第060話「迷宮の支配者」
一瞬の静寂の後、荒井先生はオールバックの頭を右手でゆっくりと撫でながら、くつくつと笑った。
「いやはや……事件が起こっているという疑惑すら持たれないようにしていたはずなのに、まさか調査をしていた上に真相まで突き止めてしまう人物がいるとは夢にも思わなかったよ。……さすが佐東くん、教師たちの間で最近もっとも話題となっている生徒なだけはあるね」
「恐縮です」
先生は、いつもと全く変わらない穏やかな顔と優しげな口調で喋る。
しかし、その目つきだけは違った。獲物を見る猛禽類のように鋭く冷たい。
「被害者の生徒たちは、この穴の下ですか?」
「そうだよ?」
「……っ」
平然とした顔で「自分は殺人犯です」と、発言をする先生に鳥肌が立つ。
この人は……本物の異常者だ。
ベッキー曰く、昔は人を見下す冷たく傲慢な性格だったが、時と共に丸くなり今のように誰に対しても紳士的になっていったらしい。
が、なんてことはない。彼はただ上っ面を取り繕うことを覚えただけで、中身はなにも変わっていなかったんだ。
……いや、もしかしたら当時よりもずっと酷くなっているのかもしれない。
「事件の動機ですが……あなたのことを良く知らない私には全てを推し量るのは難しい。だけど予想はつきます、おそらくヘレン・ドレクセルさんが関係あるのではありませんか?」
「……驚いたな。君はそんなことまで知っていたのか」
「最初はなにか黒魔術のようなものでも発見し、彼女を復活させるための生贄でも探しているのかと思いましたが……現場の状況とあなたの態度を見て違うとわかりました。……これは、あなたの"趣味"みたいなものなんじゃないですか?」
「何故そう思う?」
「被害者は全員がヘレンさんを彷彿とさせる将来有望な少女ばかりでした。あなたはこの子たちを学生時代のヘレンさんに重ね合わせて見ていた。そして――」
「素晴らしい! 君は実に素晴らしいよ佐東くん!」
パチパチと拍手しながら、先生は目を見開いて叫んだ。
「実は、最後まで君と長南くんのどっちにしようか迷っていたんだ。でも君は才能はあってもまだDクラスであるし、長南くんは春に逃してしまった獲物だからね。……だから今回は長南くんを選んだんだ。しかし! 君は想像を超える才覚を見せつけ私を驚かせてくれた!! 今日ここに飛ばされてきたのが君で良かったよ! まさに僥倖だ!!」
恍惚とした表情で、口元から涎を垂れ流しながら喋る先生。
スーツの股間部分が大きく膨らんでいるのに気がつき、思わず顔をしかめてしまう。
「……ヘレンはね、本当に才能溢れる少女だった。そして可憐で美しく……人々を魅了するカリスマ性があった。初めてだったよ、私が敵わないと思ったのは。嫉妬したよ。……けれどもそれ以上に憧れていた。彼女は間違いなく歴史に名を残す傑物になるはずだと信じて疑わなかった」
ヘレン・ドレクセルは、今ほどネット配信が盛んではなかった十数年前に、裏世界配信者の先駆けとなった人物だ。
今では戦女神の聖域ら五つのパーティが人気のトップとして君臨しているが、当時は彼女が世界で一番人気のある配信者だったと聞いている。
「今の子供たちがシャイリーンに夢中なように……私の世代の人間は殆どがアンジェリーナに心酔していた。しかし、ヘレンはそんな世界一の美女に迫る勢いで人気を博していてね。……だけど、そんな矢先だった」
「……彼女は、ロリコングに殺されてしまったんですね?」
「あぁ……あの悲劇を私は決して忘れられない。私も画面越しにリアルタイムで見ていたが、それは凄惨なものだった。あの美しい彼女が、醜い魔物に人間の尊厳を踏み躙られていく様を……私は涙を流し、そして絶叫しながら見続けた! 最後の一瞬までッッ!!」
裏ちゃんねるは、ちょっとやそっとの過激な動画は削除せずにそのまま放置していることが多い。
