014 四人目の不適合者
「よし、今日の分はこれで終わり。……ああ、決裁が少ないって、何て素晴らしいんだろう」
チェックとサインを終えた書類を机に投げ出し、僕ことトゥリウス・シュルーナン・オーブニルは大きく伸びをした。
窓の外には小雪がちらついている。季節は初冬である。
内陸部にあり、山が多いマルランの冬は厳しい。そう聞いているし、実際この屋敷の隙間風からそれを察してもいる。石油だのガスだのどころか、石炭だってまだ実用化されていないイトゥセラ大陸では、冬の寒さはそれだけで恐怖の対象だ。毎年のように凍死者が出るし下手な寒村だと全滅の恐れさえある。沿岸部に近い地域ではそうでもないが、このマルランは内陸の山地。冬将軍の直撃コースである。当然、その対策の為にも予算は大分使っている。いきなり死者をゼロに、というのは難しいだろうが、少なくとも三代官が乱脈な経営をしていた時代よりはましだろう。
「にしても、家臣団の召抱えが間に合って良かった。これが少し遅れていたら、僕らだけで民の越冬対策を考えなきゃならなかったんだからね……」
そう思うと、気温の冷たさ以上の寒気が背筋を這い上ってくる。
あの兄上の事だ、下手に多くの凍死者が出たら僕の経営手腕がどうのこうのと、細かい難癖を付けてくるに決まっている。勿論、それ一つで改易に持って行くのは難しいだろうが、想像しただけでストレスが溜まりそうだ。
「はい、ご主人様。彼らの働きは実際目覚ましいものがあります」
言って、どうぞと湯気の立つティーカップを勧めてくるユニ。
僕は軽く礼を述べてそれを受け取ると、湯気で唇を湿らせた。冬場は乾燥するから困る。
「まったくだ。徴税に、経理に、工事に、民の陳情対策に……そういった面倒を良く処理してくれるよ」
特にあのルベールと自称ヴィクトル・ドラクロワ・ラヴァレ――本名、ヴィクトル・ドラクロワ・ロルジェ――は良い拾い物だった。片や失意の部屋住み生活にもめげず、自己研鑽を怠らなかった苦労人。片や自分の才能の証明と、亡き母への思いに駆られる野心家。二人とも経験には乏しいものの、内政家としての手腕は、僕など及びもつかない。
彼らがいなければ、折角の収穫量増大も碌な徴税が出来ずに大部分を腐らせる羽目になるところだった。新産業として当て込んでいたポーションの取り引きも、多少買い叩かれたが何とか形になるまで持って行ってくれた。
本当に領地の経営とは難しいものである。王都で僕がやっていた個人的な取引とは、まるで商人の態度が違うんだから、参ったものだ。やはり餅は餅屋、貴族らしい仕事は真っ当な貴族に任せるに限る。脳改造を施した彼らは絶対に裏切ることが無いのだから、どんどん丸投げにしていこう。
そして僕は研究に打ち込むのだ。
「さて、と。それじゃあ僕らは本来の仕事に向かいますかね」
「はい。既に準備は整えております」
いつものようにユニを伴い、カップとソーサーを持ったままラボへの移動を始める。
途中、擦れ違った官吏に「行儀が悪い」とお小言を喰らったが、まあそれは愛嬌だ。外ではなるべくしっかりするから、勘弁してほしい。
「思うんだけどさ、ユニ」
「はい」
「この屋敷も、そろそろ手狭に感じてきたよね」
「本来は仮住まいでありますので……」
そうなのである。
事ここに至っても、マルラン郡の領主である僕の屋敷は、まだ完成していない。
というか、家臣団を再編し徴税の仕事を済ませて、間もなく冬に入ったので、まだ縄張りすら張っていない状態だ。
「家臣団の皆様も、早めに本宅建築に取りかかられますよう嘆願しております。何でも、格好の公共事業であるとか」
「まあ、仮にも子爵の住む館だもんね。それなりに大きな屋敷になるだろうさ」
どこか他人事のようにそう言う。
というのも、だだっ広い屋敷に主として住む自分が、ちょっと想像できないのだ。実際、家臣団を拡張する前はこの仮住まいでも十分に満足していたことでもある。ドゥーエなどは、金遣いの荒い割に妙な所で貧乏臭い、とよく笑うものだ。
だが、そうした奇妙なわがままを続けるのにも限界が来ている。現在は仕事に詰める家臣団が引っ切り無しに廊下を往来しているのだ。この時代の貴族の居館は、例えるなら公邸と庁舎を兼ねているようなものである。ここの場合はそれに加えて錬金術のラボまで付いてくる。元は準男爵が精々の代官屋敷では、あっという間に支障を来たすだろう。
雪が融けたら、すぐにでも新居建築に動き出さねばなるまい。
「それにしても、公共事業とは……随分と進んだ案を考えるじゃあないか」
言いながら、僕は改めて感心した。公たる領主が働き手を募り、労働を課すのと引き換えに相応の賃金を約束する。封建主義がまかり通るこの大陸では、目を瞠るほど先進的な提案である。
他所はどうだか知らないが、この国の貴族は、浪費家の癖に目下の者に対して金払いが悪い。自分の居館建設の為に平民を働かせたって『貴族に奉仕するのも民の義務』の一言で済ますのがオチだ。それを明文化して制度化した賦役制度なんてものもある。大きな工事に参加した農民は、代わりに麦の年貢を低減するという制度だ。けれど、僕の見たところマトモに機能しているようには思えない。
