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第065話「歌姫MOON」

「あら、臼井さんだったかしら? 今日もセレネさんのお見舞い?」


「ええ、そうです。面会をお願いできますか?」


 探索者協会本部に隣する総合病院。


 その隅にひっそりと佇むホスピス病棟の受付で、俺は"臼井(うすい) 景乃(けいの)"の姿で看護師さんと話していた。


「もちろんよ。セレネさんもきっと喜んでくれると思うわ。だた……」


「ただ?」


「彼女……最近起きていることのほうが少ないから、もしかしたら今日も眠っているかもしれないわ」


「……そうですか」


「もしそうでも寝顔だけでも見ていってあげてね。彼女……あなたが来るととても嬉しそうにするから、きっとそれだけでも十分喜んでくれると思うわ」


「わかりました。ありがとうございます」


 慣れた様子で手続きを済ませてくれた看護師さんに軽く頭を下げて、俺はホスピスの中へと足を踏み入れる。


 ここは余命幾ばくもない患者さんたちが暮らす場所だ。


 治療という概念はなく、ただ彼らが安心して過ごせるように環境を整えることや、介護を行うことが目的となっている。


 なんだか暗く陰鬱とした雰囲気の漂う場所に思えるけれども、実際に来てみるととても穏やかな空気が流れていて、まるで時間の流れさえゆっくりになっているような錯覚さえ感じてしまう。


 静まり返った廊下を歩き、病連の一番奥にある豪華な作りの個室の前に立つと、俺はゆっくりとドアをノックした。



「――どうぞ、入りなさい」



 中からは、まるで十代の少女のように透き通った声音の返事が聞こえる。


 病室の扉を開くと、そこにはベッドの中で上体を起こし、窓から見える景色をぼんやりと眺めている老女の姿があった。


 彼女は俺の姿を認めると、その皺だらけの顔をくしゃっと歪ませて嬉しそうに微笑んだ。


「よく来てくれたわね! ――おっと、こんな場所で本名は呼んじゃダメね。えっと……その姿は景乃ちゃんだったわね。いらっしゃい」


「ご無沙汰してます、セレネ。元気そうじゃないですか」


「もう余命幾ばくもないお婆ちゃんだけどねぇ……。ま、この通りまだピンピンしてるわよ」


 そう言って老婆は、ぐっと力こぶを作るようなポーズをしながら、元気そうにカラカラと笑った。


 真っ白な髪に骨と皮だけしかないような細い腕や指先、そして顔に刻まれた深い皺は、まるでお伽噺(とぎばなし)に出てくる老魔女のような雰囲気を醸し出している。


 しかしその口から発せられる声は、昔からずっと変わることなく若々しく、そして聞く者の心を揺さぶるような美しく澄んだものだった。


 ――彼女の名は"セレネ・カントール"。


 本当の俺を知る数少ない人物であり、世界でも稀な"インネイト"の一人。そして俺の音楽の師匠でもある人だ。


「おや? また配信していたんですか?」


「ええ、ええ! あなたが"ぶいちゅーばー"っていうのを教えてくれてから、毎日とても楽しく過ごしているわ! ファンと交流できるのがこんなに楽しいだなんてねぇ……」


 ベッドのテーブルに置かれたノートPCには、高級そうなカメラや周辺機器が接続されている。


 彼女がベッドに横になったままでも配信できるように、俺がセッティングしてあげたものだ。


「アバターも私の理想通りだわ。私がこんな風になりたかったってイメージにぴったり! 本当にあなたには感謝してるわ」


「ふふ、そう言われると弟子冥利に尽きますよ」


「本当の私はこんな外見だからねぇ……。"歌姫MOON"の姿に憧れているファンの皆をがっかりさせたくないのよ……」


「セレネ……」


 セレネの容姿は、お世辞にも美しいとは言えないものだ。


 それは彼女が老人だからというわけでなく、若い頃から人前で自分の姿を晒すことができないほどだったという。


 原因は、彼女がインネイトであることに起因する。


 本来インネイトは俺やリノのようにメリットしかないものだが、セレネは生まれつき体内に魔核を持ちながら、肉体は魔素の適応力が低いという致命的な欠点を持っていたのだ。


 そのせいで魔核が生み出す魔力が毒となり、顔を含めて体のあちこちに痣が浮かんでしまっているのだった。


 普通に生きる上では支障のない程度の症状だったとはいえ、やはり女性にとってこのような姿を他人に晒すのは辛いものがあっただろう。


 彼女は顔を隠した謎の歌手として活動し、やがて歌姫とまで呼ばれるようになった。


 しかし、そのあまりにも美しすぎる歌声は、多くの人々に彼女の容姿に対する理想像を作らせてしまったのだ。



 ――この素晴らしい歌声を持つ歌手はどんな顔をしてるんだろう?


