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036 王都は燃えているか<2>

 

「――同志諸君、時は来た」


 揺れる蝋燭の火に頼りなく照らされる、地下の一室。男は室内の暗さに引けを取らない陰鬱な声でそう言った。

 その男の表情は異様である。薄汚く伸びた不精髭に、それでも隠しきれない程にこけた頬。やや上目遣いの目は血走り、視線は誰とも合わさずに中空の一点にピタリと固定されていた。

 余人には近寄り難い、極端な情熱に浮かされた表情であった。

 だが、彼の周囲には、取り巻くようにして木椅子に座す、数人の人影がある。その顔にはやはり、真摯ではあるが鬼気迫った、得体の知れない喜びが浮かぶ。


「おお……!」


「待ちかねましたぞ、同志ガストン……!」


 集った人影たちは、一様に男の言葉に賛意を示した。その様子は測ったかの如く画一的で、口調や表情の熱量とは裏腹に、どこか冷たく機械的に整ったものを感じさせる。

 浮世離れした風情と排他的な雰囲気を醸すその集団は、王都の民からは活動家と呼ばれていた。

 二か月ほど前より突如としてブローセンヌに現れ、政治を批判し体制を攻撃し、貴族や富裕層を痛罵していた、得体の知れぬ騒動屋。幾度となく捕吏に御用となりながらも、懲りることなく行状を改めぬ奇人ども。今日まで、そんな風に評されていた者たちである。


「いよいよ、ですな……」


「うむ」


 男は同志たちに、満足げな肯きを一つすると、一呼吸を置く。

 そして、密かに思いを巡らせた。今日この時を迎えるまでに費やした労苦へと。

 この男、ガストン・ジュストは元々ブローセンヌの人間ではない。王国南部の田舎の出であり、本来は農民である。

 故郷での生活は最悪だった。彼が耕していたのは、決して痩せた土地ではない。寧ろ肥沃であり、果樹などの特産から、この国の中でも豊かな土地と周囲から見られている程だ。しかし、かといってそれが農民たちの幸福を保証する訳ではない。

 ガストンの暮らしていたのは、極端に富農の権力が強い地域である。富農たちは本来、農民たちの利益代表者ともいうべき存在であった筈が、長きに渡り貴族との折衝や村の富の再分配に腐心する内に、次第に変化を遂げていった。代を重ねる中で、周囲の家を小作人として傘下に置き、これを使役することで富を独占する、半貴族とでも言うべき地位を占めるようになったのだ。農民たちの上に領主に相当する者が、実質二人君臨しているようなものだった。幾ら土地が豊かであろうと、収めるものを本来の二倍以上収めていては、暮らしが成り立つ筈もない。

 勿論彼も、小作農である。古里に思いを馳せたとて、労苦と空腹しか浮かばなかった。

 ただ富農の傘下の家に産まれたというだけで、奴隷も同然の生活を強いられた屈辱。村の顔役たちから得る付け届けに目が眩み、貧農たちに何の手当ても施さなかった領主への失望。自分たちの苦しみを余所に、作物を金に変えて肥え太っていく商人への怒り。そして、それを許しているこの国、この世への憎悪――そんなものが、ガストンの原動力だった。

 どこからともなく沸き上がり、全身の血を煮えたぎらせる程に熱い憎悪に押され、彼はわななくように口を開く。


「この都の各所にて雌伏する、全ての同志へと使いを放て。……今こそ、決起の時と!」


 その言葉に、室内の空気が震えた。動揺の為ではない。ガストンの声に呼び覚まされた、熱い衝動に身を震わせた故にだ。

 決起。

 そう、決起である。ガストンと彼の同志たちが目論むのは、王都ブローセンヌにおける武力蜂起であった。

 彼は居並ぶ仲間たちの顔を見渡す。いずれも困窮と疲弊に荒んだ顔だった。日に焼けつつも血色が悪く、肌を青黒させた者がいる。並外れた労苦を課され、三十路にも届かぬうちから目尻に額にと皺を刻みこんだものがいる。

 そして全員が、その目に同じ憎悪を宿していた。平民を虐げる貴族たちと、同じ平民でありながら同胞を膝下に置いて利を貪る裏切り者とへの、怒りを。


「おおおおおぉ……っ!」


「同志! 同志ガストン万歳!」


「労働者に勝利を! 搾取者には死を!」


 地下にこだまする歓呼の声に応え、ガストンは立ち上がる。

 彼はかつて単なる農民であった。無力で、無教養で、何より無気力な、どこにでもいる凡人に過ぎなかった。

 だが、今は違う。今の彼は怒れる民の代弁者である。二か月前に初めて王都の辻に立ち、自身を活動家と自任した時より、彼は常に変革の必要を説き続けていた。初めは物狂いかとせせら笑われ、石で追われる身であったが、今やその意思と言葉とで多くの同志を勝ち得ている。そして、これより王国史上……否、大陸史上にも類を見ない偉業を為す筈なのだ。

