魔王を育てたいだけの、ポンコツ元・最終兵器 ~古代の殺戮兵器が、田舎の村娘を最強魔王に育て上げるまで~
### 序章 スライムの墓場、そして出会い
ぺちょん、と間の抜けた音がした。
ルナ・ヴェルデ、十七歳。冒険者ランクD。所持金三十二リック。今日の討伐目標、スライム一体。達成率、現時点でゼロ。
「うっ……ぐっ……なんで、こんなにぬるぬるするの……!」
草原の真ん中で少女は転げ回っていた。青みがかった粘液が両腕に絡みつき、ショートソードの刃をぺちゃりとはじいている。スライムは知性のない生物だ。生命系最弱種のひとつとされている。それでも、ルナにとっては今日も宿敵だった。
ぺちょん。
また転倒する。草の匂いと泥の感触。頬に冷たい地面。ルナは土を握りしめ、歯を食いしばった。
(大丈夫。大丈夫……全然大丈夫じゃない)
ヴェルデ村に冒険者ギルドが設置されたのは三年前だ。王国辺境局の出張事業として作られた末端拠点は、常駐職員がクロエ・ハーセン一人という小規模施設だった。ルナは十四歳でギルドカードを取得し、以来ずっとDランクのまま。スライム専門の底辺冒険者として、村人たちの生温かい苦笑を買い続けている。
老冒険者のガルベス・ウンナは「諦めることを知らないのか、馬鹿なのか、その両方か」と毎晩宿屋で酒を飲みながら言った。村の鍛冶師マーゴット・ハルスは「あの子は何かを待ってる目をしてる」と言った。ギルドのクロエは何も言わないが、毎日ルナが帰ってくるたびに温かいお茶を出してくれた。
それでも、やめなかった。
理由はある。言葉にはしていない。ただ、やめなかった。
「あー、もう! いい加減にしてよ!」
捨て身のタックル。体重をかけてショートソードを押し込む。スライムの核、薄赤い点に刃先がぎりぎり届いた。
ぴしゅっ、と小さな音がして、スライムが溶けた。
「……やった」
仰向けに倒れたまま、ルナは空を見上げた。青い空。白い雲。遠くでさえずる小鳥。誰も注目していない。二十三分かかった。それでも今日も一体倒した。
「倒すのに二十三分かかったね。スライム一体に」
声がした。
「……え?」
起き上がると、少女が立っていた。
黒い短髪。機械のような冷たい銀色の瞳。白と黒のまだら模様の服——いや、あれは鎧に似た何かだ。年齢はルナとほぼ同じに見えるが、雰囲気が根本的におかしい。静止しているだけなのに、存在感が重い。空気の密度が違う。笑うと、八重歯が覗いた。
「……誰?」
「エクセキューション」
名乗りながら少女はしゃがんで、スライムの残骸をぐりぐりとつついた。観察しているらしい。
「なに、それ。変な名前」
「武器の名前だから当然。正式名称は対神決戦用意思体兵装・抹消剣エクセキューション。長いのでエクでいい」
「……は?」
「あなた、ルナ・ヴェルデでしょ」
断言する口調だった。エクはすっと立ち上がり、銀色の目をルナに向けた。温度を持たない視線なのに、どこか期待に満ちている。
「そうだけど」
「知ってる。この三年間、このあたりの草原を観察してたから」
「……三年間、草原で?」
「うん」
「それ、不審者では」
「そうかも」と淡々と答えた。少し首を傾けた。「でも目的があった。魔王の器を探してたの」
ルナは息を飲んだ。魔王という言葉の意味を考え、目の前の少女の佇まいを観察し、声の重さを再確認した。
「見つけた。あなたよ、ルナ」
草原に風が吹いた。ルナの金茶色の髪が揺れた。遠くの森がざわざわと騒いだ。
「意味、わかんない」
「説明する。長くなるけど、聞いて」
こうして、ルナ・ヴェルデの奇妙な日々が始まった。
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### 第一章 師匠の料理は壊滅的である
ヴェルデ村の外れに廃屋がある。
農家の主ルーガス一家が十年前に王都へ移住して以来、誰も使っていなかった。エクはそこを「訓練場兼居住スペース」と宣言し、二日間で改修した。ルナは内装を見て目を疑った。
