009 第三の女
自由と商人の街、あるいは混沌と退廃の都。
それが自由都市カナレスという街を端的に表す言葉である。
大陸南部の半島の根元に位置し、大運河の要衝を占めるカナレスには、各地から水運を利用して様々な物が集まってくる。
金貨、宝石、食材、武器や防具、そして人。
この街を訪れる人間の種類は、それこそ千差万別だ。取り引きを目的とした商人や、品物を運んでくる船乗り。珍しい品物を目当てとする他国の貴族。ギルド本部が回す大仕事を求めて立ち寄る冒険者たちに、国を追われて暗黒街の庇護を求める犯罪者まで。そして勿論、奴隷も。
命惜しさに悪魔に魂を売り渡した男、ドゥーエ・シュバルツァーは、この街に奴隷を買いに来たのだった。自分と同じく、身命どころか意思すらも主へと捧げさせる奴隷を。
「……ふむ。コイツも中々良さそうだな。幾らだ?」
「いやあ、旦那! 偉い買いっぷりですなァ! これで十人目ですか。よろしい、少々勉強しまして……このくらいでどうです?」
ドゥーエが目敏く魔力持ちの少年を指差すと、奴隷商人は大袈裟に囃し立てつつ金額を示した。揉み手をしたかと思うと、素早く算盤の珠を弾く。器用なことだ、商人を首になっても、レンジャー職で冒険者が務まるかもしれない。
「ほう、随分と割り引くじゃねェか。良いだろう。おい」
愚にも付かない思考を弄びつつ、背後に控える自前の――正確には借り物だが――奴隷に指図を飛ばす。
「はっ。用意できております」
恭しく銀貨の詰まった袋を差し出す執事服の奴隷。
中身を取り出し、秤に掛けて重さを確認すると、商人は何度も肯いた。
「はい、確かに。……いやあ、お客様はご立派だ! 一度にこうも買っていかれる上に、取り引きにも誠実でいられる。今後ともご贔屓にして頂きたいものですな」
「そうしたいもんだな。続けて良いか? 生憎もうちっとばかし入り用なんだ」
その言葉に、檻の中の奴隷たちが竦み上がる。競りにも掛からぬ、文字通り一山いくらの奴隷たち。そんなものを大量に買っていくなど、どう考えても真っ当な買い手では無い。農園送りか鉱山行きか、いずれ碌でもない場所に連れ込まれると怯えているのだろう。
(まァ、確かにおっかない買い手ではあるか)
奴隷たちの表情に、ドゥーエは苦笑を漏らす。
トゥリウス・シュルーナン・オーブニル。ブローセンヌの奴隷市場に悪名を轟かせる【奴隷殺し】。そんな男の領地に連れて行かれると知ったら、気の弱い者ならその場で自殺しかねないだろう。もっとも、こんなところで売り捌かれる奴隷たちには、知る由も無いことではあるが。
「ところでお客様。競売の方にご興味は?」
不意に、奴隷商人がそう水を向けてくる。
競売――気の進まない誘いだった。複数の参加者に値を競わせて奴隷を売る競りは、確かに質の良い奴隷が買えるだろう。だが、そうした場で取引されるのは、大概は夜伽用の奴隷だ。トゥリウス・オーブニルの指示は、そこそこの魔力を持ち錬金術の助手に出来る奴隷を、それなりの数で揃えること。高値を出して見栄えだけの女を買うなど、愚の骨頂であろう。
「悪いな。このべらんめぇな口の利き方で想像は付くだろ? 俺ァ、主の名代だ。それを、勝手に競りになんぞ加わっちゃ――」
「いえいえいえ! むしろ主様の御為でもありましょう! そのご主人、これだけの奴隷を一度にお買いになられるお指図をされるとは、いずれ一方ならぬ富貴な身の上とお見受けします。そうした方には……ね? 働き手の他にも、相応に値の張る奴隷も御入用かと存じまして」
思わず笑い出してしまうような誘い文句だった。
相応に値の張る奴隷? あの名にしおう【銀狼】に首輪を掛けるようなトゥリウスが、今更競りに掛けられる程度の奴隷など買っても、却って格を落とすというものだ。あれに匹敵するような商品など、それこそ大陸中を根掘り葉掘り引っ繰り返しても出るかどうか。たとえエルフの奴隷でも、五、六人は抱き合わせて貰わないと釣り合いが取れぬというものだ。
それを知る由も無い商人は、熱心に競りへの参加を呼びかけてくる。
断ろうかとも思ったが、
「見るだけですから! ね? 無理に落として行けとも言いませんよ! それにこちらの売り場が閉まる前には終わりますので!」
こうも売り込まれると、こちらとしても断り辛い。
それにトゥリウスからは女を買ってきても良いという許しはあったな、とも思い出す。
もっともその後、頭は弄るとのことだが。
「まっ、そこまで言うなら、な……」
別に競りに参加すると決めた訳でも無い。言われた通りに見るだけだ。今後も贔屓にするかもしれない商人の顔も立ててやらねばなるまい。場合によっては、手頃な女くらいは落としてみても良いだろう。
「そうですか! ではこちらにどうぞ!」
揉み手をしつつ、先立って歩き出す商人。それに連れだって歩きつつ、ドゥーエは追従するBー01の顔を見る。予想はしていたが、人形じみた無表情がそこにあった。
「問題あるか?」
「いいえ。主からは、何も」
彼らに他意は無いようだった。
なら、オーブニルの「買ってきても良い」という言葉は、字句通りということか。
そういえば、女にはしばらくご無沙汰だった。最近顔を合わせた女性といえば、同じ主を持つ奴隷メイドくらいのものである。あれではどれだけ見目良かろうと、気が詰まるというものだ。
