第108話「覚悟」★
スマホから聞こえてくる皆の声を受け、俺は両の拳を握りしめる。
そして熱く燃える鼓動と湧き上がる決意と共に――急いで大穴のある下層の奥へと駆け出した。
俺が負ければ計画が狂ってしまう可能性もあるのに、皆は俺のことを信じて、全力で送り出してくれたのだ。
そのことがひどく嬉しく感じる。
本当に良い人たちで、俺は最高の環境に恵まれたと改めて実感した。
『迅、聞いてたよ。本当に大丈夫なの?』
「リノさん……」
心配そうな声色が、イヤホンを伝わって耳に届く。
下層の反対側にある複製を一人で守っていて、先ほどの会議には参加していなかったリノさんだったが、会話は聞いていたのだろう。
だけど、何となくだが……他のメンバーとは違い、彼女は俺が楼と戦うことをあまり歓迎していないように思えた。
『ごめんね……。私が八咫烏に誘ったばかりにこんな危険なことに巻き込んじゃって……』
「ああ、そんなこと気にしてたんですか。俺はむしろリノさんが誘ってくれたことに感謝しかしてないですよ。八咫烏に入っていなければ、きっと俺はずっと一人で燻ぶっていたでしょうから。それにどうせいずれ奴とは戦うことになってたんです。皆さんのサポートが期待できる現状は、却ってありがたいと思ってます」
『そう……。なら私から言うことは何もないけど……気を付けてね。本当に』
「大丈夫です。俺はこんなところで死んだりなんかはしませんよ。安心して任せてください」
とは言ってみたものの、内心ではかなり不安だ……。もしかしたらここで終わってしまう可能性だって、ある。
……リノさんにあのことを聞いてみるべきだろうか?
いや、よそう。今は楼に勝つことだけに意識を集中したほうがいい。
『それじゃあ勝つ前提でその後のことについて話すね? 最深部は一度入ったら戻って来られないし通信もできないから、とりあえずは救援が来るまで"セーフティエリア"に待機してて』
「"セーフティエリア"ですか?」
『最深部にはいくつかモンスターの入れない安全地帯があるの。迅一人じゃボスを倒すのは正直無理だと思うし、そもそも危険度8のエリアだから雑魚モンスターでも相当強い。とりあえず身を隠すことだけに専念して』
「わかりました。今アイちゃんからも座標が送られてきましたので、頭に叩き込んでおきます」
『うん、それと例の――――ごめん、敵が来たみたい! それじゃあお互い頑張ろうね!』
「はい! リノさんも気を付けてください!」
そうして通話を終えた俺は、改めて気合を入れ直すと走る速度を速めていった。
しばらくして到着した下層の一番奥には、大きなクレーターのようにぽっかりと開いた巨大な穴があった。底の方にはまるで異空間にでも繋がっているかのような漆黒の大渦が見える。
「……あれが最深部へ繋がる道か」
大穴の周辺にはいくつかカメラ入りのふわスラが浮いている。
教団の連中が偵察のために仕掛けたであろうものもあれば、俺たちが設置したものもある。あれでお互いに最深部へ誰かが降りる様子がないか監視しているわけだ。
俺は"八咫烏のペンダント"で限界まで存在感を消すと、カメラに映らないよう慎重に歩を進めながら、大穴の近くにある細道に身を潜めて奴が来るのを静かに待った。
そしてそれから約10分が経過した頃――
複数の足音が聞こえてきて、『09』のナンバーが刻まれた聖王十字団のマントを羽織った黒髪の青年が、3人の男たちを引き連れてやってきた。
俺は隠れたまま気配を絶ち、奴らの様子を窺う。
「おい、お前らは誰かが来ないかそこで見張っとけ」
「了解しました! 楼副隊長!」
見た感じ、楼以外は教団の下っ端のようだな。俺が魔王の力を使えば簡単に遠くへ吹き飛ばせるだろう。
「さてと、この辺にゲートを作るか。もう下層の複製を破壊できるのは時間の問題だろうが、一番厄介なのは最深部だ。最後はこのゲートから"処刑人部隊"が乗り込むことになっている。なるべく近い場所に――」
楼が大穴のすぐ傍の地面に右手を押し付けた瞬間――俺は【全てを招くモノ】の力を解放した。
その途端、超巨大な暴風が突如として発生し、嵐の目である俺を中心として暴れ回り始める。
「な、なんだこれっ!?」
