第027話「裏校舎」
「ふんふんふ~ん♪」
俺は上機嫌で鼻歌を歌いながら学園の廊下を歩いていた。
長い黒髪を靡かせ、制服のスカートをふわふわと揺らし、まるでスキップするかのように軽やかな足取りで歩を進めると、周りの生徒たちが皆立ち止まってこちらを振り返る。
……う~ん、最初は今更学生生活なんて……と思っていたけれど、実際に登校してみると意外と悪くないものだ。
勉学に励み、友人と青春を謳歌する。その平凡でありふれた生活が、意外にも新鮮で楽しい。
「皆さんおはようございま~す!」
「あっ、鈴香ちゃんだ! おはよう!」
「さ、佐東さん、お、お、おはようございますっ!」
「おはよう鈴香。昨日も配信見たよ!」
「スズ様おはようございますっ! きょ、今日もお美しい……」
教室に入り、笑顔で手を振りながらクラスメイトたちに挨拶をすると、次々に返事が返ってくる。
そんな彼ら一人一人に律儀に挨拶を返してから、俺は自分の席へと腰を下ろした。
「迅くん、おはようございます」
「おはよう佐東さん、今日は登校してきたんだね」
窓の外をぼんやりと眺めていた種口くんに声を掛けると、彼は少し緊張した面持ちでこちらを向いた。
彼が「今日は」と言ったのは、俺は入学してから一週間経つが、まだ殆ど登校していなかったからだ。ちなみに「おはよう」と挨拶もしたが、時刻も午後一時を過ぎている。
ダン学は数学や英語のような一般教養の授業の他に、武道や格闘技などの授業、探索技術論や魔力論といった裏世界関連の専門科目等があり、生徒たちはその中から自分に必要なものを選択して履修していくシステムになっている。
この中で最も多い一般教養の授業を俺は全く受けていないので、毎日朝から登校する必要もないのだ。
……え? せっかく高校生になったんだから勉強くらいしなさいって?
俺はこれでも勉強は結構得意なので、高校レベルの内容など既にマスター済みなのだよ。レイコやリノに普段からアホ扱いされてるのを見ると、信じられんと思うだろうがな。
「はい、今日はこれから魔力戦闘実技の授業があるので」
「俺もそれ取ってるよ。今日は初めて裏校舎に行くから、実は朝からずっと緊張してたんだよね」
日本にはダンジョン学園の他にも探索者育成学校はあるが、ここほど充実した環境を整えている学校はないと断言できる。
その中でも最たるものが、裏校舎の存在だろう。
基本、裏世界には建物の類を作ることはできない。
何故ならまず第一に、建物を建てる機材や大量の材料を持ち込むことが難しいし、そこかしこにモンスターが出没する場所で工事を進めるのは危険極まりないからだ。
それでも、数十年前に中国が国家プロジェクトとして裏世界に大規模な中華街を建造しようと試みたことがあった。
しかし、その計画は失敗に終わる。
なんとか建物を完成させるまでは出来たのだが、その中にモンスターのリポップポイントが発生してしまい、結果として建物はモンスターの巣窟となってしまった。
それ以外にも建設中の建物が少し目を離した隙に、謎のオブジェクトに変わってしまったりと……とにかく裏世界は我々の常識を覆す出来事が日常茶飯事であるため、人が生活するような環境を整えるのは非常に困難なのだ。
このことがきっかけで、中国は裏世界に積極的に干渉することを止めてしまい、人口は多いが国民の裏世界への関心は薄い国となっている。
……まぁそれはともかく、そんなわけで通常なら裏世界に巨大な建造物を構築するのは不可能なのだが、その唯一の例外がここダンジョン学園の裏校舎なのである。
「佐東サン、種口サン。次の魔力戦闘実技の授業は裏校舎で行われるノデ、そろそろ移動しないと遅れてしまいマスよ? 着替えの時間もありマスし」
「あっ、ボブさん。そうですね」
「もうそんな時間か。それじゃあ行こうか」
ボブの呼びかけに、俺たちは荷物を持って席を立つ。
教室からぞろぞろと出ていくクラスメイトたちに続いて廊下に出ると、俺は更衣室に向かう彼らの波から外れて逆方向へと歩き出した。
「佐東さん? どこ行くの?」
「え~と……私、裏校舎の方で着替えようと思ってるので」
