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010 錬金術師の富国論

 

 ダークエルフの女性は、近年稀に見る好素体だった。

 高い魔力といい、鍛えられた靱かな肉体といい、種族的に備えている野伏の技能といい、流石に金貨三千枚もしただけはある。

 片目の喪失も、普通なら瑕疵でしかないが、幸い僕の手元には王都の屋敷から持ち出した、ある素材があった。埋め合わせるには丁度良い。

 お陰でこのところ満たせていなかった研究への欲求不満は、大分解消出来た気がする。


「気分はどうだい? オーパス03」


「はっ、すこぶる爽快であります。同時に、ご主人様を拒んでいた以前の自分を、誠に愚かしく思うものであります!」


 傷一つない顔を凛々しく引き締めながら、彼女は言った。

 その左目は魔術的な紋様を刻んだ眼帯に覆われている。

 なにしろ彼女の新しい眼は、そうそう人目に触れさせて良いものではないのだ。


「これからちゃんと働いてくれるんなら、僕は気にしないよ」


「有り難き幸せ!」


 脳改造も上手くいったようだ。

 洗脳で抑え込むにしても、余りに敵愾心が強かったため、変則的な施術になったのだが、この結果を見ると正解を選べたらしい。

 今後の『作品』にもこの方式を転用できそうだ。


「……随分と様変わりしたもんだな。何をやったんだ?」


 きびきびと返事を返し、躊躇い無く僕への忠誠を示す彼女を、複雑そうに見るドゥーエ。

 以前の彼女を気に入っていた様子の彼からすると、あまり面白くない光景だろう。

 取りあえず質問には答えておこうか。


「この子、改造前は僕への憎悪が強過ぎたんだよね。君らみたいに敵対性を排除したり、量産型みたいにそれを押さえ込むと、あまりにも急激な人格変化で精神が自壊する恐れがあるくらいに。だからね、発想を変えてみたんだ」


「変えたにしても、どの道碌な発想じゃないんだろうな。それで?」


「で、僕はこう考えたんだ。敵対心を生じさせる大元。そこを上手く摩り替えてみれば丸く収まるんじゃないかってね。彼女の僕への服従を阻害していた要素は、ダークエルフという『自身の種族』への帰属意識と誇りだ。そこを蔑ろにされるから、従わないし怒るし憎む」


 そこまで説明すると、ドゥーエも合点がいったようだった。そしてそれ以上に苦々しそうでもある。


「ああ、そうか。つまりはその認識を――」


「そう。僕の『作品』であることに、摩り替えた訳さ。懸案だった感情領域への干渉は最小限にし、それの元である認識領域を弄った訳だから、精神崩壊のリスクは大幅に抑制される。副作用でちょっぴり人格は変わっちゃったけど、自律的な行動、判断に関わる思考能力はそっくりそのまま維持できている」


 割と繊細な領域を弄るために時間が掛かり、大量の被験者に施すには向かないが、こうした手によりを掛けた作品に使う分には最上の方式だろう。

 ユニなんかは、


『素晴らしいです、ご主人様。今後、私を再調整する機会がお有りでしたら、是非ともご導入をお願いします』


 などと絶賛してくれたほどだ。まあ、自分から改造を志願するような彼女には、あんまり意味の無い代物だが。


「さて、と。オーパス03、君の個体名はドライだ。今後からはその名前を使うように」


「はっ! ご主人様がお与え下さった新しき御名、穢すことの無きよう精進する次第であります!」


 新しい名前への拒絶反応も無し、と。

 誇らしげに胸を張る彼女を後目に、僕はカルテにそう記載した。







 思いがけず手に入ったレアな素体に気を取られ『作品』作りに熱中していた僕だが、領主としての仕事も勿論忘れていない。しっかりとこの一帯を統治していかなくては、研究の為の資金も途絶えてしまうし、あの兄にどんな言いがかりを付けられるか分からない。それに将来的には今まで以上の規模のラボを作る予定の土地なのだ。手入れに手抜かりをするつもりは無い。