なにしろ農民は慣れない建築作業に従事させられる上、貴族の側も賦役で年貢が減る分の元を取ろうとして扱き使うのだから、それはもう事故が頻発する。新領主の居館を作るなんていう大工事ときたら、死人の二桁は覚悟しなきゃいけないだろう。また、あまりにも作業が過酷なものだから、工事に使う鋤やツルハシをそのまま武器に変えて、一揆を起こされてしまうなんてケースすらあるのだ。それに税が下がるとはいえ、働き手を大量に取られるのは変わらないので、田畑が荒れてしまい貴族と農民のどちらも収支が赤字に、なんてこともある。
え? それなら奴隷を使えばいいんじゃないかって? まあ、魔法の使える奴隷なんていうものを二十人程抱えている僕なら、迷わずそうするところだ。けれど、僕は例外である。基本的に奴隷というのは、社会で身を立てられなくなった者の末路なんだから、有為な技能を持っているケースは少ない。
ウチの奴隷たちが魔法を習得していてそれなりに有能なのは、ユニのデータを流用して脳味噌を弄くっているからであって、有為な奴隷がそうホイホイ売っている訳は無い。また工事に使えるだけの能力は、あったらあったで、格好のセールスポイントだ。奴隷商人たちが売る時に高値を吹っ掛けてくるのだろうし、常に買えるとは限らないくらい希少な存在だ。そして多少の凡庸さ、無能さに目を瞑り、安い奴隷を揃えて工事現場に送っても、ろくすっぽ教育を受けていない素人の作業では、賦役を課された農民よりも酷いことになる。
というか、土いじりや集団作業に適性がある分、農民の方が大分ましだ。事故の頻度は更に上がるだろうし、死んだり使い物にならなくなったりしたら、また買い足さなければいけないだろうしで、踏んだり蹴ったりである。
だから、大部分の貴族は一時的な工事の時には賦役制度を利用するのだ。無論、鉱山や一部の果樹農園などのような、長期的に人手を拘束する職場では、奴隷がバリバリ使われるんだけれども。
話が逸れた。まあ、そういう制度が一般的なこの国では、公共事業という概念は耳慣れないものであるのだ。現に口にしたユニも不思議そうにしている。
「私にはよく分からない概念です。我々が魔法で手早く済ます訳にはいかないのでしょうか」
「うーん、そうだなあ……」
と、僕は歩調を緩めて考え込む。ユニの疑問を解消してやりたいのは山々だが、残念なことに僕の専門は錬金術だ。政治、特に内政なんて興味はあまり無い。なので上手く解説出来ないと思うのだが、
「ま、いっか。僕なりの解釈なんだけれどね――」
とりあえずやるだけやってみる。どうせ歩きがてらの暇つぶしだし、真面目にやるだけ損だ。それに間違っていたら、親切な誰かが訂正してくれるだろう。ルベールとかヴィクトルとかが。
「――思うに彼らの狙いは、土地の平民を働かせることでも、それによって工事が上手くいくことを期待している訳でもない。工事の賃金という形で、平民にお金を持たせることだろう」
「お金を持たせる、ですか?」
「そ。何しろマルランは田舎で、今年まで酷く税が重かったからね。平民たちの財布は素寒貧だろう。それに特産物も無いから売る物も買う物も無い。どうにも商人にとっては食指が動かない土地だと思わないかい?」
無い無い尽くしの無い尽くしだ。こんなところに来る商人は、余所でパイにありつけなかった零細か余程の物好きか、そうでなければ前代官たちと癒着していた連中くらいだろう。
「ですが、今年からは状況が変わりました」
「うん、僕らが変えたね」
減税の布告を出し、錬金術で田畑を手当てし、新たに薬草栽培というビジネスも持ち込んだ。商人の往来は、かつてとは比較にならないほど盛んになるはずだ。
「その変化した状況に、マルランの民も早く巻き込もうってことさ。考えてみてよ、商人が来れば、平民が買いたくなるような商品も持ち込まれるだろう。もしその時、彼らの手元に十分なお金が無かったら? 涙を飲んで諦めると思うかい?」
僕の問いに、ユニは少し考えて、
「いいえ、思いません」
ときっぱり答えた。僕もそうだね、と肯きを返す。
今現在に限れば、マルランの民は僕に感謝しているだろう。代官の悪政を改め、土地の回復や灌漑にも成功した。今までの地獄のような生活から救ってあげたのだ。僕の統治を、それはもう喜んでいるだろう。今は。
だが、人間は欲深い生き物であるし、大衆は決して草だけを食んで満足する羊ではない。今までは人並み以下の暮らしをしていたから、人並みの生活で満足しているが、いずれはそれに飽き足らなくなって次を求めだす。古代ローマでは『パンとサーカス』という言葉で大衆の需要を表現した。けれども、彼らは「人はパンによってのみ生きるに非ず」と説く教えに帰依したし、サーカスも同じ出し物が続けば飽きられるものだ。というか実際、パンに満足せず吐くまで珍味佳肴を腹に詰め込んでいたし、ただの曲芸では物足りずにコロッセウムで剣闘士を戦わせてもしてたっけか。
まあ、この世界では僕くらいしか知らないだろう歴史は置いておいて、だ。要するに、人は生活が安定すれば次は娯楽を求める。そして、生活の水準を維持しつつ娯楽を得るには、兎に角お金が掛かるのだ。
その時、自分の欲求を満たす為の金が無かったら、人は何を思うのか?