 ――きっと天使か妖精のように美しいに違いない!


 ――いやいや本物の女神様かもしれないぞ?



 そんな風潮が広まってしまったが故に、セレネは更に自分の姿を人々に見せることができなくなってしまい、現在でもずっとその期待を裏切ることを恐れている。


「それであの話……考えてくれた?」


「……すみません。まだ、結論は出せません」


「そんな難しく考えなくていいのにねぇ~。軽い気持ちで引き受けてくれればそれでいいのよ?」


「そう簡単な話ではないでしょう……」


「最近は私の影武者も何回かやってくれてるし、MVの撮影だって引き受けてくれたじゃない。あれ……本当に私の理想通りの"歌姫MOON"って感じで、正直鳥肌立っちゃったわよ」


「あの動画、もう100億回も再生されてるんですよ? 数回だけならまだしも、今後ずっとだなんて……プレッシャーが半端ないですよ」


 セレネが俺に要求していることは一つ。


 それは、自分が亡くなった後、"歌姫MOON"を引き継いでほしいということだった。


 たしかに今までも体調の優れないセレネに代わって影武者を務めたことはあるし、それがバレたことは一度もない。だけど以前お願いされて軽い気持ちで引き受けたMVの動画が世界中でここまで大きな話題になるとは思わなかった……。


 これをこの先ずっと続けるのかと思うと、かなりの責任を感じてしまう。


「声はあなたの能力で完璧に再現できるでしょう? それに"吸血姫MOON"のキャラクターも私とあなたで一緒に考えたものじゃない」


「ふふっ、のじゃロリ口調の吸血鬼……凄く良いキャラになりましたよね」


「そうそう、ぶいちゅーばーを演じるのも楽しくてねぇ……。あなたならむしろ私よりもっと上手くやれるでしょう?」


「でも歌声はまだあなたには遠く及びませんよ……」


「……ま、そこはさすがにそう簡単に抜かれたら師匠としてはたまったものじゃないけどねぇ。でも将来的に、あなたは間違いなく私を超えられるわ」


「買い被りすぎです……」


「いいえ。あなただってわかってるでしょう? あなたは天才なの。私は70年歌い続けてきてやっと今のレベルになったけれど……あなたはまだ十代で私に並走しようとしているのよ。この差は大きいわ。きっとあなたは私より遥かに高みに行ける」


「……でも、私がセレネの功績を奪ってしまうようで申し訳ないです。所詮、私は偽物なんですから……」


「ふふ、それを言うなら私だって偽物よ。歌手、俳優、アイドル、Vtuber……芸能人なんてそんなもんじゃないの? 皆何かを演じて生活してるわ。そして人々は本物より本物らしい理想の偽物を求めるのよ」


「…………」


「そしてあなたは偽物を本物にできる人よ。ねえ、あなたが"歌姫MOON"を完成させてくれない? 死ぬ行く身のお婆ちゃんの最後の願い事……叶えてほしいな?」


「それはちょっと卑怯ですよ……」


「うふふふっ、老人っていうのは狡猾なものなのよぉ♪」


「いやでもやっぱり――」


「あー! お腹痛くなってきちゃった。死ぬ前の痛みかも! ああ苦しい!」


「分かりました分かりました! やりますよ!」


「あら本当? 嬉しいわぁ~。ありがとう」


「はぁ……まったくこの人は……」


「じゃあまずは今度裏世界の東小金井で行われる、"裏世界音楽フェスティバル"に出てもらうわよ?」


「はい!? それって……一週間後ですよね!? 準備期間全然ないですよ!」


「別に何も準備することなんて無いじゃない。あなたは私の曲を全部マスターしているしMOONのキャラも完璧に演じられるでしょう?」


「そ、それはそうですが……」


「ああ……楽しみだわぁ。世間ではあのMVがAIだとかいちゃもんつけてる人も多いでしょう? あれ、本当に腹立たしいわよね。この音楽フェスでその人たちに目にもの見せてあげましょう!」


 カラカラと楽しそうに笑いながら今後の活動計画について語りだすセレネに、俺は苦笑いを浮かべる。


 しかし彼女には様々な恩義があるのも事実。それになにより、本物の歌姫と称される師匠の遺志を継ぐ……それは弟子として大変栄誉なことだ。


 そして俺も演者(アクター)として、70年もの間変わらぬ姿で美しい歌を奏で続ける吸血鬼を演じて世界を騙すというのは、非常に興味を惹かれる案件であることは否定できない。


 覚悟を決めた俺は彼女の語る計画に耳を傾けながら、この役割をしっかりとやり遂げようと決意を新たにするのだった。

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― 新着の感想 ―
二代目歌姫MOON襲名おめでとうございます やったねまた一つアバターが増えたよ!
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