025 錯綜
※しばらく例のコーナーは無しで進みます。ご了承下さい。
「オーライ、オーライ……」
「M-14からM-22へ。誤差を確認。設計図面によると、その石材の配置はあと五センチ右です」
「M-22、了解。ゴーレムの挙動を修正します。オーバー」
僕のラボの直上である山頂では、採光施設兼ダンジョンの建造が急ピッチで進んでいた。太陽光を地下へ取り入れる為の大型クリスタル(鉱山で採れる石英で拵えたものだ)の設置、並びに光ファイバー型礼装(屈折率変更による光量調整機能付き)の敷設も完了済み。後は侵入者撃退用である外郭部の建設を残すのみとなっている。
それもこれも、この大量に増員した量産型奴隷たちのお陰だ。鉱山奴隷の調達にカモフラージュしてルベールに買わせたのだが、彼ときたら交渉で値切るは値切るは。お陰で予定調達数を大幅に上回る五十二人が新たに加わった。処女処女うるさい何処かの誰かさん用の高級奴隷も何人か買った上で、この数字である。ルベール自重しろ。いや、僕の利益になることだから、自重しなくていいか。
その所為で僕はしばらく奴隷の脳味噌を弄る日々を送ったのだが、まあ成果が大きいので良しとしよう。これだけの量産型奴隷が総掛かりで作業するのだ。予定の工期より大分時間を短縮できるだろう。
視線を山の裾野に移せば、そこには鬱蒼たる大森林が広がっている。マルランの風土、気候に近い地域から集めた樹木や、トレントなんかの植物型モンスターを植えた成果だ。それらをEシリーズこと改造エルフたちが、熱心に世話してすくすく育てるものだから、既に一大樹海の完成である。他にもドライが各地で狩って来た魔獣タイプのモンスターを放ってもいる。これでは生半な冒険者はこの採光施設に辿り着くことさえ出来はしない。エルフの事といい、彼女は本当に良い仕事をしてくれる。
冬から続く僕の新ラボ建設計画は、まったくもって順調に推移していた。
領地内政の方にも問題は無い。去年施した土壌改造計画は成功裏に終わり、今年も農業収穫高は良い数字が期待できる。治安の方も、色々鬱憤が溜まっている様子のドゥーエがストレス発散を兼ねて盗賊団を潰し回っているのだ。平和であることこの上無い。鉱山もまずは奴隷鉱夫を入れて仮操業中。もうすぐ本格的に動き出すはずだ。
そう、全ては順風満帆……のはずだ。
「如何なさいました、ご主人様?」
いつも通り傍にいるユニが、僕の漠たる不安を察してか聞いてくる。
「いや、何でもない。ただ何もかも順調に行き過ぎていてさ。それが逆に不安になったりするんだよ。単なる気の迷いさ」
僕は彼女というより自分を納得させるようにそう言った。
何も不安は無いはずなのに、どうも胸が騒ぐ。我ながら神経質過ぎるとは思うのだが。
そう考えていると、ユニは思いがけないことを言い出した。
「失礼ながら、何もかもが順調とは私には思えません」
「と言うと?」
「これまでご主人様はラボの整備、及び領地内政に傾注していらしたため、私としても敢えて申し上げておりませんでした献策がございます。心中を推察し奉るのは不敬な事でしょうが、そのことについて無意識に不安にお思いになられたのでは?」
ふむ。彼女に言われて考えてみると、確かにちょっと手つかずのまま放置し過ぎた分野に思い当たることがあった。はっきり言って面倒臭いし、加えて言えば僕自身かなり疎い方に入る領域の話なので、今まで積極的に取り組んでこなかった部分。
「外部への諜報、だね」
「はい。ご主人様は今まで、兄君らの謀略に対して常に対策を講じ、受け身に回られておいででした。現状、そのことで不足は生じておりませんが、それもいつまで続くか分かりません」
ユニの言うとおりだった。万が一の為の避難場所としてこの大規模な三重ダンジョンが存在するが、それはあくまでもラボ兼避難所だ。政治的謀略で失脚し、社会的な立場を失ったら、ここに引き籠って大幅に研究の規模を縮小する羽目になる。献体となる奴隷を一体確保するにも、それなりの身分が要るのだ。それが出来なくならないよう、常に兄らの謀略は防ぎ続けてきたが、向こうも成果を上げられないとなると、次の手はより強力で巧妙かつ精緻を凝らした物となるはずである。それを何とかするには、こちらからも手を伸ばさなくてはならない。
