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037 王都は燃えているか<3>

 

 ブローセンヌの王宮北面大庭園は、異様な空気に包まれていた。

 ごうごうと勢い良く燃える篝火が幾つも焚かれ、辺り一面を真昼のように照らす。その明かりが、居並ぶ者たちの鎧に、胸の前で天に向けて掲げ持たれた剣に、ぎらぎらと反射されていた。

 ここにいるは、王国最精鋭と名高い近衛騎士団。演習を兼ねた匪賊討伐の為に王都を空けている第二騎士団を除き、第一騎士団から第六騎士団まで、総勢五個騎士団の戦力が集結している。その人数は、目算でも五百は下るまい。

 美々しい甲冑に身を包んだ、屈強の騎士たちが群れ集い、松脂を燃やす光に照らし出される姿――夜闇を払い、見る者の目も眩ますような、壮麗な光景である。

 だが、この光景は、今現在市街地で危機に瀕している市民にとって、また別の感想を抱かせるに違いない代物であった。

 こんな事をしている場合か、と。


「……ではこれより、国王陛下の御前にて、閲兵の儀を執り行うっ!」


 騎士たちの前に立つ、場違いにも平服を身に纏った貴族が、居丈高にそう宣言する。

 閲兵――整列した騎士たちの姿を、国王臨御の下で検分しようと言うのだ。

 街から火の手が上がっているのに、何を悠長な、と言うべきかもしれない。しかし、悲しいことではあるが、この国の首脳部はこれでも十分に焦っていた。焦りかつ急いだ結果が、これなのである。

 ……話は変わるが、アルクェール王国は、地方に領地を持つ大貴族が王家を支える、典型的な封建制の国であった。王が貴族に支配の権利を与え、貴族はその見返りとして王の国土を、魔物や他国から守る義務を負う。だが、人は往々にして義務の履行よりも権利の行使に魅力を感じるものだ。国王の命に従って、強力なモンスターと戦ったり、自領から離れた聞いたこともない土地を守らされるより、支配する土地の民から搾取した方が、楽に儲かるのである。また地位と土地の世襲化により、貴族たちは自領が『王から与えられた物である』という認識を薄れさせ、代わって『我が一族伝来のものである』という認識が醸成されてもいた。建国以来五百年を閲した現在に至り、もはや国王は貴族たちにとって目の上の瘤となっているのである。

 国王陛下は精々、見目良いお飾りとなっていれば良い。我らを掣肘する為の王権の強化など、以ての外である――それが地方貴族たちの総意だ。

 そんなことを考えている連中が、王を守り、時として王の敵を討つ為に存在する、王家直属の精鋭たる近衛に、良い顔などするはずもない。王家にとって邪魔者となれば、貴族とて遅疑せず粛清する為にある武力なのだから。彼らは近衛騎士団が拡充される度に、様々な要求や難癖を上げ、抑圧する為の制度や慣習を作り上げていった。

 剣一本に至るまでの持ち出す装具の申請、改めて王命に則り任務を遂行するとの宣誓、宮廷の貴婦人に対する宣撫……数え上げるだけでキリが無い。それを国王臨御の閲兵一つにまで、何とか省略して見せたのだ。連絡のために飛び回り、折衝の為に骨を折った、関係各所の苦労が偲ばれるというものである。

 こうして近衛騎士団が未だに王宮で足止めを喰っているのも、中央集権派と地方分権派の内訌の影響、という訳だ。


「拝跪せよ――国王陛下、御入来であるっ!」


 進行役の貴族の言葉を合図に、騎士たちは一斉に片膝を衝いて剣を地面に立て、刀身の腹に自分の額を当てる。剣を地に突き立てるのは叛意の無いことの印であり、額を剣の腹に当てる所作は、王命に従って武器を取る意義を心中に染み込ませてる為、とされていた。

 跪き、地に立てた剣で顔を隠した騎士たちの表情は、正面からは窺い知れない。だが、内心に出発が滞っていることへの不満を抱いている者は、決して少なくはないだろう。

 近衛騎士と一口に言っても、その出自は様々である。宮中警護を仰せつかる第一騎士団は高位貴族の子弟が多数を占め、今は不在の第二騎士団では、実力主義の名の下に身分を問わずに登用を行っている。第三以下の騎士団も、下級の貴族と平民上がりが半々と言ったところだ。

