81:悪意
「わ、私は当初の予定通りに、ちゃんと試験当日まで足止めを行いました! まさかあんな風に空を飛んで帰るなど、予想外です!!」
「ええい、失敗したことには変わりは無いだろうが!!」
ジョッシュさんのどこか怯えたような声の後に、窓を震わせるほどの怒声が響く。
どうやら、怒鳴り声を上げている男性がクワイン枢機卿──聖女と呼ばれるフィリスの叔父なのだろう。
ジェローム兄様と繋いだままの手が、強く握りしめられる。
怒っているのか、それともしめしめと思っているのか。両方かなぁ。
この会話は、ギルド長もちゃんと聞いているはずだ。
依頼を利用して故意に冒険者の一人に損失を与えようとしたと分かれば、ギルド側としても動かざるを得ないだろう。
ギルド長の証言だけで、証拠としては残らないのが残念なところだけどね。
まぁ、それは仕方ない。
証言する人間として不足ないように、わざわざお父様がギルド長を引っ張り出したのだ。
当初の目的は、既に達したと言って良いだろう。
でも、私はなおも冷たい窓ガラスに耳を押し当てていた。
どうして彼等がこんなことを企むに至ったのか、一番気になるのはそこだ。
枢機卿にとってはたかが学生一人、冒険者一人、とても策を弄して排除するような相手とは思えない。
姪可愛さに、姪が嫌う相手の邪魔をしようとした?
その可能性も有り得なくはないが、こう見えても私はティアニー公爵家のご令嬢なのだ。
そんな些細な理由で喧嘩を売るには、ティアニー公爵家はあまりに面倒な相手。
どれだけ姪が可愛かろうが、損得勘定の出来る人物なら手は出せないはず。
「申し訳ございません、しかし、たかが学生が試験に間に合ったくらいで……」
「たかが学生だと?」
「ひぃっ」
言い訳じみた言葉に、枢機卿が睨みを利かせたのだろう。
ジョッシュさんが怯えた声を上げる。
「あの娘をただの学生、ただの冒険者だと思うな。あの子は幼い頃から王太子殿下の婚約者第一候補と言われ、今も殿下がこだわっている相手だぞ」
「は……」
んんんんん???
婚約者第一候補って……あー、確かに幼い頃にお茶会に参加して、その後に王宮に呼び出されたことはあったけれど……今となっては、クワイン伯爵令嬢が王太子殿下の婚約者に決まったはずじゃない。
どうしてそんな話になっているのだろう。
それに、殿下がこだわっているって何?
「クワイン伯爵様のご令嬢は、既に殿下の婚約者として決まっているのでは……?」
「一応はな。唯一それに反対しているのが、王太子殿下本人なのだ」
あらー。
あの婚約、殿下は反対していらっしゃるのか。
だからって、婚約者候補と言われていた私が襲われるのは納得がいかないが、邪魔者排除ということなのだろうか。
私の手を握りしめるお兄様の掌には、ますます力が込められている。
婚約者候補と言われていた~なんて理由で進級妨害されたら、たまったもんじゃないよね。
狭いアカデミーでのこと、噂なんてあっという間に広まるだろう。
公爵令嬢が留年なんて、笑いぐさだ。
場合によっては、嫁の貰い手もなくなるかもしれない。
王太子殿下の婚約者なんて、もってのほかだろう。
彼等が何を考えてあんなことをしたのか、なんとなくは分かったけれど、やっぱり釈然としない。
そもそもこちら側に王太子妃の座を狙うつもりが微塵もないというのに、どうしてこんな嫌がらせを受けなければならないのか。
居るだけで邪魔……なんて思われているのかなぁ。
日頃のフィリスの態度を思い出すと、それもあながち間違っていない気がする。
我が家が公爵家というのも、また厄介な点なのだろう。
今でこそ聖女だの迷い子だのといった存在が求められているが、元々王太子妃に選ばれる為には、それ相応の地位が必要だ。
公爵家の令嬢であれば、申し分ない──正に候補の筆頭と言える立場だ。
「はあぁぁぁ……」
窓から離れると、自然とため息が零れた。
好かれているとは思っていないし、向こうの企みを証明する為に来たとはいえ、こうも直接的な悪意を感じてしまうと、流石に気が重くなるというものだ。
今回の件は、お兄様を通じてお父様にも報告が行くだろう。
お父様はどう動くのだろうか。
枢機卿が商人を通して冒険者ギルドに依頼して……ここまで来ると、私とフィリスの不仲だけでは片付かないだろう。
ふと、繋がれた手が解かれて、ぐいと肩を抱き寄せられた。
私を包み込むような温もり──ジェロームお兄様だ。
ため息を聞いて、私が落ち込んでいると思ったのかな。
……大丈夫。
悪意に晒されるのはうんざりするけど、向けられているのは悪意ばかりではない。
私には、私を大事に思ってくれている人達が居るんだから。
建物から離れるようにして、教会の中庭を歩く。
ある程度の情報を入手したら、ギルド長も隙を見て部屋を抜け出し、冒険者ギルドで落ち合う予定になっている。
さーて、やられっぱなしじゃすまないんだから。