このマルランはほぼ僕のテリトリーとして大抵の仕掛けを受け止める態勢は出来ている。だが、それはあくまで孤塁に籠っての防戦だ。相手が本腰を入れて攻めてくれば、いつかは負ける。何しろ相手がいるのはこの国の権力の中枢、王都だ。相手に時間を与えれば、向こうはどんな工作をして来るか分かったもんじゃない。戦いと言うのは、いつか必ず攻めが必要となる局面が来るのだ。そこへの備えが絶対的に足りない。謀略を仕掛けられてから防ぐのではなく、積極的に察知し潰しに行く。あるいは此方から仕掛けて向こうを潰す為の手が、今の僕には無い。
それが僕の不安の種であり、ユニの指摘する不備なのだ。
「成程、君の言うことももっともだ。ちょうど守りを固め切る目途も付いた。そろそろこっちも、攻めの準備に取り掛かっても良い頃合いという訳だね?」
「ご賢察、恐れ入ります」
彼女はそう言って深々と頭を下げる。そうしたいのは僕の方だ。具体的に指摘されなければ、そのままただの気の所為ということにして、この問題を放置していたかもしれない。
「よし、そうと決まれば早速取りかかろう。まずはヴィクトルにでも相談した方が良いかな?」
「はい。このような儀は、やはり得意とする者にお尋ねになるのがよろしいかと」
何しろ、彼は元々僕を探りに来た間者だ。こういうことに付いては僕の勢力では誰よりも詳しいだろう。きっと何か良い知恵を出してくれる筈だった。
――筈だった、のだけれど、
「王都の情勢を探れるような諜報工作ですか? ……現状では難しいでしょうね」
居館に戻るなり訊ねた僕に、そう言って渋面を作るヴィクトル。
伯爵家の庶子で、侯爵の隠し子でもある彼だ。貴族社会の複雑怪奇な仕組みについて、僕の手駒の中で一番詳しいだろう男。そのヴィクトルをして難しいと言う。これでは僕の当初の当ては全くもって外れてしまうことになる。
「そんなに難しいのかな? たとえばさ、君が懇意にしてた貴族を何人か洗脳して、即席のスパイ網を作るとかは――」
「相手はあのラヴァレ侯爵ですよ? 私を貴方の所に送った時点で、寝返る可能性があるくらいは想定しているでしょう。仮に閣下に懐柔されなくても、私がこの家の実権を乗っ取って自分に背くのではないか、くらいは考える男です。おそらく今になって私の知己に接触しても、これ幸いと我々が何らかの陰謀を行っていると捏造するのがオチかと」
悪足掻きに出してみたアイディアは、残念なことに一蹴されてしまう。それにしても、実の父に対して遠慮の無いことだ。まあ、僕も実の兄に命を狙われている身であるから、人のことは言えないが。
「それじゃあ、迂闊な攻めの姿勢は逆効果か……そろそろ手を付けても良い頃合いだと思ったんだけど」
「閣下も珍しく貴族らしいことをお考えになると感心したところですがね。残念ながら、今のところは王都まで一足飛びに手を伸ばすまでは厳しいでしょう」
何てことだ、これではどうしようもない。
思わず天井を仰ぎかける僕であるが、
「ヴィクトル、君も意地が悪いね?」
そこへ割り込むのは、腹黒銭ゲバ内政官ことジャン・ジャック・ルベールである。
「どういうことだい、ルベール?」
「領主閣下、ヴィクトルは現状で王都の政情を探るのは難しいと言っていますが、諜報工作を行うことには反対していないんですよ。分かります?」
と、立て板に水と述べる。
ええっと、つまり?
「んー、つまりはこういうことかい? 将を射んと欲すればまず馬を射よ、ってこと?」
「ええ。いきなり本丸の王都に伝手を持つなんて、無謀ですよ。だからまずは周辺の諸侯から取り込んでいくんです。そして彼らの側から手を伸ばさせて、閣下はそれに便乗すればよろしい。それが君の腹案でしょ?」
ルベールは茶目っ気たっぷりの表情でウインクする。
しかし、残念ながら男のウインクで喜ぶ趣味は僕には無い。ヴィクトルだってそうだろう。
彼はふう、と大袈裟に息を吐いた。
「ルベール、あまり閣下を甘やかさないでくれ。少しはご自分で貴族社会の渡り方を学ばれて頂かれねば、家臣の我らも困ることになるのだぞ?」
「他の話題の時なら、僕もそうしてるよ。でも、事が緊急性の高い話だからね。早急に答えに行きついて貰わないと、それこそ困った事態を招きかねない」
どうやらヴィクトルらは、今更僕に帝王学でも施す気でいるらしい。
この世界に生まれてそろそろ二十年、正直かなり手遅れな気がするのだが、そう言っても、
「やらないよりはマシなのですよ」
「いつまでも居館完成の宴の時と同じじゃ、その内ボロが出ますからね」
と、けんもほろろにあしらわれた。
さっきから黙っているユニにも水を向けてみるが、
「婢の私には、判じかねる話題でございます」
などと不干渉を決め込まれる。何てこった、ユニまで敵に回りやがった!