「……どうやったの、これ」
「秘密」
簡素だが清潔な室内。棚には謎の薬草が並ぶ。鍛冶道具一式。壁には大陸全土の地図が何十枚も貼られている。隅には年代物の書架があり、エクが「昔集めた」と言った本が詰まっていた。ルナは地図を眺めながら、一つ気づいた。この村の地図だけ、他のものより書き込みが多い。経路を示す線がいくつも引かれている。赤いものと黒いものと、日付らしき記号が添えられたもの。
「とりあえず今日から一緒に住んで訓練する。異論は?」
「ある。山ほどある」
「そう。では明日の朝食は私が作る」
翌朝、ルナは死にかけた。
ぐつぐつ、どろどろ、と鍋が不吉な音を立てていた。色は黄緑とも茶色とも言えない中間の何かだ。臭いは嗅ぎたくない。湯気が緑がかっている。
「スープよ」
「これが?」
「食べて。滋養になるから」
「何の滋養に……」
ルナは一口飲んだ。
ぐっ、と喉の奥で何かが炸裂した。五秒後、全身が燃えるように熱くなる。十秒後には落ち着いた。不思議なことに、気分は悪くない。むしろ体が軽い。
頭の奥でシステム音が鳴った。
『スキル:毒耐性Ⅱ→Ⅲに上昇』
「……なんで」
「あら、上がったの?」
エクが興味深そうに覗き込んできた。銀の目がきらりと光る。
「これ毒なの?!」
「毒じゃないわよ、そんなつもりじゃないのに」
そのつもりじゃない、の方が怖い。
ルナは翌日も、翌々日も、エクの料理を食べさせられた。毎回スキル欄が更新された。一週間後。
『スキル:毒耐性Ⅴ(上限)達成』
『特性:毒素変換 解放』
ギルド受付のクロエ・ハーセンは、ルナのスキル帳を見て三度見した。几帳面な性格が動揺で総崩れになっている。
「ルナちゃん……これ、どうやったの。大陸最高峰の冒険者でもほぼ持ってないレアスキルなんだけど」
「料理を食べてた」
「え?」
「信じなくていい」
クロエはしばらく書類と睨み合い、やがてため息をついた。「まあいいわ。とにかくCランク昇格試験の資格ができた。受けてみる?」
ルナは答える前にエクを見た。エクは鼻歌を歌いながら掲示板の依頼書を物色していた。固定砲台みたいな集中力だ。
「受ける」
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訓練は苛烈だった。
ルナには「魔力感知」という能力がある。普通の人間には見えない魔力の流れが、何となく見える。正確には「何となく」という程度の地味で平凡な能力で、これまで戦闘に役立てたことはなかった。
「それが全部よ」
夕暮れの草原。エクはルナの前に立ち、指を一本立てた。
「魔力感知があるのに、感知した情報の使い方を知らない。だからスライム相手に二十分かかる。それだけの話」
「……そういうこと、なんだ」
「明日から毎日組み手をする。私の魔力の動きを感知して、攻撃タイミングを学びなさい」
ルナはエクの魔力を感知しようとして、すぐに眉をひそめた。
「ねえ。あなたの魔力、形が変」
エクの微笑みが、わずかに変わった。
「そうね。人間の魔力じゃないから」
「どういう意味」
「強くなったら教える」
ルナはその答えを、なぜか不思議と受け入れてしまった。嘘ではない、と分かった。理由は説明できない。でも分かった。
組み手が始まった。エクの動きは読めない。速いのでも力が強いのでもなく、単純に予測できない。魔力の流れを読んでも、そこに動きが全く対応していない。ルナが感知するのは右の殺気、なのにエクは左から来る。前の圧、なのに後ろに流れる。
「面白いでしょ」
ぐっ、と転がされた。草の匂いが鼻に入る。
「全然」
「嘘。目が本気だもの」
エクが手を差し伸べた。ルナはその手を掴んだ。
毎日組み手をした。二日目、三度転がされるたびに感知の精度が上がった。四日目、魔力の「嘘の流れ」と「本当の流れ」が別物だと気づいた。エクの魔力には二層ある。表面の流れは囮で、底に流れる細い電流のようなものが本当の動きを示している。ルナの感知能力は、その下層に触れ始めていた。