大抵の場合はこう言って不満を露わにする。政治が悪い、と。
「だからさ、彼らが物を買えるようにお金を得る機会を与える訳。でもタダでお金を配ると、民に舐められるし、他の貴族にも胡散臭く思われる。商人なんかだと、悪戯に金を撒くような輩は、カモにはしても信用なんて絶対にしない」
甘い顔をすれば人に好かれる、なんていうのは虫の良い考えだ。大抵は良い人などとは思われずに、都合の良い人だという扱いを受けるだろう。対価も無しに金を与えたりすれば、大抵の人間はそれで腐る。働かなくても食えるのだ。勤労意欲が削がれ、やる気を無くす。それでいて食い詰めれば、また金をくれと言い出し、金をやらなければ不満を持つようになる。甘やかされた子どもと同じだ。甘やかしを止めると、すぐに癇癪を起こす。
また、その時甘い顔をされなかった者も、その人に不信感を抱く。貴族だって金は欲しいに決まっている。なのに自分より身分が低い者に無条件で金を配る相手など、よく見える筈が無いだろう。
そして、自分が大事にしている物を粗略に扱う相手を、人は決して信用しないのだ。金遣いが荒い輩に対し、商人は決して胸襟を開かない。こちらの蝦蟇口は幾らでも開かせようとしてくるだろうが、そこまでだ。信頼のおける取り引きなどせずに、売れるだけ売りつけ、搾れるだけ絞って、後はさようならである。長期に渡る緊密な関係など見込めないだろう。
「だから公共事業なんて一見、迂遠な方法を使うのさ。こうすれば労働を対価に、給金を与えたという形式になる。飴と鞭を両立させているのさ。領主の権威や面目を守りつつ、領民の意欲を無闇に削がないまま、必要なところにお金が行き渡るようになる訳だね。ついでに、事業に関わる諸々の発注が、また新たに商人を呼び寄せる為の蜜にもなる」
そう解説してやると、彼女も成程と肯いた。
「ようやく得心がいきました。流石はご主人様」
「いや、まあ、これはあくまでも僕の解釈さ。間違っているかもしれないから、正確なところが気になるなら、後でルベールたちにでも聞いておいた方が良いよ」
僕はそう小賢しい予防線を張っておく。今話したのは、本来僕の専門外の話だ。領主なんて身分にあっても、僕の本業は錬金術師で、本願は不老不死の実現である。内政だの統治だのは考える気も無いのだから、洗脳した家臣団なんて用意したのだ。公共事業の是非についての講釈など、専門家の方に回して頂けるようお願いしたい。
などと考えていると、彼女も軽く溜息を吐いた。
「それにしても……政治とは面倒な物でございますね。いっそのこと、領民全員の脳に手術を行いましょうか?」
「……あっはっはっ!」
思わず声を上げて笑ってしまう。そう言った機微には疎いように見えて、意外とユニも冗談のセンスがあるものだ。
「無茶言っちゃあいけないよ。手術費用だってタダじゃあないんだし、時間だって取られるんだから。流石にマルラン全土で、ってのは無理だってば」
「それもそうでした。……愚かな発言をお許しください」
オマケに真面目くさった顔で謝ってくるものだから、更に面白くっていけない。まったく、それが最初っから無理だってことは、彼女自身にも分かっているだろうに。
お陰で僕は、ラボに着くまで懸命に笑いを噛み殺していかなければならなくなった。
子爵就任から数カ月、すっかり馴染んだ感のある我がラボである。
しかし、例の家臣団大量雇用の際には収容能力がパンクしかかり、作業を行う量産奴隷たちも困り果てていたものだった。元々王都のオーブニル家本宅よりも小さな屋敷の地下だ。これまでよく僕の研究を支えてくれたが、ここともお別れが近いだろう。
その前に、オーパス04の改造および調整を済まさなければならない。
「お、お、オーブニルくん……ぼ、僕の改造は、ま、まだ終わらないのかい?」
ラボの手術台には、痩身の青年が半裸の身体を晒しながら拘束されている。
そう。僕とて家臣団に政務の大半を任せて遊び呆けていた訳ではない。このオーパス04を生み出す為に必要なデータを集める実験を……次の『作品』の為の試行錯誤を繰り返していたのだ。
「まあ、落ち着いてくれよシャール。君に施す改造は今までになく大規模でね。少々時間が掛かる」
僕は情緒が不安定なオーパス04――シャール・フランツ・シュミットを落ち着かせようと優しげな声を出した。
「は、ははは……た、楽しみだね……。君の実験はいつも凄い成果が出たからさ……。ぼ、ぼ、僕もきっと、す、す、す、凄い『作品』になれるんだろうね……」
と、僕に親しげに声を掛けてくるシャール。
この様子から分かる人もいるかもしれないが、実を言うと彼は僕の古い知りあいだ。
シャール・フランツ・シュミット。僕が数年前に決闘騒ぎを起こして叩き出された、ザンクトガレンは首都ガレリンにある魔導アカデミーで、学友であった人物である。
といっても、僕とシャールとでは学科が違う。僕はご存じ錬金学科。彼はというと死霊魔法を専門とする降霊学科の出だ。
死霊魔法。錬金術に匹敵するほどマイナーで、同時にそれ以上に軽んじられている分野である。いや、正確には忌み嫌われていると言った方が正しい。何せ死霊を操る魔法なのだ。どうしてもそこには穢れだの死者への冒涜だの、そういった後ろ暗いイメージが付き纏う。実際、教会の中でも過激な原理主義者などは、今すぐ異端指定し滅ぼすべきだ、などと息巻いている。
が、実際には魔導アカデミーに毎年定員割れながらも学科が置かれ続け、細々と命脈を保ち続けているのだ。
何故かって? 有用だからである。