「うわぁぁぁぁぁーーーーッ!?」
「ふ、吹き飛ばされるッッ!?」
下っ端3人を大穴に落とさないように、ハリケーンで遥か彼方まで吹き飛ばす。
それを見た楼は慌てて左手でゲートを呼び出そうとするが――
「させるかよッッ!!」
俺は暴風で加速しながら床を蹴り、間髪入れずに楼を巻き込んで大穴にダイブした。
「き、貴様! ぬおぉぉぉぉーーーーーーッ!?」
ぐるぐると回転しながら、楼と一緒に底へ向かって落下していく。
やがて辿り着いた黒い渦の中に突入すると、強い浮遊感と共に視界が真っ暗になり、上下左右がわからなくなってしまった。
そして気が付いたときには――
バシャリ、と水溜まりに足を突っ込んだような感触で着地し、俺は洞窟のような空間の中に立っていた。
辺りを見渡すと、鍾乳洞を思わせる石灰質の天井と壁が続いており、ところどころに小さな湖が点在している。
佐東さんと潜った修練の塔の地底湖エリアに似ているが、魔素の濃度が比べ物にならないほど高いのがわかる。遠目には見るからにヤバそうなモンスターたちの姿もあり、ここが危険度8の最深部であることは間違いなさそうだ。
懐をまさぐってみると、入れていたはずの帰還の宝珠が消失していた。
ここからは大ダメージを負っても地上に転送されることはない。文字通り、生きるか死ぬかの世界というわけだ。
十数メートルほど離れた場所には、俺と同じようにきょろきょろと辺りを観察している楼の姿がある。
奴は右手から魔力を発して上と繋がっているゲートを出現させようとするが、不思議な力で阻まれて上手くいかないようだった。やはり皆の予想通り、右手のゲートでも最深部と上の層を行き来することは不可能らしい。
一通り現状の確認を終えた楼は、怒りに染まった表情でこちらを睨み付けながら叫んだ。
「ふざけた真似しやがって! てめぇ、あのときのワンパン野郎か! 一体俺に何の恨みがあってこんなことをしやがるッ!?」
「……お前、本当に俺のことを覚えていないのか?」
「あぁん? 知らねぇよ。もしかして俺のストーカーか? あいにく、俺は男にケツを追いかけられるのが何より嫌いなんだよ。一度くたばって美少女にでも生まれ変わってから出直してきな!」
この間は薄暗い中での短い遭遇だったので、顔をよく見ていなかっただけなのかもしれないと考えていた。
けれど、今こうしてしっかりと対面してもわからないということは、本当に全く覚えていないようだ。
「俺は"種口 亜音"の弟だよ。3年前に神戸の森で自分がやったこと、まさか忘れたわけじゃないよな?」
俺が怒気を込めながら言うと、楼はさすがに思い出したようで、少し動揺するようなそぶりを見せた。
「あ、ああ……。お前、あのときの亜音の弟か。生きてたのか、それは良かったな」
「……良かっただと?」
「あれは不幸な事故だったんだ。仕方がなかったんだよ。だが、結果的に俺も君も生き延びることができたんだから、亜音も天国で喜んでることだろうさ」
「お前! ふざけるのも大概にしろよ! それに姉さんはまだ死んじゃいない!!」
「はぁ? いや、どう考えても死んでるだろ。お前まさか"全てを飲み込むモノ"に吞み込まれた者はどこかに飛ばされるとかいう眉唾ものの噂を信じてるのか? 馬鹿馬鹿しい、そんなわけねぇだろ。あんな化け物の腹に入ったら助かるはずがないんだよ。現に今まで誰も帰ってきてねぇじゃねぇか」
「それは"全てを飲み込むモノ"を倒した者が今まで誰もいないからだ。俺が必ず奴を倒して、姉さんを助け出してみせる」
「はぁ~……馬鹿ガキとこれ以上話すのは時間の無駄だな。……それより、面白れぇことを思いついたぜ」
楼は突然ニタァ~ッと口角を吊り上げて、あのときと寸分変わらぬ邪悪な笑みを浮かべると、こちらに向かって歩いてくる。
「俺もいずれは厄災魔王の一欠片を倒すつもりだったが、あの怪物どもは強すぎる。今すぐに戦うとなるとかなり厳しいと言わざるを得ない。だがよぉ~……いるじゃねえか! おあつらえ向きに! 目の前にクソ雑魚の厄災魔王の一欠片がよぉ!!」
奴の全身から魔力の波動が放出され、ビリビリとしたプレッシャーが周囲に広がっていく。
この圧倒的な威圧感……!
