表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

夏のはじまり

掲載日:2026/06/27

 付き合う前は僕の影のように後ろに従うばかりだった女の子は、告白を受け入れるとまるで下男か何かのように僕を扱うようになった。立場の逆転などと生やさしいものではない、世が世なら革命と呼ばれてる。ギロチンが、まだその役割をまっとうしていた時代のこと。幸いにも僕は、怒り狂った大衆の前で首を落とされることなくすんでいる。深夜でも連絡が入ればクルマで迎えに行き、疲れて帰ってきても彼女の愚痴を朝方近くまで聞かされる。それくらいでおさまっているのは、だからまさに幸運だ。私のこと好きならそれくらい容易いことよね、お姫さまには苦労をさせられる。


 土曜の夜?もう日曜日になったか。土曜何した?なくなった?なんか不思議…… でもないか、遅く起きて、なんか食べて、なんか本読んで、パソコンいじって、スマホいじって、なんかいじって、食べて、まだ届いてないか宅配ってスマホで確認して配達中で、なんか食べるかってみそ汁なかったからつくって、ついでにつくり置きしてひとつだけだけど、食べて、やっと届いて、何度かトイレには行って…… ちゃんと土曜をすごしてた。ああ、水もあげたな、ベランダの鉢植え。


 前に付き合っていた女の子の誕生日が日曜だと困るものだ。平日なら忙しい仕事にかまけて気づかなかったフリもできる。しかし日曜は。思い出して、でも何をするでもない。電話でもしてみるか、どういう理由で?何を話す?いや、なんとなく気になってさ、いったい何を気になった?カレンダー見てさ、誕生日だなって、きっとほかの男に祝ってもらってるさ。最近どうしてる?ヨリ戻したいのかって勘ぐられるぞ、何より女々しい。ああ今日、あのコの誕生日かあ、思って何もしない。それが僕にできる唯一のこと。


 披露宴の受付を頼まれていた。華やかな宴などからは遠ざかって久しかったが、招待客の衣装もきらびやかになったものだ。女性はもちろん、男性も。蝶ネクタイをつけた人物が数名いることには驚いてしまった。悪目立ちかおめでたくなのか赤いスーツに白のネクタイの男性がいてその狙い通りやけに目立っていた。芸人か?思う僕の横で、やはり受付の女性から「どこかの大泥棒みたいね」そんな声が聞こえてきて、でもそれは僕に向かってのものではなかった。

 しかし、昔の知り合いに会うというのは気苦労が絶えない。やあ久しぶりじゃないか、覚えてるか?ああいうときは忘れてしまってても、もちろんさ覚えてるよ、話を合わせるものなんだろうな、本来は。すまん、覚えてなくて、正直に言って相手をさみしい顔にさせてしまった。せっかくの式だというのに、出席してくれた招待客だというのに。

 受付を終え自分の名前の書かれた札が置かれた席に着く。すまん、あそこの席のさ、ああそうそう、彼さ、なんて名前だっけ? インドネシア研究会の澤田だろ、ぶっきらぼうな声で教えてもらうがそれでもピンと来ない。

「お前のとこもそろそろじゃないのか」

 忠告か、茶化してるのか、あの女の子と結婚なんてなったらそれこそ…… 結婚式でうんざりするなんてヘンに勘違いされそうで、でも僕は、しっかりとうんざりした。

 六月の花嫁は雨に濡れて、でもちゃんとうれしそうだった。雨は朝から降り続いていたけど花嫁が濡れていたのは雨のせいじゃない。泣いていただけだ、きっと。

 しかし澤田…… 家に帰ってからも思い出せない。いただろうか。当時、何か話したんだろうか。思い出せない、思い出せそうにもない。たいした仲ではなかったということか。その判断で、おそらく間違いはないんだろう。僕の人生において澤田某はその程度の存在なんだ。そう思うと、途端に気持ちはすっきりした。


 日曜日はちょっとつまんない。お気に入りのスマホでみれるいくつかの小説、軒並み更新がない。


 夜、呼び出される。例によって、とその前につけてもいいくらいだ。着信があって僕が「もしもし」と言わないうち、

「いま赤坂。30分で来て」

 ひとつも言葉を出せないまま通話は切れた、これだって例によって、だ。30分か、まるでピザ屋だ。財布とスマホとクルマのキーだけを手にし部屋を出る。慣れたもんだな、そう思う自分を情けなく思う。

 赤坂の手前あたりで降ってきた雨は、しだいに強くなった。インターバルにしていたワイパーを一段ひねって海を目指す。

 芝浦の倉庫街。雨の夜は悪いことをしてみたくなるもんだ、その行為を雨が覆い隠してくれるから。トランプのカード飛ばしのようにスマホを放る。きちんとバランスをとれなくてすぐ海に落ち、その音が雨音にまざり合う。夜の闇が、雨に濡れてさびしい。もう会うことはないだろうあの女の子を思い浮かべ、あのころの気持ちはなくなってしまったよ、届くことのない短い別れの告白は雨に消えた。夏がはじまるというのに、雨は冷たい。









評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