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016 パーティー・ナイト

 

 春の訪れとともに開始されたマルラン領主の新居館建築は、驚くべき速さで進み、そして完了した。

 というのも、この地は辺境である為、館の装飾に凝ることも出来ず、機能面のみを優先して建設を進めたことが一つ。

 また領民を動員するのみならず、領主の子爵が所有するゴーレムを動かしたとかで、かなりの早さで基礎工事を終えられたこともある。

 子爵の座する行政の拠点として建てられたその館は、町の中心であった代官屋敷とは異なり、城市の外に鎮座する。郡の首府であるマルランの町だけでなく、郡全体の行政を執る為、この地方に伸びる街道の交点に近い位置に置かれたのだ。併せて領主のかつての仮住まいであった代官屋敷は、町政を担当する家臣たちの詰め所として残されている。

 新築された屋敷は、館というよりちょっとした小城であった。

 周囲を深濠に囲まれた内に城壁を張り巡らせ、本館には物見の塔が併設されている。町を守る城塞から切り離された以上、これらは賊やモンスターに対する為にも当然の備えだった。

 しかし、虚飾を排し実利のみを追求したような、固く無骨な佇まいは、町を睥睨する代官屋敷とはまた違った意味で、威圧的な印象を周囲に投げ掛けている。

 もしも雷雨の日に迷い込んだ旅人が、稲光の中にこの居館の姿を見出せば、すわ魔物が住まう悪魔の城かと肝を潰すような、如何にも物々しい構えであった。


「何ともおどろおどろしい館だ。あの弟御らしいといえばらしいがな」


 館とも城ともつかぬ建物から離れた、小高い丘。そこに立つ男が皮肉げに呟く。

 糊で伸ばした礼服に、日に焼けていない肌。整えられた髭。身なりからして恐らくは貴族、ただし着衣の質からして、他家に従属するような小身の出であろうと推測される。

 男は尊大そうな仕草で後ろを振り返る。


「いいかね、君たち。これより子爵の居館に向かうが、くれぐれも、そう、くれぐれも気取られることのないようにな?」


 言われたのは、男の背後に離れて控えていた四人の人影だった。

 装いは貴族風の男から一転して、どこか無骨だった。子爵の館に赴くのに見苦しくないよう、精一杯綺麗に身づくろいされてはいるものの、身に纏う物はチェインメイルであったり、ブレストプレートであったりと、明らかに武装である。それも汚れこそ払われているものの、明らかに実戦で使いこまれたと見受けられる、細かな傷がそこかしこに刻まれていた。

 護衛の騎士にしては装備に統一感が無く、また装飾的な物とも無縁に見える。

 そうした特徴を備えながら、貴族と行動を共に出来る可能性がある人種。それはイトゥセラ大陸においては一つしか無い。

 冒険者である。


「分かっているとも。精々護衛の臨時雇われらしく、行儀良く畏まっていろというんだろう?」


 四人のリーダー格らしき軽装の剣士が言った。胸甲を身に付け、肘や膝、脛にも装甲を身に着けてはいるが、身のこなしを阻害しないような工夫がそこかしこに見て取れる。身軽に動き回りながら剣での一撃を見舞う、攻撃的な前衛職といった装備である。


「けど、ご馳走のおこぼれに与るくらいは構わないだろう? お貴族様の宴席にご相伴するなんて、そうそうあることじゃあない。それくらいの役得は欲しいものだ」


「……好きにするがいい。もっとも、私は出来る限り、向こうの差し出すものを口にしたくはないが」


 言って、貴族風の男は鼻を鳴らす。


「何しろ相手は、あの悪名高い【奴隷殺し】であるのだからな……」







 今日、このマルラン領主トゥリウス・シュルーナン・オーブニルの新居館では、方々の関係者を招いて落成記念の宴が行われることになっていた。

 主だった参加者は近隣の領主や郡内の土豪、付き合いや出入りのある商人たち――そして彼にこの地を委ねた本家当主。

 もっとも、子爵の兄である本家当主の伯爵は、王都で放せぬ用があるとして名代を送るに留めていた。だが、それが口実に過ぎず、真の理由は兄弟不仲であるが故というのは、公然の秘密である。

