第039話「二人きりの逢瀬」★
「はぁぁぁぁーーーーッ!」
『ウキキィィーッ!?』
俺の拳がモヒカンザルの胸部に突き刺さると、そいつは短い悲鳴を上げてその場に崩れ落ち、光の粒子となって消滅した。
すると、その場にはパサリと羊皮紙のようなものが落ちる。
「やった! 鑑定の巻物だ!」
さっきは恰好つけて佐東さんにあげてしまったが、これはショップで買うとそこそこ良い値段のする消耗品だ。
家族もいない一人暮らしの俺は、そんなにお金に余裕があるわけではないので、こういうドロップアイテムは非常にありがたい。
欲を言えば、魔法武器がドロップしてくれたら高値で売ることができるので助かるのだが、あまり欲張って奥地に行ってしまうと危険なので、佐東さんの忠告通りこの辺で狩りをするのがベターだろう。
「それにしても最近は本当に調子がいいな……」
佐東さんとの特訓の成果が出ているのか、この高尾山の平野エリアではもう敵なしの状態だ。
防御の訓練だけをしていたはずなのに、いつの間にか【鬼眼】の熟練度も上がっていたようで、今では10パーセントくらいまでは反動も殆ど感じずに行使することができるようになった。
「……彼女には本当に感謝しかないな」
ついこの間までプロになるどころか、ダン学のFクラスから抜け出せずに退学の危機にあったというのに……彼女と出会ってからというもの、嘘みたいに人生が好転しているのを実感できる。
最初はあんな有名人の美少女が俺みたいな落ちこぼれに構ってくれるなんて、なにか裏があるんじゃないかと疑っていたのだが、しばらく一緒に過ごしているうちに違うとわかった。
彼女の行動原理は子供みたいに純粋だ。
だから、本当に俺に借りができてしまったと思っているからこそ、それを返そうとしているだけで、それ以上の特別な思惑なんて一切存在しないのだろう。
……と、いっても。俺の勘違いじゃなければ、今では友人としてそれなりに心を開いてくれているような気がするが。
さすがにそれ以上を期待するほど己惚れちゃいないけど……なんか佐東さんは超がつくほどの美少女だけど、そういう雰囲気を感じさせないというか、何故か同性に接してるみたいな感じで自然と喋れるんだよな。
「ん……? なんか辺りの様子が変だな……」
佐東さんのことを考えつつ、鑑定の巻物を次元収納袋の中にしまっていると、いつの間にか周囲が薄っすらと霧に包まれ始めていた。
高尾山でこのような現象が観測されたというニュースは聞いたことがない。
頭の中に「おかしな現象が起きたら、即撤退することをお勧めします」という佐東さんの言葉が蘇る。
「……今日はもう引き上げるか」
このエリアの敵は、今の俺なら油断さえしなければ問題はない。
しかし突然変異のネームドモンスターなんかは、初心者エリアにも平気で移動してくることがあるので、念には念を入れたほうがいいだろう。
そう思って出口の方へ歩き出したのだが、霧はますます濃くなり視界不良になっていく。
そしてさっきまではちらほら他の探索者やモヒカンザルを見かけていたのだが、気づけば周囲に自分以外は誰もいない状況になってしまっていた。
「……な、なにかヤバそうだぞ」
そのとき、前方からゆっくりとこちらに接近してくる影を視認する。
びくっと身構えて警戒しながら正体を見極めようとすると、どうやらモンスターではなく人間のようだ。
だがホッとしたのも束の間、その人物は真っ白な全身タイツに同じく白い覆面という怪しい恰好をした男で、服の上からでもわかるくらい鍛え上げられた肉体と、全身にとてつもない魔力を纏っているのが見て取れた。
「――っ!?」
俺は即座に踵を返して逃走する。
どう考えてもヤバい奴だ! 殺気のようなものをビンビン感じるし、こっちを攻撃する気満々じゃないか!
佐東さんとの特訓で防御はできるようになったが、俺の【鬼眼】はまだ人間相手に攻撃を仕掛けることはできない。
それにそもそもあの魔力量! たとえ【鬼眼】で攻撃できたとしても勝つのが不可能なほど、俺より遥か格上の相手だ!
全力で足を動かし、その場から離れる。
チラっと後方を確認すると、意外にもそいつは追いかけてくる様子がなくその場に佇んでいた。
……? 諦めた?
「はぁ……はぁ……。なんとか撒けた――――え?」
一分ほど後方に全力疾走したところで安心して速度を緩めると、何故か前方に先程の白タイツ男の姿が見えてきた。
な、なんで!? 追いかけてきている気配はなかったのに!
また後ろを向いて全力で逃げ出すと、そいつはやはり追ってくる気配を見せないままその場でじっとしている。
しかししばらく走り続けると、再び前方に白タイツ男の姿が。
後方に逃げたはずなのに、どういうわけかそいつは俺の行く先に待ち構えているのだ。しかも動いている様子はないというのに!
