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018 魂の撹拌

※残酷な描写がありますので、ご注意下さい。

 

 ≪ポータルゲート≫を抜けた先は、洞窟だった。

 壁に掛けられた照明礼装のお陰で光源に不自由は無いが、湿った上に埃っぽい淀んだ空気といい、剥き出しになった岩肌そのものの床といい、錬金術師のラボというよりは採掘中の坑道である。

 まあ、実を言うとそれはある意味正しい見解なのだが。


「しかし、どうにも人間が快適に暮らせる場所じゃねェな……」


「私は特に構いません。が、ご主人様のお身体に良からぬ影響を及ぼす恐れがあるのが、少々気がかりですね」


 既に何度か足を運んでいるのだが、どうもユニたちには不評である。利便性と隠密性を重視して、環境面を度外視しているのだから当然だが。

 ちなみにドライの方はと言うと、


「同族の中には地下に起居する者もおりますが、流石にこうも湿気と埃が多いのは……ドワーフなどはまた別の感想を抱くかもしれませんが」


 とやはり不評である。


「まあ、僕としても気分よく研究に打ち込める環境って訳じゃないからね。折を見て改善していこうじゃないか」


「ああ、是非ともそうしてくれ。何せ有事はここが最後の砦なんだろ? こんなところに詰め込まれちゃ、息の方まで詰まっちまう」


「そう感じるのは我々上位個体のみだ。いざとなれば我慢すれば良い。奴隷たちは不満など覚えぬのであろう?」


「ところが、そうでもありません」


 ドライの放言に異を唱えるのはユニである。


「量産型奴隷も制限が掛かっているとはいえ、感情は存在します。あまりストレスをため込んでは、心身に悪影響を及ぼすでしょう。かつてのM-03の件もありますし」


 ああ、と苦い顔をするドゥーエ。去年、偶然から再会した兄を、僕への敵対因子として処分した奴隷の話だ。そして血を分けた相手を殺したストレスから、極度のパニックに陥った個体の話でもある。

 彼が僕の『作品』になったばかりの事だ。それもあってよく憶えているのだろう。ユニの言う通り、ロボットめいた量産奴隷といえど、自律性を維持する為にそこそこの感情は残してある。他所の奴隷より身綺麗にさせ、それなりに上等な食事を与えているのも、精神面の安定を図る為でもあるのだ。

 それに何より、彼ら彼女らは上位個体である『作品』たちと比べると身体的にも弱い。あんまり長い間不衛生な環境に置いておいたら、病気になってバタバタと倒れかねないのである。最悪、治療してやれば大抵の病気は治せる自信はある。が、対症療法よりも予防に努めた方がコストが掛からない。また万が一病気が僕に感染したら厄介でもある。


「そういうこと。ここで働かせている量産型にもシフト制を布いて、時々外の本館の方と入れ替えたりもしている。けど、それじゃあ抜本的解決にならない。だから環境の改善は必須ってことさ」


 それに環境は実験体にも影響を与えかねない。それでは折角のデータも確実性を損なうというものだ。


「む……浅慮でありました。今後は慎みます、ご主人様」


 気にしてないよ、と苦笑を返しつつ先へ進む。


「いずれにせよ、これからの話さ。このラボは王都やマルランの町にあったような、屋敷の中のチャチな地下室とは違う。未だ未完成の秘密基地なんだからね」


 秘密基地。自分で言っていても笑い出したくなるような子どもっぽい単語だ。

 だけどどこか、意欲をくすぐるというか、ワクワクするような響きがある。

 僕も効率主義者を自認してはいるが、かといって浪漫を唾棄するほど大人びちゃいない。そうでもなければ、不老不死などという途方も無い夢は、とっくの昔に諦めているだろう。多少は稚気じみているくらいが錬金術師には丁度いいものだ。

 などと考えていると、


「やあやあ、お帰りなさいマスター! 君の帰りを一日千秋の思いで待っていたよ!」


 いやに陽気な調子で、留守番に置かれていたシャールが出迎えてくる。ドライはダークエルフとはいえ首輪付きだから、発見されても最悪ただの奴隷と抗弁できる。が、ヴァンパイア、それもロード級である彼はそうもいかない。何せ小さな国なら眷族を増やすことで征服しかねない、超危険生物だ。例え奴隷としても、生存は一秒たりとも許されない人類の天敵だ。なので、基本的に彼の身柄はラボに秘匿されている。


「あーあ、うるさいのが来たぜ……」


「ただいま、シャール。それで僕らがいない間に変わったことは?」


 げんなりとした様子のドゥーエを無視して、シャールは僕の問いに答える。


「ああ、うん。頼まれた例の実験、やっておいたよ。結果はあんまり芳しくないけどねー……」


 ハァ、と見かけだけは貴公子らしい溜息を吐く。

 このテンションの上げ下げ激しい吸血鬼が、こうもダウナーになるとは。余程良くない結果だったらしい。


「まあ、全部の実験が成功したら、それはそれで実験の意味が無い。失敗のデータだって次に活かせばいいさ。とりあえず、どんなもんだか見せてくれるかい?」


「うん……こっちだよオーブニルくん」







「あ、ぁ、あ、ぁ……」


 継ぎ接ぎだらけの身体で半身を起こし、虚ろな視線を空中に彷徨わせる男性。口からは到底意味のある言葉は出てこない。

 まるでゾンビであるが、どっこい実は生きた人間である。おまけに医学上は脳も健康そのものだ。いつだかアカデミーでやった実験のように、意図的に機能を壊したりなんかしていない。

