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第049話「賭け」

「今日も裏校舎で特訓すると言っていましたが、どこでやってるんですかね?」


 『ダン学生徒失踪事件』に関する調査報告書をアーサーに提出し終えた俺は、週明けに迫ったダンジョン実習の前に、種口くんに最後の稽古をつけてあげようと裏校舎にやってきていた。


 実習前の週末ということで、大勢の生徒たちが修練に励んでいる姿があちこちで見受けられる。


 きょろきょろとそんな光景を見回していると、グラウンドの中央にある竜の像の辺りになにやら人だかりができているのが目に入った。


「……ん? あれは――!?」


 近づいてみると、人だかりから少し離れた場所に、ボブや英一ら種口グループのメンバーが地面に大の字になって倒れていた。


 英一たちは気絶しているようだが、ボブはまだ意識を保っているようなので、俺は彼のもとに駆け寄って声をかける。


「大丈夫ですか、ボブくん?」


「OH~……佐東サン。ワタシは大丈夫デス」


「一体なにがあったのです?」


「Aクラスの連中が突然稽古をつけてやると言って絡んできたんデスよ。それで挑発に乗った英一サンが喧嘩を買ってしまい……その後みんなで戦ったんデスが……」


 ボブや栄一はDクラスの中ではトップクラスの強者だが、さすがにAクラス相手となると荷が重い。


 Aクラスは探索者ランクB以上のエリートたちだけで構成された、一流の実力者集団なのだから当然といえば当然だ。



「おいおい、せっかくAクラスの俺が直々に稽古をつけてやってるのに、女の後ろに隠れて逃げんのかぁ? マジでダセェなぁ~ぎゃははははっ!」



 人だかりの中心から下品な声が響いてきたので、俺は生徒たちの後ろからにゅっと顔を出して覗いてみる。


 するとそこには、ニナに肩を借りてその場から立ち去ろうとするボロボロの種口くんの背中に、悪態をつきながら高笑いをする長髪の男子生徒の姿があった。


「あの長髪が迅くんに嫌がらせをしているって噂の、権力者の血縁ですか?」


「YES~……犬瀬(いぬせ)華馬(はるま)という名前で、理事のお孫サンだそうで。どうも種口サンが気に入らないらしくて、執拗に狙われているみたいデス。それでワタシたちが負けたアト、長南さんが助けに入ったのデスが……」


「余計に怒らせちゃった感じですか?」


「OH~、よくわかりましたネ」


 あの犬瀬みたいな奴は、見下している同性に仲の良い異性がいたりすると、それが癇に障って怒りをエスカレートさせるタイプだろう。


 種口くんがこんな執拗に絡まれているのは、なんだかニナにも原因の一端がありそうな気がするな。


 俺であれば犬瀬を刺激しない様に間接的に助けたり、奴が去った後に種口くんの介抱に入るが……委員長タイプの真っ直ぐな性格の彼女にその辺の機微を理解することは難しいかもしれない。


「その調子じゃ来週のダンジョン実習も落として留年確定だなぁ? 退学も時間の問題だろうし、早めに転校手続きしといたほうがいいんじゃねぇのぉ~?」


「いい加減にして! いつもいつも……弱い者いじめなんてして恥ずかしいと思わないの!?」


「お、おい爾那……俺は大丈夫だから落ち着けって……」


 ……? なんだか妙だな。


 さっきからあの男、種口くんよりニナを煽ってるような気がする。


「あなたは迅を舐め過ぎよ。来週の実習でそのことを思い知ることになるでしょうね」


「はっ! そいつがダンジョン実習をクリアするなんて絶対にありえねぇ! 賭けてもいいぜ?」


「だったらもし迅が無事にダンジョン実習をクリアできたら、卒業まで一切彼にちょっかい掛けないって約束しなさい!」


「ああいいぜ。それどころかもし本当にクリアできたら土下座してこれまでの非礼を詫びてやる。その上でそいつのことを卒業まで『さん』付けで呼んでやろうじゃねぇか。……まぁそんな奇跡起きるわけないがな!」


「約束だからね。あとで反故にするとか言わないでよ?」


「心配すんな。……おいっ、"魔法契約書"を出せ!!」


 犬瀬の命令によって取り巻きの一人が一枚の紙切れを取り出すと、彼はそこにさらさらとなにかを書き込み始めた。


 あれは双方の合意に基づいて契約を交わし、違反をした者にペナルティを与えることができる魔道具で、重要な商談や賭けなどの際に使用される代物だ。


 契約が履行されれば消滅するが、それまではいかなる手段でも破壊することができないという特性がある。


 ……しかし随分用意周到なことだな? まるでこの展開を見越していたようではないか。


「ほらよ、書いたぜ。……ただし、そいつがクリアできなかったときは、長南……お前にも責任を取ってもらうぜ」


「どういう意味……?」


「おいおい、賭けなんだから俺だけリスクがあるのはおかしいだろうが。それだけ偉そうなこと言ってんだから覚悟はあるんだろう? もし負けたらお前は卒業まで犬瀬家のメイドになれ。もちろん俺専属のな!」


