第008話「佐東鈴香の初配信④」★
『ど、どいてくださいっ!』
『ギヒヒッ! グギャグギャ!』
:ゴブリンキターーーーーー!
:ソロの初心者にゴブリン四体はやばい
:しかも一体デカくね? ホブ?
:東小金井にホブはいないはずだが、進化しかけの個体かも
:鈴香ちゃんの身長と同じくらいあるじゃん
:救援呼んだほうがよくないか?
:やべぇ、面白くなってきやがったw
:鈴香ちゃん逃げてー!
:ゴブリンさん頑張れ!
ゴブリンたちは逃げ道を塞ぎながら、じりじりとスズを廃墟二階の壁際へと追い詰めていく。
額から汗を流し、恐怖で顔をひきつらせながらも、スズは右手に握りしめたバールのようなものをゴブリンたちに向けて構えた。
『えぇぇい! こ、このぉっ!』
『グギャ!?』
:お、チビ一体倒したか?
:駄目だ! 当たったけど腰が引けてて全然ダメージになってない
:ゴブリン相手にビビり過ぎだろw
:↑裏世界に行ったことないにわか乙
:敵意剥きだしの人型モンスターと初めて対峙するときマジ恐怖だからな
:ドチビがこん棒持ってるだけなのに威圧感がヤバいよな
:俺も初めてのときは仲間の後ろに隠れてたわw
:あ、鈴香ちゃん後ろから殴られた!
:うわぁぁぁ!
:だ、大丈夫や! 鈴香ちゃんには魔術がある!
ゴブリンに頭部を殴られたスズは地面に倒れ込むが、すぐに立ち上がり慌てて距離を取ると、泣きそうな表情でバールのようなものを無茶苦茶に振り回し始めた。
さっきまでツノブタで積んだ戦闘経験はどこへいってしまったのか、その動きは完全に素人のそれで、全くゴブリンを捉えられていない。
「……す、凄いですわね。完全にパニックになってる裏世界初心者そのものですわ。表情も動きもとても演技とは思えませんわ」
「しかしここまで見た佐東鈴香の設定じゃ、一人でこいつらを倒すのは無理じゃねえか? スズはここからどうやって逆転を演出するつもりだ?」
「僕のデータによると、あまりに都合の良すぎる逆転劇は視聴者から疑いの目で見られる可能性があるね」
画面の中で奮闘するスズを見ながら、アーサーたち三人は思い思いの感想を口にする。
……う~ん、彼らと私たちが知り合ってそれなりに時間は経つけど、どうやら彼らもまだまだスズのぶっ飛び具合を完全には理解できていないらしい。
「逆転劇もなにも……このまま普通に負ける気でしょ。だってそっちのほうが盛り上がるし」
「「「――えっ?」」」
私が呟いた一言に、三人は同時に驚きの声をあげる。
その瞬間、画面の向こうではちょうどスズが大型ゴブリンの棍棒を腹に食らい、派手に吹き飛ばされて地面に崩れ落ちるところだった。
慌てて立ち上がろうとしたスズだったが、その前に三体の小型ゴブリンが群がってきて、手足を押さえられてしまう。
そこに大型ゴブリンがゆっくりと近づき、倒れ込むスズの身体にのしかかるように馬乗りになった。
:うおぉぉぉ!
:俺はこれを待ってたんだよぉぉ!!
:ゴブリンさん変わってくれ!
:やべぇっ! 誰か救援呼べ!
:もう呼んだ! だけど近くに直ぐこれそうな手練れがいない!
