86:罪深き雛鳥
あの後ライオネル殿下の顔がまともに見られる気がしなくて、逃げ帰るようにアカデミーを出て王都の公爵邸に戻ってきた私は、門中にティアニー家の紋様が刻まれた大きな馬車が停まっていることに気が付いた。
私とジェロームお兄様も、当然ティアニー公爵家の紋が刻まれた馬車を使う。
しかし、私達が王都で使っている物よりも大きく、一際豪華な馬車だ。
そう、あれはお父様とお母様が使う馬車。
「ルーシー、お帰りなさい」
「お母様!!」
扉を開けると、領都に居たはずのお母様が笑顔で出迎えてくれた。
「また少し背が伸びたかしら?」
「どうでしょう、自分ではあまり分からないのですが……」
銀髪清楚美人のお母様に、ぎゅうと抱きしめられる。
役得役得。
「貴女に似合いのドレスを色々と仕立ててきたのだけれど、丈が合わないかもしれないわねぇ」
「丈の方を合わせますよ!」
長い分には調節すれば良いし、短くても、少し寸足らずなくらいは気にしない。
もっとも、貴族のお嬢様としては、そんな考えはダメなのかもしれないけどね。
「まずはお茶にしましょう。私もつい先ほどこちらに着いたばかりなの」
「お父様もご一緒ですか?」
「ええ、今は王城に向かわれているわ」
王城……。
ライオネル殿下の言葉を思い出して、少しだけ頭が痛くなってくる。
ううん、久しぶりにお母様に会えたんだもの、今は面倒なことで頭を悩ませるのはなし。
たっぷりお母様に甘えてしまおう。
「王都でも色々とあったようだけれど、アカデミーでの暮らしはどう?」
「毎日楽しいですよ。お友達もいますし」
温かくて甘い紅茶と、お母様とのお喋りが、一日の疲れを癒やしてくれる。
「キャロル嬢以外とも仲良くしているのかしら?」
「お手紙にも書いたように、オローク伯爵家のスチュアートと、ブラニング男爵家のデリックとは、一緒にパーティーを組んで冒険者活動をしています!」
冒険者活動と言った瞬間、お母様の目がどこか遠くを見つめた気がした。
ごめんなさい、お母様……公爵令嬢として有り得ない生活をしているというのは、重々承知しています。
「男の子ばかりじゃない」
お母様も、そこに突っ込むのは諦めたようだ。
「流石に女の子で一緒に冒険に出てくれるような子は、なかなか見付からなくて……」
「それはそうよねぇ」
あまりにズレたやりとりに、お茶菓子を運んできたブレンダが、笑いを堪えている。
自分の育て方が間違っていたとでも思っているのか、私に淑女としての在り方を説くことを諦めてしまったお母様は、突っ込むかわりに全てを斜め方向にスルーするという高度な話術を発揮していた。
「でも、貴女が楽しいのなら、何よりだわ」
公爵夫人としては色々言いたいこともあるだろうに、私を否定せず優しく受け止めてくれるお母様。
そんなお母様の優しさが、とても嬉しく、そして有難い。
もし私が迷い子だと知ったら、お母様はどう思うのだろう。
死産となった自分の子供と、いつの間にかすり替わっていた子供。
彼女にとって、私はあまりに悍ましい異物なのではないか。
怖い。
お母様に嫌われたくない。
どれだけ罵られても文句は言えない立場だと言うのに、素性を知られることに怯えてしまう私は、なんと自分勝手な人間なのだろう。
「……ルーシー?」
お母様の優しい声が響く。
ふわりと銀の髪が靡いて、私の顔を覗き込んでくる。
ごめんなさい、お母様。
私、本当は貴女から愛情を注がれる資格なんて無いんです。
私という存在は、いわばカッコウの托卵だ。
本来愛されて育つべき子供に成り代わって、得られるはずのない愛情を、公爵令嬢という身分を享受しているに過ぎない。
ああ、嫌だな……。
ライオネル殿下に疑われたこともそうだけれど、少しずつ、少しずつ、取り繕っていた皮が剥がされていく感覚。
やがて身に纏っていた嘘が全て剥げ落ち、真実が明るみに出た時──私には、一体何が残るのだろう。
「まぁまぁ。そんなに悩まなくても大丈夫よ」
「……お母様?」
私の不安を察してか、お母様が心配そうに声をかけてくださる。
お母様、貴女は気付いていたのですか?
私がこんなにも罪悪感に苛まれていることに──。
「焦らなくても、女の子のお友達もちゃんと出来るから。ゆっくりと、話の合う子を見付けるといいわ」
………………全然違った。
お母様、別に私は女友達が出来ないことに落ち込んでいる訳ではありません。
いや、そりゃ確かに少し凹むことはあるけれども!
キャロル以外、友達らしい女友達は居ないけれども!!
私を抱き寄せ、優しく撫でてくれるお母様。
細くしなやかな指が、とても心地よい。
「大丈夫。貴女は私の自慢の娘なのだから」
優しい声が響く度に、ズキリと胸が痛んだ。
真実を知った時、この声はどう変わってしまうのだろうか。
今の私には、想像する勇気さえ持てなかった──。