「…………!」


「爾那、俺のためにそんなめちゃくちゃな条件飲む必要は――」


「おらどうした! 怖気づいたか? やっぱお前も心の底じゃそいつがクリアすんのは無理だと思ってんだろ? この程度の条件を突きつけられただけで躊躇うようじゃなぁ! だったら最初から生意気な口聞いてんじゃ――」


「――受けるわ」


「お、おい爾那!?」


「ニナ! 受けてはいけません! 挑発です! 賭けに持ち込むまでの話題の切り替えがやや不自然でしたし、魔法契約書を用意していた点も怪しい! 少し冷静になりましょう!」


 つい黙って見ていられなくなり人垣の外から大声で制止するが、既に遅かったようだ。


 ニナは犬瀬の煽りに完全に熱くなっていたようで、ペンを取って契約書に自分の名前を書き込んでしまった。


 はぁ~……やってしまったか。


 まあ、種口くんが実習に合格できればいい話だし、魔法契約書には実は抜け道のような対処法もあるにはあるのだが……また面倒な事案が増えてしまった。


「はんっ! 来週が楽しみだぜ。そいつが落第するのと、メイド服を着たお前の従順な姿を見るのがな。ははははははっ!」


 犬瀬は勝ち誇った顔で高笑いすると、魔法契約書を大事そうに鞄にしまいこんで、取り巻きを引き連れながら俺のすぐ横を通って立ち去っていく。


 すれ違う瞬間に犬瀬の鞄がぶつかって少しバランスを崩してしまうが、俺は特に何も言うこともなく彼らを見送った。


 集まっていたギャラリーたちも次々に散って行き、後には種口グループの面々とニナ、そして俺だけが残される。


「ニナ、ちょっと浅はかすぎますよ。魔法契約書は連帯保証人などになるときにも使用する極めて危険度の高いアイテムです。あれを使っての賭け事は基本的に止めたほうがいいです」


「ご、ごめん鈴香……。頭に血が上っちゃって……」


「まあ、書いてしまったものはしょうがないです。とりあえずは気絶している英一くんたちを保健室に運びましょうか」


「ワタシが一番重いキモタクさんを運びまショウ」


「俺ももう大丈夫だから英一を運ぶよ。はぁ~……なんだか俺、皆に迷惑かけてばっかだなぁ……」


「気にしないでください。そもそも悪いのはあっちですし」


 落ち込んでいる種口くんに声をかけつつ、俺たちは倒れている英一たちを担いで保健室に向かった。







 英一たちを保健室のベッドに寝かせ終えた俺たちは、そのまま空いている席に座り状況の整理を始める。


「さて、ニナが魔法契約書にサインをしてしまったのは誤算でしたが、これは逆にチャンスとも言えます。実習さえクリアできれば、今後犬瀬くんは迅くんに手出しできなくなるんですから」


「……迅が実力をつけているのは私も知っているけど、10階のボスは亜人系のゴブリンパーティなんだよね。【鬼眼】で攻撃できないけど、大丈夫?」


「絶対とまでは言いきれないけど、"魔法戦士の腕輪"のおかげで【鬼眼】なしでもそこそこ戦えるようになったから、いける……と思う」


「そうですね。強力な攻撃は【鬼眼】で防御して、腕輪の補助を受けながら殴り続ければ普通に勝てるはずです」


 修練の塔10階のボスは、ゴブリン五匹のパーティだ。


 ゴブリン、ホブゴブリン、ゴブリンシーフ、ゴブリンアーチャー、ゴブリンメイジというバランスの良い組み合わせで、全員が最低限の統率を持って連携しながら襲いかかってくる。


 アマチュアであればかなり厳しい相手だが、プロならば成り立てでもギリギリ対応できる難易度だ。


「うん、私もそう思う。犬瀬くんはちょっと迅を甘く見過ぎているよね」


「……そうならばいいんですが、魔法契約書まで用意していてあの自身満々の態度、なんだか裏があるように思えてならないんですよね」


「裏って?」


「それはまだ分かりませんが――」


「――皆サン大変デス! ダン学の理事会から緊急の発表がありまシタ! ダンジョン実習のルールが改定されるらしいデスヨ!」


 俺たちが話し合いをしていると、飲み物を買いに出ていたボブが慌てた様子で戻ってきた。


 彼の持つタブレット端末を覗きこむと、確かにダン学の公式ホームページに【重要】と銘打たれた告知文が掲載されている。




【修練の塔におけるダンジョン実習についてのルール変更の内容】


・本年度より修練の塔10階のボスを討伐できれば裏世界関連の単位が不足していても、二年への進級を認めるという特例を廃止いたします。


・それに伴い、今後は最上階である30階まで制覇した生徒のみ、この特例での進級を認めるものとします。


・これは近年この特例を利用して進級を目指す生徒が多くなり、ダン学のレベル低下が懸念されてきたための措置となります。


・なお、この改定は今季の秋の実習から適応されます。ここまで最低限の単位を取っていれば、実習に合格できなくても冬季に集中して講義を受講すれば進級は可能なはずです。これを機に生徒の皆さんはしっかりと勉学に励むよう心掛けてください。