 己の言葉で他者を扇動する高揚と万能感、これから起こることへの期待と陶酔に身を包まれつつ、ガストンはニヤリと髭の下の頬を吊り上げた。


「さあ、立てよ諸君! 我々は怒りと共に立たねばならぬ! 貴族と称する簒奪者どもが、不当に奪っていった権利を取り戻す為に! 商人どもが物のように買い叩いていった、我らの財を取り戻す為に! ……戦う為に、私と共に立ち上がろうではないかっ!」


「「オオオオオォオォオォォォォ……ッッッ!!」」


 指導者たる『最初の活動家』の言葉に応えながら、活動家たちは立ち上がる。

 彼らの目は、爛々と輝いていた。

 ドブ川が夕陽を照り返すような、ねっとりと底知れぬ色に輝いていた。




  ※ ※ ※




「おい、見ろよ」


 事件の兆候に初めて気づいたのは、市中を巡回する警邏の兵士だった。

 その兵士は、何とも言えぬ違和感に苦い顔をしながら、隣を歩く同僚に声を掛ける。


「ん? 何だよ?」


「……自分でも上手く言えないんだが、何かおかしくないか?」


 言って、街の往来を顎で示す。

 ブローセンヌの中心街は、日没の後も人通りが多い。何しろ国の中心であるだけあって、王都の人口は王国で最大のものなのである。母数そのものが大きい分、必然、夜間外出者も多くなるという道理だ。また近年は整備された街燈が道を照らしており、市民に夜歩きを躊躇わせる暗闇を、大きく減じさせているということもある。

 その日も、仕事帰りの労働者風の男たちで、街路はごった返していた。


「別に、何もおかしいことはないだろうが」


 同僚は拍子抜けしたように鼻で笑った。

 時刻はまだ晩飯時。腹を空かせた労働者たちが、どこぞの安い小料理屋で飯を喰ったり、酒場に繰り出したりしても、何の不思議も無い。ここにあるのは、一見して見飽きるほどに眺めたことのある、夜の王都の風景である。

 だが、その兵士は納得いかなげであった。

 確かに何かがおかしい。漠然とではあるが、この風景は何かが常とは違う感じがする。

 ……目に付くのは、周囲の光景のむさ苦しさだ。仕事帰りの男たち。ある者は、工事現場に勤めているらしく、ツルハシを肩に掛けながら歩いていた。担ぎ棒を手にした水夫風の者もいる。これは王都を流れるアモン川の船着き場で働いているのだろう。或いは背負い子に薪を山と積んだ薪売り。燃料の足りぬ炊事場に、これから薪を売りつけに行こうというのか、その腰には頑丈そうな鉈が吊られていた。他にもベルトに玄翁を下げた鍛冶屋風の男も……。

 そして、気付く。違和感の正体に。


「なあ、おい。……なんとなく、なんだが」


 目に入る男、男、男。

 その誰もが――


「何でか皆、武器になりそうなものを持っている奴ばかりに見えないか?」


 ――その気になれば、携えた道具で人間を殺傷し得る。

 囁かれた同僚は、今度こそ目を丸くした。


「言われて、みれば……」


 仕事帰りの光景にしては、妙である。工事の現場で管理されているべきツルハシを、どうして家に帰る時まで持ってくるのか? 船着き場の荷を積み下ろしする背負い棒は、仕事場に置いて来なかったのか? 薪を売り歩くのに、何故腰に鉈を下げていく必要がある?

 無論、商売道具を肌身離さず持ち歩くのが性分という者もいよう。喧嘩が珍しくもない酒場に赴く際、いざという時の護身の為に帯びているということも在り得る。

 だが、その数が異常だった。目に付く端から数えていけば、あっという間に両手両足の指を越えるだけの人数が、武装も同然の格好で練り歩いている。これでは何か事が起こった時にパニックにでもなれば、そこかしこで血の雨が降りかねない。


「念の為、詰め所に報告――」


 しておこう、という言葉尻は、永久に発せられることはなかった。

 ゴスッ、という鈍い音と共に、同僚が道に倒れ込む。


「……えっ?」


 ぎょっとして倒れ伏した同僚に目を落とす兵士。僚友は、背後からの打撃で兜を叩き落とされ、傷ついた頭を押さえて呻いている。それを確認した次の瞬間には、自分の後頭部にも衝撃を感じた。


