第066話「唐突なる邂逅」
「……ふむ、こんなもんかのぉ。さすがは我じゃな、見事な美しさよ」
自宅の姿見の前で様々な角度から全身のチェックを終えた――"吸血姫MOON"の姿をした俺は、満足気に頷いた。
光り輝くような長い銀色の髪をツーサイドアップにし、鮮血を思わせる深紅の瞳は、まるでルビーのように美しい。スレンダーなボディラインの胸元には僅かな膨らみがあり、純白の肌には染み一つ無い。
背中からはコウモリのような小さな翼が生えており、可愛らしい唇からは、舌舐めずりをするとチラリと八重歯が見える。
そしてゴシックなフリルドレスに身を包んだ姿は、まさしく幻想的な吸血鬼の姫君といったところだろう。
「最近は現実的な変装ばかりしておったから、たまにはこうした"ふぁんたじ~"な姿を演じるのも悪くないのぅ……」
胸が小さめなキャラなのもありがたい。俺の変装は割と巨乳が多いので、動き回る際には結構邪魔なのだ。
「さて……それじゃあ行くとするかの」
準備万端になった俺は、カメレオンリングを使って姿を透明にすると、紅茶荘二階の窓から外へ飛び出した。
今日は"裏世界音楽フェスティバル"の当日――――というわけではない。
セレネがフェスの前に"吸血姫MOON"を大衆に披露して話題作りをしようと言うので、この姿のまま人が大勢いる渋谷あたりを徘徊しようと計画しているのである。
家屋の屋根を蹴りつけ、より高い建物の上へ上へと跳躍していく。
そして近隣で一番高いビルの屋上に到着すると、背中の羽を大きく広げて大空へと飛び上がった。
そのまま徐々に高度を上げていき、都会の街並みを上空から眺めながら目的地である渋谷に向かって飛翔する。
やがて渋谷の街が見えてくると、俺はカメレオンリングの効果を解除して姿を現し、ここらで一番高い建物であるスクランブルスクエアの頂点に降り立つ。
「ほほう、これは見晴らしがよい場所じゃの」
展望施設の一番角に位置するエリアに移動すると、手すりによじ登って仁王立ちになり、眼下に広がる巨大な交差点を見下ろしてみる。
すると、俺の姿に気づいた人々がざわめき始めた。
「お、おい君! そんなところに乗ったら危ないぞ!」
「え!? 何あの子!? まさか飛び降りようとしてるの!?」
「マジやばい! 誰か警備員さん呼んできて!」
展望施設にいた人々は騒然となってこちらを見て叫ぶが、俺は彼らを見てニヤっと口元を歪めると――
――そのまま高く跳び上がり、空中に浮遊した。
「きゃーーーーーーーっ!!」
「う、うわあぁぁぁぁっ!?」
周囲に悲鳴が響き渡り、人々はパニックに陥る。
しかし俺は慌てる彼らを嘲笑うかのように空中で手を振ってみせると、ふわりと地上に向けて舞い降りていった。
そしてスクランブル交差点のど真ん中に着地すると、集まってきていた通行人の視線を一身に浴びる。
「ちょ、あの子……今空から降ってきたよね!?」
「見間違いじゃなくてホントに飛んでたぞ!」
「それよりめちゃくちゃ美少女なんですけど!」
「なんかのイベントなのかな?」
「親方ぁぁぁぁ! 空から女の子がーっ!」
「ていうかあの子……"吸血姫MOON"ちゃんっぽくない!?」
「あ! 確かに!? "歌姫MOON"のMVに出てきた人そっくり!」
空から唐突に姿を現した美少女に混乱していた人々も、次第に冷静さを取り戻し始め、俺が"MOON"に似ているということに気づき始める。
ふっふっふ……作戦通り目立ちまくってるぜ! 吸血鬼設定だからほぼ能力全開でめちゃくちゃなことできるのが楽でいいわ!
このままフェス前にネットでバズりまくらせて盛り上げてやろうぞ!
「ふふっ、よくぞ気づいたな民草どもよ。我こそが吸血鬼にして歌姫と崇め奉られし存在――――」
「う、動くんじゃあなぁぁーーーーいッ! 手を上げて両膝をつけぇーーー!!」
腰に手を当ててポーズを取り、群衆を見渡しながら芝居掛かった言葉遣いで周囲に"吸血姫MOON"だと公言しようとした瞬間――背後から鋭い怒号が響いてくる。
振り返るとそこには、拳銃を構えた警察官が大勢立っていた。
……えぇ~、さすがに来るの早すぎじゃない?
ていうか俺まだなにもやってないんですけど……。それにこんな丸腰の美少女にいきなり拳銃を向けてくるなんて、いくらなんでも横暴だと思いませんかねぇ!?
