88:王命
通されたのは、王城の奥まった一室。
謁見の間ではないのは、私達一家を慮ってのことだろうか。
開いた扉の先に、国王陛下、王妃陛下、ライオネル王太子殿下、アイリス王女殿下とロイヤルファミリーが勢揃いしていた。
窓から柔らかな光が差し込む、温かな部屋……だというのに、その空気はやけに冷え切っている。
内々の席で済ませようとしてくれているのは有難いけれど、普通ならこの時点でもう萎縮しているよ。
ま、王城に呼び出しを喰らったその時点で、普通の貴族なら白目を剥いているのだろう。
勿論我がティアニー公爵家は、その“普通の貴族”には当て嵌まらない。
「突然のお呼び出しとは、どのようなご用件ですか」
国王陛下を前にしてもお父様の声は威厳を保ったままで、朗々と響き渡った。
「なぁに、前々から考えていたことなのだ」
そんなお父様に怯むことなく、国王陛下が笑顔を浮かべる。
お父様は、国王陛下の従兄。
私にとっても従祖父にあたる人なのだが、その笑みの後ろに何かが隠されている気がして、どうしても警戒が解けずにいる。
「ルシール嬢を、ライオネルの婚約者として迎え入れたい」
ああ、やっぱり来た……。
小さく息を吐いたのは、おそらくお兄様だろう。
ふらりとよろけたお母様を、お父様が支えてくれたのが視界の端に映った。
重く沈んだ空気の我がティアニー一家とは対照的に、王妃陛下とアイリス王女殿下は、穏やかな表情を浮かべている。
ライオネル殿下は──真剣な面持ちで、じっとこちらを見つめていた。
「……畏れながら、陛下に一つお尋ねしたいことがございます」
「なんだね?」
私が声を上げると、陛下が鷹揚に頷いた。
「此度の拝謁は、親族として招いていただいたと考えてよろしいのでしょうか。それとも、臣下として馳せ参じたということでしょうか」
内々の場か、そうではないか。
それによって、こちらの出方は大きく変わってくる。
「勿論、ティアニー公爵は我が従兄であるからして。ルーシーも、そう身構えずとも良い」
よし、これは前者──つまり親族としての場と考えて良いということなのだろう。
私のことをルシール嬢ではなくルーシーと呼んでいることからも、我が家の警戒を解きたい様子が窺える。
言質は取った。
内々の場であるなら、不敬だの何だのというのは気にせず、言いたいことを言わせてもらおう。
「それならば、陛下。このお申し出がどのような意図で行われたものか、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「元々ティアニー公爵家の令嬢であれば、王太子の婚約者として申し分ない。その上、ルーシーは迷い子ではないかと……そう言われているのは、知っているだろう?」
なんとも意味ありげな視線だ。
こちらの出方を探っているのか、それとも、もう私が迷い子であると確信しているのか。
どちらにせよ、迷い子と思われるから婚約者に据え置きたいという王家の意図は十分に理解した。
「おかしな話でございますね。私が迷い子であれば、それはつまり、公爵家の実子では有り得ません。公爵家の令嬢であることと、迷い子と思われること。その二つの理由、矛盾しているように思うのですが」
「何もおかしな話ではないさ。どちらであったとしても、王太子の婚約者として相応しいと、そういうことだ」
陛下の唇から漏れる、静かな声。
口調こそ柔らかだが、その言葉は最初からこちらの意図など聞く気はないように思えてしまう。
「陛下、ここからは仮定の話をさせていただきます」
「ほう」
私が置いた前置きに、陛下だけでなく、皆の瞳に興味の光が宿る。
私が何を言い出すのかと、十四の瞳がじっとこちらを見つめた。
「もし私が迷い子であったとして……陛下、迷い子がどのような世界からやってきたか、興味はありませんか?」
「それは無論、興味は尽きないな」
いよいよ私が認めたとでも思ったのか、陛下が前のめりになって食いついてきた。
「私が予想する迷い子の世界とは、この国とは大きく異なる文化、有り様を持つ国なのでしょう。そのような者を相手に、国の価値観を押しつけるというのは、逆効果なのではないでしょうか」
「……それは、つまり?」
陛下の頬が、僅かに引き攣る。
「迷い子だからなどという理由で、相手の考えも確認せずに強制的に繋がりを作ろうとするのは、悪手ではないか……と、そう愚考致します」
にこりと微笑みながら言葉にすれば、陛下だけではない、その隣に座るライオネル殿下までもが苦い表情を浮かべた。
普通の貴族ならば、ここで制止の声が上がるだろう。
だが、お父様もお母様もお兄様も、私の言葉を遮ろうとはしない。
きっと、皆同じ想いで居てくれているのだ。
「迷い子の意見を尊重するべきだと、そう言いたいわけか?」
「はい、概ねその通りにございます」
言いたいことはもっと沢山あるが、一番は“強制すんじゃねぇ!”ってことなのよね。
強制されるのも、詮索されるのも、関わろうとするのも……全てが煩わしいったらありゃしない。
どうしてそっとしておいてくれないのかしら。
「とはいえ、迷い子であろうと、今現在は我が国の民であろう。国王である私が命を下すことに、何の問題がある?」
だーかーら、迷い子が君主制の世界から来たとは限らないってのに。
自由を尊ぶ相手、私と同じように民主主義の国から来た相手に対して結婚を強要するなんて、反感を買う可能性があると言っているのに。
自分が住む世界の価値観から抜け出すのは難しいことだって、分かっている。
分かっているけれど、話して通じるのなら、それだけで済ませたかったな……なんて。
「無論、陛下には王命を下す権利がおありでしょう。ただし……」
ふっと、窓から差し込む日の光が翳る。
厚い雲が太陽を覆い隠し、陽光を遮る。
次の瞬間、王城の中庭めがけて太い稲光が迸った。
「一方の意見を押しつけるならば、相手からの反感は当然覚悟しなければなりませんが」