七日目、初めて回避できた。攻撃は当たらなかったが、回避できた。
「あら」とエクが目を丸くした。
その顔が見たくて、翌日も組み手をした。
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変異スライム群落の無効化は、三週目のことだった。
草原の奥、本来は個体で活動するスライムが数十体で群れを成していた。通常のBランク案件だ。ルナには荷が重い。分かっていた。それでも引き受けた。
理由はエクが「行ってみる?」と言ったから。それだけだった。
魔力の流れが見えた。群落全体の核、共鳴点。個々の個体ではなく、それを止めれば全部が溶ける。ルナは動いた。三分かかった。
帰りにクロエの顔が白くなった。「……変異スライム群落って、どこで倒したの」
「草原の奥」
「単独で?」
「エクが隣にいたけど、何もしてない」
クロエはしばらく固まっていた。
宿屋の主人カーゴ・テンナが差し入れのパンを持ってきたのはその夜だ。五十代、丸顔、口髭の太い男だ。
「毎日聞こえるよ。大丈夫かい、ルナちゃん」
「大丈夫。訓練してる」
「一緒にいる子は友達?」
エクが差し入れのパンをきらきらした目で見ていた。固定砲台みたいな視線だ。
「師匠です」
「あら」とエクが言った。「魔王育成師、と言ってほしい」
カーゴは笑いながら帰った。翌日、鍛冶師のマーゴット・ハルスが顔を出した。四十代、短い銀髪、鍛冶仕事で鍛えた太い腕を持つ。ルナとはギルドの修繕依頼で顔見知りだった。
「変異スライム群落の話を聞いた。本当なの」
「本当」
マーゴットはエクをじっと見て、「変わった子だね」とだけ言って帰った。二日後、ガルベス・ウンナが廃屋の前を通りかかりながら「あの剣士の娘、目つきが変わった」と独り言を言うのが聞こえた。老冒険者の言葉は短く、でも重かった。
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### 第二章 王国騎士団の影
Cランク昇格の翌週、王国騎士団第三遊撃隊がヴェルデ村に入った。二十名、無告知。
隊長はウォルフ・カーシン少佐、三十代後半、黒鎧に赤い紋章。村の広場で馬をとめ、ドムス・グレン村長を呼び出した。村長は七十歳を超えた白髪の老人で、騎士団の紋章を見た瞬間に顔色が変わった。
ルナはギルドの窓から、それを見ていた。
隣でクロエが蒼白な顔をしていた。
「辺境局がこの地域を戦略緩衝地帯に指定する案があって……住民移送の話が出てる」
「住民移送って」
「村人全員を別の場所に移すこと。北方のガルム帝国との境界線問題。帝国が南下を始めてて、この一帯が緩衝地帯になる可能性が高いって。早ければ二ヶ月後」
広場ではウォルフ少佐が羊皮紙を広げ、村長に何かを説明している。村長は青い顔で聞いている。村長の後ろ、青年ハンス・ヴェイロが拳を握りしめているのが見えた。ハンスは二十代前半、農家の息子で村の若者組のまとめ役だ。その隣に、農家のイルゼ・コルム老婆が立っている。ぶつぶつと何かを呟いていた。怒っているのが遠目にも分かった。
「エクに言う」
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廃屋でエクは地図を眺めながら話を聞いた。大陸地図の北方部分に指を走らせ、何かを計算している様子だった。
「ガルム帝国の南下ね」
「何か知ってる?」
「四年前から兆候があった。帝都の魔力供給網の方向が変わって、軍用魔法陣が北から南に展開されてる。王国は気づいてたはずよ」
「なんでそんなことが分かるの」
「見てたから」
エクは地図から目を離し、ルナを見た。
「ルナ。この村を守りたい?」
「当然でしょ」
「じゃあ選択肢が三つある」
指を三本立てた。
「一、騎士団の決定に従って村人を安全に移送させる。村は失われるが、人は生きる」
「嫌だ」
「二、王国の政治過程に介入して決定を覆す。複雑で時間がかかる。王都に繋ぎのある人間が必要」