知っての通り、このイトゥセラ大陸には人間や亜人以外にもモンスターが存在する。その中にはファンタジーお約束のアンデッドだって当然いるのだ。ゾンビにグール、スケルトンにゴースト、果てはリッチやヴァンパイア……そうした存在には僕も何度かお目に掛かったこともあるし、中には素材と化してこのラボの保管庫に仕舞われた者もいる。死霊術師はそうしたアンデッドに対する専門家なのだ。
一番この手の相手に適しているのはやはり神聖魔法を使える聖職者だが、その人的リソースのほとんどは治療行為を行うヒーラーに取られ、戦闘的なエクソシストはそう多くない。聖騎士団だの僧兵団だのを擁するオムニア皇国は例外だろうが、他国では常に不足している。なので、消去法的にアンデッドの上位者として振舞える死霊術師は、その対策としてそれなりに重宝されているのだ。自分たちが専門であるはずの分野に、隙間産業的な形で割り入られているのだから、教会としても面白くないだろう。だが、完全に排除すると、今度は自分たちの仕事が超過になるのだ。よって目くじらを立てるのは小うるさい原理主義者くらいで、他の良心的な神官さん方は消極的に黙認しているという訳だ。
無論、死者との対話が行える交霊の価値も低くはない。この世界は印刷技術が未発達だから、文書の複製も効率が悪く、原本が失われるとそれに記載されていた貴重な技術や情報もすぐに失伝する。そういう時に死霊術師が過去の霊と交信することで、遺失した情報の復元が可能となる訳だ。
だが、これもそう万能という訳ではない。死後時間が経ち過ぎた魂は怨念故にアンデッドになったりするし、アンデッドにならなかったものも、どこかへ消えてしまったりする。教会はこの霊魂の消失を昇天と言っているが、怪しいものだ。僕みたいにどこかで転生しているかもしれないし、あの時に感じた喪失感から予期したように消滅したかもしれない。そも、霊魂とは呼び出すまでどこにあるかすら分からず、交信を切った後はどこに行くのかも分からない、謎だらけの代物なのだ。僕が師事していた教授などは、理解出来ないものを理解出来ないまま扱う姿勢を声高に批判していたものである。
まあ、そういう訳で呼び出せない魂もある――というか呼び出せないケースの方が多い――とだけ憶えていてくれればいい。大体、全ての霊魂が呼び出せるのであれば、殺人事件が迷宮入りすることもないだろうし、歴史にも未解明なミステリーが残ったりはしないだろう。そんな世の中は、便利ではあるだろうけれど些か味気無いというものだ。
それに、「魂とはどんなものであるのか?」という謎は、これから僕らが研究して明らかにしていくべきものだと、僕は信じている。
それはさておき、
「勿論だよシャール。何てたって君は、僕の研究の根幹を為す分野における専門家なんだからね。改造を担当する僕としても、気合の入れようが違うってものさ」
「うん、うん、うん……それを聞いて、あ、あ、あ、安心したよ……オーブニルくんの腕は、し、信頼してる」
僕との会話に、激しく吃りながら応じるシャール。
言った通り、彼は僕の研究にとって重要な人材だ。
不老不死。
その実現の為には、知性ある生命の根幹たる魂についての究明が不可欠だ。だが、僕の適性は生体や鉱物など、実存する物質を司る方に向いているらしい。死霊魔法はというと、これがてんで物にならなかった。必死に修練すればある程度は修められるだろうが、それくらいでは大して役に立たないし、あまりかまけていると本業の錬金術にも支障を来たす。ユニやドライも、魔法は戦闘や探索に用いる方が得意なタイプである。
その点、アカデミーではずっと死霊魔法を専攻していた彼は、魂という謎多き概念に挑む研究において、大いに助けとなってくれるだろう。
「僕の方こそ、君の腕前は頼りにしてるさ。懐かしいね、シャール。アカデミーでの事、憶えているかい?」
「う、うん……い、今でも鮮明に、お、思い出せる。き、き、君の実験を、手伝ったこと……た、楽しかったね……」
教授も高く評価してくれた、あの実験のことだ。
霊魂と脳との相関関係を調査する為の実験。あの実験は彼がいないと成立しなかった。消費した実験体の数や人道上の問題から、周囲の評判は芳しくなかったが、僕の不老不死を巡る研究の中でも、特に重要な位置を占めるデータが取れた実験でもある。
「さて、話はこれくらいにして……それじゃあ今日も改造といこうか。ユニ、麻酔と輸血の準備を」
「はい、ご主人様」
言うが早いか、ユニは手早く麻酔を注入し、輸血用のチューブも取り付ける。昔は増血剤で誤魔化していたが、今となっては事前に採血した血液を錬金術で培養することで、輸血が可能になっている。この辺りの技術は、前世の世界の科学力でも実現が難しい、魔法の世界ならではの裏技だ。
「……おや、すみ……オーブニルくん……」
シャールは忽ちの内に眠りに落ちた。
その安らかな寝顔を見て、ユニは嘆息する。
「……よくもここまで変わられたものです。ここに運び込まれて来た時には、大層な悪罵を吐かれておいででしたが」
「そうなるように脳を弄ったからね」
僕は肩を竦めて応じた。
シャールはかつて僕を恨んでいた。その恨みっぷりといったら、骨の髄から僕を仇と憎んでいたような有様である。ドゥーエに命じてオーパス04の素体として引っ立てて来たときなんか、それはもう途轍もない剣幕だった。
話によると僕がアカデミーを去って以来、例の実験へ協力したとのことで酷くいじめられたらしく、彼もまた自ら退学するしかない状況に追いやられたという。それで僕を恨んでいたという訳だ。
で、そのままではとてもじゃないが安心して改造できないので、まずはドライの魔眼で大人しくさせてから、彼女と同様の処置しておいたのである。お陰でだいぶ協力的になり、嫌がっていた手術も嬉々として受けるまでになった。
