66:聖女と迷い子
フィリス・クワイン伯爵令嬢が、迷い子――?
彼女の机に押し寄せる女生徒の口から、確かにそう聞こえた。
「ま、まぁね」
クワイン伯爵令嬢も、その言葉を否定しようとはしない。
彼女自身、自分が迷い子であると認めているようだ。
「聖女であり、迷い子であるフィリス様が、王太子殿下と結ばれるだなんて。これでペンフォード王国は安泰ですわ!」
「そうですわよね、これであの噂も――」
「しっっ!!」
――あの噂。
その言葉が出た瞬間、誰かが制するより先に、教室が静まり返る。
皆がその言葉を恐れているかのよう。
「と、とにかく。聖女様が王太子妃となれば、この国は安泰。何があっても、恐るるに足らずですわ!」
教室に押しかけてきた生徒達の間には、奇妙な高揚感が漂っていた。
先ほどの硬直、一瞬静まり返った時に感じた不安を拭うように、皆が皆努めて明るく振る舞っているかのようだ。
ひょっとしたら、冒険者ギルド以外でも魔王復活の噂は広まっているのかもしれない。
だからこそ皆救いを求め、聖女兼迷い子の登場に沸き立ち、彼女が王太子の婚約者に決定したことに喜ぶ。
国としても、聖女であり迷い子であるフィリス・クワイン令嬢と王太子殿下が婚約したと発表するのは、民衆の不安を払拭する為の良い材料になるのだろう。
まぁ、彼女が本当に迷い子なら良かったんですけどね!!
本物の迷い子は、ここに居る。
同じ時代に迷い子が二人現れたなんてことでも無い限り、クワイン令嬢は偽物な訳でして……どうなんだろう、そんなことは有り得るのだろうか。
クワイン令嬢は、良くも悪くもこの世界の価値観に染まりきった人だ。
貴族社会に憧れ、王太子殿下の婚約者という地位に憧れ、ライバルとなり得る相手を全て蹴落としてかかる。
少なくとも、同じ二十一世紀の日本を生きた記憶があるようには見えない。
もし、彼女があえて迷い子を騙っているのなら――、
「ま、私には関係のないことか」
わざわざ自分が迷い子だと名乗り出て、彼女が偽であると追求する気にもなれない。
迷い子という肩書きなんて、欲しければいくらでもくれてやる。
逆に迷い子候補が見付かったことで、これ以上王太子殿下に絡まれずに済むなら、有難いくらいではないか。
ふと、教室の一角に目を向ける。
フィリス・クワイン伯爵令嬢の席が婚約話で盛り上がっている一方、ライオネル王太子殿下の席は誰も座ることなく、静まり返っていた。
今日は欠席なのだろうか。
ふと、彼に迷い子ではないかと追求された時のことを思い出す。
ライオネル殿下は、クワイン伯爵令嬢が迷い子と言われて、納得したのだろうか。
彼が不在では、その反応を確かめることも出来ない。
まぁ、全て私には関係の無いこと。
そう自分に言い聞かせながらも、心のどこかで奇妙なもやもやが燻っていた。
王太子殿下と、聖女兼迷い子が婚約。
この話題で沸き立つのは、アカデミーばかりではない。
街中も、貴族社会の噂とは無縁だとばかり思っていた冒険者ギルドまで、二人の噂で持ちきりになっていた。
人々が恐れ、口にすることさえ憚られた噂――魔王の復活。
その噂を払拭する、目出度いニュースが飛び込んできたのだ。
皆がそれに飛びつくのは、当然と言えるだろう。
王太子殿下と聖女様が居れば、怖いものなんてない。
二人が結ばれたら、王国は安泰。
迷い子である聖女様が、全て解決して、私達を導いてくださる。
暗い話題に背を向けるように、そんな希望的観測ばかりが人々の口に上っていた。
「今日はどうする?」
「サーベルタイガーの討伐とかどうだ?」
私達はと言えば、あれから順調に依頼をこなし、見事全員Eランクに昇格を果たしていた。
とはいえ、FランクからEランクへの昇格は、いくつか依頼をこなせば皆が許可されるのだという。
冒険者としては、ようやく若葉マークが取れた頃。
まだまだ駆け出しの新人です。
ジェローム兄様とハーヴィー兄様はお二人ともお忙しいのだが、それでも私達が気になるのか、それとも心配なのか、二人のうちいずれかは私達の冒険に同行出来るよう、互いにスケジュールを調整しているようだ。