僕はブルータスに背かれたカエサルか、明智光秀に本能寺へ攻め入られた信長のような気分を味わった。かつてこれ程までに無駄な前世知識の活用があっただろうか?
「チーフメイド殿は出来た方でいらっしゃる」
「まあ、その所為で僕とヴィクトルは洗脳されたんですけどね」
「……ありがとうございます」
「あー、うん。僕の貴族らしさに付いては置いといてさ。それで具体的にはどうするんだい? はっきり言って、周辺諸侯の僕への好感度も軒並み低いよ?」
強引に話を仕切り直す。
ルベールの言う周辺の貴族の取り込みも、相当に難易度が高い。何しろ、この僕の評判ときたら最悪だ。関わり合いになろうと思う貴族など、早々いないと思うのだが。
「そう思うのでしたら、もっとしっかりなさって下さいよ」
何時までもチクチク言ってくる。
「だからそれは今後の課題としてだね……で、どういう策があるんだいルベール?」
「片端から洗脳されては如何です?」
……何かとんでもないことを言い出したぞ、コイツ。
僕は抜け抜けと言ってのけたルベールの顔をじっと見ながら、その意図を読もうと試みる。何を考えてこんなことを言うのだろう? ヴィクトルみたいに、僕自身に正解を考えさせるつもりだろうか? じゃあ、ルベールの考える正解って何だろうか。
「深読みしても無駄ですよ。この男は多分、本気で言ってますから」
と、暫し考えこんだ僕に向けて言うヴィクトル。
は? マジで?
僕は思わず目を瞬いた。
幾らルベールが性悪でせこくて他人の弱みを探るのが三度の飯より好きな下世話な男だからって、こんな乱暴な提言をしてくるほど非常識だったとは思えないんだけど? ついでに言えばヴィクトルの方も咎めだてもしないとは。
「ついでに言えば、私も同感です。何せ閣下には、他の貴族と交わって顔を繋ぐ、などというお仕事は任せられませんので」
「ああ、なるほど。そういうことか」
現状の僕への評価を鑑みる限り、常識的な手配りなど無駄。ならば初手から非常の手を打つべし、と。つまりはそういうことか。
「そこですんなりと納得なさらないで下さい……まあ、そう言う訳ですので、手っ取り早くダークエルフ殿の魔眼をお使いになるなり、怪しい香を嗅がせるなり、脳を弄り回すなりされるが良いでしょうな。何しろ閣下、貴方は洗脳を施されていない手勢など、とてもではありませんが信用ならぬのでしょう?」
言われてみれば確かにそうだ。肝心なところで僕の言うことを聞かない恐れがある人間なんて、怖くってとてもじゃないが使えやしない。
ルベールが後を補うように続ける。
「それに、だらだらと時間を浪費しては、またぞろ侯爵なり兄君なりが仕掛けてきますよ? そうなる前に対外的な諜報網を早いところ築かれるべきですね。何しろ、相手は侯爵が率いる中央集権派という、派閥そのものです。ならばこちらも閥を組み数を揃えねば、碌に対抗などできませんよ」
それもその通りだ。兄も向こうに取り込まれたからには、その帳尻を合わせる為にも僕を始末するのに形振り構わないだろう。今までの丁々発止は、あくまで前哨戦だ。それでこちらの手の内が知れないと来れば、今度は派閥の戦力を総動員した大仕掛けで来るかもしれない。そして、それは今日明日のことであってもおかしくないのだ。
ならばこちらも、勝負になるだけの派閥を作って対抗するしかない。
え? 何処かの派閥に入れて貰う? 論外だ。僕みたいな鼻つまみ者を易々と入れるような派閥は無いだろうし、何より僕の身代じゃ下っ端として良いように使われるに決まっている。内側から乗っ取るという手もあるが、それよりこの周辺の無派閥層を取り込む方が、早いし安全である。
そう考えていたところで、ユニが手を挙げる。
「しかし、それもまた中央集権派の介入口実とはなりませんか? 露骨に閥を作っては、謀反の疑いありなどと上奏される恐れもあると思うのですが」