我ながら良いことをしたものだと思う。憎しみからは何も生まれない。新しいものを生み出すには、まず愛と敬意が必要なのだ。
「それじゃあ、じっくり行こうか。難度の高い施術になるし……何より彼を安全に使うなら、完成までには時間を掛けた方が有効だ」
「はい、心得てございます」
で、それから大体一ヶ月経った。
「――最終調整完了。手術痕の癒合を確認。ご主人様、オーパス04が間もなく目覚めます」
最後の仕上げを任せておいたユニに、僕は肯いてみせる。
長かった。ユニの時ほどではないが、僕がこんなに一つの『作品』に時間を掛けるなんて、そうそうあることじゃあない。実際、単純な能力強化が主眼だったドゥーエとドライは、大体一、二週間で済んでいることを考えると、僕がシャールに掛けた手間暇の程が分かるだろう。
「ようやく04のお目見えかい? 随分とゆっくり手掛けたみてェだが」
「我らとは趣きの異なる措置とのことでしたが、どのような手筈でありますか?」
顔合わせの為にラボへ集合した『作品』たちも、彼への興味を示している。これからは肩を並べる同僚でもあるのだ。当然のことだろう。
「まあ、その辺の事は――」
彼を見て貰えばすぐに分かる、と続けようとしたその時だ。
「っ、04!?」
らしくもなく焦ったユニの声。同時に何かが凄まじい速さで宙を走る。
如何な速度か。『それ』が動いたと同時に衝撃がラボ内を蹂躙し、資料を記した紙束や手術器具が散乱した。
そして部屋の中央には、伸ばしっぱなしの髪を垂らして顔を隠し、幽鬼のように降り立つ影。
オーパス04――シャール・フランツ・シュミット。
「おい! まさか暴走か!?」
「ありえん……ご主人様に限って、そんな!」
ドゥーエとドライが身構え、ユニなどは既に抜刀している。
僕は、思ってもみなかった事態に目を丸くしていた。
……興味深い。
今まで同様の脳改造をし、加えて彼のテストベッドとして製作したプロトタイプたちには、ついぞ見られなかった反応だ。
一体、何が原因で暴走した? 心理的要因? 偶発的な作用? それとも――?
じっと次の挙動を見守る僕らを前に、当のシャールは肩を揺らしていた。
「……くっ。ふふふ……」
笑っている?
訝るこちらを余所に、シャールは笑いを痙攣的に深めていく。
「フフっ、フハアァァァ――ハハハっ!!」
「この狂気、やはり暴走……!」
「ご主人様、処分のご裁可を」
その狂態に排除の意を固めたらしいユニたち。
だが、僕は慎重に手で『待て』と示した。発狂して暴走したならしたで、どんな狂い方をするかは観察しておきたい。
果たして次の瞬間、
「……素晴らしいっ!」
シャールは両手を広げ、黒衣をバサリと広げた。勢い、前髪が翻って表情が露わになる。
……その顔は、傍目にも陶酔していると知れた。
「はあ?」
「この身体中に溢れかえる力っ! 充実した魔力っ! これが……これが新しい僕か! ああ、本当に素晴らしいよっ! 素ぅ晴ぁらぁしぃいぃぃぃ~~~~~っ!」
ドゥーエを始め、突拍子も無い言動に拍子を外された『作品』たちを後目に、シャールは歌うように口上を述べながら、片足を軸にしてクルクルとその場で回り始めた。
……テンションたっかいなァ。お陰でセリフの発声が裏返ったり巻き舌だったりで、えらいことになっている。『充実した魔力っ!』のところなんて、溜めが利きすぎて『ン魔力っ!』って聞こえたくらいだ。ンマ力って何だ、馬力の親戚か?
「もしかして、ですが……能力の向上に伴う興奮により、一時的に理性が喪失していただけ、なのでしょうか……」
呆然と呟くユニ。うん、言われなくてもみんな解ってると思う。
一方、彼はそれを耳聡く聞き咎めると、びしィと音がしそうな勢いで指をさす
「おおぅ! これが興奮せずに、い・ら・れ・る・かっっっ!? 自分が変わり、世界が変わり、全てが変わるゥっ! この高揚は押さえきれるものではないィ! この感動を、どんなふうに表現しよう!? 歌か? 歌が良いのかァい!?」
「取りあえず落ち着いて」
「あ、はい」
命令するととりあえず落ち着いた。服従心を植え付ける脳改造には問題無かったらしい。このぶっ飛んだ様子を見ていると、ちょっと自信が無くなるが……。
「なあ、ご主人。あの根暗野郎が何処をどう弄ってこんな様になっちまったんだ?」
頭痛を堪えるようにしながら言うドゥーエ。シャールの確保を担当した彼からすると、この豹変は些か、いやかなり予想外なようだ。僕だってそうだ。
「……僕に抱いていた敵愾心を無効化する為に、元々あった自分の無力さへの苛立ちや無理解な周囲への怒りに統合・転化させたんだけどね。多分、それが高じて力を得た高揚感が倍加しているんだろう。技術的にはドライに施したものとそう変わらないよ」
そう説明してやると、聞いていたドライは甚だ心外そうな顔をする。コレと同類扱いは嫌なのだろう。ドゥーエ曰く、ドライだってかなり変化したようではあるけれど。
「にしても、これは急に変わり過ぎだろ……吃りが消えたのは良いが、気の所為じゃ無けりゃ見た目も変わったような……」
そう言い、しげしげとシャールを眺める。
以前の彼は病的に痩身で頬骨が張り出した、見るからに不健康そうな青年だった。目の周りも陰気に隈取られて落ち窪んでおり、その気弱な性情が無ければ、如何にも世間でイメージされるような邪悪な死霊術師そのものだ。
ところが施術後は一変した。痩せ型なのは変わらないが全身が均整良く引き締まり、目元もスッキリとした切れ長の、貴公子的な美男子といった顔立ちである。ただ色が異様に白いのは以前のまま――いや、前よりもっと血の気が引いているが。