 そうした身分の低い生まれの騎士たちにとって、平民たちの暮らす市街が危機に瀕している現状は、決して他人事ではない。非番の日に物を買い、飯を食い、酒を飲んだ店々が襲われているかもしれない。己の生家が暴徒に荒らされ、家族が害されているおそれもあった。そう考えるだに居ても立ってもいられなくなる。

 早く、一刻も早く出陣の命を。

 そう希う騎士たちに、命令を下すはずの王は、


「う、うむ……い、今、赴く故……」


 冴えない表情と、覚束ない足取りで姿を現した。

 王宮から庭園へと続く、赤い絨毯が急ぎ敷かれた階段をのろくさと降りる。その光景に、居並ぶ廷臣や近衛から溜め息が漏れた。無論、その源泉は感嘆や敬意などではない。慨嘆と軽侮である。

 アルクェール王国第三一代国王、シャルルVIII世。当年を以って五八歳。しかし、その容貌には寂寞と困憊が色濃く表れており、実年齢より老いて見えた。在位は三十五年を越え、長らく玉座にある身であるが、六年前、王太子と第二王子に相次いで先立たれ、後継者不在の身である。以来、前にもまして老け込み、近年は政務も滞りがちとなっていた。

 口さがない者たちには、今上の王はラヴァレ侯の傀儡であるなどと陰口を叩かれているが、件の侯爵が耳にすれば、憤然として立ち、こう言うに違いない。

 自分にも、もっと出来の良い傀儡を選ぶ自由があったはずだ、と。

 噂話の最後は、大抵、そんな冗談で結ばれるのである。

 その不出来な傀儡は、それこそ操り人形じみたぎこちなさで、ぎくしゃくと近衛たちの前に立った。よくよく見ると、怯むように腰が引け、身体を震わせている。まるで、彼を守るために存在する筈の、近衛騎士団の携えた剣に怯えているかのようだ。実際、近年のシャルルVIII世は被害妄想の気があるとされている。王の膝元、ブローセンヌの都が凶事に見舞われている現在、その傾向はより悪しく出ているようであった。

 震える王は、顔に汗を浮かべ懸命に声を絞り出す。


「き、き、騎士団っ! お……面を上げよっ!」


 裏返った金切り声だった。とてもではないが、一国の王に相応しい威儀があるとは言いかねる声である。

 ともあれ、王命だ。近衛騎士団の団員たちは、げんなりとした気持ちを皮一枚下に隠し、言われた通りに顔を上げる。王はその動きの機敏さに、自分で命じておいて、またぞろビクリと縮み上がった。

 そして、懐から真新しい羊皮紙を、もぞもぞと取り出す。宮内の典礼官が起草した、演説兼勅令の文章であろう。


「わ、我が麾下の精鋭に、ふ、ふ、相応しい……み、見事な立ち居振る舞いなりっ。よ、余はっ! 汝らが近衛として傍にある限り、な、な、何事にも、お、おじ、怖じる理由をっ! み、見出すことが出来ぬっ」


 まるで説得力の感じられぬ言葉であった。

 おそらく、閲兵からそのまま市街への出陣を命じるという流れを演出する為だろうが、まるで読み手との相性を考慮していない文章である。これではあたら騎士たちの士気を萎えさせるというものだ。


「だ、だがしかしっ! 聞くだに驚倒せんことではあるがっ、お、お、王国五百年の都ブローセンヌに、逆徒蜂起との報せがあったっ! け、卿らが余の傍を離れることは忍び難いがっ、宸襟を安んじ、治世を平らかにすることこそ、き、き、騎士の本分とぞ思うっ! ゆ、ゆ、故に――」


 声は不規則に抑揚を乱し、顔中から滝のように汗を流しながら、シャルルVIII世は何とか演説を終えようとする。

 だが、その時、


「で、伝令っ! 伝令ーっ!」


 突如、血相を変えて走り込んで来た将校が、それを遮った。


「ぶ、ぶぶぶぶっ、無礼者ォ!? し、臣下の身で余の言葉を遮るとはっ、どのような了見かァ!?」


 忽ち目を血走らせ、こめかみに青黒い血管を浮かべて怒鳴る国王。彼は臆病な男であるが、それだけに自身を脅威から守る防壁――すなわち王としての権威が侵されることを、酷く嫌うのだ。