「がっ!?」


 目から火が出たように視界が明滅し、頭から地面へと倒される。

 殴られた、と思ったのは、ジンジンとした痺れが次第に焼けるような痛みへと変わっていく瞬間のことだった。

 起き上がろうとしてもかなわない中、のろのろと肩越しに背後を見る。

 そこには、見覚えのある髭面の男が、太い角材を手にしつつ兵士たちを見下ろす姿があった。


「貴、様は……活動家とかいう――」


 近頃、あちこちで過激な演説をぶって都を騒がせていた怪人物。これといった武力も背景も無く、口だけの人騒がせな男と判じられ、逮捕と釈放を繰り返されていた奇人。

 ガストン・ジュスト。そんな名前だった筈の胡乱な目付きの男が、同じような目の色をした連中を率いて立っている。

 ガストンは、足元に転がる二人の兵士を指して言った。


「権力者の走狗だ。……殺せ」


「……なっ!?」


 哀れな兵士は、驚く暇も無く暴力の洪水に呑まれた。

 殴られる。叩かれる。刺される。

 薪棒で、玄翁で、馬飼いらしい男が手にしたピッチフォークで、全身を蹂躙される。

 武装し訓練を積んだ兵隊とは、比較にもならないほど貧弱な平民。彼らによる暴行は、無力で非力である故に徹底的で、とどめに時間が掛かる為か執拗であった。

 息絶える間際、兵士は零す。


「ば……かな、これでは、まるで……一揆――」


 まさか王都でこんな事を、とでも言いたげな、どこか場違いな呟き。ガストンはそれを嘲り笑った。


「一揆だと? 違うな……これは革命だよ」


 陶酔の色も露わに、ガストンは無知蒙昧の輩へと訂正を述べる。その相手が既に絶命していることにも気付かないままで。

 そこへ、活動家の一人が小走りに駆け寄った。


「同志ガストン、周囲一帯の警邏は排除されました。……成功です。我々は、やれます!」


 どうやら同じ地区を警備していた別の兵も、既に仕留めたようである。上首尾な結果に満足げな笑みを漏らしつつ、ガストンは同志の肩を叩いた。


「大変結構。諸君らはこのまま、所定の行動に入ってくれ。私もこのまま『本命』へと向かうことにする」


「はっ! 身命を賭して! ――自由と平等の為に!」


「自由と平等の為に」


 活動家一派のスローガンを口にしつつ、敬礼を交わす。

 一致団結による一糸乱れぬ統率。不惜身命、不退転の士気。文字通りの決死隊である。彼らはその言葉に違わず、ガストンの命令通りに戦って死ぬことだろう。

 大義に殉ずる志士の、何と崇高であることか! 翻って見よ。貴族が如き弾圧者の為に、ここまでの献身を見せる兵など、いないに違いあるまい!

 そんなことを考えながら、ガストンは踵を返した。この地区での行動は、あくまでも目眩ましの陽動に過ぎない。この決起の、義挙の、革命の心髄はここには無いのだ。

 背後からは、部下たちの纏め役が、決起の構成員たちへと演説する声が響いてくる。


「我らの義挙に参加した同士諸君! 活動の理念に賛同した、崇高なる闘士諸君! 今こそ国家の腐敗堕落、その根源たる王都を、我々の手によって浄化せしめる時である! ……手始めに、この都に蔓延った卑しき強欲者どもを――商人どもを粛正する!」


「「おおおーっ!!」」


 そして、武器を携えた男たちは憎悪に濁った声を上げた。


「そうだ! 商人を殺せ!」


「俺たちが汗水垂らして働いてる後ろで、金勘定ばかりしていたくせに、上前をはねていったコソ泥どもだ! 死刑にしろ!」


「お、俺の娘は奴隷商に端金で買われちまったんだ……許せねえ!」


 口々に上がるのは、商人たちへの怨嗟である。

 それもそうだ、とガストンは皮肉に笑う。商人どもは同じ平民でありながら、金だの取り引きだのと、口八丁手八丁で民衆の利益を搾取して来た。貴族に阿り、また場合によっては貴族すらも売り物にしかねない奸悪である。事実、取り潰された貴族の娘が、奴隷として売られることすら、ままあるのだ。

