44:下山
翌朝、早々に私達は山を下りた。
お兄様がとにかくお怒りで、アカデミーにも寄らずに、私とキャロルを真っ直ぐにティアニー公爵家に連れ帰ったのだ。
途中王太子殿下があれこれ話しかけてきていたようだが、全てお兄様が対処した。
「今はとにかく、妹を屋敷で休ませてやりたいんです」
そう言われては、先生達も王太子殿下も何も言えない。
山を下りた時には既に麓に公爵家の馬車が待ち構えていて、私とキャロルは真っ直ぐにティアニー公爵家へと運ばれた。
公爵家からデイヴィス伯爵家に連絡が入り、伯爵家からの迎えを待つ間、私は応接間でキャロルにべったりと抱きついていた。
「ルーシーは心配しすぎよ」
「そんなことない」
キャロルは笑うが、一歩間違えれば崖から滑落した際に大怪我をした可能性もあるし、夜の森で獣に襲われて命を落とす危険性だってあった。
とても子供の悪戯と片付けることは出来そうにない。
「無事だったんだから、そんなに泣かないで」
そう言って、キャロルが私の目元を覗き込む。
「……そんなに腫れてる?」
「うん。すっごく」
そこまで言われるからには、きっと酷い顔をしているのだろう。
鏡を見るのが怖いなぁ……。
「ごめんね……私より、大変なのはキャロルの方なのに」
私があまりにわんわん泣くものだから、一番の被害者であるキャロルが私を慰める側になってしまっている。
そんな状況にも、彼女は苦笑して首を横に振った。
「確かに、危険に晒されたのは私だけど……でも、心を傷つけられたのは、ルーシーの方でしょ」
「心?」
キャロルの言葉に、きょとんと同じ言葉を返す。
彼女はふわりと笑って、私の身体を抱きしめた。
「私は、悲しくないのよ。ただ、怒っているだけ。でも、ルーシーは悲しんでいる」
「それは……」
当たり前だ。
自分のせいで、キャロルに被害が及んでしまった。
悲しいし、当然怒ってもいる。
「私がどれだけ大丈夫って言っても、聞いてくれないんだもの」
「だって――」
「その“だって”が良くないの!」
キャロルの白い指が、すぐ目の前に突き出される。
めっ! と子供を叱りつけるような動作だ。
「いっぱい泣いて、いっぱい悲しんだ分、いっぱいお兄さんに慰めてもらうといいわ」
「……どうしてそこでお兄様が出てくるの」
キャロルの言葉に、つい唇を尖らせてしまう。
「ん~? 別にぃ」
彼女は悪戯っぽく笑うのみで、何も教えてはくれなかった。
コンコンとノックの音が響いて、扉が開く。
「デイヴィス嬢、迎えが来ている」
「はい」
顔を覗かせたのは、お兄様だ。
キャロルはすぐさま立ち上がり、扉に向かう。
もう足はすっかり良くなったみたいだ。
「ルーシーのこと、よろしくお願いします」
「当然だ」
なぜキャロルがお兄様に私のことを頼んでいるんだろう。
私達が、伯爵家の人にキャロルをお願いするべきではないのか。
キャロルを見送って早々に、お兄様は私を抱き上げて部屋へと連れて行った。
ベッドに寝かされ、布団を被せられ、寝かしつける気満々の体勢だ。
いやいや、まだ陽は高いから。
寝るような時間じゃないんだから。
「お兄様……別に眠くはありませんが」
「そうか? 疲れているように見えるが」
お兄様がベッドに座り、私の顔を覗き込む。
長い睫毛が顔に触れそうなほどに近い。
ドキリと、心臓が高鳴る。
「昨日はあんまり眠れなかったんじゃないか?」
「遅くまで起きてはいましたが……テントに戻ったら、あの後は朝までぐっすりでした」
お兄様の指が、私の目元を擽る。
「やっぱり、酷い顔してますか?」
「泣き腫らした顔だ」
見て分かるほどに、腫れていたのだろう。
お兄様の手が、甘やかすように髪を撫でてくれる。
「子供じゃないんですから……」
「そうだな。いっそ、子供なら良かった」
私のぼやきに、お兄様が真顔で返す。
一体どういう意味だろう。
ぎしり、とベッドが鳴る。
お兄様はベッドに腕をついて、じっと私の顔を見下ろしている。
トクン、トクン……と、心臓の鼓動がやけにうるさく感じられた。
「おにい……さま?」
声が、掠れる。
じっと見上げる先、高みにある顔が少しずつ近付いてくる。
驚きにぎゅっと目を閉じたなら、額に柔らかなものが触れた気がした。
「え……っ」
お兄様の唇が、額に触れた……ような気がする。
目を瞑っていたから、定かではない。
でも、他のものが触れたとも考えられない。
混乱して慌てふためいていると、お兄様が苦笑を浮かべながら、布団をぽんぽんと叩いた。
「早く寝ないと、これ以上のこともされてしまうかもしれないぞ」
「か、揶揄わないでください!」
悪戯っぽい口調に安心して、思わず悪態を吐いてしまった。
一人ドキドキした自分が馬鹿みたいだ。
こんな風にされて、眠れる訳が無いのに。
お兄様ったら、一体何を考えているのかしら……。
なんて思っていたのも束の間。
暫くぽんぽんと布団を叩かれるうちに、気付けば深い眠りに落ちていた。
目が覚めた時には、窓の外は日が暮れ始めていた。
お昼寝というには、長い時間寝過ぎてしまった。
これじゃ、本当に子供みたいじゃない……私の馬鹿。