 伝令の将校は、ひたすら恐懼して無礼を謝する。


「も、申し訳ございませぬっ! 畏れ多くも玉音を遮り奉りましたのは、臣の不明でありますっ! で、ですが――」


「だ、だ、黙れっ! 不忠者の釈明など、き、聞きたくないっ」


「いいえ、黙る訳には参りませぬ! 緊急の伝令であります!」


 その言葉に、騎士たちは俄かに互いの顔を見合わせた。

 仮にも王の言葉を遮ってまでの伝令である。不敬のかどでの重罰は避けられないだろう。それを覚悟してまで伝えようとしている内容は、果たして如何ほどのものか。気にならない者などいないだろう。

 だが、例外は一人だけいた。


「な、ならば斬れっ! 死ねば黙るっ! だ、誰か! こやつを斬れっ!」


 よりにもよって、この国の国王が、である。

 シャルルVIII世は、完全に逆上していた。己の言葉を遮り、己の言葉に逆らう臣下の存在。それを目の当たりにして、首筋に毒虫を這わされた女性のように、反射的な激昂に身を任せていた。

 このままでは埒があくまい。

 そうと察して、近衛の中から第三騎士団の長が意を決して立った。


「陛下! 畏れ多くも、近衛第三騎士団を預かる臣が申し上げます!」


 果たして国王は、冷水を浴びせかけられたかの如く跳び上がって振り向く。


「ひっ! ……な、何だっ!?」


 何だ、という言葉は、第三騎士団長には都合が良かった。

 目上の者から意図を問われれば、それを詳らかに話す義務が生じる。裏を返せば、己の意図を話す機会を得たと言えよう。

 彼は王の気が変わらぬうちにと、一気呵成に捲し立てた。


「臣の発言をお許し頂き、汗顔の至り。では、陛下。この者、愚かにも陛下のお言葉に割り入ったのは事実でありましょうが、一刻も早く御耳入れしたき儀が存じたのも事実でしょう。ここはひとつ、御心を平らかにしてこの者に存念を話させ、内容を玩味して頂きたく思います。その上で、詰まらぬことで玉音を遮ったと思し召しになられるのであれば、御意のままになさるのがよろしいかと」


 要約すると、斬るならばまず話を聞いて、王の言葉を遮る価値無しと判じてからにしろ、ということだ。団長とはいえ一介の騎士が王に話しかけるには、色々とくだくだしい修辞が必要なのである。

 果たして王は、一層痙攣的な表情を浮かべた後、


「……好きにせいっ!」


 と、拗ねた子どものように横を向いた。

 第三騎士団長は、溜め息を堪えつつ伝令の将校に促す。


「そう言う訳だ。話せ」


「は……はっ!」


 緊張に顔を強張らせた将校が語った内容は、短く、しかし衝撃的なものだった。


「この度、市街で蜂起した活動家と称する暴徒たちですが……アモン川東岸の貴族街にも現れました! 現地の警邏に当たっていた兵たちからも、近衛の援軍を乞う声が上がっております!」


「「何ィ!?」」


 驚きの声が、異口同音に上がる。

 シャルルVIII世、国王臨席の格式を整える為に列席した貴族たち、そして貴族街に屋敷を持つような家に生まれたごく一部の騎士たち。

 いずれも、平民たちの暮らす地区が襲われたと聞いた際には、どこか他人事のように構えていた者ばかりである。


「へ、陛下っ!」


 第一騎士団の団長が、焦慮も露わな顔で立ち上がった。


「僭越ながら、直ちに我らへ出陣をお命じ下さいませ! 貴族街に不逞の者どもを、のさばらせる訳には参りませんっ!」


 その発言に、彼の麾下である第一騎士団の面々が同調するように肯く。

 先述したように、第一騎士団は近衛の中でも血筋が良い。多くはブローセンヌの東側、貴族街で育ったことだろう。先程、平民街の危機に心を乱されていた第三騎士団以下の思いを、図らずとも理解する羽目になったのだ。

