80:隠密作戦
「ご令嬢に迷惑を掛けたことは、本当にお詫びのしようもなく……」
翌日のティアニー公爵邸。
強面で知られる王都の冒険者ギルド長が、応接テーブルに擦りつけんばかりに頭を下げていた。
それもそのはず、ギルド長のクラーク・ステップニーさんは子爵家の出。
ティアニー公爵たるお父様を前に、流石のギルド長とはいえ強く出られるはずもない。
鬼のギルド長と呼ばれるクラークさんの風貌以上に、静かに笑みを浮かべるお父様からは異様な迄の威圧感が放たれていた。
「そんなことはいい。この書類を見てもらおうか」
お父様が放り投げた紙束には、クワイン伯爵家とクワイン枢機卿、そして令嬢フィリスの調査結果が子細に書かれていた。
魔王復活阻止の噂の出所が教会関係者だとか、クワイン令嬢が迷い子であるという噂の出所とか、その他諸々。
伯爵家と枢機卿がフィリスを迷い子として、そして聖女として売り込み、王太子の婚約者にまで押し上げ、今もなお名声を得ようとしている様が事細かに記されている。
「これは……」
厳ついギルド長の顔が、さらに険しくなる。
魔の森遠征で、誰が一番活躍したか。
それを知らぬギルド長ではない。
それをさも聖女と呼ばれるクワイン令嬢のおかげとする教会のやり方には、彼もまた辟易としているのだろう。
「冒険者ギルドは冒険者の予定も鑑みず、急な変更を押しつけようとする悪質な依頼人を擁護すると考えて良いのかね?」
「いえ、決してそのようなことは……」
「ならば、此度の依頼の裏をきっちり突き止めていただこうか」
腕を組んで静かに微笑むお父様を前に、ギルド長の額には汗が浮きっぱなしだ。
「しかし、裏と言われましても……」
「君はただ、言われた通りに動けば良い。分かったかね?」
「は、はい……」
有無を言わさぬお父様の言葉に、ギルド長はただ頷くしかない。
ここまで来ると、ちょっと可哀想だよね。
娘が受けた依頼のことで親が屋敷まで呼びつけるのも過保護なら、その依頼についても、いまだ不明な部分が多い。
私が薬を盛られていたってのは、バールの意見でしかない。
私自身も多分そうなんだろうなぁってくらいで、この世界では体内から薬効成分が検出できる訳でなし、確証は得られないのだ。
まぁ、お父様がこうまで強く出るってことは、ゼフを通じて何かしらの証拠を掴んでいるのだろうとは思うけれど。
ギルド長からしたら、権力者の娘に下手な依頼を出してしまったと後悔していることだろう。
私としては、王都の上空をマルコシアスで飛んで帰ってきたことで迷惑を掛けてしまったので、あまりギルド長に圧力を掛けないでほしいんだけどなぁ。
私のそんな思いを他所に、お父様の指示が飛ぶ。
ごめんね、ギルド長。
こうなったからには、最後まできっちり巻き込まれてください。
ある程度事情を把握出来て、発言力も公的ポジションも持ち合わせた第三者が居てくれた方が楽なんだよねぇ。
こうして、ギルド長をも巻き込んだ密かな作戦が展開されることになった。
深夜、私達は王都にある教会へと潜入していた。
メンバーは私とギルド長、そしてジェロームお兄様の三人。
本来ならもっと護衛を引き連れてくるべきなのだろうけど、あまり大人数で動けない理由がある。
それもそのはず。
私達は今、不可視の術を用いて教会に忍び込んでいるのだ。
ある程度の事情を察しているらしきジェロームお兄様はともかくとして、術の存在を知ったギルド長は、流石に呆然としていた。
滅多なことでは使えないし、そもそも私以外に使えるものでもない。
悪用されることはないから心配しないでほしいとは言い含めたけれど、どの程度信じられたものだろうか。
この不可視の術は、悪魔ガープの持つ能力だ。
これにより、私達三人の姿は完全に闇に溶け込んでいる。
とはいえ動けば気配はするし、何かにぶつかれば物音を立ててしまう。
存在そのものが消える訳ではない、あくまで姿が見えなくなるだけなのだ。
息を殺し、じっと教会の奥を目指す。
誰かとすれ違う時は、特に足音を立てないように。
抜き足、差し足、忍び足。
耳を澄ますと、微かな羽音が聞こえてくる。
道が分からなくなった時は、羽音に従うように歩けばいい。
「こんな泥棒みたいなことをする羽目になるとは……」
ギルド長のぼやきが、耳に痛い。
「ごめんなさい、巻き込んでしまって」
「ルーシーが謝る必要はないだろう、これもギルドがしっかりしていないからだ」
お兄様はと言えば、お父様以上にギルドにもクワイン家にも腹を立てている。
ギルド長に真実を突きつけて、冒険者ギルドを正式に動かすべき──そう言って聞かないのだ。
「冒険者にも、貴族の子弟はいるからね。苦情だけなら、慣れっこではあるんだが……」
流石に不可視の術を掛けられて、教会に潜入されられたのは初めてみたい。
当たり前か。
可哀想に、ギルド長は不可視の術を掛けられる時点で、私の持つ力を口外しないようにと魔法契約まで結ばされている。
人ではなく召喚獣──悪魔が使う術ということで、口外されたところで解析も再現も出来ないのだろうが、そこはそれ。
知られたら面倒になるのが目に見えているので、こういう時のお父様とお兄様は容赦が無い。
厚い絨毯で足音を消しながら教会の廊下を進むと、第一のターゲットが見えてきた。
つい先日見かけたばかりの姿、セルウェイ商会のジョッシュさんだ。
浮かぬ表情で時折胃を抑える様子は、誰かを思い出す……って、そうだ。
お父様を前にした時のギルド長だ。
偉い人を前にすると、皆こんな感じになるのかもしれない。
彼にとっても、胃が痛くなる人物との邂逅が待ち構えているのだろう。
彼が真っ直ぐ進む先、教会の奥まった一室には、教会の要人であるクワイン枢機卿が待ち構えているのだから。
身のこなしに自信のあるギルド長がジョッシュさんと共に部屋に潜り込み、私とお兄様はクワイン枢機卿が待つ部屋の窓の下で待機することにした。
廊下を進む途中でギルド長と別れ、中庭から枢機卿の部屋の外へと回り込む。
互いの姿が見えない状態で、お兄様とはぐれないよう、しっかりと手を繋いだまま。
こんな時だというのに、緊張して掌が少し汗ばんでくる。
いや、こんな時だから……かな?
さく、さくと草を踏む音が、やけに大きく聞こえてくる。
気配を殺して歩いているつもりでも、草木の生い茂る中庭を無音で歩くのは難しい。
ようやく辿り着いた、枢機卿の部屋の窓辺。
窓に耳を押し当てると、中からはジョッシュさんの慌てたような声が聞こえてきた。