――女日照りが祟って、高い買い物をしなければ良いが。
ドゥーエは己の欲求不満と自制心を省みて、気を引き締めた。
「――えー、続きましての商品はこちらにございます!」
会場に着くと、競売は既に始まっていた。生娘のまま売られたとかいう触れ込みで、そこそこ身なりの良い娘が競売にかけられている。
「金貨50!」
「60!」
「75だ!」
「……100!」
ぎらついた男たちが、下世話な欲望を隠しもせずに、司会の煽りに乗せられて値を吊り上げていく。
ドゥーエは急速に白けていく自分を感じた。
周りの男たちが上げる値段は、ドゥーエが与えられた予算の範囲から考えても、決して高いものではない。だが、それはたかが女一人に掛けるには馬鹿馬鹿しい金額であった。その金でどれだけの装備が整えられるかを考えると、とてもではないが出す気に慣れない。
金を払って欲望を満たすなら、娼館にでも行った方が余程安上がりだし、楽しませても貰える。生娘の奴隷を自分の女にしたとしても、一端の娼婦に及ぶまでの技巧を備えるまでに、どれ程の時間が掛かるものやら。あるいは、それをこそ楽しみにしているのがここの客なのかもしれないが、ドゥーエにとっては賛同しかねる価値観だった。時折、そうした手練に長けたという触れ込みの女も売りに出されるが、ただ抱く為の女には、それこそ大金を投じる気が起こらない。
そしてふと思う。女をどう扱うかにすら、手間と費用が付いて回る。これでは自分もオーブニルの事を言えたものではないな、と。確かにそういうところは主と似ている。いつだかの【銀狼】の見立ては的を射たものだったか。
何人かの奴隷が、競りに掛けられては売られていった。どこそこの村一番の器量良しだの、先月潰れたどこぞの商会の娘だの、貧乏男爵家の令嬢だの、仕込みの巧みさに定評のある女衒が卸した性奴隷だの……どれも食指をそそらない。
そんなドゥーエに、彼を誘った商人は苦笑する。
「お客人、中々に選り好みされますなァ。ひょっとするとご主人の方は目が肥えてらっしゃるお方で?」
「……だろうな」
オーブニルに侍るメイドたちの顔を思い浮かべながら返事をする。魔力持ちを基準に若い者から買っているという話だったが、ぱっと見でそう悪い顔は無かったように思う。それに奴隷たちの筆頭として常に傍にいるのがアレである。正直、多少金を積んで買える程度の奴隷では、勝負の土俵にすら上がれないだろう。
これでは、さっさと抜け出して助手用奴隷の物色を、再開した方が良いかもしれない。
そう思った時だった。
「それでは、続きましての商品です! こちらの方、多少傷はありますが大変珍しくなっております!」
「……傷?」
司会者の言葉に引っ掛かる物を感じる。普通、競りに掛けられる奴隷は無傷を保つのが通例だ。精々綺麗な顔を見せて、客に値を吊り上げさせるのが目的なのだから、価値を下げるような真似は慎むのが当然だろう。
それを傷物でありながら競りに掛けるとは、どういうことか。
疑問は、出された商品の姿を見てすぐに晴れた。
「ほォ……」
「成程……」
周囲の客が、納得の溜息を漏らした。
首輪に繋がる鎖を引かれながら、その度に抵抗しよろめいて壇上に上がらせれる女。銀色の髪に褐色の肌、琥珀の瞳。肉付きは上等で、くびれた腰つきといい、たわわな胸の盛り上がりといい、蠱惑的に情欲を煽る身体の持ち主だった。そして何より特徴的なのは、ピンと鋭く尖った耳の形――
「――ダークエルフか」
森に住む白いエルフとは違い、砂漠や岩山などを塒にするという長命の亜人。肌の色から魔族に与する悪しき妖精とも蔑まれるが、なんのことはない。ただ単に森に隠れ潜むエルフより狩りやすいから、人間が方便の為にそう言っているだけだ。
「おやおや、派手に傷が付いておりますな……しかし亜人は高いですからな、これくらいの傷でも買い手は付きましょうが」
商人の言葉通り、そのダークエルフは傷だらけだった。引き立てられてくる際の反抗的な態度といい、おそらく、捕獲の際にも手酷く暴れたのだろう。手足にうっすら残る細かい傷に、肩口の丸く盛り上がる矢傷の痕。極めつけは顔だ。額から左頬にかけて刃物で斬られたような跡が走り、眼帯代わりの包帯が片目を覆っている。傷の大きさからしても、傷跡が大方ふさがっていることから見ても、恐らくその下にあるべき左目は、無事では済まなかったようだ。
亜人の奴隷は高い。エルフやダークエルフは特にだ。本来は競売のトリを飾るような目玉商品だが、この傷ではそれより幾らか早めに出されるのも、むべなるかなというものである。
「では、まず――金貨300から始めましょう!」
安い、とドゥーエは目を瞠った。いや奴隷としてはそれでも高いが、本来はそれだけで城が立つような高額のはずである。片目を失う程の傷がついたところで、エルフ系の亜人はそれ程の価値がある。高い魔力から魔術師として優秀であり、エルフは狩人として、ダークエルフは野伏として優れたレンジャー技能を持つ。おまけに長命故に人間と違って衰えが――とまで考えて、はたと気付く。それは冒険者としての考え方であると。