しかし、ヘレン・ドレクセルの悲劇はあまりにも衝撃的で惨憺たる内容であったため、即刻全てのネット上から動画は消され、今では闇市場で出回るほどの伝説になっているとか……。
「泣いて、大声で叫んで――でも、それ以上にかつてないほど興奮している自分がいたんだ。脳から快楽物質が大量に分泌されて気絶してしまったほどさ。あの日の快感は一生忘れない。……あれ以来、私はずっと同じような光景を追い求め続けてきた」
「……ああ、変態性癖に目覚めてしまったわけですね」
「違う! 真実に気付いたんだ! 宝石のように煌めく希望と可能性に満ちた美しい存在が、ゴミのように破壊される! これ以上に魅力的な芸術はこの世に存在しないということにッッ!!」
「あなたは……未来ある若者が志半ばにして命を失ってしまうことが嫌いだと言っていた。あれは嘘だったんですか?」
「嘘じゃないさ。ただ、私は志半ばにして人知れず命を失ってしまうことが嫌いだと言ったはずだ。それに常に見守っていたいともね。くくくく……」
「……そういうことですか」
「私は、人が死ぬところを見たかった。だからダークウェブを覗いてそういった映像を探したり、死にそうな探索者の後ろをつけて、陰からこっそりと死ぬ瞬間を見学したりもした。しかし……どれもこれも陳腐なものばかりだったよ。ゴミのような奴らが、ヘレンの百分の一にも満たない価値しかないゴミみたいな命を汚く散らすだけの退屈極まりない見せ物さ。私が見たいのはそういったものじゃないんだよ……!」
裏世界では、しょっちゅう死人が出る。
配信者の中には死を恐れぬ過激なチャレンジを行ったり、自殺願望を抱えたまま探索を行うことで視聴者の興味を引こうとする者も多い。
だが、彼らは実力もなく人気も才能もないからそんな行動を取るのであり、本当に才能溢れる若者が無残に死ぬ瞬間をリアルタイムで見る機会など滅多にないことだ。
「だから、自分で作ることにしたんですね。あなたにとって最高のシチュエーションを」
「そう、そのために教師になった。周りに自分の心の内を悟られぬよう努力もした。ダン学はやはり素晴らしいよ。毎年ヘレンのように才能に満ち溢れた選ばれし子供たちが入ってくる」
壁のモニターを眺めながら先生は目を細める。
真ん中にあるひと際大きなモニターには、大穴の底と思われる光景が映し出されていた。
そこには沢山のアンデッドが徘徊しており、中にはダン学の制服を着ているゾンビも確認できる。それは、写真で見た被害者の誰かに似ている気がした……。
「もう……結構です。あなたは探索者協会に引き渡します。この事実が明るみになれば、確実に指名手配されるのですから諦めてください」
「ふふふ、残念だけどもう君はここから出られないんだ。この部屋は一人のときは外に通じる転移陣が出現するけど、二人になるとそれが消え去って出口がなくなるようにできている。帰還の宝珠も使うことはできない、この私でさえね」
「ならば外に出る方法は?」
「簡単なことさ、もう一人をその穴の中に突き落とせばいい。そうすれば出口は再び現れる。くくく……」
「穴から脱出することは可能ですか?」
「一度落ちたら絶対に不可能だ。この穴の下は濁った魔素の溜まり場となっていてね。アンデッド以外は上手く魔力を練れなくなる。それに特殊な磁場が発生していて、上に昇ろうとすると反発の力が働くようになっている。つまり――」
「どちらかが死ぬしかないわけですね」
「その通り! もちろん――――これから死ぬのは君だがね」
ブワっと荒井先生の全身から魔力の波動が溢れ出した。
同時に彼の右手の上に、ボーリング玉ほどの大きさの青白い球体が浮かび上がる。
……あれは、相当な魔力が込められているな。たしか先生はAランクだったはずだが、それを遥かに凌ぐ魔力量だ。
「ああ……"黒良 白音"くんは本当に素晴らしかった。彼女はターゲットの中で唯一のBクラスだったんだがね、戦闘中にもグングン成長して私に食らいついてきたんだ。あの娘はヘレンに匹敵する才能があったと思う。……彼女の最期は美しかったよ。君はどれくらい私を愉しませてくれるかな?」
