第004話「いざ、裏世界へ」
「よし! それでは出発しましょうか!」
佐東鈴香の恰好に着替えた俺は、ふわスラを片手に玄関を勢いよく飛び出した。
外に出ると、穏やかな日差しと爽やかで心地よいそよ風が肌をくすぐり、絶好の配信日和であることを告げてくる。
9月も終わりを告げようとしており、残暑もすっかり落ち着きを見せ始めた今日この頃。これから冬が始まるまでの二ヶ月間で、チャンネル登録者数100万人を達成しなければならない。
表札に"佐東"と書かれた203号室の鍵をガチャリと閉めると、サラサラの黒髪を靡かせながらアパートの廊下を歩いていく。
ここは東京都心部の某所に存在する、【紅茶荘】という名前のアパートで、俺の持ち家の一つだ。
歩きながら他の部屋のドアに視線を送ると、202号室に"吉田"、201号室に"高橋"と書かれた表札がそれぞれ付けられているが、実は二階には俺以外の住人は存在しない。
二階に5室、一階に5室という計10室からなるこのアパートは、一階はなにも知らない一般人が住んでいるが、二階は5室あると見せかけて中で全部繋がっており、一つの大きな部屋になっている。
まあ、簡単に言えばこの場所は俺が変装のために一から作った、別宅のようなものだな。
例えば……男の恰好をして"吉田"の部屋に帰って来て、女の恰好をして"佐東"の部屋から出てくる……といったような、誰かに見られても不審に思われないような、そんな場所として利用させてもらっている。
アパートを出て最寄りの駅へと向かい、JR中央線の快速電車に乗車すると、空いている席にちょこんと腰を下ろした。
東京の電車は乗るとしょっちゅう痴漢される (女装してなくても何故かされる)のであまり好きではないが、今は車や自家用ヘリを運転してくれる仲間がいないので、移動手段は電車以外にないからしょうがない。
……でも、今は土曜の昼間なのでかなり空いており、痴漢どころか乗客もあまりいないから、そういった心配はないだろう。
「Yに投稿しておきましょうか。今から"東小金井"に向かいます……と」
スマホを弄って、世界で一番使われているSNSの『Y』に、目的地の名前を入力して呟く。
今日の目的地は、超初心者向けの裏世界探索スポットである"東小金井"だ。
裏世界は区域ごとに危険度が1から10まで細かく設定されており、東小金井は最も安全とされる危険度1のエリアに属している。
あそこは東京近郊にある裏世界の中でも出現するモンスターが特段に弱く、しかも開けた場所なので不意打ちの心配もない。
なので初めて裏世界に行くならまずは"東小金井"から、というのが東京の探索者たちの定番になっている。
ちなみに最も危険だと設定されているのは群馬県で、唯一の危険度10だ。
群馬は県全体に凶悪なモンスターが蔓延っているうえに、最難関と名高いダンジョン"奈落"まで存在しているので、ガチの猛者しか足を踏み入れない。
初心者どころか中級者ですら一度入ったら二度と戻ってこれないと言われているほどで、探索者の間では"大魔境グンマ"と呼ばれ、恐れられている。
「……ねえ、あの子めちゃくちゃ可愛くない? 芸能人かな?」
「わぁ~、本当だぁ……すごい美少女! アイドルとかかもねー」
そんな会話が耳に入ってきたのでそちらへ視線を向けると、俺の対面の席に座っていた女子大生らしき二人組が、こっちをチラチラ見ながらひそひそと会話していた。
目が合ったのでにっこりと微笑みかけると、彼女たちはいいものを見たとばかりに顔をへにゃりと緩ませて、再び会話に花を咲かせ始める。
……ふむ。あまりあざと過ぎないキャラにしたのは、やはり正解だったかもな。メインの視聴者は男が多いだろうが、女子にもそれなりにウケが良さそうだ。
内心で手ごたえを感じながら頷いていると、電車が吉祥寺の駅へと到着し、かなりの数の人が乗り込んできた。
「ふ~、疲れたなぁ……。どっこいしょっと!」
俺の隣の席に、でっぷりと太った頭頂部の薄い中年のおっさんが腰を下ろす。
周りを見ると、人は増えたがそれでもまだ空いている席がいくらでもあるのに、おっさんは太ももに体温を感じるくらいぴったりと俺に身体を寄せてくる。
「おっと、ごめんごめん。電車の揺れが強くてね。ふへへっ」
「……」
ガタンと電車が揺れたのに合わせて、おっさんはわざとらしく俺の身体に体重を預けて、一瞬だが太ももに手まで置いてきた。
それ以外にも俺の髪の毛に顔を近づけて不自然に大きく息を吸い込んだり、にやにやとした表情でずっとこっちを凝視してくるので、正直言ってかなり鬱陶しい。
「はぁ……」
「あ、くそっ!」
我慢しようかと思ったけどあまりに不快だったので、席から立ち上がってドア付近へと移動すると、後ろからおっさんの残念そうな声が聞こえてきた。
……電車は久々に乗ったけど、やっぱりあまり好きになれそうもないな。
東小金井の駅に降り立つと、改札を出てすぐ近くにある、探索者と思われる人が並んでいる裏世界への扉をスルーして、その横の細い道へと入って行く。
裏世界への扉は本当に日本中のどこにでも存在する。
ああいった駅前の有名スポットはいつも大勢の探索者たちが並んでいて、入るまで時間がかかったり、その間にナンパやスカウトをされる可能性があるので、俺はあまり使わないようにしているのだ。