 王都ブローセンヌで活動する冒険者パーティ『緑の団』がここに訪れたのは、その伯爵の名代の護衛と言う名目だった。


「しかし、想像していたよりも殺風景というか、地味なお屋敷だな」


 『緑の団』のリーダーであるガエルは、玄関のホールを見まわしつつ言った。

 床には赤い絨毯が敷かれ、新築だけあって塵一つ落ちていない。だが富裕な者の家にありがちな美術品や装飾の類には乏しかった。絵画は、吹き抜けで繋がった二階へと続く階段の踊り場に、オーブニル家初代当主の肖像画――の模写――が掛けられている程度。ホールの中心に鎮座する彫像だとか、廊下の突き当たりに置かれている花瓶と台座だとか、ガエルが考えていた貴族の屋敷らしい調度は極端に少ないと言えた。


「よっぽど慎ましい生活を送っているんですかね?」


 依頼人である名代の男に小声で訊ねる。

 無視されるかと思ったが、男は首だけ振り返りつつ答えた。


「まあ、そうせざるを得んのだろうさ。この土地は、道中で見た通り田舎であるからな……」


 その声には明らかに侮りと蔑みの色が潜んでいる。

 貴族という職業は、見栄を売りに生きているような商売だ。高額な美術品や家具を家に置くことは、訪れた客に対してそれを示す絶好の機会である。では、この屋敷のように極端に高価な物が少ない場合は? 答えは見ての通りである。他の貴族らに舐められる。最低限、身の回りを飾り立てる余裕すら無いと考えられてしまうのだ。

 勿論のこと、身代に合わない高い買い物を続ければ浪費家と思われるし、揃えた調度が一定の様式を為していない場合は、野暮であるとしてまた軽んじられる。その辺りの匙加減を巧みにこなしてこそ、社交界で一目置かれる貴人というものなのであろう。しかしトゥリウス・オーブニルの場合は、匙そのものを投げ出しているが如き論外である。

 その辺りの事情を肌で察し、貴族っていうのも大変なんだな、とガエルは感じた。


「残念だなァ……貴族のお屋敷ならではのお宝が拝めると思ったんだけど」


 パーティの中でも最年少の野伏が、手をわきわきと蠢かせながらぼやく。

 仲間の魔導師が、「こら」とその頭を杖で軽く小突く。


「痛っ!?」


「止しなさいよ、はしたない。そんなことを言っているから、シーフだなんて陰口を叩かれるのです」


 鍵開けや罠の解除、斥候などを担当する職能を、ギルドではレンジャー或いは野伏と呼ぶ。だが、実際にはそれをシーフと呼称する古い時代の慣例も残っていた。シーフとは盗賊を意味する語だ。時には討伐クエストの対象ともなるそれと混同しない為に、現在の呼び方に改められたのだが、一度根付いた風習は容易に消えはしない。また実際に、レンジャーには足を洗った元盗賊も多いのだ。


「漫才は止めろ。俺たちは今、この貴族の旦那の護衛だ」


「うむ。見苦しいことの無いようにし、依頼人の身命のみならず名誉も傷つけぬよう計らうべきだな」


 ガエルが口を挟むと、同じ前衛職である重戦士も同意した。

 それを見て、依頼人の貴族は溜め息を吐きながらこちらから視線を逸らす。ガエルたちが注意を飛ばさなければ、彼からお小言を喰らっていただろう。

 その時である。


「ああ、これはこれは――」


 ホールの階段を、一人の青年貴族が降りてくる。傍には家臣らしき金髪の男性を伴っていた。

 顔立ちは若い。まだ二十になるかならないかといったところだ。

 服装は奮っていた。金糸の刺繍をちりばめた深紅のジュストコールに、こちらは銀の刺繍を際立たせる黒いヴェスト。首元を飾るのは輝くような白いクラバットだ。王都の夜会から抜け出て来たような伊達男ぶりであるが、惜しむらくはそれを着こなす顔の地味さだろう。決して醜い訳ではなく、むしろ整っている部類ではあるが、どうにも豪奢さに欠けるように見える。穏やかな笑みを浮かべる表情も、どことなくお仕着せの衣装を追っ付られて困っているような印象だ。同伴する家臣の青年の方が、余程このような格好が似合うだろう。


「――どうも、兄上の名代の方ですね? ようこそマルランへ。僕がトゥリウスです」


 そう言い会釈する姿は、如何にも人が良い上に世慣れしない貴族の御曹司という印象であった。ガエルとしたことが、彼について聞かされている様々な悪評を忘れそうになる程だ。