「……量産型奴隷のM-09、B-07までの調整、終わりましてございます。後はご主人様のご下知を待つばかりです」


「よし、それじゃあ始めようか」


 ユニと彼女を筆頭とした奴隷たちを伴い、屋敷を出る。

 目指すは荒れ果て痩せこけた農地の一つだ。

 農地対策は現地に到着して以来、あれこれ理由を付けて引き延ばしていたが、農民たちの我慢も流石にそろそろ限界に近い。ともすればどこかで一揆が始まり、それは郡全体に広まりかねなかった。そうなれば兄は嬉々として僕の非を鳴らし、社会的に抹殺しようと図るだろう。……下手をすれば兄の持つ他の土地や他領にも飛び火をしかねない、というリスクは考えていないのだろうか? その辺りが兄の詰めの甘いところだ。


「領主様だ……領主様が来られたぞ!」


「おお、ようやくこの土地をどうにかなさってくれるのか!?」


「……ふん、何を今更ノコノコと」


 農地に到着すると、ボロボロの衣服に身を包んだ民たちがワッと群がってくる。

 その顔に浮かぶのは期待と不安が半々、いや三対七くらいだろうか。貴族たちに頼っても縋っても、その度に素っ気なく扱われ続けてきた人々である。僕が顔を見せたところで、すんなりと信頼はしてくれないだろう。現に何人かは抑圧者たる貴族への敵意を滲ませているし、そうでない者も、奴隷ばかりを引き連れている僕へと不審げな視線を寄越したりしている。


「いやあ、どうもどうも。この度は領主就任以来、時を貸して頂きながらこの農地への対策が遅れ、誠に申し訳ない」


 とりあえず軽く頭を下げておく。おおっ、とどよめく周囲の人々。貴族が平民に詫びるなど、彼らにとっても想像の埒外のことだったんだろう。実際、どんなに借金でがんじがらめにしても平民相手に遜る貴族はほとんどいないそうだ。


「しかし、ご安心ください。今日まで協議を重ねに重ね、皆さんに納得頂ける対策の策定に手を尽くしてまいりました。もう恐れることはございません。この荒れ果てた田畑、見事に有るべき形へと戻して差し上げましょう」


「おおっ!」


「凄い自信だ!」


「へっ、信用出来るもんか――痛っ!?」


「これっ! お偉い方が頭まで下げてくだすったっちゅうのに、何さ言ってるだ!?」


 よしよし、滑り出しは順調だ。何人かが不信感を拭えずにいるものの、周囲の人間がそれをいさめる様が確認できている。貴族が頭まで下げてみせたのだ、それを無碍にしたら反動で何をされたものか、という心理も当然働くだろう。『頭は下げるだけならタダ』というのは身分に格差の無い時代でのみ通じる言葉だ。この中世レベルの世界だと、貴族の頭は高い。つまり売り時を間違えなければ儲かる。

 これなら大した抵抗は生まれなさそうだ。


「さて、と。それじゃあ始めましょうか。……ユニ」


「はい、ご主人様」


 ユニが合図をすると、量産奴隷たちは一斉に動き出す。

 彼ら彼女らは、一様に屋敷から運んできた中身でパンパンの麻袋を肩に担ぐと、それを持って畑に乗り込んでいく。そして等間隔に並ぶと、一斉にその中身を畑に撒きだしたのだ。

 驚いたのは農民たちだろう。自分たちの最大の財産である畑に、領主のものとはいえ身分階層社会の最底辺である奴隷たちがずかずかと踏み込み、得体の知れない物を撒いている。これを冷静な目で見られるのは、僕のようにあらかじめタネを知っているものくらいだ。


「お、お前ら、何を――!?」


「まあ、落ち着いていて下さい。見ていれば分かりますよ」


 いきり立って止めに入ろうとする者も、僕が声を掛けるとピタリと止まった。領主直々に待てを掛けたのだ。領民としてはどんなに訝しくても待つしかあるまい。

 村人たちがじりじりとした目で見守る中、散布作業が終わった。

 僕は全ての奴隷が再び等間隔に並ぶのを待ってから、指示を飛ばした。


「よーし、それじゃあ所定の手はず通りに……≪錬金≫!」


「M01,了解です。≪錬金≫」


「≪錬金≫」


「≪錬金≫」


 十名の量産奴隷が一斉に≪錬金≫の術式を起動する。広い畑一杯に魔法陣が展開し、彼らがばら撒いた物――貝殻や魚類の骨、野菜屑といった肥料の元――を、急速に土へと還していく。魔法陣が発していた光が収まる頃には、畑の土は見るからに滋味の豊富そうな黒茶色に変じていた。