 ドゥーエが不気味そうにその男性を指差す。


「ご主人、こりゃ何だ?」


「実験台だよ。死者蘇生の、ね」


「なんと」


 そう目を瞬くのはドライだ。彼女の驚愕はもっともだろう。死人を生き返らせるのは、魔法というよりも奇跡の領分だ。死霊術師は生者をアンデッドに変えることは出来るが、死者を元の人間として蘇らせることは出来ない。一度死んだ者が再び生を取り戻す、なんてのは教会の聖典くらいにしか記載の無いことなのである。


「確か、この実験体は死後肉体を修復し、保存していた霊魂を改めて憑依させた……はずでしたよね?」


「ああ、そうだ。それで霊魂が肉体に定着すれば、理論上は復活するはずなんだけど……」


 損傷の無い肉体に加え、いわゆる二十一グラムの魂という最後のパーツまで揃っているのだ。なら、元の人間に戻ってもいいはずなのだが……。

 それに生体に魂を封入することで生き返った死人なら、例がある。他ならぬこの僕だ。僕は前世の世界で一度死んで、この世界で再び生を受けたのである。記憶と人格は保存されていたし、こうして二十年近く生きてもいる。前例に倣えば、この呻き声を上げるだけの男も、理性を取り戻して一回殺した僕らを罵るなり、怯えるなりする筈だ。


「君の見解を聞こうか、シャール」


「うーん……その前にさ、このサンプルもう一回殺していい? その辺りを説明する為にも、一回魂の具合を見てみたい」


「よし、許可しよう」


 言うが早いか、シャールは無詠唱の即死魔法で速やかに実験体の命を再び奪った。

 ガクン、と寝台に横たわり本物の死体と化す。その哀れな男から抜け出た霊魂――生きている者には基本的には見えない――をシャールが掴み取ると、何事か呪文を唱えて可視化する。


「……やっぱりだ。霊魂の大きさが明らかに小さい。脳味噌には記憶も感情を司る領域も残してあったのに、魂には情報量がてんで無いよ」


「つまりは、身体に魂が定着していなかったのかな?」


 脳の認識が魂に影響を与え、その在り方を変えるのは以前の実験で証明されている。アカデミーでシャールと飽きる程にやったことだ。ではこの場合、霊魂が肉体に上手く定着しない所為で脳から情報が受け取れず、魂もそれに応じた物となってしまったのだろうか?

 だが、シャールは首を振る。


「いいや、そんな事は無いんだよマスター。だったら動くことさえままならず、壊れてない死体の状態から何の変化も無いはずだったんだ。でなけりゃ、あーだのうーだの、呻きを漏らすことさえしないんだからね。そして僕は確かに、魂の抜けていたこの身体に、人間として動く筈の魂を込め直したはずだ」


「……ふむ。となると、だ。この実験体の魂は、空っぽの身体に入れられた所為で何らかの不具合を起こした、と考えるべきかな」


 僕はシャールに命じて、その霊魂をもう一度肉体に入れ直させてみた。脳を始めとする生体の崩壊は、さっきからユニが回復を掛け続けているので最小限のはずだ。魂に何らかのロスが生じていなければ、今度はさっきの状態に戻るはずである。

 するとどうだろう? 実験体はビクリと一度痙攣したっきり、それを最後に生き物らしい反応を返さなくなってしまった。腕をとると脈が無い。……完全に死んでいる。


「これは……」


「そんな馬鹿な……魂が消えた!? ありえないっ! 僕の術に間違いは無かったはずだ!」


「ホントにか? 何かミスがあったせいじゃ無くてか?」


「いいえ、その可能性は極小と判断します。術式構成に不備は見当たりませんでした」


「ああ……我々も死霊術は専門外であるが、想定外の結果が生じるような術には見えなかった」


 これは予想外だ。

 魂の無い肉体に霊魂を封入すると、もしかして霊魂に損傷が起こるのか? それじゃあ、どうして僕は転生なんか出来たんだ。この身体に入った実験体の魂と同様に、魂が消えてしまう筈だ。この実験体と、僕の違いは何だ? 僕はこの世から見ると異世界から来た魂だ。それが原因か? かもしれないが、確証は無いし調べる為のサンプルも僕自身一つきりだ。とても全面的に信を置ける仮説じゃない。

 だとすると……。


「魂の無い肉体に入れると魂が消耗し、同じことを繰り返すとやがて消える。じゃあ……魂のある肉体に入れるとどうなるんだろう?」


 僕の呟きに、ドゥーエがぎょっとしたような目線を向けて来た。僕は構わず思考を続ける。

 この説はどうだろう。僕の例でいくと、僕の魂が何らかの理由でこの世界に辿り着き、このトゥリウス・シュルーナン・オーブニルの肉体に入る。憑依当時赤ん坊だったそこには、未熟といえど一つの魂があったとすれば、どうか。肉体に入ったことで魂に生じる何らかのロスを、もう一つの魂で補填した?