「それはどうやって」
「三、ガルム帝国の南下動機を止める。正確には、南下の動機を取り除けば、緩衝地帯の指定も撤回される」
沈黙が落ちた。
「……一国の軍隊を止めるって言ってる?」
「国じゃなくて動機を止める。帝国が南下する理由がある。その理由を取り除けば、帝国に侵攻する義務はない」
エクは地図の一点を指した。ヴェルデ村から北東、山脈の麓。地図には何も書かれていないが、エクが「ここ」と言った。
「古代文明の遺跡が、この村の地下三十メートルに眠ってる。帝国はそこを狙ってる」
ルナは息を飲んだ。「……なんで今まで黙ってたの」
「あなたが強くなるまで関係なかったから」
「それは……」
「ごめん」
エクが謝るのは初めてだった。短く、でも本気で言った。
「つまり、私が動かないといけないってこと?」
「そう。王国騎士団は使えない。遺跡の価値を知ったら今度は王国側が乗り出してくる。民間の冒険者として動く方が政治的に正しい。多分」
「多分って」
「外交は専門外なの。でも確率は七十パーセントくらいよ」
七十パーセントで全部賭けろと言っている。ルナは笑ってしまった。
「分かった。やってみる」
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翌日、廃屋に来客があった。
王国宮廷魔術師のフレイア・ノヴァ。二十代前半、紫の巻き髪、王国紋章の入った杖。ウォルフ少佐と同行してきたが、少佐と違ってルナを見て目を細めた。
「あなたが最近噂のCランク昇格者? 変異スライム群落の単独無効化、一週間でCに上がったのも。王都の冒険者課が気にしてる」
「噂になってるんですか」
「なるわよ。あの規模の変異スライムは普通Bランク案件」
フレイアはエクに視線を移し、そこで止まった。長い沈黙。
「……あなたは」
「エクセキューション」
「……そう」
フレイアの表情が微妙に変わった。何かを知っているような顔だが、聞こうとしなかった。
「遺跡の話を知ってる。私も気にしてた。もし動くなら、王都に繋ぎを持つ人間が必要になる。私が協力できる」
「理由は?」
「このあたりの村が消えると困る人間が王都にいるから」
「政治的な話なの?」
「複雑な話よ」
エクが口を開いた。「フレイア・ノヴァ。王国宮廷第二魔術師。元々はカルシア地方の出身、この周辺の生まれ。三年前の宮廷魔術師昇格試験の記録を読んだことがあるから、覚えてる」
フレイアがわずかに目を見開いた。「……よく知ってる」
「趣味で集めてた」
「趣味」
「うん」
フレイアは諦めたように肩を落とし、ルナに向き直った。「とにかく、動くなら言って。王都側から記録を動かせる部分がある」
その日の夕方、ウォルフ少佐がフレイアに「宮廷魔術師殿、私邸で民間人と接触するのは規則違反では」と言うのをルナは偶然聞いた。フレイアは「私の故郷の問題です」と一言で切り捨てた。少佐は何も言い返さなかった。
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### 第三章 広場の衝突
翌日、広場でひと騒ぎがあった。
Bランク冒険者のライアン・ソルトが、ルナの前に立ちはだかった。二十代後半、長身で整った顔、金髪。腕前は本物だが、口が悪い。仲間のセシル・ハインズ(治癒師、十九歳、緑の短髪)とバルダ・マック(重戦士、三十代、熊のような体格)を連れている。
「おい、ヴェルデのチビ」
広場の中央、騎士団員たちが見ている前でライアンは腕を組んだ。
「Cランクになったって聞いた。運が良かっただけだろ。遺跡の件、俺たちが引き受ける。Cには荷が重い」
ルナは答えなかった。代わりに、エクが隣から静かに口を開いた。
「理由は?」
「あ?」
「なぜあなたたちが引き受けるべきか、教えてほしいの。理由が妥当なら考える」
エクはにこにこしている。笑顔なのに、声が全く笑っていない。
「ランクよ。俺たちはBだ。Cとは違う」