「多分、種族的な影響だろう」
「種族、ですか?」
ドライが目を瞬く。
「彼、人間辞めちゃったからね。今のシャールは高位アンデッド……人工的なヴァンパイアロードだよ」
「ぶっ! ヴァ、ヴァンパイアロード!? A級冒険者に回されるクエストでも、危険度最上位クラスの討伐対象モンスターじゃねえか!?」
ドゥーエが思わずと言った顔で噴き出した。
その驚愕した表情に、シャールはふふんと自慢げに鼻を鳴らす。
「その通りっ! 僕はマスターであるオーブニルくんの力添えにより、卑賤な人間を超越し逆にそれを蹂躙する側となったァ! 言うなればっ! 夜のっ! 貴・族っ!」
言いながらいちいちバサバサと黒衣をはためかせる。気分が良いのは分かるが、これじゃあ話が進まない。ちなみに、夜の貴族だか何だか言っているが、ザンクトガレン人なのに名前にフォンが入っていないことから分かる通り、彼の生まれは平民である。ドゥーエと大して変わらない身分だ。
「ごめん、もっと落ち着いて喋ってくれる?」
「あ、すいません、調子に乗り過ぎました……」
よし、黙った。
そこへこめかみを押さえながらもドライが口を挟む。
「しかし、よろしいのですかご主人様。私のようなダークエルフは、奴隷という形であれば人間の領域での生存を許されますが、コレはヴァンパイア……それもロードです。もし存在が露見したらコトなのでは?」
確かにその危惧はもっともだ。
幾ら子爵とはいえ、保有しても許されるのは奴隷の亜人種や人間が飼いならせる魔法生物まで。ヴァンパイアなんて危険なモンスターは、たとえ王様でも庇護下に置くことは許されないだろう。何せ人類への敵対者でも指折りの強さだ。その上に吸血した相手を支配、眷族化する能力まで持っている。こんな危ない生き物(死に物?)は、見つけ次第討伐するのが当たり前だろう。彼の製造と隠匿は、僕が今まで行って来た所業の中でも、断トツで罪が重い違法行為である。
だが、僕は気にしない。気にする必要が無い。
「露見したら問題だよね。でも、どこからどうやって露見するんだい?」
このオーブニル子爵領で働く家臣団は、僕に絶対服従だ。彼らからは秘密が洩れることは無い。思考ではなく本能の最上位に、僕の利益を最優先することと設定してあるので、拷問にも口を割らない。このことは既に奴隷で実験済みだ。
「だが、吸血鬼ってことは血を吸うんだろ? それも人の血を。それを調達する過程で足が着くとかは……」
とドゥーエ。多くのモンスターを狩ってきた冒険者らしい意見だ。実際、巧みに身を隠しながらも吸血の痕跡を消し切れずに居場所を割られたヴァンパイアは多い。
しかし、だ。
「おいおい、忘れちゃいないだろうねドゥーエ? このラボには何があるか、さ」
「あん? ……あっ! そういえばっ!」
そう、僕のラボにはヴァンパイアの吸血を隠匿するに打ってつけのものがある。
僕はそれを自慢げに軽く拳で叩いた。
輸血用血液の、培養器を。
「ご覧の通り、血ならコイツで幾らでも作ってやることが出来る。ヴァンパイアの食事を賄うくらい、朝飯前さ」
「僕は夜行性だから、基本的に夜しか食事しないけどねっ!」
どうだと胸を張るシャール。
もしかしてこれは会心のギャグのつもりなのか?
「……それに彼はなるべく表に出さないつもりだしね。戦闘能力は高いけど、本命は死霊魔術への適性向上と高位魔法使用の為の魔力強化だ。どっちも基本的には研究に使うものさ」
「あ、あれ? 流すのかい? ちょっと酷くないかい、オーブニルくん?」
「ところでご主人様。如何に死霊術師とはいえ、よくロードにまで仕立てられましたね? よくもまあ、そんな素材があったものですな」
ドライが質問を投げかけて来たので、何か足元に纏わりついて来たシャールを無視して答える。
「よく聞いてくれたね。実はこれには仕掛けがあるんだよ」
「ほうほう?」
興味津々な様子の彼女に、床に落ちていた書類を投げ渡す。さっき、シャールがはっちゃけた際にばら撒いた物だ。そこに彼に施した改造の詳細が書いてある。
「何々……骨格を段階的にリッチの物へと変更? 心臓や筋組織にデュラハンの物を、流水耐性の獲得を企図して肝臓へケルピーのそれをそれぞれ移植……これは――」
「そういうこと。段階的に身体をアンデッドのそれに挿げ替えていって時間を掛けて馴染ませ、徐々にヴァンパイアの血への適合性を上げていったのさ。これが効果覿面でね、血を入れ替えるだけですぐさまロード級の吸血鬼だ。これも皆が集めてきてくれた素材のお陰だよ」
言うなれば、人間を素体としたアンデッドのキメラだ。まあ、ケルピーはアンデッドじゃなくて精霊に近い獣型モンスターだが。中でもリッチの骨が得られたのが効いている。ヴァンパイアの血液は輸血用培養機で水増し出来るが、骨の方はそうはいかない。これほど上等なリッチの残骸を得られたのは、まさしく僥倖だろう。
資料に一通り目を通したドライは、流石に汗を滲ませている。
「よくもまあ、こんなことを考え付きますね……いや、思いついてもよく実行できますね」
「今更な発言だね。不老不死に至る為なら、僕は幾らだって頭を捻るし、何だってやるよ」
「アカデミー時代からオーブニルくんはそうだったもんねえ」
うんうんと肯くシャール。
「でも、そのお陰で僕は美しく! そして強くなれたんだ! しかもケルピーの臓器の力で、並の吸血鬼と違って流水に阻まれることも無ァいっ! ところで日光への耐性はどうだったっけ?」
そしてそんな事を言い出す。その点については施術前に説明したと思うんだけど。
……ひょっとして、ドゥーエやドライにも聞いて貰いたいのか?