「こ、これは!?」


「ゆ、夢でも見てるだか!? こんな様子の土、二十年以上見てねえだでよ!」


 農民の古老の一人が、恐る恐る畑に降りて土を一口、口に入れる。熟練の農夫の中には、口に入れた土の味で畑の質を測る人もいるという。僕の前世である現代では、農薬や化学肥料が含まれている場合もあるので止めた方が良いのだが。

 果たして、その老人は静かに涙を流し始めた。


「良く……良く、肥えとる土だべ……ずっと昔、この土地の最後の豊作の時と同じだぁ……!」


「ホントかよ、じっちゃん!?」


「う、嘘だろ!?」


 ボロボロと泣く老人を囲む村人たちは、歓喜とそれ以上の困惑を味わい、互いの顔を見合わせるばかりだった。

 まあ、それ程複雑なことはしていない。ご察しの通り、『荒れた畑の土』と『肥料の元』を錬金術で錬成し、『良質の土』に変換したのだ。

 錬金術の目標の一つは、卑金属から貴金属を精製することとある。これは非常に難易度が高く、僕も成功させたことは無い。たとえば卑金属である鉛は、何をしようと鉛であり、貴金属である金には変化しないのだ。科学的に鉛から金を作ろうとすると核融合が必要となる。この世界では魔法的なプロセスを挟むことで、前世の世界でのそれに比べると、幾らか省力化出来るのでは? というのが僕の考えであるけれど。

 まあ、要するに、だ。そうした途方も無い難事に比べると、食べ物の滓から肥料を作り、肥料と混ぜた土を肥やす、なんていうことはまるで些事である、ということだ。何しろ、放っておけば自然とそうなるようになっている。錬金術の応用でそれを加速させるくらい、そう難しいことではない。

 僕なんて八歳の頃には、ユニの顔に移植する人工皮膚や人工筋肉の製作に成功している。材料は料理用の鶏肉や豚肉だ。十歳にも満たない子どもでもそんな代物が出来る辺り、錬金術っていうのは便利過ぎ、また評価が不当に低過ぎる。まあ、錬金術で作った血肉を生体に移植しようなんて考えは、錬金術師界隈でも異端中の異端で、評価のされようも無かったのだが。あの教授だって僕に言われるまで考えてもみなかったらしいし。

 まあ、それはさておき、


「いかがでしょうか、皆さん。これで貴方たちを悩ませていた、土地の疲弊は解消されました。……存分にこの土地を耕し、マルランの大地へかつての金色の穂波を取り戻そうではありませんか!」


「おお……!」


「おおおおっ!」


「新領主様、万歳!」


「マルランに、金色の穂波を!」


 音頭を取って盛り上げてやると、後は勝手に僕を称える言葉を口々に唱え出す。

 錬金術に胡散臭いイメージは抱いているだろうが、窮乏した農民なんて即物的なものだ。飯の種である麦畑が肥えた土質を取り戻すのであれば、幾らでも目を瞑るだろう。後はこれと同じことを別の畑で繰り返せば、当座は何とかなるはずだ。それに何より、この農地改造は土壌を常にベストの状態に保てるので、連作被害なんて気にする必要が無い。ノーフォーク農法なんて使わなくても、休耕地が無くなる訳だ。第一、真っ当な手法で農業を改革しようとすれば何年掛かるか分かったものじゃない。怖いのは害虫や作物病だが、その辺は別途、なるべく人体には無害な農薬を作るなりすれば対処できる。

 この農地改良はそれなりの錬金術師から見れば、そう大したことじゃあない。コロンブスの卵的な、出来ることだけどその発想が無かっただけの技術だ。それだけに、派手にやっていれば、目端の利いた他の貴族が自領で真似しだすかもしれないが、まあ、その時はその時だろう。僕には止める手立てが無い。この世界に特許庁は無いのだ。

