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017 トゥリウス・オーブニルと秘密の鍵

 

 容易い仕事ではない。

 ガエルたち『緑の団』はそう覚悟して来たし、備えも出来得る限りしてきたのだ。

 だが、こんな顛末は流石に予想を超えていた。


「馬鹿な……ありえん……」


 ガエルは思わず呻きを漏らした。

 慎重に慎重を重ね、限られた時間を惜しまず使い、丹念に調査を行った結果がこれだ。

 その動揺を、はたして誰が咎められようか。


「こんな、こんなことがあっていいのか?」


 重戦士も震える声を出した。

 極秘の隠密クエストではあるまじき行為だ。

 だが、それを誰も止めようとはしない。止められない。


「想定外に過ぎるという物ですよ、これは……」


 魔導師は頭を抱える。目の前の光景を信じられないが故に。

 それが余りにも彼の常識を超越していたが為に。

 そして一団の先頭。探索を主任務とする野伏は呟いた。


「この屋敷――」


 その先に続く言葉を、ガエルは知っている。

 当然、重戦士も魔導師も同様だろう。だが、それを遮ることは無い。

 何故なら、その意味が無いのだから。その気力も奪われ切っているのだから。

 野伏は言葉を結ぶ。


「――警備がザル過ぎる……!」


 そう言って、彼は頭を抱えた。

 ……そう、館の警備は有って無きが如き緩さだったのである。

 流石に賓客を泊めた区画や、主人である子爵の寝室には歩哨が立っていた。

 だが、それは立っているだけも同然の案山子のようなもの。おまけに奴隷に執事の衣装を着せただけといった具合の、まるで役に立ちそうも無い者ばかりだった。それも囮が別の場所で物音を立てれば、容易に持ち場を離れてそこへ向かい、結果ガエルらの通過を許すような体たらくである。

 はっきり言って、警備としては最悪なまでに低レベルであった。


「屋敷の調度だけでなく、警備にもこう金を掛けてないとなると、なあ……」


「本当に依頼人の言っていた大それた秘密とやらがあるのか、疑わしくなってきますよ」


 と魔導師。

 流石に行政に関わる重要な書類や金蔵は厳重であったが、そこも厄介であったのは鍵くらいのものだ。今回は諦めたが、時間さえあればいつでも破れる程度のものでしかない。錬金術のラボらしき小部屋も見かけたが、魔導師が言うには「薬草類の調合室でしょう。大掛かりな物を作るには設備が足りな過ぎますし」とのことであった。

 ここまでのところ、警備の突破は順調であったが、標的となる子爵の弱みとその証拠の探索の成果は皆無である。それでは意味が無い。


「だが、まだ調べていない区画はあるぞ?」


「……本館一階の東端。西端には地下牢への階段がありましたが」


「なら、そこも地下への階段なんですかねえ?」


 ちなみに、牢には何も無かった。誰も繋がれていない獄に、もぬけの殻の詰め所だけだ。依頼には地下は特に気を払って調べよとあったので、隠し通路の類でもありはしないか確認したが、少なくともガエルらには何も見つけることが出来なかった。


「ホールの裏手にあったのは、ワインセラーだったよな?」


「ああ、そこにも何も無かった。というか、ワインすらそんなに置いてなかったな」


「パーティーに粗方出しちゃった、って感じですね」


 なので、何かあるとすれば未調査の一階東端なのだが、


「……待て」


 ガエルは仲間たちに小さく声を掛けた。流石に歴戦の冒険者パーティである。すぐさまリーダーの意図を察して声も動きもピタリと止める。

 それを確認してからガエルは廊下の奥の闇に眼を凝らす。

 ……いる。

 目的地である東の端、通路の行き止まりの地点にそれはいた。

 角の陰に凭れるようにして、気配無く佇む長身の男。先頭を行く野伏ですら察知できなかった程の隠行で、静かにそこにある。ガエルが察することが出来たのは、多くの死線をくぐり抜けて鍛えた第六感故か。ともかく、彼らは遭遇に先んじてその存在に気づくことが出来た。


(もしや……あれが【両手剣のドゥーエ】とかいうヤツか!?)


 慄然とするものを感じずにはいられない。その二つ名からして、ドゥーエという冒険者の得手は剣と知れる。だが、この一流の野伏もかくやと言う隠密ぶりはどうだ。気付かずにうかうかと近づけば、その由来となる両手剣で叩き斬られていたところだろう。やはり凄腕。己ら『緑の団』の及ばぬ位階、B級に到達した二つ名持ち――!


(リーダー、どうする……!?)