「良い質問ですな」
ヴィクトルは何だかご満悦な表情だ。予期された質問が飛んできて嬉しいのだろう。
「ですが、その心配は無用でしょう。謀反の罪を問う、というのは最後の奥の手です。マルラン郡一つなら躊躇いも無いでしょうが、その前に周辺の貴族を複数取り込んでいたら、どうなりますかな?」
「ああ、そういうことか」
僕は得心した。
「複数の貴族が罪に落されるようなことになれば、内乱の引き金になりかねない、と。いや、僕は自分がそう疑われたら、間違いなくそうするね。謀反の罪となると、その判決は大方が死刑だ。大人しく殺されるより、こっちから殺し返しに行く方がいい」
そして王都で高等法院を押さえている連中を相手にして、罪に落された諸侯が真っ当な裁判を受けられるなど信じるはずが無い。その認識があれば、十中八九、謀反を疑われたら本当に挙兵する。武力で中央集権派を恫喝して妥協を勝ち取るか、勢いに乗って集権派自体を排除する。あるいは王都を陥落させてから適当な王族を見繕って、玉座の主を交代させ王都の情勢を自分色に染め変える、という訳だ。諸外国の目が気にならないような阿呆なら、そのまま簒奪までする恐れもある。
どちらにしろ、ラヴァレ侯爵にとっては避けたい成り行きだろう。例え鎮圧するにしても、国力を多大に損なって益無しの内乱になる。喜ぶのはそれこそザンクトガレンかマールベアといった仮想敵国だ。確かにお望み通り大量の諸侯を改易出来るだろうが、体勢を立て直す前に他国に付け入られる。流石に全土を征服されはしないだろうが、内乱に介入されるのは避けられない。形ばかりの援軍を押し売りして便宜を得ようとすれば良い方で、最悪反乱側を支援された挙句、傀儡政権を作られることもありうる。
火の無いところに煙を立てようとして、本当に放火することになってしまった挙句、火事場泥棒まで呼びこむ羽目になる訳である。本末転倒も良いところだ。
また外国の介入を防いだとしても、今度は内乱鎮圧に功のあった貴族へ恩賞を与えなければならなくなる。恐らく、挙兵して取り潰された家の土地をそっくり与えることとなるだろう。そうなるとまた新しい大領主の誕生だ。かといって恩賞をケチると、諸侯の不満が解消されずまたまた反乱の火種になる。鎌倉幕府終焉の原因の一つだ。これくらいは前世の学生時代に日本史で習ったことがある。
「そういうことです。あの陰謀家は国体の護持が何より大事なようですからな。曲がりなりにも一派閥が出来てしまえば、武力でこれを排そうとは思わぬでしょう。国が割れる元ですからな」
「十中八九、まずは交渉や恫喝を用いた派閥の切り崩しから掛かるでしょうね。でも洗脳してしまえば、どんな工作を受けようと離反者が出る心配も無い」
「成程。理解が及びました」
ユニも納得して引き下がった。
聞けば聞くほど、近隣の貴族を洗脳して手駒にする、という案は魅力的に見えてくる。
だが、僕としては看過しえない問題があるのだ。
「待ってくれよ。……王都と謀略でやり合うのに近隣諸侯を手駒にする、っていうのは分かる。けどさ、大きな派閥なんて作ったら、僕は一領主の地位を飛び越えて、集権派と分権派の派閥抗争――国政のパワーバランスにまで介入することになるじゃないか」
「ええ、そうですね」
いけしゃあしゃあと肯いてみせるヴィクトル。それが何か問題でも? と言わんばかりの顔だ。
「それじゃあ困るんだよ。ただでさえ領主と二足の草鞋で錬金術の研究をしているんだ。この上、大規模な政争までやらかすなんて、僕はごめんだね」
そうなのだ。
僕の本業は錬金術師だ。目的は不老不死、永遠の命である。あの暗く冷たい死を、恐れ患うこと無い境地に立つことだ。断じて腹黒貴族と喧々諤々の権力闘争に興じることではない。彼らはそこのところを忘れているのではないだろうか?