 腐敗した商人もまた、義挙による粛清の対象だった。


「我らから搾った金で暖衣飽食を貪る者、必需物資を不当に買い占める者、全てが標的だ! 事ここに至って、手段は問わぬ! 人民の財産を奪い返せっ!」


「「おおおぉぉぉおおおぉぉぉっっっ!!」」


 先導者に応えて吠える群衆を後目に、歩き出すガストン。

 彼がここでするべきことは、既に無かった。

 彼がするべきことは、別の場所で彼を待っていた。







 初秋の夜、日暮れから間も無く、ブローセンヌの中心街は混乱の坩堝と化していた。

 活動家に率いられた暴徒――彼らは義士を自負していたが――は、目に着いた商家や店舗を手当たり次第に襲いだす。金貸しや奴隷商などの広く憎悪を買っている業種は元より、青果や肉などの食料品を扱う店も、衣料品店も薬屋も、挙句の果てには道に茣蓙(ござ)を敷く物売りですら標的となっていた。

 既に彼らの目には、金で物を商う人種は全て、憎悪の対象として映っていたのである。

 ある肉屋では、こんな光景が繰り広げられていた。


「民衆の搾取者! 死ねっ!」


「や、止めて下せえっ! あっしらが、何を――」


「黙れ! 飢える子どもにも、金を払わねば喰わせぬ守銭奴めがっ!」


 店を荒らす暴漢に対し、身を呈して立ちはだかった店主は、投石を頭に受けて昏倒した末に、棒で滅多打ちにされて絶命する。その亡骸を見て、ある活動家はこう吐き捨てたという。


「そもそもこいつは、本来牧場の財産であった家畜の肉を、取り引きの種にして財を為していた悪人だ。……同志、この罪人の死体を道に晒せ! こいつが売り払ってきた肉のように、解体してやるのだ!」


「畏まりましたっ!」


 理屈にもなっていない無理筋で自分たちの凶行を正当化しながら、暴徒は次の標的へと向かった。







「な、何をするんだ、貴様ら!? 娘に何をするつもりだ!?」


 悲痛な声でそう叫ぶのは、夜が来て閉店した筈の店に踏み込まれた服屋である。彼の娘は、店を襲った男どもに二人がかりで腕を押さえられていた。常ならば、若く健康的な血色を誇っているべきその顔は、暴力への恐怖に青褪めている。


「た、助けて、お父さん……」


 憐みを催すような震え声を上げる少女。だが、彼女を捕らえた男たちは、その哀願を鼻で笑うだけだった。


「貴様ら親子は、『服を着る』という人間として当たり前の行為に対し、金銭を要求し詐取することで生きてきた罪人だ。これよりその罪を償って貰おう」


「そんな馬鹿な! 着る物を商うことの、何が罪だというのだ!? 一体どこにそんな法が――」


「法だと?」


 店に踏み込んで来た男たちのリーダー格は、眉を跳ね上げ表情を険しくする。


「この国の法など、貴族どもが人民を支配する為に作り上げた、まやかしに過ぎん! 民の権利の回復を希求する我らが、そんなものに従うべき理由など無いのだ!」


 自分たちは貴族を認めない、故に貴族たちの作った法律も認めない。そんな子どもじみた詭弁が、さも正しい事であるかのように開陳された。

 服屋の主人は、相手が武器を持っていることも、娘が囚われていることも忘れたように、力無く呟く。


「く、狂っている……」


 そして、それが彼の遺言となった。


「貴様! 我らを侮辱するかァ!?」


「っ!? お父さんっ!」


 娘の叫びに危機を悟ることも出来ず、店主は背後から殴り倒され床に沈む。頭に血が上った活動家の一人が、衝動のままに金槌を振るったのだった。主人が突っ伏した床には、だらだらと放射状に血が広がっていく。即死だろう。犠牲者の死体はヒクヒクと痙攣しているが、単なる生活反応に過ぎなかった。


「……申し訳ありません、同志。当初の予定より先に処分してしまいました」


「構わないさ、同志。当初予定していた結果になりさえすればいい。……やれ」


 奇妙なやりとりを交わすと、活動家たちの内、娘を押さえていない者は、店主の死体に取り付いてその着衣を剥がし出す。

 娘はその行為のおぞましさと不可解さとに、息を呑んだ。


「な、なに……? あ、貴方たち、お父さんに何を――」


「裸にして、街路に死体を晒す」


 リーダー格の男がした返事は、やはり意味不明で、かつ残虐なものであった。あまりの衝撃に混乱したのであろう、娘は父の死を悲しむ前に、質問を重ねる。


「はっ? えっ? な、なんで?」


「言っただろう? 貴様ら親子は服を売るという名目で、民から金を巻き上げていたという罪があるとな。だから死後は裸で野晒しとする。本来であれば、身包みを剥ぎ羞恥を徹底させた上で、処刑する手筈だったのだが」