 重戦士が目だけで進退を問う。戦力を考えれば、逃げを打つのが上策だろう。四人がかりならば一ランク上の相手といえど倒せるやもしれぬが、手早く仕留めねば騒ぎとなる。そうなれば、賓客に紛れていた賊として、家中総出で追われることになるだろう。

 かといって、素直に逃がしてくれるだろうか? こちらが向こうに気付いたということは、あちらも気付いていたとしてもおかしくない。いや、警備として自分たちが向かってくるこの通路を張っていたのなら、気付いていると考えるべきだ。背中を向けた途端、獲物を見つけた狼の如く飛び掛かってくるかもしれない。

 それに、だ。逃げてどうなる? 逃げおおせたとして、依頼人であるライナス・オーブニル伯爵に『警備を恐れて十分な調査は出来ませんでした』などと、どの面を下げて報告できるというのか。伯爵の陰働きとして取り立てられる道は、途絶えてしまう。

 欲と保身とが精神の秤の上で巡るましく立ち位置を変える。

 ガエルがその結論を出す、その前に、


「ひっ!?」


 野伏が、迂闊にも声を上げる。

 【両手剣のドゥーエ】と思われるその影が、動いたのだ。

 やはり、ばれていたかと身構えるガエルらの前で、その男は――


「……ぐお~おぉぉぉぉぉぉ……っ」


 ――寝息を立てて、床にずり落ちた。


「………………………………は?」


 何が起きたかを理解するのに、たっぷり一分近くを要した。

 まさか。まさかと思うが、ガエルが気付いた時にはもう寝ていたのか?

 隠行と間違えたのは、眠っている為に殺気も警戒の意思も放たれていなかった為か?

 そういうことなのか?


「「はああああぁぁぁぁ~~~~…………っっっ」」


 『緑の団』一同は、思わず大きな溜め息を吐いた。

 驚かせやがって、という安堵。こんなことも見抜けなかったのか、という自噴。仮にも警備が何をやってやがる、という筋の違う苛立ち。そんなものが入り混じった溜め息だった。

 それに応えるように、


「すぴぃ~~~~~~い……っ」


 その男も盛大に寝息を立てる。


「……リーダー、どうします?」


「ハァ……一応、途中で起きんように≪眠りの粉≫を嗅がせておけ」


「はい」


 指示を受けた野伏が、恐る恐る忍び足で近づき、男の鼻先に粉を盛った薬包を突きつける。果たして粉は男の鼻から取り込まれ、彼を更なる深い眠りへと誘った。

 魔導師がその様を嘲笑する。


「皮肉ですね。錬金術師の家の警備が、錬金術の産物の眠り薬を盛られるとは」


「まったくだな。……おい、見ろ。壁に御大層な両手剣を掛けてやがる」


「ってことは、コイツ本当に【両手剣】……?」


「こんなのが……B級? マジで?」


「んがっ、んぐっ。……も、もう飲めねえよご主人……むにゃむにゃ」


 軽蔑の表情で見下ろす『緑の団』に気付かず、【両手剣のドゥーエ】は幸せそうな寝言を漏らしていた。それに呆れを深めながらも、ガエルは仲間たちを促す。


「それより早いところこの先を探るぞ。やはりそこに地下への階段がある」


「わざわざB級冒険者を警備に立てているってことは、やっぱり何かあるんですかね?」


「そのB級の警備、糞の役にも立たなかったけどな」


「しっ、お喋りは止めだ。結構時間を使っている。空が白む前に片づけるぞ」


 言って、野伏を先行させつつ階段を下る。

 魔導師がカンテラを模した礼装に魔力を通わせると、弱い明りが前方を照らしだした。

 地下に人の気配は無い。西端にあった地下牢と同じく無人である。

 だが――


「! こいつァ……」


 警備の緩さに油断していた一行を、只ならぬ冷気が襲う。背筋が総毛立ち、腕に鳥肌が浮き出る思いを味わった。

 ……寒い。

 春とはいえ内陸の夜、多少の冷え込みはあるが、これは異常である。この地下全体に、何とも言い難い寒気の源がある。

 降りた先にあったのは、短く幅広い通路とその奥に見える大きく頑丈そうな両開きの鉄扉。開けば五、六人は並んで通れそうな程横に広い。当然のごとく、扉には錠前が掛かっている。それも扉そのものに設えられているのが一つ、鎖で固定された南京錠パドロックが二つの三重である。

 何か大きな秘密が隠されているに相違ない。そう確信するに十分な厳重さだった。


「何だ、この寒さは?」


「き、気のせいじゃなけりゃ、扉の向こうから冷気が流れ込んで来ていません?」


「それだけじゃありませんよ……魔力の反応があります。それもかなり規模の大きい」


 魔導師は緊張の色を隠しもせずにそう言った。

 ――魔力の反応。

 ――それも大規模な。

 ――そして、この尋常ならざる気配。

 ガエルはゴクリと固唾を飲む。錬金術師だとかいう触れ込みの子爵。その彼が後ろ暗い物を隠しているとしたら、それはこの奥にある物しかありえまい。それ以外には鼠一匹見つからなかったのだ。ならば、これこそが当たりか。


「よし……さっさと開けるぞ。そして奥にある物を全部白日の下に晒してやる!」


「おお!」


 小声で気合を入れると、鍵の解除に取り掛かる。野伏が鍵開け、魔導師が証明だ。まずはパドロックである。これは鎖を壊せばすぐに外れるのだが、軽くナイフで硬度を確かめたところ、刃の方が削れてしまった。


