第019話「涼木家」
はぁ~……やっちまったなぁ~……。
思わぬ失態をしでかしてしまった俺は、意気消沈しながらとぼとぼと帰路についていた。
紅茶荘のある繁華街の賑やかな通りではなく、そこから二駅ほど離れた閑静な住宅街を一人寂しく歩く。今日は人恋しくなってしまったので、紅茶荘ではなく実家の方に帰ることにしたのだ。
しばらく歩いていると、やがて無駄に豪華な門扉に、【涼木】と書かれた表札の掲げられた大きな家が見えてきた。
「…………」
ん~? 今日はやけに人数が多いな……。
電柱の影に一人、100メートルほど離れたマンションの屋上に二人、近くの公園に二人、さらに近所のコンビニの駐車場の車の中にいる奴らもこちらを窺っているような気配を感じるし、たぶん連中の仲間だろう。
俺は後ろで一つ結びにした三つ編みを手慰みにいじりながら、涼木の家に意識すら向けずに通り過ぎると、二軒隣にある二階建ての古びた一軒家の中に入っていく。
そして、奥にある和室に向かうと、その中央の畳をめくってそこに隠されていた地下へと通じる階段を下っていった。
まるで忍者屋敷のような地下通路を少し歩いてから、突き当たりにある階段を上って地上に出ると、沢山の本が並んだ書庫のような場所に出る。
涼木家の書斎だ。
「着脱!」
三つ編みをほどいて、かけていた眼鏡を外し、男物の服に着替えていつものスズの姿に戻った俺は、人の気配がするリビングへと足を向けた。
「ただいまぁ~」
「おかえりスズ。今日はなんだか大変だったみたいじゃん」
「まあなぁ~……」
「んあっ! 上に乗るな上に!」
リビングのソファーに寝転んでスマホをいじっていたいたリノの上に、力なくボテっと倒れ込む。
俺の下敷きになったリノが、文句を言いながら角をブスブスと刺してきたので、仕方なく身体を退かして隣に座り直した。
「それで、なんでそんなに落ち込んでんの? アーサーから事情は聞いたけど、マキシポーションで万事解決したんじゃないの?」
「……ああ、実はだなぁ――」
肉体の損傷は全て回復したが、種口くんの寿命が数年ほど縮んでしまったことを、リノに話す。
すると彼女は呆れ返ったように大きな溜め息をついた。
「うわっ、やっちゃったじゃん。スズならあの程度のモンスター余裕で倒せたよね? なのに自分を顧みず人助けする心優しい若者の命を削らせちゃったんだ?」
「うぐぅ……!?」
「配信見てたけど、ぶっちゃけ判断が遅かったよね? あの化け物が出現してからすぐにカメラ切ってどっかで隠れて変装解いてれば、正体バレずに普通に倒せたんじゃないの?」
「あうぅ……!?」
リノの正論パンチに、俺の心はみるみるとへし折れていった。
……くっそぉ~!
言うは易しだけど実際にはすげー唐突な展開だったから、咄嗟の判断が遅れたんだよ! だってあんな状況になるなんて予想できるわけがないじゃんか!?
ソファーに寝っ転がってバタバタと足を動かし、リノのお腹に軽く蹴りを入れる。
すると彼女は俺の足首を掴んで、むにむにと足の裏をくすぐり始めた。
……こしょばい!
「それで、俺はどうすればいいと思う?」
「う~ん、その種口くんだっけ? 彼、ダン学ではちょっとした有名人だよ。なんでもFクラスでありながら厄災魔王の一欠片の討伐を夢見ている狂人だって」
「あ、その話ならニナに聞いた。でも理由を聞いたら納得はできたけどな」
「それを手伝ってあげたら? 自分の判断ミスで命を削らせちゃったんだし、スズにはそうする義理くらいはあるんじゃない?」
「いや……でも厄災魔王の一欠片はさすがに荷が重くないか? 死ぬことを手伝うって、なんかこう……後味悪いし」
「決めつけはよくないよ? 彼、魔術師であり、実際にあのティラノみたいな奴を倒したじゃん。ポテンシャルは十分にあるよ。世界でも有数の魔力操作技術を持つスズが鍛えてあげれば、もしかしたら化ける可能性もある」
「……まあ、確かにな」
十代で魔術師の人間は天才であることが多い。
種口くんは魔力使いとして落ちこぼれのレッテルを張られているようだが、名門のダン学でもソロであの化け物を倒せる人間が一体何人いるだろうか。
今回は反動でボロボロになってしまったが、それも魔術の練度をもっと高めれば改善されるはずだ。
そう考えると、絶対に不可能というわけでもない……のか?