ここに集まっているのは商人か貴族、それも女を目当てにしているのが大半である。そうした場で彼らが大枚を叩くのは、容色に優れた奴隷だ。壇上のダークエルフは確かに整った顔立ちだが、いかんせん傷が目立ち過ぎる。値段は大幅に下げられていることだろう。それに魔力に秀でるということは、奴隷を拘束する服従の魔法にも抵抗されやすいということだ。あれだけの傷を負わされても、人間に対する敵愾心を隠しもしないのでは、いつ寝首を掻かれるか分からない。安全に抱くには、追加で高額の拘束礼装が必要になるかもしれない。女奴隷としては、随分買い手の間口が狭い商品になったということだ。
それこそ、今のドゥーエが持たされた金でも買える程度には。
「320」
「330だ!」
「350!」
物好きはいるもので、何人かの客はこぞって手を挙げ始めている。やはりというか、その目に嗜虐的な光を満たしたものがほとんどだ。
長命種。人間が老い、衰え、朽ち果てるだけの時間を、瑞々しい若さを保ったまま生き続ける者たち。財と権とを手にした者たちにとって、これ以上に小面憎い生き物はいないだろう。奴隷の身へ貶め、穢し、甚振り……そんな歪んだ欲望の対象にするには打ってつけだ。そういう趣向の持ち主からしたら、多少の傷も箔のうちと考えているかもしれない。
(しかし、長命の亜人か)
不老、そして長寿。錬金術の一つの目標。その達成を生まれた時から為している、人ならざる種族。流石に殺されれば死に、寿命というくびきも存在するらしいが、それでも人間よりは永遠に近い存在。
もしかしたら、それは主の研究に一筋の光明を齎すものやも知れぬ。
「……500だ」
この会場に入ってから、初めてドゥーエの手が高く挙げられた。隣に立つ商人が目を丸くする。従者としてつけられた男奴隷は無反応だ。
周囲の客たちがざわめく。物好きどもが十枚、二十枚ずつ、ちょぼちょぼと積み重ねていたところに、これだ。すわ何者かと視線が殺到し――好奇を宿していたそれが忽ち侮蔑に変わった。
無理なからぬことだろう。ドゥーエの格好は、商談の為にこの街で装いを改めたにしても、豪商にも貴族にも到底見えない、戦士のそれだ。おまけにこの競売場では初顔である。さては高額の依頼を果たした冒険者が、気が大きくなって迷い込んだか……そんな印象でも与えたのだろう。
「ふんっ。……1000だ! 勿論、金貨でな!」
商人風の男が、嘲笑も露わにしながら宣言する。
――金貨千枚。銀貨でもましてや銅貨でもない。これがお前に払えるのか。競りを荒らさず、黙って引っ込んでいるがいい……。
そんな意図を込めてだろう。慣れない場で分不相応にはしゃぐ田舎者に、一つ掣肘をくれてやる。それで自分の矜持を満足させようという腹か。
少し、意地が疼いた。
「なんと金貨1000! 倍額が出ました! 他のお客様、ありませんか!?」
司会の奴隷商が興奮も露わに喚き散らす。
それをどこか遠く聞きながら、ドゥーエは自嘲の笑みを漏らす。何だ? 俺は怒っているのか? 見苦しく腹の張り出した商人に見下されて? 一丁前に人間らしく? 命と引き換えに誇りも魂も売り渡しておきながら、蔑まれて怒るとは!
その苦笑を照れ混じりの敗北宣言と受け止めたのか、競りの相手は満足げに顔をにやつかせる。それを見て、彼の笑みは獰猛な形へと深まった。
(何を勘違いしてやがる)
ドゥーエの腹は決まった。元々大した考えがあって参加した訳ではないが、こうなっては仕方が無い。伸ばせば手が届く値段で長命種が競りに出されるなど、この先何度あることか。
――とことん、やってやる。
決然と、再び手を挙げる。
「1500だ! ……ご親切にどーも。ンなこた初めから知ってらァ」
挑発的に流し目を送ってやってから、要らんことを付け加えたかな、と軽く後悔する。これでは相手も意固地になるだろう。予算にはまだ大分余裕があるが、はてさてどれだけ食い下がってくるのやら。
「出ました、1500! ありませんか!?」
「ぐぬぬ……! 1800!」
「2000だ」
「……2200!」
張りが小さくなった。この後、余程大きな買い物が控えているのか。
それを鑑み、ドゥーエは短く思考する。
ここいらが、決めどきだろうか。
「3000」
――ざわ……っ。
どよめきが会場を包む。希少な亜人とはいえ、こんな傷物にそこまで出すか。その動機は如何なる酔狂な趣味の産物か。
どこか恐れめいた物が入り混じった困惑が、会場全体を包む。
「3000が出ました! 300じゃない、3000です! ありませんか!?」
「……付き合いきれんっ!」
競り合っていた商人風の中年は、大きく鼻息を吹き散らすなりそう言った。
どこをどう聞いても負け惜しみである。
「決まりました! ダークエルフの奴隷、そちらのお客様がご落札!」
「ぐぬぬぬっ……!」
歯軋りする競売相手の男。新参の、いかにも金の気配に乏しい男に競り負けた彼に、揶揄と嘲笑の視線があちこちから突き刺さる。勝手なものだった。ドゥーエが金貨五百と手を挙げた時は、こちらにそれを向けていたというのに。
勝った、という気はしなかった。元より他人の財布でしていた勝負である。むしろ、どこか自分がみみっちく、情けない気さえしてくる。このところ――トゥリウスの手を取って以来、こんなことの連続だった。いつかそれが晴れる日が来るんだろうか? 生きてさえいれば?