「ぜぇ……ぜぇ……! まさか……魔術か!」
「――その通り。俺の【二人きりの逢瀬】のテリトリーに入った獲物は、決して逃げることはできない……!」
覆面の下にボイスチェンジャーでもつけているのか、くぐもった声でそう喋る全身タイツ。
ゆっくりとこちらに近づいてきた男のタイツの胸元には、『WAKARASE MAN』と書かれている。
「お、お前……ワカラセマンか!?」
「ほう……この俺のことを知っているか――"恐竜ワンパン男"よ」
……くそっ! そういうことか!
この男は俺でも知ってる有名人だ。
最初は悪質な迷惑系配信者などを成敗する動画が痛快で、俺もちょっとだけ視聴していた時期があったが、最近の配信内容は完全にイカれてて、無関係な人間にまで危害を加え始めたところで完全に見るのをやめた。
そしてついこの間……とうとう人気アイドルの瀬浪凛を殺害したことで指名手配された凶悪犯!
俺がネットで"恐竜ワンパン男"としてバズったのが気に食わず、文字通りわからせにきたということか……。
ワカラセマンはカメラ入りのふわスラを上空に浮かばせながら、拳をポキポキと鳴らして俺に迫ってくる。
「さあ、そのクソダサい服を脱いで全裸になり、カメラの前で土下座して『調子に乗ってすみませんでした』と謝罪しろ。そうすれば半殺しですませてやる」
「……お、俺は調子になんて――――ぐああっ!」
一瞬。
目を離したつもりはなかったが、瞬きをしている間に腹部に強烈な拳を叩き込まれていた。
とてつもない衝撃。
俺の身体はまるでダンプカーに跳ねられたみたいな勢いで吹っ飛ばされて、十数メートルは離れた木に激突して止まった。
「ぐっ……。ごほっごほっ……! げぇぇ……!」
びちゃびちゃと吐瀉物が口から飛び出して地面に落ちる。
だが、その中に赤い液体は混じっていない。
佐東さんとの特訓のおかげで、【鬼眼】を切らさず攻撃を受けることができたので、内臓破裂を免れたようだ。
「……ん? 思ったよりも硬いな。……まあいい。どの道、どう足掻いても俺に勝てるレベルではないことには違いないのだから」
「ま、待ってくれ、俺は本当に目立ちたいとかそういうつもりはないんだ」
「ふんっ、貴様がどう思おうと関係ない。たった今も視聴者どもが調子に乗ってるお前をもっとボコボコにしてほしいとコメントしているぞ。俺は奴らの怒りを代弁しているだけだ。さあ、今すぐ謝罪して許しを乞え」
カメラ入りのふわスラをこちらに向け、覆面の上から耳元をいじるワカラセマン。
どうやらたった今も配信をしているようで、イヤホンで視聴者のコメントをチェックしているようだ。
……どうする。今の俺が戦って勝てる相手じゃないし、魔術の影響で逃亡も難しそうだ。
辺りに他の探索者はおろかモヒカンザルすらいなくなっているところをみるに、こいつの魔術は対象者だけを隔離空間に閉じ込めてしまうものの可能性もある。助けも期待できそうにない。
であれば……ここは奴の言うことを素直に聞いて無様に謝る。そうやって許してもらうしかないか?
いや、アイドルの女の子を殴り殺すような男だ。気分次第でいくらでも心変わりするだろう。
なら――
「あんた……見たところ、そのパンチに絶対の自信があるようだな」
「あ? なんだ急に? 当然だろう、俺は拳に関してはSランク探索者に匹敵する実力を持ってると自負している」
「仮に……そのパンチ、俺が意識を失うことなく十発ほど耐えられたら、それで勘弁してくれないか?」
「なんだと?」
プライドを刺激する。
俺のような雑魚が自分のパンチに十発も耐えられるはずがないと、きっとこいつは乗ってくる。
そしてこの男のようなタイプは、カメラの前で約束を反故にして視聴者から嘲笑を浴びるのは嫌うはずだ。
案の定、ワカラセマンはしばし迷ったあと、「面白い」と嗤った。
「いいだろう。もしお前が十発耐えることができたら潔く去ってやる。だが、本来ならお前は交渉できるような立場じゃないんだ。手を後ろで組んで防御せず受けろ。反撃も一切許さん」
「その条件で構わない。約束は必ず守ってくれよ」
「ふんっ、これでも武闘家としての誇りくらいある。貴様のような弱小とはいえ、一度した約束は守ろう」
……さあ、後は俺が頑張るだけだ。
佐東さん……彼女との特訓を思い出して【鬼眼】を防御に全振りしろ!
「いくぞ――まずは一発目だ!」
ワカラセマンは右の拳にとてつもない量の魔力を集中させると、そのまま俺の顔面目掛けて一直線に振りぬいた――!