路地裏に入ると、きょろきょろと周囲を見回しながら魔力を飛ばして気配を探り、近くに人がいないかをチェックする。
……よし、誰もいないな。
「――ふっ!」
周りに人気がないのを確認してから、俺は足に魔力を込めて一気に地面を蹴りつけた。
すると俺の身体はまるでロケットのように勢いよく空へと打ちあがり、古びたビルの屋上へと着地する。
屋上の隅には、怪しげな魔法陣が描かれた扉がひっそり設置されていた。
あれが裏世界へと繋がっている扉だ。
ここはネットにも載っていない穴場で、屋上は鍵もかかっているので人が並ぶような心配もない。なのであまり人と関わりたくない俺としては、安心して利用できるスポットなのだ。
扉をじっくりと観察すると、デザインはお城とかにありそうな両開きのタイプで、大柄な成人男性が入ってもまだ余裕がありそうな大きさをしている。
軽く叩いてみるが、一体どんな素材で作られているのかすら分からないくらいに固く、空間に張り付いているかのようで、一ミリたりとも動かすことはできない。
また、何故か人間以外の生物には見ることも触れることもできないらしく、おかげでモンスターが裏世界から出てくる心配もないようだ。
「さあ、佐東鈴香の初配信です! 張り切っていきましょうか!」
誰もいない屋上で可愛らしい少女の声音で一人そう呟くと、俺は扉を開いて裏世界へと足を踏み入れた。
「う~ん! 相変わらずここの空気は魔素に溢れていて、とても美味しいですね」
扉を抜けて裏世界へ到着すると、俺は大きく息を吸い込んで、肺を魔素で満たす。
……ああ、やっぱりここはいいなぁ! 表世界の空気も悪くないけど、やはり地球上に存在するものとは違うこの空気を吸うのが最高だ。
「服や持ち物も……ちゃんと変わらずにそのままですね」
一部ではあるが、裏世界に入ると別のものに変質してしまうものがある。
例えば剣や銃、爆弾などがそれにあたる。
そういった強力な武器を持って、裏世界で無双しようと考える探索者たちは多くいるが、そうした物を裏世界に持ち込むと、剣はゴボウ、銃はニンジン、爆弾はジャガイモ……と、そのような姿へと変貌してしまう。
他にも全身鎧なんかがダンボールに、盾がぺらっぺらの紙のようになってしまったりとか、とにかく強力な武具の類いは一切持ち込むことができないのだ。
それ以外の……例えばカメラやスマホなどの通信機器、それに同じ武器でも裏世界産のマジックアイテムなんかは、そのままの姿で持ち込むことができる。
ちなみに何故かネットも普通に繋がる。
どうやら裏にいても表と同じ場所と認識されるようだ。スマホを見ても俺の現在地は"東小金井"と表示されているしな。
「神様か誰かわかりませんが、この世界を創った人はとてもバランス調整が上手いですね……」
ぽつりと呟きながらビルの屋上から辺りを見回すと、地形は表とほぼ同じだった。
しかし、鳥や動物などの気配は一切しないし、代わりに謎の植物があちらこちらで群生している。
建物もビルは廃墟になっていたり、家のある場所が空き地になっていたり、電柱が謎のオブジェクトになっていたり、道路が光る虹色のキノコで埋まっていたりと、まるで子供が想像して描いた絵の中に迷い込んだかのような光景が広がっていた。
遠目には二足歩行で歩いている不思議な生物の姿も見える。あれがモンスターだ。
……あとは空き家の中が広大な迷宮――"ダンジョン"になってたりとか、そういうのもあったりする。
「よいしょっと!」
屋上から地面へと飛び降りると、服の襟元にワイヤレスピンマイク、同じく耳元にワイヤレスイヤホンを取り付け、ふわスラに高性能のカメラとモバイル配信デバイスをセットして空中に浮かべる。
この辺の機材は金に物を言わせて最高品質のものを用意したぞ。
基本的にはイヤホンでコメントを拾うつもりだが、一応スマホも用意していつでも配信画面を確認できるようにしておく。
「……ふむ、既に待機中になっている視聴者が50人ですか」
無名のド新人にしてはかなり多いといっていいんじゃなかろうか?
事前準備として、裏ちゃんねるで一番有名な新人探索者紹介動画に出させてもらったからな。
かなりの金を払ったのに、殆ど企業勢に枠を取られてしまっていて、最後のほうに数秒だけしか映してもらえなかったが……それでも「めちゃくちゃかわいい子がいるぞ!」とコメント欄が大盛り上がりだった。
さらにYで、美少女探索者ばかりを取り上げているちょっと有名なインフルエンサーに、俺をフォローするようにこっそり誘導しておいた。
狙い通り彼は俺の映っている動画の切り抜きシーンを拡散をしてくれたようで、佐東鈴香のYのフォロワーはまだデビュー前なのに1000人を超えている。
……スズキのアカウントなんてトップ探索者なのに1万もいってないってのに、美少女って本当に強いな。
「準備OKです! それでは、ふわスラちゃん。カメラのスイッチをONにしてください!」
ふわスラはちょっとした命令なら聞いてくれる。
中に入れてるアイテムを取ってくれとか、今みたいにカメラのスイッチをONにしてくれとか、そんな簡単な指示ならスライムボディをぷるっと振動させてこなしてくれるのだ。
カメラがONに切り替わったのを確認すると、俺は満面の笑みを浮かべながら視聴者たちへ挨拶を始めた。