 言いながら、男は娘の方を見た。男は酷く冷たい目をしている。それでいながら、奥底には下劣な欲望が顔を覗かせているのを、少女は本能的に悟った。


「ところで、貴様はまだ若く、更生の余地もある。精一杯、我らの活動に奉仕するというのなら、助命を考えないでもない」


「ひっ!?」


 娘は短い悲鳴を漏らす。男の告げた言葉の裏の意味は、露骨であった。

 若い少女には、口に出すことも憚れることであったが、


「手始めに、剥け。それから外に連れ出して、好きなようにして良い。贖罪を拒むのであれば、処刑して構わん」


 活動家の男は、部下への命令という形で躊躇いも無く口にする。


「い、いやあああああっ!!」


 少女の口から、衣を裂くような悲痛な叫びが上がった。







 またある建物を襲った一派は、他の者とは違い、思いがけぬ抵抗に遭っていた。


「雑魚どもが。徒党を組んで襲いかかりゃあ、金目のもんでも奪えると思ったか? ん?」


 だらしなく着衣を着崩した男が、血に濡れた剣を片手に言う。その背後に守られる様にして控えるのは、でっぷりと太った商人らしき中年の男。その商人は、脂肪に押し上げられて突っ張った頬を、ニンマリと歪める。


「ふはははっ! 流石は先生、お代に違わぬ腕前のようで! ……と、いう訳だ。お前ら貧乏人が幾ら群れようが、金持ちには勝てんということよのォ~っ? ふっはははっ!!」


「く、くそっ! 用心棒か!」


「とんでもなく強え……冒険者くずれか?」


 金貸しの商会を襲ったグループは、意気揚々と玄関の扉を叩き壊したまでは良かったものの、現れた用心棒によってあらかた撃退されていた。既に五人の同志が用心棒に斬り伏せられ、骸を玄関口に晒している。斬ったのは護衛の筆頭と思しき剣士一人だが、それ以外にも雇われたと思しきゴロツキの姿が八人。翻ってこちらは残り六名。襲撃者たちは、自らの不利を悟らざるを得なかった。


「……退却だ! 一時退却!」


「くっ、無念!」


 襲撃犯を率いる活動家は、臍を噛みながらも撤退を指示する。随行したメンバーも、一様に悔しげな表情をしながら従った。

 用心棒の剣士は、布で愛剣に付着した血を拭いながら雇い主の顔を窺う。


「で? 生き残りの方はどうするんだ? このまま追いかけて斬っても良いが」


「ま、待って下さい先生。それは困る」


 金貸し商は、露骨に揉み手をしながら謙った。


「聞こえてくる騒ぎから考えますに、あの連中はまだこの街に何人もいる様子。先生が私の傍から離れている間に、別の連中に来られたりしますと、ね? ね?」


「ふんっ、それも道理か」


 言って、剣を鞘に納める用心棒。彼は商人の心底を大凡察していた。この金貸しとの契約は、日常の護衛が基本で、こちらから相手を斬りに行く際などは別途料金を受け取ることになっている。大方、それで余計な出費をするのを嫌ったのだろう。

 だが、それは用心棒の男にとっても好都合ではある。彼は冒険者くずれだった。命懸けの冒険に倦み疲れたからこそ、こうして金貸しに雇われて護衛などしているのだ。我から望んで斬った張ったをしにいくつもりは毛頭無い。勿論、納得のいく料金を提示されれば別であろうが。

 しかし、結果から言えば、その判断は間違いであった。彼はこの時、襲撃して来た活動家たちを遮二無二に斬りに行くべきだった。少なくとも、この商会の建物から出ておくべきだったのである。

 その頃、撃退された活動家たちは、離れた地点で別の場所を襲っていたグループと合流していた。


「すまない、同志。思わぬ抵抗に遭って、粛清すべき守銭奴めを前に引き下がることとなった」


「何?」


「腕の立つ用心棒が一人いる。そいつ一人に五人も斬られた」


 報告を聞いて、合流した活動家は考え込む。


「……それは困るぞ。あの金貸しを誅した後、民から不当に搾取されていた金は、我らの活動資金とする手筈なのだ」


「しかし、このまま手を拱いていては、相手を取り逃す。それではこの義挙の画竜点睛を欠くというもの」


「やむを得ない、か」


 言うと、その活動家はチラリと背後を見た。率いてきた部下が、襲った店から接収して来た物が目に入る。そこにあるのは、荷車に乗せられた甕だ。口を厚手の布で縛られ、厳重に封をされている。