「試算上は、多少の弱体化はすれど日光の中でも活動は可能だよ。ロード級の耐久力、復元力にプラスして、ヴァンパイア以外の肉体的素養を備えているからね。ただ神聖魔法への耐性だけはどうしようもない。なんたってアンデッドの寄せ集めだからさ。この辺りは礼装でカバーかな」
「ご説明ありがとう、マスター! つまり! この僕はっ! ヴァンパイアの中でもエリート中のエリイィーィトっ! それは実力だけでなく弱点の少なさにまで及んでいるのさァ!」
案の定、自慢げになりながらテンションを上げていく。
まあ、僕の『作品』の中でも有数の手を入れたのがシャールだ。得られた力は莫大であるし、多少調子付くのも仕方ない。
「で、彼がどんなものだかは理解できたかい?」
「あ、ああ……色々な意味でな」
「正直、この調子を続けられると疲れますな。ご主人様、次にお作りになる『作品』はもう少し静かなものにしていただきたいのですが」
げんなりとした様子のドゥーエとドライ。シャールと付き合うのはよっぽど疲れるのだろう。僕だってそうだ。改造前の人格からして、もう少し無口になるかと思っていたのだが、こうまで変貌するとは予想外だったのである。
僕は、
「まあ、善処するよ」
とだけ答え、その場は解散とした。
「ご主人様。オーパス04のことですが……」
二人きりになった途端、ユニはそう切り出して来た。
まあ、彼女のことだからシャールについて疑問を感じているだろうとは思う。
僕は先回りして答えた。
「精神状態の不安定さから、服従用の脳改造が働いているか判別出来ない。信を置くには危険ではないか? ……そんなところかい?」
「既にお気づきでしたか。差し出がましい口を利きました」
「いやいや、君の危惧はもっともさ。これまでのオーパスシリーズは、身体は弄れど基本的に人間や亜人種のままだったからね。分類上モンスターとなったシャールにこれまでの手法がどこまで通じるか? その辺りを疑問に思うのは仕方の無いことだよ」
人間からモンスターへの変化。それは魂の大きな変質を意味する……とされている。例えば善良な村人Aが吸血鬼に噛まれれば、彼はすぐさまレッサーヴァンパイアとなって人に害を為すようになるのだ。これはモンスター化したことで魂が変質し、人間の倫理観を失った為だと言われている。
魂というのは、この魔法が物を言う世界においても謎だらけの存在だ。どんな影響を及ぼしたとしても不思議ではない。
しかもなったモンスターがヴァンパイアだ。吸血鬼は吸血によって自主的に手駒を増やせる。下手に野放しにした際、こちらの寝首を掻かれる恐れは他の『作品』の比ではない。
だが、それでも僕がシャールをヴァンパイア化したということは、
「僕としては、反逆の可能性は極小と見るね。彼の前に行った試験の結果、検体となった奴隷は、ほぼ全てが脳改造手術の影響下にあった。例外も主原因は吸血鬼化後に手術をした為と推測されている。ちょっと言動はおかしいけれど、想定されていた人格変化のパターンの中では穏当な部類に入ると思うよ」
つまりはリスクが低いとデータが出ているからなのだ。
「それと、だ。ユニ、僕と彼が魔導アカデミーで行った実験、憶えているかい?」
「はい、【生体における脳機能と生命における魂の相関】でしたか」
奴隷の脳に処置をし、その上で殺したら、彼らの霊魂は死後どうなるか? そんな実験だ。
「あの実験の結果、脳から生じた認識は時間ごとにその魂を変質させると出ている。僕が彼を捕らえて最終的なヴァンパイア化を施すまでのこれまで、毎日のように脳を弄って僕に従うように仕向けて来た」
「…………」
「そして、彼のテストベッドである奴隷での実験で、ヴァンパイアの復元能力は魂に由来することが分かっている。彼らは魂魄に刻まれている肉体の情報を元に、身体を治癒しているんだね。そして、その基準は概ねヴァンパイア化する直前および変質直後の状態に大きく依存すると分かった」
つまりはこういうこと。ある奴隷Aの四肢を切断し、その直後ヴァンパイア化する。するとヴァンパイアAは魂に刻まれた情報を元に復元を始め、四肢は元通りになった。一方、一度切断してから完治させた上でヴァンパイア化した奴隷B。こちらの場合は四肢がくっつくことも、あるいは切断面から生え出すことも無く、単なる手足の無いヴァンパイアとなってしまったのである。
この二者の違いは、自分の手足をどのような状態だと認識していたかによって生じた物だと思われる。Aは切断直後、『治せば戻る』とまだ思っていた頃に吸血鬼化した。逆にBは『戻らないまま治ってしまった』と認識している時の施術である。
吸血鬼の超常的な自己修復能力は、魂に固着した自己認識によって起こるという証左だ。それと同じことがシャールにも言える。
「つまり僕への服従が頭に定着した状態で改造したシャール。彼は、吸血鬼化後も脳味噌がその形のままでいる可能性が高いという訳さ。僕への服従が機能的に刷り込まれている形に、ね」
それくらいのことは、ユニにも分かっているはずだ。伊達にこの十年間、僕の助手はやっていない。ということは、これ以外にも危惧する理由がある訳だ。