 僕が考えている横で、シャールは何だか目をキラキラさせている。


「それ、面白そう! やろう、是非やろう! すぐにやろう!」


「よくもまあ、そんな実験に乗り気になれるな……」


 やはりというか、ドゥーエはこういう生体だの魂だのを弄る実験には批判的だ。まあ、これも多様性の内である。何もかも僕へ賛同するイエスマンで固めたら、発想や戦略が早晩にも硬直化してしまう。だから僕は彼の嫌悪を否定しない。だからといって、酌んでやるとも限らない訳だが。

 それにしてもシャールも変わったものだ。以前は死霊術師としての腕前の研鑽はともかく、こういう実験の類は毛嫌いしていたのだが。これも脳改造の成果の内か、それともアンデッドになった故の変化だろうか。


「では、サンプルとなる奴隷を連れて参ります」


「ああ、頼んだよユニ。さて、この場合はどうなるか……」


 実験体を連れに部屋を出る彼女を見送って、僕は幾多もの仮説を弄ぶ。

 僕自身、という例から考えて有力な説が一つあるが、さて?







 結果から言うと、その実験は成功とはいかないまでも、中々に興味深い結果に終わった。


「う、あ、あ、ああああっ! な、何なんだよ、これはァ!? お、お、俺の中に、誰かがいるゥ!?」


 死んだ奴隷Aの魂を封入した奴隷Bは、施術した途端にパニックに陥ってしまった。流入した他の魂の情報を統合しきれず、混乱を生じているのだろう。


「おー、これ面白いよオーブニルくん! 魂同士が主導権を握って、ぐるんぐるん暴れ回ってる! お互い肉体の中だってのに、その余波のお陰でよぉ~く観察できるよ! 凄いや!」


 術を施したシャールもご満悦だ。吸血鬼化の所為なのか、彼は格下相手にはかなりサディスティックなところを見せる。同格以上には弱腰なんだが。


「で、で、出ていけェ! 俺の中から出て行けよォ! ……ちがう、でていくのはおまえ……。やめろ! 俺の口を使って喋るな! ……おまえ、が、でて、いけ……。やめろやめろやめろォ!」


「見たところ、優勢なのは元の持ち主の方かな?」


「そうだね! でも、憑依させた方も頑張ってるよ? 相手の魂を喰って損失分を補ってるみたいだ! でも、スタートラインの不足は解消しきれていないなァ。このままだと元の持ち主の側に食われて消えるね! どんな断末魔が聞けるかな? あはははっ!」


「ほほう、ということは元の持ち主が弱ければ、憑依側が取って代わるのも可能だと?」


「その可能性が高いでしょう。次回の実験では、被憑依側を衰弱させてからの試行を提案します」


「うむ。それが妥当であろう。何なら赤ん坊を使ってみるというのはどうだ? 未熟な魂であれば、乗っ取りもしやすいだろうと思うのだが……」


 ユニとドライも、次回へのアイディアを出してくれた。特にドライの発案は中々いい。それで実験が成功すれば、僕が転生したメカニズムへの仮説も立証できる。何でこの世界に飛んで来てしまったのかは、また別問題なのであるが。

 唯一、居心地悪そうにしているのはドゥーエだ。元々こういう実験に貢献出来るような機能も与えていないし、気質的にも向いていないのだろう。

 やがて、彼は口を開いた。


「なあ、ご主人」


「何だい?」


「……こんな真似までして、不老不死になりたいのか?」


 随分とまあ、今更な事を言う。


「当たり前だろう? 君だって、死にたくないから僕の手を取ったんじゃないのかい?」


 死ぬことは、誰にだって避けたいことのはずだ。

 確かに世の中には、死んだ方がましだって思うような事はいくらでもある。それで自殺した人間なんて、枚挙に暇が無い程に。

 だが、僕はこうも考えるのだ。死んだ方がましだと心の底から思うような状況とは、魂からして既に死にかけているのではないか、と。

 何かに追い詰められたり、生甲斐を無くしたり、そうした時に人は「死にたい」と願う。

 しかし裏を返せそれは、脅威に晒されることも生甲斐を失うことも無ければ、自分から死のうとは思わないのではないか、と。魂が死ぬとは、さっきの実験みたいに霊魂が何処かへと消し飛ぶようなことではなく、心が折れて生きる意欲を無くすことでもあるのではないだろうか。

 僕はそんなことになるのはごめんだ。僕の求める不老不死とは、そうした魂さえ殺す毒にも打ち克つことでもある。死ぬのはあんなに怖くて嫌なのに、それを願うような心に変わってしまうなんてまっぴらだ。ただ単に長生きして、いつか死にたくなった時に死ぬだけなら、シャールみたいに吸血鬼になって、どっかに引っ込んでいればそれで済むのだから。それでは足りないから、こうしているんじゃあないか。

 ……ドゥーエは違うのだろうか?