「ランクは過去の成果を示すだけ。現時点の能力を示さない。ルナは今週、草原の変異スライム群落を単独で無効化した。あなたたちの直近の実績は?」
ライアンの眉がひそんだ。変異スライム群落の無力化は通常Bランクパーティの案件だ。
「……嘘だろ」
「ギルドに記録がある。クロエ、見せて」
ギルドの窓から、クロエがおずおずと書類を差し出した。
「本当……」
バルダが低い声で呟いた。セシルは視線を泳がせている。
「私たちが引き受ける。邪魔しないで」
エクはそれだけ言って、ルナの手を引いて歩き出した。
ライアンは何か言いたそうにしていたが、何も言わなかった。
広場の端で、ガルベス・ウンナが壁にもたれてそれを見ていた。
「あの剣士の娘……目つきが変わったな」
マーゴット・ハルスが頷いた。「三週間前と全然違う。あの黒髪の子が来てから」
ガルベスは水筒を傾けた。「ああいう目をした子は、大抵碌な目に遭う。そして、それでも続ける」
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後に分かることだが、ライアン・ソルトはこの依頼に別の目的で関わっていた。その時点では、まだ見えていなかった。
ただ一つ。廣場を去るとき、エクだけがライアンの方を一秒だけ振り返った。何も言わなかった。
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その夜、ルナが気づかないうちに、ライアンは村外れで子どもたちと話していた。
ミレイユ・ケン老婆の孫娘、リナとアナ。六歳と八歳。二日前に草原で魔獣を追い払ったことへのお礼を言いに来たらしく、小さな花を持っていた。ライアンは無表情でそれを受け取り、短く「もう来るな、危ない」と言った。
子どもたちは走って帰った。ライアンはしばらく、花を見ていた。
カーゴが遠くからそれを見ていた。翌日、「ライアンっていう金髪の冒険者、案外悪い人じゃないかもね」とルナに言った。ルナは「そうかなあ」と答えた。
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### 第四章 地下三十メートルの真実
遺跡の入口は、村外れの古い井戸の底にあった。
ギルドに百二十年前の調査記録があると、クロエが教えてくれた。深度不明、危険度未査定、未踏破のまま封鎖。記録を作ったのは当時のギルド長、オスラン・フォルクという名の冒険者だったが、遺跡に入って以降の記述は途切れていた。
「行くよ」
ルナは松明を持った。エクは手ぶらだ。
深く降りるほど、空気が変わった。古い、湿った、でも腐っていない独特の空気。壁の魔法陣の残滓がほんのりと光っている。青白い光。ルナの魔力感知が、ざわざわと騒ぎ始める。
「何かいる」
「いる。でもまだ遠い」
通路を進んだ。壁の彫刻が古代文明の文字を示している。エクはそれを読みながら歩いた。
「この遺跡は貯蔵庫ね。エネルギー炉の一種。制御装置が壊れてる」
「なんで読めるの」
「古代語は全部覚えてるから。私はその時代に作られたから」
どのくらい昔、とルナは聞こうとして、やめた。今は聞く時間じゃない。
壁に触れると、ルナの感知がざわりと反応した。「ここ、別の何かが通った跡がある」
「そうね。最近。一週間以内」
「……帝国の調査員?」
「多分ね。でも核まで近づいてない。近づいたら今頃この周辺は消し飛んでる」
二十分後、広い空間に出た。天井が高い。中央に石の台座がある。台座の上に、オレンジ色の光を放つ石が置かれていた。普通の魔石とは規模が違う。ルナの魔力感知が痛みに近い反応を示す。
「あれが、遺跡の核?」
「そう。古代文明がエネルギー貯蔵のために作ったもの。今は不安定になってる。制御装置が壊れている」
「不安定ってどういう意味」
「制御が完全に失われたら、半径五キロが消し飛ぶ」
ルナは足を止めた。
「今すぐ制御するの?」
「そのつもりだったんだけど」