「あっ……そういえば昨日久々にパパが帰ってきたよ。スズがいないって伝えたら、ちょっと残念そうにしてたけど」
「うそ! なんで言わないんだよ!?」
「今言った」
「……で、どうだった? 元気そうだった?」
「相変わらずだったよ。でも、一日泊まってまたすぐに裏世界に行っちゃったけど」
あ~……なるほど。親父が帰って来てたから連中はあんなに家の前を張ってたわけね。
――俺たちの父親である"涼木 想玄"。
Sランク探索者であり、裏世界で最強なのは誰かという論争で必ず名前の上がる男。
しかし本人は非常に温厚な性格で、戦いより冒険や求道を好むタイプだ。
目立つことを嫌い、メディアや人前には一切姿を現さない。当然SNSや配信なんかもやっていないので、日本人のSランカーでありながら一部の人間しかその正体を知らない謎の探索者である。
その人生の殆どを裏世界で過ごした親父は、全身が魔素に浸食されており、バカみたいな魔力量と異常な身体能力を持っている。そんな男の遺伝子を色濃く受け継いでいるせいで、俺は"インネイト"として生まれたというわけだ。
だがその反面、魔素のない表世界は親父にとって少し息苦しいようで、帰って来てもすぐ裏世界へと戻ってしまう。なので家族である俺たちですらあまり会う機会は多くない。
……あ、ちなみに今更なんだが、この隣にいる角メスガキは、"涼木 璃乃"。
俺の妹である。
まあ、妹といっても同い年だし血も繫がっていないらしいが……。
俺たちが中学校に上がった頃、親父にそのことを聞かされた。お互いに赤ん坊の頃から疑いもせずに実の兄妹だと思っていたので、最初は驚いたものだ。
それを聞いたリノなんて――
『え? スズって拾われっ子だったの? かわいそう……。でも私はそんなの気にしないからこれまで通り仲良くやっていこうね!』
と、満面の笑みで言っていたのをよく覚えている。
そこに俺が――
『え? 俺、母親に顔面そっくりだし、どう考えても拾われっ子お前じゃん。……だってお前……角、生えてるし……』
と、返すと、俺の顔と鏡に映る自分の角を交互に眺めたあと、白目をむいて気絶してしまった。
……まあ、リノは俺よりも父親と母親と仲が良かったから、自分が実子だと信じて疑わなかったのは無理もない話だが……。
聞くところによると、俺が母親のお腹から生まれ落ちるのとほぼ同時期のことだったそうだ。
親父がとあるダンジョンの深層に潜った際、そこで一人の探索者の女性の死体を発見したらしい。
女性のお腹はまるで胎児を身ごもっているかのように膨れており、親父が弔ってやろうと遺体に近づくと、なんと彼女のお腹から角の生えた赤ん坊が這い出てきたそうだ。
これにはさすがに百戦錬磨の親父も度肝を抜かれて、腰を抜かしそうになったらしいが……。
なぜ妊婦がこんな場所にいたのか、その理由は定かではないが……高濃度の魔素に満ちたダンジョンの深層で生まれたその子供は、俺と同じように"インネイト"として生を受けた。
親父はその赤子を保護すると、自分の養子にすることを決め、そして璃乃と名付けた。
それが俺とリノが世界でも珍しい存在である"インネイト"の兄妹である所以だ。
子供の頃から「なんでこいつ角生えてんの?」とは思っていたが……まさかそんな裏設定があったとはな。
しかしまあ、だからといって俺とリノの絆が変わることはない。
今でも俺はこいつのことを実の妹だと思っているし、こいつになにかがあったら自分の身を削られたかのように苦しくなるだろう。
……きっと、リノも俺と同じ気持ちでいてくれてるはずだ。
「それよりお腹減ってない? レイコから生姜焼きの作り置きを貰ってるから、一緒に食べようよ」
「おっ、いいね! じゃあ俺は追加でなにか一品作るわ」
「相変わらず女子力高いね~! 男子力は皆無だけど」
「うっさいわ!」
リノがケラケラと笑いながら毒を吐く。
俺はそんな妹の頭を軽く小突いてから、キッチンへと向かったのだった。
◇
「ふぅ~、食った食ったぁ~」
「やっぱりレイコの生姜焼きは絶品だね!」
リノと一緒に生姜焼き定食を完食した俺は、膨れたお腹をポンポンと叩きながら満足気にソファーへともたれかかる。
やっぱりこういった何でもない家族とのひと時ってのは、心が安らぐよなぁ~。
……が、いつまでもこうしてはいられない。
「さて、お腹も膨れたし、最後にいっちょ後始末といきますか」
「なにするのさ? 今日の事件はもう解決したんじゃないの?」
ネット上では既に今日の動画がバズっており、封印を解いた有財兄弟を糾弾するような声や、化け物を一撃で倒した少年は何者だ、といった意見でSNSは盛り上がっていた。
ちなみに種口くんはカメラを回していなかったので、必然的に一番近くで撮っていた俺の動画が拡散されている。
なのでその影響で佐東鈴香のチャンネル登録者数も爆上がりしており、もう目標の100万人を達成できるのは時間の問題だろう。
……で、だ。
ネットでは裏谷保天満宮に封印されていたのはあのティラノサウルスのような化け物であり、種口くんが倒したのでもう安心だ、といった意見が大多数を占めている。
だが、俺の考えは違う。
俺が封印石の前で感じた禍々しいオーラ。あれがあの程度のモンスターのものであるとはとても思えないのだ。
だから、もう一度あの場所を調べる必要がある。
「念の為、これから裏谷保天満宮に行ってみる。お前も暇なら来いよ」
「え~、スズは戦女神の聖域を追放中だから、私とパーティ組むの禁止でしょ?」
「戦女神の聖域じゃなくて家族で出かけるだけだからセーフなの!」
「屁理屈だけどまあいいか。スズと二人で裏世界ってのも久々だしね」
俺一人でもたぶん大丈夫だとは思うが、裏世界では基本的に二人以上での行動が推奨されている。
たとえ九分九厘大丈夫だとしても、それは決して高い確率ではない。現実はゲームではなく、一厘でも敗北の可能性があるなら、それは死と直結するからだ。
だから危険度の低いエリアなら問題なくても、今から行くような場所なら、万が一に備えてリノも連れて行っておいたほうがいい。
「よし、じゃあ早速出発しようか」
「りょーかい!」
「……あ、ちょっと待って。最近は女の恰好ばっかりしてたから、ちょっとカッコいい服に着替えてくるわ」
「不安しかないんだけど……」
苦虫を嚙み潰したような表情のリノをリビングに残し、俺は上機嫌にてててて、と小走りで衣裳部屋へと駆け込んだ。