 でも、冷害や旱魃が一度起これば一気に飢饉になりかねないこの時代、食料の生産地が増えるのは、何も悪いことばかりじゃあないはずである。それに錬金術師の集中運用ノウハウは、最先行している僕らの方が蓄積が早い。先駆者の利点を最大限に活用していけば、そうそう困るような事は起きないだろう。

 僕は一仕事終えた奴隷たちを振り仰いで明るく言った。


「よし、みんな。次行こうか次」


 畑はまだまだあるし、他にやらなければならないことも山積みだ。

 時間は効率的に使わなければ。







「ええっと、もうちょっと右、右……よしそこだ!」


 古ぼけた羊皮紙に記された計画書と首っ引きにしつつ、指示を飛ばす。それを受けて動くのは、全長三メートルはあろうという泥の巨人――魔法生物・マッドゴーレムだ。


「はァ……便利なものだな」


 巨体を利して工事を進めるゴーレムを見つつ、ドゥーエが呟く。単純な戦闘力、あるいは膂力その物も、改造手術で大幅に増強された彼の方が、この巨人を上回っていることだろう。だが、単純に運搬できる容積では、やはりゴーレムの方に分があると言えた。泥や土砂と言った物は、幾ら力があろうと人間大の腕では、一度に多くを運べないのだ。


「色々と面倒が付いてくるのが爵位ってもんさ。これくらいの特典が無いと、やってられないよ」


 言いながら僕はマッドゴーレムを見上げた。

 爵位を持ち、領土を治めるということは、すなわち王家から領内の治安を維持する為の兵権を認められるということでもある。それによって免責される事項の一つが、魔法生物の保有だ。ユニコーンやペガサスといった魔法生物は、言ってみれば前世の世界でいう戦車や戦闘機のような物である。当然、そんなものは個人的に所有することが許される訳は無い。が、領地持ちとなると話は別だ。領内を鎮撫する部隊として、また有事に王家に対して供出する戦力として、かなりの自由度での武装が認められる。当然、強力な魔法生物の保有もだ。

 まあ、無論のこと国家転覆を狙い得るようなレベルでの武力保有は、高等法院からの査察などによって制限されている訳だが……それは今のところ関係無いので、置いておく。


「それにしても贅沢な話だな。これだけの魔法生物を灌漑工事に使うたァ」


「僕としては、むしろ順当な使い道だと思うけどね。このクラスのマッドゴーレムだと、冒険者ギルドの討伐等級だとD+からC相当が良いところだ。改造前の君でも余裕をもって倒せる範疇だね。つまり僕の戦力としてはかなり劣る部類なのさ」


 残酷な話だが、それが事実だ。僕の『作品』であるユニたちは少なくともA級冒険者を上回るだろう実力を持つ。量産型奴隷たちも、劣化しているとはいえベースはユニのデータなのだ。C級程度の実力はあるだろうし、優秀な個体ならBまでいくかもしれない。それに基礎的な低級魔法も使えるから、マッドゴーレムのような物理特化で耐魔力の低い相手は、攻撃魔法の釣瓶打ちで終わりだ。つまり僕の持ち駒でこのゴーレムより弱いのは、それこそこの前に骨抜きにした元代官たちと、その手下どもくらいである。


「にしても……この計画書、実際の地形と食い違う部分が多いなあ」


「そりゃそうだろ。見るからに古びた羊皮紙じゃねえか。一体何年前のだ?」


「さあ?」


 確かに、ドゥーエのいう通りこの灌漑計画書は古過ぎる。これは元・代官屋敷、現・僕の逗留する屋敷の書庫を漁って出てきたものだ。いつの物だか分からない代物だが、農民たちが早く灌漑をとせっついてくるので、仕方なくこれを使用している。

 新しく灌漑計画を立案しろ? ごもっともな意見だ。

 ……僕らの中に、それが出来る人材がいないということを除けば。

 残念なことに僕は錬金術師である。灌漑工事に役立つ技術や道具を提供することは出来ても、計画自体を立案する能力は無い。それが出来るようになる教育を受けてきたのは、王都に坐しまして僕を補佐する人材を出すことすら渋った、あの兄だ。まあ、僕はそれをやりたくないから彼に押し付けてきたのだが。