「……だろうな。そう言うだろうとは思っていたよ」


 彼は肩を竦めつつ、そう言った。


「で、僕からの質問の答えはどうだい? 君は今でも死にたくないのかな?」


「ああ、そうだな。今のまんまじゃ死んでも死に切れねェ。それくらいは分かるさ」


「随分とふわっとした回答だね……。僕は君がちゃんと働いてくれるなら、何も言わないよ」


 要はそれだけの話だ。そして、僕の施術が効いている限り、彼はちゃんと働き続けてくれる。


「まあ、この実験に思うところがあるのは分かるよ? 見ていて気分が良い物じゃないしね」


「え? そうなの? 僕はすっごく愉しいけどねェ!」


「うん、知ってるから黙っててシャール」


 空気を読まずに割り込んできたのをピシャリと引っ込ませて話を続ける。

 この実験は僕にとっては仕事だ。不老不死という報酬を得る為の仕事に過ぎない。決して趣味などではないんだが。


「気持ち悪けりゃ、席を外していても一向に構わないさ。別の区画じゃ、君好みの実験をしてるところもあるし、気分転換でもしてくるといいよ」


「……悪いな。お言葉に甘えて失礼させて貰うぜ」


 そう言って、ドゥーエは実験室を出て行く。

 その姿に、ドライは何処か不機嫌そうな視線を送っていた。


「思ったより、割り切れていないのですな、アイツは」


「自分をこっちに引き入れた張本人があの体たらくで、不快かい?」


「そういう……つもりでは……」


 と、もごもご口籠る。彼とドライは、馴れ初めが馴れ初めだ。まあ、只ならぬ気持ちの一つや二つはあるだろう。


「ただ、私としてはアヤツにもう少し割り切ってご主人様に仕えて欲しいものだと……」


「んん? そうした方がより楽しく一緒に過ごせるし?」


 ここでも要らん口を挟む吸血鬼。案の定、お姉さんの怖い一睨みを喰らう羽目になる。


「黙ってろ。杭でも打たれたいか?」


「ひっ」


 何でこうなると学習できないのだろうか? 知能は高いはずなんだが。

 僕が呆れていると、ですが、とユニは口を開く。


「割り切る、ということは余りを切り捨てるという選択でもあります。多くの場合は割り切りが良い結果を生みますが、そうでない場合もあるでしょう。時には切り捨てられる余りの中に、見過ごすべきでない過ちや希少な果報が紛れることもありますれば」


「どういうことだ?」


「例えば、ヴィクトル・ロルジェ卿やルベール卿。彼らが錬金術の研究を最優先とするまで洗脳したら、どうなるでしょう?」


 ドライはその問いに、少し考えてから答える。


「……領内の内政や対外折衝、そうした諸々も切り捨てることを厭わない、などということになりかねんか。そんなものは些事だ、と割り切って」


「そういうことです。ある程度、良識的かつ常識的な判断を行う性情の持ち主を傍に置いておきませんと、こうした閉鎖的な環境では組織が暴走しかねない……そうご主人様からお教え頂いております」


「いやいや、ユニこそよく勉強してるよ。まあ、ドゥーエの感性も、それはそれで有用なものさ」


 特に僕のような、目的の為なら手段を選ばないタイプがトップに立つ集団では、だ。ダークエルフという種族、自分が育った氏族への感情を僕への忠誠に摩り替えてるドライ。彼女には、主と属集団の為に割り切った考えをする方が好ましく思えるだろう。しかし、それだと思考が硬直化するし外部からの目を気にする気持ちも擦り減ってしまう。それは好ましくない。


「理屈は……分かる気もします」


「そう? じゃあ、感情の方にもおいおい分からせておいて。……さて。ところでシャール、実験体はどうなったかな?」


 僕は意識を実験の方へと引き戻す。ここは哲学だの独学の組織論だのの講義をする所じゃない。錬金術師の実験場なのだ。


「あー……うん、こりゃ駄目だね」


 シャールは主導権の奪い合いがひと段落した様子の実験体に、冷めた視線を向けている。

 実験体は、力無くへたり込み、時折痙攣的にケタケタと笑い声を上げていたりしていた。


「あは、うふ、えふ、うふっ……だれ? おれ、だれ? ぼく、だれ? わたし、だれ? だれ、だれ? あひ、あははは……」


「……両者の自己認識が混濁して、アイデンティティが崩壊しちゃったのかな? まあ、さっき思いついたばかりの実験にしては、有用な結果にはなったね」


「マスターはいいだろうけど、僕はちょっと物足りないなあ……もっと、自分が自分で無くなった苦しみに身悶えするような、そんな狂い方が良かったのに」


「悪趣味な。そんなもの、ただうるさいだけではないか」


「自我の崩壊状態ですか……ご主人様、しばらくこの状態で生かし続けて、新たな魂を封入するのはどうでしょう? もしかしたら、今度こそ憑依者の霊魂が定着するやもしれません」


「よし、採用。じゃあ、自殺防止の処置をしてしばらく拘禁しよう。精神状態を弄ると結果に影響が出そうだから、魔眼での洗脳は無しで良い。猿轡を噛ませて、舌を噛み切らないようにしておこう」


「かしこまりました。では、早速」


 ユニが手早く処置を行って連れ出すのを後目に、僕は実験の結果を記録する。その肩をシャールがツンツンと突っついた。


「ねえねえ、オーブニルくん。狂っちゃった方はそれでいいとして、魂を奪った死体の方はどうするんだい?」


「ん? ああ、そういえばそうだった。……シャール、血を吸ってレッサーヴァンパイアにしてから心臓を破壊してくれる? そうすれば灰になって処理しやすくなる」


「うぇ~~っ……死体の血は不っ味いのに……じゃあさじゃあさ! 今度、見返りに処女の血を奢ってよ! 出来れば直で!」


 などと要求もし出す。うーむ、処女や童貞は吸血されると、強力な眷族になりやすい傾向にあるらしい。あんまりシャールに手駒を持たせたくはないのだが。

 ……まあ、手駒の数が膨れ上がらない内に定期的に処理して行けばなんとかなるか。それに当分洞窟暮らしであるシャールにもガス抜きもいるし、話し相手も必要だろう。勿論、色々と仕込みはさせてもらうが。


