第033話「種口迅は平穏に暮らしたい」☆
「くそっ、種口の奴があんな腑抜けだとは思わなかったぜ……!」
リーゼントを整えながら、俺は苛立ち混じりに独りごちる。
初めてあいつを教室で見たとき、俺は奴が只者ではないと直感的に感じた。
弱々しい見た目や仕草に反して、内に秘めたる覇気は尋常ではなく、なにか大きな運命を背負っているような……そんな気配と隠し切れない才覚やオーラが滲み出ていたからだ。
こいつは俺の宿命のライバルに……そして親友に成り得る漢かもしれねぇ――そう思ったのによぉ!
「もういいじゃんか英一。今日も三人で探索に行こうぜ」
「そうそう、それにあんな腰抜けに関わってる暇があったら彼女でも作ろうぜ。あ~、なんとかして佐東と付き合えねぇかなぁ~」
美衣兎と四位の二人は不満げな俺を宥めるように言ってくる。
ったく、こいつらとは馬が合うが、ちょっと硬派に欠けるんだよな。もっと漢気を見せろってんだよ!
……ま、まあ正直佐東は俺もちょっと気になってるがよ。
しょうがねえだろ、あいつはハッキリ言って女としてのレベルが高すぎる。同じ教室にいて毎日あの美貌を間近で見てたら嫌でも気になるだろ。
「ん……? なんだぁ、これは?」
そんなことを考えながら下駄箱を開けると、なにやら封筒のようなものが入っているのに気づく。
「おいおい、英一! それってまさかラブレターかぁ!?」
「マジで!? 見せてくれよ!」
「お、落ち着けよお前ら……」
目を血走らせながら二人が喰らいついてきて鬱陶しいが、とりあえず封蝋を剥がして中身を確認する。
も、もしかして佐東からか……!? 昨日教室でクラスメイトの馬鹿どもを一喝した漢気溢れるところを見せたし、可能性はある――
『拝啓、英一様。タイマンの件、受けさせてもらう。裏校舎三階の一番奥の空き教室にて待つ――――種口迅 』
「……」
「どうしたんだよ英一、真剣な顔して黙り込んで……ってこれ!?」
「……種口からの果たし状じゃねえか!」
「――ッシャァ!! 上等だ種口ぃ! 待ってたぜェ!! この瞬間をよォ!!」
「なんかラブレターよりも嬉しそうなんだけど……」
「英一の琴線がいまいちわからん……」
「うるせぇ! お前らも来い! 俺たちのタイマンの立ち合い人をやってもらうぜ!」
封筒を破り捨てるように手から離すと、俺は一直線にグラウンドを走り抜ける。
美衣兎たちは呆れたように溜め息をつきながらも、その後を追いかけてきた。
裏世界への門をくぐり、裏校舎の階段を上って三階の廊下まで辿り着く。
辺りにはまるで時間そのものが止まってしまったかのような静寂が漂い、俺たち以外の生徒は誰一人いない。
「ここか、奴が指定してきた教室は……」
廊下の突き当たりにある教室の前まで辿り着くと、俺たちはお互いに頷き合いながらゆっくりと扉を開く。
――するとそこには、たった一人だけで教室の中央に座る種口の姿があった。
他の机や椅子は全て壁際に寄せられており、奴だけがポツンと取り残されたように佇んでいる。
下を向いているので表情こそ窺えないが、ただならぬ雰囲気を纏っていて肌にピリつくような圧を感じるぜ……。
「待っていたぞ……英一」
不意に種口はそう呟く。いつものようなおどおどとした態度ではなく、どこか別人のようにさえ思える強気な口調だった。
だが、顔は下を向いたままで頭は揺れており、どこか寝ているようにも――
「――ってあいつ寝てないか?」
「ああ、なんか頭が船を漕いでるっぽいし……」
「バカ言え! 今喋ってただろうが!」
「そういやそうだな。じゃあやっぱり起きてるのか」
美衣兎と四位がおかしなこと言いやがるが、今からタイマンを張ろうという漢が居眠りするなんてことはありえねぇだろうが!