 ユニはメイド兼護衛兼助手兼探索役。十分に多岐にわたる役目をこなしてくれている。これに加えて政治までやれというのは、彼女のリソースを大幅に無駄遣いする愚行であるし、それを身に付けさせる伝手も無い。ドゥーエは剣一本を頼りに生きてきた冒険者だし、ドライに至っては砂漠地帯で遊牧生活を営んでいたらしいダークエルフ。両者とも、とてもではないが内政向きの仕事は任せられない。

 この辺りが、研究者上がりの僕が率いるこの陣営の弱点である。技術力と戦闘力は秀でているが、それらを有機的に活かせる政治力に欠けている。全員脳改造を施しており反逆の心配は極小だが、それだけにトップである僕が打つ手を誤ると、ずるずると問題を修正できないまま、何処までも突き進む公算が大だ。

 言ってみれば、エンジニア出身の社長が率いるベンチャー企業のようなものである。今のところは、こんな片田舎でチマチマやっているから、大きな問題は起こってはいない。しかし近い将来マルラン郡の人口が増加したり、余り考えたくはないが、何かの間違いで領地が増えたりしたら? 新たに発生する諸問題に対処できなくなる恐れがある。

 というか、こんな徳川埋蔵金の隠し場所を記した地図みたいな、古ぼけて確実性に欠ける計画書を頼りにしている時点で大問題である。


「ホントにいつのもんだかね……ちょっと調べてみようか。≪ディテクト≫」


 簡単な鑑定魔法で年代を測定してみる。

 僕が読み取ったところでのこの計画書が作られた時期は……何と一五〇年近く前だ。オーブニル家が貴族になったのが二百年前だから、大体二代目か三代目当主の時代か。

 ま、まあ、幸か不幸か、この世界は魔法頼りで技術進歩が停滞しているので、誤差の範囲程度の地形変化以外に修正点は無い。

 無い、んだけど。


「……やっぱり、土地を治める為の人材を新たに発掘するしかないか」


「また奴隷市場にひとっ走りかい?」


 ちょっと嫌そうな顔をするドゥーエ。人格的に気に入っていたドライがああなったばかりだ。彼としては当分、奴隷市場には足を踏み入れたくないのだろう。


「それは杞憂ってものさ。子爵家領に相当する土地を切り回せる内政屋なんて、他国へ買われて流出する恐れのある奴隷市には、売ってないからね。家が潰れたら、他家に囲われるか、奉公構えにあって浪人してるか……最悪は処刑だ」


「てことは、その浪人中の人材を釣り上げんのか?」


「まさか。僕の子爵の地位は兄の伯爵家の傘下だ。貴族たちの間で回状が回っている要注意人物なんて囲えっこない。『兄君に渡された令状、弟の貴方が知らないはずが無いでしょう?』ってね。それじゃ、こっちの失態を手ぐすね引いて待ってる兄に、みすみす僕を取り潰す好機を与えるだけだよ」


 そうして取り潰された僕は、貴族社会の爪弾き者だ。錬金術師としての研究資金源は無くなるし、何より兄の謀殺から守ってくれる、貴族の体面という壁が消し飛んでしまう。兄が様々な問題を引き起こしてきた僕を今日まで消さないでいるのは、ひとえに貴族として社会に保護される上での最後の一線を越えないでいる為だ。奴隷殺しだの何だのと陰口を叩かれている現状だが、それにしたって若干の白眼視を受けている程度である。気持ち悪いとは思われているだろうが、それを理由に殺されるまでのことではない。キモイから殺した、なんてムシャクシャしてやった、と供述するのと大差無いのだ。

 奴隷を幾ら実験材料として消費しようが、趣味の問題として指弾されることはない。が、領地運営で看過しえないミスを犯した場合は、無能のレッテルを張られて忽ちのうちに立場を無くす。無体に殺されることのない、貴族としての立場を、だ。社会からの扱いが、人間から虫けらにランクダウンする訳だ。虫ならば不愉快だから殺した、と述べても人様は気にしない。