「そうだなあ……今度、銅山の開発に合わせて鉱夫用の大々的に奴隷を買うから、それに紛れて見繕っておくよ」


「イヤッホー! 流石はマスター、話が分かるっ! 僕、より一層頑張っちゃうよ! 処女の血吸うのって、考えてみればまだなんだよねェ。口に入るのは培養物ばっかりだったし、Mシリーズには手出し厳禁だからさァ。ていうか、同じ『作品』に処女がいないっていうのは侘し――」


「……おい」


 と、ドライの冷たい声。


「処置を終わらせて戻りましたが……随分と面白いお話をしていましたね、04?」


 追加でユニまで。


「あ、あ、あ、あばばばば……」


 ……あーあ、知らないよ僕は。面倒なことに巻き込まれる前に、僕は実験室を出ることにした。

 背後からは「痛いっ!」だの「ごめんなさい!」だの「あ、でもちょっと気持ちいいかも」だの喚く聞こえてきた。やれやれ、死体が転がってる部屋で、何をしているんだか。







 この地下に拵えたラボは、素材採掘用の鉱山も兼ねている。以前に領内を走り回ってドライに探査させた鉱脈の一つだ。ヴィクトルら家臣団と相談した結果、インフラ整備のコストや政治的な事情で政策としての採掘を諦めていたもの。そこを僕らが私的に掘るついでに、ラボを併設させたのが、この地底空間という訳だ。

 ちなみに、万一にも山師なんかが紛れこまないよう、ある程度掘った段階で入口は厳重に潰してある。出入りの手段は例の≪ポータルゲート≫のみだ。空気は専用の礼装を使って浄化できる(二酸化炭素を酸素と炭素に分離するくらい、錬金術師なら簡単だ)し、採掘の過程で出るボタなんかはそのままゴーレムに変えて再利用している。それでも埃っぽいし水の便は悪いしで人の住み難い環境ではある。その辺りは、いずれ折を見て改善していくつもりだ。

 何せこの地下空間、採掘が進む度に広くなっていくのだ。ある意味、無尽蔵に拡張するダンジョンであるとも言える。近い将来、もし僕が兄や例の侯爵らに政治的に敗れたら、ここが最有力の逃亡先なのだ。最終的にはこの地で完全に自足できる環境を整える計画も手配してある。まあ、この地底ラボも稼動し始めて半年も経っていない。まだまだ先の話ではあるけれど。

 そんなことを考えながら、足を鉱床区画に向ける。さて、僕が留守にしている間に、どれだけ掘り進めたことだろう?


「これはこれは、領主閣下。むさ苦しいところですが、ようこそおいでになられました。今回はご視察にあらせられますか?」


 そう言って、黒ずんだ顔で挨拶してくるのは……、ええっと?


「……ああ、ルベールか。顔が泥だらけなもんだから、一瞬誰かと思ったよ」


「酷いじゃないですか。頭の中を弄られてまで、こんなに健気に働いているっていうのに」


「何言ってるんだい。僕は君が喜んで土弄りをするように改造した記憶は無いよ。君が自分で鉱山を監督したいと申し出たんじゃないか」


 そう指摘すると、煤けた顔で照れくさそうに笑うルベール。

 もうじき始まる公務としての銅山開発の為にも、後学だからと志願したのは彼自身だった。疲れ知らずで鉱毒も効かないゴーレムが主体となる採掘では、得る物も少ないだろう。が、それを承知の上でそこから血肉となる部分を得ようとする貪欲さ。それがジャン・ジャック・ルベールの彼たる所以だろう。


「いやあ、それにしてもここは宝の山ですね! 金だの銀だの、出るわ出るわで」


「露骨に話を逸らすじゃないか。まあ、いいけどね。……そんなに出ているのかい?」


「そりゃあ、もう! 下手をしたら、ここだけで王国の歳入が賄えるくらいです。調査結果を記した資料は、焼き捨てておいて正解でしたね。もしここの存在がラヴァレ侯爵らに知られたらと思うと――」


「きっと、どんな手を使っても直轄化しただろうね。下手するとマルラン全土を召し上げに掛かるかもしれない」


 違いありませんね、と真面目くさって言うルベール。そうは言うが、洗脳してないと大喜びで後押ししていただろう人物が、この男である。もう一人ヴィクトルなんてのもいる。だが二人とも今は忠実で有能な僕の手駒だ。時々、口うるさくなるのが堪らない時があるが、それも愛嬌だろう。

 そんなことを考えていると、ゴーレムの一体が鉱石の塊を手押し車に積んで運び出して来た。照明礼装の光に照らされて、金銀の煌めきが反射する。精錬精製される前であっても、その輝きには何処か人の心を蕩かす魔力が感じられた。