 中身は、油である。


「……焼こう。建物ごと焼き払われては、いくら腕が立つ用心棒だろうと、どうしようもない筈だ」


「しかし、それでは資金の接収が――」


「なに、業突張りの金貸しのことだ。大事な大事なお金様は、丈夫な金庫にでも仕舞われているに違いない。後でそれを焼け跡から掘り出して、中身を頂いてしまえば良いじゃないか」


「……成程、一理ある」


 活動家たちは一様に肯いた。多分に推測の入り混じった暴論であるが、あっさりと決行が決まってしまう。おそらく、その根底にはやるべきだという合理的な判断ではなく、やりたいという願望が下敷きとしてあったのだろう。彼らは、憎むべき金貸しが堂々と構えている牙城が、業火の中に焼け崩れる光景を見たかったのだ。

 焼き討ちの手回しは、短い話し合いの中で決まったとは思えないほど周到だった。

 手始めに油甕を運んで来た荷車に、襲撃の済んだ店を壊して作った木材を詰み込み、玄関に突っ込ませる。それを即席のバリケードとして脱出と迎撃を防いだ上で火を掛ける。

 果たして、結果は、


「……ぐおおおおおおっ! 出せ、出せって言うんだよ、畜生があァ!!」


 炎に巻かれた煉瓦造りの建物の中から、あの用心棒が叫びを上げていた。合わせて、ガツガツと内側からバリケードを壊す音も聞こえる。おそらく、あの後に最低限の見張りだけを残し、奥で寛いでいたのだろう。その所為で、荷車を突っ込まされ火を掛けられるまで、活動家たちが懸念していた迎撃は無かった。

 それでも、元冒険者というのも伊達ではない。男の剣は確実に、玄関口に積み上げられた障害物へと切れ込みを入れ、今にもそれを突き崩そうとしている。現役時代は低級だったとはいえ、かつては人間を越えた身体能力を持つモンスターを相手に、生身で斬り合いを演じていたのだ。その剣を叩き付け続ければ、即席の生半可な壁など壊せるに決まっている。


「おらあァ! ……どうだ、ぶち破ってやったぞ!? クソがっ!」


 火の粉を散らしつつ廃材を乱暴に蹴破って、男は外へと飛び出した。着崩した服にも、ぶすぶすと焦げ目が刻まれている。その目は、小癪な手で自分を危険に追い込み、雇い主からの信頼にも傷を付けてくれた者への、報復の念に燃えていた。

 今度は逃がさない、どれだけ逃げてもこの手で切り刻んでやる。そう思いながら、周囲を見渡した瞬間、


「出て来たぞ! 今だ!」


 ばしゃりと、頭から水を掛けられた。いや、違う。このべたつくぬめりと鼻につく異臭は、断じて水のものではない。

 掛けられた液体の正体を察した男は、赤黒く逆上していた顔を、一転して青褪めさせる。


「ま、まさか、これはあぶ――」


 答えを口にし終わる前に、不運にもそこかしこに燻っていた燃え差しから、それに引火した。もっとも、周囲には既に、松明を備えた活動家たちが取り巻いている。結局は遅いか早いかの違いでしかない。


「――らあああああああっ!? あ、あづいいいいいいっ!?」


 男が頭から被った物は、火付けに使った残りの油である。引火した瞬間、それは激しく燃え上がり、地獄のような高温で彼の身体を舐め尽した。


(熱いっ! 熱いっ! あつっ、あつあつあつあつ――っ!!)


 絶叫が上がったのは、引火の瞬間のみだった。後は燃え盛る炎が貪欲に空気を消費し、断末魔の声すらその外に漏らすことを許さない。男に出来るのは、真っ赤な視界の中で燃え死ぬまで、熱さと激痛に踊り狂うことだけである。

 やがて、かつては冒険者であり、先程まで用心棒であった男は、黒い炭の塊と化して地面に崩れ落ちた。

 活動家の一人は、それを眺め下ろして鼻を鳴らし、ついで屋内の方へと視線を向ける。そこにいたのは、用心棒が切り開いた出口を前に、しかし建物を包囲する襲撃者に竦んでいた商人の姿。それを認めて、嗜虐的にせせら笑う。