 第一騎士団の団長は言い募る。


「それに、です。万が一、王国貴族の青き血が、愚民どもの手によって流されたとあらば、千載の汚名となりましょう! ましてやここは、王都ブローセンヌなのですぞ!?」


 天下の王都で、貴族が平民に殺される。それは王の――シャルルVIII世の治世を、悪い意味で後世に印象付けるだろう。そう言っているのだ。

 過激な発言だった。それ以上に、臣下が国王に述べるには無礼に過ぎる言葉である。

 だが、言われた国王は動転して色を失くし、それに気づくどころではない。


「う、うむっ! では、近衛騎士団は総員、貴族街へと――」


 勢いに乗せられたままに命を下そうとする王。

 だが、


「失礼! それはいけませぬ陛下!」


 第三騎士団の団長が、割って入る。

 シャルルVIII世の顔色が、またぞろ苛立ちに赤黒く染まった。


「な、なんだ!? こ、こ、今度はお主が余の言葉を――」


「お怒りはごもっとも、なれど、臣としてはそのまま御下命いただく訳には参りませぬ!」


「……それはどういう意味かな、第三騎士団の」


 冷たい声音で不興の意を表するのは、第一騎士団の団長だった。


「陛下は只今、近衛の総員を以って貴族街の救援をと発せられるところであった。何故、それを止める?」


「何も我らの全てが貴族街へ向かう必要はあるまい。まず最初に襲われたのは平民街。しかも、既に火の手まで上がっている。こちらへの手当ても、怠る訳にはいかないであろう?」


 応じる第三騎士団長の声も、晩秋のみぞれを思わせる冷たい粘り気を孕んでいた。

 彼は怒っている。今の今まで、我関せずと振舞っておきながら、いざ貴族の危機となると態度を翻す第一騎士団。その在り方に、深甚な怒りを抱かざるを得ないのである。

 が、第一騎士団の団長は、その態度に何ら感銘を受けた様子も無く言い募る。


「貴族こそが、王室の藩屏にして国家の要。その危機を除くのに全霊で当たる。その何がおかしいと言うのか?」


 ――平民など知ったことか、貴族の危機が最優先だ。

 おおよそ、そのような意味の言である。

 手前な勝手な理屈は、言われた側の態度を強硬にする役割しか果たさなかった。


「第一騎士団団長の御心得、誠に結構。されど、先程の貴殿の論法を省みられよ。王都で貴族の血が流れるは、確かに陛下の御名を傷つけよう。しかし、伝統ある都に上がった火の手を看過し、まかり間違って市街を焼き払うようなことになれば、何とする!?」


「ぬうっ……」


 そう言われれば、返す言葉が無かった。平民たちの暮らす市街とはいえ、都は都だ。自国の王都を焼かれるがままにする王に、どこの誰が忠を尽くせると言うのか。

 他の騎士団も、第三騎士団長に続く。


「同感だな。第一、貴族の屋敷には護衛もいよう。寧ろ、そちらに回す戦力は最小限で良いと存じるが」


「何しろ貴族は王室の藩屏であるからな。己の身も守れずして、どうして陛下をお守り出来ようか。ならば差し向けるのは、騎士団一個程度が相応かと」


「そうなるとここは、貴種の血を引いておられる第一騎士団の独壇場ですな?」


「き、貴様ら……!?」


 瞬く間に孤立無援へと追い込まれ、第一騎士団長は目を剥いた。

 第一騎士団は、宮廷警護の任を受け、貴人の傍に侍ることを役目とする。そこに求められるのは無双の剣腕でも馬術の達者でも、身命を惜しまぬ勇気でもない。宮中の品位を落とさぬだけの、血筋と教養、それだけだ。敢えて他に求められる要素は、見苦しくない程度の容姿くらいか。

 要は、良いところのお坊ちゃんの集まりである。実質的には儀仗兵が常設されたようなものであり、警備の実務には専属の兵が任に当たっていると言うのが実情だ。第二以下の騎士団が徒歩での御前試合やトーナメント、実地での軍功などで厳しく選抜された精鋭であるのと比べると、見劣りすると言うのもおこがましい。近衛の中での序列が最高位であるのも、その血筋に由来する権威と、宮中との繋がりからくる威光に過ぎなかった。

 だから、自力のみで鉄火場に踏み込むことへ躊躇いを覚える。己が張子の虎である事など、自身が一番知っているのだ。貴族街の救援に向かうにしても、出来れば近衛の総力でという形にしたかった。それが叶わなくとも、何とか他の騎士団を巻き込み、可能な限りの多勢で事に当たりたい。

 しかし、他の騎士団はそれを嫌った。彼らのほとんどは貴族とは名ばかりの下町育ち、或いは正真の平民たちである。川の向こうの貴族街のことなど、文字通りに対岸の火事――いや、現に火が付いているのは自分たちの街の方なのだから、他所に関わる気など湧くはずも無かった。


(近衛とは名ばかりの、成り上がり者どもが……!)