 忘れてはいけない。この青年貴族こそが、ブローセンヌの社交界においてオーブニル家の名を失墜せしめた元凶。【奴隷殺し】、【人喰い蛇】とまで忌まれた男である。

 果たして名代の男はにっこりと笑みを浮かべた。


「いやはや、子爵閣下御自らの出迎えとは恐縮の至りです。いかにも、本日はこの目出度き儀に、兄君の名代としてまかり越しましてございます」


 そして歯の浮くような追従を交えた挨拶である。先程まで口を極めてこの青年を罵っていたとは思えない変わりようだった。

 貴族社会の建前というものに辟易しながらも、ガエル以下『緑の団』のメンバーは、貴人に対する礼として片膝を突く。

 オーブニル子爵はこちらに気づいて小首を傾げた。


「おや、そちらの方々は?」


「道中の護衛にと雇い入れました、冒険者にございます」


「成程。最近は街道も物騒ですからね。……どうぞ、お名乗りを」


 許しが出たこともあって、ガエルは顔を上げた。


「パーティ『緑の団』を率いております、ガエルと申します」


「一応聞くけど、ランクは?」


「はっ。ギルドからはC級との評価を受けております」


「C級か……中堅の中でも上位ってことかな。道中の護衛としては、この人数でも妥当というところだね」


 意外に冒険者の事情に詳しいところを見せるオーブニル。いや、彼が数年前まで王都に君臨していた冒険者【銀狼】の飼い主であることを思えば、その辺りのことは承知していて当然だろう。

 【銀狼のユニ】。ガエルも何度か擦れ違ったことはある。何を考えているか分からない、無表情で不気味な娘だった。腕は確かでクエストもほとんど仕損じず、ソロであるのにもかかわらず異常な量の依頼を短期間でこなしていた化け物である。おそらく館のどこかに居るであろう彼女の存在を思うと、この仕事の先行きに不安を感じざるを得ない。


「むさ苦しい男たちですが、どうか彼らにも閣下の御厚情を賜りたく」


「……ヴィクトル」


「はっ。直ちに人をやって兵舎の方にご案内いたします」


 ヴィクトルと呼ばれた金髪の青年は、優雅な所作で踵を返すと人を呼びに行った。


(第一関門突破、か)


 ガエルは内心で安堵を覚える。この子爵様が他所者の冒険者を入れるのを嫌って、町の宿でも使えと言い出したら、面倒なことになるところだった。

 オーブニル子爵は柔らかく微笑む。


「宴の時間まで、どうぞごゆっくりお寛ぎください。新しいばかりで見所の無い屋敷なのがなんですが」







 ガエルたちが案内されたのは、敷地内に建てられた兵舎だった。有事の際は集めた兵士をここで寝泊りさせるのだろう。通された先は二段ベッドが二組とテーブルが置かれただけの、殺風景な部屋である。


「後ほどお飲み物などをお届けします。それでは」


 案内のメイドが、一礼して退出した。その首には銀色に輝く首輪があった。メイド服と奴隷の首輪。その取り合わせは、なるべくなら拝みたくない顔を嫌でも想起させる。

 それを振り払うかのようにして、ガエルは仲間たちに声を掛けた。


「おい、どうだ?」


「……辺りに気配はありません。特に監視されてるって感じはしませんね」


 野伏の男が耳に当てていた手を下ろしながら言う。

 それを切っ掛けにしたように、他の面子も口を開いた。


「それにしても本当に奴隷ばっかりだな、この屋敷……というか城? は」


「まったくですね。普通なら、メイドは行儀見習いの娘なんかが主に務めるはずなんですが」


「よっぽど人望が無いんですかね? ここの貴族様は」


「むしろ、生きている奴隷がうようよいることが驚きだよな。オーブニルの次男といえば、奴隷を買っては殺す悪趣味野郎って話だが」


「錬金術の実験台にしている、とかいう例の噂ですか」


 と、魔導師。


「どうにも眉唾ですね、その話は」


「そうかい? 錬金術師ってのは不老不死になる為にいろいろ研究しているって聞いてるんだが」


「荒唐無稽なお題目ですよ、それは。錬金術というのは、そもそも物質の永続的な変化にまつわる魔法のことです。薬草を調合したものをポーションに変えたり、武器や防具に魔法を帯びさせて礼装にしたり。そういった物体に摩訶不思議な特性を与えることを仕事にするものだから、胡散臭く見られるのでしょうね」


 魔導師の言葉は辛辣だった。魔法を真摯に学び、それを以てして生き延びてきたからこそ、その一分野に迷信的な悪評を持たれることを嫌うのだろう。

 その反応を面白がってか、若い野伏がからかうように言う


「じゃあ、なんです? あの子爵は実はいい人だったり?」


「そこまで短絡的には言い切れませんよ。錬金術は歴とした学問ですが、それを学んでいる人物が全て善人とは限らない。もしかしたら奴隷を甚振り殺す極悪人がいることだって、無くは無いんです」