「私はあなたのような人間には容赦しない主義なんです。なので、申し訳ありませんが楽しむ暇もなくさっさと穴の中に叩き落とさせてもらいます」
「はっはっはっ! これはまた愉快なお言葉だ。君はどうやら見た目よりずっと自惚れ屋さんらしいね。先程レベッカから聞いただろう、私は学生時代はずっとSクラスに所属していたんだ。教師になって探索活動をする機会がめっきり減ってしまったからSランクには到達していないものの、普通に活動していれば今頃Sランクに――」
「くすくす……」
「なにがおかしい?」
「いえ、だって自称"Sランク級"であるとか、"いずれSランク確実"だとか言って自慢気に語ってるAランクの人って多いんですけど、実際にそうだった方って見たことがないので……ふふっ」
「…………」
「荒井先生はベッキーみたいにもう少し謙虚になった方が良いと思いますよ?」
「その減らず口……すぐに閉ざしてあげよう。私の魔術――――【迷宮の支配者】の力でね!」
荒井先生が青白い球体を光らせると同時に、彼の目の前に魔法陣が出現し、そこから全長5メートルを超える巨大なゴブリンが姿を現した。
赤の扉のボスモンスターの一体――ゴブリン最強種のゴブリンジャイアントだ。
「なるほど……ダンジョン内のモンスターを召喚できるわけですね」
「そうだ! 私は自身が攻略した非消滅型ダンジョンを支配下における! 迷宮のシステムを意のままに操れるだけでなく、ダンジョン内にいる全てのモンスターを呼び出して命令することもできるのだ!」
「ぺらぺらと自分の能力について話すなんて随分余裕がありますね」
「君はここで死ぬんだから自慢くらいさせてくれよ。この手にある支配者の宝玉に込められている魔力の量がわかるだろう? 私は5年もの間、これに魔力を注ぎ込み続けた。このダンジョン内であれば"Sランク級"というのは、私の妄言でもなければ虚栄でもない! さあ、ゴブリンジャイアントよ! その小娘をやってしま――」
――ドスッ!
『グギャ……?』
自分の胸に突き刺さっている俺のテンタクルウィップの先端を見下ろして、ゴブリンジャイアントが間抜けな声を出す。
俺が鞭を引き抜くと、奴の胸部からは巨大な心臓と共に噴水のように血液が飛び出した。
轟音を立てて巨体が崩れ落ち、一瞬にして光の粒子となって消えていく。
「デカいだけでいい的ですね。人型モンスターは弱点がわかりやすくて助かります」
「……貴様、実力を偽っていたというわけか」
ネットや電話が通じず、外部と連絡が取れない不感地域は、俺にとっても都合が良い。
本気を出してもその映像や音声が外に漏れる心配がないからだ。
「なるほど、自信満々で長南くんの代わりにここに飛んできたわけだ。だが――」
再び荒井先生が宝玉を光らせると、部屋中の至る所に次々と魔法陣が出現していった。
そこから現れたのは――
ゴブリンキングを筆頭に、ゴブリンパラディン、ゴブリンアークメイジ、ゴブリンジェネラルなどの最強のゴブリン軍団。
そして、サハギンやアクアフロッグ、ホーンウルフといった俺がここに来るまでに戦ってきた各階層のモンスターたちや、ミノタウロスのような別ルートで出現するであろうモンスターまで勢揃いしている。
「ふふふ……壮観だろう? こいつらはただの雑魚じゃないぞ。私の宝玉の力で通常より数倍に強化された個体だ!」
「確かにこれは凄いですね。自慢したがるのも理解できます」
「ふん……あとどれくらいその澄まし顔をしていられるかな? ……さあ、やってしまえ! ただし腕や足の一二本なら折ってもいいが、殺すんじゃないぞ。最後のお楽しみがまだ残っているのだからね!」
『『『グオォオオオオオオオッッ!!!』』』
地鳴りのような咆哮を上げて、大軍勢がこちらに向かって殺到してきた。