そう思いながら、競り落とした奴隷に目を向ける。何事も無ければ――勿論、それこそありえないが――自分よりは確実に長生きできるだろう、長命の生き物に。
ダークエルフの奴隷は、知るか、と言わんばかりに冷たい目線を返してきた。
「如何なされるのですか、ドゥーエ様。ご主人様より与えられた予算は、これでほとんど使い切ってしまいましたが」
B01の声に、咎める響きは無い。純粋にこれからどうするのか、問うているのだ。
ちなみに、ここで『オーパス02』などという番号呼ばわりはしない。ここはトゥリウスの腹の中ではなく、れっきとした外界。どこに耳があるのか分からない中で、奇矯な呼び名は避けるべきだという判断である。
「まあ、今回の買い物はここまでだろうな。ええっと――」
当然、ドゥーエも彼の事を人間がましい名で呼ばねばなるまい。
「ジャックです。それはよろしいのですが、帰りの馬車に使う資金もありません」
「……借り馬車もか?」
「借り馬車もです。新規の奴隷が十一体。これを運ぶとなると、レンタルにしても高く付きます」
参ったな、と頭を掻く。思いがけず貴重なサンプルとやらを入手できたは良いが、当初予定していた助手用奴隷の頭数は、想定人数の三分の一以下。おまけに帰路の足まで事欠く始末だった。
自分たちの乗ってきた馬車では、小さすぎる。小分けにしてマルランに連れて行くにしても、何度も往復しなければなるまい。量産型改造奴隷の補充は急務だ。あまり時間を掛ける訳にもいかないだろう。
「稼ぐっきゃねェな。幸い、ここはギルド本部のお膝元カナレスで、俺のライセンスは生きている。B級のクエストともなれば、帰りの馬車代くらい問題無いだろ」
「……呆れたものだな」
これまで沈黙を守っていたダークエルフの女が、心底馬鹿にしたような顔で口を開く。
低いが、耳を擽るような声だった。その気も無かろうに、聞いた男が酔わざるをえない色香を含んだ声。まるで強い酒精だ。潰れる、溺れると知っていても、手を出したくなる。これがまともな身体だったら、二十倍は値段が跳ね上がっていただろう。
「ようやく、おしゃべりする気になったかい?」
そそられるものを感じたのを隠し、飄々とした風を装って声を掛ける。
他の奴隷は運搬の手段が得られるまでは市場の牢の中だが、高い買い物であるこれは別だ。悪戯者に手出しされないよう、ドゥーエ自身の傍に置いておくのが一番安心だった。
「汚れた黄金で買い叩かれた挙句、路頭に迷いかけているのだ。口を挟む気にもなろう」
「何にせよ、口を割る切っ掛けが出来たのは有り難いね。こちとらまだ、あんたの名前も聞いていない」
通常、奴隷の名などは売り手の側でも把握しているものではない。勿論、名家の令嬢などという付加価値があれば別の話だが。
女の答えはすげないものだった。
「卑賤な毛抜け猿などに、誇りある我が名を託す価値など無し。聞き出したくば、この首輪に掛かった下衆な術でも使えばよかろう」
勿論、存分に抵抗してやるが。ご丁寧に、そんなおまけまで付けて寄越す。
ドゥーエは肩を竦めた。彼に魔法の素養は無い。それでも服従の魔法くらいは作動するだろうが、術式に流される魔力の質も量も、所詮たかが知れたもの。素養において遥かに優越する長命の亜人へ使っても、かなりの抵抗を受けるだろう。重ねて何度も命じれば通るだろうし、一度だけでもレジストの為の魔力を絞って苦しめるくらいは出来るが、それは彼の趣味ではない。たかが名前を聞き出すくらいで、そこまでするのも馬鹿臭かった。
「……まっ、いいさ。おいおい知る機会もあるだろうよ。それより問題は、今日の宿だな。残りの金じゃあ大した寝床は見繕えんだろうが――」
「随分と呑気にしているじゃあないか?」
仕方ない、と結ぼうとした言葉に、悪意のある声が被さる。
見やると、建物の陰の暗がりから、先程の競売相手が現れる。それも、ぞろぞろと取り巻きを連れながら、だ。
「このワシを相手に向こうを張った他所者が、どんなものかと思ってみれば、今宵の塒にも事欠いているとは。そんな懐具合で、ワシの物を横から掻っ攫ったのか?」
そう言う口元は嘲弄の意も露わに歪んでいたが、瞳にはねっとりと粘着質な、それでいてチリチリとする熱気を湛えている。
先程の意趣返しを目的としているのは明らかだった。
思わぬ揉め事に出くわしたことに、ドゥーエの口から溜め息が漏れる。
「ズレたイチャモンだな。今ンところ、コイツは俺のだぜ?」
もっとも、しばらくすればあの錬金術師の実験台になるだろうが。
「そればかりではない! 貴様にそれを譲ったお陰で周りの連中め、ワシの財力を見くびりおって! トリの競売に予想より競りかけてきおった! どれだけ叩いたか分かるか? んんっ?」
「要は八つ当たりかよ……」
「身から出た錆だな」