果たしてルベールは困ったように首を横に振る。
「閣下。ここまで来てしまっては、最早この手しか無いのですよ。今と同じ規模で研究に専念できる環境は、領主の地位無くしてはあり得ません。そして、地方領主である以上、王家の天領を増やすことを目論む侯爵らとは、永劫相容れないのです。戦うしかないのですよ」
ヴィクトルも続いた。
「ルベールの言う通りです。今までは雌伏し、力を蓄える時期であった故、我々もこのような儀は胸に秘しておりました。ですが閣下のご尽力でこの地は急速に富んできております。今が敵を出し抜いて、より大きな力を得る好機なのです」
「……話が大きくなってきたなあ。元々はちょっと王都を探れる諜報能力を得たい、って相談だったはずなんだけど」
「話が大きくなるのは、貴方の所為でしょうに。不老不死などという大それた目的に、我々のようなかつての敵対者をも簡単に手駒とする手腕。こう言っては何ですが、閣下は存在自体がこの世界にとって毒……いいえ、敵なのです。閣下が目的を達成なさるか、それともお捨てになるかしない限り、話はどこまでも膨らんでいきますよ」
まるで人のことを魔王みたいに言う。そこまで言われる筋合いは無いと思うのだが。
「それにそもそもの発端は、閣下の兄君の敵愾心でしょう? 王都にいた頃にでも、彼をさっさと洗脳して傀儡にでもしていれば、マルランの領主になることも、ラヴァレ侯に目を着けられるような真似をすることも無かったでしょうに」
「伯爵家当主の地位を素直に譲れば、兄も収まると思っていたんだよ。そうすれば下手に洗脳する手間やリスクを掛けずに、僕も研究に専念できたのだけど」
ついでに言えば、殺意レベルの敵愾心を持つ相手を安全に洗脳する手法を確立出来たのは、マルランに来てからのことになる。王都時代に兄へと無理な手術を行っていたら、言動の不自然さから周囲に対してボロを出していたか、最悪の場合廃人化させて大事件になっていたことだろう。
「肉親の情を甘く見過ぎておいでですね。私とて、今後如何に栄達しようとも、あの老醜を許すつもりはありませんので。……出来れば、この手で縊り殺してやりたいところです」
父に棄てられ、その恨みを原動力にしていた男は、そう嘯く。そんなものなのだろうか? そんなことの為に、命を懸けたりして馬鹿馬鹿しいと思わないのだろうか? だがまあ、それをしないと幸福に生きられない、という物事は誰にだってあるものだ。僕だって不老不死を達成したとして、それと引き換えに幸福で文化的な生活を手放すことになるとしたら、少しは考える。
それにしてもヴィクトルも案外屈折した男だ。彼の元々の政治信条は、侯爵と同じく中央集権である。血の繋がった父であり、考え方の上では同志でもある男を、ここまで憎めるものだろうか。まあ、改造で思考を僕の忠臣に作り変えた影響もあるだろうけれど。
「では、いっそのことそうしましょうか?」
いきなりそう言い出したのはユニだ。その言葉に、さしものヴィクトルとルベールらも目を剥く。
「な、何を言うんだい、チーフメイド? いくらなんでもそれは……」
「ラヴァレ侯爵とライナス・オーブニル伯爵。両者を排除すれば、それで事足りはしないでしょうか?」
「……出来るのですか?」
「オーパスシリーズの戦闘力であれば、可能です」
事も無げにそう言うユニ。
確かに僕の『作品』たちの戦闘力は懸絶している。王宮を制圧して玉座を簒奪する、なんて大それた真似は難しいだろうが、たかが一貴族の屋敷の警備を突破し、当主一人の首を取るなど、造作も無いことだろう。
だが、駄目だ。
「却下。それで死ぬのは、あくまでも侯爵と兄上だけさ。生き残った中央集権派諸侯は、復讐の為に嬉々として僕ら地方領主への弾圧を始めるだろうね。何しろ派閥の領袖と、新参とはいえ伯爵家という大身が殺されたんだ。分権派の仕業と見るか、悪くすれば兄上と対立している僕自身に目を着けられる。それじゃあ敵が変わっただけで、状況はむしろ悪化するよ」
そう、さっきから繰り返している通り、敵はその二人だけではない。幾人もの貴族が属する派閥そのものだ。だからこそ、ヴィクトルとルベールも、こちらも閥を作れなどとせっつき始めたのである。たかだか二人の死では、僕の抱えた憂患は解消されないのだ。
かつて前世の世界には「死は全てを解決する」などと放言した人物がいたが、それで物事を解決できるのは彼が大国の国家権力、その中枢にいたからだ。一地方勢力である僕の場合にはまるで当て嵌まらない。
僕の言に、ユニは恐れ入ったように頭を下げる。
「……差し出がましい発言をしました。お許しを」
「気にしてないさ。盛んに意見を出すのも忠義の内だろう?」
「閣下……そこまでお考えになることは出来るのに、どうして貴族らしい御振る舞いが出来ないのですか?」
「マナーは無くても死なないけど、こういう考えは出来ないと死ぬからね」
呆れ顔のヴィクトルに、そう返す。
それは兎も角として、だ。
「と言う訳で、現状としては君らの案が一番理に適っていることは分かったよ」