「錬金術師が皆変態って訳じゃなく、あの子爵だけが特別変態だってことか」


「まあ、そういうことです。実際、王都時代の彼は軽く調べただけでもあの本邸に入りきらない程の奴隷を買い、多くはそこで足取りを途絶えさせています。幾人かは、ここに移る際にも連れてきたそうですが」


「そして、その中にはあの【銀狼】も混じっていると」


「止せよ、嫌なことを思い出させるな」


 ガエルは思わずこめかみに手をやる。

 【銀狼】の最終的なランクは自分たちと同じくC。だが、実際にはAランクと同等の実力があるとも言われている。その噂を証明するようにBランクで構成されたパーティと揉めた際、単身でこれを殲滅したこともあった。


「しかも、もう一人冒険者を抱えているって話もある」


「【両手剣】とかいうランクBの剣士か。ザンクトガレンの出身らしいが」


「やれやれ。だとしたら困ったことですね」


「ああ、自分たちより上位の冒険者二人を掻い潜って調査だなんて、なあ?」


 調査。

 それが護衛の名目でこの館に潜り込んだ『緑の団』の目的である。

 依頼の大元はオーブニル本家の当主である伯爵、ライナス・ストレイン・オーブニル。

 ――弟が例の悪癖を悪化させてはいまいか、素行を調査せよ。領地に赴いてから、特に音沙汰が無いのが逆に不審である。王都から登用された官吏たちも、抱き込まれている可能性が高く、もしそうであれば常の奴隷虐殺に留まらぬ悪行をしでかしているやもしれぬ。その証拠を掴んだのなら、秘密裏に自分へ届けよ。云々。

 要は兄弟間の暗闘の手駒だ。


「――だが、やるっきゃねえ」


 貴族の走狗に甘んじざるを得ないことに悲観を覚えないでもない。だがここ数年、自分たち『緑の団』の冒険者としての躍進は翳り気味だった。限界が見えたと言ってもいい。中堅の中でも一端を気取れるCランクに上がれはしたが、成長はそこで頭打ちだったのだ。ガエルらには、冒険者としてそれ以上のステージへとのし上がる為に、必要な何かが足りなかった。それは戦闘や探索に関する才能かもしれないし、困難に挑む冒険心かもしれない。具体的には分からないことだ。だが、その為に何年もB級の壁の前で足踏みを続けている。

 そのことを自覚した時、彼らはいつしか安定を求め始めている自分たちに気付いた。命を擦り減らす毎日、同期や先達とのパイの奪い合い、若手の台頭、やがて確実に来る衰え。気が付けばガエルも三十代、相棒の重戦士もだ。そうした諸々に煩わされ、或いは怯えるのに、嫌気が差したのである。魔導師と野伏はまだ二十代だが、この業界に入って十年は越えている。彼らも、成長が緩やかになりつつある己を自覚していた。長く続けても、そうそう高位へは上がれないだろう。

 ならばどうするか? ……冒険者を辞めるしかない。だが、ただドロップアウトしただけでは、戦いしか能の無い自分たちは、今更尋常な暮らしも出来ずに路頭に迷うか、暴力を生業とする犯罪者に落ちぶれるのが関の山だろう。

 そこへ今回の話である。貴族の飼い犬に甘んじ、政争の為の諜報に従事する。それはそれで辛い道だが、少なくとも相手は尋常な人間だ。文字通り人外の怪物に身一つで立ち向かったり、人里離れた秘境を駆けずり回ったり、或いはそんなことを鼻歌交じりにやってのける連中としのぎを削る必要も無い。ガエルたちには魅力的な選択だった。

 幸いと言うべきか、まだ若いライナスには独自に子飼いとする冒険者がいない。自分たちがそれを占めれば、当座は食いっぱぐれが無いだろう。こうした汚れ役は、信頼関係の無い新顔に任せるには勇気が要る。今、伯爵の手を取れば、自分たちが一番の古株だ。そうなれば長く使って貰えるし、容易く失わない為に温存されもする。そういう計算である。