面白そうに成り行きを見つめる、ダークエルフの女。自分を買ったばかりの人間など、主人とも思っていないのは明らかである。良い度胸をしているのか、それとも単に捨て鉢なのか。どちらにしろ、豚のように肥えた銭亀の腹いせよりは、聞いていて痛快ではあった。
「自分を巡って男同士が取り合いを演じる……ちょっとしたお姫様気分かね?」
「盛りのついた雄同士の喰らい合いだ。闘犬でも見物している気分さ」
「良い根性してやがるぜ」
面白い女だ、と思った。人間にその身を切り刻まれ、奴隷にまで身を落としておきながら、このふてぶてしさ。冒険者時代にこんな女がいたら、一匹狼など気取っていなかったろうな。そんな事を思う。これだけの玉をオーブニルに差し出すのは少し惜しいが――生憎、ドゥーエも頭を弄られて奴隷と大差ない道具に落ちぶれた身だ。その時が来れば止める術は無いだろう。
「余裕ではないか、洞窟潜りの冒険者風情が。腕に自信はある、というクチか? ……ふんっ。見るからにそういう輩と思っておったわい。故に、こういう趣向を用意した」
商人風の男が合図をすると、ごろつきの一人がよろよろと進み出てくる。
用心棒? それにしては様子がおかしい。まるで酔っぱらっているかのような千鳥足だ。
訝るドゥーエに、男は笑みを浮かべながら語り掛ける。
「冒険者同士の争いは死に損。殺そうがどうしようがお咎め無し……であったな?」
冒険者ギルドの原則だ。自分の身は自分で守れ、ということらしいが、実態は新人潰しを合法化した糞ったれな決まりである。少なくともドゥーエはそう思っている。喰い合って多少頭数が減った方が、多くのパイが残る。そんな欲得づくの会則だった。
一度それを悪用されて死にかけたことのある身としては、思い出したくもない一文である。
「……あんまり目に余るようだったら、本部から刺客付きでお叱りが来るがね。それが?」
「だから言ったであろう、冒険者向けの趣向だとな。……名乗ってやるがいい」
言われて、胡乱な足取りの男が口を開く。
「りょ、【両手剣のドゥーエ】と、お、お、お見受けする……」
ろれつの回らぬ舌で二つ名を呼ばれ、ドゥーエは眉を顰めた。
「お前、冒険者くずれか」
「げ、げ、現役だ……こ、れでも、な。……【飛燕剣のモールト】。ランク、B。い、一手立会、所望する」
伸ばしっぱなしの蓬髪に剃刀を当てた気配も無い無精髭、痩せて張り出した頬骨に落ちくぼんだ眼窩。流民もかくやという体で、それでも異常な眼光を放ちながら、男は名乗った。
その腰に差している得物はカタナと呼ばれる異国の剣だ。危険な外洋を横断した先にある、遥か東の国の利刀。数十年前に探検家が持ち帰ったそれは、絶大な切れ味を誇ることと、精妙な腕前を要する繊細さで知られている。つまりは使い手を選ぶということだ。それを頼みに生き残っている以上、一方ならぬ使い手のはずだが、
「何て様だよ、お前。……酒毒か?」
酒で身を持ち崩しでもしたか。そう当て推量する。それを否定したのは、意外にもダークエルフの奴隷だった。
「いや。恐らく、薬だ。鼻に吸入者特有のかぶれが見える」
「詳しいじゃねえか。ご同類かね?」
「馬鹿を言うな。故郷のシャーマンが長時間の祈祷を行うのに使っていたものだ。異常な高揚と共に神経が冴え、二日三日と眠らずにいられるが……人の子には、ちと強過ぎる代物だろうよ」
「くくくっ、カンナギギンオウの汁を漉した粉末よ。この街の闇は深い。こいつもかつては名の知れた冒険者だなんだと息巻いておったが、ワシに掛かればこんなものだ」
自慢げに言いながら、懐から取り出した薬包を地べたに放る。
モールト、と名乗った剣士は、血走った目を更に赤くしながらそれを拾う。
「お、おう!? く、クスリ! 俺の、俺のだァ!」
「かかかっ! こんなものが欲しいか? ん? 欲しいのか? ……そいつを斬ったら、もっとやるぞ? 精製したての、もっと純度が良いやつをな!」
「き、き、斬る! 斬るとも! ……くんっ、くんっ……!」
モールトはしゃがみ込んで犬のように薬を吸う。一吸いごとに、ビクビクと恍惚に痙攣していた。
その様を見ながら、ドゥーエは白けた目線を商人に向けた。
「……違法じゃないのかい?」
「ここでは金が法だ」
なら、その金で決着した話を蒸し返すな。そう言いたかったが、その前にモールトが身を起こす。
雰囲気は、一変していた。
「ふゥ~~~~………っ」
長い吐息。空気が圧され、殺気が満ちる。
手先足先の震えが消える。
打って変わって静謐に佇む姿は、それ自体が一本の刀剣にも見えた。
陶酔の中で垂らした涎を袖で拭い、威儀を正してから口を開く。
「……見苦しいところを晒した」
「…………」
「無礼は、我が剣の神髄を以って償おう」
言いながら小さく腰を落とし、左手の親指でカタナの鍔を押し上げる。
鯉口を切った鍔鳴りが、淀んだ街の闇に澄んだ音を立てる。
右手は柄を握っていた。だが、それを抜き放とうとはしない。