「恐縮であります」
「採用するのにしくは無いけど……ああ、嫌だなあ。貴族なんて人目に着く連中を洗脳するってことは、量産型用の簡易施術じゃ駄目なんだろう? またまた面倒臭い手術を山ほどしなきゃいけないなんて」
この間、大量のエルフを洗脳した時を思い出す。彼らは基本的にあの山林に放置して侵入者への遊撃を行わせる為、高度な自律性を必要としている。なのでドライ以降の『作品』たちと同レベルの施術を一人一人に行ったのだ。ヴィクトルやルベールも同様である。あれと同じことをまたぞろしなくてはいけないのは、憂鬱だった。
「我慢なさって下さいよ。尋常に派閥を作ろうとしたら、その何十倍も手間が掛かるんですから。いえ、普通の子爵ならまず閥を作ろうという段階で躓きますね」
ルベールは子どもを窘めるように言う。確かに僕の言っていることは子どもの我儘だろう。面倒だから嫌だ、なんて理屈は大人の社会では通用しないのである。その面倒を余所より省ける身の上で、不平を鳴らし続けるというのも格好が悪いか。
「分かった分かった。やるともさ。……ユニ、この間の宴に来た貴族、リストアップは済んでいるよね?」
「はい。勿論ですご主人様」
「ドライにそれを渡して、彼女を動かすんだ。暗示の内容は……そうだな、予定が空いたらマルランに来てしばらく滞在しろ、とでもしておくか。一人一人、みっちり洗脳してやろう」
前回に続いてまたぞろドライを扱き使うのは気が引けるが、彼女は勤労意欲に富んだ手駒だ。今回もきっと頑張ってくれるだろう。
そこでルベールが口を挟む。
「ああ、お待ちを。それでしたら寧ろ、家臣団の中から使者を派遣されては? 勿論、例の洗脳の香を持たせた上で、です。事前に使者を立てて置いた方が、万が一この動きを察知されても自然に見えるでしょう」
成程、それももっともだ。
「確かにそうか。じゃあ折衷案だな。家臣団から出す使者が第一陣、それで相手方に洗脳する隙が無かったら第二陣としてドライを送る。これで行こう。良いかい?」
「よろしいかと」
「じゃあ、ユニ。手配りはそのようにね」
「畏まりました。量産型たちに指示し、至急道具をご用立ていたします」
彼女が音も無く姿を消すと同時に、僕らも事の準備に取り掛かり始めた。
「それとルベール」
「何でしょう?」
「ついでに洗脳する予定の貴族の中から、特に性質が悪いのをピックアップしてくれない? 出来るだけ平民たちから恨みを買ってそうなのが良いんだけど」
そう指図すると、彼は不思議そうに眼を瞬く。
「それは構いませんが……でも、どう為さるんです? 洗脳するお詫びに、領地の失政を改めて差し上げるんですか?」
「まさか。そんなことをして僕に何の利益があるって言うんだい?」
利益があるとすれば、出来上がるであろう派閥の世評と領土の地力がちょこっとよくなる程度だ。だが、その程度のリターンの為に動くのも馬鹿馬鹿しい。第一、自領の手当だけでも面倒くさくてかなわないのに、余所様にまで口出しするつもりは無いのだ。
「ということは、閣下のお目当ては……ああ、何だか凄く嫌な予感が――」
「同感だ。きっと、また碌でもないことをお考えに違いない」
ルベールが額に手を当てつつ言うと、ヴィクトルも重々しく肯く。
二人揃って失礼な家臣だ。
「なに。そんなに大それたことじゃあないよ。諸侯を取り込んで派閥兼諜報組織を作る前に、ちょっとした予行演習をしたいと思っているだけさ」
「予行演習、ですか?」
「そ、予行。研究補助用の奴隷たちでも、侵入者撃退用のエルフたちでもない、人目に付く貴族の組織だからね。実際に作ったり動かしたりする前に、あらかじめの実験は必要だろう?」
実験。そう、実験だ。
不慣れなことをしようとすると、必ずどこかで問題が出る。事前にそれを洗い出しておく必要があるのは当然のこと。
「それとついでに、中央集権派の動きを止める為の策も、ね」
「閣下の実験と策、ですか」
「やはり碌でもない予感しかしないのですが……」
深刻な溜息を吐くヴィクトル。身を以って体験している人間らしい、実感の籠った吐息だった。
※ ※ ※
――一ヶ月後、王都ブローセンヌ
夏の爽やかな太陽の下、眼下に都の景観を望むオーブニル邸のテラス。そこがライナス・ストレイン・オーブニルとラヴァレ侯爵の専らの会見場だった。初めて訪問を受けた際に通した時から、それが暗黙の了解となっている。貴族の栄華を誇る庭より王家の威光溢れる街の風景が好きだろう、などという当て擦りは、案外的を射ていたのかも知れなかった。
「――貴殿の弟御も、最近はとみに活発でおられるようで」
侯爵はいつも通りライナスから茶をせしめると、感情の籠らぬ声でそう言った。
「ええ、私も聞き及んでおります。周辺の中小領主と、盛んに交流の席を持っているとか」
ライナスからすると、信じられない思いだった。あの錬金術狂いの常識知らずが、よもや他家の者と交わりを持つなど。彼の知る弟の性情からも、また貴族としての能力からも、到底出来ることとは思えなかった。