果たして彼女は反論を口にした。
「しかしモンスター化による変化には、未だに未知数の部分が多いと考えます。現にオーパス04は、容姿を始めとして施術側の意図していない変容が起こっておりますので」
そう、人間のモンスター化はまだまだデータが少ない。素材と素体の消費量が馬鹿にならないから実験の回数が限られるし、僕の実験以外のデータは、参考文献からして当てにならない伝説伝承の類だ。事前に複数回の実験は行っているが、例え百回の実験で問題無いと出ても、百一回目もそうなるとは限らないのだ。それを防ぐ為には千回、万回と重ねて確度を上げていく必要がある。その上、シャールに起こった変化は劇的過ぎた。顔立ちも性格もまるで変わってしまったのだ。これはイレギュラーを警戒するなという方が無理だろう。
だが、だ。
「ねえ、ユニ」
「はい」
「僕が首輪を付けない奴隷を信頼すると思うかい?」
結局のところ、そこなのだ。僕は死にたくない。万が一にも死にたくない。その為に不老不死なんて研究しているのだ。その僕が……究極的には道具である『作品』に、反逆の余地など残しておく訳が無い。
そのことを、
「……いいえ。それは有り得ないと愚考します」
僕の最高傑作はよく理解していた。
オーパスシリーズや洗脳済み家臣団は、言ってみれば非常に能力の高い奴隷である。一見すると自由意志があるように思えるのも、完全な人形にしてしまうと判断能力が低下し、僕が指示する量が増えて煩瑣であるという、効率面の問題に過ぎない。また視点が画一的になり過ぎ、僕自身が何か判断を過つと、そこから連鎖的に不具合が生じる恐れもあるので、それを予防する目的もある。これも、何度も言っていることだ。
ドゥーエの場合は脳から僕に敵対する、逆らう、といったことを思う機能を根本的に削除している。ユニも脳に施した調整は同様だ。
ドライの場合は、彼女の持つ帰属意識の対象を、彼女の一族から僕の奴隷であることに書き換えることで服従させている。これに加えてセーフティとして奴隷の首輪も残した。
では、シャールは?
「彼にはね、ドライ同様の心理操作の他に、幾つかフェイルセイフを組み込んでおいた」
「と言いますと?」
ユニは僕に聞いてくる。が、彼女は賢い。これも主を立てる為の謙りかもしれない。
なので、まずはユニの答えを聞いておこう思う。
「さて、ユニはどうしたと思う?」
「……定期的に、再調整と称した完全拘束に応じさせる」
「ほう?」
「ラボの内部は、完全なご主人様のテリトリーです。そこで拘束を受け生殺与奪の全てを委ねることが出来るか否か。これを踏み絵として、一定期間ごとに彼の服従の度合いを量ります。併せて期間内にこちらの意図しない動きを取られないよう、04のバイタルと位置情報を発信する礼装、及び遠隔で発動する呪具の類を体内に仕込む」
いかがでしょうか、と可否を問うユニ。
僕は頬を緩めた。
「正解だよ。流石はユニ。ちゃんと分かっているじゃあないか」
「お褒めに与り光栄です。しかし全てはご主人様のご指導の賜物でありますゆえ」
言って、彼女は恭しく首を垂れる。
そういうことなのだ。幾ら頭の中を弄ったとはいえ、ちょっと前まで僕を恨んでいたような男を、力を与えた上に野放しにするなんてことはしない。彼には生涯僕の飼い犬となって貰う。飼われるのに我慢できなくなった時は? アンデッドからただの死体に変わるだけの話だ。いや、吸血鬼だから死んだら灰になるか。
「まあ、そういう訳だよ。彼が僕の仕込んだ通りに振舞っている間は、安心してくれていい。だが、もしその範疇を逸脱した場合は――」
「存じております」
遅疑せずユニが討ち果たすという訳だ。シャールの能力はロード級のヴァンパイアらしく相当に高いものであるが、裏を返せばただそれだけだ。元々はアカデミーの学生である。僕の手駒として数々の戦闘経験を積んできたユニの方が、まだ戦力としては優位。加えて彼にはアンデッド特有の神聖属性への弱点が残っている。さっきは僕が礼装をくれてやればカバーできると言ったが……何も素直に万全の礼装を上げる義理は無い。僕の意思一つで自壊するよう仕込むくらい、朝飯前だ。それに加えて、ユニの考察通り遠隔で起動する対アンデッド術式も体内に直接組み込み済みである。
「そうならないに越したことはないんだけどね……」
言いながら、僕は休憩用の椅子に腰を下ろす。
「まあ、そういうことさ。アンデッドなんていうのは、その気になれば幾らでも殺せる不完全な不死。その上、存在しているだけで世界の大部分が敵に回る。一体を密かに手駒とするくらいなら良いが――」
「その程度では、ご主人様のお望みになる境地には遠い、と」
「――そ。まあ、僕もいよいよ死期が迫って切羽詰まったら、ならざるを得ないんだろうけどね。その為にも君には手術方式を覚えて貰ったんだし」
「……願わくば、完全な形で御望みを叶えられますよう、私も尽力する所存です」
勿論、僕もそう願っているよ。
そう返しつつ、僕は椅子の肘掛を指で叩く。
彼女はすぐさま意図を察して、温かい紅茶を淹れてくれた。