エクの声の調子が変わった。
足音がした。複数。
振り返ると、ライアン・ソルトが降りてきていた。セシルとバルダもいる。そして後ろに知らない顔の男たち。黒い服、紋章なし。目つきが冒険者ではない。
「帝国の人間……」
ルナは呟いた。
「正確には帝国の民間調査員よ」
エクが淡々と説明した。「ライアンは元々、帝国の依頼を受けてここに来てた。遺跡の核を持ち出すために」
ライアンの表情が固まった。
「なんで知ってる」
「あなたの魔力に、帝国特有の圧縮術式が混じってる。帝国の術師に訓練された証拠。しかも最近ではなく七年前から。あなたは帝国の諜報員だったのかもしれない」
静寂が落ちた。松明の炎がゆらゆらと揺れる。
ライアンは目を閉じ、深く息を吐いた。
「……そうだ。俺は帝国の依頼を受けた。金のためだ」
「でも今日、広場に出てきた理由は何?」
「……」
「あなた、村の子どもたちに礼を言われてたわね。二日前。草原で魔獣を追い払った時に。あの子たちは——ミレイユ・ケン老婆の孫娘が二人、六歳と八歳。リナとアナという名前の」
バルダが小さく頷いた。
「……それは関係ない」
「関係ある」
ルナが口を開いた。
「ライアンさん。あなたはこれを持ち出したら、村がどうなるか知ってる?」
「……遺跡が不安定になる、だろうな」
「消える可能性がある。リナとアナも、カーゴおじさんも、ドムス村長も、ガルベスじいさんも」
ライアンは長い間、黙っていた。
背後の帝国調査員、ヴォルクと呼ばれる無口な男が何か言った。帝国語だが、エクが静かに訳した。「早くしろ」。
「……俺は」
ライアンがゆっくり言った。「依頼は断れない。契約は契約だ。でも、村を守りたい冒険者の邪魔はしない。そういうことでいいか、ヴェルデ」
ルナはライアンを見た。嘘はないと思った。
「分かった」
「じゃあ邪魔する帝国の奴らは俺が引き受ける。バルダ」
「分かってる」
ライアンが振り返り、ヴォルクたちと向き合った。バルダが横に並んだ。セシルが治癒魔法の詠唱を始めた。三人の背中が、ルナとエクを守る壁になった。
エクがルナの腕を引いた。「行くよ。時間がない」
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台座まで走った。
近づくほど、魔力感知が激しくなる。歪んでいる。揺らいでいる。このまま放置すると何が起きるか、想像したくない。
「ここの魔力の流れを逆にする。あなたの感知能力で、この経路に干渉して」
「できる?」
「できなかったら一緒に吹き飛ぶから、やるしかない」
最悪の励まし方だった。
ルナは手を台座に当てた。流れが見える。古代文明の魔法陣は複雑だが、ルナの感知能力には全てが図解のように見えた。エクに教わった通りに感知し、制御する。三週間の訓練が、ここで全部繋がった。魔力の二層構造。表面の流れを読まず、底を掴む。
「できる」
「できる?」
「できる!」
魔力を流した。逆流する。逆流する。オレンジの光が白くなり、やがて薄れた。
『魔石安定化』
『スキル:魔力操作Ⅰ→Ⅲ 飛躍的上昇』
しん、と静寂が戻った。台座の石は今や普通の魔石と変わらない輝きに落ち着いている。
「……やった」
「うん」
エクが笑った。八重歯が見える。普段の人懐こい笑顔とは少し違う。本物の、という感じがした。
「よくやった、ルナ」
「エクのおかげ」
「ルナの力よ。私はただ方向を指しただけ」
背後から、ライアンたちの足音がした。帝国調査員と取引をまとめたらしく、全員が撤退していくようだった。ヴォルクが退場際に一瞥をくれたが、何も言わなかった。
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### 第五章 地形が変わる日
問題は、その五日後に来た。
ガルム帝国の正規軍小隊が国境を越えた。規模は二十名。王国への正式な侵犯ではなく「境界調査」という名目だった。だが行き先は明らかにヴェルデ村方向だった。遺跡の核が安定化したことで、逆に帝国側の探知網に確認されたらしい。