「頼みの綱はいなくなった。さあ、どうする? そのまま焼かれるか、出てきて我らの手に掛かるか。せめてもの慈悲だ。選ぶがいい。我々は貴様の選択を尊重する」


「ひ、ひいいいいっ!?」


 引き攣った叫びをあげると、商人はその場でそのまま尻餅を搗いた。屋内に火が回っても、外の活動家たちを恐れて出て行くことが出来ない。

 彼は結局、何も選択出来ぬまま立ち往生したのだった。







 そして、ある酒場もまた活動家たちの破壊活動に瀕していた。


「取り壊せ! 奪い返せ! 奴らの酒は本来、民衆のものだ!」


「麦と葡萄とを育んだ民衆に、その成果たる酒を返すのだっ!」


「……何を訳の分からないことを言ってやがる!?」


 扉の前にテーブルを倒し暴徒の侵入を防ぎつつ、店主は表から上がる怒号に毒吐く。これといって高い酒も置かず、むしろ素寒貧な酒浸りどものツケに頭を痛めるような、小さな酒場である。それがどうして、民衆の味方気取りの活動家から、搾取者のレッテルを貼られねばならないのか。


「まったく、頭がどうかしているぜ……」


「ほ、本当ですね……」


 店の常連客である三流画家ニコラは、青白い顔をしながら心底店主に同意した。

 一体、何がどうしてこうなったものか。いつものように仕事を終え、いつものようにここで酒を飲んでいただけだというのに、何故こんなことに巻き込まれるのか。

 そもそも、常日頃から民の為だとか抜かしていた連中が、どういう理由でこんな暴挙に走ったのか。

 確かに商人の中にはあくどい連中もごまんといるだろう。だが、そんな連中はごく一握りの筈だった。ニコラの実家も商家であったが、規模が小さかったこともあってか、そうした悪行には無縁の筈である。また、こんな――言っては悪いが――チンケな酒場を襲ったところで、幾許かの売り上げと安酒程度しか得る物が無い。外から漏れ聞こえる騒ぎに巻き込まれているであろう、この辺り一帯の店々も、大部分は同様だろう。

 暴力を頼みに罪も無い者を襲い、その生命と財産を奪う。


「――これじゃあ、まるで新手の盗賊ですよ」


 ニコラの慨嘆に、店主は乾いた笑いを漏らす。


「はっ! まさにそれよ! 確かにこいつァ、賊と変わり無ェぜ」


 そしてそのまま、空の樽や木箱をテーブルの後ろに積み、入口の封鎖を補強していく。


「……にしても、通りの方がやけに焦げ臭かったな。連中、どっかの店で火を使いやがったな? 奪って殺して焼き働きとは、近頃じゃ見ねえ稀代の大悪党だぜ」


「こ、困るぜオヤジさんよ!?」


 居合わせた客の一人が、凍り付いた表情で立ち上がる。


「こ、こんな店で火を掛けられたりしたら、一溜まりも無い! さ、酒には火が着いて燃えるものもあるんだろう!?」


「この店には、ンな度数も値段も高い酒は無ェよ」


「だとしてもっ――!」


 その客は目を向いて青い唇をわななかせながら言う。彼の両手は、見えない誰かの胸倉を掴むように、空中で閉じたり開いたりを繰り返していた。

 危険な兆候だ、とニコラは思う。

 緊張に堪えかねて、突拍子も無い行動に出る直前に特有の動きであった。一度、野次馬に混じってチンピラ同士の喧嘩を街で見たことがある。その時に見た、殴り合いの途中で突如ナイフを取り出した輩がしていた仕草に、その客の挙動はよく似ていた。


「――ここに閉じ籠っていたら、同じだ! お、俺は帰るっ! い、いいい家に帰るゥ!」


「!? やめろォっ!」


 金切り声を上げてテーブルに塞がれた出入り口を目指す男を、ニコラは咄嗟に後ろから押し倒した。大方、暴徒の侵入を押し留めている障害を取り除いてでも、ここから出ようとしたのだろう。後ろから組み付かれているというのに、床に爪を立ててまで出口を目指そうとしている。


「は、放せっ! 邪魔をするなっ! 何で邪魔をするっ!? お前も外の連中の仲間かっ!?」


「ぐぶっ!? ちょ、やめ――」


 ついには、しがみ付くようにして制止しているニコラに、肘鉄まで見舞いだす。

 視界に火花が散った。鼻面に衝撃を感じたかと思うと鼻腔の奥が熱くなり、だくだくと血が流れ出てくる。思わず手を放しかけてしまうが、


「ていっ!」


「ぐぇ!?」


 ゴツン、という鈍い音と共に、掴んでいた身体から力が抜けていくのを感じた。

 何が起きたのかと訝りながら顔を上げる。


「うっ……く、クロエ?」


「はぁ、はぁ……だ、大丈夫ですかニコラさん?」


 見れば、酒場の看板娘のクロエが、いかにも重たそうなジョッキを手にして息を荒げていた。そして、自分のすぐ横には、頭にたんこぶを拵えて伸びている男の姿。どうやら、見かねた彼女が男を殴りつけて黙らせたらしい。