 第一騎士団長は、忌々しさに内心で毒吐く。

 かつての近衛騎士団の編成は定数百人。ちょうど、現在の騎士団一個分であったのだ。それが六倍近く拡張されたのは、ラヴァレ侯爵らの横槍に原因がある。五十年前の敗戦に端を発する強国化路線。その延長として、近衛騎士団も中央集権派の後ろ盾を得て拡充され、宮廷の警備隊から王都防衛軍の中核組織へとその性質を変えていった。員数確保の名目で、以前であれば登用されなかった下級貴族や平民出身の騎士が含まれるようになったのも、その為だ。改革以前の、高位貴族の子弟のみによって構成された、宮廷の防人としての役割は、第一騎士団にのみ残された。

 だから、彼は他の騎士団が気に入らなかった。貴族の古き良き伝統を解さず、あたら武力を誇り、自分たちを軽んじる下賤の者たち。ラヴァレの口車で捻じ込まれた匹夫どもなど、誰が近衛として認めるものか――そんな風に第一以外の騎士団を見ている。

 そのことは第二騎士団以下の者たちも敏感に察していた。そして、その為に反発を抱いている。何が第一騎士団か。所詮は高位貴族のドラ息子どもではないか。それが寄り集まって、各々の実家の利便を図ろうと宮廷人と繋がり、貴人の警備どころか佳人と浮名を流すことばかりにうつつを抜かす。近衛とは名ばかりとは、こちらの台詞だ――と。

 対立する立場にある騎士たちの間に不可視の火花が散り、重い沈黙が暫し流れた。


「ま、まあまあ。各々方、落ち着かれよ」


 見かねたように声を掛けてくるのは、参列していた宮廷貴族の一人だ。その姿に、第一騎士団の面々は相好を緩め、それ以外の者は一様に苦虫を噛み潰す。

 宮中に上ることの出来る貴族。それは即ち、第一騎士団の団員と同じく高位の貴族なのだ。


「共に言い分には理があるが、双方譲らずでは埒が明かぬ。ここは角を収めて、騎士らしく秩序だった行動を心がけて貰いたい」


 騎士らしく、秩序だった行動を――それはつまり、序列の最優位にある第一騎士団に従え、という意味だ。近衛は原則、若い数字を振られた騎士団に指揮権の優越が認められている。当然のことだろう。侯爵や伯爵の子弟が集う第一騎士団が、男爵や騎士家、下手をすれば元平民やもしれぬ他の騎士団長に、唯々諾々と従える訳が無い。

 援護を得た第一騎士団長は、一転して嗜虐的な笑みを浮かべる。


「ふむ、卿のご意見は至極もっとも。王国軍の範たる近衛騎士たる者、危急の時にこそ法度に則り、公明な立ち居振る舞いを心得るべきよなァ?」


「くっ……!」


 嬲るような口調で水を向けられた第三騎士団長は、思わず拳を握り込んだ。そのしたり顔を殴りつけてやりたかったが、生憎と殿中であり御前でもある。そんな真似をすれば、自身のみならず部下や家にも累が及ぶ。出来る訳が無かった。


「団長……」


 部下の一人が、縋るような目でこちらを窺っている。我慢の限界だ、という顔だった。王都の危機に、今すぐにでも飛び出して行って駆け付けたいのだろう。例え、ここで腕ずくに物を言わせ、青瓢箪の第一騎士団どもを振り払ってでも。

 見渡せば、第三の部下たちや他の騎士団の中にも、ともすれば殿中での斬り合いも辞さず、という剣呑な顔をした者も見える。


(逸るな、それはならん……)


 第三騎士団長も、第四以下の団長も、出来ればその通りにしたかった。だが、それはしてはいけないことなのだ。道理や法理の問題ではない。近衛が激発すれば、彼らを王家の尖兵と見ている、地方の諸侯を刺激し過ぎる。政治問題として取りざたされるくらいならば、まだ良い方で、最悪の場合は近衛の強行を王室専断の先駆けと捉え、反乱を起こされることすらあり得た。