と、内心ツッコミを入れながら辺りをよく見回してみると、どうやら警察官は俺ではなく俺の近くにいる別の人物に銃口を向けているようだった。
なんだ、良かった……。
いや、こんな街中で警察が拳銃抜くような緊急事態なら全然良くはないか。
しかも俺が目立つのを完全にキャンセルされちゃったじゃないか。もはや周りの人たちも全員が俺から意識を逸らしてそっちに注目してるし。
「ちっ、うるせーな。久々に牛丼食いたくなったから街に出てきただけっつっただろ。食ったらすぐ帰るっつーのに、いちいちピーピーわめくなよな。メンドくせぇ」
そう言って不機嫌そうな声とともに首筋を掻いているのは、ツーブロックの黒髪を逆立てた、ワイルドな雰囲気を持つ二十代半ばくらいの男性だ。
彼は鋭い三白眼で周囲を睨みつけつつ、耳についている赤いピアスを弄んでいる。
……んん~、あれ? この顔どこかで見たような……というか……。
「"切封 斬玖"! 貴様は探索者協会から超S級指名手配として認定されている凶悪犯だ! 抵抗するなら射殺も辞さないぞ!」
「あ~うるせぇうるせぇ。だから今日は何もしねぇって言ってんだろうがよ。ほら見ろよ。今の俺は何も持ってない平和主義者だぜ?」
男は腕を広げて無抵抗を示したが、警察官たちの銃口は依然として彼に向けられたままだ。
あいつ切封斬玖じゃん!? なんでこんなとこにいるんだよ!
「ね、ねえねえねえ! あれザンクじゃん!」
「マジだマジ! 撮れ撮れ! 早くYにあげないと!」
「うわ~ヤバいよヤバいよ! "首斬りザンク"とか本当に生で見られるなんて!」
「てかマズいだろ! あいつが暴れたら俺たち一瞬で皆殺しにされるんじゃねーの!?」
「いやでもザンクは自分の邪魔しないやつは殺さないって! 遠くからこっそり見ようぜ!」
ザンクを指差して興奮している若い男女のカップルがいたり、スマホで動画撮影を始めたりしている者たちもいる一方で、恐怖を感じてその場から逃げ出す者もちらほらいる。
そして……俺は完全に忘れ去られてしまっていた。
……酷くない? せっかく気合い入れて"吸血姫MOON"になってきたのに誰も反応してくれないなんて。
「じゃあ俺は牛丼食いに行くからそこを――」
「う、うわぁぁぁぁぁぁーーーーっ!?」
――パンッ!
ザンクが警官たちの方に一歩足を踏み出した瞬間、パニックになった若い警官が引き金を引いてしまった。
銃弾は一直線にザンクの身体へ向かっていくが、彼に着弾する前に竜巻のような突風が発生し、その軌道を逸らしてしまう。
「おい……お前。今俺を攻撃したか?」
「ひ、ひぃっ!?」
馬鹿! あの警察官なにやってんだよ!? ザンクは強敵と邪魔者とちょっとでも自分を攻撃してくる相手に対しては容赦しないって話を知らないのか!?
ザンクは冷徹な表情を浮かべると、左手で赤いピアスに触れる。
すると彼の目の前に空間の裂け目が出現し、そこから禍々しいデザインの大剣が現れた。
……あのピアスはかなりレアな次元収納系の魔道具だな。おそらく触れることで異空間にアクセス出来るのだろう。
ザンクが右手を伸ばして剣の柄を握り締めた瞬間――その身体から凄まじい量の魔力が噴出する。
彼を中心にして魔力の奔流が荒れ狂い、辺り一帯を吹き飛ばした。
地面に亀裂が走り、アスファルトが砕けて土埃が舞い上がる。
衝撃波は四方八方に広がり、周囲に停車していた自動車やバスが宙を舞い、信号機が傾き、電柱が倒れ落ちた。
警官たちは吹き飛ばされて地面に叩きつけられ、一般市民たちは悲鳴を上げながら逃げ惑う。
「死ね――」
「そこまでにせぬか」
ザンクが剣を抜いて構える寸前のところで、俺は彼の目の前に立って待てをするように手のひらをかざした。
すると暴風はピタッと止まり、辺りには静寂が訪れる。
「……なんだお前――」
「ちょっと待っておれ」
俺は上空から降って来た自動車やバスを片手でポンポンとキャッチすると、ゆっくりと地面に置く。
そしてすぐ様倒れてきた電柱や信号機もまるで発泡スチロールのように軽々と受け止め、同じように優しく地面に下ろした。
それを遠巻きに見ていた市民たちはどよめき立つ。
「この様な人混みの中での争いごとは良くないのではなかろうかの? もう警察官もお主が怖くて皆尻込みしておる様じゃし、さっさと牛丼屋に行って――」
「は、ははははっっ!!」
「な、なんじゃ急に!?」
「……ガキ。お前相当つぇーな。おもしれぇ……裏世界以外でお前のような奴に出会えるとはな! てめぇ――――俺と闘えッッ!」
あ~……こいつ戦闘狂なの忘れてたわ……。
ちょっと強者オーラを出し過ぎてしまったかもしれない。
仕方ない……こいつには恨みも因縁もないのだが、わけあってそのうち倒さなきゃいけない相手でもあるし、ここで一度戦っておくのもいいか。
それに遠巻きにスマホを構えている人々も多い。ここで派手に暴れておけば吸血姫MOONの宣伝にもなるだろう。
「よかろう小僧。この"吸血姫MOON"が特別にお主と遊んでやろうぞ」
「ははっ! 吸血鬼ときたか! 面白くなって来やがった! たっぷり楽しませてくれよッ!」