「キツイ仕事だが、これが最後だ。ここさえ乗り切りゃ、晴れて伯爵家の子飼いよ」


「モンスター相手に身体を張る毎日からもおさらば、だな」


「上手く取り入れば、家臣にだってして貰えるかも!」


「その為にも、今回ばっかりはしくじれませんね」


「ああ」


 言って、ガエルは掌に拳を叩きつける。兵舎の部屋に乾いた音が響いた。


「俺らの未来が掛かっているんだ。【銀狼】にも【両手剣】とかいう余所者にも、邪魔はさせねえ……!」







 そして、その夜。

 屋敷の広間には円卓が幾つも並べられ、その上に料理を盛った皿が所狭しと置かれている。領民から献上されたのか、肉類は牛、羊、豚、鳥と各種が揃って充実しており、各々香ばしい湯気を立てていた。山国であるのだが、わざわざ国境を越えて商都カナレスから取り寄せでもしたと思しき、魚介の類も供されている。中でも大人の腕で一抱えほどもある海老の蒸し焼きは圧巻であった。

 マルラン領主トゥリウス・シュルーナン・オーブニルの、新居館落成を祝う夜宴である。この日の為に精一杯の贅を凝らしたと偲ばれる席に、ガエルらも軽く身だしなみを整えた上で紛れ込んでいた。本来なら平民など摘まみ出されかねない場であるが、今回の宴には領内の富農も招かれている。その論法でいけば、派遣された名代の護衛である『緑の団』も、立派な客と言えなくはない。

 貴族、商人が着飾った姿を晒す場は、無骨な装いの冒険者たちにとって酷く居心地が悪い。早く始まらないものかと焦れるガエルの視線の先で、ようやくトゥリウス・オーブニルは演壇の上に立った。


「皆さん、本日はこの屋敷の完成を祝う催しにお集まり頂き、誠にありがとうございます」


 新たに立てられた子爵家の主は、そんな言葉で挨拶の口火を切り、


「――まあ、自分の如き若造がくだくだしく長話と言うのもなんですね。皆さん、楽しんでいかれてください。以上です」


 ……そして、速やかに幕を引いた。

 ガエルの目から見ても、何かの冗談としか思えない振る舞いである。普通は国王や教会への感謝の念を述べたり何だり、そういう物を交えた上で行われるのが、このような場での挨拶では無いのだろうか? 見れば周囲の賓客たちもポカンと口を開けたり、失笑を漏らしていたりする。ヴィクトルとかいう家臣の青年など、羞恥を覚えたのか天を仰いで目を覆っていた。


「……これは伯爵家の系譜に連なる方とは思えぬご振る舞い」


「わ、我々を待たせまいと気を使っているのでは?」


「馬鹿な。礼を尽くすという意思を示す為にも、まずは言葉を尽くさねばならんものだろう」


「子爵位こそ賜ったものの、実態は都からの追放と聞いていたが、得たりよな……」


 貴族と思しき年配の者たちなどは、このように露骨な不快感すら滲ませていた。供されたワインを舐めながら口々に呆れと落胆の言葉を言い合う。

 無論、聞えよがしに声を上げるような無作法はしない。その所為か、演壇を降りて客の挨拶を待つトゥリウスは、囁き交わす賓客らの様子に小首をかしげるなどしていた。


「リーダー。あのお坊ちゃん、俺らが調べなくてもその内、不手際で改易になるんじゃないんですか?」


「しっ!」


 迂闊に口を滑らす野伏を叱咤しつつも、内心ではそうかもしれぬと思ってしまう。

 畏まった場での作法すら知らないガエルから見ても、トゥリウス・オーブニルの振る舞いは問題外だった。正直、あの稚気じみた青年が貴族社会の中で無難にやっていけるとは思えない。何しろこの場に集まった関連する貴族全員に、良くてもうつけ、悪くて暗愚との印象を抱かせてしまったのだ。そしてその情報は社交界の情報網に乗って、瞬く間に広まっていくだろう。それくらいは冒険者に過ぎぬ自分にも分かる。同業者の情報について目を光らせ耳をそばだてるのは、どの世界でも同じであるからだ。

 そんな中、二の足を踏む貴族たちを後目に子爵に挨拶に向かう一団がいる。商人たちである。


「いやあ、子爵様は大層ユニークな方でいらっしゃる!」


「しかりしかり、時は金なりと我々の業界でも言いますしな」


「どうも、ポーションの流通に関して取り引きを持っているものです。今後ともよしなにお付き合いを」


「何でも、近々鉱山に手をお着けになると? その際は是非とも私どもも一枚――」


 などと阿諛追従の嵐であった。

 本家名代の男は鼻を鳴らす。


「ふん……先の見えた相手によくもやる」


「おそらく与しやすい相手が治めている内に、利権に喰い込んでおこうという腹でしょうな」


 ガエルはそう推測する。おべっかを使いながらも、商人たちの目には敬意は無い。むしろ、上玉の娘を養う家に貸し付けを申し入れる時のようにぎらついていた。言葉巧みに取り入り、領内の経済に根を張り、金の流れを握る。この地が将来領主が変わろうが国に召し上げられようが、商人たちの投資で回っている事業があれば、早々排除はされずに長い間金蔓を掴んでいられるという寸法だ。