 そういう事態に備えてユニたちを用意しているのだが、出来れば避けたいことではある。


「それじゃあ、八方塞りじゃあねえか」


「……いや、そうでもないよ」


 苛立たしげに言うドゥーエに、にっこりと笑みを見せてやる。


「実は一つ、抜け道がある。というか、本来はこっちの方が常道なんだけど、単に手間を掛けたくないから、やってなかったんだよね」


「オイコラ、ご主人」


「そう凄まないでよ。本当に手間が多い手段なんだからさ、だからそれを打つための余裕を作ろうと、今こうして働いているんじゃないか」


 そうなのだ。このアルクェール王国一無駄が嫌いだと自負する僕が、その手を打っていない理由はそれなのである。ある程度態勢を整えておかないと、意味が無いばかりか害悪にすらなる手。


「まあ、本当に常識的な手段だよ。貴族の家ってのは、このオーブニル家を見ての通り何も長男しかいないわけじゃあない。惣領である長男に万が一があった場合の予備として、次男三男――庶子がいる」


 一応補足しておくが、この場合の庶子とは惣領の対義語を意味している。別に僕が死んだ父から認知されていないということではない。まあ、晩年は死んでも息子と認めたくないみたいな扱いだったが。


「その中じゃ、理由はどうあれ僕みたいに領地を与えて貰えることなんて、そうそう無いんだ」


「だろうな。いちいち長男以外にも土地をやっていたら、今頃地図屋は大忙しだ。相続の度にどこそこの領地だか書き直さなきゃいかなくなる」


 無頼漢のドゥーエにも、その程度の理屈は分かるらしい。


「そう。だからそんな庶子の多くは、部屋住みとして屋敷で飼い殺され、不遇をかこっている訳さ。そんな彼らの栄達の道は、大きく分けて五つ。嫡子が頓死したり当主として不足ありだったりして家督が回ってくるか。後継ぎの絶えた家に婿入りしたり名籍を与えられたりするか。あるいは騎士団に入ったり宮廷魔導師になったりして出世するか」


「四つ目はなんだい?」


「それなんだけどね……時々、冒険者の中に貴族のお坊ちゃんがいたりして、不思議に思ったことは無いかい? 彼らの大部分は、部屋住みの境遇から抜け出るために一旗揚げようと、野心を抱いてアウトローな世界に身を投じたのさ。それに貴族といえど傾いている家じゃ、無駄飯喰らいを養う余裕は無いからね。死んでも口減らしにはなる。吟遊詩人が好きそうな貴種流離譚の、つまらなくって生臭い種明かしだね」


 僕がそう解説すると遠い目をしながら、


「夢も希望もありゃしねェな」


 とドゥーエが愚痴った。

 おそらく、彼の知る元貴族の冒険者たちの多くは、栄華を掴む機会無くして儚く散っていったのだろう。元々、冒険者になるような貴族は、騎士として身を立てるのに、実力かコネに欠けるところがある者たちばかりである。コネが無いなら、冒険者として開花することもあるかもしれないが、実力の方が無かったら? その結末は語るまでも無いだろう。運と才覚に恵まれなければ、青い血が流れると嘯く貴族といえど、そんなものだ。

 僕は運が良い。それなりに余裕のある伯爵家に生まれた上に、初めて買った奴隷でユニという大当たりを引き当てたし、ドゥーエと出会うことも出来た。そして彼はドライを拾って来たのだ。誰もが羨むような豪運である。家族運だけは少々頂けないが、そこら辺は才覚で補えという思し召しだろう。これ以上を望めば、それこそ罰当たりというものだ。


「話が逸れたね。で、五つ目がどこかよその家の家臣になって、身を立てること。僕みたいな家臣に事欠く貴族が、自分の部下として職を世話してあげるのさ。やっていくだけの腕も無いのに冒険者になるよりは安全に稼げるし、一端の貴族を気取ることも出来る。そして雇う側は貴族としてある程度の教育を受けた家臣を得られる。これだけなら理想的なWin-Win関係なんだけど――」


「随分と言い淀むねェ。何か問題でもあるのかい?」


「大ありだね。理想的で、かつ常識的な手ってことは……当然、兄だってとっくに読んでいるってことさ。しかも地の利も向こうにある。なんたって、王都にいるんだからね。向こうで屋敷暮らしをしている庶子たちを口説いて、我が弟から家臣にと誘われた際は間者になれ、くらいのことは言うだろう」