「言っておきますが、閣下」


「ああ、分かってるって。外に流通させるような真似はするな、だろ?」


「仰るとおりです。出所不明の金銀を外に出せば、そこから必ず足が付きますので」


「大丈夫、僕は研究の為にしか使わないからね」


「それはそれで勿体無い話ではありますけれどね。まあ、情勢が傾いて閣下が御自ら天下取りに動くのであれば、また別の使い道もあるでしょうけど」


「冗談はよしてくれよ……ようやく本腰を入れて研究に入れるようになったっていうのに」


「でしたら、その状況が長続きするようご注意あそばしませ。敵対者を抱えた中での均衡状態は長くは続きません。特に侯爵は年が年ですからね。死ぬ前に何をしようとするか分かったものではありませんよ」


「嫌な話だね。死ぬのが怖いなら、僕の研究に手を貸してほしいものだけど」


「それこそ死んでもしないでしょうね。僕の見たところ、あの方も独自の信念を持って国の中央集権化に身命を賭しております。今更我が身を惜しむよりも、たとえ畑一つ庭一つでも諸侯の領地を削りたく思っていることでしょう」


「信念、ね。そんなもの持たなくったって生きていけるだろうに。僕なんか、死にたくないだけだ」


 そう言うとルベールは、


「それが閣下のご信念でありましょう?」


 などと茶化してくれる。生きる為の指標を信念というのなら、まあ、そうなのだろう。


「兎も角、順調そうで何よりだよ。ルベールも適当なところで切り上げて、一度屋敷に戻ったらどうだい。対毒用の礼装はあるけど、環境自体が人間向きじゃないし、それにそろそろ風呂にでも入った方が良い」


 採掘の現場に立っていた所為で体中ドロドロだし、何よりここに風呂はまだ設置されていない。ここしばらく鉱床区画に詰めていた彼は、控えめに言っても二十一世紀の日本人の感性からするとキツイものがある状態になっていた。

 僕の言葉に彼は目を輝かせる。


「風呂ですか! いやあ、嬉しいなあ。僕が閣下の家臣になって一番嬉しいのは、風呂が毎日使えることですからね!」


「喜んでもらえて幸いだよ」


 この時代、風呂は沸かすには燃料が掛かるし、湯を張るにも水汲みが重労働だ。魔法である程度省力化できるから前世の世界の中世ほどじゃあないが、それでも湯浴みの機会は貴重である。我がオーブニル家の場合は、礼装で湯の温度を保ったり、汚れや雑菌を除去出来るので、基本は二十四時間風呂だ。綺麗好きであれば堪らない良い職場だろう。採用条件として、脳改造を受けて貰うのが前提だけど。


「ああ、ちゃんと入る前に身体を洗っておくんだよ? 流石にそれだけの泥と垢は、除去するのに一苦労だからさ」


「ええ、勿論ですとも!」


 本当に分かっているんだろうか? まあ、いいや。ルベールは優秀な官吏だ。いちいち言い付けないでも、それくらいの分別はあるはずである。言った傍から風呂場での注意を忘れるなんて、どこぞの吸血鬼じゃあるまいし。

 僕は鉱床エリアの視察を早々に切り上げて、別の区画に向かう。問題があればルベールが報告しない訳が無い。彼はそういう男だ。







 次に足を踏み入れたのは、打って変って広大な空洞である。床や壁面は採掘した素材を用いた補強により、銀色の光沢に覆われている。壁の裏には四方に大掛かりなサスも仕込んであり、ジャイアントやトロルといった怪力でなるモンスターが中で暴れたとしても小揺るぎもしないだろう。ドラゴンとかになると自信は無いが。

 ここは研究の本題とはちょっと外れた、いわゆる兵器の類を試験する為の場所だ。僕は死にたくないから錬金術を学んでいるのであって、それはつまり敵に殺されない為に、より強力な武器を求めてもいるということである。ただそちらにかまけ過ぎると、肝心の不老不死の研究に遅れが出るので、兵器開発は基本的に量産型奴隷へ大まかな指示を与えて任せているのだ。

 で、今ここで行われているのが何かと言うと、


「何だい、こりゃあ?」


 実験室から出て気分転換に出た先なのだろう、ドゥーエは不思議そうに金属製の筒を携えて立つ男と、その先に建てられた案山子を見比べている。その男は、マルランを掌握する際に簡単な脳改造だけした、元代官所の武官の一人だ。元からそんなに有能ではなく、そこから更に改造の影響で能力が下がっている。ルベールやヴィクトルを登用したことで用済みになった彼らは、そのまま遊ばせておくのもなんなので、こうした試験に駆り出されている訳だ。


「第三十四次射撃試験を開始いたします。着火、用意」


 奴隷メイドの一人が合図を送ると、試験を行う男は、筒に据え付けられた縄に火を付け、筒の後部に備わったストックを肩に当てると、指を掛けた金具を引く。金具と連動しているのか、ぶすぶすと燃える縄は粉を盛った皿に接触し引火。火花が散ったかと思うと、


 ――ダアァァァンっ!