「う、うん。助かったよ」


「よ、良かったァ……あ、血っ! 血が出てますよ!?」


「いや、ただの鼻血だから大したことはないさ。それにしても、君も意外と大胆だね……」


 緊張が解けた反動か、そんな軽口を叩くと、彼女は「あら、いやだ」とジョッキを後ろ手に隠す。それを見て、店主が笑った。


「なに、コイツも下町の娘よ。貴族のお嬢でもねえんだから、酔っ払いを手荒くあしらうくらいするわな」


「も、もうっ! 店長!」


 顔を赤らめて講義するクロエの姿に、思わず和やかなものを感じてしまうニコラ。

 だが、非情にも現状を思い出させるかのように、外から乱暴な音が聞こえて来た。


「……開けろ、開けるんだ! くそぉ! いつまで閉じ籠っているつもりだ、庶民に酒毒を売り付ける豚めがっ!」


 扉の前に積んだ障害物を、外から叩いて壊そうとする暴徒たち。木材を遮二無二に乱打する騒音が耳を劈く。が、斧などの破壊に適した道具は持っていないらしく、積み上げられたバリケードは多少押されはするものの、今にも押し壊されそうという気配は無い。


「火でも付けられたいか貴様らっ!? 焼き払われたくなければ、出てこいっ!」


 壁越しに聞こえるこもった怒声に、クロエがビクリと肩を震わせた。ニコラは恐る恐るとその肩を抱いて耳元に囁く。


「……だ、大丈夫。ああやって、怒鳴りつけて出て来させようってことは、裏を返せば連中も手を(こまね)いているってことだ。今すぐ店に火を付けられるって訳じゃあない」


「ニコラさん……?」


「多分、油なんかを持っているのは、他所を襲っている奴らの方なんだ。今、外で喚いている連中は、火打石すら持っていないと思う」


 この推測には、自信がある。何しろ、表で声を上げている男たちに、理性だの我慢強さだのといった要素は、欠片も見受けられない。火を付けようと思ったら、堪えようという発想すら無くすぐにでも付けるだろう。

 なのにしないということは、つまりはやりたくても出来ないということだ。

 店主は、なるほどと顎をさすりながらも、きな臭い顔で口を開く。


「だが、連中が火付けの道具を持っている輩と合流したらどうする? そうなるのは時間の問題って気もするが……」


「まあ、そうですね。でも――」


 と、怖じる心を噛み殺して冷静そうな表情を保つ。今一つ、成功している気分がしないが。


「――時間の問題、というなら、それは連中にも言えることです」


「ほう?」


「この王都で、街中が騒ぎになるような大事を仕出かしているんですからね。幾らなんでも、そろそろ騎士団がお出ましになる頃だと思いますよ?」


 ニコラは、店主やクロエだけでなく、自分にもそう言い聞かせる。

 ここはアルクェール王国の王都ブローセンヌ。街を守護する軍の主力は、国内最精鋭と聞こえも高い、王城鎮護の近衛騎士団だ。国王のお膝元であるこの街を、いつまでも暴徒の好きにさせておくとは思えない。今にも混乱する市街に駆け付けて、この騒動の下手人どもを駆逐してくれる筈……。

 それがニコラが――いや、今現在、暴徒たちの猛威に震えている全市民が抱く、最後の希望だった。

 その言葉に、クロエが強張った表情で笑みを作り、店主もそれに倣う。


「そ、そうですね! きっと、騎士様たちの助けが来ますよね!」


「まったくだ。でないと、寒い懐から高ェ税金を払っている甲斐が無いってもんだぜ……」


 などと言葉を交わしている間にも、安普請の酒場は外からの破壊音に晒されている。

 果たして、騎士団が駆け付けるのが先か、封鎖された入り口なり壁なりが壊れるのが先か……考えたくないが、新手と合流した賊どもに火を掛けられるのが先か。

 無力な市民たちは、寄り集まって震えながら、その時を待った。







 ニコラの推論には、二つの穴があった。

 一つ、今日まで活動家たちが目の敵にしていたのは、本当は誰だったのか。

 そして、彼が当てにしている騎士団は、本来、誰の為に存在しているのか。

 だが、それを指摘することに、大した意味は無いだろう。

 無力な一市民には、信じて助けを待つ以外、何も出来ることは無いのだから。

 

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