ウォルフ少佐は既に王都に戻っており、残存部隊は三名のみ。フレイアは王都に戻る途中で連絡が取れない。
村の外れで、ルナはエクの隣に立った。草原の向こうに帝国軍の旗が見えた。小さいが確かに近づいている。
ハンス・ヴェイロが後ろに立っていた。「一緒に戦う」と言った。
「ダメ」とルナが即答した。「ハンスには守るものがある。後ろにいて」
「でも——」
「お願い」
ハンスは口を噤んだ。
カーゴが村の若者たちを集め、避難経路を確認していた。マーゴットが鍛冶場の扉を閉め、外に出てきた。ガルベスは、腰に剣を携えて壁に寄りかかっていた。引退した老体で、それでも戦う顔をしていた。
「ガルベスじいさん」
「なんだ」
「後ろにいてください」
「……老耄に命令するな」
「お願いします」
ガルベスは少し間を置いた。「仕方がないな」と言った。水筒を口に傾けて、それきり何も言わなかった。
「エク」
「うん」
「本気出す?」
エクはしばらく空を見上げた。銀色の目が細くなる。
「……仕方ないなあ」
小さく呟いた。「ルナ、後ろに下がって。五十メートル」
「何するの」
「地形が変わるから」
ルナは下がった。振り返ると、エクが立っている。
変化は静かだった。音もなく、光もなく。ただ空気の圧力が変わった。魔力感知が悲鳴を上げる。これは人間の魔力じゃない。感知できる限界の外側から、何かが動き始めている。ぞっ、とした。背中に鳥肌が立つ。
エクが両手を広げた。
「存在抹消。ただし、使い方は私が決める」
帝国軍の行軍ルート、三百メートルの地形が、静かに「なくなった」。
正確には——ルートの地面が綺麗に窪地になり、帝国軍二十名は突如として壁に囲まれた深い谷の底に立っていた。高さ十メートルの石壁。四方を囲まれ、誰も傷ついていないが、一歩も進めない。
谷の底から、ざわめきと困惑の声が聞こえた。「ここ、さっきまで平原じゃなかったか」「地形が変わった?」「何が起きてる」
「消したのは邪魔な地形だけ。人は消してないわ」
エクが戻ってきた。表情は変わっていない。ただ少し疲れたように、瞳が霞んでいる。
「ねえ、エク」
「うん」
「あなたって本当に何なの」
エクは少し考えて、答えた。
「魔剣。古代文明が神を殺すために作った剣。ずっと眠ってたけど、自我が芽生えた」
「神を殺すための剣……」
「昔の話よ。今はもうそういうことしたくない。怖いから」
怖い、という言葉が妙にリアルだった。ルナは笑ってしまった。
「神を殺せる存在が、怖いって言う?」
「言う。だって怖いもの。人が消えるのが怖い。それでもずっとひとりだったから、何かかわいいものが見たくて探してたら——」
エクが止まった。
「見つけたの。あなたを」
風が吹いた。
ルナは何も言わなかった。代わりに、エクの隣に並んで立った。草原の風が二人の間を通り抜けた。
「……私が最強の魔王になったら、何か変わる?」
「あなたが変わるとは思ってない」
「じゃあ何のために育てるの」
エクがルナを見た。銀色の目が夕日を受けて、少しだけ温かい色になった。
「あなたが強くなったら、私の隣に立てる。それだけよ」
「それって……」
「友達が欲しかっただけ、かもしれないな、とは思う」
決戦兵器が、困ったように笑った。
村の鐘が鳴った。夕食の合図だ。
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### 終章 後日談
ガルム帝国の小隊は「異常な地形変動」を報告して撤退した。帝国軍内部で「ヴェルデ周辺は地形が不安定」という記録が残り、南下作戦の優先度が下がった。
王国辺境局は事態を調査し、遺跡の安定化が確認されたことで戦略緩衝地帯指定の話は立ち消えになった。フレイア・ノヴァが王都側から記録を操作した、という話を後にクロエから聞いた。
ウォルフ少佐が改めて村を訪れた。今日は黒鎧ではなく、目立たない私服だった。