申し訳なく思う反面、有難くはある。
いくら私に悪魔達の力があるとはいえ、クラスメイトの三人を必ず守れる自信は無いからね。
それにいざと言う時に判断出来る大人が一緒というのは、やはり頼りになる。
……大人と言っても、二人とも私より少し年上なだけで、そう年は変わらないんだけどね。
八歳年上のハーヴィー兄様はともかくとして、ジェロームお兄様は私と三歳しか変わらない。
それでも安心感を覚えてしまうのだから、心のどこかで甘えているんだろうな……と思わざるを得ない。
「ルーシー、足止めを頼む!!」
手負いの獣ほど、厄介なものは無い。
デリックの戦斧とスチュアートの剣で傷付いたサーベルタイガーを足止めするべく、私は召喚獣を呼び出した。
「来て、マルコシアス」
オセ以外に冒険の最中で良く呼び出す悪魔が、この翼ある狼マルコシアスだ。
オセと同じように獣の姿は召喚獣と言って納得されやすく、かつ翼が生えている為に機動性に優れている。
如何なサーベルタイガーとはいえ、翼を持つ相手は分が悪い。
自慢の爪も牙もマルコシアスには届かず、ひらりひらりと躱されるばかり。
「はっっ!」
焦るサーベルタイガーに、デリックの戦斧が命中した。
耳を劈く奇声を上げて、サーベルタイガーがドサリと倒れる。
「はー、やっぱりサーベルタイガーは手強いな」
「本当に。召喚獣が居なければ、どうなっていたか」
スチュアートとデリックの言葉に、マルコシアスが得意げに鼻を鳴らした。
そんなマルコシアスの喉元を、キャロルが撫でる。
翼を持つマルコシアスと風魔法を操るキャロルは、相性が良い。
キャロルが風魔法で手助けしてくれるなら、どこまでも飛んでいけそうな勢いだ。
仲間と悪魔が仲良くなるのは、私としても嬉しい限りです。
「四人の連携も、かなり良くなってきたな」
今日の引率は、ジェロームお兄様だ。
教師然とした口調で頷き、皆を褒めてくれる。
「へへ、このまま一気にDランクまで上がってやりますよ!」
元々冒険者志望のデリックは、やる気満々だ。
「Dランク、Cランクになると、かなり難易度の高い依頼も受けられるようになる。その分危険も伴うから、慎重にな」
「はい!」
教師であり、先輩冒険者でもあるジェロームお兄様の言葉に、皆が素直に頷く。
兄馬鹿丸出しで付いてきたかと思いきや、ちゃんと先生らしいことも言ってくれるんだよね、お兄様。
サーベルタイガーの亡骸をマルコシアスの背に乗せて、冒険者ギルドへ。
街中ではまだギョッとされるけれど、ギルドの人達は、もう私の召喚獣を見慣れてしまったみたい。
最初の頃は貴重な召喚術士が学生のパーティーに居るというので、勿体ないだの何だのと言われて、勧誘を受けたものだ。
でも、私自身も学生だからね。
友人達と冒険に行くのが楽しいのですと丁寧にお断りを入れたら、それっきりしつこい勧誘はパタリと止んだ。
中にはそれでも声を掛けてくる人が居たんだけど、数日すると私の姿を見るだけで怯えるようになってしまった。
多分、ジェロームお兄様が手を回したんだろうなぁ。
ま、そこら辺は言わぬが花かな。
「おかえり、今日も大物だねぇ」
「査定よろしくお願いしまーす!」
ギルドのカウンターは、相変わらずマイクさんの所だけは列が出来ておらず、すんなり受付を済ませることが出来る。
「このままのペースで依頼をこなしていけば、来月にはDランクに上がれるんじゃないかな」
「本当ですか!?」
「うん。四人とも、良く頑張っているね」
マイクさんに褒められて、自然と皆の顔が綻ぶ。
そんな私達の様子を目を細めて見守っていたジェロームお兄様が、ふとギルドの中に視線を走らせ、眉間に皺を寄せた。
「今日は高位の冒険者が不在なようだが……偶然か?」
「ああ、騎士団から大口の依頼が来ているんだ。そっちで出払っていてね」
お兄様の言葉に、マイクさんが答える。
「大口の依頼?」
「何でも、魔の森の調査に向かうんだとか何とか――」









