第028話「魔力戦闘実技」
「すみません、お待たせしました」
更衣室から出た俺は、急ぎ足で集合場所である竜の像の前へと向かい、種口くんたちと合流した。
辺りには既に大勢の生徒たちが集まっている。
これまで見ない顔ぶれもちらほらといるようで、どうやら一年Dクラスの生徒ほぼ全員が参加するようだ。
「OH~! 佐東サンは何を着ても似合いますネ~。運動着姿もビューティフォーです。ねえ、種口サン」
「そ、そうだな……」
今の俺の恰好は、上はダン学指定の白の体操着にジャージを羽織り、下は紺の短パンに黒のハイソックス、そしてスニーカーというスタイルだ。
長い黒髪はポニーテールにまとめて、うなじがちらりと見えるようにしている。
俺は母親から『あなたは脚線美が私以上に綺麗だから決して隠さないように』という教えを受けているので、夏だろうが冬だろうが、基本的にスカートかショートパンツ以外を穿くことはない。
……まあ、男の恰好をするときは別だけど。
男子生徒たちはこちらをチラチラと見てくるが、俺と目が合うと慌てて視線を逸らしてしまう。
ボブはアメリカ人らしく遠慮のない賛辞を浴びせてくるが、種口くんを筆頭に日本人は奥ゆかしい人が多い傾向にある。
それが彼らの良いところでもあり、悪いところでもあるのだが……。
「ちょっと男子ぃ! 鈴香ちゃんのこと見過ぎだってば!」
「べ、別に見てねぇし! そ、それより今日のゲストは誰だろうな?」
「また戦女神の聖域のメンバー来ないかなぁ……」
「俺、マサルがゲストのとき授業受けたぜ! すげー面白かったよ」
「マジか! いいなぁ~」
「へへ、俺はU・B・Aの子がいいな。仁和円樹ちゃんとかさ。あの氷のような視線で睨まれながら指導されたい……」
「お前ドMかよ! ……まあ、俺もあの娘は嫌いじゃねぇけどさ」
「Aランク以上のゲストが毎回来るのが、この授業の醍醐味だよな!」
生徒たちはざわざわと騒ぎながら、これから行われる授業に思いを馳せている。
この『魔力戦闘実技』の授業は、毎回Aランク以上の現役探索者がゲスト講師として呼ばれ、実際に戦闘訓練を行ってくれるという、ダン学屈指の人気授業なのだ。
「皆揃ったようだな。それでは、本日のゲストを紹介しよう!」
少し頭頂部の禿げあがった中年教師が声を張り上げると、竜の像の影から一人の男が姿を現した。
年齢は三十代半ばくらいだろうか。身長は日本人にしては少し高めだが、ボブよりは低い。
引き締まった筋肉質の体躯に鋭い眼光を放つ双眸。綺麗に切り揃えられた角刈りの黒髪と顎に蓄えた短い髭。
そしてその立ち姿には一分の隙も無く、内包する魔力の密度は明らかに並の人間とは一線を画しており、一流の戦士特有の威圧感が感じられた。
「"渡良瀬 大"だ。今日は才能ある若者たちに魔力の使い方を指導する機会を与えてもらえて、非常に光栄に思っている。よろしく頼む」
男が自己紹介をすると、生徒たちの間から驚愕の声が上がる。
「格闘王渡良瀬だ! すげぇ、本物じゃん!」
「うおぉぉぉ!! あの格闘王に教えてもらえるなんてラッキーだぜ!」
「俺、マサルの次のあの人推しなんだよ!」
「普通の日本人って感じのそこまで派手じゃない見た目なのに、クソ強なところが俺たちでも頑張ればああいう風になれるかもっていう憧れを抱けるんだよなぁ」
男子を中心に盛り上がっているところを見ると、割と人気のある探索者なのか?