「あなた方が動いたとは聞いていない。ただ、礼は言わせてもらう」
「別に」
ルナが答えた。エクは少佐の後ろにいる部下をじっと観察していた。後で「王国の術師が帝国の術式を知っている件について調べる価値がある」と言った。外交は専門外と言いながら、エクは全部見ている。
ウォルフ少佐が帰り際、村の広場のそばで立ち止まり、「この村は……変わってるな」とだけ言った。一人言のようだったが、ルナには聞こえた。
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ライアン・ソルトは村を出た。去り際にルナに言った。
「Bランクに上がったら、今度は俺が負けてやる」
「今度は、ってつまり今は本気でないってこと?」
「当然だろ。手加減してやってた」
嘘だと分かっている。でも、そういう嘘は嫌いじゃない。
セシルが「また会いましょ、絶対」と手を振った。バルダは無言で頷いた。それだけで十分だった。
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ガルベス・ウンナが廃屋の前で声をかけてきたのは翌日だ。
「あの黒髪の師匠、何者だ。俺が現役の頃、あんな魔力は見たことがない」
「人じゃないんです、多分」
「そうか」
ガルベスは短く頷いて、酒の入った水筒を差し出した。ルナはそれを受け取った。
「お前には関係ないか。ルナ、強くなったな」
それだけ言って去った。背中が見えなくなってから、ルナはしばらく水筒を見ていた。何かが胸の奥で少し温かくなった。
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ハンス・ヴェイロが廃屋の前で待っていたのは三日後だ。朝から晩まで立っていた。
「弟子入りしたい。エクという師匠に」
「駄目よ」エクが即答した。
「なんで!」
「今は枠がない。ルナだけで手一杯」
「でも……」
「そうしたいならマーゴットのところへ行って。鍛冶師でも冒険者の基礎は学べる。私のところは今は無理」
ハンスは諦めきれない顔で帰った。翌日もきた。その翌日もきた。
エクは三回目に「根気はあるのね」と言った。
それ以上は何も言わなかった。でも、廃屋の壁に貼った地図の一角に、新しい書き込みが増えていた。ハンスの名前と、矢印がいくつか。ルナはその意味を聞かなかった。
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クロエが廃屋に訪ねてきたのは一ヶ月後だった。
「ルナちゃん、次はBランク昇格試験の話なんだけど……」
テーブルの向こうで、エクが何かを調理していた。ぐつぐつ、どろどろ。懲りていない。今日の色は紫だった。
「エク、それ今度は何色」
「紫」
「食べさせないで」
「食べると耐性スキルが上がる」
「いらない!」
クロエが引き攣った笑顔で書類を差し出した。
「えっと、昇格試験なんだけど……場所は王都で、期間は一ヶ月で……」
ルナは書類を受け取った。眺めた。
Bランク試験。王都。複合依頼。期間一ヶ月。
「行く」
エクが振り返った。銀の目が光った。
「本当に?」
「あなたが隣に立てるようになれって言ったんでしょ。立てるようになってみせる」
エクは少しの間、黙っていた。
「……なんか、かわいいこと言った」
「は? 違う」
「かわいい。ルナかわいい」
「何その反応!」
「大好き」
「き、急に言わないで!」
クロエが複雑な顔をしていた。
廃屋の煙突から紫の煙が昇っていた。ヴェルデ村の夕暮れは、今日も静かだ。
エクセキューションと呼ばれる古代兵器は、師匠という仕事が思いのほか楽しいことに気づき始めていた。
かつて神を殺すために生まれた剣は、今、スライムの倒し方を教えていた。
それで十分だと、思っていた。
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**【Fin.】**