またトゥリウスに与えたマルランの身代からしても、周辺諸侯との盛んな接触は考えられない。貴族というのは見栄と体面で動く生き物で、その為に付き合いには兎に角金が掛かる。マルラン郡は王国でも僻地であり、また痩せた土地だ。最近は銅山の経営に手を染めたようだが、その収益が上がるまでには今しばらく掛かる。そんな懐具合では、とても他家と真っ当な付き合いが出来るとは思えない。
「小耳に挟んだところでは、相手方にも随分と気に入られているようでな。狷介な男子と聞いておったが、中々に人付き合いの上手いところもあるではないか。ほほ、この老骨にも一つ秘訣を教えてもらいたいものだて」
口元を歪めながらも、目だけは笑わずにいる侯爵。
秘訣が知りたい。つまりはトゥリウスの動きには何か裏があると、そう考えているようだ。
ライナスとしても同感である。あのトゥリウス・シュルーナン・オーブニルが、他の貴族に気に入られる? 有り得ない。品格に欠け、礼儀を弁えず、その上であたら血を流す。そんな野卑な男を高く評価する貴族など、いるわけがない。
では、どうやって? その辺りになると、ライナスには皆目見当が付かなかった。
「侯におかれましては、何かその秘訣に心当たりはございませぬか?」
なので、素直に相手に聞くことにする。気に入らないこと甚だしい老怪であるが、知恵は回る。それに此方はこの爺の為に本来の宗旨と逆の派閥に加えられてしまったのだ。知恵の一つも引き出せねば割に合わなかった。
「さて、な。強いて言うなら、弟御の入れ上げておる分野か。その辺りに、何やら手掛かりがあるやものう」
錬金術。他の貴族に無く、トゥリウスにある取り柄と言えばそれくらいだ。彼が他家との交渉に、錬金術で何やら取引材料を用意したと言うのだろうか?
「それを知りうるとしたら、余程彼に近しいものだろうて。しかし、儂も先年の家臣団再編には一口噛ませて貰った身であるが、先方に送った者も、どうやら弟御を大層気に召したらしい。どうにも向こうでの仕事に入れ上げて、此方への便りも詳しいことまでは筆が回らんようでな? 侘しい限りじゃよ」
つまりは密偵の方も梨の礫という訳だ。最悪、向こうに取り込まれている恐れさえある。
「思ったよりやりおるわ、貴殿の弟御はな」
「…………」
認めたくないが、そう思うしかなかった。トゥリウスは、想像以上に上手くやっていた。領地経営でも荒れ果てた田畑を再生させ、銅山にも手を付け、今のところ順調に自領を切り回している。加えて此方の打った手は悉く空振りだ。春先の居館完成にかこつけて送った冒険者も、碌な情報を手に入れられないで帰って来た。別口で密偵を送ってもいるが、何せ人の出入りに乏しい僻地である。余所者では目立つような調査は出来ず、大した成果は上がっていない。
そこへ来て、他領の貴族との交流も上手くいっていると言う。これではまるで、絵に描いたように優秀な若手貴族の振る舞いではないか。
(……否、認めん!)
ライナスは小さく首を横に振った。
あのトゥリウスが、真っ当な手段で領主としての仕事を成し遂げることなど有り得ない。奴隷に薬を盛り、臓腑を抉り出し、庭で火葬するような異端児。それが優秀な貴族?
冗談ではない。それでは自分の人生は何だったと言うのだ。これまで人並みに努力してきた。あの愚弟が悪評で足を引っ張り出してからは、人並み以上にも精を出した。それでも報われず、あまつさえ、この老いさらばえた悪党の走狗にまで身を落としている。
正道を歩んできたライナスが、外道を行くトゥリウスに劣っているなど、あってはならない。
その筈である。
「お気を鎮められよ、伯爵」
「……はっ」
侯爵に窘められ、我知らず握りしめていた拳を解く。
少しばかり熱くなり過ぎていたようだった。その様をニヤニヤと見物しながら、ラヴァレ侯爵はまた一口茶を啜る。
「いかぬ。いかぬなあ、伯爵。斯様なことで心乱されておっては、遠く離れておる弟御にも顔向けできまい?」
「……仰る通りで」
老人の挑発的な言を、必死に聞き流す。この侯爵のいつもの手だ。こちらの心を存分に掻き乱しておいて、そこでスルリと自分の策を流し込む。その手に何度してやられて来たことか。
さてはまた何ぞ、良からぬ企みを囁くに違いない。そう考えたライナスは居住いを正す。
果たして侯爵は出し抜けに聞いて来た。
「ところで伯爵。御年幾つとなられたかな?」
「二十と六ですが、それが何か?」
何を今更、とライナスは呆れ返る。この妖怪爺が対面する相手の年も憶えていない訳が無い。どころか誕生日も把握しているはずだ。折々の祝い事など貴族にとっては大事な交流の場であるし、この老人のような人種の場合は更に謀議の種ともなる。
「良い年じゃな。そろそろ奥を迎える気は無いのかの?」
「縁談ですか? お恥ずかしながら、一度婚約が破談になって以来、どうにも良縁には恵まれずおりまして……」
顔を顰めそうになるのを、必死で堪えて苦笑を装う。
(何を言い出すか、この爺がっ! あの愚弟に家名を傷つけられて以来、そのような話など絶えて無いわっ!)