「どうした? そんなところで立っていないで入ってきたらどうだ?」
ほら、やっぱり起きてるじゃねぇか。
「お望み通り来てやったぜ! 種口ィィィイ!! 早速始めようじゃねぇか!!」
「やれやれ……俺は平穏に暮らしたいだけなんだがなぁ……」
「しゃらくせぇ! おい、美衣兎、四位! お前らもこい! 近くで俺たちの戦いを見て――」
「待て、教室に足を踏み入れた者は全員敵と見なすぜ。誰であろうと排除させてもらう。怖いなら英一以外の二人は外で待っていたほうがいいぞ」
「な……!」
「あぁん?」
くそっ、俺だけならともかく美衣兎たちにまで喧嘩を売るとはふざけた野郎だ!
「こいつ……僕たちが英一の腰巾着だと思って舐めてるのか……!? 許せねえ!」
「俺っちと美衣兎は立ち合いだけのつもりだったけどよぉ……ここまでコケにされて何もしないわけにはいかねえよなぁ!」
「待てっ! お前ら落ち着けっ!」
止めようとしたが遅かった。奴の発言に激怒した四位が、拳に魔力を込めて教室の中へと突撃していく。
しかし、四位が教室内に足を踏み入れた瞬間――
「――ぐあぁぁぁぁッ!!」
突然、見えないなにかに弾かれるようにして後方へ吹き飛ばされた。
そのまま廊下の壁に激突し、床に倒れて腹部を抑えながら悶絶する四位。
「し、四位っ! 大丈夫か!?」
「お、俺っちは平気だ……それよりあの野郎! 腹に銃弾みたいなものを打ち込んで来やがった!」
「なんだと……!?」
男同士の素手喧嘩に、初っ端から飛び道具を使ってくるとは……種口のやろう、随分と姑息な真似をしてくれるじゃねぇか!
……いや、でも裏世界に銃の類は持ち込めないはずだ。一体どうやったんだ?
「種口! てめぇ卑怯な真似をしてんじゃねえよ!! なにか銃のような魔道具でも使ってるのか!?」
「え? 俺はただ消しゴムを投げただけなんだが……」
「「「……は?」」」
辺りをよく見ると、四位の近くに『NOMO』というロゴの書かれた、シンプルな消しゴムが落ちていた。
まさかあれで攻撃したってのか!? 消しゴム一欠片で人間を弾き飛ばすなんて一体どれほどの魔力を込めれば――
「なにが消しゴムだ!! どうせ特殊な魔道具でも仕込んでんだろ!!」
今度は美衣兎が怒り狂いながら全身に魔力強化を施し、勢いよく教室に突入していく。
しかし――
「ぎゃあぁぁーーーーッ!!」
部屋に侵入すると同時に、いくつもの弾丸のような物体が一斉に襲いかかり、美衣兎の体を次々と貫いていった。
四位と同じように廊下の壁に叩きつけられ、そのまま地面に崩れ落ちる美衣兎。
「美衣兎! 種口てめぇ! やっぱり銃のような魔道具を使ってやがる――」
「え? 俺はただチョークを投げただけなんだが……」
床を見ると、白い粉が散らばり、いくつかの粉々になったチョークの破片が転がっていた。
種口の両手の指の間にはいつの間にか真っ白なチョークが挟まっており、それには大量の魔力が込められているのがここからでもわかる。
おそらくあのチョークを投げて攻撃したんだろうが……。
「あれがチョーク投げってどう考えても威力がおかしいだろ!? お前一体どうなってんだよ!?」
「え? ちょっと威力が弱すぎたかな……。次からはもうちょっと力を込めて投げるようにしよう」
「逆だよ逆!! 強化エアガンだってそこまでの火力ねえよ!?」
「やれやれ……俺の地元ではあれくらい普通なんだがな……」
「ボブから聞いたけどお前の地元東京だろ!? そんな普通聞いたこともないわ!」
「……細かいことは気にするな。さて……準備運動も終わったし、そろそろタイマンを始めようか。さぁ、かかってこい英一」
「ぐっ……! 上等だぁぁぁーーーーッ!!」
挑発に乗るように叫ぶと、俺も全身に魔力強化をかけて勢いよく教室内に飛び込もうとする。
が、身体が思うように動かない。脳は早く戦えと言っているのに、足が床に張り付いたように固まってしまっているのだ。
「お、おい英一。どうしたんだよ?」
「ま、まさか種口の奴にビビってるとかじゃねぇよな?」
美衣兎たちが心配そうに声を掛けてくるが、自分でも理由がわからない。
まるで麻痺毒を受けてしまったように筋肉が言うことを聞かず、脂汗が全身から吹き出してくる。
「どうした? 動揺しているのか? 英一」
「べっ、別にビビってるわけじゃねぇよ!! ちょっと武者震いしてるだけだ!!」
「ふふふ……『教室内に入らなければいけない』と心では思っているが、俺のことが本能的に恐ろしくて逆に身体は逃げようとしている……というところかな?」
「なっ……!!」
ば、馬鹿な!? そういうことなのか!?