「……え? なんで?」
「察してアゲてくださいよ種口サン。佐東サンのような有名人は色々大変なのデス。彼女ほどの美人であれば、同性であってもジロジロ見られたり、触ってもいいかなど言われたりしマスからね。あまり大勢の人と一緒に着替えたくないのでショウ」
「あ、ああ。そういうことね……」
訝しむ種口くんにボブが横からそっと耳打ちすると、彼は納得の表情を浮かべた。
……まったく、訝しむのは本来ボブの役目だろうが。種口くんはもっとその辺の空気を読むようにしてほしいものだ。
「そこまで大げさなものではありませんよ。ただ、一人でゆっくり着替えるのが好きなだけです」
まあ、本当は俺はジロジロ見られたりちょっと触られたりするくらいは気にしないんだが、リノが「女子更衣室に平然と入って堂々と着替えるのやめてよね」って言うから、仕方なく別室で着替えることにしたのだ。
ちなみにトイレも一応校舎の隅にある、ほぼ使われていない男女共用トイレを利用している。
俺はぶっちゃけ、女子トイレに入ることにも女子更衣室に入ることにも特に抵抗はないんだけどな。
邪な気持ちなんて一切ないぞ。
なんというか……俺は性欲というものが非常に薄くて、男子のあの四六時中エロいことばっかり考えてる精神が全然理解できんのだよ。
でもリノが、それは知ってるけどそろそろハイティーンになるんだしTPOを弁えて欲しいと言うので、最近はなるべくその辺は意識して行動することにしている。
余談だが、男子のほうで着替えるともっと怒られる。理不尽すぎない?
「それならワタシたちも裏校舎で着替えマショウか。佐東サンと種口サンは裏校舎、初めてでしょう? ワタシが案内しましょう」
「そうだな。皆と一緒に行くと入口が混みそうだし。ボブ、頼めるか?」
「ええ、佐東サンもそれでイイデスか?」
「はい、お願いします」
「それではワタシに付いてきてクダサイ」
ボブに先導され、階段を下りて昇降口からグラウンドに出ると、敷地の一番端にある小さな掘っ立て小屋のような建物に入る。
中はがらんとしていて何もなく、部屋の中央に怪しげな魔法陣が描かれた両開きの扉が置いてあるだけだった。
「学園内にある『裏世界への扉』はこれだけデス。裏校舎に行くには必ずここを通る必要があるので覚えておいてくださいネ」
そう言ってボブは扉を開け放ち、躊躇なく中へ入っていく。
彼に続いて俺と種口くんも扉を潜ると、一瞬視界が歪み景色が切り替わった。
「おぉ……これが裏校舎か」
「これは……すごいですね」
扉を潜り抜けた先に広がっていたのは、表の校舎と瓜二つの白い建造物であった。
しかし、その外観はまるっきり同じというわけではない。
まず目につくのは、校舎を貫くように聳え立つ巨大な木だ。
まるで北欧神話に登場するユグドラシルを思わせる大樹が堂々とした佇まいで屹立しており、根元からは大量の蔦が伸びていて校舎全体に絡みついている。
次に目に入るのは、校庭の真ん中に鎮座する巨大な竜の像だ。
全身が赤銅色に染まったこの竜は禍々しい表情で天空を見上げており、まるで今にも動き出しそうな迫力に満ち溢れている。
また、空中には無数の透明な結晶が漂っていて、それらが淡い青色の光を放ちながらキラキラと輝いているのも印象的だ。
「上を見てくだサイ。あれが"星輪"デス」
ボブに言われて頭上を見上げると、空には無数の星で作られた輪のような物体が浮いており、それは回転しながら学園全体を包み込むように光の帯を形成していた。
――【メサイアレリック《No.40》――"星輪"】
ダン学の校舎全体を覆えるほどの広域結界を作り出し、その中に存在する全ての生物を保護する効果を持つ。
この結界の中にはモンスターは決して侵入できないし、自然発生もしない。更には裏世界特有の建物が謎の変質を起こす現象や、ダンジョンが発生したりすることもなくなる。
そのうえ、この結界内にいる人間は自然治癒力が大幅に向上し、傷の治りが早くなるだけでなく、魔力や体力の回復速度も上がるという。
まさに裏世界で暮らす上で最高のアイテムであり、これを入手できたことでダンジョン学園は世界初の裏世界にある教育機関を構築することに成功したのだ。
