74:襲来
「――マルコシアス!?」
ひらり、ひらりと羽根が舞い落ちてくる。
衝撃波を受けたマルコシアスは中空で体勢を立て直し、キッと一点を睨み据える。
マルコシアスが睨むその先に、彼は居た。
「はは、妙な気配がすると思ったら……見たことのない魔獣だな」
騎士達が見上げる、遙か上空。
大地に影を落とす、一つの姿。
漆黒のマントを翻し、黒い仮面で顔を覆ったその姿は、まさに物語の悪役そのもの。
羽根もないのに中空に佇み、下界を見下ろしている。
その男の姿に、歴戦の騎士団長までもが顔色を変えた。
「お前は……魔族か?」
「ただの魔族だと思うか?」
仮面の下、口元が僅かに弧を描く。
男が笑った瞬間、森の木々がざわりと揺れた。
いや、揺れたのは木々だけではない。
空気そのものが揺れている。
気の弱い者ならば、おそらくこの場に立っていることさえ難しいだろう。
それほどのプレッシャーが、上空のあの男から発せられている。
虚空に佇む黒尽くめの男を、闇よりも黒い猫がじっと見上げていた。
「は……魔王復活の噂も、あながち嘘ではないってことか……」
そう言って笑うマクラーレン騎士団長の額には、じっとりと汗が滲んでいる。
バールは平気そうにしているが、普通の人間ならば、おそらく正視出来ないほどの威圧感だろう。
そんな中、彼は剣を構えて部下に檄を飛ばした。
「お前等、王国騎士団の根性を見せてやれ!!」
「「「おお!!」」」
自分達を鼓舞するような騎士の声に、上空の男が鼻で笑う。
その余裕を崩さぬ態度を苦々しく見上げながら、騎士団長が傍らのハーヴィー兄様に声を掛けた。
「いいか、この場は俺達に任せて、その子達を連れてさっさと離脱しろ」
「しかし、それでは――」
マクラーレン団長の指示に、ハーヴィー兄様が眉を寄せる。
「いいか、その子は本来ここに居るべき人間じゃない。我等と共に死線に立つ必要なんてないんだ」
――死線。
彼は、今正に死を覚悟しているのだろうか。
じっと上空を見据えながら剣を構える姿に、胸が締め付けられる。
「そして――どうか、このことを王都に伝えてくれ」
ゼフや召喚獣による偵察が出来ない状態では、誰かが持ち帰った情報が全てだ。
先遣隊は既に全滅していて、魔の森奥地に高位の魔族――おそらく魔王が出現した。
そのことを王城に伝えられるか否かで、王国の出方は大きく変わってくる。
――でも。
そこまでの情報ならば、全て魔の森に来る前に知っていたの。
おそらく、上に報告しているかは分からないが、ゼフを動かすことが出来るティアニー公爵も私と同程度の情報は掴んでいるだろう。
私が力を隠しているから、目立ちたくないからって理由で、伏せていた事柄。
その情報を得る為だけに、彼等は命を懸けている。
そのことが、酷く申し訳なく感じてしまう。
そんなことの為に、命を捨てないで――そう叫びたくてたまらない。
でも、言葉を発することが出来ない。
それが彼等の仕事であり、彼等の誇りなのだろう。
私達を逃がす為に立ち塞がるマクラーレン団長の背中が、やけに大きく感じられた。
「行こう、ルーシー」
「お兄様……」
ジェロームお兄様が先を急ぐように、私の肩を抱く。
上空から、黒い魔族によって途方もない魔力が地上に降り注いでいる。
騎士達はそれを躱しながらも、何とか応戦しようと弓や槍を手に構えていた。
「――っっ」
私達の前方を遮るように、土塊が盛り上がって人の形を象る――いわゆる石人形だ。
傷付いたマルコシアスに代わって、オセが石人形と戦い、道を切り開く。
後方からは、騎士達の悲鳴ばかりが聞こえていた。
つい、気になって後方を確認してしまう。
今となっては、立っている騎士の方が僅かだった。
黒尽くめの魔族の圧倒的な力により、一人、また一人と倒れていく。
「ルーシー、見るんじゃない!」
「でも……っ」
見るなと言われて、振り返らずに居られるだろうか。
彼等は私達を逃がす為に、敵わぬだろう相手に真っ正面から立ち向かっているというのに。
ズキズキと、心が痛む。
私が力を隠そうとさえしなければ、彼等を助けられるかもしれないのに。
今こうしている間にも、バールの力を解き放てば、あんな魔族に負けはしないのに。
「ルーシー!!」
オセが石人形にのしかかり、石人形が倒れた隙を突いて、ジェローム兄様が私の手を掴んで走り出す。
半ば強引に引っ張られるように走りながらも振り返り、最後に目にした光景は――、
地上に降り立つ黒尽くめの魔族と、それに片腕を切り飛ばされるマクラーレン団長の姿だった。