 果たしてそんな目論見に対しオーブニル子爵は、


「いやあ、今は祝い事の席ですし――」


 そう明言を避けた。


「――ささ、それよりも冷めないうちに料理をお召し上がりになって下さい。カナレスから取り寄せた物も多く、彼の地より来られました方には飽いた食材やもしれませぬが、どうぞどうぞ当家の味付けをご賞味頂きたく」


「う、うむ」


「閣下直々のお勧めとあれば……」


 中々に気を利かせた躱し方ではある。が、何故それを挨拶の際に出来なかったのか。ガエルからしても理解に苦しむところである。


「それより旦那。名代の仕事は良いのかい?」


「分かっておる……今行ってくるわい」


 促すと、名代の男は忽ちの内に渋面を引っ込めて挨拶に向かった。

 それを見ながら、貴族というのも大変なものだな、とガエルは再び思った。単純に実力が物を言う冒険者と違って、あれこれ余計なしがらみが多い。だが、そこには実力主義の荒んだ社会には無い、ある種の安定があるのも確かなのだ。

 とつおいつ考えていたところ、


「お客様」


 ガエルらに声を掛ける者がいた。

 振り向いて、思わずぎょっとする。彫像めいた、美しくはあるものの堅さを孕んだ容貌に、感情を窺い知れぬ取り澄ました表情のメイド。そして、その首元には異名の由来となった銀の首輪が輝く。


(ぎ、【銀狼】……!?)


 このマルランにおいて、最も出会いたくない相手がそこにいた。

 間違いなく、【銀狼のユニ】だった。確か年は未だに十代、数年ぶりに見た姿は幾分か背が伸び、体つきもより女性らしくなってはいたが、間違いようが無かった。


「な、何か、用かな?」


 咄嗟に平静を取り繕いながら、驚きに固まっている様子の仲間を肘でつつき正気付かせる。

 何故、自分たちに声を掛けた? もしや調査を目的にしていることを気取られたか?

 平素を装った顔の下で焦燥に駆られるガエル。彼に向ってユニは、


「……お飲み物は如何でしょうか?」


 酒瓶と人数分のグラスが乗った盆を差し出す。

 思わず、ずるりと肩が下がるところであった。


「あ、いや……結構。我らは護衛の任を帯びた身だ。よもや子爵閣下の館で何かがあるとは思えぬが、念の為に酒の類はご遠慮願いたい」


「左様にございますか。では、失礼いたします」


 言って一礼し、ユニは立ち去っていく。

 その背を見送りながら、ガエルら『緑の団』一同は盛大に安堵の息を漏らす。


「驚かせやがる。ただの持て成しかよ……」


「にしても……本当にメイドだったんだな、アイツ」


「昔からエプロンドレスの冒険者なんて、一体どんな酔狂かと思っていたんですが……」


「兼業で本当にメイドまでやっているとは思わないですよね、普通」


 全くである。そしてそんな兼業冒険者が、自分たちと位階の上では並び、実力面では大きく突き放しているという事実。それを思うと我が身を省みて虚しくなってしまう。


「ですが――」


 とパーティの魔導師が口を開く。


「彼女がクエストを受けなくなって三年近く。その間、メイドに専念していたというなら、我々にとっては助かることなのですがね」


「ブランクがある、と?」


 確かにそうだ。冒険者も人間である。幾ら実力を高めても、それを振るう機会が無くなれば、急速に腕を落としていく。馬房に閉じ込められたきりの馬が速く走れなくなっていくように、冒険しない冒険者も衰えていくのだ。