 轟音と共に筒が火を噴いた。そして、筒から放たれた何かに打ち貫かれたのか、標的である案山子が腹の部分から藁を散らす。


「……何だい、あの玩具は?」


「マスケット。見ての通りの飛び道具さ」


 そうマッチロック式のマスケット――いわゆる火縄銃だ。

 鉱床から産出される鉱石には硫化したものも多く含まれていたので、そこから取り出した硫黄と、排泄物や実験台の亡骸から採れる硝石とで、火薬が作れる。化合物を分解する程度、錬金術でなら出来るのは散々言った通りだ。そんな訳で潤沢に作れる火薬を有効活用できないかと、作らせてみたのがこれである。ハーバー……なんだっけ? ダッシュだかボッシュだか……法で、空気から火薬を作るという方法もある。だけどまあ、まずは手近な材料からということで。

 それで簡単な資料を渡してメイドたちに作らせてみたのだが、いや、思ったより簡単に出来たようである。これは僕らの技術力が優れているというよりも、どちらかというとこの世界の技術水準が思った以上に高い為だろう。

 マスケットの試験を見学していたドゥーエは、しかし怪訝そうに首を捻った。


「ありゃあ……わざわざ作らせるほどの価値があるもんなのかい?」


 まあ、そう言うだろうとは思っていた。人外のモンスターと渡り合う冒険者にとって、一度使うのにああもモタモタとした準備がいるマスケットなど、鉄火場でピクニックでもしているようにしか見えないだろう。ましてやドゥーエは僕に改造された『作品』だ。マスケットどころか、大砲だって避けるまでも無く耐えてみせる筈だ。


「アレはね、モンスターや君らみたいな例外中の例外に向けるものじゃあない。人間同士の戦争用の武器なんだよ」


「戦争だァ? 冗談キツイぜ。ご主人、弓矢がどんだけ長く飛ぶか知ってるのか? あんな相手の顔が見えそうな距離をやっと当てる程度じゃ、とても弓兵とは撃ち合えねェよ」


 と顔の横で手を振る。事実、弓の射程距離は意外なほど長い。僕のうろ覚えもいいところの知識では、銃が弓矢の射程を完全に凌駕するのは、登場からかなり後のことだ。

 だが、だ。銃の恐ろしいところというのは、実は射程だの殺傷力ではない。いや、それにしたって軽視できないのであるが、もっと重要な点がある。


「ドゥーエ。今マスケットを使った木偶の坊。アレが弓を一丁前に打てるようになるまで、どれだけ掛かると思う?」


 言いながら、僕は試験用の洗脳武官を指差す。魯鈍な人間(?)のサンプルみたいなアレをだ。


「そうだなァ……並の人間なら半年みっちり鍛えりゃ半弓くらいは使い物になるんだが、あのすっ鈍い野郎だと年単位で――んっ!?」


 ドゥーエも気付いたようだ。


「分かるかい? あんな様でも、僅かな訓練期間で使えるようになるんだよ、マスケットは。普通の人間なら、一週間も訓練すれば何とか使える」


 そう、銃は他の兵器と比較して、訓練に要する期間が飛躍的に短い。剣術を習って、戦場で役に立つ腕前になるのにどれだけ掛かる? 弓の場合はどうだ? それらと比べれば、銃器は驚くほど早く人が人を殺せるようになる。

 これと同じく、短期で戦場で使えるようになる兵器が長槍だ。兵隊が寄り集まって槍襖を組んでいれば、取りあえず物の役には立つ。だが銃は、例え現状では弓より射程が短いとしても、槍よりは圧倒的に長い。


「てことは、アレを数を揃えて……一斉に?」


「うん、槍兵や騎士に近づかれないよう、絶え間無くね」


 ワンショット・ワンキルなんて代物は、後年のライフル狙撃兵に任せておけばいい。マスケット兵の仕事は、槍襖の代わりに銃を並べて撃ちまくることだ。それだけで生半な歩兵や騎兵は薙ぎ倒せる。そりゃあ、前世の世界じゃ騎士道も死に絶えたってもんである。徴兵した農民に取りあえず撃ち方だけ教えれば、後は数で押すだけ。それで戦場は制圧出来てしまう。

 無論、この世界には魔導師や魔法生物を乗騎にした騎士もいるから、元の世界ほどすんなり行くとは思えないが。それに強いヤツは本当に同じ人間と思えない。とはいえ、数をぶつけ合う会戦で得られるアドバンテージは圧倒的である。強力な個体も母集団を蹴散らした後でなら幾らでも料理出来るだろう。例外は数が少ないからこそ例外なのだ。。

 ただ、問題が一つ。


「しかし、これは……あんまり使いたくない類の武器だね」


「そうなのか?」


「ああ。マスケットの製造は技術的にはそう難しいものじゃあない。戦場で鹵獲されたら、あっという間にコピーされて大陸中に広まってしまうだろう」


「いやいや、有り得ねえだろ。大陸中を浚っても、ここほど錬金術師を抱えている勢力は、国単位でも無いだろ?」


「錬金術師でなくても、作れるよ?」


「……えっ?」


 鳩が豆鉄砲を食らったような顔になるドゥーエ。そんなに意外だったろうか?


