42:焦燥
「え――…」
私は、バールに言われた通りに真っ直ぐに進んできた。
向かう先に、キャロルが居るはず。
と言うことは、キャロルはこの崖の下に――?
「おい、何をしている!?」
「きゃっ」
突然背後から腕を掴まれ、慌てて振り返る。
そこには鬼のような形相をしたダンフォード先生が立っていた。
「こんな所に立って、危ないだろう!!」
どうやら私が崖の近くに立っているのを見て、慌てて駆けつけてきてくれたらしい。
嬉しく思う反面、もどかしさが募る。
この下に、キャロルが居るかもしれないのに……。
「デイヴィスの話は聞いた。お前達はテントに戻って、待機していなさい」
ダンフォード先生の後ろから、同じように心配そうな顔をして走ってくるのは、スチュアートだ。
ゆっくり歩いてくるエイリー先生の隣に、青い顔をして俯いたレジーナの姿もある。
「あの、レジーナは何て……?」
私の問いに、ダンフォード先生は小さく唇を噛んだ。
「ほんの悪戯のつもりだった、と……」
悪戯のつもりだった。
ということは、やはり彼女が私達の班の肉を持ち出したのだろうか。
サァァァと、身体が冷えていくのが分かる。
レジーナも、クワイン令嬢も、目の敵にしていたのは私だ。キャロルではない。
私達の班に対して悪戯をして、私が困れば良し……そんな風に思ったのだろう。
私のせいだ。
キャロルは私への嫌がらせに巻き込まれてしまったんだ。
ダンフォード先生が私を後方に押し退けると、崖上にしゃがみ込む。
合宿が始まる前に数日降り続いた雨によって、山の地面はあちこちがぬかるんでいる。
「君達の班の肉を隠して、ここに――崖の上に置いていたらしい」
ダンフォード先生がどうして私に怒鳴り、そして私を押し退けたのか。
崖の上と思われたそこは、一部が不自然に崩れ落ちたかのように、急な斜面を形成していた。
「違うんです、そんなつもりは無かったんです!! ただ、見付かりにくいところに……どこか、適当な人目に付かないところに置いておけばいいやって……まさか、そんな崖崩れが起きるだなんて……っっ」
レジーナの甲高いわめき声が耳に響く度に、少しずつ心が冷えていく。
私のせいだ。
私があんな嫌がらせ程度なんてことは無いと、放置していたから……だから、彼女達の行為は少しずつエスカレートしていってしまったんだ。
生徒達は皆崖から遠ざけられて、今はダンフォード先生が崖の下へと回り込んで、キャロルを捜索してくれている。
すぐにでも駆けつけたいのに、他の先生方がそれを許してはくれない。
「確かに、あの場所に――崖の上に持っていったのね?」
「はい……」
エイリー先生が問い詰めると、レジーナは大人しく頷いた。
レジーナが肉を置いたという場所は、地面が崩れ、一部がえぐり取られたようになっている。
数日続いた雨によって斜面が脆くなり、そこに急な重みが掛かったことで、土砂が滑落したのだろうとダンフォード先生は判断したようだった。
急な重みとは、すなわちキャロルがそこに立ったこと。
広場から持ち去られた肉を探して、キャロルは崖の上に辿り着いたのだ。
「お願いします……私も、キャロルの捜索に加わらせてください」
一学年の先生だけではない。
話を聞きつけた二学年、三学年の先生方も合流して、キャロルの捜索へと向かっている。
事態の収拾の為に広場に残ったエイリー先生は、私の提案に険しい表情を浮かべて首を横に振るのみだった。
「ダメよ、生徒を危険に晒す訳にはいかない。友達を心配する気持ちは分かるけれど、先生達に任せて、貴女達はテントに戻っていなさい」
違う。
違うんです、エイリー先生。
私には、バールが居るから。
私なら、キャロルの居場所が分かるから。
そう言いたいのに、声が出ない。
キャロルの命が掛かっているというのに、この期に及んで私は自分の能力がバレることを躊躇している。
そんな自分が、酷く醜い存在に思えた。
……ダメだ。
キャロルの命には代えられない。
全て、打ち明けてしまおう。
私の持つ力を、そしてバールに秘められた力を。
そうすることでキャロルが助かるなら、安いものだ。
そう決意して顔を上げた瞬間、誰かが勢いよく駆けてくる音が聞こえてきた。
「ルーシー!!」
声と共に、熱い腕に抱きしめられる。
お兄様だ。
ジェロームお兄様だ。
そう理解した瞬間、じんわりと視界が滲んできた。
「お兄様……お兄様、キャロルが……キャロルがぁ……っ」
お兄様の腕の中で安心した瞬間に涙腺が緩んだのか、ボロボロと涙が零れてくる。
二学年の副担任をしているお兄様も、この林間合宿に教師側で参加している。
私達一年生と行動を共にすることはこれまで無かったが、キャロルが居なくなったという話を聞いて、駆けつけてくれたのだろう。
私にとって、キャロルはたった一人の親友。
お兄様はそれを良く知っているはずだ。
「良かった、ティアニー先生どうにかしてくださいよ。彼女が自分も探しに行くと言って聞かなくって……」
お兄様の登場で、エイリー先生が胸を撫で下ろす。
保護者が来たから、私のことをお兄様に任せようと思っているみたいだ。
「いえ、俺もデイヴィス嬢を探しに出ます」
しかし、お兄様はエイリー先生の言葉に首を振った。
私を抱きしめたままの腕に力を込めて、私の髪に顔を埋める。
「大丈夫だ、デイヴィス嬢は必ず見付けてくるから……」
「お兄様……」
顔を上げて目が合うと、ふとお兄様の表情が和らいで、大きな指が私の目元を拭う。
「その代わりに、バールを借りるぞ」
トクンと、心臓が跳ねた。
バールを、借りる。
召喚陣から呼び出されたとはいえ、見た目だけならバールはただの黒猫だ。
ましてやお兄様にとっては、昔から公爵家に居た飼い猫に過ぎない。
そんなバールを、お兄様はキャロル捜索に連れて行くと言う。
私にとっては有難いが、何を思ってそう言い出したのだろう。
お兄様は……バールの正体を知っているのだろうか。
トクトクと、心臓が早鐘を打つ。
黒猫を肩に乗せたお兄様が、キャロル捜索に向かう。
私には、その後ろ姿をただ見送ることしか出来なかった。
「ティアニー嬢……一度、テントに戻ろう」
「ううん……ここで、待ってる……」
テントに戻ろうというスチュアートの誘いを断り、広場の一角に座り込む。
連絡役として残ったエイリー先生は、他の先生方と慌ただしくやりとりをしている。
お兄様以外にも、二学年、三学年の先生方が次々にキャロルの捜索に向かう。
「大丈夫。すぐに帰ってくるって」
「うん……」
その様子をぼんやり眺めながら、いつの間にか私の隣に座り込んだスチュアートの声に、力無く頷いた。









