍が外れっぱなしの状態で居座っているんです。恐ろしいったらないですよ。
あの坊ちゃん、オーブニル家の御曹司は、仕方ないなあって顔で快く同行してくれました。本当に、あっさりと。屋敷の守衛さんに話を通す時の方が余程苦労しましたね。貴族とは思えないくらい、気さくな方でした。って、ああ、すいません。高等法院からいらしたってことは、貴方も貴族でしたもんね。失言でした。
で、坊っちゃんがあの子を連れ帰ってその日は終わりでした。凄かったですよ、彼女。坊ちゃんが着いた途端に土下座して。床は生乾きの血だまりなのに、気付いた様子もありません。返り血一つ浴びてなかった綺麗な格好が、あっという間にどんどん赤く汚れていったのが印象的でした。そうやって這いつくばって何度も何度も、申し訳ありませんでした、って謝っていました。お坊ちゃんの反応ですか? ……笑って許していましたよ。ええ、本当に豪胆で心の広い方です。それに聡明でもありました。話を聞くと、前後の状況ですぐに、揉めた相手が流れ者だって察してましたね。この辺りに後ろ盾のあるような連中じゃなさそうだから、そんなに深刻な揉め事じゃないよ、って彼女を慰めていました。優しいご主人さまですよね? 初めて彼女をここに連れて来た時の悪印象は、すぐに吹き飛びましたよ。
……なんですか? 変な顔をして?
え? その彼女のご主人様の事は、怖いとかおかしいとか思わなかったのか、ですか?
あはは、よしてくださいよ。アタシが彼女のご主人様に、そんなことを思う訳は無いでしょう? だって、ほら、ね? 今までの話の流れからしたらね?
察して下さいよ。本当に。頼みますから。
ま、こんなことがありましたからね。それ以来、冒険者はこの界隈じゃメイドを見たら、まず首輪をしてないか確かめろって注意するようになったらしいですよ。時々、それを知らない新入りが、彼女の逆鱗に触れて、人知れず闇に消えて行くとか何とか。そんな怪談も流行ったりして。あははは。
他にも似たようなことは何度かあったらしいですが、アタシが一番印象に残ったのは今の話ですね。なんてたって目の前で起きたことですもん。肝が冷えましたねー、ホント。
ああ、それと。
誤解しないでくださいよ? 色々言いましたけどアタシ、彼女の事は嫌いじゃありませんから。普段はよく気が付きますし、真面目ですし、何より腕が立ちますからね。ちょっと理解し難いところがあって、ご主人様の事が最優先で、人殺しを何とも思っていないところがありますけれど。アタシもこの業界に入って長いですから。人と違ったり、どこか壊れてたり、そういう人は見慣れてますので。割と多いですよ、あんなのは? 勿論、彼女ほど外れきってるのは珍しいですけど。
でも、ですね。冒険者って、少しイカレてるくらいが丁度いい仕事なんです。
一流の冒険者は、一つ大きな仕事をこなせば、それでしばらくは遊んで暮らせるくらい儲かります。それこそ平民なら一生掛かっても稼げない額を、ね。けど、それでも飽き足らず危険を冒す連中は腐るほどいるんです。どの仕事も、一つしくじれば即、命取りだってくらい危ないのに。なのに嬉々として騒動に首を突っ込んだり迷宮に足を踏み入れたりしていく。おかしいでしょ? どいつもこいつも命の瀬戸際の連続で心が擦り減って、どこかネジが外れてるんですよねえ。そして、そう言う輩に限ってべらぼうに腕が立つから、始末に負えない。
だから思うんですよ。人としてどこか狂ってるってのは、ある意味一流の冒険者の条件なんだって。常人が踏み込めない場所に立つ人間は、やっぱり心もどこか人と違うんだって。それなら、彼女こそ間違いなく一流なんだなあ、と。実際、それに相応しい仕事振りでしたしね。ご主人様、って虎の尾を踏まなければ、アタシらには何の問題も無いですし。まさに天職の冒険者です。いや、彼女の本職は奴隷でメイドですが。
アタシから話せるのはこんな所かな?
しかし、惜しい人材を手放しちゃいましたね。
ええ、留学するご主人様に付いてザンクトガレンに行ったらしいですけれど。勿体ない事です。でも最近帰国したとは聞いていますね。全然姿を見ませんけど。お屋敷の方の仕事が忙しいのかしら? まあ、ご主人様のお坊ちゃんと一緒にいるのは間違いないですが。
もしあの子にお会いするなら、よろしくお伝えくださいね。暇があったらギルドでクエストをこなすことも検討して下さい、って。怖いところがありますけど、余計なちょっかいさえ出さなければ、頼りになる凄腕ですから。
ご主人様の方には……しっかり彼女の手綱を握っていて下さい、とでも。ええ、それしか言いようがないじゃありませんか。
しかしこの話って、相続問題に本当に関係あるんですかね?