46:疑惑
「殿下、何を仰っているんですか……?」
レジーナが退学となって、平和を取り戻したアカデミー。
それでも昼食はお兄様のところが一番安心出来ると、お弁当を持って研究室に向かっている最中。
王太子殿下が私の腕を掴んで、突然声を掛けてきた。
「僕の質問に答えてくれ」
「そんな質問、答えるまでも無いと思いますが」
素っ気なく殿下の腕を振り払おうとするが、私の手をきつく握りしめていて、振り払えそうに無い。
「ルーシー、大丈夫?」
突然のことでキャロルが警戒の色を露わに声を上げるが、相手は王太子殿下だ。
私を気遣うことは出来ても、当人に直接どうこうは言えるはずもない。
「大丈夫、だけど……」
視線を掴まれた手首に落とす。
彼が放してくれなければ、ここから動くことも出来ない。
「教えてくれ。ルシール・ティアニー、お前が迷い子なんだろう?」
ほぼ確信を持ったように話すこの王太子殿下、どうしたら良いものだろう。
「失礼ながら殿下、それは私が両親の実の子では無いと仰りたいのですか?」
キッと睨み付ければ、彼の視線が一瞬だけ怯んだ。
公爵家を侮辱するのは、如何な王家と言えど厄介なことになりかねない。
その危険性は、彼も重々分かっているのだろう。
「ティアニー公爵夫妻にどうこうと言いたい訳ではない。ただ、お前があまりに――」
あまりに、どういうことだろう。
続きを聞くより先に、廊下の向こうから騒がしい気配が近付いてきた。
「失礼します」
誰かに見られるより先に、強引に王太子殿下の手を振り払う。
掴まれた腕には軽く痕が残っていて、それを見たキャロルが咄嗟に息を呑んだ。
「根も葉もない戯れ言はお控えください、殿下。誤解を招くような行為も物言いも、迷惑です」
往来で腕を掴まれ、真剣な様子で話し合っていたら、誰だってあの二人には何かあるのではと勘繰ってしまいかねないだろう。
そんな姿を他の生徒に見られればあらぬ誤解を受けるだろうし、ましてや相手が王太子だ。
やっかみなど面倒事が生じかねない。
……林間合宿でレジーナから受けた嫌がらせも、元を正せばそれが原因と言えなくもないのだ。
「ルシール嬢、僕は……っ」
何か言いかけた王太子殿下の腕を、走ってきた姿が絡め取る。
「殿下、こちらにいらっしゃったのですね! 探しておりましたわ」
ふわりと揺れるストロベリーブロンドの髪。
真っ直ぐにこちらを射貫く、挑発的な瞳。
そして、王太子殿下の腕を自らの胸元に招くような仕草――獲物を狙う獰猛な肉食獣めいたクワイン伯爵令嬢だ。
レジーナの一件があって以来、私に直接突っかかってくるようなことは無い。
彼女はあくまで王太子殿下にだけ声を掛け、私とキャロルを居ないものとして扱う。
「早くお昼をお食べになりませんと、昼休みが終わってしまいますわ」
「あ、あぁ、だが僕は……」
そのあからさまな態度に思うことはあれど、王太子殿下を引き取ってくれるなら、今は有難い。
まだ何か言いたげな殿下に背を向けて、廊下を歩く。
これ以上、彼に――いや、彼と彼女に付き合って、面倒事に巻き込まれるのはごめんだ。
少しでも早く彼等と距離を取りたくて、早足で歩く。
隣を歩くキャロルが私と寸分違わぬ速さなことに、少しだけ心が落ち着いた気がした。
王太子殿下に呼び止められたせいで、お兄様の研究室に着いた時には、もうゆっくり昼食をとる時間もあまり残されてはいなかった。
しかも、お兄様が私の腕に残された痕を発見したものだから、さぁ大変。
誰にやられただの、どうしてこうなっただの、医務室に行こうだのと騒ぎ立てるものだから、お昼ご飯どころではない。
「呼び止められた際に、痕がついただけです。たいしたことではないので、気になさらないでください」
そうは言ってみたものの、なかなか聞いてはくれない。
結局昼休みが終わった時点でキャロル一人が教室に戻り、私は研究室に残って、お兄様の手当を受けることになった。
わざわざ医務室まで行って薬箱を貰ってきては、軟膏を塗って包帯をしようというのだから、我が兄ながら大袈裟である。
「そこまでしていただかなくて大丈夫ですって!」
「ダメだ、大人しくしていろ」
こちらの話なんて全く聞いてくれないから、困ったものだ。
結局私の腕は大袈裟に包帯を巻かれてしまった。
こんなの、王太子殿下に見られたら逆に向こうから声を掛ける切っ掛けになりかねないというのに。
このまま午後の授業を休んで、殿下に見付からないようにそっと帰宅するのが一番かなぁ……なんて考えていたら、
「殿下にも困ったものだ」
どうやらお兄様も同じことを考えていたらしい。
あれ?
私お兄様に「殿下に腕を掴まれた」なんて一言も言っていないのだけれど、どうして殿下だと分かったのだろう。
不思議そうに首を傾げていると、苦笑混じりに髪をわしゃわしゃと撫でられた。
「公爵令嬢の腕を掴めるのなんて、このアカデミーでも殿下くらいなものだ」
それはそうか。
説明を聞いて、納得してしまった。
公爵令嬢である私の腕を、痕が残るほどに掴める相手。
そんなの、王太子殿下以外に居ない。
教師として、そして兄として、お兄様は先日のレジーナの一件で、当人からの事情聴取にも立ち会っていた。
私は詳しい話を聞いていないけれど、なぜ私達の班に嫌がらせをしたか、その詳しい背景を既に知っているはず。
お兄様に、どの程度知られているのか……、
そのことを想像すると、少し身体が震えそうになる気がした。
「ルーシー……」
お兄様が、躊躇いがちに唇を開く。
白い指が頬を撫で、深い海のような瞳がじっとこちらを見つめる。
「不快な思いをするくらいなら、アカデミーなんか辞めたっていいんだぞ」
真摯な表情のお兄様からもたらされたのは、予想だにしない言葉だった。