構えどころか得物も抜かず、だがこの白刃を突きつけられたような寒気は何だ。まるで次の瞬間には真っ二つにされそうな危機感を覚える。
今度は逆に、ダークエルフが聞いた。
「何だ、あれは?」
心当たりはあった。
「抜刀術……なんでも、鞘から抜くのと同時に相手を斬るってハナシだ」
使い手と相対するのはドゥーエも初めてのことだ。
「本来は不意の襲撃へ対する為の技らしいが、納刀という溜めを利して抜刀時に神速に至る流派もあるとか」
「よく、剣理を学んでいる――」
にたりと、モールトの顔に亀裂めいた笑みが浮かぶ。
「――知っていても、躱せぬがな」
そこにあるのは、一人の剣士としての矜持と自信。
身も心も白い粉に撞着して落魄れようと、この刃だけは錆びず、曇らず。
表情一つでそう語るモールト。
便乗するように、彼の飼い主も喚く。
「そうよ! 今のそやつはな、薬の昂りで感覚の冴えを増しておる! 実力の程は、薬が抜けておる時はおろか、手を染める前すら上回っているのよ! 以前、A級だとか称しておった無礼者もおったが、一太刀で魚の如く開きと化したわ!」
「……御託は十分かい?」
言いながら、両手剣を抜いた。
その話が確かなら、立ちふさがる相手はAランクをも屠る剣腕の持ち主。哀れな盗賊や野良モンスター、不意討ち以外に能の無かった裏切り者とは違う。邪道とはいえ、純然たる強敵。
ビリビリと肌がひり付くような殺気に、ドゥーエは昂りを覚える。
肩書きはかつての自分と互角。実力は薬の作用で倍加し、確実にそれ以上。
なけなしの意地と本能とが、残り火めいて疼いた。
「だったら、とっとと始めようや。時は金なりだろ、商人の旦那?」
「抜かしおるわい! ではお望み通り、殺――」
言葉が終わる前に、モールトが動いた。
痩躯が、霞む。それを捉えようとしたドゥーエの目は、時間が引き延ばされていく光景を幻視した。
踏み込んで来た。神速。二つ名通り飛燕の勢い。
気が付けば、一足一刀を超えている。
抜刀。刃の光。切り上げ。右脇腹に迫る。そのまま左肩まで斬り抜こうという斬撃。
躱す。左に半歩。紙一重を切っ先が走り抜けた。
振り抜いた姿勢。半身を晒す。好機。後の先。正眼から切っ先を上げる。
……取った!
だが、目に入るのはモールトの笑み。喜悦の表情。何を喜ぶ? 疑問。
答えるように、敵の左手が跳ねた。
握られているのは……鞘? 鞘を振るう? 刃は無い。だがしかし。
抜刀の捻り、その反動を加えた速度。鉄拵えの重量。鈍器。十分に殺せる。
……俺を殺せる?
――思考加速。反射速度向上。
引き延ばされた時間が、更に鈍化していく。
危機感と生存本能をトリガーに、スイッチが切り変わった。ドゥーエ・シュバルツァーという剣士から、錬金術師の手掛けた殺戮戦闘兵器へ。目覚めるというよりも、悪い夢に落ちていくような感覚だった。
目を引くのは鈍器として振るわれる鞘を握った、枯れ木めいて細い腕。薬の弊害だ。何て様だ。
だが、人の事は言えなかった。この身は既に、あの錬金術師に弄られ尽した人型の武器。
外道によって力を得たのは、同じか。
モールトは、誇りと共に命をも削った。俺はどうだ? 誇りを捨て、命を得、その上に力まで。他に代償は?
ドゥーエはそんな事を考える。考える余裕がある。代償を払った上で一時的にとはいえ、A級冒険者に相当する剣腕。それを前にこれだけの余裕があるのか。
とはいえ。
物思いに耽っていては左の鞘を叩きつけられ、返す刀で右の二の太刀を喰らう。
だから、考えるのはここまでにした。人生を徹して己に叩き込んできた業前と、あの外道に叩き込まれた命令とに従い、携えた両手剣を振り抜く。迫る鉄拵えの鞘ごと、眼前の敵を両断せんと。
鉄塊同士の交錯。生じた音は、激突というより擦過のそれに近い。
そして、身体の横を質量を持った風が駆け抜けていく。
……長い一瞬が終わる。
痩せ細ったその身体は、やはり枯れ木のような手応えがした。
「――せ!?」
呑気にもようやく口上を終えた商人の顔に、薬物の染みた鮮血が飛ぶ。
モールトの身体は左の肩口から右脇腹まで袈裟掛けに斬られ、両断されて吹っ飛んでいた。
衝突音。
カタナ使いの残骸がぶち当たったのは、魔法の明かりを灯す街路灯。その支柱をひしゃげさせ、そこにめり込んで悪趣味なオブジェと化している。
「……見、事」
呆れたことに、辛うじて息がある。のみならず、喋りまでした。片肺が潰れ、心臓も無いというのに、如何なる薬理か執念か。その右腕は、未練たらしく未だにカタナを握っていた。
「外法……正道に及ばず……か……」
チカチカと点滅する魔法の光が消えると同時に、モールトの瞳も閉じられる。
同時に、立ち尽くしていた胸から下も、糸が切れたように崩れ落ちた。
呆然としていた商人一味も、ようやく狼狽らしき反応を見せ始める。
「え……? あ……?」
「も、モールト?」