:↑余計な事すんなよボケ
:こういうエロ配信してない清楚系の子がやられる展開ってめちゃくちゃ興奮するわ
:わかる、これを見たくて初心者の美少女配信者を毎回探してる
:コメ欄クズ多すぎだろ
:相変わらずの裏ちゃんねるの民度よw
コメント欄はスズのピンチに大いに沸き立っていた。
本気で心配している人もいるが、大半はこの先に予想できる展開を楽しみに待っている様子だ。
私たちトップ探索者パーティの配信を見に来る視聴者は、純粋にダンジョン攻略を楽しみたいという人が多いが、新人の女の子の配信を見に来る層はこのような低俗な思考の人が多い傾向にある。
なので、当然これもスズの計算のうちのはずだ。
「負ける気って……相手ゴブリンですわよ。このまま続けられたらやべぇ映像が全世界に配信されてしまいますわ」
「……てか、そもそもスズは男のはずなのにゴブリンどもはなんでこんなに興奮してんだ? あいつら女しか襲わないんじゃねーのかよ……」
「僕のデータによると、かわいい男の子が襲われた事例も過去にあるよ。……あ、救援ランプが点灯しているね」
配信画面の右下に、【救援要請】と表示された赤いランプが点灯していた。
これは裏世界配信者が命の危険、またはそれに類する状況に瀕した際に、本人かもしくは配信を見ている視聴者が救援を呼ぶことができる機能だ。
裏世界には当然、警察、自衛隊、レスキュー隊のような組織は存在しておらず、そのため探索者同士による助け合いが推奨されている。
救援ランプが点灯すると、近くにいるライセンス持ちの探索者にメッセージアプリを通じて救援要請の通知が送られ、彼らがその場へと赴き、困っている人の手助けをする……というのが、この裏世界での一般的な流れだ。
見知らぬ誰かを危険を冒してまで助けに行く人なんて殆どいないだろうと思われるかもしれないが、意外にもこの制度はかなり機能してたりする。
何故なら救援依頼を受けると、探索者ライセンスのランクアップ査定に加点されるというメリットがあるからだ。
ライセンスの加点抜きにしても、誰かのピンチに颯爽と現れて助けるという行為は人気取りにも繋がるので、腕に覚えのある探索者は救援要請に積極的に応じているというわけだ。
……とまあ、そんなわけで、この救援システムの恩恵を得るためにも、裏世界探索中は収益化をしていない人でもカメラを回しておくのが推奨されてたりする。
他にも配信をすることによって、顔が映ったり救援を呼ばれたりすることを嫌がる暴漢を避けられたり、人間同士のトラブルが発生したときに誰が悪いかもはっきりさせられるしね。
『グギャ! ギャギャギャ!』
『あぐぅ! や、やべでぐだざいっ』
じたばたと抵抗するスズの顔に、大型ゴブリンの拳が容赦なく叩き込まれる。
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら許しを請うスズだったが、ゴブリンたちがそんな懇願に耳を貸すはずもなく、醜い笑い声が廃墟に響く。
:やべぇって! 救援はまだか!?
:でも鈴ちゃんあまりダメージなくないか?
:魔術師なの忘れたか
:ああそうか。頭は特別硬くなるけど全身の防御力も上がるんだっけ?
:なら死ぬ心配はなさそうだしゴブリンさんもっとやっちゃって!
:早く脱がせろよ
:金剛姉妹が救援に反応したぞ!
:ちっ、来んじゃねーよ
:ゴブリンさん急いで!
「初心者育成パーティの金剛姉妹が救援要請に反応したみたいですわね」
「彼女たちはAランクで東小金井だと過剰戦力だから、到着したらゴブリンは一瞬でやられるだろうね」
「でも結構位置が遠いな。到着まで10分前後ってとこか……。それまでスズがどれだけ視聴者の目を引けるかだな」
マサルがそう呟いた瞬間、ゴブリンたちが一斉にスズの衣服へと手をかけ始めた。
『や、やめ……ッ!』
『グギャギャ! グギギ!』
必死に抵抗しようとするスズだったが、四体のゴブリンが相手ではそれは虚しい努力でしかなく……。
『きゃ、きゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!』
遂にジップパーカーが力任せに剥ぎ取られ、そしてその下に着ていたブラウスのボタンが二つほど弾け跳んだ。
清楚な白いブラの上部と豊満な胸の谷間がカメラに映し出され……コメント欄は大盛り上がりを見せる。
:き、きたぁぁぁぁぁ!!
:デカい!
:着やせするタイプだったか
:E……いや、Fカップくらいあるぞ!
:さすがゴブリン! 俺たちにできないことを平然とやってのけるッ!
:もうちょっと下まで引き裂いてくれ~
:お前らいい加減にしろよ!
:↑と、しっかり凝視しながら言っているようですw
:救援はよ!