「……一体どんな金属で出来てやがる」


「リーダー、壊せますか?」


「分からん。それに壊す音で気づかれる恐れもあるし、放置すれば侵入にも気付かれる」


 これだけの硬さである。力任せに武器を叩きつけて、何とかなるとは思えない。


「地道に解除していくしかないだろう。取り掛かれ」


「へいっ!」


 奥から漏れる冷たい空気に震えながら、野伏が解錠を試みる。

 パドロック二つは、三分もしないうちに外れた。

 魔導師が目を丸くする。


「やりますね」


「いやいや、二つとも鍵の型は違えど仕組みは同じだったんで……本番は扉自前の方ですよ」


 野伏はそう言いつつも、鍵開け道具を最後の穴に突っ込んだ。こちらは流石に、外付けのちゃちなパドロックと違い、時間は掛かると思われる。

 ガエルらの額に、汗が滲んだ。

 もし、ドゥーエに嗅がせた眠り薬の効果が切れたら。

 もし、他の警邏が通りかかって、眠り込んでいるドゥーエに気付いたら。

 それを思うと、不安で堪らなかった。


「……まだか?」


「しっ! もうちょっと待って下さい!」


 つい口が出たガエルに、野伏がキッと一睨みをくれる。最年少の彼が仮にもリーダーに対し、こうも苛立ちを見せるとは、余程集中が要る作業なのだろう。

 仕方無く一歩下がり、階段側の様子を窺う。

 ……静かなものだった。人の気配は一切無い。今のうちに鍵を開け、奥の秘密を暴かねば。

 改めて気を引き締めた瞬間、


「……よし、開いたっ」


「でかしたっ!」


 小さく快哉を上げつつ、盗賊の肩を叩く。

 これでようやく、秘密の地下室に侵入することが出来る。


「よし、いつもの通り俺たちが前衛を組んで侵入するぞ。おい、明りはコイツに渡しておけ。お前もいざとなったら魔法を使えるようにな?」


「ええ、分かっています」


 魔導師が手に持っていた照明礼装を野伏に渡して杖に持ち帰るのを確認すると、ガエルは相方の重戦士と肯き合う。外から鍵が掛かっている以上、中に誰かがいるとは思えないが、念の為である。

 重戦士が扉に手を掛けた。ガエルは万が一の奇襲に備えて身構える。

 果たして、扉はゆっくりと引き開けられていく。それに伴い、噴き出す冷気はますます勢いを増した。


「さあ、鬼が出るか蛇が出るか……」


 あの奇怪な噂の絶えない貴族の厳重に隠した秘密だ。外からも分かる異様な雰囲気もある。何が出てきても驚くには値しな――


「ひいっ!?」


 野伏が驚愕の悲鳴を短く漏らした。

 声が大きい、と咎めることは出来なかった。

 ガエルも、それを見てしまったのだから。


「し、死体……!?」


 そこにあったのは、解体された死体だ。

 天井から鉤付き縄で吊られ、暗闇の虚空に肉々しい牡丹色の中身を晒している。

 腐臭は無い。が、微かに鉄と生臭さが入り混じったような、薄い血の匂いが鼻腔を満たした。

 新鮮なのだ、この死体は。

 いや、よく見るとその隣に、奥に、同じような宙づりの肉塊が幾つもぶら下がっている。


「酷ェ……」


「や、やっぱり噂は本当だったんだ……あの貴族は本物の【奴隷殺し】だったんだ!」


 重戦士が呻き、野伏が蹲る。

 ガエルも思わず口元を抑えた。


「なんてこった……見てみろ、どいつもこいつも血が抜かれてやがる! 通りで扉を開けるまで匂いに気付かなかったはずだぜ!」


「ひ、人のすることじゃねえ! こ、こんな獣を殺すような真似を!」


「……ん?」


 野伏の言葉に、何か引っかかるようなものを感じる。


「獣を、殺すような真似?」


「あの、リーダー……」


 沈黙を守っていた魔導師が困惑気味に口を開く。


「これ、料理用の牛肉では?」


「へ?」


「え?」


 ガエルは野伏が落とした照明礼装を拾い、改めて釣られた肉塊を照らしてみる。


「あー……そういえば、そうも見えるな」


 よく見れば人間にしては、大き過ぎる。解体された胴体と思しいのは確かだが、それは明らかに人の物より長く、そして太過ぎた。恐らくは魔導師の言う通り牛だろう。

 暗闇の中、乏しい明りに突如照らし出された肉塊らしき姿。オーブニル子爵に纏わる、後ろ暗い噂による先入観。そんなものが入り混じった結果、目の前の肉を解体された人体などと思いこんでしまったのだ。


「……くそっ、やっちまった。食糧庫だったのか、ここは!」


「は、はははは……何年冒険者やってたんだっけ、俺たちは?」


「し、C級の端くれなのに、牛の肉なんかで悲鳴上げたんですか? 俺って……」


「ま、まあまあ」


 たかが吊り下げられた牛肉に色を無くしていた事を悔いるガエルらに、一人冷静だった魔導師が慰めを掛ける。


「悪戦苦闘して開けた扉の先に、こんな肉塊がぶら下がっていたら、誰だって驚きますよ。それにほら、ただの食糧庫にしては鍵も厳重だし、警備に元冒険者まで置かれていたでしょう? ひょっとしたら、ここに何か隠してあるかもしれません」


「そうだな。確かにこの厳重さは何かありそうだ」


 そう自分を納得させて、食糧庫内に足を踏み入れる。……やはり寒い。倉庫の中は冷気に満ちている。まるで真冬の山の中だ。冬山には何度か魔獣狩りに入ったことがある。


「そういえば、さっき魔力を感じるとか言ってなかったか?」


「ええ。その魔力も倉庫の奥の方から感じます」


「よし、行こう」


 逆さまに林立する肉の森を掻き分けていくと、倉庫の奥には更に扉があった。ここには鍵は掛けられていない。だが、魔導師ほど感覚に優れてはいないガエルも、そこから只ならぬ魔力を感じる。