しかし実際に身体は思うように動かない。なんだかそんな気がしてきたぞ……。
「なに、恥ずべきことではない。むしろ誇るべきだ。俺の強さが理解できるのは、お前がそれなりの強者だという証だからな」
「はぁ……はぁ……っ!」
呼吸が荒くなる。心臓が痛いくらいに脈打って鼓動が加速していく。
まるで麻痺を含めた様々な状態異常をくらっているかのようだ。視界が歪んで意識が朦朧としてくる。
こ、これが奴の本気だっていうのか……?
「来ないのか? ならばこちらから行かせて――――ぐぁぁッ!?」
「ど、どうした種口っ!」
突然、奴の身体がガクンと痙攣したかと思うと、教室中の机と椅子がガタガタと音を立てて揺れ始めた。
辺りにはとてつもない魔力の奔流が渦巻いており、この空間全体の空気がビリビリと振動している。
「くそっ! ち、『力』を使い過ぎたか! 俺の中の『獣』が破壊を求めて暴れ出そうとしているッ!」
「け、獣だと!?」
「英一、どうやら俺の中の獣はお前の『闘争本能』に反応しているようだぜっ!!」
「俺の……闘争本能に……!」
「やはりお前は俺のライバルに相応しい漢だ……! だが今はまだこいつを御しきれそうにない!」
教室の机や椅子が激しい音を立てて床に倒れていき、種口の右手が狂ったようにおかしな動きを見せている。
「お前たちを巻き込みたくない……! 俺の理性がちょっとでも残ってるうちに離れてくれ!」
「種口っ! お前は大丈夫なのか!?」
「なに、お前が視界から消えれば獣の興奮も冷めるだろう。そうすればなんとか抑えきれるはずだ……!」
「……わかった。今日は引いてやるよ。だがいずれまた挑ませてもらうからな!」
「ああ……楽しみにしてるぜ……!」
気がつくと、先程まで痺れたように動かなかった身体はすっかり元に戻っていた。
俺は種口に背を向けると、美衣兎と四位を床から引き起こし、急いで教室から退散する。
「な、なんだったんだ今の……」
「種口のやつ、あんな力を隠し持っていながらなんでクラスではあんな弱々しいフリをしてたんだ?」
グラウンドにある竜の像の前まで戻ってくると、美衣兎と四位は未だに混乱したまま互いに顔を見合わせていた。
俺はそんな二人に語りかけるように口を開く。
「まったく……お前らまだまだ洞察力が足りねぇぜ」
「英一!? どういうことだよ!?」
「あいつについて何か知ってるのか!?」
「おそらくだが……あいつがあの『恐竜ワンパン男』で間違いないはずだぜ」
「「……!?」」
「だが、あいつはその強すぎる力をまだ制御しきれずにいるんだろう。暴走を抑えるのに精一杯で、普段は実力を発揮できないのさ」
「そうか! だからいつも馬鹿にされても我慢してたのか!」
「ああ、本気を出せば周りを傷つけてしまう……。だからどれだけ悪口を言われようとも耐えていたんだ……本当はクラスの誰よりもつぇぇってのによぉ!」
「そういうことか……あいつ実はすげぇ漢だったんだな……」
二人は感嘆の溜め息を漏らしながら、今も種口が一人戦っているであろう教室の方角を見上げる。
「種口迅……大した奴だ……」
フっと笑いながら奴の名前を呟くと、俺は二人と一緒に静かにその場を後にした。
◇◆◇◆◇◆◇
「佐東さんごめん……。昨日は急に寝ちゃったりしてさ……」
「気にしないでください。最近色々あって疲れが溜まってたのでしょう」
翌日――