「マスケットの素材は、何もミスリルだのオリハルコンだのじゃあない。筒は鉄で弾は鉛だ。ストックなんかは木材。これならちょっと腕の立つ鍛冶屋なら簡単に製法を覚えられる。硫黄と硝石を合成して火薬を作るのも、そんなに難しい技術じゃない。それに何より、運用に金が掛かるからさ。ここより身代の大きい他勢力の方が、圧倒的に効率良く使えちゃうんだよね」


 悲しいことに、発明者が必ず発明した物から最大の恩恵を得られるとは限らない。八木アンテナが良い例だ。発明当初は日本では戦術思想から受け入れられず、逆に英米が先駆けて軍事に取り入れ、第二次大戦で勝利を収めている。今先走ってマスケットをマルランの軍に配備しても、余所の貴族、下手すれば他国がより大量に作ってこちらを圧倒する恐れさえある。いや、確実にそうなる。マルランは人口が少ない。数を揃えて真価を発揮する兵器の運用には、てんで向いてない土地なのだ。


「よく分からんが……じゃあ、何で作っちまうんだよ? 役に立たないんだろ?」


「いつかどこかで、誰かがマスケットを作った時に備えてだよ。そいつに先んじてノウハウを蓄えておけば、いずれマスケットが戦場の主役になる時代にも対応しやすくなる。マスケットへの対応策を編み出したり、兵隊を徴用した後のマニュアルが作り易くなったりね。まあ、転ばぬ先の杖さ」


 重たい上に物騒な杖だが。それでも持たないよりましではある。

 それに開発部門が製造実績を蓄えておけば、いずれはより高性能な銃器を開発するにも役に立つのだ。フリントロック式マスケットや後ろ込め銃を先んじて作っておけば、マスケットに対しても優位に立って戦えるだろう。ただ、この世界にはドワーフなんていうやたらと鍛冶の得意な連中もいる。そいつらなら多少の技術格差くらい乗り越えて、一気に銃を進化させそうで怖い。

 視線の先では、開発を担当している奴隷メイドが、発砲後の熱が冷えた銃を検分している。銃身の歪みが出ていないか、引鉄などの機構の耐久性に不足は無いか――調べることはいくらでもあるだろう。

 僕は彼女らに声を掛けた。


「やあ、調子はどうだい」


「これはご主人様」


「お見苦しいところをお見せいたしました。……開発指示を受けたマスケットは、現状見積もり以上の速度で進捗を見せております」


「だろうね」


 見積もりより早いということは、やはり製作の難易度が思ったより高くないということだ。

 ……マスケットも、この鉱山の金銀同様、現状では世に出してはいけない代物だな。一度流出したら、取り返しのつかない勢いで世界を塗り替えていくだろう。この札を切るのは、国家間の戦争でも始まって国に全力で協力しなければいけない時くらいか。


「後ほど、不具合と改善案を纏めましてレポートとして提出します」


「うん、ご苦労。それが終わったら君たちも一度、館に戻って交代だね」


「M-06、了解いたしました」


「M-07、ご主人様に感謝を。ようやくお風呂に入れます」


「M-08、ご主人様に感謝を。清潔はメイドの義務です」


 どうやら、彼女らも地底暮らしに辛い物を感じていたようだ。特に女性は、お風呂に入れないと精神的にくるものが大きいだろう。感情領域が制限されているとはいえ、それくらいの感性は存在するということだ。適度にストレスを解消してやらないと、また妙な所で不具合を起こす恐れもある。そうならないよう、存分に羽を伸ばして来て貰おう。


「あ、そうそう。近々、また奴隷の補充があるからね。そうすればこのラボの環境改善計画も、多く捗りを見せるはずだ。ここに詰めながらお風呂に入れるようになる日も近いね」


「素晴らしい事と思います。ところでご主人様、M-06は以前拝聴した『温泉』なるお風呂に興味を抱いています」


「M-07、同じく。またMシリーズの九割以上は、『温泉』に興味を抱いております」


「……? M-08より06、07に質疑要請。温泉とは飲むものではないのですか? M-08は一部の貴族は薬用に温泉を飲むと聞いています」


 おお、意外に喰いついて来た。確かに館の浴場を設計するときに温泉の話をした覚えがある。まあ、余り目立つ物を作ったら余計な注目を集めるとか、館の工期の問題で諦めたのだが。ここの鉱床では硫化化合物がよく産出するから、上手くいくと近場に温泉も掘れるかもしれない。

 それにしてもM-08も妙な知識を知っているな。確かにこの国の温泉と言えば飲むのが一般的だが。寧ろ世界的には、日本みたいに浸かる温泉は珍しかったんだっけ?


「まあ、検討はしておくよ。温泉掘りは場所さえ分かれば、ゴーレムにやらせることも出来るしね。今後の環境改善計画にも盛り込んでおこう」


「「ありがたき幸せ」」


 一礼するメイドたちを後目に、僕は振り向く。ここの進捗は大体把握した。そろそろ他に別口で研究している部門に顔を出そうか。


「僕はそろそろ行くけど、ドゥーエはどうする? まだ他の皆とは顔を合わせづらいかい?」


「そういう訳じゃ、ないん、だが」


 ドゥーエは困ったように頭を掻く。大方、ドライ辺りと気まずいのが気に掛かるのだろう。図体の割に煮え切らない男である。割り切れないのは構わないが、煮え切らないのは良くない。温泉が湧いたら、真っ先に浸からせてやろうか、などと考えながら僕は試験場を後にする。

 彼は、まだしばらくここにいる気のようだった。

 

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