 下手をすれば王都どころか、国そのものを焼きかねぬ。その恐れが軽挙を戒めていた。

 かといって、見す見すと第一やその背後に控えるお偉方の好きにさせる気も無い。


「……国王陛下」


 今まで蚊帳の外に置かれ、急に声を掛けられたシャルルVIII世は、またぞろビクリと肩を震わせた。


「な、何じゃ……?」


 その弱々しい姿に失望を感じながらも、第三騎士団長は言葉を続ける。


「我ら近衛は、あくまで王家の盾にして矛。畏れながら、王都への救援へと赴くに際しましては、臣は陛下の御意を得たく存じます」


「「何っ!?」」


 第一騎士団長が、列席した貴族たちが、思わず声を上げた。

 近衛の団内における最優先指揮権は、先述の通り第一騎士団が持つ。では、近衛そのものに対する命令権は? 当然ながら、それに護られる王にある。

 その王に下駄を預け、決断には全面的に従うと意を表したのである。


「第一騎士団は、王室の藩屏たる貴族の救援を優先すべきと申しております。臣らは、自衛に能う力を持つ貴族よりも、先に襲われた市街へと兵を進めるべきと存じております。その双方に理ありとは、諸卿も認めるところ。であれば、我らはいずれの理を採るべきか。陛下におかれましては御聖断を下し、臣の蒙を啓かれ賜りますよう、お願い申し上げます」


 これで王が、最初に襲われた市街への救援を命じれば良し。後顧の憂い無く、助けたい民を救うことができるだろう。逆に貴族を優先しろと判断されても、それはそれで仕方無い。第三騎士団長も部下たちも、嫌ではあるが陛下の命ならばと自分を納得させられる。少なくとも、第一騎士団や貴族たちの為などではなく、近衛として王の命に従ったのだと内外に意思を示せるのだ。それに貴族街の賊を手早く掃討した後、返す刀で平民たちの市街へ向かうという手もある。その為には、反発を感じ士気を減じるであろう部下たちを、仮初にでも納得させる理由が要るのだ。つまり、王命という最大の大義が、である。

 言上した第三騎士団長、それに同心する他の騎士団長、出し抜かれたと眉間に皺を寄せる第一騎士団と宮廷貴族、居並ぶ騎士たち。その全てが固唾を飲んで、王の判断を待つ。

 そして、長くも短くも感じるまんじりともしない時間の後、シャルルVIII世は口を開いた。


「……知らぬ」


「はっ……?」


 呆気に取られたような声は、果たして誰のものであったろうか。それを判じる暇も無く、


「し、知らぬぞっ! 知らぬ知らぬ知らぬっ! 余は、余は、そのような事は知らぬっ! そ、そ、その方らで、好きに差配せいっ!」


 近々六十にもならんとする男が、駄々を捏ねる子どものように口角から唾を飛ばす。

 更には、地団太まで踏んで庭園の芝生を蹴り散らした。血走った目は瞬きを忘れたように大きく剥かれ、こめかみに浮き出た血管が痙攣的に脈打つ。傍目から見ても尋常な様子ではない。王は狂していた。


「へ、陛下っ!? 困ります、陛下ァ!」


「し、し、知るかっ! 余は帰るっ! 部屋に戻るっ!」


 臣下の呼び止める声に背を向け、赤絨毯を逆走する。

 もう嫌だ、とシャルルは思った。

 どいつもこいつも、勝手なことばかりを言う。彼にとっては、第一騎士団もそれ以外の近衛も、廷臣も平民も皆全て同じであった。こちらの立場や心情を忖度すること無く、遠慮も呵責も覚えずに、自分たちの意見ばかりを囀る鴉ども。この身は畏くもアルクェールの王である。なのに、誰も彼も要求ばかりを際限なく突きつけてくる。一片の崇敬も信愛も寄せられることなく、ただただ群臣の言う通りに儀礼をこなし、決定事項を追認するだけの日々。自分の意思など何処にも無い。叶えられるどころか、聞かれたことも無かった。それでいて責務だけは次から次へと押しつけられる。堪ったものではない。

 ラヴァレら中央集権派にしたってそうだ。王は玉座に行儀良く座っていればよく、それがシャルルでなくとも構わないのは、地方分権派と同じである。要は政敵を掣肘するための道具扱いだ。それが忠臣面をして、やれ王の為だのやれ国の為だのとぬかしながら、好き勝手をする。良い迷惑だった。お陰で諸侯の心は王室より離れるし、民も彼らが提唱した政策の為に税が上がれば、王に対して不満を漏らす。自分は何もしていないのに、何かをする自由すら無いというのに。


(嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ! 余は、もう王など続けとうないっ!)