商人と、取り巻きのゴロツキどもの傍をすり抜け、暗がりの中で息絶えたモールトの傍に屈み込む。その死に顔は穏やかだった。最期の最期に剣士として認められる相手と死合えた、と万感の思いでも抱いて逝ったように。
「……馬鹿だよ、あんた」
震えるような小声が漏れる。
見当違いの満足を抱えて、手前勝手にくたばった。それがこのカタナ使いの死の正体だ。
正道だと? 外法と言うなら、ドゥーエの方こそ外れている。筋肉を整え直し、骨格を補強し、神経網を再構築して、とどめに脳味噌まで手が入っているのだ。薬一つで済ませたモールトの方が、まだしも正道に近い。
禁制の薬による昂りなど、所詮は明鏡には程遠い魔境。結局、この剣士は最後まで目を曇らせたまま逝ったのだ。
「ひ、ひぃいいいいいぃ……っ!?」
ぺたりと尻餅をつく商人。まさか軽い気持ちで――それでも殺意は十分に――虎の子を嗾けた相手が、それを一太刀で斬り殺すとは思わなんだろう。仰天して、ズボンの前を生温かく汚していた。
「に、逃げろ!」
「でも、旦那が――」
「馬鹿野郎っ! 命あっての物種だぜ!」
取り巻き連中も逃げて行き、太った中年商人は、一人取り残されてしまう。
……馬鹿臭い気分だった。この間、盗賊団を斬った時と同じだ。考え無しに勝負を始めて、殺して、そしてズルけた手で得た力に飽きを覚える。
この先何度、それを繰り返すのか。
「た、助けて……」
憐みを乞う声で、豚が鳴いた。
「か、か、金は、い、幾らでも出すから……」
「要らねェよ」
降りかかった火の粉を払っただけだ。窮すれば切り取り強盗も辞さないつもりだが、まだそこまでする程のものではない。
「殺さないでくれぇ……!」
「殺しもしねえって」
この両手剣は、屠殺の為の刃ではない。
……じゃあ、何の為のものだ?
その疑問の腹立たしさに、舌打ちが漏れる。
「……とっとと行けよ。気が変わって殺したくなる前にな」
「ひ、ひいいいいっ!」
濡れたズボンで歩きにくそうにしながら、彷々の体で逃げ出す商人。
みっともない姿だった。相手も、ドゥーエ自身も。
「何て顔をしてるんだ、お前」
ダークエルフは言った。声に滲むのは、困惑と哀れみだった。自分を買い受けた仮初の主を計りかねているのか、そしてそれでも、彼が何かに煩悶していると分かるのか。
それこそ詰まらない推量だった。
女は続ける。
「これだけの剣腕を備え、不本意ながら私を身請ける程度に富もある」
「……」
「それで何を、そんなに虚しそうな顔をするのだ?」
全部、借りものだからだ――。
その本音を吐露する代わりに、別の物をぶち撒けることにした。
黙って抱き寄せる。
首輪の魔力にも抗ってみせると嘯いた女は、何故か躊躇いがちに抱擁を受け入れていた。
※ ※ ※
「で、帰還が予定より大幅に遅れた上に、予算の大半はダークエルフに注ぎ込んじゃった、と」
僕は書類を決裁する手を止めてドゥーエの方を見た。
彼はというと、頭を掻きながら、
「悪かったとは思っているよ、ご主人」
などと言ってのける。
反省はしているようだ。それが許せるものかどうかは別として。いや、許せないでいるのは僕じゃなくて、
「一体、何をしているのですか? 貴方は」
空気が歪みかねない怒気を放っているユニだ。表情はいつもと変わらない。しかし、この気配には主である僕さえ背筋が冷たい気分を味わされる。顔には出さないが彼女なりにドゥーエを買っていただけに、その反動もあってこの件を許せない思いが強いのだろう。
「ユニ」
「……失礼しました、ご主人様」
悪戯に殺気を漏らしたことを詫びて、一歩下がる。多分、まだ怒っているだろう。それに対する処方は後に回しておいて、
「まあ、今回の件は僕も悪かったよ。ちょっと不用意にフリーハンドをあげ過ぎた。予算も過分だったみたいだしね」
そうでもなければ、幾ら傷有りとはいえダークエルフが買える訳はない。辺境の代官の隠し金とたかをくくって、丼勘定でポンっと大金を手渡したのがこの件の遠因だ。ドゥーエがやらかしたのは事実だが、軽率さを責めるのなら僕もその誹りを免れ得ない。
「それに、貴重なダークエルフが思いがけず手に入ったんだ。だから、この件はお互いに以後気を付けるということで」
「……よろしいのですか?」
「だってほら、僕は『奴隷を派手に買ってこい』とかファジーな命令しか出してなかったからね。条件に合ったのが何人いるか分からなかったからさ。ドゥーエに女を買うのも許していたし。まさか派手に高い女を買う、とは思わなかったけれど」
つまりはそういうこと。大元は僕の命令設定のミスだ。
「ならば、ご主人様が過たれたのを正すこと適わなかった私のミスでもあると。……成程、私に彼を責める資格は無いようです」
ユニの中では、そういう形にして彼を許す整合性を付けるつもりらしい。僕の教育の成果とはいえ、生真面目なことだ。
「よし。じゃあ、この件はこれまでということで」
「……済まねェな」