 『緑の団』は先程をなぞるように警戒の体勢を取る。

 この強大な魔力に異常な冷気だ。もしかして氷を操る強力な魔獣の類でも飼っているのかもしれない。もしもそうなら、無断で王国の安定を脅かす行為を行ったとして、処断の対象となる。依頼人がお望みになった通りの子爵の死命を制す物証だろう。本当にその通りなら、まずそこへ踏み込んでいるこの身が危ないのではあるが。


「いいか、何が飛び出してくるか分からんぞ? 警戒は怠るな」


「ああ、分かってるぜリーダー」


 そして、扉が開けられ――


「ぬうっ!?」


 今までとは比べ物にならない冷気が吹きつけられた。

 寒い。何だこれは? 魔獣の吐く凍えるブレスか? いや、それにしては妙だ。


「さ、さ、さ、寒いっ! 何なんですか、これ!?」


「トラップ? 魔法攻撃? それとも冷凍ブレス?」


「いや、これは……」


 冷たい気流からローブで身を庇いながら、魔導師が部屋の中に進み出る。


「おい、やめろ! 迂闊に前に出るな!」


 違和感を覚えながらも、まずは後衛の突出を窘める。

 だが、それでも彼は止まらず室内に侵入した。

 ガエルは、上下の睫毛が貼り合わされそうな冷気を感じながらも、扉の先を見た。


「これは……」


 そこにあったのは、何らかの魔導装置だ。青白い燐光を放つ精緻な魔法陣が部屋一杯の床に広がり、その上に門外漢には理解不能な規則性をもって輝く宝玉が並べられていた。それらを組み合わせることで恒常的に何らかの魔法を発生させているのだろう。

 これが……子爵が隠しておきたかったものなのか?


「おい! な、何なんだこの魔法陣は!?」


「待って下さい、今から解析します!」


 言って魔導師は魔法陣の傍にしゃがみ込む。


「これは……なんと……信じられないくらいに精密な回路の構築……」


 ぶつぶつと独り言を呟き、時折解析系の魔法詠唱も交えつつ、魔導師は夢中でこの装置を調べている。冷気と気流の発生源は魔法陣だ。当然彼はそれを一身に浴びているが、それも気にならないらしい。


「いいから、早く何とかして下さいよ! こ、凍え死ぬ!」


「我慢して下さいよ、私が一番寒いんですから!」


「嘘吐け! 魔導師だからお前が一番抵抗力が高いだろうが!?」


 そんなやりとりも挟みつつ、十分近く時間を掛けて解析は終わった。

 ひとまず食糧庫まで戻って扉を閉める。このまま開けっ放しにしていたら、館中が真冬に逆戻りしそうだった。


「さ、さぶいさぶいさぶい……」


「で? ありゃ何だ? 危険な魔導兵器の試作型か何かか?」


「ああ、あれですか。とんでもない代物でしたよ」


 魔導師の口振りに、期待と不安が同時にこみあげてくる。

 とんでもない代物。

 そこまで言うのだ、魔法に詳しくない自分たちには及びもつかない、超技術の産物に違いないだろう。

 彼らはゴクリと固唾を呑んで、魔導師の答えを待った。


「――ただ冷気と気流を発するだけの装置です」


「「は?」」


 その冷淡な口調に、魔導師を除いた三人は呆気に取られる。


「恐ろしく高度な技術と高価な素材で構成された魔法陣でしたが、その機能は『出来るだけ長く冷気と気流を放出し続けること』のみ。まったく、とんでもない代物ですね。とんだ無駄遣いと言うヤツですよ」


「な、何だよそれは? 何だって子爵は、そんなものを地下に置いてるんだ!? あんなに厳重な警戒までして!」


 ガエルは思わず大声を張り上げていた。潜入クエスト中のパーティを纏めるリーダーにあるまじき醜態だった。だが、誰がそれを責められようか。屋敷中を総浚いし、やっとのことで隠された何かを見つけたと思ったら、それは単なる技術と素材を無駄遣いしたガラクタと断言されたのだ。パーティ全体の将来が懸かったクエストの結果としては、余りにもお粗末なものではないか。

 その気持ちを理解出来るのか、誰もガエルを責めようとはしなかった。

 魔導師は続ける。


「言ったでしょう? 高価な素材で構成されていると。魔法陣を描いているのは溶かした銀、動力源である宝玉は本物の、しかも高純度の水晶。それをふんだんに使った装置です。おそらくこの屋敷に置いてある物の中では、一番高価なものなんじゃあないですか?」


 それに、と魔導師は吊り下げられている肉の一つを指す。

 その肉はまるで生きて汗を掻いているように水滴を滴らせていた。


「よく見てみると、肉が何だか柔らかそうになった上に濡れてますね? さっきまで凍ってたんですよ。それが食糧庫の扉を開けて冷気を逃がしたから、溶けてきているんです。多分ですがあの装置、肉を凍らせることで生のまま保存する為のものだったんじゃないんですか?」