「これは……厄介なことになりましたね。……迅くん、冬季に集中して講義を受講すれば進級可能なくらい裏世界関連の単位は取れてますか?」


「……た、たぶん足りないと思う」


「え!? そ、それって……つまり今度の実習で迅は最上階まで行けなければ留年しちゃうってこと……?」


「はい、そして犬瀬くんとニナが交わした契約の内容は、『迅くんが10階を突破できるか』ではなく『実習をクリアできるか』ですから……できなければニナも賭けに負けてしまいます」


「OH……なんと巧妙な策デショウ。つまりあの男はこうなることを知っていてワザと長南サンを挑発したということデスネ」


「その通りでしょうね。おそらく今回の改定もあの男が祖父を通して仕込んだんでしょう」


 俺の発言に、ニナと種口くんの顔色がみるみる青ざめていく。


 姑息……といえば姑息なんだが、この改定自体は至極真っ当なものなんだよなぁ。俺もずっと10階はヌルすぎるって思ってたもん。


 なのでこれを取り消すように要求をするのは難しいだろう。


「いや……待ってくだサイ!? 種口サンと長南サンはもちろん、佐東サンも今回の件は他人事ではないんじゃないデスか? アナタはつい最近転校してきたばかりなので、単位が圧倒的に足りていないはずデスから」


「あ、いえ。私は大丈夫ですよ?」


「「「え?」」」


 俺がさらっと告げると、三人は驚愕の表情で振り返った。


「だって私は『魔力戦闘実技』の単位も持っていますし」


「ああ、そういえば佐東サン、あの理不尽な授業で合格していましたネ。でもソレだけでは足りないはずデハ……?」


「ベッキーの『モンスター学概論Ⅰ』も論文を提出したら単位をもらえました。それ以外に『裏世界歴史Ⅰ』『裏世界地質学Ⅰ』『裏世界薬草学Ⅰ』『裏世界空気力学』『魔力操作理論』などいくつかの単位も論文で取得できてるので大丈夫です」


「佐東さんスペックどうなってんの!?」


「論文だけで単位ってもらえるものなの……?」


「たしか教授を納得させるほど素晴らしいモノなら貰えると聞いたことがありマス。デスが相当稀なケースなハズ……それを一ヶ月足らずで複数とは……佐東サンは一体どのような生活を送ってきたのデス……?」


 う~ん、どうと言われても俺はこういうの好きだし苦にもならないからなぁ。


 勉強自体が好きだし、自分の知らないことを調べたり読んだりして新しい知識を身につけるのが楽しいのだ。


「そんなわけで私のことは大丈夫ですので。2人の話をしましょう」


「……私と迅がパーティを組んで30階まで行く、結局これしかクリアする道はないんじゃないかな?」


「爾那がいいなら俺もそれがいいと思う。それで30階までなら3人パーティを組めるけど、あと1人はどうする?」


「私がAクラスで迅がD、パーティを組むなら平均はB以下にならなきゃいけないから……。Bクラス以下で私たちが信頼できてなるべく強い人となれば……」


 ニナがちらりと期待するような視線をこちらに向けたので、俺はこくりと頷き返す。


「当然私が行きます。私と迅くんの2人で11階から20階までを、21階からニナと合流して3人で30階を目指すのが最善でしょう」


「……ワタシも立候補したいところですが、おそらく役に立てないでショウ。成長著しくBクラスやCクラスにも引けを取らない実力を持つ佐東サンに任せる他ありまセン。ワタシは大人しく応援に回りマス」


「なら決まりね。私と鈴香と迅の3人で最上階を目指しましょう!」


「はい!」


「2人ともありがとう……! 俺、佐東さんと爾那の足を引っ張らないように頑張るよ!」


 さて、そうと決まれば実習までもうあまり時間がない。種口くんに最後の仕上げをしてあげなければな。


 ……やれやれ、失踪事件の解決に種口くんの留年阻止とニナの賭けの勝利、両方同時に行わなければならないとは……当日は忙しくなりそうだ。


 俺は内心溜め息を吐きつつ、目の前の課題を解決するために思考を巡らせ始めた。

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