殊勝に頭を下げるドゥーエ。何だかいつもより元気が無いな、なんて考えながら彼の買ったダークエルフを見やる。
もしかして、情でも移ったか? まあ、大枚を叩いて買った奴隷だ、思うところぐらいはあるだろう。にしても、傷ありの女奴隷に予算一杯注ぎ込むなんて、何だか他人の気がしない選択だ。
件のダークエルフは、何でか僕の椅子の後ろに侍るユニを凝視している。
「……女。貴様、本当に人間か?」
おまけに何か失礼なことを言い出した。まあ、扱い上は僕の『作品』で道具なんだが。
「生物学上はそうであると判断を下されております。ガレリン魔法アカデミーのお墨付きです」
「つまりは人間は人間でも、真っ当な人間ではない訳か。押し殺していながらこの魔力量、一体どこをどう弄くればそこまでになる?」
疑念と畏怖に満ちたダークエルフの視線。ユニはそれを小揺るぎもせずに受け止める。
言っちゃあなんだが、ユニはドゥーエに比べると、まだ弄っていない部類に入るのだが。
「素材が良いからね、彼女は。継続的な投薬と効率的な訓練。それだけでここまでになった訳さ」
「全て、ご主人様のご指導の賜物です」
「……人形遊びは余所でやれ。吐き気がする」
余所でと言われても困る。新居が出来るまでの仮住まいとはいえ、ここは僕の屋敷だ。
剣呑な雰囲気に、ドゥーエが溜まらず口を挟む。
「よせ」
「何故止める? いや、そもそもお前は何故こんな男に従っているんだ? お前ほどの実力があれば、下衆な貴族の駒などに甘んじずとも――」
「よせって言ってるだろ!」
悲鳴のような声だった。
お前ほどの実力があれば、か。その大元を考えれば、ドゥーエには辛い言葉かもしれない。
「まあまあ、そう揉めないで。きっとみんな、仲良く出来るようになるよ?」
「誰が貴様らなどと……!」
「……出来るのか?」
ポツリと呟くドゥーエに、信じられないと言った顔を見せるダークエルフ。
行動を共にしたのは僅かな間だというのに、随分と良い仲になっていたみたいだ。
安心して欲しい。ちゃんと一緒に居られるようにはしてあげるから。
「生きたダークエルフを扱うのは初めてだけどね。長命種のサンプルは幾らか見たことがある」
ユニが冒険者だった頃に余所のパーティにいたエルフを仕留めてくれたこともあったし、アカデミーじゃより綺麗な形のものを触らせて貰えた。グラウマン教授の下では、色々貴重な経験をさせて貰ったものだ。
「僕が知っているのはエルフだけど、まあ身体の仕組みはそんなに人間と変わらなかったからね。多分、ダークエルフでも何とか出来るさ」
「するのはそれだけか?」
「あはははっ! 解剖でもすると思っていたかい? 残念ながら、長命の亜人じゃ僕の目的としている不老不死に近づけないんだな、これが。そもそも彼らの長寿の仕組みは――ああ、まあ、そこは良いか。大事なのは、この希少な素体で何をするか、だね」
「やめろ! 貴様ら、私に何を――」
「押さえろ、ドゥーエ」
「……。ああ、わかった」
僕の命令に従い、がっしりと彼女を拘束するドゥーエ。
片方しか残っていない目を見開いた顔は、絶望の二文字を体現したような表情だった。
「おい、嘘だろう……?」
「残念ながら、本当です。……ところで君、大事なことを聞き忘れていたんだけど」
震える声で、自分を押さえる手の主を呼ぶ彼女に、僕は問い掛けた。
「君。名前は?」
「お、お前に教える名など無いっ!」
「あっ、そう」
答えはすげない拒絶だった。
そう言われるかも、とは思っていたが、仕方ない。別に大して興味も無いことだ。
「まあ、良いか。新しい名前は、僕が適当に考えておくよ」
※ ※ ※
「――だ」
カナレスでの夜、汗ばんだ肌をシーツに包みながら、女は言った。
「あん? 何だそりゃ」
「だから、私の名前だよ。聞いていなかったのか?」
いいや、と男は答えた。
安宿の狭いベッドの上である。枕を交わしながら寄り添い合っていて、耳元に囁かれた言葉を聞き逃すはずも無い。
「どういう風の吹き回しだか。さっきまでは、猿なんぞに名乗る名は無い、とか言ってたろうに」
「なに、単なる気まぐれさ」
言って、女は薄く笑う。
砂漠の蜃気楼のようだ。近づけば消えてしまいそうな、儚い笑いだった。
「……ふと思ったのさ。これから先、誰も私の名前を呼ぶことは無いだろう、と」
「……」
「一人くらい、憶えているヤツがいないと、少し寂しい気がしただけだ」
その言葉に、男は息を呑む。
女の体に刻まれた無数の傷は、彼女を襲った戦禍の激しさを物語っていた。
希少な存在である彼女をここまで傷つけるような戦い――それを思えば、恐らく彼女のいた氏族は既にあるまい。
女は、慣れない痛みから身体を庇うように、横を向いた。
「やはり気の迷いだな。……二度は言わん」
「二度は聞かねえよ」
男は、腕を枕に仰向く。
「二度と、忘れねえから」
窓外の月だけが聞いていた誓いだった。
――その言葉通り、女の名は男の胸にのみ残ることとなる。