75:やっちまった
――ぷつんと、何かが切れる音がした。
それが何かと理解するより先に、私の足は歩みを止めていた。
「……バール」
足下の黒猫に声を掛ける。
黒色の中で爛々と光を称えた瞳が、じっとこちらを見上げていた。
「お願い……あいつを倒して」
許さない。
これ以上、あんな奴の好きにはさせない。
私を必ず守ると言ってくれたマクラーレン団長を、私も守りたい。
彼が死んだら、きっとお父様は悲しむ。
だから、死なせない。絶対に。
「皆の力を総動員して構わないわ。もう、遠慮は要らない」
「良かろう」
黒猫の口角が、僅かに上がった気がした。
ジェローム兄様の前ではあるけれど、もうそんなことを気にしている余裕もない。
ただ、これ以上自分の都合で騎士達を危険に晒したくはなかった。
「お兄様ごめんなさい、私、戻ります!」
「ルーシー!?」
ジェロームお兄様の手を振り払って、騎士達が黒尽くめと戦っているところに駆け寄る。
「――サブナク!!」
私の声に応えるようにして、獅子がふわりと舞い降りる。
元々は獅子の頭を持つ悪魔だが、私の状況を鑑みて獅子の姿で現れてくれたのだろう。
「な、なんだこいつらは!?」
「お前等、同じ魔族じゃないのか?」
一方、魔の森の木々に遮られた上空。
黒猫のバールを始め、権限した悪魔達の姿を見て、黒尽くめの背後に控えた魔族達が声を上げる。
「なんだ、こいつは……猫?」
黒尽くめの魔族までもが、突然現れた正体不明の集団を前に、戸惑いの声を上げていた。
「初めまして、異界の王よ……そして、さようなら」
地の底から響くようなバールの声。
その後に続く彼等の声が、少しずつ遠くなっていく。
空の戦いは、既に私の手の届かぬところにあった。
「マクラーレン卿!!」
茂みに倒れた彼の元に駆け寄ると、緑色の瞳がうっすらと開いた。
「あー、もう……逃げろって言ったのに」
若々しく感じられた騎士団長の肌が、今は土気色だ。
黒尽くめによって切り飛ばされた右腕から流れ出る血液で、すっかり血の気を失っている。
「今すぐに手当をしますから……!」
「いい、無駄だって分かってる……」
私の言葉に、マクラーレン団長が力無く首を振る。
その面には、力無い笑顔が浮かんでいた。
「ダメです。そんなことを言わないでください」
そんな彼を叱咤するように、強めに声を上げる。
怪我の治療も、病からの回復も、魔法や治療の補助はあっても、最終的には当人の生命力と精神力が物を言うのだ。
弱気は禁物、彼には何としても生き残るという気概で居てもらわなければならない。
すぐ近くの茂みに、切り離された腕が転がっていた。
持ち上げれば、ずしりと重い。
今はまだ人肌の温もりが感じられるが、急速に体温が失われつつある。
剣を持ち、私達を守るように戦っていた、マクラーレン騎士団長の大きな手。
……失わせる訳にはいかない。
「サブナク、お願い」
マクラーレン団長の元にしゃがみ込んで、切り離された腕を元の腕があった場所に持ち上げる。
これが正しい治療なのかは分からない。
でも、このままでは彼の腕も、失われた血液も戻りはしない。
それならば――やってみるだけの価値はあるはず。
「……っ」
獅子の咆哮と共に、目映い光が辺りを包み込む。
ふと、持ち上げていた腕が軽くなった気がした。
いや、気がしたどころの話ではない。
重みを感じなくなっただけではなく、私の手を離れて、一人でに浮き上がっている。
否、浮き上がっているのではなかった。
光が収まり視界が戻ると、目を見開いたマクラーレン団長が、元通りにくっついた自らの右腕を呆然と見下ろしていた。
「これは……」
「良かった……」
ふぅ、と息を吐く。
「お願いサブナク、負傷した騎士達も治してあげて」
獅子のたてがみを撫でれば、サブナクが承知したとばかりに低く唸った。
そのままくるりと踵を返し、傷付いた騎士達の元へと向かっていく。
騎士達は突然現れた獅子に驚いているようだが、私の召喚獣については元々十分に説明がされていたはずだ。
翼ある狼に豹に獅子にと予定より増えてしまったが、まぁ問題はないだろう。
なーんて暢気に構えていたのだが。
「凄い……まさか召喚獣にこんな力があるだなんて……」
「第一、第二の連中が聖女様だの何だのと言っていたが、彼女こそ正に聖女様なんじゃないか」
ん?????
今何か物騒な単語が聞こえませんでしたか。
第一騎士団、第二騎士団から聖女と呼ばれているのは、きっとフィリス・クワイン伯爵令嬢のことだよね。
彼女と並んで聖女と呼ばれるようなのは、ちょっと勘弁願いたいんだけどなぁ……。
不安を感じて、ジェロームお兄様とハーヴィー兄様を振り返る。
二人にも今の声が聞こえていたのか、それぞれに苦い表情を浮かべていた。
「えーと。なんとかこのまま目立たずやり過ごす方法は……」
「いや、無理だろう」
ジェロームお兄様の半目は、まるで「なんで目立たずやり過ごせると思った」と物語っているかのようだ。
事情を知るハーヴィー兄様に視線を向けたら、諦めたような表情でゆっくり首を横に振っていた。
あれ、おかしいな。
こんなはずじゃなかったんだけど……どこでどう間違えたんだろう。
「元々ルーシーに父上のご友人を見捨てろって言う方が、無理な話だったんだ……」
そう呟くジェロームお兄様は、周囲の騎士達の盛り上がりとは対照的に、ガックリと肩を落としていた。









