03 なつかしき声と姿
「ヴァイス」
聞こえた名前を呟けば目の前で幻影の男が笑う。気づけば、静紅の姿はなく灰色の霧の中に二人だけいた。
地面につくくらい長いストレートのスノーホワイトの髪。まるで雪のようだと呟いて、指に絡めたり、癖がないのをうらやましがったりしたことがある。
そのたびになだめるように、白い掌がぐしゃぐしゃに自分の漆黒の髪をかき混ぜてきた。
「ヴァイス……」
はらはらと涙がこぼれる。彼の纏う漆黒の衣服が自分の着ているものと同じことを思い出す。動きやすいようにシンプルに作られた機能性のある衣装は、つける飾りの色で区別していた。自分は赤。彼は青。
『……シュバルツ』
慈愛を含んだ優しい声が名前を呼ぶ。たまらずに駆け寄って抱きつけば、ひんやりとした感覚が肌を通して全身につたわる。
思わず身震いをすれば、固い感触が肌に触れる。恐る恐る彼の体を見れば、夢で見たのと同じ太い太い鎖が彼の四肢をからめ取っていた。
「ヴァイス、ごめん。ごめん。俺はずっと」
『何もいうな。お前は奴のように完全に思い出していないだろう、なぜならお前が』
「ヴァイス? どういう意味だ?」
急に言葉を濁したヴァイスに必死の形相で詰めよれば、鎖で阻まれて辛いだろうにぽふりと頭に手を載せてぎごちなく撫でてくる。その手の温もりが懐かしくて涙が止まらなくなる。懐かしそうな笑顔でゆっくりとくせ毛を撫でる。チャリというこすれる音が灰色の空間に響く。
『お前が一番重要なカギを持つからだ』
「俺が?」
『すまない、もう時間がない。シュバルツ、今は紫呉か。また会おう』
「ヴァイス、待って。行かないで、俺の対よ!!」
『いつまでも待ち続けるよ、魂を分け合いし対よ』
ヴァイスと叫んだ声が大きく広がる、目の前には赤い髪と深紅の瞳を月光にきらめかせた静紅しかいない。夜の空気が肌をくすぐる、目から涙がこぼれ続ける止められずにしゃっくりをあげる。
「会えたか?」
「ヴァイス……」
「二心同体のお前たちが別れることはつらいことだろうな」
「でも、元気だった。俺はとりかえさないといけない、ヴァイスを」
涙をぬぐいとり、目の前に立つ静紅が何者かを思い出しその言葉を口にする。それが己の記憶に対する決定打として。
「リーダー」
「思い出せたか、シュバルツ。そして俺の名は?」
「わかんない」
きっぱりとした表情で言い放つと同時にスパンといい音を立てて頭をはたかれた。あまりの速さに避けることもできずにうめきながら頭を抱える。
思わず、ヴァイスと自分の対を呼ぶ。ほぼ癖のようなものだから仕方のないことだ。
「な・ん・で、俺の名前を思い出せない!」
「だって完全に思い出せてないんだよ! ヴァイスのこと関連から引っ張り出していくしかないんだから仕方ないだろうが」
「はぁ……そういう俺も他のやつのことを完全に思い出したわけじゃないしな。ロート、ロート・フラメ」
ロート・フラメ。と小さくつぶやいて記憶を引っ張り出す。燃えるような緋色の髪と目の前で見下ろしてくる深紅の瞳が重なる。彼の焔はすべてを灰燼に帰す力。
厳しくもやさしい「カタストロフィ」のリーダー。手が出るのは早かったが。
「リーダー。ロート」
「ヴァイスは何を言ってた?」
「俺が重要なカギだと」
「そうか。……その意味はこれからゆっくり考えればいいが」
ポケットから煙草を取り出すとオイルライターで火をつける。どうして力を使わないんだろうという表情をすれば、それを見抜いたかのように鼻で笑う。
「この世界に刺客がいる」
「……確実にしとめに来ているのか」
「あの生ぬるい平穏を続かせたいんだろうよ。だが、今までは俺たちの記憶が戻っていなかった、だから見つけられない」
「でも、俺たちの記憶は戻った」
白い煙が夜空に生える、赤茶のくくられていない髪が風にそよぐ。白と黒のコントラスト、それは幾度も見てきた。それを一緒に見る対は今傍にはいない。
「そういうことだ。そしてあいつらは」
そこで空を見上げる。紫呉も見上げる。三つの星が寄り集まっている部分にぽっかりと小さな黒い穴が開いているのが見えた。
それは二人の目にしか映っておらずすぐに消えた。
「俺たちはなぜこの世界に来たか、それは逃れるためだけじゃないよな」
「たぶん。俺は強くなるため、ロートは」
「視野を広げるため。だいぶ広くなったはずだが、まだ劣るだろう」
「うん。俺はたいして変わらない気がする」
「どうだろうな。昔はすぐにピーピー泣いていたしな」
余計なことを言わないでよという表情をしていれば、カードを静紅は取り出す。自分たちの記憶の鍵となるカードを紫呉も取り出す。
艶やかな黒と鮮やかな金は彼らの象徴色。
「武器どうしようか」
「おそらくこいつが代わりになるはずだ」
「どうしてわかるの?」
「ここに来る前に仮眠をとった、そしたらあいつが出てきて念じれば任意の武器にすることは可能ということを伝えてきた」
あいつという静紅の表情はさみしそうで、その隣に浮かぶはずの大剣がないことに違和感を紫呉は覚える。まるで一心同体のように扱っていたそれは、自分にとってのヴァイスと同等の存在だということを知っている。だからその気持ちは痛いほどわかる。
「ロート」
「今は静紅だ」
「静紅。これからどうするの?」
「残りの仲間を探す」
「帰らないの?」
「帰りたいが、俺たちの二人の力じゃ呪縛を打ち破れない。そうだろう?」
無言で左腕をつかむ。ヴァイスの体を覆っていた鎖の冷たさを思い出し、また涙がこぼれそうになるがそれをこらえてうなずく。いつまでも泣き虫ではいられない。
「すべてを奪うまでは、帰れないか」
「そう、この世界で仲間を奪うまではな」
「それと」
「あぁ」
二人は背中合わせで立つ。カードが金色の閃光を放ち、紫呉の目の前には金色の細身の刀が、静紅の目の前には緋色の大剣が浮かぶ。
それをつかむなり二人は目にもとまらぬ速さで空間を薙ぎ払う。衝撃が園内で爆発し、木々や遊具を押し飛ばそうとする。
ぎしぎしという音が収まった後には、細かな灰がその場を漂っていた。
「この世界での刺客を」
「つぶしその命」
奪うまで――