54:男と女
「それって、どういう――…」
お兄様の言葉に、心臓が早鐘を打つ。
『一度だって、妹だと思ったこともない』
お兄様は、確かにそう言った。
お兄様に妹として認められていないという意味か、あるいは――。
「ルーシー」
お兄様の言葉に、ハッと我に返る。
気付けば、お兄様がこちらを覗き込んでいた。
お母様譲りの、深い海のような瞳。
長い睫毛が、目元に影を落としている。
初めて会った時から美少年だったけど、今ではすっかり凜々しく、逞しくなった。
そりゃ、女生徒達が放っておかないのも無理はない。
全女生徒の憧れの人。
アカデミーを首席で卒業し、そのまま教員として迎え入れられた逸材。
この若さで、既に魔力解析の大家とまで言われている実力。
そんな人がお兄様だなんて……きっと、私には勿体なさ過ぎたんだよね。
「……ったく、何を誤解しているんだか」
「え?」
お兄様の太い指が、目元を撫でる。
私、泣いていたのかしら……。
いつまで経っても子供みたいで、恥ずかしい。
こんなんだから、お兄様に認められないのよね……。
「ルーシー、俺は……」
お兄様は何かを躊躇するように、言葉を濁らせた。
じっとお兄様の瞳を見つめると、ふいと視線を逸らされてしまった。
「お兄様?」
「お前に話さなければいけないことがあるんだ」
虚空を見つめたまま、お兄様が告げる。
ズキンと、胸が痛んだ。
「お前が生まれた時のこと――…覚えているんだ。死産だったと、生まれた赤子が既に息をしていなかったとして、皆が悲しんでいた時のことを」
「あ――っ」
そうだ。
バールが前に忠告してくれていた。
死産の後、それを知る者達の記憶を改竄して、私はティアニー公爵家の令嬢に成り代わった。
しかし、お兄様には改竄の魔法が効いていない可能性があると――。
「最初は、皆が催眠にかけられたのだと思った。幼心にルーシーが恐ろしい存在に感じて、警戒もしていたし、自分だけは騙されまいとずっと注視していた」
――恐ろしい存在。
悪魔達のことを考えれば、あながち間違いではないのだろう。
でも、お兄様の口からそう言われるのは……なんでだろう。
心のどこかが、ジクジクと痛みを訴えている。
「皆の為に、俺が見張るんだって思って……でも、結局、そんなのは全部無駄だって思い知らされたんだ」
「無駄……って?」
お兄様の言葉の意味が分からず、そのまま言葉を返してしまう。
不安げにお兄様を見つめる視線が、真っ直ぐこちらを見返す力強い視線と交差した。
「どれだけ見張ろうが、警戒を続けようが、俺や屋敷の者達への害意なんて欠片もなかった。それどころか、ルーシーは俺達家族の仲を繋いでくれたと言っても過言ではない」
お兄様の指が、私の頬を撫でる。
そう言っていただけるほどのことを、私は出来ているだろうか。
これまで、この世界に生まれてから日々に追われるばかりで――自分を振り返る余裕すらなかった。
「ずっと、一番近くで見ていたから分かる。ルーシーが俺達の為に、どれだけ心を砕いてくれていたか」
そんな風に優しく言われると、また、涙が溢れてきそうになる。
――良かった。
お兄様に、嫌われていた訳では無いんだ。
それだけで、安堵のあまりに脱力してしまいそうになる。
もたれ掛かる身体を、お兄様が力強く抱き留めてくれた。
「血は繋がっていなくても――ルーシーは、俺にとってかけがえのない存在だ」
ずっと堪えていたのに、もう、我慢なんて出来るはずがなかった。
視界が歪んで、ぽろぽろと何かが頬を伝っていく。
きっと酷く歪んでいるだろう顔を隠すようにお兄様の肩口に顔を埋めたら、あやすように優しく髪を撫でてくれた。
「まぁ、その分もどかしさもあるんだけどな」
もどかしさ……?
疑問には思いながらも、口にすることも出来ない。
気を抜けば、嗚咽ばかりがこみ上げてきそうだ。
「もし、ルーシーが俺の妹という立場に居なければ――もっと早くに、想いを伝えられていたのにな」
お兄様の言葉が、じんわりと心に染みていく。
これは一体、どういう意味なんだろう。
トクトクと、鼓動が速くなっていく。
私の考え過ぎでなければ……
私の思い過ごしでなければ……
私が思い上がっているのでなければ……
お兄様は、私に特別な感情を抱いている……ということ?
涙に濡れた顔を上げて、お兄様を見上げる。
ふと和らいだ顔が、少しずつ近付いてきて……
額に、柔らかなものが押し当てられた。
「~~~~~!」
おでこへのキス。
家族なのだから、そこまで慌てるようなものではないのかもしれない。
でもでも、お兄様は私が本当の妹ではないって知っていて……
しかも、今私に想いを伝えてくれたばかりで……
あれ? 伝えられたって言っていいのかな、これ。
ああ、もう、よく分からない。
感情がぐちゃぐちゃで、思考すら纏まらない。
「妹としてじゃない。一人の女性として……ルーシーが好きなんだ」
お兄様の言葉が、どこか遠くに聞こえる気がする。
このまま気を失えたら楽だろうに、私を力強く抱きしめるお兄様の温もりが、それを許してくれない。
お兄様が、私を、好き……。
ふと、キャロルの言葉を思い出す。
お兄様の想い人……それが私だったと言うこと?
事実を告げてスッキリしたとばかりに、お兄様は容赦なく私の身体を抱きしめる。
近い。近いどころじゃない、密着している。抱きしめられている。
自分のことを女性として意識している相手に、こんな風にされるなんて……って思いはするけれど、今更拒むのもおかしな話だ。
お兄様とは、子供の頃から何度もハグしてきたんだから。
あれー。
兄妹と思っていたのは、私だけってことなのかしら。
どうしよう。
これから、お兄様にどう接したらいいの。
バクバクと鳴り続ける鼓動は、私を抱きしめるお兄様にも伝わっているんだろうか。
まともに顔を上げることも出来ず、ただお兄様の胸に顔を埋めるしかなかった。









