第009話「紅茶荘の人々」
「……ふふっ、これはもう楽勝ですね」
裏ちゃんねるのチャンネル登録者数月間ランキングをスクロールしていき、1ページ目の上から数えてすぐの位置に佐東鈴香の名前があることを確認した俺は、思わずニヤリと頬を緩めた。
――俺が佐東鈴香として裏世界で活動を始めてから早一ヶ月。
初回のゴブリン敗北失禁配信がバズって裏世界配信者としてのスタートダッシュを決めた俺は、それから飛ぶ鳥を落とす勢いで人気を獲得していった。
エロ売りしない清楚系美少女キャラを維持しながらも、時に唐突な事故で微エロな姿を晒しては、しかれども決して肝心なところまで見せないという絶妙な匙加減で視聴者の興奮を煽ったり、時には命の危機に瀕しながらもギリギリのところでそれを回避したり……。
そしてそのようなハラハラドキドキする展開の合間合間に、特別なことは起こらないが、鈴香の魅力を存分に堪能できるようなほのぼの探索配信を挟むという、緩急をつけた戦略が功を奏したのだろう。
その甲斐あってか、俺のチャンネル登録者数はたった一ヶ月で既に50万人を突破していた。
裏ちゃんねるの『注目の新人ランキング』でも、先々週からずっと一位をキープしているし、鈴香がゴブリンにやられてゲロを吐いたりおしっこを漏らすシーンなんてネットミーム化してるくらいの人気だ。
……別に恥ずかしくなんてないぞ。映画やドラマでそういうシーンが流れても、それを演じた俳優さんは平然としているだろう?
それと同じで、俺はただ鈴香というキャラクターを演じているだけだからだ。必要とあればキスシーンだってできるぜ。
……やらないけど。
とにかく、目標の100万人まではまだ半分程度足りないが、現在も加速度的に登録者は増加中だし、このままのペースでいけばあと一ヶ月もあれば余裕で届くだろう。
「さあ、今日も元気に頑張りましょうか!」
もうすっかりお馴染みとなった鈴を転がすような声音でそう呟きながら、姿見の前でくるりと回って身だしなみを整えると、俺はゴミ袋を片手に意気揚々と玄関の扉を開いた。
アパートの廊下に出ると、ちょうど俺の部屋の前を箒で掃除していた白髪のおばあさんと目が合う。
「おや、鈴ちゃんおはよう。今日も朝から美人さんねぇ」
「トメさん、おはようございます」
朗らかな笑みを浮かべながら俺に挨拶をしてくれたのは、このアパートの管理人であるトメさんだ。
にっこりと微笑んで挨拶を返すと、彼女はしわくちゃの手で俺の頭を優しく撫でてくる。
「……今日も裏世界の探索かい? あまり無理はするんじゃないよ」
「はい、十分気をつけます」
「うん、よろしい。慢心は大敵だからね。それじゃあ、行っておいで」
「行ってきます!」
グッと突き出してきたトメさんの拳に、自分の拳を軽くコツンと合わせると、彼女の横を通り過ぎてアパートの外階段をカンカンと鳴らしながら下りていく。
すると、俺がちょうど地上へ辿り着いたタイミングで、101号室の扉がガチャリと開いた。
「あら? 鈴香ちゃん、おはよう。今から出かけるの?」
「おはようございます小田宮さん! はい、ちょっと探索に行ってきます」
部屋の中から姿を現したのは、シャープなスーツをパリッと着こなし、綺麗に染め上げた茶色の髪をシニヨンでまとめ、おしゃれな眼鏡がとても似合う、いかにも仕事が出来そうなお姉さんだった。
彼女は101号室に住んでいる、"小田宮 実羽"さん。職業は探索者協会の職員だ。
「あなたはまだ駆け出しなんだから、あまり危険なところへ行ってはダメよ? その美しい顔と身体に傷でもついたら大変だもの」
スッと俺の頬に手を当て、真面目な表情で語りかけてくる小田宮さん。
俺はその瞳を真っ直ぐに見つめながら、コクリとひとつ頷いた。
「あんな危険な仕事、いつでもやめていいんだからね? もしそうなっても、お姉さんが養ってあげるから心配しないで」
「ふふっ、ありがとうございます。もしそんなときが来たら、是非よろしくお願いしますね」
「ええ、任せて頂戴。……あぁそうだ、忘れるところだったわ。はいこれ、協会が新人支援で配ってる、ショップの割引チケットよ。良ければ使ってちょうだい」
「え、いいんですか? ありがとうございます、遠慮なく使わせてもらいますね!」
「それじゃあ、私は仕事に行ってくるわね。鈴香ちゃんも頑張って」
「はい、小田宮さんもお仕事頑張ってください」
俺の頭を一撫ですると、彼女は後ろを向いたまま手をひらひらと振って、颯爽と仕事場へと向かっていった。
……う~んカッコいいぜ。