腸が煮え繰り返りそうな思いだった。【奴隷殺し】の家に好んで来たがるような女も、娘を送り出したがる親もいる訳が無い。最初の婚約者もそれが理由で去っていったのだ。伯爵家の家格を欲しがる連中もいるだろうが、ライナスもまだ三十となっていない年である。玉の輿を狙うような手合いは、彼がもう少し年を喰い、嫁の貰い手に焦りを見せる頃合いを今か今かと待っているに違いなかった。
それを知ってか知らずか――十中八九知っていようが――侯爵は莞爾と笑う。
「ほほほっ。それは勿体無いの。伯ほどの貴公子はそうそう居らん。その男振りがやもめ暮らしで廃れていくのが忍びない程にな。どうじゃ? いっそのこと、儂が世話をしてみせようかの?」
そう来たか、とライナスは喉までせり上がった呻きを殺す。端から婚姻で更にライナスを取り込もうと目論んでいたのか。
(……その手は喰うものか)
老い先短いこの男がくたばれば、中央集権派の屋台骨はぐらつく。そこを見計らえば、再びの自立という目もあるのだ。婚姻など結んでは因縁が深くなり過ぎ、その可能性すら無くなるのである。
折角ですが、と遠慮を示す言葉を口にしようとした瞬間、
「それに兄の婚儀ともなれば、弟御も王都へ参られよう? 兄弟水入らずで話を聞くに、丁度良い機会とも存じるが」
ピタリと、その動きを止められてしまった。
トゥリウスを、王都へ来させる? その目的は何だ。何を考えている。
ライナスは必死で頭を回転させ、そして気付いた。
婚儀への招待として呼び付ければ、あれを自領から切り離す好機である。周辺諸侯への取り込み工作も中断せざるを得ないし、マルランの防諜にも隙が出来る可能性が大である。それに何かと理由を付けてここへ足止めすることが出来れば、その間に既に取り込まれた連中を切り崩せるし、マルランの家臣団にも動揺が期待出来る。
何よりも――奴が王都で何らかの失態を犯せば、それを理由に処断することも可能なのだ。事が起これば、こぞって証人になりたがる者などこの街には山ほどいる。
今までトゥリウスがこちらの仕掛けを躱し続けられたのも、全ては遠く離れたこの地から、相手の本拠へと仕掛けていたからだ。もし、それを逆転することが出来たなら? ……今度こそ、あの悪魔の死命を制することが出来るかもしれない。
侯爵は笑みを深めている。此方が巡らせた計算など、とっくの昔にお見通しという顔だった。
「のう? 悪い話ではなかろう?」
「……そう、ですね」
ライナスはその手に乗った。乗ってしまった。
あの家中の恥である弟を殺すという策。その為だけに、神聖な結婚を利用する。その決断をしてしまったのである。
「侯のご紹介とあらば……さぞかし良縁でございましょう」
「ほっほっほっ! ご期待に添えるよう、此方としても尽力を約束しようぞ」
侯爵の高笑いが癇に障る。
元より婚儀に、恋だの愛だのなどという幻想を抱いてはいない。だが、肉親の謀殺などという下衆な手口に利用して良いほど軽んじてもいなかった。
おそらく婚儀の日取りは二、三ヶ月の内に決まるだろう。いや、この謀略家のことだ。下手をすれば来月ということもあり得た。何しろトゥリウスの動きを封じる策なのだ、急がねば時宜を失する。そうして顔も知らぬ女とどたばたと娶せられ、弟を殺すのに利用したという、後ろ暗い思いを抱きながら家庭を築いていかねばならない。
それに婚姻という新たな糸が付けられ、また一歩この老人の傀儡にも近づいた。胸を掻き毟りたくなる。
(私はここまでしたのだぞ、トゥリウス……!)
父祖の血を繋ぐ相手を謀議の為に選び、吐き気を催す老怪の手駒にまで堕した。
自分がここまでの対価を差し出したのだ。
だから、
――お前も、大人しく殺されろ。
真夏の明るい太陽の下、ライナス・ストレイン・オーブニルは暗く冥く欣求した。