「おおぅ……。今回は結構盛ってますわね」
「うん、レイコくらいあるよね。まあでも、えっちな事とは無縁そうな清楚系美少女が脱いだら実は巨乳でした……ってのは、定番の萌え要素だし――」
「――ちょ、ちょ、ちょっと待てよっ!?」
私とレイコがそんな感想を述べていると、マサルが突然大声をあげて会話に割り込んできた。
そして彼は唾を飛ばしながら、画面を指差して叫ぶ。
「あいつやっぱり女じゃねーか!? あれはパッドとか特殊シリコンとかそういうレベルじゃねーぞ!? どう見ても本物だろ!」
「ガン見しすぎですわよ……。エロ筋肉ですわ」
「マサルのえっち……」
「いや見るだろっ! この状況だと! なあ、アーサー!」
マサルは同意を求めるようにアーサーへと話を振るが、彼は明後日の方向に視線を向けて口笛を吹いていた。
「て、てめぇ卑怯だぞ! ……って、それよりリノ、レイコ! どういうこったこれは!?」
「……まあ、これはさすがに【大和男児七変化】の他にもう一つの能力を使ってるよね」
魔術師の使える能力は、基本的に一人につき一つという原則がある。
しかし、特殊な条件を満たすことによって、複数の能力を行使することができるようになった者が極僅かだが存在する。
その一人がスズだ。
「ですわね。あれを使われると本当に本物と見分けがつかなくなりますわ」
「……ん? 形を変えたり着色できるのは知っていたけど、あの能力ってそんなことも可能なのかい?」
明後日の方向を向いていたアーサーが、眼鏡をキラリと光らせながら画面を食い入るように見つめて会話に混ざってくる。
「あっ、アーサーも見てるぞ。ほら、あいつもエロ眼鏡だ」
「うるさいな……。それよりどうなんだい? リノ」
「着色だけじゃなく、本気でやれば質感や触感も再現できるみたいだよ」
「わたくし、前に一度Jカップの爆乳を再現してもらいましたが、もっちもっちのぷるんっぷるんっでしたわ。あれは凄かったですわね」
「だからスズが全力で擬態に徹すれば、たとえ全裸にひん剥かれても男だって気づかれないかもね」
「……そこまでか。それは僕のデータにもない情報だ」
画面の中では、これ以上脱がされないように必死に抵抗をしているスズが映し出されていた。
なかなか思うよう事が進まないことに苛立ったのか、大型ゴブリンは拳を握りしめると、それを大きく振りかぶって――
――容赦なくスズの腹部へと叩き込んだ。
ガクンッ、とスズの身体が大きく跳ね、口元から吐瀉物が撒き散らされる。
「ちょ、ちょっと……本当に大丈夫ですの? これも演技……ですわよね?」
「大丈夫だって、スズの魔力防御をゴブリンごときが破れるはずないじゃん。……ただ」
「ただ、なんだい?」
「スズはメソッド演技法だから、入り込みすぎるとちょっと危ないこともあるんだよね」
「メソッド演技法っていうと、憑依型の役者が使う演技の手法だよね。演じるキャラクターの内面を深く探求して、それに自分の経験や感情を重ねることで、よりリアルな演技をするっていう」
「そう、スズは凄いよ。入り込むと思考まで完全にそのキャラクターになっちゃったりするから」
「おいおい、それってこの状況だとマズいんじゃねーのか!?」
「今回は多分平気。だって――」
そう私が言いかけた瞬間、画面の中でスズががむしゃらに振り回した手が大型ゴブリンの顎にクリーンヒットした。
女だからとそれまで殺意より性欲を優先していた大型ゴブリンだったが、その一撃で完全に怒りが頂点に達したのか、床に置いていたこん棒を手にすると、スズの右腕目掛けてそれを振り下ろし――
――ボギッ!!
『ぎゃぁぁぁぁぁーーーーッ!!』
鈍い音と、耳をつんざくようなスズの絶叫が響き渡る。
スズの右腕は真っ赤に腫れあがり、ぶらぶらと力無く揺れていた。どこからどう見ても完全に折れてしまっている。
「――え?」
私の口から、思わずそんな間の抜けた声が漏れる。
:うわぁぁぁぁぁぁぁ!
:折れた?
:手が変な方向向いてんぞ……
:魔術で大丈夫なんじゃなかったのかよ!?