背も高いしスタイルも抜群、しかもこんな朝っぱらから眠気など微塵も感じさせないようなキリリとした表情を浮かべているし、俺までビシッと身が引き締まるような思いがする。
俺は変装は得意だけど、背はあまり高くないし、元の顔立ちも童顔でかわいい系だから、小田宮さんのような大人のお姉さんにはどうやってもなれないんだよな。
だからああいった、大人の余裕や色気を醸し出すことが出来るような人には憧れてしまうのだ。
小田宮さんを見送ると、俺はゴミを捨てるために共同集積場に足を向けた。
「……ん? あれは……」
集積場のすぐ側まで来た俺は、周辺に破れたゴミ袋と中身が散乱しているのを見つけて思わず眉をひそめる。
「カラスの仕業ですかね……」
はぁ……ゴミ置き場の真横にちゃんとカラスよけのネットがあるのに、それをめんどくさがって張らない住人がいるせいで、たまにこういう被害が出るんだよな……。
あとでトメさんに頼んで注意喚起の張り紙でもしてもらおうかな……と考えていると、座り込んで地面に散らかっているゴミをせっせと片付けている一人の男性の姿が視界に映った。
学校の制服に身を包んだ、年の頃は俺と同じくらいの、中肉中背であまり特徴のない見た目をした少年だ。
純日本人らしい黒々とした髪は、綺麗に切り揃えられていて清潔感があるが、前髪が長いせいで目元が見えにくく、それが更に彼の印象を薄くしている。
「おはようございます、種口さん」
「……あ、佐東さん。おはようございます」
俺が話しかけると、彼は一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたものの、すぐに穏やかな口調で返事をしてくれた。
彼は103号室に住んでいる、"種口 迅"くん。ダンジョン学園の一年生だ。
ここ紅茶荘は、探索者協会本部ともダンジョン学園とも近い位置にあるし、家賃もお手頃なので、ダンジョン学園に通う学生さんや、探索者として一旗揚げようと夢見る若者が入居希望の問い合わせをしてくることが多い。
現在一般に開放している一階に住んでいる人たちは、二人がダンジョン学園の学生で、もう一人が探索者。そして最後の一人が探索者協会の職員さんという構成になっている。
ちなみに一階の一部屋はトメさんの住んでいる管理人室なので、他の4部屋を賃貸に出している形だ。
「カラスにやられちゃったの、種口さんのゴミ袋ですか?」
「いえ、俺はいつもネットをちゃんと張ってますから……。たぶんブラウンさんのやつだと思います」
「……はぁ、また彼ですか」
102号室の住人である、"良緒・ブラウン"。ドイツ人とのハーフで、そこそこ名の知れた探索者だ。
背が高く、少し浅黒い肌とがっちりとした体つきをした20代半ばの男性である彼は、探索者としての腕は確からしいが、いわゆる遊び人というやつで、よく言えば気さくなムードメーカー、悪く言えばいい加減な性格をしている。
前にも深夜に部屋から女性の嬌声が聞こえると、他の住人からクレームが入ったこともあったのだが……。
「……悪い人じゃないんですけどね。一度言えば直してくれるし、今度俺から注意しておきますよ」
そう言って再びゴミ拾いに戻る種口くん。
「ブラウンさんのゴミをわざわざ種口さんが拾うことないでしょう。管理人のトメさんに伝えておけば、あとで彼女が片づけてくれると思いますから、そのままにしてても大丈夫ですよ?」
「あ、そうですよね。……でも、途中まで拾っちゃったし、もう少しで終わるのでやっぱり俺がやっちゃいますよ」
う~む……典型的なお人好しというか、善人気質な少年だな。
こういったタイプは得てして損をすることが多いものだが、俺はどうも彼のような人間は嫌いじゃないのだ。
「ふふっ、じゃあ私も手伝いますよ。二人でやればすぐ終わりますからね」
「え? いいんですか? なんだか俺が余計な事したせいで、佐東さんまで巻き込んじゃったみたいで申し訳ないな……」
「いえいえ、気にしないでください」
彼は知らないことだが、俺はこのアパートの大家でもあるし、ゴミを道路にまで散乱させたまま放置して、紅茶荘のイメージが悪化するような事態は避けたいところだからな。
腰まである長い黒髪が地面につかないように、ささっとアップにまとめてから、俺は彼の隣にしゃがみ込む。
「それじゃあ、さっさと終わらせちゃいましょうか」
「は、はい。……あ、これ使ってください」
一瞬俺のうなじに目を奪われて顔を赤くした種口くんだったが、慌てて視線をそらすと、鞄から取り出した新品と思われる軍手を差し出してきた。
俺はそれを笑顔で受け取ると、彼と一緒に黙々とゴミ拾いに勤しんだ。