「肉の保存用、だと……」


「い、言われてみれば、ここにある肉は生のままにしては多過ぎるなって思ってたけど……」


「こんなにあっちゃあ、食い切る前に粗方が腐っちまう。それを避ける為に……」


 重戦士が手近な肉に触ってみると、確かに先程掻き分けるようにして押し退けた時より柔らかくなっていた。何故、さっき触った時に気付かなかったのか。保存用に干していない生の牛肉など初めて見た所為だろうか。


「じゃあ、何か? あの子爵がここを厳重に守っていたのは、全部この肉の為だって? 冷気が逃げて溶けたり、素材目当ての賊が装置を壊したりしないようにか?」


「……そう考えた方が自然でしょうね」


 残念なことですが、と魔導師は俯く。

 何と言うことだろう。自分たちが全身全霊で暴き立てた秘密が、まさかこの程度とは。

 食い意地の張った若造貴族の、新鮮な肉をいつでも食べたいという我儘を満たすだけの、無駄に高級なガラクタ。そんなものしか、発見できなかったとは。


「そんなはずは無いだろう? だって、あのオーブニルだぞ? 【奴隷殺し】と仇名される悪徳貴族だぞ? もっと、こう……禍々しい秘密でも隠しているんじゃないのか? あるはずだろう? なあ?」


「え、ええ、そうですね……まだ夜明けまで時間がありますし、もうちょっと調べてみますか……」


 震えるガエルに答える魔導師は、しかし明らかに成果を期待していない口振りだった。







 翌朝。

 オーブニル伯爵家の用意した馬車に乗って、ガエルら『緑の団』は王都への帰途に就いていた。

 車内の空気は重い。表向きの依頼である護衛の対象の男は、『緑の団』が碌な調査結果を得られなかったことに憤慨してか、先程から口を利こうともしなかった。まあ、その方がありがたい。報告の直後は悪口雑言の見本市という体で、こちらとしても堪らなかったからだ。出来れば王都まで口を閉じていて欲しいくらいである。


(……それにしても)


 と、ガエルは護衛対象の男を見る。そして、彼の背後に居る伯爵の姿を想像した。

 自分たちの調べたところ、トゥリウス・シュルーナン・オーブニル子爵は限り無く白に近い存在だった。深夜の調査では叩いても埃一つ出ず、逆にこちらに対する警備はお粗末もいいところ。とても後ろ暗い何かを企んでいるとは思えない。無論、屋敷の外で何かを進めているのであれば、話は別だが。

 そんな弟をわざわざ罪に落そうと血眼になる兄。ガエルの想像では、とてもではないが上等ではない人物像しか浮かばなかった。


(むしろ、悪名高い弟の方がマシではないのか)


 【奴隷殺し】と噂されるかの貴族は、調査を終えて改めて考えてみると、とてもそんな大それたことが出来そうな人物には見えなかった。伯爵家の次男に生まれ、子爵の位を授かりながら、貴族の常識には疎い。名のある冒険者を二人も抱えているかと思えば、一人は一線を離れて衰え、もう一人はC級の自分たちにも出し抜かれる体たらくだ。宴の席ではその悪評と真逆に、客に絡まれていた奴隷を面子を潰してまで助けてもいる。厳重に何かを隠しているかと思えば、まさかの単なる肉の保管庫だ。

 総じて、彼は単なる世間知らずのお坊ちゃんとしか思えなかった。

 寧ろ、そうとしか見えない弟を謀殺しにかかる兄の方が、かの悪名に相応しい気さえして来る。


(……ありえるかもな)


 長い帰路の手慰みとして、ガエルはその推論を弄ぶ。

 筋書きはこうだ。

 自分たちが念の為にした調べでも、トゥリウスの名で大量の奴隷が買われ、多くはそのまま行方知れずとなっていたのが分かっている。だが、それを指示したのが実は兄であるライナス現当主だとしたらどうだろう?

 弟に奴隷を買わせて、兄が殺す。そしてオーブニル家の中で誰が奴隷を殺しているかは、外部には分からない。自然、奴隷虐殺の疑惑と悪名は購入する為に外に出ていたトゥリウスに向かう……。

 無論、これは推論だ。トゥリウス・オーブニルとは昨日一日遠くから眺めていただけだし、ライナスに至っては今目の前で無言を決め込んでいる名代を通じての関係しかない。それだけしか関わっていない相手の、何が解るというのか。これは暇潰しの推理ごっこに過ぎないのだ。

 確かなのは、今回のクエストの調査結果に、伯爵が満足することはないだろうということだ。彼が熱望している弟の失態に繋がる物証は、何一つ見つかっていない。どころか噂に聞く【奴隷殺し】の悪癖の形跡すら見当たらなかった。逆に、館で働く奴隷たちは、身なりといい教育といい、他所より余程大事に扱われていさえする。故に突拍子も無い空論を思いつきもしたのだが……ともかく、トゥリウス子爵の弱みを掴めなかった自分たちを、伯爵は信用することは無いだろう。


(かえって、それで良かったのかもな)


 不思議とガエルの心に落胆は無かった。

 考えてもみれば、今更ながら貴族に飼われる密偵役など、自分たちには荷が勝ち過ぎる。もしも今回、障害となる連中が前情報通りの戦力であったら、『緑の団』はただでは済まなかった。相手が緩みきった御曹司とその手勢だったからこそ、あそこまで調べ尽くすことが出来、また無事にこうして帰り着くことが出来ているのだ。