 もしそうであれば、付け入る隙は思ったよりも大きいことになるのだが。

 ちら、とユニの向かった方を見る。彼女は賓客の貴族の一人に応対していた。


「おい、君ィ。私がグラスを乾してから大分経つというのに、随分と遅いではないかね?」


「はい、申し訳ございません」


「早く注ぎたまえ。……まったく、平民などより先に貴族の動向を気に掛けるのが筋というものだろうに」


「仰る通りにございます。全て私の不徳の致すところと存じます」


 ガエルらは目を丸くする。

 あの王都に威名を轟かせた【銀狼】が、見るからに野卑な中年貴族の言い掛かりに、ペコペコと頭を下げているとは。かつてはお上りの冒険者が同じことを彼女にしたら、忽ち首を刎ねられていたものである。だというのに、この様は何だ。まるで本当にそこいらにいるただのメイドそのものではないか。

 驚愕は更に続いた。


「んん? 本当に謝りたいと思っているのか……な~っ?」


「ばっ!?」


 見ていたガエルが思わず、馬鹿なと声を上げかける程の暴挙だった。

 言い掛かりを付けていた貴族の男は、ユニが抵抗の意思を見せないのをいいことに、そのスカートの上からも形良いと分かる尻に、芋虫めいた太い五指を喰い込ませたのである。

 ぎゅうっという音が聞こえてきそうな掴み方だった。倒錯的な嗜虐趣味を抱いているとしか思えない。それで毛筋ほどの反応も返さない彼女の度胸は流石と言えたが、この場合、拒絶すら返さないのは悪手と言えよう。中年貴族は下卑た笑みを浮かべて彼女の耳元に口を寄せる。


「謝罪の言葉なら、後でゆっくりと聞こうではないか? な? 君の主が用意してくれた、私の部屋で……な? な?」


 聞こえた訳ではないが、そんな風なことを言ったのだろう。唇の動きで分かる。そして抓り上げるようにきつく柔肉を掴んでいた手が、一転して蛞蝓のようにやわやわと動いた。


「……」


 ユニは答えない。嫌ではあろう。だが、貴族に向かって素直に嫌と返せないのが、彼女の身分だった。銀の首輪を嵌めるとは、本来ならこういうことなのだ。むしろ冒険者時代の振る舞いこそが、奴隷として異常だったのである。ガエルは今更ながらに、それを実感してしまった。

 止めに入ろうか、と一瞬考えた。

 周りの客は、気付いていながらも止めようとはしない。累を恐れているのか、あるいは見目良いメイドが客に摘ままれるくらい、有り触れたこととしているのか。いずれにせよ、オーブニル子爵に軽侮を抱く連中に止めに入る動機は無い。動くとしたら、ガエルたちしかいなかった。

 この依頼の最大の障害と思しき存在とはいえ、これ以上【銀狼】の落ちぶれた姿は見ていたくなかった。仮にも、自分たちではとても敵わないと認めさせられた、凄腕の元同業である。それが彼女の業績も知らぬ、盛った牡犬がごとき輩に穢されるのは、冒険者として看過できない。衰えと限界を感じ、冒険無き安寧を求めていたロートルの、最後に残された意地が疼く。隣に立つ相棒の重戦士も、眉をビクビクと痙攣したように跳ね上げさせている。

 だが、その堪忍袋の緒が切れる直前、


「何をしておいでなのです?」


 彼女の主である、トゥリウス・シュルーナン・オーブニルが場に割って入った。

 貴族の男は、女の尻にやっていた手を弾かれたように引っ込める。


「あ、ああ、いや……どうも、この娘がちょっとした粗相を」


 舌打ちを押し殺したような愛想笑いであった。

 何が粗相か、とガエルの方は堪え切れず小さな舌打ちを漏らす。ただの助兵衛心から出た言い掛かりではないか。


「おや、そうですか。それは申し訳ない」


 答えを聞いたオーブニルは、即座に頭を下げた。周囲の客がどよめきを生じる。


「こ、これはオーブニル殿! 異なことを……」


「いえ、家僕の教育は主の務め。客人に対し粗相があったとすれば、この僕がお詫び申し上げるのが筋というもの。どうか、この顔に免じて彼女を許してはくれませんか?」


「う、うぬ……!」


 オーブニル子爵の陳謝に、貴族の男の顔は盛大に歪んだ。宴席のホストが直々に謝罪したのである。これで重ねて追及すれば、雅量の無さを周囲に喧伝するようなものだ。

 そこへまるで追い打ちのように、ユニも跪いて叩頭する。床に頭を擦るような、最大級の謝罪だった。主が立って頭を下げている以上、奴隷はそれよりなお遜って見せねばならないのである。