:魔術には集中力が必要だから、集中が途切れると解除される場合がある
:エロは見たいけどこういうリョナ系は見たくない
:でも悔しいけど見入っちゃう……
:もうやめてくれよぉ
:命だけは助かってくれ
「ちょっとリノ! もしかしてあの子、入り込みすぎて頭の中まで佐東鈴香そのものになっちゃってるんじゃないんですの!?」
「どうする! 僕たちが今から救援に向かっても間に合わないぞ!」
「だがこうしちゃいられないだろ! 早く助けにいかねえと!」
急にあたふたと騒ぎ出し、スズの元に駆けつけようと準備を始めるアーサーたち。
……しかし、私は心臓をバクバクさせながらも、彼らの行動を制止するように手をかざして言った。
「お、落ち着いて! 大丈夫だから!」
「これが落ち着いていられるか! 早く行かねえとスズが死んじまうだろ!」
「……大丈夫な根拠はあるのかい?」
眼鏡をくいっと持ち上げながら問いかけてくるアーサーに、私はこくんと小さく頷く。
「私たちインネイトは、呼吸をするように身体全体を薄い魔力の膜でコーティングしてるの。だから、本体ならゴブリン程度の攻撃で骨折するなんてありえない」
「……ああ、そういうことか。つまりスズは、骨折するためにわざと魔力を消して防御力をゼロにした状態で、ゴブリンに殴らせたってことだね」
「えぇ~……頭おかしすぎてわたくしの理解力を超えてますわ」
「でも現に視聴者は息を呑んでスズの配信に釘付けでしょ? 骨折程度なら後でポーションで治せるし……それにさっきから一度もパンツを見せてない。ちゃんと冷静に状況判断できてる証拠だよ」
「そういえば確かに、あれほど暴れているのに上の下着と谷間が少し見えたくらいで、それ以上は一切見せてないね……」
「おい、みんな聞いたか? やっぱりこの眼鏡じっくり見てやがるぞ!」
アーサーはマサルのことなど無視して、吐瀉物と涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、美少女顔を絶望の表情へと歪めたスズの様子を、じっと真剣な眼差しで観察している。
……ふう、スズと小さな頃からずっと一緒の私ですら思わず呑まれそうになってしまったけど、みんながパニックになったおかげで逆に冷静になることができた。
けど、たぶんまだ終わらせる気はないだろうね。スズのことだから視聴者の興味を完全に引き付けるトドメを用意しているはずだ。
『グギャギャ! グゲェ!』
『あっ……おごぉッ……』
続けて二発、三発と腹部に大型ゴブリンの拳が打ち込まれる。
すると……スズの穿いていたスカートにじわっと染みが浮かび、廃墟の床には黄色い水溜まりが広がっていった。
「ず、ずいぶん凝ってますわね。スカートの中になにかお茶のような液体でも仕込んでいたんですの?」
「すげぇな……偽とはいえ、よくもまあ大勢の視聴者が見てる前であそこまでできんな……」
「視聴者の興味を引くためにここまで計算して準備していたなんて、さすがスズだね」
ようやく落ち着いたのか、三人は感心したようにスズの惨状をじっと眺めていた。
しかし、やっぱりみんなはまだまだスズのイカれ具合を舐めているみたいだね。
「……あれ、本物だよ」
「「「――は?」」」
「だからあの液体、本物だって。スズ、その辺は妥協しない子だし」
「「「……」」」
私の発言に、三人は揃って口をぽかんと開けながら固まってしまった。
「知ってはいたつもりですけど、思った以上に頭おかしかったですわ……」
「正気かよ……全世界生配信中だぞ……?」
「これは、スズのデータを修正する必要があるかもしれないね」
ドン引きするようにモニターに映るスズの姿を眺めるアーサーたち。
そして、遂にぐったりとして抵抗をやめたスズの衣服を、ゴブリンが剥ぎ取ろうとしたまさにその瞬間――
『君! 大丈夫!?』
突如として廃墟二階の窓が蹴破られ、部屋の中に二人の女性が飛び込んできた。
Aランク探索者の金剛姉妹だ。
金剛姉妹の乱入によって一瞬硬直状態に陥ったゴブリンを、スズはすかさず蹴り飛ばすと、その場から逃れようと駆け出す。
しかし、いつの間にか太ももまで下ろされていた純白のパンツが足に引っかかり、スズはバランスを崩して転倒してしまった。
ふわりと浮き上がるスカート。凄い速さで流れるコメント欄。
……が、視聴者の期待とは裏腹に、絶妙なカメラワークでスカートの中は映ることなく、そのままゴブリンの首は金剛姉妹によって切り落とされた。
下半身をびしょ濡れにして、顔を色々な液体でぐちゃぐちゃにしながら大泣きするスズを金剛姉妹が介抱しているところで映像は終わり、配信は終了する。
いつの間にか同時接続数は500を超えており、配信が終わったばかりだというのにチャンネル登録者数は次々と増えていっていた。
「初回でこれだからねー。スズが本気出せばまだまだこんなもんじゃないよ? 私が200万人でもいいって言った意味がわかったでしょ?」
私が自分のことのようにドヤ顔で胸を張ると、パーティの三人は、さもありなんといった様子で大きく溜め息を漏らしたのだった。