 一人宮廷へと逃げ戻り、居室目掛けて走る王の顔は、いつしか涙と洟とでぐしゃぐしゃになっていた。

 本当であれば、自分は既に玉座から身を引いていたはずである。長男のルイなり次男のフィリップなりが後を継ぎ、シャルル自身は退位して、長年の重責から解放され、慎ましやかな隠居暮らしを送ることだけを望んでいた。それが御破算になったのが、六年前の王太子ルイ暗殺事件である。

 当時、中央集権派と地方分権派の政争は、王位継承者を巻き込むまでに発展していた。長子ルイが集権派に後見され太子として立つと、分権派は次子フィリップに兄を凌ぐ資質ありとしてその決定に反駁する。単に政敵の後ろ盾を得た者に玉座を占められるのを嫌った言い掛かりであったが、悪いことにフィリップはその気になり、ルイも野心を剥き出しにした弟を憎んで、兄弟相争う骨肉の政争が始まったのだ。父王の度重なる仲裁も効果は無く、ルイが弟の逆心を謗れば、フィリップは兄を王の器に非ずと貶す。宮中全体が野薔薇の蔦を這わせたような刺々しい雰囲気に包まれ、遂には王子らを調停出来ぬ王へも不審の声が向けられるようになった。

 そんなある日、珍しく家族の揃った食事の席でのことである。突如、ルイが血を吐いて倒れ、そのまま二度と起き上がることなく身罷った。食後のワインに毒が盛られていたのだ。当然、容疑は公然と王位を争っていたフィリップへと向けられる。兄殺しの汚名を着せられた弟は、疑惑と追及から逃れるように部屋へと閉じこもり、三日後に人知れず服毒自殺を遂げた。用いた毒がルイを殺したものと同種であったことから、やはりフィリップが犯人かと騒がれたが、怪しいものだとシャルルは思っている。ルイ殺しの真犯人と疑いの目に耐え切れなくなったフィリップ、両者が手に入れた毒が偶々同じだったかもしれないし、フィリップも何者かに自殺と見せかけて殺されたのかもしれない。いずれにせよ父親としては、次男が長男を殺した挙句に自殺したなど、思いたくもなかった。二人とも、この膝であやして育てた可愛い息子たちだったのだ。彼らの争いを調停することが出来なかったのも、どちらか一方でも悪者にしたくなかったからなのだ。

 事件後、中央集権派は事の原因を分権派がフィリップを唆したことにあるとして指弾し、地方分権派はその責任を数名の法服貴族に着せて頬かむりをした。真実の究明をと要求する王に対し、廷臣たちは過度の追及によって諸侯の反乱を招く恐れがあるとして、事実上の黙殺を決めた。あのラヴァレに至っては、捜査の中止と引き換えに幾つかの法案を黙認するよう、分権派に持ち掛けるという挙に出ていた。国王シャルルVIII世には、息子殺しの犯人を見つけ出して血祭りに上げることはおろか、変わらない真実を知って絶望することすらも許されなかった。

 以来、彼は今まで以上に政務への関心を失くす。いや、世間の諸事にすら興味を失ったと言って良い。酒を遠ざけ、食事の味にすら頓着しない。耳にする音楽に煩わしさを覚え、絵画の類は先立たれた息子らの肖像画を数点、部屋に飾るのみ。気力の衰えが影響してか、それとも子を為すことを怖じるようになったのか、閨のことも適わなくなっていた。

 大地と芸術の国の玉座にありながら、酒食にも芸術にも色香にも背を向けた、灰色の王。それが今のシャルルVIII世だった。


「ぜぇ……っ! ぜぇ……っ! は、ひぃ……っ」


 息を荒げ、洟を啜ることすら忘れながらも、彼は走り続ける。ひたすら自室を目指して、そこに立て籠り、外界の全てから遮断されることを欲して。王都がどうなろうと知ったことではなかった。役立たずの貴族どもなど、暴徒に襲われて一人残らず殺されてしまえ。都から火の手が上がっているのなら、いっそのこと王宮にまで燃え広がれば良い。かえって清々する。