口だけじゃない。この男……魔力だけならあのワカラセマンよりも上の可能性すらある……!!
「厄災魔王の一欠片を倒すと、魔王の力は倒した者に移る。それは相手がモンスターじゃなく、人間でも一緒だ。……つまりてめぇをここでぶち殺せばよぉ~、俺は労せずして魔王の力を手に入れることができるってわけだ!! 最高にラッキーな状況じゃねーかッ!!」
こいつから謝罪だとかそういうものを期待していたわけではない。
だけど、いくらなんでもこの思考回路には理解が及ばなかった。
まともな倫理観など一切持ち合わせていないのだろう。俺を殺すことに全く躊躇いがないどころか、それを楽しんでいるのが言葉からひしひしと伝わってくる。
ふと、佐東さんの言葉を思い出す――
……
……
……
「迅くんは、対人戦での心構えが少し足りてませんね」
「え……? そ、そうかな。これでも最近は結構な修羅場はくぐってきたつもりなんだけど……」
「はい、あなたは自分だけではなく、他の誰かのために命を懸けて戦うことができる勇気のある人です。ですが、相手の命を奪うようなことに対しては大きな抵抗を感じていますよね?」
「そ、それは……」
「魔王の力を人間に向けたとき、明らかに魔力の出力が下がっています。無意識に相手を傷つけたくないという気持ちが出てしまっているのでしょうね。それは人としては美徳ですが、裏世界で探索者として生きるのならば克服しなくてはならない弱点です」
「……」
「同格以下の相手ならそれでも十分ですが、格上と戦うときはそういう甘さが致命的な隙を生み、敗北に繋がります。たとえばワカラセマンのように相手の命を奪うことに一切の躊躇がない人間に対して、自分は殺さずに無力化することを考えていたら、あなたに勝ち目はありませんよね?」
「……佐東さんの言う通りだと思う。でも、どうすればいいんだろう」
「『覚悟』を持つのです。ここぞというときに、相手の命を奪い、それを背負う覚悟を。勝たなくては自分が死んでしまうかもしれない。場合によっては仲間も殺されてしまうかもしれない。そんなときに躊躇わない強い意思を」
「……覚悟と、躊躇わない強い意思」
「もちろん、結果的に殺さずに済ませることができるなら、それが一番ですけどね。嬉々として人を傷つける必要はありません。そして慣れる必要もないです。こんなことには慣れないほうがいい、絶対に……。あなたは優しい人なので、尚更そう思います……。ですが、世の中には平然と他人を踏み躙ることができる人もいます。そんな悪人と相対したとき、大切なものを守るために剣を振るう覚悟だけは常に持っておくべきです」
……
……
……
そう言った佐東さんの横顔がどこか寂しそうで悲しそうで、なんだかとても印象に残っていた。
彼女はこういうとき、迷わず相手の命を奪う覚悟ができる人なのだろう。
それはきっとこれまでの人生の中で、何度もそういう選択を余儀なくされてきたのだろうって……なんとなく想像がついてしまい、胸が苦しくなった。
……俺も、彼女みたいに覚悟を決めなければならない。
命を賭けた戦いに、命を奪う覚悟なしに勝利することは難しいのだから。
「……来いよ、楼。3年前の借りを返してやる。今の俺を殺そうってんなら、命を捨てる覚悟をしてもらおうか!」
「殺す? お前が? 俺を? おいおいおい! 漁夫の利で魔王の力を得ただけの雑魚が、俺に勝てるとでも思ってるのか? 舐めやがって! すぐにてめーを姉の元に送って、魔王の力も俺がいただいてやるぜぇぇーーーーーーッ!!」
楼は魔力を噴き出し、地面を爆発させて弾丸のような速度で襲い掛かってくる。
それを迎え撃つように、俺は右腕に禍々しい魔王の力を纏わせ、強く拳を握り締めた。