俺が教室に入ると開口一番に謝罪をしてきた種口くんに、笑顔を浮かべながら返事を返す。
昨日はあれから"カメレオンリング"と"黒の幻想花"を駆使し、【大和男児七変化】で種口くんの声を再現することによって、なんとか英一を騙すことに成功した……と思う。
種口くん自身に変身できたらもっと楽なんだが、俺の技術はあくまで自分の顔と体をベースにした変装であり、実在する他人に変身するようなことはできないのだ。
それにそもそも俺は男には上手く変装できないんだよな。どうしてもなんか違和感が出てしまうというか……。
とにかく、これで彼を取り巻く状況は大きく変わるはずだ。
あとは英一たちが上手く噂を広めてくれれば――
「――よう、種口! ちょっとツラ貸せや!」
と、思った矢先に英一が種口くんに絡んできた。
その表情はどこか清々しくて晴れやかで、種口くんに対し今までとはまるで違う好意的な感情を向けているように感じる。
「英一……悪いんだがタイマンは……」
「わかってるよ。俺は全て理解したぜ。……『力』を使う必要はねぇ」
「えっ?」
「今日は軽い組手や魔力操作の訓練をしようって誘いに来たんだ。まずはそこからコツコツやっていこうぜ。いずれお前が『力』を完璧に使いこなせる日まで、ガチのタイマンはお預けだ」
「え、英一……!」
「一人で特訓するよりよぉ~、相手がいたほうが色々捗るだろ? 女の佐東相手じゃ思いっきり殴り合いの喧嘩もできねぇだろうしよ」
英一はニヤリと笑みを浮かべてそう言うと、種口くんの肩をバシッと強く叩く。
美衣兎や四位も後ろに控えており、彼らもどこか優しげな眼差しで一部始終を見守っていた。
少し困惑した表情でこちらをチラリと見てきた種口くんに、「行ってあげてください」という意味を込めて頷くと、彼は小さく微笑んで席を立ちあがり、彼ら一緒に歩き出す。
「おはようゴザイまぁ~す! 皆さんお久しぶりデスね!」
「おお、ボブじゃねえか! 帰ってきたのか! ちょうどいい、お前も一緒に来い。皆で特訓しようぜ」
「OH~、英一サン。種口サンといつの間にそんな仲良くなったんデスか? 特訓、いいデスね! ワタシも同行させてもらいマース!」
教室を出ようとしたところで、ちょうどタイミングよくアメリカから戻ってきていたボブと鉢合わせする四人。
彼らは五人で一緒に楽しそうに会話を交わしながら、裏校舎の方へと向かって行った。
……うんうん、青春って感じでいいじゃないか。
クラスのリーダーであるボブに加えて、影響力の高い不良三連星まで種口くんを認めたため、教室の空気も一変した。
種口くんを馬鹿にするような声はもう聞こえなくなっている。
「これにてひとまず一件落着ってところですかね……」
それにしても――
窓からグラウンドを眺めると、種口くんがガチムチの黒人やリーゼントの不良たちと肩を組みながら、仲良さそうに歩いて行く光景が見えた。
……彼の周り、男臭すぎないか?
伊喜利晴武なんて「この世界に男って存在するの?」ってくらい周りに美少女しかいないというのに……。
彼の幼馴染のニナはAクラスだからあまり会う機会がないし、種口くんの周りにいる女って鈴香くらいじゃん。
というかよく考えたら俺も男だから、実質周りに男しかいないじゃねえか!
ま、まあいいか。彼も楽しそうだし。これでよかったんだよ……きっと。
俺はそう割り切ることにすると、久々に訪れた一人の学園生活をどう過ごすか思いを巡らせるのであった――。