「私からも、重ねて無礼をお詫びします。どうか主の言をお聞き入れくださいませ」


「そ、そこまで言われては……」


 貴族はユニを無視してオーブニル子爵に向き直る。


「お、お顔を上げて下され子爵殿。謝罪は受け入れる。こ、こちらこそ、目出度き儀を要らぬ騒動で乱したようで、あいすまぬことをした……」


「分かって下さいましたか! いやあ、ありがとうございます!」


 オーブニル子爵は、顔を上げると満面の笑みを見せた。

 それでその場は収まった。件の貴族は不満げにしながらも別の席へ去り、周囲の賓客もそっぽを向いて関係の無い雑談に興じる。後には子爵と尚も叩頭し続けるユニが残った。


「もう立っていいよ、ユニ」


「いえ、この度は目出度き席でご主人様の面目を傷つけてしまい――」


「それも含めて、もういいと言ったんだよ。僕は怒っていないからさ」


「……はい。深甚なご慈悲を賜り身に余る思いです」


「それより、ちょっとそのままでいて。いいね?」


 ユニを立ち上がらせると、オーブニルは手ずからスカートの汚れを払ってやった。

 そこまでせずとも、新築の館の上に掃除も行き届いている。埃など付いていないだろうとガエルは思う。だが、最後の所作でようやく意図が了解出来た。


「はい、これで仕上げ。後ろを向いて」


「後ろ、ですか?」


 そうして彼は彼女の――あの野卑な男に触れられた辺りを清めるように軽くはたく。それは酷く優しげな手つきであるように見えた。


「あ……っ」


「汚れは落ちたかい、ユニ?」


 その言葉に、顔に理解の色を浮かべたユニは最敬礼でもって主に対する。


「……はい。ありがとうございます、ご主人様」


 礼を述べる言葉には、何とも言えない万感の情が籠っていた。


「……」


「……」


「……」


「……」


 ガエルたちは、その光景に唖然としていた。

 今の声は何だ?

 胸のときめきを懸命に押し隠したような、微かに震えた声は?

 今のが本当に【銀狼】の上げた声か?


「なあ、リーダー」


「何だ」


「人違い、じゃねえのか?」


「だと良かったんだが……」


「でも、あの顔は見間違いようが無いですし……」


「名前も同じみたいですしねー……」


 彼女が貴族に難癖を付けられながらも黙って耐えていた時以上の衝撃だった。

 あれならば、まだ職務の為に忍耐を振り絞っていたと解釈できる。

 だが、今のは無理だ。

 どう考えても主に自分を気遣われて喜んでいるとしか思えない。それも熱烈に、だ。


「なんというか、まるで本当に普通のメイドみたいな喜びようだったぜ……」


「というより、むしろアレは主との道ならぬ――」


「待って下さい! それを言われたら本当にあの【銀狼】のイメージが!」


「ていうか、同名のよく似た別人と言われた方がまだ納得しやすいですよ」


 まったくだ、とガエルは肯いた。

 見れば、当のユニはこちらの観察に気付いた様子も無く仕事に戻っている。表情は澄ましたものだが、何となく足取りが軽い。素人目には分からないだろうが、何度か擦れ違った程度とはいえかつての彼女を見知った者からすれば、明らかに隙だらけな歩き方だ。あの獣が飛び掛かる直前を思わせる緊張感を常に湛えていた、以前の彼女と比べると、雲泥の差である。あれでは本当にただのメイドと変わらない。


「【銀狼】は衰えた……と見て良いんでしょうかね? これは」


 魔導師の言を否定する材料は、即座には見当たらなかった。

 そして少し考えても同様だった。

 ガエルは複雑な思いを感じながらも口を開く。


「だとしても、だ。何かの切っ掛けで昔のアレを取り戻すってことも考えられる。何より、俺たちが衰えたヤツより更に緩んだら意味が無い」


「だな。それにもしかしたらもう一人冒険者を抱え込んだとも聞いてただろ?」


「【両手剣】とかいうザンクトガレンの剣士ですか」


「もしかしたら、【銀狼】があの様だからテコ入れとして雇ったんですかね?」


「……かもしれん」


 気づけば、夜も更けていた。宴も間もなく終わり、ガエルたちの仕事の始まりも近い。


「いずれにせよ、油断は禁物だ。俺たちは俺たちの仕事を果たすまで、だからな」


 そう言い、自他共に気を引き締めた。

 家人が寝静まったところを見計らい、夜陰に乗じてこの館を隅々まで調査する。宴に招いた客を泊めるのだから、万一の事が無いよう警備は厳しいものとなるだろう。たとえ最大の懸念であった【銀狼】が脅威としての度合いを弱めていたとしても、そうそう容易い仕事ではない筈だった。

 

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