 それを思うと、伯爵と繋がろうと思った自分の愚かしさが身に染みてくる。

 最初の手駒となり古株の座に居座れば、温存されて危険を冒す必要は無くなる? だがそうなるまでに幾つ死地を越えれば良いというのだ。

 上手く運べば正規の家臣に取り立てられるやもしれぬ? 弟に殺意を抱くような情の薄い相手に何を期待する。それがなったとしても、この目の前にいるいけ好かない名代と同僚になるのだ。とても自分に勤まるとは思えない。

 結局、自分たちは冒険者なのだ。相手にするのはモンスター、立つべき場所は山野に迷宮。決して貴族を相手どった、社会の闇を舞台にしての暗闘など似合いはしない。


(王都に戻ったら、また性根を据え直して冒険するかね)


 また同業と依頼を取り合い、怪物相手に命を張る日々に戻るだろうが、辛いとはいえ慣れた道だ。今更別の進路に漕ぎ出すよりも、そこで地道に稼いだ方が良い。

 そうして少しずつ金を貯めていけば、老後も食いっぱぐれはしないだろう。

 ガエルはそう自分を納得させた。

 思いながらも、後ろの車窓から外を見る。

 最早地平線の彼方に消えた、トゥリウス・オーブニルの居館。そこで働く【銀狼】の姿は、貴族の親父に頭を下げて、尻まで撫でられても抵抗できず、まるで王都に居た頃とは別人のようだった。しかし、それでもあの頃よりは人間がましい娘になっていたと思う。世の人は信じず、また口さがないことを言うだろうが、あそこには確かに彼女の平穏があった。銀色に呪われた狼とまで言われた化け物が、いつの間にか一人の人間に戻ってしまうような日々が、確かにあったのだとガエルは思う。

 あの見かけ倒しだった【両手剣】とやらも、そんなぬるま湯に浸かるうちに錆付いていたのかもしれない。自分には馴染めそうにない、だが侵しえもしない貴い日常。

 そんなものをぶち壊すかもしれない稼業など、決して御免だ。帰ったら真っ当な冒険者として出直そう。

 そう思いながら、ガエルは馬車の揺れに身を任せるのだった。




  ※ ※ ※




「あー、疲れたあ……慣れないことはするものじゃないね、まったく」


 最後の馬車を送り出し、客人を全て帰し終えて、僕は盛大に溜め息を吐いた。

 その横には、


「ええ、本当にお疲れ様です領主閣下」


 などと澄まし顔で抜かしやがるヴィクトルがいる。

 僕が色々と好きにやっていたのを腹に据えかねているものだから、こっちが弱っていることが嬉しいのだろう。とんだ家臣である。機会があったら、もう一度徹底的に脳味噌を弄ってやろうかとさえ思う。


「当分ごめんだよ、こういう格式ばった仕事はさ」


「同感ですね。しばらく時を置いて、その間に改めまして有職故実を学んで頂きたく――」


「冗談はよしてくれよ……」


 ひらひらと手を振って、僕は新居の廊下を歩く。

 最初から後ろに侍っていたユニと、そこいらで手持無沙汰にしてたドゥーエもそれに連れ立った。


「それじゃあ、僕は研究の方に戻るよ。屋敷の方はよろしくね?」


「ええ。明日の執務までにはお戻り下さい」


 ヴィクトルめ、最後までちくちくと。

 そんな様子を見てドゥーエは笑う。


「おいおいご主人。道具にあそこまで言わせておくなんて、立場が無ェんじゃねえの?」


「お止めなさい。全てはご主人様の慈悲あってのことです」


「まあ、あれくらい言える程度の自由度が無いと、僕が見落としている点への諫言とかできないからね」


 並んでラボへの道を進む。目指すは一階の東端、名目上は地下食糧庫となっている箇所だ。

 その階段近くに差し掛かった時、ドゥーエは肩を竦めた。


「それにしても……酷い猿芝居のダシにしてくれたなァ、おい」


「猿芝居? 狸寝入りの間違いだろう?」


 彼が言っているのは、昨日の晩のことだ。

 兄の名代が護衛という名目で連れて来た冒険者パーティ。あれがここを通る時、敢えて見逃せと言っておいたことについてだろう。


「俺ァ、アンタに剣士としての誇りある生を全うさせて欲しくて、手を組んだつもりなんだがね……」


 それをあんな連中に舐められるような真似をしろとは、と愚痴るドゥーエ。

 細かいなあ。図体の割に女々しいところがある男だ。見ろ、ユニも呆れ気味じゃないか。


「何を言いますか。ご主人様とは命と引き換えに全てを差し出すと契約したのでしょうに」


「はいはい、そうですそうです。俺が悪うございました」


 そう言っていじけるドゥーエだった。流石にそろそろフォローした方がいいかもしれない。


「まあ、いいじゃないか。寝たふり一つ見抜けない程度の相手になんて、いくらでも侮られておけばいい。大事なのは、侮り一つで買えた安全の方さ」


「ちっ。本当にそれだけのことをする価値はあったのかね?」


「あったとも」


 言いながら階段を降りる。


「ユニが言うにはあの連中、君の事も警戒していたらしいからね。ドゥーエの姿も見せた上で、大したこと無いと思わせておいた方が、この策の効果も上がる」


「偶然からとはいえ、彼らが私を見誤ってくれたことが幸いしました」


 とユニ。

 何でもあの冒険者たち、宴席でユニが貴族にセクハラされて抵抗しないでいた上に、僕が助け船を出したことを喜んでいたもんだから、それで今の彼女を「衰えた」と過小評価していたんだという。