「なんだかファンタジー世界の学び舎って感じで、ワクワクしますね! とても綺麗です」
「そうデスね。この風景は何度見ても見飽きマセンよ」
「本当に神秘的だなぁ」
三人でしばしその美しい光景に心を奪われていたが、いつまでもそうしているわけにもいかない。
俺たちは着替えを済ませるべく、裏校舎の更衣室へと向かった。
◇
種口くんたちと別れ、俺は一人Sクラス棟にある女子更衣室へとやってきた。
Sクラスは人数が少ないうえに、リノの様にあまり学校へ来ない生徒が多いので、更衣室も殆ど利用されることがない。
しかもここは裏校舎なので、更に利用者は激減する。
つまり俺だけの貸し切り状態だ……と思ったのだが、中には一人だけ先客がいた。
しかも厄介なことに、鈴香ではない俺の知り合いだ。
……こいつは滅多に学校に来ないはずなのに、一体どういう風の吹き回しなのだろうか。
目が合ったので、ぺこりとお辞儀だけして一番奥のロッカーに荷物を入れて着替えを始める。
「……あの、最近裏世界配信で大人気の佐東鈴香さんですよね?」
話しかけてくんなよ……。しかも上下下着のみという格好のままでさぁ……。
まあ、こいつは誰かと二人っきりの無言の空間が耐えられないタイプの女だからしゃーないか。
「はい、そうですけど……」
「やっぱりそうですか! 実は私の弟が大ファンなんです! よろしければサイン貰ってもいいですか?」
そういや中学生の弟がいるって写真を見せられたことあったな。ちょっと可愛い系の顔だった記憶がある。
「もちろん構いませんよ。……えっと、どこにサインしたら良いでしょうか?」
「あっ、どうしよう。何も準備してないです……。じゃあ、これに書いてもらってもいいですか?」
グッと胸を張り、純白のブラに包まれた豊満なバストを突き出してくる。
俺はその白いブラにサインペンできゅっきゅとサインを書いてやった。
「ありがとうございますっ! きっと弟も喜ぶと思います」
……渡すの? それ。中学生の弟に?
色々な意味で大丈夫なのだろうか……。
ふにゃっと目尻を垂らして幸せそうな笑顔を浮かべる少女を横目に、俺は制服を脱ぎ捨ててと下着姿になった。
女と一緒に着替えるなってリノには散々言われたが、こいつとは一緒に温泉に入ったこともあるし、着替えくらい別にいいだろう。
リノに言ったら怒られるから言わないけど。
「んしょ、んしょ……」
何故か俺のすぐ隣で着替え始める少女。
ウェーブのかかったふわふわの髪に、鈴香より垂れ目で優しそうな目元。
背丈は女子高生の平均に満たない俺と同じくらい小さく、童顔も相まって中学生くらいに見える。
しかし、その見た目に反して女性的な魅力に溢れるスタイルをしており、特に胸なんかはレイコよりも大きい。
はっきり言って男受けする要素をこれでもかというほど詰め込んだような容姿だ。
だが、こいつはただの可愛らしい少女ではなく、これでも世界にたった24人しかいないSランク探索者の一人だったりする。
「それじゃあ私は授業があるので、これで失礼しますね」
体操服に着替えた俺は、手早く制服を片付け更衣室を出て行こうとする。
アーサーですら俺の変装は簡単に見破ることはできない。
なので堂々としてればこいつにもバレることはないと思うが、なるべく知り合いと別キャラのときは接触しないほうが賢明だろう。
「あっ、待ってください。よろしければ『ライソ』交換しませんか?」
「……すみません、私『ライソ』やってないんです」
やだよ。お前ちょっと仲が良くなると、めちゃくちゃメッセ送ってきてウザいんだもん。
「そっかぁ……残念です」
「それでは」
「はい。……あっ、私は"黒鵜 忍"と言います。今度会ったらまたお話ししましょうね!」
元気よく手を振る忍を背にして、俺は更衣室を後にした。
……まったく。まさかこんな場所でこいつに遭遇してしまうとはな。
忍に限らず、Sランク探索者は全員要注意人物だ。
俺はなるべく彼らとの接触を避けることを心に誓いながら、校庭へと向かって歩き出した。