 それで良い働きが見られた際は、当家での厚遇を約束する、なんて言われてしまったら? 部屋住み貴族に抗する手段は無い。なんせ、向こうは伯爵家当主だ。対する僕は、あくまでもその傘下の子爵。

 就職氷河期の就職浪人が、本社の社長から頼まれて、何かと反抗的な態度の支社を内偵――場合によっては妨害――しに行くようなものである。事後、それなりに美味しい雇用条件をちらつかされた上でだ。辛いご時世にこれから食べていくことを考えれば、まず断れないだろう。前世の世界にそんな事する会社は無かったと思うけど。……無いよね?

 さておき、兄はこんな手立てが取れるから、僕がフリーハンドを持つなんてリスクを冒してまで領地と子爵の位をくれたのだ。でなければ、他の貴族に要らぬ探りを入れられるのを承知で僕を殺すか、あの屋敷で実験を続けるのを黙認して飼い殺すかしているはずである。前者はユニがいれば防げるとして、後者の選択を既定の物と考えていたのが、僕の現状の原因だ。

 何度も言ったように、領地経営でしくじった貴族は、後顧の憂い無く殺されてしまう。他の貴族に、関わるだけの価値を持たないと判断されるから。


「――だが、そんな見え透いた手を恐れるのは、僕以外の貴族の話さ」


「……だろうな」


 ドライという予想外に高い買い物のお陰で、予定よりは少ないものの、量産型奴隷は補充できた。それに彼女自体も有用な道具になる。準備は整っている。

 今やこのマルラン郡は僕の巣だ。王都などという遠くから手を伸ばすだけで、探り切れるなどと思われるのは心外の極みだ。逆に手癖の悪いその手に噛みついて、牙から存分に毒を流し込んでくれよう。


「ユニ、いるかい?」


「はい、お傍に」


 声を掛けると、何処からともなくすぐ隣に現れるユニ。

 その姿に、ドゥーエがげんなりとしながら言った。


「まるで気配が無かったが……」


「気配を消していましたので」


「それで誤魔化されちゃ、こっちの自信が無くなるぜ」


 ならば今後とも精進して下さい、とすげない返事。

 そんな彼女に、僕はあらかじめしたためていた手紙を差し出す。王宮に提出する、仕官公募の手続き書類だ。いくら向こうからの仕掛けを知っているとはいえ、素直に上役である兄を通す義理は無い。


「これ、出しておいて。冒険者ギルドに頼めば、すぐ王都まで届けてくれると思うからさ」


「畏まりました、ご主人様」


 音も無く消える彼女を見送って、視線を工事に勤しむマッドゴーレムに戻す。

 魔法仕掛けの巨人は、主の差配通り自動的に役目をこなしていた。

 

特に憶える必要の無い、用語集めいた何か:


 1.素材と素体は、何がどう違うのか?

 ざっくりと言えば、鉱物や合金などの無機物、生物の一部などの有機物ほか、道具の製作や人体改造に用いる材料のことを素材。改造を受け、素材を埋め込まれたり脳味噌を弄られたりと色々される対象を素体と呼んでいます。ただ、作者の方でもどっちがどっちだったか、こんがらがることがある模様。


 2.礼装とは何ぞや?

 儀礼装備の略。儀式や詠唱など、魔法的な事象の発現に必要な諸々のプロセスを代行してくれる道具のこと。多くの場合、それ自体が魔力を帯びており、魔導師でなくても魔法が使えるようになるアイテム。凄く便利だけど、同時に凄く高い。

 トゥリウスは馬鹿みたいに大量に装備しているが、これは魔導アカデミー時代に裏取引で素材を譲って貰ったり、タダで働いてくれるユニがあちこちで掻き集めて来てくれた物で自作した為。普通にあれだけの礼装を集めようとしたら、それだけで伯爵家の財政が吹っ飛んで兄上が憤死することでしょう。

 これを売れば大儲け出来そうですが、多分、法規制とかされているので無理だと思います。

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