 いや、酷い早合点もあったものである。

 何せ王都にいた頃のユニはローティーンだ。あの時代も無口で表情が変わらなかったけど、内面は今より尖がっていて、思わぬ暴走を繰り返していたものである。時には屋敷にまでギルドの職員が駆け込んで来たこともあったっけか。

 それが精神的に安定して来たのが昨今のことである。暴れん坊が大人しくなるのは弱体化ではない、落ち着きを得たという成長だ。そこを履き違えるとは、見たところ三十前後のベテランらしくない失策である。この子が僕に仕えることに喜びを抱くのも、ご存じの通り最初からの仕様である。そして多少気分が高揚した程度でスペックダウンするほど、僕の『作品』はぬるい作りはしていない……シャールはどうだか分からないけど。

 これは、あれだろうか? 任務が上手くいって欲しいという欲目からの、希望的観測というヤツだろうか?

 それとユニが離れたからといって、その場で相談をしだしたのもいただけない。彼女ばかりに気を取られていたようだが、量産型奴隷も能力的にはC~B。『緑の団』に匹敵するか、個体によっては上回るくらいなのだ。彼らにもそこそこレベルのレンジャー技能はある。ちょっと周囲に気を使った程度の小声など、盗み聞きする程度は出来るのだ。で、あの冒険者たちはこの屋敷のそこかしこに配置されている奴隷たちに、会話の内容をすっぱ抜かれていたのである。

 っていうか、ユニにもバッチリ聞こえていた。量産型たちのレンジャー技能は、ユニのデータを元にデチューンしたものだ。当然ながらオリジナルである彼女の方が、聞き耳などの精度はずっと上を行っている。

 で、折角気付いたのだからと、隠蔽に万全を期する為に一芝居打った訳だ。


「新しいラボの入り口の場所は、機密を保つ必要がある情報だからね。隠すならば、まず相手の調査の手を緩めるのがベストだ。その為にまず敢えて一度相手の好きに調べさせ、その上で致命的な情報は掴ませない。そうすれば調査の担当者はラボの入り口はこの屋敷には無いと判断する」


 これが策の当初の路線。

 柳の下の泥鰌、という言葉がある。一度そこで泥鰌を捕まえたからと言って、次も捕まえられるとは限らない。一度の成功や幸運に拘泥することを戒める諺だ。僕の策はその逆である。もしも苦労して辿りついた柳の下に、一匹目の泥鰌すらいなかったら? 当分はそこへ取りに行こうとは考えないはずだ。泥鰌が欲しければ他所を当たるようになる。

 僕の狙いはそこだ。幾ら隠し方に自信があると言っても、何度も調べられるとボロが出るかもしれない。なら隠し場所を調べる気を無くさせればいい。泥鰌掬いに柳の下を好きに探らせて、そこに泥鰌はいないと判断させる。しかし実際には、招き入れた僕らがお目当ての物をしっかりと隠している訳だ。


「そしてその上で、その結果に信憑性を持たせる為に、こちらの陣営が皆愚鈍であると信じ込ませなければならない。愚鈍な相手から奪った情報なら、絶対に正しい筈であると思い込む。……お見事な作戦です、ご主人様」


 そういうことだ。

 人が一番騙されやすくなる時と言うのは、得てして相手を見下している時であるという。詐欺なんかも「チャチな手口なんかに自分は騙されない」と思い込んでいる人の方が引っ掛かりやすいのだ。なので精々間抜けを演じてやって、証拠隠滅済み(というか新居なのでまだそんなに証拠を置いていない)の屋敷を好きに調べさせてあげたのだ。こちらの程度を低く見積もっていたら、自分たちの出した調査結果を信じ込まずにはいられないだろう。

 今回の調査人の背後に居る兄もそうである。彼は僕のことを危険人物だとみなしているだろうが、賢いなどとは思ってもいないだろう。何せ貴族の常識とかそういうのは全然身を入れて勉強していない訳だし。彼にとって基礎的な教養としか思えない事を疎かにしているものだから、相当こちらを低く見ているはずである。

 そんな兄が調査をしても何も見つからなかったと知ったら、どう思うだろうか?

 最上なのは僕が大人しくしていると判断して、害意を引っ込めること。そうなれば僕は敵が減って大助かりなのだが……まあ、彼の性格と僕に抱いているだろう感情を思えば、望み薄な線だろう。

 成功ラインに乗ったと言える結果は、兄が僕の秘密は屋敷以外の所にあると考えて、次回以降の調査を見当違いの所に向かわせることだ。相手が時間や人材などのリソースを無駄遣いしている間、こっちは好き放題に出来る。

 最悪なのは、この件から作為を感じ取ってまたこの屋敷を調べにくることだが……それでもラボの入り口の仕掛けを見破るのは並大抵のことではない。元々、あの冒険者たちに仕掛けた策は、あの夜に思いついた咄嗟の策だ。それにしたって割と自信はあるし、事前に相談したヴィクトルも高評価だったので、まず引っ掛かるとは思う。王都の兄や老侯爵殿には、精々館の外でありもしない入口を探してくれるように期待しよう。