 思いながら彼は逃げ続けた。決断を迫る家臣から。自分を取り巻く現実から。

 誰も彼を追いかけては来なかった。そうする必要は、誰にも無かったのだから。

 王が遁走するという前代未聞の事態に見舞われた庭園では、第一騎士団によって近衛の総力を貴族街へと向けることが決定される。国王という最高の意思決定者が不在なのだ。最早、近衛内序列一位の指揮権保有者を阻む者はいない。第三以下の騎士団にも、事ここに至って決断を放棄する王に、追い縋って何をか言わんとする気力は残されていなかった。


 アルクェール王国国王シャルルVIII世は、何も決断しないという一事で以って、渦中の平民たちを見捨てることを決定した。




  ※ ※ ※




 王宮の聳える小高い丘から、進発した近衛騎士団が駆け下りてくる。この国で最強とされる戦力にしては、その動きは些か精彩に欠けていた。というのも、実戦経験に乏しく、求心力はそれ以下という第一騎士団が陣頭に立っていることの影響が大きい。強権を振るって第三以下の騎士団を押さえ付け、自らが一番槍に近い先頭を、のろくさと駆けている。後続としては追い抜くか、尻を蹴飛ばしたいところだろうが、法度と実家の七光がそれを阻んでいた。

 まるで戦う前から戦勝のパレードをしているような、呑気な行軍。今まさに危難にある市民が見れば、怒り狂って暴徒の側に立ちかねない光景である。

 街並の切妻屋根の上から、それを眺める影があった。

 頭から足元まで、すっぽりとローブで包まれた影。その影は懐から小さな礼装を取り出すと、口元に当てる。通信魔法を込めた礼装だ。


「オーパス05より、01へ。オーパス05より、01へ。応答を請いマス」


『こちらオーパス01、通信感度良好。オーパス05、連絡事項をどうぞ』


「お客様のご出立を確認しまシタ、と、連絡しマス。繰り返しマス、お客様のご出立を確認しまシタ、と、連絡しマス」


 礼装越しに、機械的な女の声が交錯する。そして沈黙。

 ややあって、通信の向こうから応えが返る。


『……了解しました。予定より随分と遅いお越しなのですね。何かあったのでしょうか。05、そちらから何か異常は検知できませんか?』


「いいえ、と、否定を返しマス。お客様に、目に見える異常は、確認できまセン」


『成程。思ったよりものんびりとされた方々なのですね。……お遅れになられる分には、問題無いでしょう。私たちの仕事にも、余裕は生まれますから。それで直行なさる方は如何ほどでしょう?』


「全てです、と、所見を述べマス」


 影の答えに、通信の相手が一瞬黙り込んだ。予想外の答えに面食らったようであった。


『……全て?』


「ハイ」


『そうですか。……まあ、良いでしょう。大勢に影響はありません』


「ですが、よろしいのでしょうか、と、質問しマス。このままでは、予定より騒ぎが大きくなるかと思われマスガ」


 屋根の上の影は、そう確認を求めた。盗み聞きを警戒してか内容を暈してはいるが、彼女らの会話はブローセンヌを襲っている混乱についてのものである。影が危惧する通り、近衛がこのまま全戦力を貴族街へと振り向ければ、市街の被害は拡大し続けるだろう。場合によっては、火事が燃え広がって王都中を焼き払うことになるかもしれない。

 それでも構わないのか、という問いに、


『それが何か?』


 通信の向こうの相手は、事も無げにそう言い切った。

 であるなら、この影にもそれを気にする必要は無い。


「いえ、と、お答えしマス。任務に支障が無いとの、ご判断なラバ」


『では、問題ありませんね? 05、貴女はそのまま当初の任を継続していて下さい。後は我々が』


「ご武運を祈りマス。オーバー」


『そちらこそ気を付けて。オーバー』


 奇妙な符牒での挨拶を交わすと、通信は終わる。

 人影は礼装を再びしまいこむと、歩哨を思わせる動きで市街を見渡した。


「……」


 貴族街へ向けて進む近衛騎士――問題無し。

 暴徒と、その犠牲になる市民――問題無し。

 街のあちこちで上がる炎と煙――問題無し。

 全て問題無し。少なくとも、彼女に課せられた任務には、何の不具合も生じていなかった。

 ブローセンヌの地獄めいた状況は、まだ終わりそうにない。

 

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