……う~ん。俺は生憎と全然知らないんだが。
俺の表情で考えていることを察したのか、ボブがそっと耳打ちしてくる。
「女子はあまり興味がないかもしれマセンが、渡良瀬氏は格闘技の世界ではかなりの有名人デスよ」
「……そうなんですか?」
「ああ、元ボクシングのライトヘビー級の世界チャンピオンでもあるしな」
種口くんも会話に加わってくる。
彼らの解説によると、渡良瀬氏はかつて圧倒的な強さでボクシング界を席巻していたらしい。
だが、同時に裏世界探索者としても活動していた彼は、ある日体内に魔核が生成されたことを契機にプロボクサーを引退することを余儀なくされた。
何故かというと、現在表の世界ではスポーツや格闘技の大会における魔力の使用は全面禁止されているからだ。
もし魔力の使用がOKならば、例えば俺やリノなんかがオリンピックに出場した場合、確実に金メダルを総ナメにしてしまうような事態になるからな。
魔力使いと普通の人間との間には、それくらい身体能力に開きが出るのだ。
なので公式の世界大会では厳重な魔力検査が行われ、裏世界のアイテムを使ったドーピングは勿論、魔核持ちは一切出場できないことになっている。
「それで、彼は探索者一本に専念することにしたわけデスね」
「ボクシングの他にも柔道やムエタイなど様々な格闘技を習い始めてさ、それに魔力を組み合わせた独自の格闘スタイルを確立させていったんだ」
「渡良瀬流格闘術の誕生デスね! 今では日本中にその道場を展開してマスよ」
「彼は現在Aランクだけど、武器なしでの一対一の近接戦闘ではSランク級ではないかと言われててさ」
「……なるほど、それで"格闘王"なんですね」
確かに男子が好きそうなタイプのキャラクターかもしれない。
実際こうして対峙してみると、マサルほどではないが相当な実力者であることはよくわかるしな。
「さて、諸君。君たちに色々と技術を伝授してあげたいのは山々なんだが、あいにく俺は一日限りのゲスト講師で、一クラスに割ける時間もたった一時間しかない」
渡良瀬はぐるりと生徒たちを見渡すと、穏やかな笑みを浮かべながら宣言した。
「……というわけで、シンプルに行こうか。――全員かかってきなさい。俺に一撃でも入れることができた者には単位をやろう」
「「「うおぉぉぉぉっ!!」」」
その言葉を聞いた生徒たちは一斉に色めき立つ。
まあ、確かにわかりやすくていいかもしれない。近接Sランク級の相手と戦えることなんて滅多にないしな。
「よっしゃぁ! 素手喧嘩なら任せろ! 俺たちからやらせてもらうぜ!」
「僕たちの華麗な連携、見せてやろうじゃないか!」
「また女子が俺っちに惚れちまうな~」
不良三連星こと英一・美衣兎・四位の三人が前に出てきた。
「ほう……三人だけでいいのか? クラス全員でかかってきても構わないぞ」
「しゃらくせぇ! 美衣兎、四位! いくぞ!」
「「おうよっ!!」」
三人はそれぞれ三方に散らばり、渡良瀬を取り囲むような形を取ると……一斉に攻撃を仕掛けた。
「いい動きだ。――だが、甘い!」
正面から殴りかかった英一をカウンターの右フックで吹き飛ばした渡良瀬は、続けて背後から飛びかかってきた美衣兎に対して回し蹴りを叩き込む。
そして、竜の像に乗って上空から奇襲を仕掛けてきた四位の手首を掴むと、そのまま地面へと投げ飛ばした。
「ぐはっ!?」
「がふぅっ!!!」
「うげぇぇぇっっ!!」
英一たち三人は悲鳴を上げながら地面に転がり、そのまま気絶してしまった。
「どんどんかかってきなさい。ここ裏校舎は人の自然治癒力が増幅されるし、俺も命の危険を伴うような攻撃はしないから安心してほしい」
「……よ、よし。次は俺だっ!」
「わ、私もやるわ!」
「格闘王に一撃入れて俺の武勇伝にしてやるぜ!」
英一たちに続くように、クラスメイトたちが次々と挑んでいく。
しかし、『格闘王』の名は伊達ではないようで、渡良瀬は多彩な武術を駆使しながら涼しい顔で彼らを返り討ちにしていく。
そして――
「オーマイガァアアアッ!!」
満を持して出陣したDクラス最強のボブも、拳を渡良瀬の頬に掠らせることには成功したものの、結局は反撃の蹴りを食らって地に伏した。
「ふむ、ボブだったか。惜しかったな。しかし体幹がしっかりしているし、パワーも瞬発力もある。鍛えればもっと強くなれるだろう」
「あ、ありがとう……ございマス……」
「よし、あとは君たち二人だけだぞ。さあ、かかってこい!」
残っている生徒は俺と種口くんのみだ。残りの全員は既に地面に倒れて荒い息を吐いている。
ふぅむ……どうするか。
Dランク相当という設定の鈴香の魔力では到底勝てる相手ではないが、俺は負けず嫌いだからただやられるだけってのは悔しいんだよね。
ただなぁ……。
ちらりと校舎の方を見ると、屋上から飛び出ている大木の樹冠部分の一番大きな枝に座ってこちらを見下ろしている人影がある。
――忍だ。
あいつさっきからずっとあそこにいるんだよな……。
どうやら俺を見てるのではないみたいだけど、Sランクのあいつの前で下手な真似をするのは避けたいところだ。
仕方ない。Dランク相当の魔力と技術のみでなんとか頑張ってみるか。
「迅くん、同時に攻めましょう!」
「…………」
「……迅くん?」
種口くんの様子がおかしい。両足が震えていて顔も真っ青だ。
渡良瀬に圧倒的な力を見せつけられ、完全に戦意喪失してしまったのか?
いや、彼は命の危険を顧みずに自分より圧倒的に格上の黒ティラノに果敢に立ち向かうような度胸のある人物だ。たとえ相手がSランク級であれ、たかが学校の訓練くらいで怖気づくようなタマじゃない。
……一体どうしたんだろう?