 ……だが、あくまでも本命は、ラボへの入り口の隠蔽なのだ。

 僕は手早く鍵を外し、食糧庫への扉を開く。膨大な冷気が噴き出す。


「さて、と」


 懐から通信用の礼装を取り出し、口元に近づける。


「ドライ、入口を持ってきてくれ」


『了解であります、ご主人様』


 瞬間、庫内に変化が生じた。

 パチ、パチと空中に紫電が光り、その放電の中心が撓み空間が捩れる。時空の捩れからは異次元的な色彩の微粒子が猛烈な勢いで噴き出し、それはやがてこの次元に確固とした形状を形作った。

 ――祭壇だ。

 一見すると鼎のような金属製の足を備えたフォルム。それによって支持されているのは、複雑かつ精緻な術式を刻まれた大きな魔法陣。

 そしてその縁には、ドライが浅く腰掛けている。彼女は転移を終えるとすぐさまそこから降り立ち、僕へと一礼した。


「仰せに従い、只今お持ちいたししました」


「うん、お疲れ様」


「……よくもまあ、こんな隠し方を思い付いた物だな」


 ドライが持って来た『入口』をしげしげと眺め、ドゥーエが呆れたように呟く。


「何を言うんだい。これを思いついた要因の一つは、君の発言だよ?」


「は? 俺ェ?」


 呆れたことに忘れているらしい。

 まったく、今度大掛かりな調整をする時は、記憶領域ももう少し弄ってやった方が良いのだろうか?


「君、例の鉱山から帰る時に言ったじゃないか。『便利なもんだよなあ、転移魔法ってのは』って」


 んなこと言ったかな、と首を捻るドゥーエ。やれやれ、一応は彼もこの策の功労者なのだが、自覚無しか。

 僕が彼の発言で思いついたアイディアはこうだ。

 まず新しいラボとこの新居の地下の間の距離。これを一瞬で行き来できるようにしてしまう。転移魔法を使えば、物理的な距離は大幅に無視できるのだ。

 だが、行き来にいちいち転移魔法を使っていたら、術者の魔力が幾らあっても足りない。おまけに消費する魔力は距離と運ぶ質量などに左右される為、大掛かりな物資搬入や実験体の連れ込みも難しくなってしまう。

 というわけで、用意したのがこの鼎のようにも見える形の祭壇だ。

 これは対となる同型の物との間を、転移魔法で繋ぐ大型礼装――名付けて≪ポータルゲート≫。言うなれば特定の地点を地点とを結ぶ、瞬間移動装置である。転移の始点と終点は、対となる装置間に限定されるが、その分安定性は高く、大質量をかなりの長距離運ぶことが出来る。

 これが僕の新しいラボの入り口なのだ。


「その発言で思いついたのさ。この≪ポータルゲート≫みたいな移動装置を使えば、例え居館とかなり離れていても、ラボへと一瞬で行ける。だが、そうなると家捜しされた時に装置が見つかった場合、芋蔓式にラボまで侵入される恐れがあるよね? だから――」


「いざという時は、本家本元転移魔法で装置を一時的に隠してしまえばいい、と。まるで転移魔法の入れ子だな」


「――まあ、そういうことさ」


 装置を床に固定せず、足を据え付けた形にしたのはその為だ。これならユニやドライくらい高い魔力の持ち主なら、転移魔法で持ち去ることが出来るし、量産型奴隷も数人がかりで共通の呪文詠唱をさせれば、何とか同様の事が可能になるだろう。機能と安定性を兼備させた上に、転移で運べる程度に重量を抑えるのには苦労させられたものだ。

 難点と言えば、腕の立つ魔導師に転移魔法の残留魔力を嗅ぎ付けられることだが……その為に奥に設置してある冷却装置があるのだ。あれは稼動しているだけで魔力を垂れ流しているので、ちょっとした魔力の残滓程度はすぐに紛れて消えてしまう。冷却装置単品も十分に高価な代物なので、厳重に鍵を掛けた地下に置いていても不自然ではないだろう。

 ただ、問題があるとするなら、


「ご主人様、早くラボへ向かいませんか? ここは、少し、その……さ、寒いです」


 格好良く登場したと思ったら、ぶるぶる震えだすドライ。彼女の格好は、ビザールな革のビスチェとパンツ、それにマントをつっかけているだけだ。食肉用冷凍庫の中で、カーニバルにでも繰り出しそうな露出度でいるのだ、そりゃ寒いだろう。彼女の意見を参考に組み立てた礼装なのだが、何でもモデルはダークエルフの術師の伝統的なスタイルらしい。まるでよくあるファンタジー物の悪の女幹部である。

 一応、耐寒効果も付与されているが、例え防寒着を着ていても吹雪の中に長時間いれば凍えてしまうのと同じだ。余り長居出来るものでもない。


「そうだね。それじゃあ、さっさと行こうか。……僕も早いところ次の研究に取りかかりたいしね」


 言って、≪ポータルゲート≫に足を掛ける。中心に進んで軽く魔力を走らせると、忽ち回路に刻んだ術式が励起し、向こう側へと僕らを運ぶ。

 密偵にはスカを掴ませた。これでしばらく、敵方は動きを止めるだろう。その間に、こちらとしても出来る限り準備を進めねば。

 そして勿論、僕の本願である不老不死の研究も。

 やるべきことは、幾らでもあるのであった。

 

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